最新・川原かわい子ちゃんランキング、素人部門飲食店編~もしかして外科医?

27/Ⅷ.(木)2020 猛暑 都、23区内の時短営業要請延長、協力金は15万円。8/27が誕生日の有名人、孔子・マンレイ・宮沢賢治・サンボ浅子。

いきなり千昌夫の思い出話で恐縮だが、千昌夫といえば、細木数子に「とってはいけない」と言われたトレードマークのホクロと、
金髪好き(元・奥さんはジョーン・シェパード)、ヒット曲は「北国の春」で決まりだと思うが、
僕にとっての千昌夫は、「星影のワルツ」である。

僕が小学校の頃、「ぎんざNOW!」に小池聡行というオリジナルコンフィデンスの社長が出て、ヒット曲のランキングを解説していた。
年末の歌謡大賞やレコード大賞の基準が今ひとつ理解出来なかった小学生にとって、「レコード売り上げランキング」というのは、かなり分りやすい指標であった。

そのオリコンで千昌夫の「星影のワルツ」は24週連続チャートインという記録を持っていて、当時はヒット曲は長くて3ヶ月くらいの寿命の中、ロングセラーと言えば、「星影のワルツ」が代名詞だった。

一方、ファッションの発信地・ロンドンのヒットチャートは、猫の目のように日替わりで変わる、と言われた。それは流行のサイクルが早い、というのと同時に社会情勢が安定してないからだとも聞いた。
ひとつのものが長く安定してヒットしているというのはマンネリを呼ぶが、安心感の担保にもなる。

なんでいきなりこんな話をしてるかというと、今朝、コロナ以前によく通っていたカフェを覗いたら、僕のお気に入りの「インパラ娘=ラビットちゃん」の姿をみつけた。
コロナになってから僕もあまり店に寄らないし、彼女もシフトを出してないようで、もう会えないのかな、と寂しささえ風化する今日この頃だった。
僕はお店に入ると、彼女のほうから、「お久し振り!」と声をかけてくれ、マスクをしてるから美人にみえるし、飲食業だからそうなのだろうが、白いマスクが衛生的で彼女の持ち前の清潔感をデオドラント効果で魅力倍増。
彼女は、「わたし、今日、これであがるんです。会えて良かった」と微笑んだ。…正確にそう言ったかどうか自信はないが、僕の耳にはそう聞こえた。
僕は「こいつは魔性の女か?」と思い、彼女のニックネームを「インパラ娘」→「ラビットちゃん」と変化させて来たが、新たに、「ばつお魔性」と俳句の名人のような名前にかえてみた。
ばつお魔性、今日現在・川原かわい子ちゃんランキング・飲食店部門第1位に返り咲きです!
僕のかわい子ちゃんランキングは、世相(僕)が不安定なので、ロンドンのヒットチャートのようにコロコロかわります。鉄板焼き屋の娘の巻き返しなるか?

と、僕はこんなことを昔からやっています。
下の記事は、僕が医大生だった頃、川原かわい子ちゃんランキング・看護婦ランキングに短期間1位に君臨していたナースのお話です。↓。

 

21/Ⅲ.(木)2013 はれ
その朝、目がさめたら、となりに知らない美人がいた。
彼女はとっくに起きていて、「やっと起きた。遅刻」と僕に言った。
それは、まだ病棟実習をする前だから、大学の3年か4年の頃のはず。
僕は、友達と、大学の近くの街で呑んでいた。
たまたま、その店でとある運動部がコンパをやっていたので、そこに顔を出した。
その頃の運動部は2次会以降は最上級生が払う、という暗黙のルールがあったから、うまいこと紛れ込んで、
ただ酒にありつこうと考えた訳だ。
その作戦はまんまと成功して、僕は3次会のパブにもなだれ込んだ。
そのパブでは、第一外科、通称「1外(いちげ)」が飲み会をしていた。奥の方で外科の医者と看護婦さんたちが騒いでいた。
僕らのグループの最上級生の6年生は、1外の方々に挨拶に行っていた。「お前も言って来い!」と言われるまま、
僕は挨拶に行き、そこで呑んだ。
気が付いたら、結構、夜も更けていて、僕は「ところで、お前、誰?」とか言われてた時には、
最初に呑んでた友人も運動部のメンバーも皆、帰っていて、僕1人だけ、1外の人達と呑んでいた。
1外のスタッフは、普段、ハードな仕事なので、飲み方も豪快だった。
忙しさやストレスと、飲み会の発散の仕方は正比例すると思う。
救命救急の飲み会に参加したことがあるが、そこでは「パイ」が飛び交っていた。ケーキのパイである。
看護婦さん達が、医者の顔面めがけて「パイ」をぶつけるのだ。普段の憂さ晴らしなのか?
こうやってバランスをとってるのか、と興味深く、上級医の顔に付く生クリームを観察した記憶がある。
話は戻るが、僕は1外の飲み会に最後までつきあい、病院の近くに住むナースの家に皆で雑魚寝したのであった。
医者や看護婦は偉いもので、あれだけ呑んで騒いでも、翌日、休まないのだから。
それに比べて学生は、僕などは、甘いのだ。
そう、僕が目をさましたその部屋は、1外のナースのアパートだったのだ。
彼女は、僕に、「将来、何科に行くの?」と聞いた。僕は、「精神科」と答えた。
彼女は、「プシコ?意外ね。外科にしたら?」と真顔で言った。
当時は、都内でも郊外は畑などがあって、僕は彼女のアパートから学校に行く路を教わって、あぜ道のようなところを歩いて行った。
すると、向こうから畑仕事を終えた、おばあさんとすれ違ったりして、僕は何か後ろ暗い気分にさせられた。
僕が、彼女にあったのはそれっきり。
医学生が病棟のナース・ステーションに顔を出すのはそんなにおかしなことでもなかった。
それに泊めていただいたお礼を言いに行くのは、むしろ人間として当たり前なのかもしれなかった。
正直、何度か、会いに行こうかな、という誘惑と戦った。だけど、僕は行かなかった。
もう1度、彼女と会ったら、僕は自分の描いている人生の線路が違う方向に行ってしまう危険を予感していたのだ。

BGM. 千昌夫「星影のワルツ」


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