21/ⅩⅠ.(木)2019 寒い。立川談志の命日。
機械が狂ってる。冬が攻めてくる。
クリニックの機械たちが一斉に狂い出してる。
まず、テレビモニターにつないでるDVDの再生機器の調子が悪く動かなくなる時がある。
毎日毎曜日、フル稼働だから疲弊してしまったのだろうか。
そして、クリニックのパソコンのメールの授受が出来なくなってしまった。
そのため各方面に支障が出てしまった。各方面の方へ、ご迷惑をかけてすみませんでした。
そのせいでこないだ校医をすっぽかしてしまった。
こんなことは初めてなので、相手方にも大変心配をかけて、「入院してるんじゃないか?」などと憶測も。
最終的に教育委員会の方まで巻き込んでしまった。
事前にブログの記事で「安楽死」の記事なんて書いてたのも心配に拍車をかけたか。
いやぁ、申し訳ないです。
僕は医者になってすぐ無断欠席をして以来、怪我以外で、休んだ事はない。
僕の昔を知ってる人は、「川原がこんなにワーカホリックになるとは思わなかった」と言われるほどです。
僕は学校生活もそんなに成績も良くなくて、素行も悪かったから、進級はいつもぎりぎりだった。
そんな僕が医師国家試験だけは、山が的中し、余裕でクリアした。
僕はこれこそ神の啓示で、
「お前はこの仕事しか出来ないのだから、力を今貸してやるから、一生、人のためになる行いをせよ」と言われてると思った。
そして、なるべくそうしてるつもりだ。
うちのクリニックのスタッフにはそういう人が多く集まっている。
偶然だけど、そういう人材の巣窟だ。
僕は平成元年に医者になったから、平成の時代は、経験年数を勘定する時、平成の年数をそのまま言えば良いから便利だった。
つまり僕は31年ぶりに、「ズル休み」した。
時計の針が一回りした感じだ。
第2章の始まりだ。
1章分が31年だとすると、僕は第2章を遣り遂げる年齢は、57+31で、88才。米寿になる。医者に定年はない。これが、この記事のタイトルの意味。米寿な俺。
31年経つと、今、15才の子も、46才。子供が中学生でもおかしくない年だ。
もし大変だったら、診ますよ。そうなると、最大3世代、ホームドクターの面目躍如だ。
BGM. 柏原よしえ「第二章・くちづけ」
どうも。
家元の命日が、11月21日とは知りませんでした。一度、キントト・レコード(余談ですが、このキントトって言葉がいい! もろ昭和してて)の若いころの談志さんの「源平」を聞きたい!
家の機械が壊れたのは、私も同じです。ブルレイのレコーダーもテレビもぶっ壊れちまった。今度、しげしげと、大型電機屋に行きますよ。ちなみに修理すると、「もう部品がない」「修理はできるが、高すぎる」とのことで、泣く泣くそうするはめに。
あ、今日夢が一つかないました。本人としては、大ニュース。ひと駅ですが、電車に乗れました。おやすみ~。
papaさん、OHA!
談志に「源平」を教えたのは、爆笑王・三平さんだったらしいですね。三平さんが言ってました。
三平さんは自身の独演会でそれをやるために、忘れちゃったから、談志のところに羊羹持って教えにもらいに行ったというエピソードを高座で喋ってましたよ。
今この時期、機械が壊れるという話をよく聞きます。人間が暴走して地球が温暖化したり異常気象になったりして、神が怒りそうですが、その前に、機械が人間に警告してるのかもしれませんね。「ええ加減にせぇよ」と。もしそうなら、機械の方が人間より節度を持っていますね。
大ニュース!やりましたね。化物語の千石撫子のラップ調の萌えソング「恋愛サーキュレーション」の中でも、
せんりのみちもいっぽから、と言ってますものね。この調子で行きましょう!