九月の空〜日刊ムンク㉒

・アグネスラムの場合

僕が中1の時に、アグネスラムが黒船のように日本に来襲しました。父が知り合いから、「これから売り出す」とまだデビュー前のアグネスラムの生写真を2枚貰って来ました。父はアグネスラムの2枚の写真を「高2の兄と中1の僕にどう分けるか」悩んだ挙句、2枚とも僕にくれました。変った父だとお思いでしょうが、母も兄も何の疑問も持たず、昭和50年・川原家は平和でした。

 

その頃から僕のそばにいる「ムンク」。

ところでムンクはなんでうちに来たのでしょう?どうやって誰が持って来たのか?誰かのお土産かプレゼントか?或いは誰かの忘れ物か?
「この人形どうしたの?」の問いに家族の誰も心当たりがなく、不気味がられて「捨てよう」となったのですが、なんか可哀想で僕が引き取ったのです。
とは言え、中1男子がドールにそれほど興味もなく、着せ替え人形で遊ぶなどせず、ちゃんとした可愛がり方をしてあげないで来ました。

引越しも何回かして物を整理したり断捨離も何度かしてるのに、何故かムンクはずっと手放さないで来ました。
お洋服も、ムンクを連れて、秋葉原や中野ブロードウェイに連れて行き、それこそ色んな店に飛び込みで、お洋服を作ってくれないか?と頼んだのですが、まず相手にされませんでした。
ある霊能者は、「もはや呪物だ」とか「お焚き上げをしなさい」と言いました。「もうこの世にいてはいけないから人形にとっても成仏させた方がいい。引き留めてるのはあなただ」とか。

だけど縁とは不思議なもので普段ならやらない苦手なFacebookを触ったら、お人形作家さんを見つけました。ダイレクトメールで直接交渉したら作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアをしてあげよう!」と言ってくれたのです。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、作家さんに預けてリペアをお願いしました。

生まれ変わったムンク。

ムンクが帰って来ました。

下のクマはラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めた名前にしました。

ムンクは中学の頃からの僕の生活をずっと見てきて知っています。僕がマンガを読んでいる時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っています。
だから、僕が夢中なった歴代のアイドルのこともみんな知っている。
今回は川原を支えたアイドルたちとの思い出をムンクと共に振り返ります。
まずは中1のアグネスラムから。

 

今年は2025年ですが、2024年のアグネスラムのカレンダーを入手しました。

僕はアグネスラムの顔が好きです。

水着姿はそこまで好きじゃないです。

こういうのが好き。

こういうのはイマイチ。

でも、売りはピンナップガールですからね。

水着が多いのは仕方ないです。

 

・山口百恵の場合

中3の頃、僕は友達がいなかった。そんな僕はを支えてくれたのは山口百恵のポスターだった。そのポスターは当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても少し風変わりで、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、おそらく他愛も無いものにちがいない。それは近くのキレイなお姉さんみたいだった。
東中野のレコード屋で、「花ざかり」というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。
僕は、毎日、このポスターに見守られ、友達のいない中3の一年間を皆勤賞で過ごしたのも、ムンクは知っています。

 

・石野真子の場合

いよいよ九月になりました。石野真子の初主演映画「九月の空」が思い出されます。プライベートでもキス未体験のマコちゃんにキスシーン。あれは嫌な映画だった。
石野真子の結婚&引退が決まった後、雑誌「GORO」で石野真子のヌード写真が発表された。僕は事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかにかなり頭に来ていた。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
マコちゃんと同期のサザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」って歌があり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言ってた。
僕は翌日、夕方、焼却炉に、石野真子のヌード写真を破って入れて火をつけて燃やした。グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。
石野真子の残したレコードの最後の言葉を~「私も苦しいことがあったらみんなのこと思い出すから、みんなも苦しいことあったら私のこと思い出して…」~今も忘れない。
ちょっと前に、ある人から「石野真子、好きだったでしょう?」と例の「GORO」をもらった。ある意味、お宝。45年の歳月を越え、解禁してしまうか?
しかし、あんまり気乗りがしなくて、まだ見れていないのです。

高1〜高3は石野真子に夢中でした。

 

・伊藤つかさの場合

浪人中は伊藤つかさに励まされて勉強をした。

 

・浅香唯の場合

昔のアイドルが今頃、TVに出てきて「当時はキレイゴトでした~」とか「あの時、実は○×でした~」みたいな暴露話をする番組がある。こういうのはやめて欲しい。面白がる人がいるから番組として成立するのだろうが、悪趣味である。
僕が大学3年の時、浅香唯がデビュー。ぼくのファンクラブのナンバーは「神奈川4番」。

下の写真は、浅香唯の16歳のバースデー・イベントの投稿写真。誕生日ケーキを吹き消す浅香唯の横にたまたま僕が写ってる。左から3人目、スタッフの隣で折り畳んだ東スポを抱えている。

その会に出たお礼に後日、浅香唯から送られて来たサイン入り生写真。
この数カ月後、浅香唯は「スケバン刑事Ⅲ」の主役・三代目麻宮サキに抜擢され大ブレイクを果たし、その人垣で僕は彼女を見失ってしまった。

 

・小倉優子の場合

小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。毎回録画して観た。こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD「フルーchu・タルト」の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
この頃の、小倉優子は可愛かった。トレカもいっぱい集めた。

小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、小倉優子には恩があるから今もクリニックには小倉優子コーナーを設けてあります。

 

・中川翔子の場合

しょこたんのライブにはムンクも一緒に行ったね。

サイリウムを振るムンク。

しょこたんとムンク。

これはバスツアーに参加した時のツーショット。

イカ娘に扮するしょこたん。

しょこたん、小林幸子とスリーショット。

 

・みずほの場合

28/Ⅹ.(金)2016  寒い雨
僕の好きな、ベルハー(BELLRING少女ハート)が年内で活動休止のショックと、僕の推しの、水色担当・朝倉みずほが年内で引退&冠番組であるFM北海道「みずほのほ」が今週で終了という、みずほロス、に動揺する僕はラジオの最終回にふるえる手でFAXを投稿した。

しかし、世の中も捨てたものではありませんね、このFAXが最終回で読まれたのです。「みずほのほ」の最終回には、ベルハー・メンバー全員が終結し、大盛り上がりの中、読まれました。
しかし、ラジオ・ネームを書き忘れたことと、FAX送信用紙の「川原クリニック」という印刷を消し忘れたため、
「これ誰からだろう?」
「川原クリニックって書いてある」
「職場かな?」
「あっ、川原さん、って書いてある」
「ごめんね、職場、言っちゃった~」
とメンバーの会話が放送され、最後の最後で大ビックリさせられました。記念すべき「みずほのほ」の最終回で、クリニックの宣伝をしてしまった訳でした。

ベルハー映画のクラウドファンディングの試写会にて、みずほを目の前で撮る。

そして、今の推しは芦田愛菜。21才です。山口百恵が引退した年齢です。

 

次号へ続く。


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