2015年新春第1弾は、季節柄、大学受験、共通一次の思い出について書きます。
僕が、英語が苦手なのは、学校の先生の言い付けを守らなかったからで。
タイトルは、「語学」とかけて「語が苦」にしました。
それでは、時計の針を30何年前に戻します。
僕の通っていた学校は中高一貫の男子校で、それは6年制の学校みたいな感じで、部活も一緒にやっていて。
僕はブラバンに所属していたから、中1の時から、「高吹連」のコンクールに出てたりしていた。
中1が1年生で、高3が6年生みたいな感覚かな。
今頃の時分になると、年明けは、高3の先輩の進路の話題になった。
毎年、大抵、ふざけた先輩が一人や二人はいて、「俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!」と言って。
そういう事を言う人は、決まって、成績は悪い方で。
そういうのを「記念受験」って呼んでた。つまり、冷やかし、ですね。
だけど、「記念受験」をした先輩が、「東大?受けたけど、落ちたよ。やっぱ、難しいね。歯が立たないよ」と笑う姿と、
往年のプロレスラーが、「ルー・テーズ?戦ったことあるけど、完敗だったね。歯が立たないよ」と回想するシーンは、
どこかちょっと似たニュアンスがあって、僕はいいなと思ってた。
だから、僕も高3になったら、「記念受験」をしようと決めていた。やっぱ伝説のレスラーとは戦っておきたいじゃん。
ところが、そんな先輩方のふざけた態度への対処策か、僕らの前の学年くらいから「共通1次」が採用された。
今のセンター試験みたいなもので、僕らの頃は、国公立を受ける人は必須で、私立受験には関係がなかった。
うちの学校は高2で、「理系」と「文系」が見事に分かれ、「理系」は「理系」しかしないようなカリキュラムで。
国公立を受ける人は、少数だったと思う。そういう人は、別に授業を選択してとってたんだと思う。
成績、良い奴、友達にいなかったから、よく知らないけど。
でも、医学部に行く生徒は多かった。そういう伝統のある学校だった。
だから、僕が受験生の頃は、生徒よりも先生の方が、「共通1次」の対策で大変だったみたいだ。
僕らの一個上の学年はそんなに「共通一次」を受けなかったみたいで。
僕らの学年は少し受験者は増えたが、それでも成績上位者の数名だったと思う。
少なくとも、僕が学校で普通に話すような仲間に、「共通1次」を受ける者はいなかったはずだ。
僕の受験勉強は、私立医大にしぼった勉強しかしてなかったが、「記念受験」はするつもりだった。
それは、中1の時から決めてたから。
僕は、「共通一次」に申し込んだ。
しかし、ここで2点、問題が浮き上がってきた。
1点目は、東大は所謂「足きり」というのをやるから、「共通一次」で高得点を取らねば受験出来ないシステムになっていた。
英・数・国が200点づつで、理科を2つと社会を2つ選択して各100点づつ合計1000点満点で、900点くらい必要だった。
理科と社会は4つのうちから2つをその場で選択して良いから、解き易い問題が多いのをその場で決めようと思った。
そして、「共通一次」にはマークシート方式が導入されていた。
当事はシャーペンはダメで鉛筆のみ、「HB」とか指定もあったと思う。
僕は普段、4Bくらいの濃い芯を使っていたから、試験前に文房具も揃えなければいけなかった。
あと、判らない問題用に、鉛筆の6面を削って、サイコロのように①~⑥の数字を書いて。
どうしても、判らない問題は、これを転がして出た数字に丸をつけることにした。
マークシートは記述式じゃなくて、選択式も多かったから、こういう必殺技が編み出された。
なんとか、これらで足きりを突破しようと考えた。無謀だった。ま、それでも、記念受験にこだわった。
後輩に、<俺、東大、受けてくるから。ヨロシク!>って言う文化を残したかった。これが1点目の問題。
2点目の問題は、もっと深刻だった。
なんと僕は学年末テストの英語が赤点で追試だった。
その日程が、「共通一次」の二日目とかぶっていた。
僕は職員室に、<共通一次があるから、英語の追試は受けれないんスけど~>と言いに行くと、「何!?」と大騒ぎになった。
只でさえ、職員室は不慣れな「共通一次」で大わらわなところに来て、卒業もあやうい生徒がそれを受けると言うのである。
学年末試験の一回をしくじっただけで卒業出来ないのは可愛そうとの救済措置が「追試」だ。
そして、我が校では数名の成績上位者が受けるのが「共通1次」だ。
教師達は、まさか「追試」と「共通一次」の日程がかぶる生徒が出るなどと想定していなかったようだ。
担任は、この時、初めて僕が「共通一次」に出願していることを知り、「お前なぁ」とあからさまにあきれ顔をした。
そのやりとりをみつけた、英語の担当のハゲ山が「追試を受けない者には単位はやらない!」と割り込んできた。
ハゲ山は、そのビジュアルから、いにしえの先輩がそう命名して、我々の代まで伝承され続けているあだ名だった。
<今、担任と話してる所なんだけど邪魔しないでくれる?>と僕が言うと、もっとギャーギャー言い出した。
<受験生には、『落ちる』とか『すべる』って禁句だって知ってる?センセーの頭を見てると、『すべり』そうで縁起悪ぃんだよ>
って僕の口が滑った。
ハゲ山は真っ赤になって怒り心頭だった。ゆでだこのようだった。
「まぁ、待て」と担任が割って入って、「お前、冷静になれ。学校のテストが追試の奴が東大に受かるか?」と諭すように言った。
僕は、<あんたは、自分の生徒を信用できないのか!?>と担任の目をにらみつけた。わずかに担任が視線をそらした時。
僕はここが勝負だとたたみかけた。なるべく優しい声で、スローなテンポで、催眠術師のような声色で。
<自分のクラスから、東大生が出たらどうなる?職員室の中で、株が上がるんじゃないか?>
すると瞬間、担任の目が賭博師の目に変わった。
「お前、本気か?」
<中1の時から、決めてることだ>
しばしの沈黙の後、担任がバクチ打ちのような口調で言い放った。
「判った!受かって来い!英語の追試は俺がなんとかしてやる!」
<やり~!そう来なくっちゃ!じゃ、俺、共通一次、受けてくるから。後のこと、ヨロシク!>
と言う訳で、僕は英語の追試を免除され、共通一次を受けれた。
共通一次と云うのは、比較的、基礎的な問題を出して、難問は出ないと聞いていた。
だから、とりこぼさないように、ということだった。
僕の得意科目は数学だった。自己採点だが、数学は満点だった。
最初の方に力技で計算させる小問があって、あれで焦ってペースを崩すとハマるパターンだった。
でも、僕は直前に「大学への数学」という雑誌を読んでいて、「メネラウスの定理」を覚えていて、それにドンピシャだった。
数秒で出来た。
答えだけを書けば良い問題は、部分点とかをもらえない代わりに、合ってさえいればいいから、途中の式などいらないから、
公式を知ってるか知らないかで大違いだ。
なので、これから受験をする人で、「メネラウスの定理」を知らない人は、式だけでも覚えておくといいんじゃない?
これから受験する人は、こんな記事、読んでないか。
その他の結果は、現国はまぁまぁ出来た。理科もまぁ。社会と古文&漢文は、「サイコロ鉛筆」が大活躍。
しかし、問題の英語が全然、出来なかった。そりゃそうだ、本当なら学校で追試を受けてるはずなんだから。
試験当日は、大雪だったが、番狂わせは起きなかった。
まぐれはなかった。翌日、学校に集まって、自己採点をしたら、結局、足きり。
一応、職員室に報告すると、担任は「わかった。すぐ切り替えろ。腐るな!」とまるで野球部の顧問のようなゲキを飛ばした。
ここは、もう少し、具体的な受験の必勝法とかを伝授すべきじゃないのか?精神論で何とかなるもんじゃないぞ。
そう僕が思ってると、またまたハゲ山が近付いて来た。
「追試は、大目に見たが、まだ単位はとれてないからな。私大受験までに、これをやれ」と分厚い課題を渡された。
<重ぇ~よ!ふざけんなよ!こっちは、これからラスト・スパートなんだ。学校の課題なんかやってられるか!>と思った。
教室に帰って、ブツブツ、文句を言ってると、「ちょっと見せて」と英語が出来る子が、ハゲ山の課題に目を通した。
そして、「これ、学年末試験の範囲だけじゃないよ」だって。
<何だ、それ?>
「高校の全部の範囲から出てるよ」
<マジか?>
「ハゲ山先生も、これ作るの大変だったんじゃないかな」
<じゃ、お前、やるか?>
「冗談じゃないよ。それに、これ、かなり偏ってるよ」
<嫌な奴だな!そんな所にエネルギーかけやがって。陰険だな。ムカつく!>
すると、クラスの皆が、「そうだ!そうだ!陰険だ!」と受験のフラストレーションをここぞとばかり爆発させた。
しかし、課題をやるのは、僕だけだ。
そこで僕は担任に文句を言いに行った。<お前、なんとかするって約束しただろ。どうなってんだ>って。
すると、担任は、「ま、形だけ、やっとけ!出せば良いんだ。出せば!」と珍しく的確なアドバイスを寄こした。
でも、素直にやるのは屈服したみたいで嫌だった。僕は担任の言葉通りに、チャチャっとレポート用紙数枚にマンガを描いた。
ハゲ頭の男が物を持ち上げて「Up!」、ハゲ頭の男が物を下げて「Down!」、脇に置いて「Side!」ってな調子で。↓。
後は、「励ます(ハゲ増す)」とか「儲けが無い(もう毛が無い)」とかの英単語とマンガの挿絵を描いて。
クラスの皆はそれを見て、ゲラゲラ笑っていた。
一番受けたのは、デンマークの地図を書いて、<首都は?>、「コペンハーゲン」。
もはや、英語じゃないし。「ハゲ」って言いたいだけだし。片仮名だし。
でも、これはとっても受けて、卒業までの短い間、ハゲ山のあだ名は、「コペン」になった。
後で知ったのだが、僕の幾つか下の学年では、「ハゲ山」は「コペン」と呼ばれていたそうな。
民間伝承とか街談巷語ってこうやって発生するんだ。
ちょっと話はそれるが、すぐ元に戻すのでご安心を。
僕が大学生になった時、友人から、青山に出来たアイスクリーム屋に、行列するバイトに行かないかと誘われた。
僕は断ったが、後で聞いたらそれが、ハーゲンダッツの日本初店舗の行列のサクラ、のバイトだったらしい。
これも、都市伝説っぽいけどね。
で、もし、僕が高校生の頃に、ハーゲンダッツが日本に進出していたら、ハゲ山のあだ名は「ダッツ」になってたな。
ま、そんなレポートをコペンに提出したら、「これで良いから、課題は課題だ。ちゃんとやれ」と負け惜しみを言ってやがった。
<ま、暇な時ね~>と、単位を貰っちまえば、こっちのもんだ。
で、僕は私大医学部の傾向と対策にとりかかる。
医学部のそれは、ちょっと癖があった。
数学は、数Ⅲはほぼ出ない。その代わり、ひたすら計算させる問題が出る。知力より体力。電卓でいいじゃん、って感じ。
医学を志す者はスタミナが必要だという警告か、わずかなミスも許されない世界への通過儀礼か、機械に頼るなという暗示か。
物理は、原子物理がかなりのボリュームで出る。やっぱ、放射線治療とかがあるからかな。
化学もやっぱり、そんな感じだが、学校によって特徴的な差があった。
ただ、英語の「ヤマ」だけが読めなかった。過去問を解いてるとなんか癖はあるのだが、はっきりは判らない。
まぁ、そもそも、英語に「ヤマ」もあったもんじゃないだろうが。
僕の勝負のポイントは、数学で稼いだ分の点数でどれだけ英語をカバー出来るかだった。
英語が足を引っ張らないか、だった。
結果は、全滅。浪人確定。
国公立の試験(僕は受けない、足きりだから)を待って、予備校の選抜クラスの試験が待っている。
しかし、2週間くらい、ちょっと間が空くのだ。その間にだれてしまい、暗記物はほぼ忘れちゃうし。
駿台の試験は落ちた。なんとか代ゼミのクラスに受かった。
その合格通知に喜んでいたら、親が、「予備校に受かって喜んでてどうする!?」とデリカシーのないことを言った。
世の中は、金属バット事件の頃だ。
僕は脅しで金属バットを買って帰ると、親は血相を変えて、「我が家にも、金属バットが来たか」と身をすくめていた。
なんかそんな自分にも自己嫌悪だし、彼女だけ大学に受かって疎遠になるし。全然、良いことはない。
予備校の4月開講までには少し時間があった。ふと、暇が出来たので、コペンの作った課題をパラパラっと見てみた。
僕はそれを見て驚愕した。そこには、僕の受けた大学の入試試験と似通った問題が並んでいた。
英語が出来る子が、「偏った問題」って言ってたのは、医学部用に「ヤマ」を張ってくれてたのね。
これやってりゃ、受かってたかも~
ごめんね、コペン。良い奴だったのね。
今回の教訓、先生の言うことは聞いた方が良いと思う、でした。
BGM. 高石ともや「受験生ブルース」
先生、こんばんは。
先生は高校生の頃から大活躍ですね。ここまで教師に主張出来る生徒は少ないですよ。
素晴らしい!と思いました。
「共通一次」懐かしいです。私は公立高校で、8割以上の生徒か共通一次受けてました。文系の私は「倫理社会」は自己採点で満点、英語も悪くなかったと思います。生物、化学はボロボロ。
で、ストレートで入った大学は3回生の秋に中退し、別の専門学校に2年行きました。そこで取った資格で30年ほど食べて来て、現在に至る…という人生です。
ところで、ブラバンでは何の楽器をなさっていたのですか?
(実は、私もブラバンでした。)
トモトモさん、こんばんは。
「共通1次」は「共通一次」なんですね。
漢字、間違っちゃった。ま、意味、通じるからいいかな?
僕は、その素晴らしいと言ってくれた中高生活を送った学校に「校医」として7~8年、勤務してました。
当時の僕を知ってる先生もまだ健在でしたから、気恥ずかしい感じでしたね。
ブラバンは、ホルンです。中3くらいに歯を矯正するから、打楽器に変わりました。
ティンパニーを少しやりましたが、うまくならないので、辞めちゃいました。
トモトモさんは、何をやっていましたか?
当ててみましょうか?オーボエか、ユーホニューム。
マイナー狙いで言ってみました。
先生、おはようございます。
先生のコメントを読む前に寝てしまいました。
こういう経歴がある母校で校医…さすがと言うしかありません。
オーボエは、母校には楽器自体ありませんでした。
私はトランペットでした。ただし、中学からやっていた子の方が抜群に上手かったです。
スティービー・ワンダーの“Sir. Duke”のソロをやったのと、『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭(映画「2001年宇宙の旅」で有名なアレです。ティンパニと一緒に演奏するところです)を、演奏会直前にその上手い子から「君がやった方が良いと思う」、と託されて演奏したのが、良い思い出です。
トモトモさん、こんにちは。
今日からクリニックは年始ですが、月曜日なので、ガラガラです。
だから、その時間を利用して、意表を突いて、お昼のコメントです。
こういう僕を校医に迎えるとは…、学校の度量が大きいとしか言えませんね。
楽器の正解は、ペットでしたか。
僕も「ツァラスゥトラ~」はやりましたよ。ただし、ホルンの時にね。
「愛するデューク」は当時の大ヒット曲じゃないですか??
確か、「キー・オブ・ライフ」って2枚組みのLPからのシングルで。僕も持ってましたよ、LP。
そんなナウい曲を演奏してたんですね。
そして、それにまつわる上手い子とのエピソード、良い思い出ですね。
今回のブログの『オチ』がいいですね。
コペン、いいやつじゃないですか、結果的には。
ところで先生はいつ頃から医者を目指してたんですか?
小さい頃から目指していたから、中学からその学校だったんですか?
それとも親の差し金でしょうか?ちょっと気になります。
Sinさん
僕も思いましたよ!コペン、いいやつですね(笑)
僕が医者を目指した云々は、近いうち、「僕が精神科医になった訳」という記事に書きますので、しばし、お待ちを。
ここのスペースに書ききれないからね~
中学を選んだ理由は、自分で選んだのと、親の差し金と、どちらもです。
もっと言えば、兄もそこの学校だったからです。
気になる点、今日の所はこんな感じでよいかしら?
今日はガラガラだったんですか!
「月曜休診」が浸透しているからでしょうか。1月5日は診療いたします、とメモはいただきましたけれど。
年始の「駆け込み寺」としては最適ですね。
先生もなさった『ツァラトゥストラ…』、その日アクシデントがありました。始まってわりとすぐに、ティンパニのスティックが片方、勢いあまって客席に飛びました。でも、ティンパニ奏者の子(女子)は落ち着いて片手で2個のティンパニを叩いてました。
“Sir Duke”、確かにナウい曲ですね。選曲は指揮者(生徒)と部長でやってました。
『渚のシンドバッド』『科学忍者隊ガッチャマン』『宇宙戦艦ヤマト』『スターウォーズ』とかもやりましたよ。
トモトモさん
今日(1/5)は本当にガラガラでしたが、ご指摘のように新患の方の「駆け込み寺」になれて有意義でした。
ツァラトゥストラ~のティンパニーの子の片手奏法(?)すごいね!
それも、あの曲で!
うちもナウい曲やってましたよ。
「夏の日の恋’76」とか「やさしく歌って」とか「愛がすべて」とか「赤いハイヒール」とか。
選曲者が、大田裕美のファンでね~
こういう話もたまには懐かしくて、良いですね!
あけました。おめでとうございます。
大学受験の話だったので、ワタシも昔話を…
高校の時の私の得意科目は英語でした。(耳タコですよね、すみません)
なので、不得意科目の話を…
ズバリ 化学!物理!数学! 理数系全部でした。
毎日英語の予習に命をかけていたので、理数系は教科書をさわること、ほとんどなかったです。
バドミントン部の練習で、体力も使っていたし、やりたくないコトはトコトンやらなかったな〜。
化学の時間は1番前の席でグーグー寝ていて、
『◯◯さん、疲れているんですか?』と、ココロ優しい化学の先生はワタシの心配をしてくれました。
一度、川原先生に『世の中の物質が何で出来ているか興味がある』と言った次の週、カワクリにさり気なくキャラものの化学の本、置いておいてくれませんでしたか?
人の思いやりと言うものを全く理解してなかったワタシですが、今、チョットだけ余裕が出てきました。
ワンチャン!!っと言うコトで、そのうちまたあの本読ませてください。。。
(面と向かうと恥ずかしくて、なんとなく言いづらいので。。笑)
先生なら、あの本、お家でも何処に置いてあるのか、スってわかると思いますし…
あ〜、個人的お願いになってしまいました。
お返しで、英語の家庭教師致しましょうか?
う、うそです!ウソです! !ホントごめんなさい〜(>人<;) 笑
ウミオシさん
そうそう、あの本は、ウミオシさんのために置いたんですよ。
原子記号を美少女に擬人化させた奴ね。
あれは、いつのまにかクリニックから消えうせてしまったんですよ。
きっと、化学が苦手な子が試験前に、神にもすがる思いで持ち帰ったんじゃないかな。
ワンチャンですね、オッケー、今度、本屋で見つけて来ますね。
話は変わりますが、教科別で言うと、圧倒的に、世間に出たら「英語」がつぶしが利きますね!
原子記号、まず、使わんだろう。
円周率だって日常生活で一回も使ったことないぞ、多分。それとも知らない所で使ってるのかな?
<ここは、3.141592、だな>って。