こんにちは、とくだです。
タイトルにもあるように、新専門外来、『SCセカンドオピニオン外来』のご提案です。
昨今、子どもを取り巻くメンタルヘルスの問題としてよく耳にするのは、例えば、発達障害(発達障害の過剰診断?とも最近では言われますが)にまつわるさまざまな話題、子ども、10代の人たちの自殺率の増加、子どものうつ病などの気分障害の罹患率の増加・・・などが挙げられます。
そして、彼らの生活に大きく影響する学校現場の疲弊した様子が最近よく聞かれるようになっています。
ひと昔、ふた昔前の、『そういう子もいるよ』『あまり気にしなさんな』という牧歌的な『学校』という組織が機能していた時代と比べると、現代のように、価値観は多様化し、グローバル化もしているし、家庭と学校の関係性の変化も起きている時代です。昔のままの制度では学校側の対応が追いつかなくなってきている現状があるようです。最近ではクラス担任をなくして、チーム担任の制度を導入している学校もあるそうです。それだけ学校現場も大変です。
政府も子どものメンタルヘルスには問題意識を持っていて、例えば、東京都の小中、最近は高校もSC全校配置や、SCによる小5、中1、全員面接、などが行われています。「問題」を未然に防ぎ、なるべく早めに対応できるように、という動きがあります。
ただ、多くの場合、SC来校日は、週1回、多くて2回。相談のニーズは多いけれど、SCを利用できる時間にも限界があり、場合によっては、相談がいっぱいであるとか、じっくり1人の子をみる、ということは難しいことがあります。
学校の先生方やカウンセラーは問題を見落とさないために、重め?厳しめ?に子どもの「問題」(あるいは問題になりそうな点)を指摘することがあるようです。それは未然に「問題」に対処するために、診断がつくのであれば診断名を、ということが背景にはあるのだろうと思われます。SCの相談に行ったら、発達の問題について、キツめに言われてしまい、ショックを受ける場合もあるようです。
また、別の視点になりますが、SCとしては、『親、家族に問題がありそう・・・』という場合には、診断や発達への助言と同じくらいに言いにくい場合があり、やんわりと、「専門家にご相談されては」と助言するしかない場合もあるようで・・・。
もし、そう言われたら、それは子どもの問題だけではなく、親や、家のあり方を問題視されていると翻訳して考えてみるのも良いかもしれません。これは決して悪いことだけではなく、子どもの問題の背景に、「社会」(家族も小さな社会)がある場合、学校はその子どもの処遇に寛容になる場合があるので、ここは親としても適切に動くべきポイント!になります。
そういうことも含めて、子どものこと、家族のことなどを考えていける場として、SCセカンドオピニオン外来が機能していけるようにと思っています。
そこで、今回の『SCセカンドオピニオン専門外来』では、学校での相談でわからなかったことやモヤモヤした思い、診断についてのご相談、などをカウンセリングの中で少し整理していきませんか?というご提案です。学校現場と医療と家庭と、そういった連携を作ってお子さんのサポートを考えていけるといいと思います。
今回のテーマを松井さんと原さんのお考えも伺っています。
まずは松井さん、よろしくお願いします!
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心理の松井です。学校で指摘される「問題」のある子、という括りの「問題」とは、一体何を指すのでしょうか。
ひとつ、自分のSC時代のできごとを、守秘義務を考慮して、細部を少し変えて話したいと思います。
SCの見回り業務として、小学1年生の教室に入った時のことでした。その子は興味のないことには集中できず、みんなと同じ集団行動ができないといった特徴があって、担任の先生のキツい言葉が飛んでくることもありました。
授業中、窓近くのカーテンの内側に入り、席に戻らずそこから動かなくなりました。私はそっとそのカーテンの裏にお邪魔して、たしか「何が見えるの?」と聞いたと思います。するとその子は「ここがね、キラキラしてるの」と、太陽の光が反射してピカピカしている窓枠や、カーテンを照らすチラチラした光の模様を指差しました。それが本当に綺麗で、こりゃあ授業より面白いだろうな、と思ってしまいました。
先生からしたら、カーテンの裏に入るより、漢字を書いたり計算をするために、椅子に座ってほしいに決まっています。
でも、あんな目を見てしまっては、席に戻ろうとは言えませんでした。それに、その子はとても楽しんでいる。自分なりに学校を楽しんでいるのです。これが果たして「問題」なのでしょうか?
そうは言っても、先生には先生のプレッシャーがあると思います。椅子に座らせようとしないことが「職務放棄」と捉えられてしまうかもしれません。学校として子どもを教育していないとクレームが入ったら大変と、出る杭を打たねばと思うかもしれません。
SCという立場であっても、学校の空気にのまれ、適応的で集団に馴染める子以外の存在を、どうにかしなければと躍起になったりすることもあります。
親は親として、「こんなんで社会に出てやっていけるのか?」と心配になったり、個人面談や呼び出しなどといった形で不安を受け取り、頭や心を悩ませたりします。
つまり、不安なのはずっと大人の方なのです。
そんな時に、子どもは学校で何を体験しているのか?何を感じているのか?実は誰が困っているのか?…といったこと、「この子はこれでいいじゃない」と、色んな視点から、子どもの特性や伸ばしていける能力、感性、発想、そういったものについて話せたら、みんなの心が少し軽くなって、みんなの生き方の選択が広がっていくと思うのです。
そういう話ができる場所として、クリニックに行ってみようと思ってもらえたらいいなと思います。
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「問題」とは、誰にとっての、どんな「問題」か?
そういうことを考えることのたいせつさを思い出させてくれる気がしますね。
とはいえ、学校という集団の場で、どう過ごしていくか、その観点も抜かせません。そういった観点からも 次は原さん、よろしくお願いします!
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心理の原です。セカンドオピニオン外来は、SCや学校に言われて困ったり悩んだりした時「親として適切に動くにはどうしたらいいか」という方に役立ちます。
子どもは、親や家庭と同じくらい長い時間を「学校」で過ごします。子どもが安心して学校生活を送るためには、どうしたらいいでしょうか。
つまり、親だけではなく「先生や学校の協力」が必要なことも多いでしょう。
セカンドオピニオン外来は、学校の先生に「学校がその子のためにできること」をフィードバックすることができます。つまり、子どもが安心して学校生活を送る上で「学校は何をしたらいいのか」を伝えることができます。
以前は、学校の先生の中には「特別扱いはできない」から「そんな配慮はできない」という先生もいましたが、それはアウトです。合理的配慮は学校に義務付けられています。合意的配慮は、特別扱いではなく、その子が安心して学校生活を送るための専門家の「知恵と工夫」です。「前例がないから」はやらない理由にはなりません。
そうはいっても、学校の先生も本当に忙しい。先生ほど働き方改革の進まない職場もないかもしれません。
本人の特性に合わせて「合理的配慮をしてください」と言われても、学校の先生は具体的にどうしていいのか、分からないこともあります。
そこでセカンドオピニオン外来です。
医師や専門家の意見として、
「外からの刺激に過敏な子なので、テストは別の部屋で受けることが望ましいでしょう」
「席替えでは、前のほうの席が落ち着くでしょう」
「修学旅行は親しい子が同じグループであれば、緊張や不安が和らぐでしょう」
「音楽のテストは、大勢の前で歌えなくても、自分で歌って動画をとってくれてもOK」
「教室に入れなくても部活動だけでも気が向いたら行けるといいね」
「読み書きに課題があるため、板書はすべて写真に撮影してもらうとよいでしょう」とか。
「専門家(医師)の意見」があると、学校は動きやすいし、担任の先生も校長先生に伝えやすい、ということがあります。
セカンドオピニオン外来は、本人が学校生活を少しでも安心して送るための「知恵と工夫」を客観的な情報に基づいて学校に伝えるお手伝いをします。
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子どもが過ごす環境のサポート、「合理的配慮」とは、どこをサポートしていくのか?
その点を考えていくことは、個人より少し視点を広げて、環境にも目を向けていくことが必要ですね。
ちなみに、あまり知られていないかもしれませんので、補足情報として。
「合理的配慮」は、2016年に施行された「障害を理由とする差別の解消推進に関する法律(障害者差別解消法)」によって義務付けられているものです。
障害のある子どもたちや発達のつまずきがある子どもたちが共に学校教育を受けるために、学校(2024年4月からは私立も含む)が、状況に応じて提供する個別に必要とされる支援や配慮、と言われています。
この法律では、2024年4月から企業などの事業者も合理的配慮について義務付けられるようになりました。
時代の流れとともに、学校現場に求められるあり方が変わってきています。こういった法的な取り決めが、子どもたちが過ごす環境において、心の通った意味あるものにしていけるようにしていきたいです。そのためにも、私たちも、心を機能させて考えていくことができるよう、SCセカンドオピニオン外来が皆さんにとって活用しやすい場にできるよう努めたいと思っています。気になった方はぜひご連絡ください。