冬物語

前回に引き続き、家庭教師の思い出です。
後編の今回は、「良い家庭教師」の巻。
高1の時、母が、駅前に「東大進学塾」というのがあるから、行ったらどうかと言い出した。
東中野の駅前の塾から、大量に東大生が量産されるとも思えなかったが、骨法武術と同じビルだったので、
何かの縁かと思い、行ってみた。
受付もいなくて、ただ現役東大生が何人か講師としていた。
母は、その中から品定めして、1番賢そうな人を選び、僕の担当に指名した。
僕も、やはり、この中ではその人が1番賢そうに見えた。
あんまりアクセクしてないのだ。
その人は髪型と声と面影が井上陽水に似ていた。さすがにグラサンはしてなかったけどね。
「東大進学塾」は、ここに通えば東大に受かる、とか、東大を目指す人のため、などと謳ってはいなかった。
単に、現役の東大生が生活費を稼ぐために講師をしている、という進学塾だった。
僕は、誇大広告が多い世の中で、こういう正直さに好感を持った。
ひょっとしたら、経営者はものすごくユーモアのセンスのある人ではないかと空想してみたりした。
と、同時に、<経営者、経営、大丈夫なのか?>とも杞憂した。
余計なお世話だが。
しかし、たかだか15~6の男子高校生に経営を心配されるような塾だ。
僕の予感は的中し、わずか1ヶ月もしないうちに、その塾は潰れることになった。
僕の担当の東大生は、「今後のことは、僕が責任を持ちます。川原君の家庭教師になります」と宣言した。
そして、その人は僕のカテキョー(※家庭教師のこと。以下、そう呼びます)になった。
その人は、東大の芸術学科の8年生だと言っていた。
僕が、<なんで、そんなに長く大学にいるの?>と聞くと、
カテキョーは、「なるべく長く大学にいたいんだ」と答えた。
僕は心の中で、<お前はモラトリアムかっ!>とツッコんだ。
僕らは、時には本郷のカテキョーのアパートで勉強をした。
ほら、カテキョー、8年生だから、色々、忙しいみたいだし。
カテキョーの部屋には、いっぱい本があり、それには圧倒された。
カテキョーは僕に「どんな本を読むの?」と聞くから、<星新一とか眉村卓>と答えた。
カテキョーは「好きな本を持ってっていいよ」と言うから、本棚を物色させてもらった。
他人の本棚を物色するのはとても楽しい。
僕はタイトルのインパクトだけで、ビアス『悪魔の辞典』と三島由紀夫『不道徳教育講座』をチョイスした。
カテキョーは、その2冊を見て、「う~む」と不満そうにうなった。
カテキョーは、「あなたには、これが合うよ」と言って3冊をピックアップしてくれた。
ちなみに、カテキョーが僕を呼ぶ時の2人称は、「あなた」だった。ね、井上陽水っぽいでしょ?
僕らは勉強の為の契約を交わしていたはずなのだが、カテキョーの家では勉強以外のことをしていた。
スパゲティー・ミートソースを本格的に作る、とか。
東大のグラウンドで知らない人に声を掛け、4人対4人くらいの草野球をするとか。
カテキョーは高校時代はブラバンでクラリネットを吹いていて、僕はホルンを吹いていたから音楽の話をしたり。
レコードを持ち寄って鑑賞会をしたり。
カテキョーの音楽は主にクラッシックばかりで退屈で。
僕は、日本コロムビアから出たばかりの10枚組みのフォークソング大全集を持って行った。
カテキョーは、その中のフォー・クローバース『冬物語』をとても気に入ったらしくて。
僕の部屋で勉強をする時に、カセット・テープを持参し、『冬物語』を録音してくれとリクエストした。
『冬物語』のサビは、♪春は近い~春は近い~足音が近~い~♪という歌詞で。
僕はカテキョーに今、この歌を吹き込んだら、モラトリアム人間の現実逃避を助長すると危惧して。
そこで、僕は機転を利かせ、こっそり別の曲に差し替えて録音し、カセットを渡した。
ま、軽いドッキリです。
次に会った時のカテキョーの第1声は、「何だい?あの曲は?」だった。
僕は石野真子のピンナップを挟んである透明の下敷きをチラつかせ、<春ラ!ラ!ラ!>と答えた。
すると、カテキョーはマジマジと石野真子の写真を見て、「あなたに似てるね」と言った。
頭の悪い人じゃない。きっと目が悪いのだろう。うちの父は眼医者だ。今度、父に診察させようと思った。
僕はカテキョーの誘いで東大の五月祭(ごがつさい)のコンサートも観に行った。
トリは大橋純子で『シンプル・ラブ』『たそがれマイ・ラブ』などのヒット曲を持っていた。
僕らの目当ては、サザン・オール・スターズで3枚目のシングル『いとしのエリー』がヒット中だった。
同じステージで潜水夫の様な姿のムーンライダーズを観た。
ムーンライダーズのステージが1番イカシテいた。
トリの大橋純子の途中で、僕はつまらなくなって<帰ろう>とカテキョーに言った。
カテキョーは、まだ見たそうにしていた。
僕は、<ニュー・ミュージックなんか聞いててもしょうがないだろ。今度、『冬物語』録音してやるから>って、
半ば、強制的にコンサートを抜け出して帰った。
そんな風に僕らは遊んでばかりいたから、テストの直前は詰め込み式だった。
高1の最後の数学「確率」は手強かった。
難易度の高い問題集は、カテキョーが答を見ても、中々、判らなかった。
答には、正解しか書いてなくて、どうしてそうなるかの説明は省略されていたのだ。
僕は、<なんで、判んねぇんだよ!>とイライラして、食ってかかって。
カテキョーは、そんな僕を脇に置き、黙々と問題に取り組んでいた。
そして、1つ解けると、1つそれを僕に教えて。
それの繰り返し。
カテキョーは、「問題集の問題は全部解く!」、と根性を見せ付けた。
全部、解き終えた時は朝になっていて。
僕らは徹夜をして、まさに一夜漬けで、僕はそのまま寝ないで学校に行き、テストを受けて。
そのテストは、ものすごく学年平均点の低い結果だったが、僕は97点をマークして学年トップの成績を叩き出した。
若い頃の成功体験はその後の人生や性格形成に多少の影響を及ぼすようで、それは自信になったり過信だったり。
それ以来、僕は自己暗示のように数学が得意になった。
そして、ここぞ、という時は、徹夜をすれば何とかなる、と思うようになった。
それは今だにそうで、滅多にないが、学会発表の前日などは、取り敢えず、徹夜をする。
覚えてる人もいるでしょうか、例の「5/18問題」の徹夜もその名残りです。
それが僕とカテキョーの最後の勉強だった。
カテキョーは大学8年生だったが、ついに就職が決まった。大手広告代理店だった。
カテキョーは髪を切り、スーツをきめていた。
僕は、<『いちご白書』かよっ!>と、口に出して、ツッコんだ。
と同時に、カテキョーは、モラトリアムを卒業するんだって実感した。
就職祝いに、僕は今度こそ、本当に、『冬物語』を録音したカセットをあげた。
この1年を、カテキョーを主人公に物語にしたら、♪春は近い~春は近い~足音が近~い~♪というフレーズが、
主題歌にはうってつけだと思ったからさ。
冬来たりなば、春遠からじ、と言う。
これを僕は、冬の後には春が来る、という、雨の後には虹が出る、的な、今は耐えろ、みたいな意味かと思っていた。
カテキョーは、これにはそれ以外に、春(新しい者)が台頭して来たら冬(古い者)はその道を譲るべく空けろ、という
世代交代を推奨する意味もあるのだと、かつて、教えてくれた。
プロレスに喩えるなら、アントニオ猪木とUWF(特に、前田日明)みたいな関係だな。
そうやって胸に手を当てて考えてみると、僕らの業界って、あんまりそういう新陳代謝ってないな。
僕が研修医の頃のリーダーが今でも堂々とトップに君臨している世界だもの。どうなんだろうね?
僕らはこういう事をちゃんと考えた方がいいのかもしれないな。
なんか、最後になってややこしい問題になってしまった。
ま、いいか。
次回、予告ブログ⑥~「爬虫類を飼うこと」に行きます。
BGM.フォー・クローバース「冬物語」


8 Replies to “冬物語”

  1. 先生、こんばんは。
    「東大に芸術学科があったかしら?」とまず思ったのですが、文学部に美学藝術学研究室というのが(現在)あるみたいです。そう言えば、3回生の秋に中退した公立大学で美学の授業取りました。
    真面目なカテキョーさん、徹夜で問題集を解く。そして、高1の若き川原青年に教える。
    …根性のない私には、遠い世界です。
    それで成功するとやっぱり、“徹夜をすれば何とかなる”と思いますよね。
    私は…「グッスリ寝た方が力が出せる」と思う派です。

    1. トモトモさん
      そう言われれば、「文3」って言ってた気がします。
      僕のブログは記憶だけで書いているので勘違いや思い違いも多いと思います。
      「十中八九N・G」だからね(笑)
      なので、今回のような検証やご指摘は読者の方の混乱や誤解が防げて、助かります!
      今後も検閲をお願いしたいです!
      僕は、取り敢えず、徹夜をしますが、徹夜だけして何もしないこともあったりします。
      困ったもので、早く直したい癖です。

  2. ひぇー!検閲係なんて上から見るようで、滅相もないです。
    でも、気が付いたことはコメントすると思います。
    変なコメントだったら、先生が非公開にしてくださいますよね。

    1. トモトモさん
      確かに、「検閲係」なんて役職がつくと、ブログ記事を楽しめなくなりますね。
      でも、もしかしたら「東大に芸術学科がある」と勘違いをした読者がいたら、大変でしたね。
      訂正(?)指摘(?)してもらって助かりました。
      また気付いたら、コメントして下さい。
      トモトモさんは、変なコメントしないと思いますが、変なコメントだったら僕の判断で非公開にしますね。
      了解しました。

    1. Sinさん
      それはそれは奇遇ですね!
      僕は日本閣側に降りて、東西線の落合駅に、むしろ近いマンションに住んでました。
      当時、同じマンションには当時の横綱の輪島も住んでいましたよ。
      後に、プロレス入りする輪島です。

  3. 先生それは奇遇です。
    今の会社は落合駅に近いです。
    しかも今住んでいる3軒隣位が輪島さんの家で、交流もありました。
    つい先日世田谷に引っ越してしまったんですが・・・・・
    今でも家の近くの蕎麦屋には顔を出すらしいです。

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