今月はお誕生日月。この記事も「心のゴミ箱」兼用です。
11/Ⅶ.(木)2024 雨 2024サンリオキャラクター大賞いちご新聞ランキング(いちご新聞に届いた票だけを集計した)結果1位は「ハローキティ」。シナモンは4位。
昨日22時からAbemaTVの生放送で石丸伸二と成田先生が酒を呑みながら雑談してる番組が面白くてついつい夜更かしした。今朝、テレ朝の「グッドモーニング」で元アイドルの局アナがインタビューしてるコーナーでは冗談言ったりして。選挙後のキャラだと延命は難しいと思ってたら見事なキャラ変。「石丸構文」なるものまで出来て「小泉進次郎」に並ぶ人気者に。社会学者?古市氏とのやり合いをネタにされ「サブウェイで注文出来るの?」とネットで騒がれてるが、さすがネットを駆使した選挙戦術の石丸氏だけあって、昨日のリハック(アベマの番組)でも、「(酒の)つまみ買って来ますか?」に「サブウェイ行こうかな?僕よく行くんですよ」と自らネタにする柔軟性。それよりやはり問題は成田先生で一人でヨッパライ「乱入した」N国党の立花孝志と石丸氏のバチバチしたやりとりを茶化し、「紳士的ですね」「恫喝しないんですね」「常識人なんですね」「国民の皆さん、安心して下さい。常識人でも頑張れば、サイコパスのふりが出来ると分かりました」と普段の二人の姿勢と「今日の」態度の差をあざ笑った。面白いものをみせてもらった。
さて、突然ですが僕は「干しぶどう」が嫌いです。それには深い訳があります。
その理由は小学校の低学年の頃にさかのぼります。
「くどう君」が、お父さんの転勤で「ロンドン」に引っ越すことになった。僕の田舎は茅ヶ崎で海外に転校する子は珍しかった。「くどう君」と僕は仲が良くて、引越しが決まってから、僕は「くどう君」の家に遊びに行った。「くどう君」の両親は不在でおばあちゃんが家にいた。
僕と「くどう君」が遊んでいると、おばあちゃんが麦茶とおやつに「干しぶどう」を差し入れてくれた。「干しぶどう」は、白く丸い皿に並べてあった。時は、真夏。「くどう君」のおばあちゃんは、昭和40年代当時のおばあちゃんとして平均的だったと思うが、白いノースリーブの下着のような服を着ていて、かがんで皿を置く時に胸元から谷間が見えた。「くどう君」のおばあちゃんはノー・ブラだったから、垂れ下がった乳房とその先に萎んだ乳首が見えた。僕は、その垣間見えてしまった「くどう君」のおばあちゃんの乳頭と、皿の上の「干しぶどう」が同一の物に見えた。それで、「食べろ、食べろ」というババァに吐き気がして、それ以来、「干しぶどう」を見ると老婆の乳首に見えてしまい菓子パンに「干しぶどう」が乗っていたら食べれない。ピラフに「干しぶどう」が入っていたら顔をそむけた。
その頃の僕は、過敏になっていて、「干しぶどう」だけをよけて食べるのも無理だった。接触してるということは、汚染されてることを意味したから。それだけで、全部アウト!ちょっと高級なレストランに連れて行かれ、気の効いた料理に「干しぶどう」が入っていたら僕はそれに手をつけなかった。
僕はそういう子だったので、親は別に理由も聞かないで放っておいてくれたので、今思えば感謝してる。さすがに僕も大人になって、今では、何秒以内に「干しぶどう」をよけたらセーフ、という独自のルールを作り、おかげで食べれる料理の幅も広がった。
話を「くどう君」に戻そう。「くどう君」のお別れの会。女子たちは皆、泣いていて、中には、「くどう君、行かないで」と無責任なことを言う奴もいた。ま、子供だから仕方ないか。でも、担任は大人なんだから、しっかりして欲しい。クラスの空気は、「くどう君、行かないで」一色になりかけてたのに、あの先生は何もしなかった。そして、目で僕に「この場をなんとかしろ」みたいな合図を寄こした。僕は、<ここはお前の仕事だろ>と視線で返した。
でも、流れからしょうがない。僕は皆に向かって、<そんなこと言ったって、親の都合だからしょうがないだろ>と言った。一瞬で、「そりゃそうだ」という雰囲気になった。そして、僕は、<ロンドンには、ドンドン行け!>と「くどう君」の背中を叩いた。「くどう君」は、2・3歩、よろけてから、振り返った顔は涙まみれで、「タッちゃんは、大人びてるなぁ」と笑った。それが、「くどう君」の最後の笑顔だった。…って、「くどう君」、死んでないし!
真夏の「くどう君」と「干しぶどう」の思い出でした。