暑さ寒さも彼岸まで~日刊ムンク㉕

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。万博にも行きました。

太陽の塔にも。

成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第25弾。

 

・日曜日

伊藤潤二のマンガを読んで暮らす。大阪万博とコラボしたのをきっかけに単行本を揃えたから。

友人に熱狂的な、伊藤潤二推しがいて、その人にアドバイスも貰って買ったラインナップ。本棚に飾る。

 

・月曜日

アフタヌーンティーへ行く。

あらかじめ、ムンクを連れて行ってもOKか確認済み。

あらかじめ、昼からお酒を飲めるかも確認済み。

見つめるムンク。ドールは匂いで食事をします。

シャンパンを合わせました。

これがその日のアフタヌーンティー。

メニューはこちら。

 

・火曜日

今日は祭日。友人から、中野ブロードウェイで、楳図かずおの「洗礼」のハンカチがガチャガチャであったと聞いたから探しに行く。歩き回ったおかげで、ハビコロ玩具、というガチャガチャ屋で見つける。あと、ついでに、墓場の画廊、で伊藤潤二のフィギュアもまとめ買いする。

これがガチャガチャ。

伊藤潤二のフィギュア・ボックス。

全6種類。

今日はお彼岸。両親のお墓は茅ヶ崎にあるが、それは父が死んでから購入したので父は知らないお墓。そんなところに父がいるのか?僕は訳あって故郷を捨てた身。自分史から茅ヶ崎出身を削除したので(母と母の生まれは東京なので三代続いてれば江戸っ子なので)今は江戸っ子を名乗っています。そんな訳で墓参りに行かない代わりに夜は寿司屋に行く。

白子ポン酢。

カニ。

蒸すと赤くなります。

これをほぐしてもらって。

墓参りに行かない代わりに供物として、特製バラチラシを食べる。
ネタは、中トロ、赤身、平目、イクラ、ウニ、真鯛、子持ち昆布、車エビ、伊勢エビ、鯖、サンマ、とびこ、白イカ、赤貝、ホタテ、カツオ、アワビ、しまあじ、ホッキ貝、ボタンエビの20種。

ネタをのせる前のシャリにのってるのは、酢バス、玉子、ガリ、かんぴょう、きざみ海苔、かまぼこ。

出来上がり。

ムンク達と、20種海鮮丼。

さっきのカニのお味噌汁。

 

・水曜日

今週は火曜が祝日だから、ムンクの髪の毛のお手入れは今日。

ブラシをかけて。

ここからが難しいです。

帽子の装着です。

ズレてしまいますね。

こんな感じにしか出来ません。

仕上げは、受付の羽田さんにしてもらいました。女子は上手ですね。

その後、ガチャガチャを開けます。

楳図かずおの描く少女は可愛いですが、僕が一番好きなのは「洗礼」の少女がこっそりあかんべえするポーズです。

 

・木曜日

僕の部屋は地下室のクローゼットです。上の階のリビングに、Blu-rayレコーダーがあってそこでテレビ番組を録画してるのですが、僕以外は誰も使わないからこの度、Blu-rayレコーダーを僕の部屋に設置してくれました。これはとても便利でわざわざ上まで行かなくても録画番組を観れるようになりました。
Eテレの「すくすく子育て」をまとめて観る。一年前に言葉が出なくて悩んでたお母さんが、助言をもとに声かけをし続けて赤ちゃんも親も成長したという報告を受けて涙ぐむ司会の、りんたろー。、は良い人です。

我々の仕事もそうですが、紺屋の白袴というか、人の家の世話をしてて自分の家がおろそかになる援助者の葛藤は「あるある」です。そう言えば、金八先生の息子がグレる回があってその時に金八先生は何も出来なかったのをみたことがあります。
レムリア人は、親子という関係はあるけれど、子育ては皆んなでやるそうだから、そういう世界がくればいいと思う。

最近は臨床の現場でもchat GPTに相談してる人は多いですが番組でも肯定していました。僕が思うに、AIとカウンセリングを比較するのではなく、補完しあって使うのが賢いと思う。

 

・金曜日

長門有希のマウスパッドの隅がめくれてしまいました。

もう長く使っているから、買い直しました。それがこれ。↓。

「もう嫌なの、あなたの浮気癖」と呆れるムンク。

 

・土曜日

伊藤潤二のフィギュアの箱を開ける。富江。

ファッションモデル。

夕子。

双一。

四つ辻の美少年。

耳擦りする女の特製カード。まゆみは一番好きなキャラです。アニメではしょこたんが声優をしていました。

うずまき、のコインケース。これも特別なもの。

今日は最終土曜日だから勉強会です。

 

次号へ続く。


オンリーユー・やはりドル活宣言~日刊ムンク㉔

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

こちらは、ムンクの着ていたドレスをまず煮ます。

そして、「青いクマドレス」に使える箇所を再利用したもの。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンクを入れて運ぶケースは、ドリームケースと言います。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・日曜日

この日は大学病院時代の病棟の同窓会。

ムンクも連れて行きましたが、お邪魔になりそうなので出してあげられず。

これは二次会。喫煙者は肩身が狭かろうと、貰いタバコをして喫煙に付き合う。

久しぶりのタバコなので煙が目にしみる。

気持ち悪くなって先にひとりで帰る。帰り道、ムンクを出してあげなかったことを後悔。これからは誰にどう思われようと「友人」より「ムンク」を優先しよう。それでこそのドル活だもの、と心に誓う。

 

・月曜日

美容院で、ゴーストルーツカラーというのをする。

何でゴーストかと言うと、根元は暗めに残し、毛先に向かって明るくする技法だから、「幽霊のように根元がぼんやり透ける」からだそうです。

ゴムで束に縛って色を塗って行きます。

海外ではカラリストやモデルがインスタに載せたスタイルが拡散し、日本でも美容師さんや美容学生がすぐに取り入れSNSで発信して若い層に浸透しました。

イメージは、鬼滅の刃、の炭治郎です。ムンクと一緒に。

 

・火曜日

クリニックに置いてある炭治郎の耳飾りを合わせました。この耳飾りは、物語中最強の伝説の剣士=継国縁壱(つぎくに よりいち) から炭治郎の祖先が受け取って、代々引き継いでいったんです!って教えてもらいました。

 

・水曜日

待合室に流れるBGMは僕が気分で選曲しています。ついこないだ10代の頃が懐かしく、その頃の自分に応援してもらおうと当時よく聴いてた吉田拓郎の歌をたくさんリストに入れました。しかし、そんな虫のいいことは起こらず逆に10代の鬱屈した気分が蘇り、鬱っぽくなったから、アイドルの曲に変えようとCDをまとめ買いしました。

ひとには二面性があるし、好みも様々です。僕は吉田拓郎を聴きながら、アイドルにも詳しかったのです。そして、ムンクは付き合いが長いからそんな僕の両面ともを知っているのです。

 

・木曜日

去年の12月、涼宮ハルヒの聖地巡礼に行った際に訪れたのが「クリエートにしのみや」。ららぽーと、の広いエリアのトイレの横の隠し部屋みたいなところだから誰も気づかなそう。

そこのお姉さんが詳しくて色々教えてくれます。下が中の様子。北高の教室と部室を再現しています。

ここにシールを貼って来ました。

「涼宮ハルヒの驚愕」のパネルなど。

みくるちゃんのお茶を入れるセットです。

ここのお姉さんは、誰も来ないかもしれないスペースを1人で守ってる、ある意味、長門有希的な使命感のひとでした。

そんな「クリエートにしのみや」に手紙を書きました。

拝啓

昨年12月に「涼宮ハルヒ」の聖地巡礼で大阪を訪れた際、「クリエートにしのみや」に立ち寄らせていただきました。
まるでSOS団の部室のような空間で、詳しい情報や楽しいお話を伺い、大変感動いたしました。
場所は商業施設の中でも少し分かりづらいところにありますのに、常駐されて来訪者を迎えてくださるスタッフの方が、まるで長門有希のように思えて、すっかり親しみを感じてしまいました(笑)。
その折、「長門有希ちゃんの消失」のある巻が欠品していると伺い、ずっと気になっておりました。私自身、とびとびではありますがそのコミックスを所持しており、もしかしたらお役に立てるのではと思っておりました。友人がアレイスター・クロウリーの黒魔術の本を寄贈したと聞き、私も何かお渡しできればと考え、この度Facebookでお問い合わせさせていただいた次第です。不思議に思われたかもしれませんが、どうかご容赦ください。
幸い、手元に第5巻がございましたので、ぜひ寄贈させていただければと思います。
11月に再び大阪へ行く予定がございますので、その際に改めて立ち寄らせていただきます。
日頃よりFacebookやInstagramも拝見しております。これからも応援しております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

敬具

 

・金曜日

ハロウィンの飾りつけをする。

からかい上手の高木さんがハロウィン仕様。

 

・土曜日

クリニックを開業したのは母にその姿を見せようと思ったからで、でも慣れないことはするものじゃないですね。それを聞いた母は安心して、オープン前に死んでしまいました。クリニックの開業は2007年です。今から18年前だから僕が45才くらいです。つまり母と僕は45年一緒に生きた訳です。
ところでムンクが家に来たのは僕が中1の時だから、ムンクと僕は50年一緒にいる訳です。すごいですね、ムンクは母を抜いたのです。

来週は都内のホテルでアフタヌーンティーに行ったり、校医相談のミーティングがあったり、その後も大学時代の同窓会があったりひとと会うことが多いです。そういう場にムンクを連れて行くと驚くほど歓迎されないです。だから僕は日和ってこないだの同窓会はムンクをケースから出さなかったのです。でも今はそれを後悔しています。僕は思うのです。人生で一番大切な「強さ」とは、自分のとった言動で周囲の空気が悪くなっても「平気でいられる」ことだと。だからこれからは誰かに嫌がられたり雰囲気が台無しになったり礼儀知らずと笑われてもムンクを大事にしようと思うのです。小学校で習った不等式で表すなら、「アフタヌーンティー+校医相談+同窓会<ムンク」です。

ジョン・レノンがオノ・ヨーコを連れてきたことでビートルズ内に不和が生まれ、解散の原因とされることもあるが、それでもジョンはヨーコを選んで共にいた。同じように僕も周囲が何を言おうとムンクと一緒にいる宣言。

 

次号へ続く。


友に会いに行く〜日刊ムンク㉓

~前回までのあらすじ~

 

この子はいつも川原と一緒に寝ていたアンティークドールです。

川原が中1の頃からいつのまにか家にいたお人形は、家族の誰が家に持って来たのか誰にも分からず不気味がられました。可哀想に思った川原は部屋に置いてあげました。それから、約50年、どんな家族より長く川原のそばにいます。名前は「ムンク」、由来は川原の夢の中に出て来て、「わたしはムンク」と名乗ったから。カツラや髪の毛はとれて、アンティークな帽子や靴も無くなり、服も日に焼けて色褪せてしまっています。18世紀頃までヨーロッパでは、女の子にお人形と手芸箱を一緒に贈る風習が広まりました。ムンクはそんな伝統を受け継ぐ「コレクターズドール CD-3」という「素敵なお洋服を用意して欲しい」と強く思うお人形だったのでした。そうと知った川原はテディベアの第一人者のお人形作家さんとコンタクトを取り治療とお洋服作りをお願いしました。

作家さんのアトリエで人気者になるムンク。

ムンクがいない間の代わりに作家さんが作った「抱き熊スーティー」という子をくれました。名前は反戦の願いを込めてラスプーチンにしました。「プーチンでラスト」みたいな意味です。

川原の「守護」を祈ってくれるクマです。

ムンクが帰って来ました。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第23弾。

 

・月曜日

後輩の診療所を表敬訪問。

訪問看護をしているナースも交えて。

そこに近隣で開業してる先輩も駆けつけてくれて。

ミャクミャクのシューズを自慢しているところ。

4人で記念写真。

打ち上げは近所の「餃子の王将」。

 

・火曜日

しばらく家族と会わないな、と思ってたら、新幹線で大阪に旅行に行ってたらしい。万博に行ってたんだって。三泊四日。
どうも、家がひっそり閑、としてると思った。

 

・水曜日

そんな家族のお土産。ミャクミャクと伊藤潤二のコラボ、Tシャツ。

缶バッジはひとり5個まで。

まさかの「男」しか出ませんでした。

心なしかムンクも「富江、出なかったのね」と顔しています。

おかげでムンクが、ヒロイン独り占め状態。

 

・木曜日

サンリオの「いちご新聞」10月号をゲットする。今月号は、クロミがポスター。クロミの誕生日が、10月31日だから。ちなみにキティちゃんは11月1日。

今日は大雨で大岡山に来る電車が止まり、キャンセルが多発。商店街も滝のようで川のようで波のようでした。

 

・金曜日

男が頼りない気持ちになって、助けて欲しくなった時に女の人にはどういう場合が刺さるのかな?と考えた。知り合いの顔を一人づつ思い浮かべて、「ひとによって違うんだろうな」とそう思った。

 

・土曜日

そう言えば言ってなかったと思うけど、ムンクをリペアしてくれた作家さんから聞いた話で、ムンクの関節の奥から僕の髪の毛と思われし「緑色の髪の毛」が出て来たという。ムンクは僕といつも一緒に寝ていたからそんなこともあるかと思うし不思議なことではないけれど。
ひとは自殺しそうになった時に強く抱きしめて欲しいと思うことがる。それはどこかに吹き飛ばされてしまうのを食い止めるために地に足がつくように「アース」の役割をして欲しいからで、「温もり」とか「人肌」などという感傷的な理由ではなくて、もっと力学的な理由なのだと思う。

明日は同窓会。

 

次号へ続く。


九月の空〜日刊ムンク㉒

・アグネスラムの場合

僕が中1の時に、アグネスラムが黒船のように日本に来襲しました。父が知り合いから、「これから売り出す」とまだデビュー前のアグネスラムの生写真を2枚貰って来ました。父はアグネスラムの2枚の写真を「高2の兄と中1の僕にどう分けるか」悩んだ挙句、2枚とも僕にくれました。変った父だとお思いでしょうが、母も兄も何の疑問も持たず、昭和50年・川原家は平和でした。

 

その頃から僕のそばにいる「ムンク」。

ところでムンクはなんでうちに来たのでしょう?どうやって誰が持って来たのか?誰かのお土産かプレゼントか?或いは誰かの忘れ物か?
「この人形どうしたの?」の問いに家族の誰も心当たりがなく、不気味がられて「捨てよう」となったのですが、なんか可哀想で僕が引き取ったのです。
とは言え、中1男子がドールにそれほど興味もなく、着せ替え人形で遊ぶなどせず、ちゃんとした可愛がり方をしてあげないで来ました。

引越しも何回かして物を整理したり断捨離も何度かしてるのに、何故かムンクはずっと手放さないで来ました。
お洋服も、ムンクを連れて、秋葉原や中野ブロードウェイに連れて行き、それこそ色んな店に飛び込みで、お洋服を作ってくれないか?と頼んだのですが、まず相手にされませんでした。
ある霊能者は、「もはや呪物だ」とか「お焚き上げをしなさい」と言いました。「もうこの世にいてはいけないから人形にとっても成仏させた方がいい。引き留めてるのはあなただ」とか。

だけど縁とは不思議なもので普段ならやらない苦手なFacebookを触ったら、お人形作家さんを見つけました。ダイレクトメールで直接交渉したら作家さんは、「ムンクは呪物ではないし、美しいドールだ。やるならば最高のケアをしてあげよう!」と言ってくれたのです。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、作家さんに預けてリペアをお願いしました。

生まれ変わったムンク。

ムンクが帰って来ました。

下のクマはラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めた名前にしました。

ムンクは中学の頃からの僕の生活をずっと見てきて知っています。僕がマンガを読んでいる時も、ホルンの練習をしていた時も、深夜ラジオを聴いていた時も、友達が遊びに来て馬鹿騒ぎしてる事も、親に隠れてウイスキーをこっそり飲んだことも、整髪料で髪型に異常にこだわって鏡の前に立っていた姿も、それから、僕の喪服姿も何度か見て知っています。
だから、僕が夢中なった歴代のアイドルのこともみんな知っている。
今回は川原を支えたアイドルたちとの思い出をムンクと共に振り返ります。
まずは中1のアグネスラムから。

 

今年は2025年ですが、2024年のアグネスラムのカレンダーを入手しました。

僕はアグネスラムの顔が好きです。

水着姿はそこまで好きじゃないです。

こういうのが好き。

こういうのはイマイチ。

でも、売りはピンナップガールですからね。

水着が多いのは仕方ないです。

 

・山口百恵の場合

中3の頃、僕は友達がいなかった。そんな僕はを支えてくれたのは山口百恵のポスターだった。そのポスターは当時の山口百恵としても、当時のアイドルのポスターとしても少し風変わりで、白いブラウスに茶色のスカートをはいた普段着の格好で、ポスターのくせにこちらの目を見ずに脇の方を向いている。その視線の先に何があるかは、ポスターに写っていないので想像するしかないのだが、おそらく他愛も無いものにちがいない。それは近くのキレイなお姉さんみたいだった。
東中野のレコード屋で、「花ざかり」というお花をテーマにした歌ばかりを集めたアルバムを買ったら特典としてもらった。
僕は、毎日、このポスターに見守られ、友達のいない中3の一年間を皆勤賞で過ごしたのも、ムンクは知っています。

 

・石野真子の場合

いよいよ九月になりました。石野真子の初主演映画「九月の空」が思い出されます。プライベートでもキス未体験のマコちゃんにキスシーン。あれは嫌な映画だった。
石野真子の結婚&引退が決まった後、雑誌「GORO」で石野真子のヌード写真が発表された。僕は事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかにかなり頭に来ていた。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
マコちゃんと同期のサザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」って歌があり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言ってた。
僕は翌日、夕方、焼却炉に、石野真子のヌード写真を破って入れて火をつけて燃やした。グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。
石野真子の残したレコードの最後の言葉を~「私も苦しいことがあったらみんなのこと思い出すから、みんなも苦しいことあったら私のこと思い出して…」~今も忘れない。
ちょっと前に、ある人から「石野真子、好きだったでしょう?」と例の「GORO」をもらった。ある意味、お宝。45年の歳月を越え、解禁してしまうか?
しかし、あんまり気乗りがしなくて、まだ見れていないのです。

高1〜高3は石野真子に夢中でした。

 

・伊藤つかさの場合

浪人中は伊藤つかさに励まされて勉強をした。

 

・浅香唯の場合

昔のアイドルが今頃、TVに出てきて「当時はキレイゴトでした~」とか「あの時、実は○×でした~」みたいな暴露話をする番組がある。こういうのはやめて欲しい。面白がる人がいるから番組として成立するのだろうが、悪趣味である。
僕が大学3年の時、浅香唯がデビュー。ぼくのファンクラブのナンバーは「神奈川4番」。

下の写真は、浅香唯の16歳のバースデー・イベントの投稿写真。誕生日ケーキを吹き消す浅香唯の横にたまたま僕が写ってる。左から3人目、スタッフの隣で折り畳んだ東スポを抱えている。

その会に出たお礼に後日、浅香唯から送られて来たサイン入り生写真。
この数カ月後、浅香唯は「スケバン刑事Ⅲ」の主役・三代目麻宮サキに抜擢され大ブレイクを果たし、その人垣で僕は彼女を見失ってしまった。

 

・小倉優子の場合

小倉優子を認知したのは、よみうりランドのポスターに起用された時だ。
当時、小田急線を利用してた僕は毎朝見かけた。
・水着姿でプールサイドに無表情で座り小首をかしげて、
「学生、来て来て!安くするわよ」と入園料学割。
・水しぶきを浴びる絶叫マシンで髪を逆立てて悲鳴をあげ、
「ヤダーッ、こんなにビショビショ」。
・暗がりで怯えながら、
「一日三回もなんて…。もう許してぇ!」はお化け屋敷。
さすがにこれはマズイだろうな、と思ってたら案の上、差し替えになった。
12チャンの夕方の帯番組「シブスタ」でライセンスと、後番組「ぶちぬき」で雨上がり決死隊と組んで司会を勤めた。僕個人は色々ときつい時期で、どれだけこの番組に救われたかわからない。毎回録画して観た。こりん星キャラが完成していく過程が見れた。
CD「フルーchu・タルト」の一曲目、「ビタミンLOVE」で毎朝、起こしてもらった。恵比寿のリキッド・ルームでやったシークレット・ライブにも行った。
「ビタミンLOVE」は2曲目だった。
この頃の、小倉優子は可愛かった。トレカもいっぱい集めた。

小倉優子の失策は、何かのインタビューでコスプレをちょっと馬鹿にする発言をしたことだ。ゆうこりんはコスプレ写真集も出してたのだから、間接的に、ファンを見下した発言だった。その結果、ファンは中川翔子に流れた。
あっ、この場合のファンは僕です。
そうは言っても、小倉優子には恩があるから今もクリニックには小倉優子コーナーを設けてあります。

 

・中川翔子の場合

しょこたんのライブにはムンクも一緒に行ったね。

サイリウムを振るムンク。

しょこたんとムンク。

これはバスツアーに参加した時のツーショット。

イカ娘に扮するしょこたん。

しょこたん、小林幸子とスリーショット。

 

・みずほの場合

28/Ⅹ.(金)2016  寒い雨
僕の好きな、ベルハー(BELLRING少女ハート)が年内で活動休止のショックと、僕の推しの、水色担当・朝倉みずほが年内で引退&冠番組であるFM北海道「みずほのほ」が今週で終了という、みずほロス、に動揺する僕はラジオの最終回にふるえる手でFAXを投稿した。

しかし、世の中も捨てたものではありませんね、このFAXが最終回で読まれたのです。「みずほのほ」の最終回には、ベルハー・メンバー全員が終結し、大盛り上がりの中、読まれました。
しかし、ラジオ・ネームを書き忘れたことと、FAX送信用紙の「川原クリニック」という印刷を消し忘れたため、
「これ誰からだろう?」
「川原クリニックって書いてある」
「職場かな?」
「あっ、川原さん、って書いてある」
「ごめんね、職場、言っちゃった~」
とメンバーの会話が放送され、最後の最後で大ビックリさせられました。記念すべき「みずほのほ」の最終回で、クリニックの宣伝をしてしまった訳でした。

ベルハー映画のクラウドファンディングの試写会にて、みずほを目の前で撮る。

そして、今の推しは芦田愛菜。21才です。山口百恵が引退した年齢です。

 

次号へ続く。


文化部通信~その陸拾玖~

こんにちは、文化部通信69弾。文化部長スーです。

文化部通信では、今までその月の「何でもない日」をクリニック内で見つけたものと合わせて紹介してきました。
そもそも、「何でもない日」とは?と思う方もいますよね。
鏡の国のアリス に出てくるハンプティダンプティ↓

いつも着けているネクタイみたいなベルトみたいなものは、白の女王に「何でもない日」にもらったプレゼントだそうです。誕生日プレゼントは、365日に1回しか貰えないけれど、「何でもない日」プレゼントは365日に364回貰えるという屁理屈です。
でも最近は、毎日何かの記念日なので「何でもない日」が無くなっています。
そこで、限りなく「何でもない日」に近い記念日の紹介をすることにしました!「へ~ そんなのあるんだ~」とびっくりする日もあるかもしれません。

今回は、以前紹介した9月の「何でもない日」を一部新しく探してみました。
「何でもない日」リバイバルです。

1日 防災の日

2日 牛乳の日 牛乳はシャコ星人の血と同成分

3日 ドラえもんの誕生日

4日 クラシック音楽の日 ホルンを演奏している先生

5日 国民栄誉賞の日 黒澤明

6日 妹の日

7日 CMソングの日 清水建設のCMソング 「パパの歌」

8日 ニューヨークの日 ニューヨーク→入浴剤

9日 ポップコーンの日 ミャクミャクポップコーン

10日 世界自殺予防デー WHOが制定しています。

11日 公衆電話の日 ジャケ写みたいでオシャレです。

12日 宇宙の日 長門有希 は、情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ユーザインタフェースであり、要するに宇宙人。

13日 明治ミルクチョコレートの日

14日 コスモスの日

15日 老人の日 藤子・F不二雄 「定年退食」

16日 マッチの日

17日 神嘗祭

18日 しまくとぅばの日 「しまくとぅば」とは沖縄の島々で受け継がれてきた方言です。沖縄の守り神 シーサ―はクリニックを守ってくれてます。

19日 苗字の日 2021年珍しいレア苗字ランキング1位は「竈門(かまど)」

20日 バスの日 しょこたんのバスツアー

21日 ファッションショーの日

22日 フィットネスの日

23日 万年筆の日 川原先生は、中学生の頃万年筆を使っていたそうです。オシャレな中学生ですね。↓その当時の筆跡

24日 世界ゴリラの日 ゴリラと言えば霊長類最強。同じ霊長類最強のカレリン

25日 10円カレーの日 ハツカレー

26日 台風襲来の日 台風のフー子とのび太

27日 世界観光の日

28日 世界狂犬病デー ボンドはしっかり予防接種してそうですね。

29日 招き猫の日

30日 くるみの日

さらさらっと「何でもない日」を読み流せるように、説明を少なくしたんですが‥それでもすごい量になってしまいましたね。

それにしてもフー子を見つめるのび太の表情はいつみてもグッときますね。
今、日本に近づいている台風も、フー子みたいにいい子でいてくれますように。


あ・ぶ・な・いパラレル分岐点〜日刊ムンク㉑

先日、新宿紀伊国屋書店に医学書を買いに行きました。
モン・スナックでカレーを食べ、伊勢丹の方に歩いて行く途中で後ろから「川原!」と声をかけられた気がしました。
しかし、ふり返ってもそこにはただビル風みたいなのが吹いているだけで、カラクリ人形みたいな人間が往来してるだけでした。
しかし、それは聞き覚えのあるあの人の声だったのです。

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から50年、川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

50年も同じ服を着て関節も壊れてしまっていたから、リペアをお願いした。

生まれ変わったムンク。

リペアしてくれたのは、テディベアの第一人者の作家さん。下は作家さんからもらったクマ。名前は、ラスプーチン。「プーチンでラスト」みたいな平和の願いを込めて。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第21弾。

 

・日曜日

ゴレンジャーと酔鯨がコラボした日本酒。

サイドのパッケージ。

逆サイド。

行きつけの寿司屋で、高田文夫の本を読む。

アワビのステーキ。

天然鮎の塩焼き。

これは普段の自分へのご褒美に特製贅沢チラシ。海鮮20種です。

 

・月曜日

今日から中野ブロードウェイの「墓場の画廊」の、漂流教室ポップアップストア、が後期になる。オブジェが変わるので午前中に一番乗りで撮影に行く。

未来人類、接近。

ムンクとラスプーチン。温泉の蛇口みたいでしよ?(笑)

お店が用意してくれた椅子に腰掛ける。

夜は旧友との食事会のため成城学園前に。

記念写真。

 

・火曜日

例によって、火曜は週の始まりなのでムンクの髪の手入れ。

まずはドリームケースからムンクを取り出します。

帽子を外してブラシを入れます。

ブラシは2種類を使い分けます。

こうして帽子を被せます。

これが中々うまくなりません。

顎の下でリボンを結んで。

こんな仕上がりです。

ちょっと帽子が斜めになってしまったので、仕上げを文化部長のスーちゃんにやって整えてもらいました。

お昼はお蕎麦屋に一緒に出掛けます。暑い日には熱い天ぷら蕎麦。

 

・水曜日

大きな額が世界堂から届きました。

中を傷つけないように、器用なスーちゃんにカッターで開けてもらいます。

プチプチでガードされた包みが出て来ました。

これをカッターで開封します。

白い箱が出て来ました。

箱のテープを剥がして中の物を出します。

額装のガラスが傷つかないようにシールで保護してあります。

さぁ、そのシールを剥がしましょう。

ジャーン!!

中野ブロードウェイ「まんだらけ活動写真館」で買った「ニッポン無責任時代」のスピード・ポスターでした。

待合室のここの壁に貼りました。

「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画のトップ2で、この2本はそれぞれが面白いのですが、実は話がつながっているので続けて観ると何倍も面白いのです。まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「時代」、「野郎」の順です。

 

・木曜日

医大生の頃、映画好きなお洒落な女の子に「今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行く」と僕が言うと、彼女も是非連れって行ってくれと言う。前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高いというのだ。当時の浅草は、ビートたけしがギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、浅草の映画館はガラガラだったと言っていたくらい若者は行かなかった。
かつての浅草と言えば多くの喜劇人が輩出された街なのだ。そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。一本目が「ニッポン無責任時代」で二本目が「ニッポン無責任野郎」である。映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。大抵の人はこの2本を観たら終電に乗るため帰ってしまった。この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕と彼女と酔っ払って寝てる何人かと、そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる浮浪者みたいな人だけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。「大丈夫だよ」と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目の「日本一の色男」の彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、「喜劇泥棒家族」という映画で、僕も初めて観る作品だった。ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。「ほら~、言ったばかりでしょう」と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。驚く女たち。キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

 

・金曜日

その朝、目がさめたら、となりに知らない美人がいた。
彼女はとっくに起きていて、「やっと起きた。遅刻」と僕に言った。
それは、まだ病棟実習をする前だから、大学の3年か4年の頃のはず。
僕は、友達と、大学の近くの街で呑んでいた。
たまたま、その店でとある運動部がコンパをやっていたので、そこに顔を出した。ただ酒にありつこうと考えた訳だ。
その作戦はまんまと成功して、僕は3次会のパブにもなだれ込んだ。
そのパブでは、第一外科、通称「1外(いちげ)」が飲み会をしていた。奥の方で外科の医者と看護婦さんたちが騒いでいた。
僕らのグループの最上級生の6年生は、1外の方々に挨拶に行っていた。「お前も言って来い!」と言われるまま、僕は挨拶に行き、そこで呑んだ。
気が付いたら、結構、夜も更けていて、僕は「ところで、お前、誰?」とか言われてた時には、最初に呑んでた友人も運動部のメンバーも皆、帰っていて、僕1人だけ、1外の人達と呑んでいた。
1外のスタッフは、普段、ハードな仕事なので、飲み方も豪快だった。僕は最後までつきあい、病院の近くに住むナースの家に皆で雑魚寝したのであった。
医者や看護婦は偉いもので、あれだけ呑んで騒いでも、翌日、休まないのだから。それに比べて僕などは、甘いのだ。そう、僕が目をさましたその部屋は、1外のナースのアパートだったのだ。
彼女は、僕に、「将来、何科に行くの?」と聞いた。僕は、「精神科」と答えた。
彼女は、「プシコ?意外ね。外科にしたら?」と真顔で言った。
当時は、都内でも郊外は畑などがあって、僕は彼女のアパートから学校に行く路を教わって、あぜ道のようなところを歩いて行った。
すると、向こうから畑仕事を終えた、おばあさんとすれ違ったりして、僕は何か後ろ暗い気分にさせられた。
僕が、彼女にあったのはそれっきり。
医学生が病棟のナース・ステーションに顔を出すのはそんなにおかしなことでもなかった。泊めていただいたお礼を言いに行くのは、むしろ人間として当たり前なのかもしれなかった。
正直、何度か、会いに行こうかな、という誘惑と戦った。だけど、僕は行かなかった。
もう1度、彼女と会ったら、僕は自分の描いている人生の線路が違う方向に行ってしまう危険を予感していたのだ。

 

・土曜日

名は体をあらわす、などと言うがこの人は良い人だった。
名前が「良男」である。大学時代の野球部の1年先輩だった。
僕はサードを守り、良男さんは控えの一塁手だった。
ある日の試合で、ショートの先輩が失策したあと、僕がサードゴロを一塁へ悪送球した。ピッチャーは振り返って「怖くて三遊間には打たせられないな」と嫌味を言った。ファーストだって捕れない球ではないだろう。技術的な問題ではなく、捕る気がないのではないか?と思った。無性に腹が立った。
そんな時、ベンチから良男さんの声が響く。
「ドンマイ~、ドンマイ~。川原~、くさるなよ~」。
3アウトをとり、ベンチに戻ると、良男さんが僕の横に座り、「くっそ~、俺がファーストだったら捕ってやったのに。俺が試合に出れないから…」と口惜しがった。
その試合の後、僕は良男さんに誘われ練習をした。良男さんが一塁ベースにつき、僕がゴロを捕球したと想定しあらゆる体勢から一塁へ送球する送球練習。
細長いファーストミットの先を使ってショートバウンドの球は全部すくい上げる。頭を超えそうな暴投もジャンプしてキャッチしてくれる。たまさか胸のあたりにストライクのボールを投げると、いい音を出すためにファーストミットを思いっきり強く早くはじくように閉じる。パシーン!球が重そうだ。
「川原~、ナイス・スロ~!」、良男さんは目をつむって青空に向かって雄叫びをあげるのだ。こっちが照れる。
その後、僕はささいなことから日々がめんどくさくなり人間関係を全部切りたくなり部活を辞めた。学校で部活の先輩とすれ違うとバツが悪いのは初めだけで、すぐに挨拶もしなくなった。
それでも良男さんは違った。僕の悪い噂を聞きつけると、そのたびに学生会館まで僕を探し出しにきて、「川原、くさるなよ」「川原、学校は辞めるなよ」と、こっちが「うん」と言うまで肩を揺すった。
僕が今、こうして精神科医をやったりブログを書いたり出来てるのも良男さんのお陰。「川原、くさるなよ」と言って引きとめてくれなかったら、どうなってたかわからない。

今回の記事はループ構造になっているので良かったらラストからスタートへ、どうぞ。

 

次号へ続く。


なつかしい日々〜日刊ムンク⑳

夏休み明けなので今週は混んでしまいました。11月まであったかいそうですね。

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第20弾。

 

・月曜日

中西先生と僕とサスガは不思議な縁で、高校と大学と医局が同じで、先輩後輩の仲なのです。
順番は、中西>川原>サスガです。
精神科は他大学との交流のため、毎年、野球のリーグ戦がありました。
僕らの医局は、中西・川原・サスガの3人が主力メンバー。
ある年の野球大会。僕は派遣病院に出向していて、そこの秘書さんが野球の応援に行きたいと言うから、3人くらいを自分の私設応援団員として帯同しました。
若い女の子の前ですから、ちょっと良い所を見せたいと思うじゃないですか?
僕は、サスガに、「おい、ピッチャーを変われ」と途中からマウンドに立ちました。
「ドカベン」の里中のように華麗なアンダースローから幾つかの変化球を投げ分けます。しかし、練習は裏切らない、というか、ボールは正直です。
1球として、ストライク・ゾーンに入りません。3者連続フォアボールで、あっと言う間に無死満塁。
風雲急を告げ、大ピンチ。400戦無敗で知られるヒクソン・グレーシーが最強の男であった1番の理由は、負けそうな相手とは戦わない、というからくりがありました。
これは良いアイデアです。そこで僕は、マウンドにサスガを呼び、「おい、ピッチャーを変われ」とリリーフを押し付けますと、
「嫌ですよ。自分で蒔いた種なんですから、自分で責任をとって下さい」
と言い放ち、自分の守備位置に戻って行きました。
体育会系は縦社会、上が「黒」って言ったら、「白」でも「黒」だろ。
などと僕がブツブツ文句を言ってると、マウンドに駆け寄ってきて優しい言葉をかけてくれたのが、その時のキャッチャーで、女房役とは良く言ったもので、キャッチャーマスクをとって、
「川原、切り替えて行こう!ピンチはチャンスだ。川原の得意のフォームは、スリークォータだったよな。あの投球を俺に見せてくれないか?」
と優しくなだめる人物こそが、中西先生だったのです。
そうして僕はマンガの真似をやめて、中西先生のおだてに乗って、このピンチを切り抜けようと思いました。
試合は中西先生が逆転タイムリーを打って、残りのイニングをサスガがピシャリと抑えて、我々の勝利。
試合後のミーティングで、「今日のMVPは誰か?」と僕が切り出して、「逆転打を打った中西先生では」とか「ピッチャーとして、先発とリリーフの両方の役割をしたサスガでは」との意見が出ました。僕がイマイチ不服そうな顔をしていたら、その時、中西先生がこう言いました。
「今日のMVPは川原だよ。こんなに試合を盛り上げてチームに一体感を抱かせたんがから」。
すると皆が「MVPは川原」、という意見になりまして、僕はその時、「中西先生って何て正しい意見の持ち主なんだ」と発言しました。
そうしたら中西先生は、わざとらしく頭をかいて照れるポーズをして、それを見て皆が笑って、僕も笑いました。


中西先生が急死したのは、2014年の8月18日、丁度今頃。仮に、前の日に「人間ドッグ」を受けてても分からない病気だったそうです。

 

・火曜日

今日から夏休み明けです。ムンクの髪の手入れから。

まずは帽子を外します。

ブラシをかけます。

2種類のブラシを使い分けます。

そして帽子を被せます。

リボンを結んで。

出来上がりです。

仕上げは、受付の羽田さんにやってもらいました。

 

・水曜日

診察室のポスターを貼り代えて模様替えする。
皆さんの正面。

入り口は、佳子さまコーナーに。

逆側は、ウルトラマン。

診察テーブル周りは、ゴジラ映画。

 

・木曜日

クリニックの待合室のBGMは、僕が選曲してシャッフルして流してますが、時々、曲を入れ替えます。アニソンやアニメのサントラや歌謡曲に混ぜて、この夏は大瀧詠一の特集をしてましたが、今日それらを変えてみました。

大瀧詠一から新たに吉田拓郎を入れてみました。皆さんは気付くでしょうか?

 

・金曜日

研修医に成り立ての頃、無断欠勤がバレて、ペナルティーで「2週間連続当直」になりました。
医者の当直は、翌日も勤務です。
当直室で仮眠して、呼ばれたらすぐ病棟や救急外来に行くのが仕事。
だから、運が悪ければ、2週間まともに寝れないのです。
でも僕は、へこたれたりしませんでした。それは、「2週間、当直室から家に帰れない泊り込み」という状況が、「日本一のホラ吹き男」の植木等みたいだと思ったからです。

映画で、臨時雇いで会社に入った植木等が配属された部署は、会社にとって何の意味もない古い書類の整理をやる場所です。
「ここじゃ、いくら頑張っても出世はないよ」と先輩から言われます。皆、やる気がありません。
しかし、植木等は、底抜けに明るいテンションで、張り切って、荷物をまとめて会社に泊まり込み、仕事をします。
「そんなにまでして残業代が欲しいのか」という皮肉にも、「いいえ、残業代はビタ一文、いりません」と言って、1人で、書類を全部、片付けてしまいます。
労働組合は残業して残業代を取らないことを問題視し、同じ職場の人間達は「仕事がなくなってしまった」と不満を漏らします。
会社は仕方なく、植木等を他の部署に係長待遇で異動させします。ここからホップ・ステップ・ジャンプ!
東京オリンピックの直後の映画で元・三段跳びの選手だったという設定の植木等は、三段跳びの様に出世して行きます。

僕も植木等のマネをして、家から色んな物を当直室に持ち込みました。
浅草のマルベル堂で、クレージーキャッツのブロマイドをオーダーメイドで引き伸ばしてもらいました。
それを当直室の壁に貼りました。
陰気な当直室が、まるで僕の1人暮らしの部屋みたいに衣替えしました。
評判を聞いて、看護婦さんや他科の研修医も覗きに来ました。皆、「お~」って感嘆しました。
この時の特注ブロマイドは、今もカワクリの待合室のテレビ側のソファの方に貼ってあります。

これは最大限に引き伸ばしたから、ラミネートが出来ない大きさで、結構、ボロボロになってしまいました。
それを当時の受付の大平さんが、補修してくれることになりましてポスターを一時、撤去。

処置室に移動して、テープで切れ目を丁寧に貼ってくれました。

綺麗に出来上がりました。

受付の仕事は多岐に渡りますね。

話を「2週間当直」に戻しますね。
丁度、半分の1週間が終った時点で、調子に乗った僕は、「トニー谷」のブロマイドの特注も発注しました。
そのニュースに異常に反応した人たちがいました。
それは誰だと思いますか?
正解は、病棟のナース達でした。
女性には、つらそうな姿をアピールするより、気丈に明るく振舞った方が母性本能をくすぐることもあるようです。
ナースは一丸となって、僕の味方をしてくれました。
彼女らのナイチンゲール精神は組織立って、医者や教授や医局長に「いくら何でも可愛そうだ」と意義を申し立てました。

「過重労働でミスが起きたらどうするつもり?」
「川原先生だから笑って仕事が出来ているのよ」
「いえ、ああ見えて、顔で笑って心で泣いているのよ」
「あぁ、いじらしい」
「それに比べて、他の医者は川原先生に仕事を押し付けて、楽をしてるのよ」
「他の医者は、ズルイわ」

などと、本来、僕が無断欠勤したのが問題なのに、矛先が他の医者に向いて、実際は、僕は研修医だったから、当直には必ず上級医の先生が日替わりで付いていて、「2週間当直」というのは、半分、洒落で、つまり、学生気分の抜けない僕に社会人の厳しさを教え込ませるための親心であり、問題を大きくしない配慮だったのです。
それは、2週間、日替わりで色んな先輩から、生の知識を吸収できるチャンスを用意してくれたものでもあったのです。
そんな内輪なはからいはナースには通じません。
彼女らは、川原先生を守るためにはストライキも辞さず、の構えです。
病棟でナースにストなどされたら、大変です。
医者が、検温や配膳や採血や保清など、駈けずり回らなければならなくなるからです。
ナース・コールも医者がとる事態になります。
これには上層部もあわてて急遽、僕のペナルティーは1週間で解除されました。
そして、医局長はナースの前で、僕を労う為の1席を自腹でもうける約束までさせられました。
憎憎しげに、医局長が、「川原君、何を食べたいんだ?」と僕に質問しました。
僕は、「うなぎ」と高級な鰻屋の名前を告げ、「個室で、コースにしてね」と答えました。
ナースを納得させるには、こういうのが最善の策でした。
そして、僕と医局長は週末、本当に二人きりで、鰻屋の個室でコースを食べたのでした。何を言いたいかと言うと、カワクリの空間作りのルーツは、この2週間連続当直に起源があったと思うのです。

 

・土曜日

高校の頃からつけていた夢日記に、時々、挿絵も添えていたから、それらをアトランダムにピックアップして、当時の受付スタッフの大平さんに塗り絵をしてもらい、コメントもつけてもらいました。

・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月:川原少年19才の作品)


カラス貝は黒?色っぽいは何色?紫かな・・・

・手のひらを太陽に(1982.1月:川原少年19才の作品)


こういうポスター学校とかに貼ってありましたよね。

・小田急線のひとコマ(1982.2月:川原少年19才の作品)


この絵、座ってるとこ上手くかけてますよね。

・本厚ちゃん(1982.3月:川原少年19才の作品)


かわいくしたかったのに無理でした・・・。

・伊代はまだ(1982.8月:川原青年20才の作品)


腕が長いですね。先生が20歳の頃、松本伊代が流行っていたんですかね。

・天才の誤算(1982.9月:川原青年20才の作品)


靴が素敵なんですよ。

・テスト前日(1982.12月:川原青年20才の作品)


こういうよく分からない絵を塗るのって楽しいです。

・カルピス(1983.5月:川原青年20才の作品)


カルピスのボトルに書いてある帽子をかぶったやつが可愛い!!

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月:川原青年20才の作品)


理科室のガイコツ懐かしいですね~

・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第3位。

・野球大会(1983.8月:川原青年21才の作品)


先生の書くドラえもんは丸くない!

・クリスマス・イブ(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の絵の中で1番かっこいい絵だと思います。

・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第1位。

・すっかりトロピカル(1985.7月:川原青年22才の作品)


陽気な感じと南国な感じが夏にピッタリの絵です。

・明日のイブはRC(1985.12月:川原青年23才の作品)


8時42分に何が起こったんでしょう。

・直ちゃん(1987.6月:川原青年24才の作品)


これは塗りやすい絵だったんですが、サインペンで色を塗るのは難しくて、
色鉛筆にすぐに戻しました。

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月:川原青年24才の作品)


私も白い服にシミができた時こんな顔します。

・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月:川原青年24才の作品)


「ユキヒョウはどこにいるんですか?」と塗っている時に不思議でしょうがなかった絵。

・大船観音がくずれた(1987.7月:川原青年24才の作品)


観音様のお顔だと気づかず、先生に言われて気づき塗り足しました。

・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月:川原青年24才の作品)


真ん中の子にと左の子にかわいさをプラスしました。気づきましたか?

・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月:川原青年24才の作品)


この絵のタイトルを知らない人から「31アイスみたいだね」と言われ
塗り絵レベルが上がったと実感し嬉しくなりました。

・気がつけば兵隊(1987.7月:川原青年24才の作品)


みんなの表情がいい。

・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月:川原青年25才の作品)


また、アイス!後ろの2人は羨ましがってるのかな。

・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月:川原青年25才の作品)


ダチョウ(くじゃく)って全然違う鳥だけど・・・

・僕は照れる(1987.8月:川原青年25才の作品)


川原先生はいったい何に照れたのか?

・新宿地下の靴専門店(1987.8月:川原青年25才の作品)


この失明者用の靴は指の先が触覚の様に動くと先生が説明してくれました。

・念力(1987.9月:川原青年25才の作品)


念力は見えないから何色にしようか迷いました。

・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月:川原青年25才の作品)

渡り廊下だと気付かず、カラフルにしてしまいました。
ちなみにこの絵左側にいるのは川原先生で
研修?授業?かなにかをさぼって帰るところのだそうです。
手に持っているのは白衣だと言っていたのですが、
私には抱き枕かぬいぐるみに見えました。

・脳外科はじまる(1987.9月:川原青年25才の作品)


これは一体何でしょう???

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月:川原青年25才の作品)


これ、色を塗っていたらよく分からないパーツがあって、そこだけ着色しませんでした。

・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月:川原青年25才の作品)


わかめ・・・

・宙に浮く機械(1987.10月:川原青年25才の作品)


宙に浮く機械!夢っぽいですね。

・すいみんやくが欲しい(1987.10月:川原青年25才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第2位。

・明るく生きるコト(1987.10月:川原青年25才の作品)


川原先生はカラフルなボーダーが好きらしいです。

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月:川原青年25才の作品)


記念写真にオバQ写ってたらおもしろいですよね。

・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月:川原青年26才の作品)


いい夢ですね~。ウサギに乗ったらもふもふなのか。

・すべては幻想である(1989.1月:川原青年26才の作品)


ヒョーロン家が怪しい。

・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月:川原青年26才の作品)


三角関係ですかね!!!

・世代交代の口約束(1995.3月:川原中年32才の作品)


先生の描く力士はなんだか可愛い。

・2002.8月6日からの夢日記の表紙:先生不惑の40才の作品


【塗り絵を終わって~大平さんの総評】
この夢の絵に色づけするとき『これは何だろ?、川原先生の夢だからこんな色でもいいかな』と、
タイトルを教えてもらうまで何の絵かも分からなかったり、
普段の私だったら使わないような色で塗ってみたりという絵がたくさんありました。
自分じゃない誰かの絵を塗るのって面白いですよね。
それが川原先生の描いたなんか可愛くて奇妙な夢の絵だからもっと面白い。
何ヶ月かのあいだ、受付業務の合い間のちょっとした楽しみの1つでした。
この夢の絵の中には
私より若い頃の先生が描いた絵もあるんですよ・・・。
なんだか不思議な気分になりますね。

 

次号へ続く。


素敵な休日〜2025夏休み(8/10~8/18)

8/9(土)

今日で夏休みに入ります。お誕生日に後輩の女医さんから頂いた「ハムの詰め合わせ」の焼豚をつまみにドジャースラベルの八海山を飲みます。

8/10(日)

大岡山の日本料理屋へ。


アワビの口の梅肉和え。アワビ30個分くらいの「口」だそうです。

アワビの塩蒸し。つるむらさき。さつまいも。


かぼちゃのスープ。


お刺身は、すずき・はた・つぶ貝。


天ぷらは、もろへいや・万願寺唐辛子・ヤングコーン。


さざえ壷焼き。


ナスのオランダ煮など。


とろろ麦飯。


自家製水羊羹と沖縄のパイン。


8/11(月)山の日

・エネルギー療法。
・談志が癌を告白した時のビデオを発掘しました。僕がたまたま見に行ってた新百合ヶ丘での落語会の後の取材で、居残り佐平次、をやった時でした。談志62才、今の僕より年下です。

8/12(火)

・人間ドッグ。特に異常なし。

下は昔、撮った「人間ドッグ」のポーズ。

8/13(水)

・美容皮膚科へ。
・今年はどこにも旅行に行かないから、15年前にハワイに行った時の記録から。思い出話など。

浮輪で漂っていると、どんどん沖に流されて行ってしまい、怖いのでなるべく浅瀬に滞在する。立って、ヘソくらいの波でも、腹這いになってれば頭を越える大波だ。浅瀬で溺れる。
泳げないことにコンプレックスを持ってる人に朗報。吉田拓郎もカナズチです。
僕は、それを小学校の時に知って、とても気が楽になり、それ以降、まったく泳ぎの練習をしなくなった。
そういえば、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンも泳げないらしい。
娘が、同様に浮輪を持って海に出るが、彼女は勇敢でどんどん沖の方へ行ってしまう。
小学校の頃、スイミング・スクールにも通っており、僕とは違い、泳ぎには自信があるのだ。海を満喫している。
1時間くらい経過して、一向に帰ってくる気配がない。
もしかして、戻れなくなったのではないか?
風が凪ぎ、波が沖へ沖へと物体を引き寄せているのかもしれない。
さっきまで娘の浮輪の目印のグリーンの付近にたくさんいた他の遊泳者達も遠ざかり、娘の現在地を示すグリーンは、太平洋にひとりぽっち、ポツンと浮かんでいる。
自分から助けを求められない、内気な子だ。
不安でも周りに声をかけられない、それどころか外見は平然として見られてしまう。
まだ陽は高いが、人間はこんなに長い時間、海に浮かんでいて楽しいと思うのか?
ライフセーバーの位置を確認する。
砂浜から、娘の名を呼んでみるも届かない。
望遠で写真を撮ってるカメラマンがいるからレンズをのぞかせてもらって表情を確認する。
いくら泳ぎが達者とは言え、魚座生まれとは言え、足がつってしまえば使い物になるまい。
砂浜から、娘の名を念じ気を送る。
いよいよ、娘のグリーンの浮輪は、沖へ流されて行く。
娘を助けなければ。
娘を助けに行こう。弟が、目測で50~100mの距離だ、と言う。弟は泳ぎが達者だ。
娘同様、小学校時代スイミング・スクールに通い、色んなトロフィーをもらって帰ってきていた腕自慢だ。
娘を助けるべく、僕は黄緑の浮輪をくぐり、弟に娘の所まで泳いで連れてってもらうことにする。
弟に、ビートバンの要領で、浮輪の僕をバタ足で押させる娘・救出作戦だ。
妻によく沖で観察し、もしグリーンや黄緑の浮輪が見えなくなったり、たとえばサメの背ビレが見えたら、あそこのライフセーバーに連絡するよう言い残す。
妻は弟に、1人で行った方がいいんじゃない?、などと言う。
それは、ちがう。
主は1匹の羊が迷ったら残りの99匹をその場に残してでも探しに行くと聖書に書いてあるではないか。
一家の長である、私が行かない訳にはいくまい。
僕は、自ら浮輪をかぶりスタンバイOK、弟の動力で娘のもとへ泳ぎ出す。
僕が方向を「12時の方向」、「11時の方向」、「1時の方向」と指示を出す。
風は逆風、波も我々救出班を岸へ押し戻そうとする。
必死に押す弟が、「進まない、遠い」と弱音を吐く。
オレも体重を前にかけ、波に負けないように体重移動、波の抵抗を和らげるべく波に向かって体を45度に舵取りして、弟に「がんばれ!」と叱咤激励を飛ばし、自らもフル稼働で足を動かすも、お風呂で遊ぶアヒルのおもちゃのごとく微力だが、気合を伝えるには十分で、弟は英雄的に力を発揮、波を追い抜き浮輪は前進。必死の形相、男らしく育ったものだと感慨。
娘のグリーンの浮輪が近付く。
娘の名を呼ぶ。2度、3度。
すると、娘はこちらに気付き、手を振る。
SOSのサインか?
娘の名を呼び続けながら、手招きすると、彼女は勇気百倍になったか自力でこちらに泳いでくる。
「何?」と言う。
潮に流されてるのではと心配して救助に来た、と伝えると、娘は安堵の照れ笑い。
僕の「砂浜へ戻るぞ」との号令に従い、彼女はスイスイと先に泳いでいく。一安心。
一方、弟は、「重い重い、浮輪が邪魔だ」と嘆きながら、今度は方向転換、
必死で今来た道をUターン、砂浜に父を無事に送り届ける任務にミッション変更。
そんな弟に、いかにお前のとっている行動が人として素晴らしく、縁の下の力持ちとは男らしい美学なのだ、ということを噛んで含めるように言って聞かせながら、足がつく所までくれば、こっちのもの。
右足で砂浜をギュっと掴むように立ち、左足も前に、両足でしっかりと立てた。
もう大丈夫だ。
オレは、振り返り、疲労困憊の弟の手を握り、ご苦労様、と引っ張るようにすくいあげる。
ここだけ見たら、オレ、ヒーロー。
とにかく、皆、無事で良かった。
足の砂を洗い流してホテルの部屋に戻り、一休みして、おなかが空いたので焼肉を食べに行く。
その席で、弟に、泳ぎの不安はなかったか?、と聞くと、「自分が溺れたらどうしよう」と心配だった、と言った。
「人生は、多くの場合、慎重にしておいた方が無難だ。しかし、あの場面で泳ごうと決意したのはとても立派なことだ。男らしく育って、お父さんは鼻が高いぞ」と誉め、
「今日のMVP」の称号を与えた。

8/14(木)

中野ブロードウェイの「墓場の画廊」で「漂流教室」のポップアップストアがやってるからSS♡Tで外出。
その前に、餃子屋のダンダダンにも行きました。アニメ「ダンダダン」とコラボしてました。

コラボドリンクは、アイラの苺ソーダを。

コラボ限定特典は、餃子型ピックと、

オリジナルイラストカードです。

怪奇満腹セットの「ダンプリンじゃんよ!!」です。

ここからは「墓場の画廊」。

再現場面です。

グッズコーナー。

ここからは画廊です。

ここからはディスプレイです。

クオリティも高すぎます。ちぎれた手まであるとは。

ムンクとラスプーチンも記念写真。

これは胸熱ですね。

ムンクとラスプーチンも。

お土産に自分用のTシャツと、ばらまき用の「お守り」を10個くらい買いました。

その後、「まんだらけ活動写真館」に立ち寄ると「ニッポン無責任時代」のスピードのポスターを発見!即購入!!
新宿の世界堂で額装する。良い買い物が出来た。

8/15(金)

美容院。
夏の終わりですが、髪色をスイカ・ニューバージョンにしました。

前と同じではつまらないので、こんな感じ。

ムンクは待ち疲れてしまいましたね。

美容師さんのアイデアで眉毛も三色なのです。

8/16(土)

浅草へ行きました。
六区で電柱に飾られる喜劇人たちの写真を撮りました。
エノケン。

ロッパ。

シミキン。

バンジュン。

ビートたけしの師匠。

植木等が憧れた由利徹。

寅さん。

てんぷくトリオ。

東MAXのお父さん。

ウクレレ漫談。

欽ちゃん。

その足で、ロック座へ。

開演前に行ったのにすでに長蛇の列。


8月のテーマは「ファンタジーリーグ」。僕の推しの出演順は3番目で魔法少女「まどマギ」風のパフォーマンスを披露してくれたから、初回公演と2回目公演の推しの番まで観て帰る。

浅草と言えば、神谷バーですね。メンチカツと煮込みで電気ブランを5杯と電気ブランのカクテルを2杯飲んだら前後不覚。タクシーで帰りました。

一階はビアホール、二階はレストラン形式になってるもののメニューはほぼ同じだから2階が静かでいいです。

メンチカツ。

このカクテルが結構、来ます!

8/17(日)

クリニックの納涼会。心理の3人と行きつけの寿司屋で行う。まずは僕が「漂流教室」のお守りをあげる。

3人を写す僕が映されています。

3人お揃いで、漂流教室のお守り。

歓談の時間。

4人で全員集合です。

だだちゃ豆。

鯵のたたき。

あばれ鮎。

万願寺とうがらし。

ハモの湯引き。

今年の、さんまは良いようです。

漬け。マグロとカツオ。

数の子。

8/18(月)

・内科。
・エネルギー療法。
・大岡山落語会。

こんな夏休みでした。
次号、「日刊ムンク」に戻ります。


欠点のない人間はいない〜日刊ムンク⑲

暑いですね。

「プンプンは夏は暑いので嫌いです。けど、冬になったら冬は寒いので嫌いです。…そうです。要するに今が一番嫌いなのです。」 [7巻]

 

~前回までのあらすじ~

 

中1の頃から川原のそばにいるドールの名前は「ムンク」。

テディベアの第一人者の作家さんにリペアをお願いしたら、川原の「守護」を祈るクマ「抱き熊スーティー」をくれる。名前をラスプーチンにする。

生まれ変わってムンクが帰って来た。

ムンク・川原・ラスプーチンのトリオ名は「SS♡T」。成長して行く「SS♡T」の成長譚「日刊ムンク」の第19弾。

 

・日曜日

奥沢に新しく「おにぎり屋さん」が出来ました。カウンター席はいっぱいだったのでテイクアウトしてきました。

いっぱい買いました。

僕は、筋子・鮭筋子・わさび昆布・鶏そぼろ卵黄です。たくあんつき。

ふわふわしてて崩れやすいですが、こういうのが流行ってるのだそうですね。

お酒のつまみに誕生日にもらった「ハム」を切ってもらいました。

僕は普段はウスターソースをかけて食べるのが好きなのですが、試しに一口食べたらめちゃウマくて何もつけずにハムのまま食べました。

 

・月曜日

新宿のタカノフルーツパーラーへSS♡Tで初来日です。

まずは、ローストビーフサンドを食べます。

そして今はモモのフェアなので、桃のプレートデザートを頼みました。

別角度から。

ジュースの上にケーキが浮かび、周りを桃やゼリーやアイスが彩ります。

メルヘンですね。まるでシンデレラのかぼちゃの馬車です。

 

・火曜日

僕に出来ないことは色々あるが、男子として割と恥ずかしい欠点は、「泳げないこと」と「自転車に乗れないこと」だ。僕が自転車に乗れない理由は、母のせいである。
兄やいとこ達と自転車で遠くに行くという企画があった時、母は「達二は行かないわよね」と哀願した。だから、僕はそれに応じた。

とは言え、その後も自転車に乗れるようになるチャンスはいくらでもあった。
いつの時代も練習を手伝ってくれる面倒見のいい友人はいるもので、「タッちゃんは運動神経がいいから、すぐ乗れるよ」と励まし応援してくれたが、てんで乗れなかった。まるで母への忠誠心を言い訳にしてるみたいだが、僕はやれることとやれないことが極端なのである。

これも母のせいにしてしまうのだが、いわゆる家事というものが一切出来ない。
これも多分、母が自分がいなければ何も出来ない子供に仕立てて、所有物みたいにしたせいだと思う。
こないだサランラップを切ろうとして、指を切った。
耳掃除は母が楽しみにする作業だったから、自分でやると加減がわからず必ず出血する。このあいだ耳鼻科に行って耳掃除をしてもらったら、やんわりとお医者さんから、「このくらいのことで来ないで下さい」と言われた。
家に帰って、爪を切ったら、深爪した。

そんな僕にとって大学生になって家を出たことは、物理的に母と距離をとり、自立するチャンスだった。
しかし、悲しいかな人間は、同じようなことを相手をかえて繰り返す。
一人暮らしをしても家事など出来ないのを知ったクラスメートの女子が、医学部は面倒見のいい人が多いから、ローテーションを組んで、掃除や洗濯をしに来てくれた。
その後も季節が変わるように関係性は変わるが、身の回りのことをしてくれる男女が途切れることなくいたから、僕はいまだに食器の洗い方や洗濯機の回し方や衣替えやATMの使い方や小包の出し方を知らないし、地図も読めない。

そんな不器用な僕がムンクの髪の手入れを、受付スタッフの手を借りながらだが、していることは我ながらすごいことだと思っている。
ウイッグが取れてしまっています。

一回、全部外します。

ウイッグの絡んだのをほどきます。

ウイッグを頭に乗せて誕生日にもらったReFaのハートブラシをかけます。

帽子の位置を定めます。

リボンを結んで、

なんとかここまで出来ました。

仕上げは、文化部長のスーちゃんにお願いしました。やはり女子は上手ですね。

 

・水曜日

泳げないことは、中学の時、吉田拓郎も泳げないと知って、「だったら俺もいいや」と、早々に投げ出した。

日本のフォーク系ミュージシャンには泳げない人がたくさんいて、六文銭の及川恒平はお風呂も怖いらしい、とラジオで拓郎が笑って話してたのを、僕も笑って聴いていた。

 

・木曜日

そう言えば、フィギュアスケートの羽生結弦が「自転車に乗れない」と告白したニュースを知った。
僕はもう大人だからいいが、僕と同じように自転車に乗れなくて肩身のせまい想いをしてる男の子がいるとしたら、僕にとっての吉田拓郎のように、免罪符としての効果があるのではないかと思った。
「羽生結弦と同じならいいや」的な。

 

・金曜日

よく結婚相手に母親と似たような人を選ぶというが、うちの奥さんと母は全然似てないと思う。
ただ、やはり家事という点においては、僕に何もさせないから、結果的に身の回りのことは完全に奥さんにやってもらってる。奥さんと母は似てないが、僕と奥さんの関係と、僕と母の関係はとてもよく似ている。
移動手段として自転車に乗れない僕は自動車にも乗れないので、自家用車は奥さんが運転している。
僕はたまに助手席に乗るのだが、うちの車の車種が何だかも知らない。
車にまったく興味がないので、ポルシェとカローラの区別もつかない。

下は、僕が分かる唯一の車、「恐竜戦車」。

 

・土曜日

土曜日は混むのでお昼は受付スタッフが買って来てくれます。今日は「餃子の王将」で、バカボンのパパが好きな「ニラレバ定食」です。

せっかく「餃子の王将」なので、餃子も食べたいです。「ニラレバ炒め」の残ったタレをつけて食べるとウマいです。

さて、明日からはクリニックの夏休みです。8/10(日)~18(月)までがお休みなので注意して下さいね。

ドリームケースのファスナーが開かないようにスーちゃんが工夫をしてくれました。

これなら歩いてるうちにチャックがズレてしまっても最大でここまででストップするから遠出も安全です。

ではまた次号へ続く。


文化部通信~その陸拾捌~

こんにちは、文化部通信68弾。文化部長スーです。

夏の暑さにバテて頭が働かず、ブログに書く内容がないよう・・と頭を抱えていたら、先生が「コレ開けてもいいよ」と神の手を差し伸べてくれました。

先生が先日行った「赤んぼ少女」のPOP UP SHOPで買ったアクリルキーホルダーです。さっそくお言葉に甘えて全て開封しました。

表情がいいですね。

闇夜に”ぴかっ”と光るキーホルダーも。
これは夜道も安心して歩けますね。

そもそも皆さん「赤んぼ少女」は知ってますか?

楳図かずおがのマンガで、”乳児の姿のまま成長しなかった怪物に執拗に襲われる少女の惨劇を描くサスペンスホラー”です。悪夢のようですね。
でも、なんだかゾワッとしたら少し涼しく感じてきたような・・。
せっかくなので、夏のカワクリ~ホラー編~を紹介します。

水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎/悪魔くん」

伊藤潤二 「双一」

ポケモン「ゲンガー(ゴーストポケモン)」

クリニックにもホラー漫画はあります。

「死人の声をきくがよい」
日常に忍び寄る恐怖と狂気を描き出す正統派ホラー。
ストーリーも面白くて何より早川さんが可愛い。

「不安の種」
日常からわずかにズレたところで不気味な怪異が生じた瞬間を鮮やかに切り取ったオムニバス・ホラー。1人になるのが怖くなります。

「血の轍」
不安定な母子の関係を描いてます、サイコホラーというのでしょうか‥。

「タコピーの原罪」
色々な問題を抱える少女・しずかとタコ型地球外生命体・タコピーの交流譚。
無垢なタコピー視点が、残酷さを引き立てます。

ホラーといっても色んな種類のホラーがありますね。
皆さん、今年の夏の暑さを乗り切るために、ホラーの力を借りて”ヒヤッ”とするのはいかがでしょうか。

~文化部通信アーカイブス~
掘り起こしのイラストをどうぞ。

8月生まれの10人のイラストです。

1「田村正和 8/1」

2「菅原文太 8/16」

3「オバマ元大統領 8/4」

4「ホイットニー・ヒューストン 8/9」

5「黒柳徹子 8/9」

6「桂小五郎 8/11」

7「貴乃花光司 8/12」

8「菅原道真 8/1」

9「中居正広 8/18」

10「マザーテレサ 8/26」

 

先生のWOWOWシリーズが来ましたね!
シルエットだけなのに、なぜかホイットニーヒューストンに見えて来ますよね。

今年の24時間テレビのドラマが黒柳徹子さんの人生ドラマに決まったそうです。
なんと徹子さん役は芦田愛菜ちゃん!魅力的なドラマに仕上がりそうですね。もちろん情報元は川原先生。いつも最新の愛菜ちゃん情報をどこから入手しているのでしょう…。色々なアンテナをはっていてすごいな~。
私も、夏バテしてる場合じゃないですね!夏の間にやっている、気になっていた展示のチケットを予約したのでコレを楽しみに乗り切るぞ~!!