11/Ⅱ.(土)2012 建国記念の日
今日は三鷹市芸術文化センターという所に、立川志らくの落語をききにゆく。
三鷹駅南口から、商店街を突っ切って、連雀通りにぶつかったら右に折れて、250メートル先にその会場はあり、徒歩で20分位で着くのだが、<そう言えば、この辺はあの子の地元かな?>と思いながら、色々と寄り道しながら歩いていたら1時間もかかってしまった。余裕をもって出たから良いものの、開演ギリギリに着いた。店頭で売っているいなり寿司や焼鳥や鯛焼きを買い食いしたり、古本屋や古道具屋などをのぞいてみていて面白かったのが原因。
去年の11月に談志が死んでから、立川流の落語家たちには『談志バブル』が起こっているそうで、志らくは「談志の言葉」という名言を集めたものや「談志の懐メロ100曲」という本の執筆を依頼されてるそうだ。談志の死後、志らくの中に談志をみようと落語会には‘談志信者’が駆けつけて満員御礼。ちなみに、談志ファンのことを‘談志信者’というのに対し、志らくのファンを‘志らく右翼’と呼ぶ。談志の「作品」を好む人は、談春のところにゆき、志らくは談志の「狂気」を受け継いでいると言えるようだ。
談志の「狂気」とは一般に浸透している乱暴さのようなこととは少し違う。たとえば、モーニング・ショーのゲストに呼ばれて、カルガモの親子が並んで道を横断をしてる映像を見させられ、司会の田丸美寿々から「談志さん、どうですか?」と聞かれた時に、<腹へった猫、放せ!>などと発言することを指すのとは違う。志らくによると、談志の「狂気」とは、どうでもいいことにこだわる、というところだという。
昔、新橋演舞場で志の輔と二人会をして、綺麗な着物を着たご婦人がたくさん来て、そこで志の輔が新作落語でドカーンと笑いをとる。そうしたら、普通なら談志は『芝浜』や『らくだ』などをやれば、「さすが!談志!」となるのに、<キムジョンイル、マンセー!><オ○ンコ~!>と叫び、『金玉医者』という噺で客席をシーンとさせ、怒って楽屋に戻って来て、<あの客は馬鹿だ!><何も判っていない!>と言うようなところが、たとえば一例だ。
三鷹市芸術文化センターは、250席で丁度いい大きさで(もっとも、談志は落語の高座に似合う人数は100人がいいところだと、昔、言っていたが)、クロークもあり荷物やコートも預かってくれ、誘導も親切で、係の人も皆丁寧でいいサービスだった。
この日、志らくは昼の部と夜の部と二回公演をし、僕は夜の部に行った。たとえば、志の輔とか談春だと昼も夜も同じ演目をやるのだが、志らくは昼3席と夜3席の題目を全部違えて6席用意したという。
客によってききたい演目が違うから、本来昼も夜も同じにした方がサービス精神だとも言えるが、マニアックな人は昼・夜両方来るからという理由で6席用意するところが談志流のこだわりで、その照準の当て方が、志らくが談志の「狂気」を受け継ぐと言われるゆえんでもあろう。
最後にどうでもいい話だが、JR三鷹駅のホームに流れるメロディは、♪めだかの学校は~♪という曲なのだが、なんで「めだかの学校」なのだろう?。まさか、空耳アワー?。
先生の落語バカに影響されてか、今月の26日に「親子で落語を楽しもう」というのに参加申し込みをしたら、「落語家体験」という時間があるので、参加するようでしたら手ぬぐいと扇子を持ってきてください。」と言われて、息子は人前に出たがり屋だから、「はい、やります。」と答えたら、昨日体験の台本が送られてきて、たじろいてしまいました。お題が5つもあって、6歳の息子には覚えられないような台詞ばかり。これは辞退しないと、、、と思っちゃう。
私は先生と違って「歌舞伎」が大好きなので、これが歌舞伎の体験だったら必死に息子に覚えさせますが、、、。
ちなみに、私が大好きな役者さんは中村勘三郎さんです。私は若い頃から、男なのに色気のある俳優さんとかが好きで、独身時代は勘三郎さんの演目はいつも見に行っていました。まだ、勘九郎の名前を名乗っている時に勘九郎のファンクラブに入りたかったのですが、会費が高くて入れなかった。物凄い金持ちしか、相手にしていないという感じ。歌舞伎も朝〜昼~夜と3部あるから、観客も大変だけど役者はいつ休んでいるんだろうと変なところに気が回って、勘九郎さん倒れないでね~と思って見てました。早く歌舞伎座が出来ないかな~。昔の歌舞伎座で、山田洋二監督に会ったことがありますよ。他にも、色々な顔の知れている人を良く見かけましたね。小泉さんが総理していた時も私も歌舞伎に見に行っていたので、アイドルみたいに囲まれて車に乗り込む小泉元首相を見かけましたね。