心の護美箱⑱~アーカイブス「電話の話し」

30/Ⅳ.(木)2020 はれ 9月に新学期?

今日は、令和2年4月30日です。去年の今日の日付を言えますか?正解は、平成31年4月30日です。
令和元年は、5月1日からですから、4月30日までが平成だったのです。
平成最後のブログ記事も偶然ですが、「心の護美箱」でした。

心の護美箱⑰がいっぱいになったので、⑱を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
つまり心に溜め込んでるものを、捨てる、ゴミ箱、のようなものです。非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。

最近はコロナで自粛生活を皆が頑張っていますが、「オンライン飲み会」とか「ズーム飲み会」とかあるそうで、お家にいながらテレビ電話で一緒に飲めるそうで楽しそうです。オンライン飲み会に必要な物は何だかわかりますか?刺身です。オンラインだけに回線(海鮮)が必要だから、です。「ねずっち、のです」と、最近、ユーチューバーになった、ナイツの塙がやってました。僕ももう少し機械に詳しいか、友達がいればやれたのにな、と残念がりながら、今回は電話の記事のアーカイブスにしてみました。↓。

18/Ⅳ.(木)2013 はれ
今年から、東京都精神神経科診療所協会(東精診)というのに入会した。
いや、させていただいた。
その勉強会が、13日(土)にあり、テーマは「精神科救急」関連のこと。
翌日の、14日(日)は、「こころの電話相談」の当番をした。
15日(月)は、月1の精神分析の研究会と、この休みは、精神科一色だった。
多分、皆さん、知らないと思うので紹介しますが、東精診では毎週日曜日に無料の電話相談をしています。
それは入会している診療所の「精神科医」が、当番で担当しているのです。
心理士やケースワーカーではなくて、精神科医がやっているのが貴重だと思います。
実は、僕はこのサービスを入会するまで知らなかったのです。
つまり、あまり知られていないと思う。なので、ここで宣伝しましょう。
東精診のホームページを開いてもらうと、左端に「こころの電話相談」という囲いがあります。
そこをクリックしてみて下さい。
毎週日曜、PM2~5時まで、対応しています。
これは、当番の数日前にクリニックに宅急便でそれ専用の携帯電話が送られてくるのです。
僕は、自分がその当番だと知りながら、本部か何かに行ってやるものだと勝手に思い込んでいたから、
電話機が送られてきた時には驚いた。
前の当番の先生が次の当番の医者に直接、送るルールなのだ。
伝票には、「電話機」と記されている。
僕は、説明文をよく読んでなかったから、電話機の送り主のクリニック宛てに直接電話して、
「そちら名義で、時限爆弾みたいな謎の電話機が送られて来たのですが、こ、これ、心当りありますか?」ってあわてて聞いちゃった。
そしたら、そのクリニックの受付の方は、朗らかで、親切に、「きっと、電話相談の当番ではないですか?」と教えてくれた。
そこで、やっと気がついた。お恥しい。前のクリニックの先生、失礼いたしました。
今後とも、よろしくご指導ご鞭撻の程を。
で、電話相談である。
相談は、3件あった。
これが「多い」のか「少ない」のかの判断は微妙だ。
試しに、ヤフーで「こころの電話相談」と検索してみたら、少なくとも10頁以内には見つからなかった。
岡山や広島や宮崎や埼玉はあったのに。宣伝不足なのかな。
なので、ここで紹介して、少しでも認知度を上げようと、記事にしている訳です。
無料相談ですが、通話料だけはかかりますので、念のため。

そうそう、電話で思い出したのだが、僕が高1の時、学習塾で知り合った女の子にやたら長電話をする子がいた。
その子は電話魔で、一時期、毎日のように電話がかかってきた。
当時は、携帯電話などない時代で、家の電話にかかってきた。それで、平気で2~3時間、喋るのだ。
内容は、どうでもいいことばかり。
たとえば、世良公則&ツイストの新曲について、とか。
先日、古い日記を見ていたら、架空の電話のシナリオを発見した。
それは、その子に電話する前に、僕がシュミレーションしたもので、数頁にわたっている。
シチュエーションは、僕が電話をするところから始まっている。
僕はその子の長電話には慣れっこだったのだが、自分から電話をするのは、緊張したのかな、そんなものを作って。
こちらが話しかけて、相手の答えを想像して、話が進んでゆく台本なのだが、
実際には、「一言目」から想定外のフレーズが返ってきて、無駄に終った想い出が残ってる。
僕はその子と塾の友達たちで海水浴に行ったことがある。
その子は、高1のくせに真っ赤なビキニを着ていて、それがまた何とも色っぽくなかったことを、
真夏の強烈な日差しとともに思い出す。
それは、その子の性格があまりに明る過ぎたからだと思う。
その子は、僕をそのグループで「1番可愛い子」とくっつけようと色々とおせっかいを焼いては、すべてを台無しにした。
「私に任せておきなって~」みたいなことを言って、すべて台無し。悪気はないんだよなぁ。
その子のお兄ちゃんは小さな暴走族のリーダーをしていて、その子は、それをとても嫌がっていた。
僕は、「そんなことはどうでもいいことさ」、と電話越に言ったことがある。本当にそう思ったし。
珍しくその子は、黙り込んでいた。
今、思うと僕は、その子のことが好きだったのだと思う。

BGM. ピーターとゴードン「愛なき世界」


フェイス・トゥー・フェイス

こんにちは、スーです。
今日は、文化部通信ではありません。番外編とでもいいましょうか・・。

今、心理士の面接中で、面接と言えば採用する側がみることだけでなく、応募者が採用者をみる、という相互的なものですよね。
あ、これがタイトルの「フェイス・トゥー・フェイス」の意図です。

ですから、あらかじめ川原先生がどんな人かを知っておくための過去の記事を、PCからだと探しやすいけどスマホからだと探しくいので、3つ紹介します。
これは、採用面接のための企画ですが、よく考えたら普段の診察にも使えますね。
初診の場合、ドクターが患者さんの状態をみたてるだけが診察ではなく、患者さんがこの医者に診てもらいたいかどうかを、ジャッジする機会でもあるからです。
そういう意味で、これから受診しようとする方にもオススメです。

僕が精神科医になった訳
女乞食と川原少年のエピソードが秀逸ですね。
「よく聞かれる質問」に答えた記事だそうです。川原先生の熱い気持ちが伝わってきます。

予告ブログ①~「生きること、死ぬこと」
長い記事ですが、根気よく読みましょう。
先生の闘病(ケガ)生活と健気な少女のエピソードが印象的です。
今も約束を守って、禁酒しているのか気になるところですね(笑)

上手な川原達二の作り方
先生のお母さまのエピソードが満載です。
母と息子の独特な空気感が伝わってきますね。喋り口調で物語が進んでいくようでスルスル読めます。先生のお母さまの命日は、今月の19日だそうです。

 

ちなみに、私が田舎から採用面接にきたとき、先生は「ここに田舎からきたの!?」と驚かれました。
私は「こちらに引っ越します」と答えましたが、面接時の先生は、私があまりにも遠くからきたもんで「こいつ東京見物の冷やかしだな」と思ったそうです。
私が面接にきた時の受付はうかいさんでしたが、優しく出迎えてもらったのは覚えてますが、緊張でどんな顔で挨拶をしたのかも覚えておりません。
ただ、院内の様子はブログを見ていたので、「あ、想像通りだな」と思ったよりびっくりせず済みました。なので、この記事も事前情報として役立つのではないでしょうか。

 


恩師への手紙

8/Ⅱ.(土)2020 はれ たけし再婚。

立春をすぎたというのに、めっきり冷たくなりましたね。まるで世間のようです。
洋くんからうかがったのですが、今度の日曜にお会いできるようセッティングしていただけたそうで光栄です。

「12期生」のグループライン(スマホで繋がる閉じられた連絡網)でも、この奇跡のような成り行きを喜んでくれてる声が多く、
「ぜひどんなお話がきけたか公開して下さい」というリクエストもいただいています。

当日は限られたお時間でしょうし、伺いたいことがたくさんあるのです。
僕の今の1番の関心事は「自殺願望のある人」への精神科医の向き合い方です。
我々は今、大変な世の中を生きていると思います。僕は若い頃は「希死念慮」は「病気の症状」だと思っていました。
だから患者さんの訴えにも、ある程度、心的距離を保てて、
「自殺するとまわりが悲しむ」とか「残された人が大変だ」とか「他人に迷惑をかけない自殺などない」と自信満々に説得していました。
でも、近頃は自殺をしたいという人の気持ちがすごくよくわかるのです。

僕は精神科医なので直接「いのち」に関わることは少ないと思ってましたが、年間の自殺者数や夏休み明けの若者の自殺の統計をみると、
むしろ精神科医ほど「いのち」に関わる仕事はないのではないかと思います。

僕はちょっと前、12期生のグループラインで、「苦しまずに確実に死ねる薬(方法)はない?」と尋ねてみたのですが、
さすがに皆医者ですから、あやしがって教えてくれませんでした。きっと知ってるだろうに、ケチですね。
あげく、このラインを管理してる責任者に「川原、変なこと考えていないよね?」と見破られてしまいました…。

僕はプロなので、それでもそういう患者さんがいたら一応自殺を止める訳ですが、そう言ってる自分をもう一人の自分が、
「お前だって、ふと死にたいと思うだろう」とつっこんで来ます。
死んでしまえば残された家族や友人や患者さん達に迷惑をかけるとは思うのですが、それさえ追い詰められた人は「カンケーないや」と思うのではないかと思ってしまうのです。

こんなことを思ってることが伝わったら患者は不安になるかな?と思ってしらばくれてますが、何だかウソをついてるようで心苦しいです。
僕は痛いのや苦しいのはイヤだからそれなら生きてた方がマシだと思って自殺はしませんが、死んでしまった先輩のことを考えることもよくあります。

この他にもお話をお聞きしたいことがあります。「ボクはやっと認知症のことがわかった」を読み終えました。それについてもお話をききたいし、先生が書かれた絵本の感想もあります。
それと僕が新入医局員の年の写真もみつけました。なつかしいから持って行きますね。平成元年のものです。
とにかくもりだくさん。
だから12期生へのメッセージをいただくのを僕が忘れてしまいそうだから、先生、おぼえていて下さいね。

お久し振りにお会いできるのに、先生が僕のことをわからないといけないから見た目のイラストを描きました。
髪の色は虹色にしてたのですが、色がおちて今は黄色っぽくなっています。こんな感じです。

当日、楽しみにしています。
寒いので風邪などおめしにならないようにして下さい。
失礼します。                          川原達二

BGM. 細川たかし「心のこり」


心の護美箱⑯~アイスクリーム・ベイビー

心の護美箱⑮がいっぱいになったので、⑯を作りました。今回は過去の記事のアーカイブスではなく、書き下ろしです。

↓ ↓ ↓

僕の大学の同級生に「アイスクリーム・ベイビー」という子がいました。
僕は学園祭では大酒くらって暴れてるグループで、アイスクリームは「川原君!お酒に飲まれちゃダメよ!」と叱る係り。僕はアイスクリームには弱いから、すぐ大人しくなっていました。
アイスクリーム・ベイビーは、僕がつけたあだ名。いつも怒ってばかりで、「冷たい」けど、最終的には僕に「甘かった」。甘くて冷たいから、アイスクリーム。
僕はあまり真面目な学生ではなかった。アイスクリームは「川原君、授業サボったでしょう」と委員長風に生活指導して来て、「はい…」と反射的に謝ると、「もう!」と怒ってそっとノートを置いてってくれるのです。
Wエンジン・チャンカワイのギャグではないが、「惚れてまうやろー!」。
さて、今回はアイスクリーム特集号ですから、僕のアルバムから彼女のスナップ写真を寄せ集めてみました。

その1.多摩川にて。「アッカンベー」をしておどけるアイスクリーム。「アッカンベー」で思い出すのは、第1回IWGP決勝戦で、ハルク・ホーガンのアックス・ボンバーで場外ノックアウト負けを喫し悲願のIWGPタイトルを奪取出来なかった際の、アントニオ猪木の失神した時の負け様。

負けていながらも相手を挑発してるかのような「アッカンベー」。ローリング・ストーンズのロゴにも通じるロック魂を感じたファンも多かったと聞く。

その2.あだち充の「タッチ」などに出てきますが、校内のカワイ子ちゃんの写真を望遠レンズなどで盗撮して学校で売買する奴とか、本当にいましたよ。「写真部」とかでね。そいつから買いました。…でもよくみたらカメラ目線だ。誰から入手したんだっけ?いずれにしろ裏ルートだ。

その3.文化祭で酔った勢いで急接近!

その4.ニコニコしてますが、翌日から、口をきいてくれませんでした。

その5.翌年の文化祭。肩を組む僕の右手(めて)を、アイスクリームの左手(ゆんで)が嫌がっています。

その6.卒業間際は普通になりました。医学部は6年間あります、時は魔術師ですね。

アイスクリームとの思い出話をいくつかします。

・僕らの世代の医学部の女子は美人が多いですが、アイスクリームは地味目です。
服装のセンスも、どちらかというと野暮ったいです。
朝も女子は準備が大変だと思うけど、アイスは寝癖のまま来たりしてまして、僕はそういうナチュラルな彼女が好きでした。
その頃に僕が作った歌です。作詞・作曲、川原達二「レモン」という歌です。
これは、授業中にアイスクリームの机に何故か、レモンが2個置いてあったのをみて、授業中に作りました。
こんな歌です。

♪髪をすく後姿、とても好きだから、君の髪が爆発してるとワクワクする朝なんだ
ブラシ片手、髪をとかす仕草、素敵だね
ブラシになりたい〜黒髪のせせらぎ泳いでみたい
彼氏になりたい〜日曜の昼間はゴロゴロしたい
君の机に二つ並んだレモンのように♪

・アイスクリームの誕生日は僕より早い、4月か5月か6月だった。
僕はオシャレな男子にプレゼント必勝法を伝授され、新宿の伊勢丹のバラの花専門店の「ローズガーデン」とかいう名前の店から珍しい色のバラの花を四角い箱に入れてもらって郵送してもらった。
そうしたらアイスクリームには全然響かなくて、箱ごと僕の家まで徒歩で返しに来た。僕のアパートとアイスの実家は歩いてすぐの距離だった。それもそのはず、僕がアイスの家のそばの物件を借りたからだ。

・日曜ロードショーでオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」をやった時、僕はオードリー・ヘップバーンが映画の中で長い髪をバッサリと美容室で切る新しい髪形が、アイスクリームと似てると常々思っていたものだから、
アイスクリームに映画をみるよう勧めておいた。
そう言われて満更でもないアイスクリームは番組を録画して、そういう僕はみなかったからビデオを貸してもらう約束をした。
ある日、僕は僕のアパートで実習で同じ班の女子(異性としてみてない)と二人で課題をやっていた。
そこにいきなり「ピンポン」とベルが鳴って、扉を開けたらアイスクリームが、「ローマの休日」のVHSビデオを持って立っていた。
来る前に電話くれればいいのに。
そうして、僕は僕のアパートで同級生の女子二人を鉢合わせさせてしまった。
僕は同じ班の女子に「お前、帰れ」と追い払おうとしたら、女の意地の張り合いは怖いね、両者一歩も譲らずだ。
僕は、「けんかをやめて」の河合奈保子(竹内まりや、でも可)の心境だ。
その結果、僕らは気まずい思いをしながら、3人で僕のアパートの4畳半のコタツに入って、「ローマの休日」日本語吹き替え版CM入りを観る、というわけのわからぬ状況を味わった。

・医者になって何年か経っていた。僕もアイスもぞれぞれ別の人と結婚していて親になっていた。
僕が通勤で使う南武線に乗っていたら、バッタリ同じ車両でアイスクリームと逢った。
アイスは幼い子供を抱っこ紐で抱えて保育園に連れて行く道すがらだった。
「それ子供?」と僕が聞くと、アイスは涼しい顔をして「そう。私、離婚したの。『ボクは強く生きるのだー』」とおどけて子供の片方の手を持って、エイエイオーみたいなポーズをとった。
するとその子は僕の顔をじっと見て、おもむろに手を伸ばし、僕の鼻をギューッとつまんだ。
アイスはあわてて、「ごめんなさい。普段、この子、こんなことしないのよ。川原君になついたのかな」と笑って、手を振って次の駅で降りた。
僕は「何か困ったら俺に」と言ったら、アイスはニコニコしてた。それが彼女の最後の笑顔だった。
僕はその日は1日中考えて、家に帰って、奥さんにそのことを話して、「俺が面倒をみるべきかな」と相談したら、奥さんはスルリと「何言ってるの。それよりご飯にするの?お風呂?」と言うから、話はそこで立ち消えた。

僕がアイスと会ったのはそれが最後です。

そんなアイスクリームが死んだらしい。年末に聞いた。本当はもっと前のことだったらしいが、僕が落ち込むんじゃないかと気にして知らされてなかった。
それから人づてに色々聞いたら、どうやらアイスクリームの死因は、アル中だったらしい。

バカだなぁ、アイスクリーム。酒で死ぬなんて。よく知らないけど、きっと1人で呑んでたんでしょう?俺を誘えば良かったのに。
2人で呑んでりゃ口は一つしかないのだから、飲むか喋るかどっちかしか出来ないから、飲む量が必然的に減ったのに。
甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー。こんな季節は暖炉の火を見ながらレディーボーデンのアイスクリームをつまみに一杯やりたいね。
僕はまだやり残したことがあるからすぐには行けないけど必ず行くから(笑)暖炉にくべる想い出噺でも拾い集めて待ってろぜ。

BGM. ドリス・トロイ「ジャスト・ワン・ルック」

 


ライバルは………いね~よ。

17/ⅩⅡ.(火)2019 明日はまた暑いらしい、寒暖差にいじめられる毎日。大家さん、亡くなる。合掌。

談志のジョークにこんなのがある。男がいつも決まって2杯、酒を注文するのを不思議に思ったバーテンダーが「失礼ですが…」と声をかけると、男は、「はい。私の遠くにいる友人と語り合う気分で2つ頼んでるのです。いえ、ちゃんと生きてます。遠くにいるだけで」。ある日、男が1杯しか酒を頼まない。バーテンダーが心配して、「ご友人に何か?」、それに対し男、「いやいや、僕が禁酒しただけで」。

僕はこれを気取って必ず、飲み屋では酒を2杯注文する。一々、お替りするのが面倒くさいというのもある。いつかこんな気の利いたジョークでも言える日言える店がないかと思ってる。

僕の友人の、マサキは僕と同期で同じ精神科の開業医なのだが、ライバルではない。僕が開業直前まで勤めていた病院で彼は副院長、僕はヒラだったから。

こないだの記事「シラノ」が自分としては良い出来だったので、マサキに自慢しようと記事のURLをメールで送ったら、「今、医局の忘年会」だと返信。えっ?そんなのあったの?聞いてないよ。

医局の忘年会では、酒が入る前に、集団会という研究発表会がある。そこでは優秀な演題に賞を授けている。初代教授と2代目教授の名前を冠した賞である。仮に、初代の名前が「ポンポコピー」で2代目が「ポンポコナー」なら、「ポンポコピー賞」と「ポンポコナー賞」である。マサキはその日、自分のクリニックで立ち上げた「発達障害のショートケア・プログラムの意義」みたいなものを演題として発表して、なんと!「ポンポコピー賞」と「ポンポコナー賞」を「W受賞」したそうな。僕が「シラノ・ド・ベルジュラック」というお遊びをブログで発表してる頃に、それである。ライバルに価しませんね。

マサキは僕の酒を心配していて、しきりと禁酒しろ、と言います。「そうしたら、うつ、も治る」って。

僕が20才の頃に好きだった女の子の1人に、アイスクリーム、という子がいた。彼女は大学の同級生で、だからマサキも知っている。僕は学園祭では大酒くらって暴れてるグループで、マサキはそれを冷ややかにみてるグループで、アイスクリームは「川原君!お酒に飲まれちゃダメよ!」と叱る係り。僕はアイスクリームには弱いから、すぐ大人しくなっていた。

そんなアイスクリームが死んだらしい。マサキから聞いた。マサキはもっと前から知っていたが、僕が落ち込むんじゃないかと気にして告知しなかったらしい。それから人づてに色々聞いたら、どうやらアイスクリームの死因は、アル中だったらしい。

バカだなぁ、アイスクリーム。酒で死ぬなんて。よく知らないけど、きっと1人で呑んでたんでしょう?俺を誘えば良かったのに。2人で呑んでりゃ、何か喋るから、口は一つしかないのだから、飲む量が必然的に減ったのに。立川談志が言ってたけど、「酒とは本来、呑まれるもので、それで反省する。つまり酒とは反省するために呑むものなんだ」って。俺たち、大学を出て、国試受かったら、無条件に「先生」だもんな。天狗になっちゃうからな、時々、酒呑んで失敗して反省しなきゃ傲慢になっちゃうからね。しょうがなかったんだろうな。

なのに、マサキの馬鹿は、俺に「酒をやめろ」という。アイスクリームが1人で死んだのに、俺だけやめる訳にはいかない。俺は、「くもの糸」のカンダタじゃない。マサキめ、せいぜい、「ポンポコピー賞」と「ポンポコナー賞」の「W受賞」にでも酔ってな。俺は酒で酔う。

BGM.河島英五 「酒と泪と男と女」


入船という店があった~12月だ!タッちゃん!ガンバレ!巻き返し!の章~

11月30日で、入船、が店を閉じた。店主が27才の時にオープンして51年やったそうだ。翌日の、12月1日に店の様子を見に行った。もう看板も取り外された。↓。

 

裏口に回ってみる。↓。

ご自由にお持ち下さい、と容器などが外に出され、「ここのは良いのを使ってるからね」と見知らぬおばあちゃんに話しかけられ、仲良くなる。↓。

いっぱい人が来てました。↓。

車庫にも器類が置いてあります。↓。

店の中を探索してみましょう。↓。

数が揃ってる器は業者が買い取りに来るそうで、綺麗に揃えて準備してあります。↓。

水槽も空ですね。いつも、車えびが泳いでいた水槽。↓。

入船は、個人事業主としては初めて、本場所に懸賞金を出した唯一の店です。この額装入りの物が、等身大の本物の懸賞旗です。↓。

お店はスケルトンにする必要があるから、こういうお宝も取り外します。↓。

業者に売らない、お宝類は軽トラックに積み込まれます。↓。

これが、その車の中。↓。

このお店は僕の医局のボスの行きつけでもありました。ボスは毎週、火曜日の昼くらいから相撲の終る時間くらいまで1人でチビチビ呑んでたそうです。主に、ウヰスキーを好んでました。

ボスは僕が医学部の6年の時の入局面接の担当官でした。彼の手元には僕の資料があり、2つ質問されました。「第三希望まで書くところがあるのに、何故、精神科としか書いてない?」に、僕は「精神科医になるため、医学部に入ったから」と答えました。「ふ~ん」とボスは答えると、僕の成績表に目を落すと急に声を荒げて、「君、とっても成績悪いよ。医局説明会どころじゃない。今日はもう早く帰って勉強しなさい。君が無事卒業して国家試験に受かったら、我医局は君を喜んで受け入れるから、さぁ、帰りなさい」と僕だけとっとと返されました。そんなボスももう死んでしまいました。

ボスは死ぬ前日も、入船で呑んでたそうです。店主が言ってましたが、相撲の結びの一番どっちが勝つか、大トロ炙り一貫、賭けて勝負したそうです。店主は横綱、ボスは平幕。そうしたら、その一番は大番狂わせで横綱が負けたって。つまりボスの勝ち。でもボスは「もうおなかいっぱいだから」と「今度来た時、大トロ炙り、をもらうよ」と言って帰ったそうで、それがまさかの最後のボスの笑顔だったそうです。入船の店主は、ボスの葬儀にもみえてましたよ。義理堅いですね。

そんなボスの呑み残したウヰスキーのボトルもあるそうです。店の後片付けをしてる人に、「センセー、持ってきますか?ウヰスキーの中身は新しいのに変えておきますよ」って。↓。

下は、ボスがペンネームで書いた自伝的小説。主人公は、アル中の大学教授。この本が出版された時、医局員は半強制的(自主的に?)に買ったものだが僕は買わなかった。なんで持ってるかというと、入船の店主に「センセーも読んだ方がいいよ。うちの店が出てくるから」って貰ったから。↓。

これが、入船について書かれてる箇所。↓。

 

さて、そういう僕は入船ではいつも冷酒を呑むのですが、記念にその冷酒を入れる容器をもらいました。「ねぇねぇ、ついでに冷酒もない?冷蔵庫に2-3本残ってるでしょ?」って言うと、お酒の余りは業者が回収にくるそうだが、旦那さんも数まで数えてないだろうから、と3本もらった。家で呑むつもり。↓。

11月30日の最終日は、土曜日で、おまけに最終土曜だから、クリニックはミーティング。最終日には、顔を出せないから、前日の金曜のお昼にクリニックを抜け出して寄ってみた。満杯だったが、入れてくれた。もうおしまいも近づくと、名残惜しいと客がたくさん集まる。自然と、店主に負担がかからぬように、皆、おまかせ寿司コース、しか頼まない。これだと同じものを同じ順に握ればいいから、店主が楽だろうと。

まずは赤身から。↓。

中トロ。↓。

アジ。↓。

サバ。↓。

トロタク。↓。

お椀。↓。

さっきまで水槽にいた、車えびの湯がきたて。↓。

これぞ江戸前寿司、穴子&蒸し鮑&卵焼き。↓。

イカは塩味になっています。↓。

大トロ炙り。これが、因縁のボスが食べ損ねて死んだ、寿司です。↓。

ここで、店主がパフォーマンスを。大間のマグロをおろしていく。皆んな、一斉にカメラを持ってフラッシュがたかれる。↓。

これが、日本一のマグロ。このワンブロックで、300万円だってさ。↓。

それをひときれ、ニンニク醤油で、配られる。これがうまい。↓。

入船の屋号の継承権のある人と話をした。当然だが、規模を小さくしても良いから、店を続けてくれないか、とリクエストが多いそうだ。ただ、そこは慎重で、暖簾を汚したくない、という。また正直、今の時代、魚は厳しいらしい。名店と言う寿司屋は大抵スポンサーがついてるらしく、入船のような個人店はむしろ少ないらしい。寿司は単価は高いが儲けは少ないらしく、正直うまみはないそうだ。彼には実は「ある考え」があって、それをこっそり教えてくれた。僕はそれは面白いと思った。実現したら教えてくれると約束した。機密事項だから、ここでは言えません。ごめんね。

そして、さっきの入船の懸賞旗とか、お宝を乗せた軽トラックはどこへ行ったでしょう?

実は、カワクリに来たのです。↓。

 

これがお品書き。↓。

これがお品書き・小。↓。

これはお店に来た有名人のサイン。王貞治や鶴瓶。↓。

これが実際に使われる、力士がもらう懸賞袋。↓。

これは店主が、朝青龍の断髪式に出て、ハサミを入れてるところの写真。↓。

白鵬は、個人事業主がはじめて懸賞金を出したと聞いたら、お店に駆け付けたそうです。日本人の心を持っていますね。↓。

その時の、白鵬の手形。↓。

これが額装入りの懸賞旗。玄関に出してたら、誰かが寿司屋と間違えて入ってきそうだ。ただでさえ、「ここ、病院でいいんですか?」と聞かれることが多いというのに。↓。

次期継承者に僕は2回車で送ってもらったことがある。店と自宅は徒歩圏内だが、僕が酔っ払って店で転んだ時と、台風の日の帰りだ。

今回もクリニックまで僕とお宝を運んでくれたのは彼だ。彼が見たがるから、クリニックの中を案内してあげた。「センセーの所には、きっとご家族にも見せれないものを収納する秘密部屋があるのでは?と想像してたんですが、まさか丸ごとクリニックがそうなんですね~」と感心し、「けいおん、だ。あの花、だ。物語シリーズ、だ。ベビメタ、だ」と一々声に出して反応してくれるから、こちらも嬉しくなる。「センセー、ここ夜はバーにしたらどうですか?流行りますよ」とアドヴァイスをくれ、「へ~、こんな店のやり方もあるんだなぁ」と言っていた。そんな彼が、もっとも反応したクリニック内の物は何だと思いますか?

ヒントは、診察室にあるものです。

正解は、↓。

宮沢りえ、の新聞広告でした。彼は、「この写真集、持ってましたよ」と懐かしそうに笑っていました。


父の誕生日に。

27/ⅩⅠ.(水)2019 寒い。一昨日と昨日の温度差が、10℃!

朝方、自宅の玄関を出たらゴミの収集車が止まっていた。その前には、トラック。
トラックのせいで、ゴミ収集がしづらそうだったが、2人の係りの人は文句も言わず、遠回りしてゴミを積み込んでいた。
トラックの中を覗くと、運転手が頭から毛布を被って寝入っている。
起こすのが可哀想だったのかな?優しいな、と思った。

今日、11月27日は亡き父の誕生日。そこで父の思い出話をひとつ。
僕が小3の時、父から聞いた話。
近所のナントカ先生(医者仲間)の息子が警察に捕まった。タバコ屋の自動販売機をこじあけ、金を奪った罪らしい。
その自販機の前を父と一緒に通った時に、
「ナントカさんの息子は、今、ゴミの収集の仕事をしている。達二も真面目に勉強しないで悪い事をするとそうなるぞ」
と言うのを聞いて、僕はこのオヤジは何を言ってるんだ?と耳を疑った。

僕は茅ヶ崎のカトリック系の幼稚園と小学校に通っていて、毎朝、賛美歌を歌ったり、聖書の話を聞いて育っていた。
聖書の教えは、職業に貴賎はなし。
キリストの教えに登場する人物は「卑しい」仕事の人が多かったが、心のまずしい人は幸いである、とは、そういう人にこそ幸あれ、みたいな意味だと習った。

そういう教育を受けさせたのは父であり、その本人が自ら子供に向って矛盾したことを言うなんて。
世は高度経済成長の時代で、医者の子は医者になり後を継ぐのが、よし、とされた時代でもあった。
父はそういう意味では、「普通の事を言う普通の人」だった。僕はもう小3だったから、そういう父にも寛容でいられた。
問題は、父の意見を支持するか、聖書の教えを是とするかの板ばさみだった。
これは、ダブル・バインドと言って、子供を精神的におかしくする方法だ。

僕はその頃、「善悪」というものにも疑問を持っていたから、ウルトラマン・シリーズや仮面ライダーは子供っぽくてみなかった。
唯一、ウルトラセブンの、ノンマルトの使者、は例外だったが。

僕は、キリストと父のどっちの味方をしようかと、楽しんだ記憶を思い出した。
次回は、うかいさんが、聖書をモチーフにした激写メ・ストーリーを発表してくれます。乞う、ご期待!

BGM. ザ・ビートルズ「ヘイ・ジュード」


11月に負けない50の方法

14/ⅩI.(木)2019 木枯らし1号 新庄、現役復帰?

こないだ紀伊国屋で本を買ってクレジットのサインを頼まれてボールペンを渡されたけど書けなくて、
「これ、インク切れてるよ」って言ったら、「弱く書いて下さい」だって。
筆圧が強すぎると書けないペンらしい。弱く書いたら書けた。
「ややこしいもん使うな!」と怒ってしまった。いかんいかん。11月だ、我慢我慢。

ブログを読んでくれてる人が結構いて有り難いことで、「11月、大丈夫ですか?」などと優しい声援をいただく。

こないだ大岡山の寿司屋に行ったら、その日はたまたま母の誕生日で、大旦那と話していたら、
「いつ亡くなったの?」みたいな話になって、「それじゃ去年が13回忌だ」と言われた。
僕は寺の坊主が気に喰わねぇから墓参りには行かないし、母が死んでからは実家の茅ヶ崎にも行ってない。
兄とも疎遠で年賀状のやりとりさえしてないからお互いの近況を知らず、従って13回忌というものがあったのかなかったのか、
ただ呼ばれなかったのか?も知らない。
まぁ、上下関係から言えば、弟の僕が兄にお伺いをたてるのが世の常識なのだろうが。

日本のシステムって、統計的に皆が弱りそうな時期に、家族や親類・友人が集まって故人の思い出話や後悔を語り合って、
足して人数分で割って薄めるという作業をしてるのだろうが、そういうものに参加してないから11月の猛威に毎年おびやかされている。
好きでそうしてるのだから、誰も責める訳でもない。
そんな僕も11月を乗り切らねばならないし、やり過ごさなければならないから、日常の中で些細な楽しみを拾い集めよう。

僕の都会のオアシス、カフェの「インパラ娘」はあだ名を「ラビットちゃん」に変えました。
彼女がいる時だけ店に寄って、サンドイッチを食べて、帰り際に、受付用のテイクアウトを買う大義名分でもう1度、レジに行く。
「女の子3人にお土産にするんだけど、今日の気分だとどれがオススメ?」
と聞いて、ラビットちゃんに選んでもらうのが近頃の作戦。今の僕のビタミンになる。

下は、こないだ寿司屋でみたキンキの頭たち。これを煮付けにすると旨い。このデザイン可愛いでしょう?
トライポフォビアの人にはダメでしょうが。
僕はこのデザインのシルクハットが欲しいな。ちょっと明るい気分になる。↓。

クリニックのちょっと先の裏通りにバレエスタジオがある。
10年前は中を覗けたが、ここ数年は白いカーテンで中が見えないようになっている。
きっと変質者が覗くからにちがいない。↓。

そのバレエ教室の前にこんな観光地にあるようなパネルが設置された。↓。

早速、顔を入れてみた。↓。

嫌がる杉山さんのも撮ってやる。↓。

大岡山では前にも報告したがギボムスの第2弾(?)の撮影が始った。
お正月特番か?撮影のコースだけお正月飾りに変わってる。↓。

 

これがクリニック前の運送屋が不動産屋に変わった証拠写真。↓。

鍵屋はベーカリーに変わっていた。↓。

不動産屋で綾瀬はるかを、ベーカリーで佐藤健と綾瀬&上白石萌歌を間近でみた。
これに便乗しない手はない。丁度、Hさんから聞いた「すみっこぐらし」の映画の筋が面白かったから、それにインスパイアされて、
ギボムス・写メストーリーも作ったので、お楽しみに。近日公開!

僕は茅ヶ崎生まれだが中学からは東京に出てきているので気分は東京人。
中1の時、親戚の集まりで教師をやってる叔父さんに「東京と茅ヶ崎、どっちがいい?」と聞かれ、
皆は「茅ヶ崎」と答えて欲しそうだったから、「東京」と答えた。
それが決定打で僕は東京人のアイデンティティーで生きてるから(泳げないから湘南のアイデンティティーないし)、ちょっと照れ屋である。
最近、歯の矯正を始めたけど、それがどういう段取りでやってゆくかという説明も聞いてない。シャイだから。
100万円かかるんだけど、「安いね」なんてキャッシュでポンと払って、家帰って奥さんに怒られたりしてる。
怒ったって何も変わらないのに。イソップの「北風と太陽」でも読ますか。

黒澤明の「生きる」の、小田切みき、のような存在が、死人のような人間が生きてく上では必要だと実感できる年頃になった。
「僕の小田切みき」は、僕の一方的なメールを4回に1回くらい返事をくれて、今度僕が中高時代に住んでた東中野が今どう変わっているか散策する、
青春プレイバックという企画を面白がって付き合ってくれそう。

こないだ有名な女優が死んだ時、その人が「男はつらいよ」に出てたシーンを追悼で流してて、
「私、寅さんといると気が楽になるのよ」というセリフで寅さんが照れる場面をみてて気付いたのだが、
渥美清のイメージって、いつも最後には振られるが、マドンナも寅さんにちょっと魅かれてて、でも不器用だったり照れだったりで上手くいかない、
って図式だと解釈していたが、つまりこのワイドショーはそれを踏襲してた訳であるが、
「フーテンの寅」という山田洋次じゃない監督の回を先日見直したら、マドンナの新珠三千代は、
寅に恩はあるけれど男としてはまるっきし相手にしてないという話で、それはそれで共感した。「僕の小田切みき」もそんな感じかな、と思ってる。

まぁ、そんなこんなしてなるべく笑顔で生きている。
今日のお昼、ナースの塚田さんと、うかいさんが先に行ってる店に後から行った。何か話し込んでるから悪いから遠い席に座った。
メニューにある、お酒のつまみ用の「手羽先のパリパリから揚げ」を注文して、店員さんに、
「あちらのお客様からです、って、バーみたいに渡して来て」と送りつけた。
あっちはビックリして笑ってたが、あとで「お腹の量を考えて注文してるんですから勝手に増やさないで下さい」と注意された。
でも、それも笑顔だったから良しとして、11月と一緒に笑い飛ばしてしまおう。

BGM
クレージーの人気が、コント55号やドリフの台頭で下火になった頃、蝋燭の炎が消える瞬間、一瞬パッと明るくなるように、
クレージーの最後の方の映画「ぶちゃむくれ大発見」は面白かった。勿論、リアルタイムで観てないが。

父が死んで僕の医大の成績は低空飛行で将来に自信を失い迷いも出てる頃、好きな女の子に男が出来て、打ち明ける前に振られて、
金もないから缶ビールを一気飲みして町内を走って酔いを回すなんて生活をしてた頃、
近所のレンタルビデオ屋が廉価で古いビデオを売りに出していて、その中にこれがあって、それを買って家でみた。
ものすごく勇気をもらった映画だ。
特にラストシーンの、大銀座パレードで歌うクレージーの「笑って笑って幸せに」は今みても感涙にむせぶ。
という訳で、

BGM. ハナ肇とクレージーキャッツ「笑って笑って幸せに」


令和元年10月10日当時の生活

10/Ⅹ.(木)2019 くもり 今週末は歴史上、まれにみる台風が来るらしい!よって土曜は休診!

パソコンの壁紙を、他の女の写真に一瞬変えた。気分転換のようなものだった。
すると、受付が大騒ぎだ。
「ぺろりん、から手紙が届きましたよ」と、封を開けてみると、こないだの生誕祭のお礼のメッセージカードだった。
「まるで先生が壁紙変えたの知ってたみたいですね」と言うから、壁紙を、ぺろりんに戻した。
下が、そのカード。メッセージの内容は、「言われなくても、判ってることよ」という内容。↓。

このカードは、先日、紹介したチェキと並べて、傘立て横の、ぺろりんコーナー、にうかいさんに貼ってもらいました。よかったら、見てみて下さい。↓。

最近釘付けなのは、テコンドーの会長。久々にみるパンチの効いたキャラクターだ。ウォッチングしがいがある。
出来たら、大晦日に、紅白の裏で、男・山根会長と一騎打ちして欲しいものだ。視聴率、取れるぞ。
会場は奈良県でやって、試合は判定で山根会長の勝ち、それをテコンドー協会が、奈良判定だろ!、と文句をつける場外乱闘〜なんて盛り上がると思うのだが。
アンダーカードに、ライジンの解説で不評を買った、GACKTがテコンドー有段者だそうだから(本人が言ってた)、GACKTを出したい。
対戦候補をネットで探してたら、東方神起の、ユンホ、がテコンドーの黒帯らしいから、この二人を戦わせたら、女子がキャーキャー言いそうだ。

ま、夢はいくらでも広がる訳だが、しかし、今朝のワイドショーは、昨日、日本人がノーベル化学賞とったから、そのニュースばかりで、テコンドー会長が見れなくて、つまんなかった。

さて、今日は10/10ですが、何の日だか知ってますか?
うちの父親は眼科医で、「10月10日は、目の日」だと言ってました。「10」の「1」を漢字の「一」にして「0」の上に置くと眉毛にみえて、目の形が二つ出来るからです。
僕が子供の頃によく聞かされましたが、当時は一般的には「10月10日は体育の日」でした。
それが昨日、帰り道に近所のお好み焼き屋に行ったところ、「明日は、お好み焼きの日」だと教えてもらいました。
その心は「ジュージュー」と焼くからだって。ダジャレです。…目の日とどっこいどっこいですね。
ジュージューなら焼肉でもいいじゃないかという意見が聞こえてきますが、そう言えば昔、馬事公苑の近くに「十々」という焼肉屋がありました。ネギタン塩とガーリックライスが美味しい店でしたが、もうないです。

そのお好み焼き屋には僕が学生の頃に読んでたマンガが揃っていて、時々、野球マンガが読みたくなると寄るのですが、
テーブルが2つで、奥の方に野球マンガがあるのですが、そっちに先客がいて、
多分、群馬から駆け落ち同然で出て来た若いカップルが近くのアパートで同棲を始めるお祝いにこの店に寄ったから(全部、僕の推理)邪魔しちゃいけないと思い、
手前のテーブルの棚にあった「らんま1/2」を読みました。

さて、そんな今日この頃ですが、皆さんはカワクリのレコードジャケット・キャンペーンを覚えてますか?
診察室の壁に貼るシングルレコードを、僕のストックの中から、皆さんに選んでもらうという企画です。
あれの途中経過を報告しましょう。
選んで下さった方と、その曲にまつわる(僕の)エピソードトークです。

まずは、宮さんが選んだ、これ。
この曲は僕が中学の時にブラバンでやりました。
太田裕美の大ファンだった奴が、政治力を駆使して顧問に取り入って、選曲させたのです。文化祭で吹きました。僕はホルンでした。↓。

I君が選んだのは、2枚。聖子ちゃんと百恵ちゃん。本当は1人一枚のつもりだったのですが、聖子ちゃんが神田正輝と結婚する時、ワイドショーのレポーターが、「神田さんと郷さん、どちらが好きですか?」とバカな質問をして、聖子ちゃんは律儀にも、「私は人に順位はつけません!」と答えてたのを思い出し、両方採用しました。↓。

今更、百恵ちゃんに関して語ることはありませんが、こないだユーチューブで、さだまさしが紅白歌合戦で「関白宣言」を歌ってる若い頃の映像をみました。両軍が応援するのですが、この歌のサビで、「俺が愛する女はお前、ただ一人」というフレーズの際、紅組の山口百恵がアップで映るというシーンが印象的でした。多分、さだまさしが、百恵ちゃんの「秋桜(こすもす)」の作者だったということもあるのでしょうが、男女が大晦日に歌で対決する番組で、唯一、男女和気あいあいと仲良しな空気を演出する場面で、それを歌うアーティストを差し置いて目立っちゃう百恵ちゃんって、さすが、「昭和と寝た女」だとしみじみしたものです。↓。

Kさんが選んでくれたもの。丁度、太田裕美が乳がんになったことを発表した日だったから、エールの意味もこめて、選出してくれたそうです。↓。

TMさんも2枚選んでくれました。まずは、ケメ。僕はニッポン放送でやっていた、「あおい君とさとうクン」という番組から、コッキーポップ、たむたむたいむ、オールナイトニッポンという黄金のようなリレーを中高とほぼ毎日、聴いていました。その、さとうクン。女の子に人気がありましたね。↓。

これは、映画の主題歌です。ムーンリバーが「ティファニーで朝食を」、モアが「世界残酷物語」。モアは綺麗なメロディーです。残酷な映像の背景に流れると心が溢れそうになりました。エヴァンゲリオンの戦闘シーンのバックに「翼をください」や「今日の日はさよなら」を流す効果に似ています。↓。

papaさんのチョイス。

彼女らは、資生堂のシャワーコロンのために即席に結成されたモデルたちで、この曲も含め2枚のシングルを出しました。僕はどっちも持っています。後年、この中の一人の子と、東中野でちゃんこ鍋を食べる機会があって、レコードを持ってることと、「夜のヒットスタジオ」と「ツービートの笑ってごまかせ」に出てた時の映像を持ってるよ、と言ったら、「今すぐ、捨ててください」と言ってました。黒歴史なのかしら?↓。

Sさんのチョイス。Sさんは菊地桃子が大好きだそうで、後、岡田有希子も大好きみたいです。レコードの隅のカードは、石丸電気で買った時の特典で、裏に歌詞が書いてあります。↓。

Hさんのチョイス。EPOは何故か、僕が大学で入った準硬式野球部で大人気でした。野球の試合をする時は、先輩の車に分散して遠征するのですが、どの先輩の車に乗っても、EPOの「う・わ・さ・に・な・り・た・い」というアルバムが流れてました。あまりに聴き過ぎて、全曲、歌えます。大学には野球部が2つあり、硬式野球部はガチな体育会系でした。僕は髪も伸ばしたいし、ユニフォームも綺麗に見えるようなスライディングをしたいから、準硬式に入り、1年生なのに上級生に、「硬式野球との差別化を図るため、我々の目指す野球は、芸能人野球大会にすべき」だと進言し、「面白い奴だ」と可愛がられました。↓。

同じくHさんの選曲。サザンって意外と、シングルだけの曲が多いですね、これもそう。両A面で、「ごめんねチャーリー」のチャーリーとは、レイ・チャールズのことです。レイ・チャールズは、よしだたくろうがエレック時代の2ndアルバム「ともだち」でカバー曲を歌ってるほどの偉大な黒人アーティストで、盲目のソウルマンです。ずっと経って、レイ・チャールズがサザンの「いとしのエリー」をカヴァーしてくれたことへのアンサーソングみたいな感じで、出した歌です。レイ・チャールズは映画「ブルース・ブラザーズ」にも楽器店主として出演し、ブルース・ブラザーズを応援します。そして2人がライブを開けると喜んで宣伝のポスターを楽器店に貼ってくれますが、映画ではそれを逆様に貼ります。つまり、映画を観てる人は、楽器店主=レイ・チャールズだと判ってますから、暗黙に目が見えないから逆様に貼っちゃったというギャグになります。当時、毒ガスと異名をとったビートたけしでさえ、「あれはすごい。日本で竜鉄也にやらせられないもん」って言ってました。竜鉄也とは、当時、奥飛騨慕情、をヒットさせた盲目の演歌歌手です。日本とアメリカの差別や笑いの理解や解釈の違いや難しさを表現したのだと思います。しかし、もう10年前くらいでしょうか、「全盲の少女が普通学級に入った」というニュースがあり、インタビュアーが少女に「中学生になったら何をしたいですか?」と尋ねたら、「一目惚れ」と答えてたのを覚えています。日本人でもすごい人がいるなぁと感心したものでした。↓。

SSさんのチョイス。これは元は自切俳人(じきる・はいど=北山修の別名義)の歌です。自切俳人がオールナイトニッポンをやってるころ、海洋で、恐竜の死体が捕獲されたというニュースがありました。結局は、サメ、だってことになったのですが、自切俳人は「それでは夢がない」と言って、この生物に「ユメカシーラ」という名前をつけ、歌まで作ってラジオで流してました。だから僕は音源を持ってますが、何故か、自切俳人はラジオで流してレコード化しない曲が多いです。他にも、「世界は君のもの」とか「来てよ、キャプテン」などはいまだに音源が商品化されてないです。だからラジオのテープは捨てずにとってあります。この曲も、自切の音楽仲間の高石ともやとナターシャセブンがシングル化したものです。↓。

Mさん(♂)のチョイス。これを選ぶセンスには脱帽です。石川ひとみのアイドルとしての悲劇は美人過ぎたことですね。↓。

Mさん(♀)の選曲。西田佐知子は関口宏の奥さん。この曲は、後年、荻野目洋子もカヴァーしてヒットしましたね。確か、紅白出たんじゃなかったか。↓。

sinさんが選んだ4枚。これは、「ジャケットで選んだ」そうです。宇沙美ゆかり、は、あだち充の「みゆき」が映画化された時のヒロイン・若松みゆき役です。ちなみに、もう1人のみゆき=鹿島みゆき、を演じたのは、三田寛子でした。花の82年組の時代です。人材は豊富なのに、何故、宇沙美&三田なのか?あまりにもミスキャストな人選に呆れたものです。↓。

僕は浅香唯のファンクラブ「神奈川4番」でした。ちょっと自慢です。↓。

この子も花の82年組。もっともその前に、ヤンジャンのグラビアで人気でした。ライバルが多かったせいかあまりパッとしなかったですね。途中から、昔の曲のカヴァーを続けて出していて、僕は「もう投げたな…」と思ったものでした。下は、大瀧詠一の代表曲。↓。

sinさんの4枚目。sinさんといえば、「ハルヒ」ですよね!。↓。

なかなか、この企画が遅々として進まないから、宮さんが2回り目5曲選んでくれました。本当はもっといっぱいチョイスしてくれたのですが、彼のセンスは僕の好みと似ていて、直前まで貼ってあったものが多く、没ばかりでした。そんな中、勝ち残ったのがこれらです。まずは、これ。どういう歌かというと、都会に彼が出て行き、田舎に彼女は残る。それでも2人の心が変わらないなら、ブドウを一房、ベランダに飾る約束。彼が都会から帰って来たと友人に聞いて知った彼女。自転車で彼の家まで。角を曲がれば、彼の家。自転車を倒して彼の部屋をみると、紫のブドウが風にそよいでいた、という話。良い話ですね。…ってか、これ、幸せの黄色いハンカチ、じゃん。松本隆の作詞です。↓。

薬師丸ひろ子、原田知世に次ぐ、角川映画第三の刺客でした。この人も美人過ぎたのが仇になりましたね。映画、「晴れ、ときどき殺人」でユーミンの旦那の松任谷正隆が出てるのですが、その狂人っぷりは良かったですよ。僕は「あこがれ座」というアルバムを大学3年の頃、死んだ父の書斎で勉強するときのBGMによくかけていました。父の書斎は膨大な本と資料の倉庫で、その圧倒的な知識量に圧殺されそうでした。それの緩和剤に何故か、渡辺典子が向いたようです。何故なんだろう、不思議だ。↓。

こういうのって定期的に流行りますね。日本人って、不良→更生、ってパターン好きですもんね。↓。

霜降り明星、の、せいや、はアグネスの大ファンです。今はユーチューブがあるから、そういうファンの出現の仕方もあるのですね。ナイツの塙が、♪おっか、のうんえ~ひ~なげし~のはんなぐわ~♪と甲高い声で歌ったら、「マジでそういうのやめて」って切れてました。↓。

この子も一世を風靡しましたね。キッコーマンの「ガンバレ!玄さん」のCMで歌を忘れちゃう、NGシーンを起用して、見事にヒットした制作の勝利ですね。その人気に便乗して、CMとは全然関係ないこの曲がリリースされました。僕の知ってる限り、1度もテレビで歌っていません。↓。

という訳で、まだ壁には、余白があります。我こそはと思う人も、思わない人でも協力してくれる人はスタッフに声をかけて下さい。物語は、これから始ります。物語のはじめに立ち会うのも悪くないと思いませんか?。↓。

ウッディ・アレンのまね。撮影、渡辺さん。↓。

つづく。


マドンナの話

2/Ⅹ.(水)2019 くもり えなりかずきが泉ピン子と共演拒否。

マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪い笑いをした。(夏目漱石「坊ちゃん」より)

9/30(月)息子が冬服が欲しいからと買い物に付き合わされる。勿論、役割はサイフ。GUでバックスバニーのシリーズが出てるからと、
新宿のビックロへ行く。明日から消費税が10%に値上げだというから街は大セール。平日なのに人も多かった。
大型量販店、ねぇ、思い出も売ってればいいのに。

※この記事は個人情報保護法により個人が特定できないように一部、事実を修正したり脚色しています。念のため。※

僕は一浪してるから大学に入学したのは昭和57年。
受験生なんて古今東西みんなそんなものだと思うが、灰色の青春時代で大学に受かった時には、燃え尽きている。
そんな僕のモノクロームの生活を天然色に変えたのは、一人の女の子の存在だ。
ボクらの学年には、マドンナ、がいた。

僕は彼女が好きで彼女の気を惹こうと色々したが、まだ18-19才だし、何もわかってないし、自分の心もわからないし、
時代はドンドンオシャレになって行くプロセス(やがてバブルに行き着いて朽ち果てるのだが、その前段階)で、
デートの手法やアプローチの仕方にも模範解答があるような時代で、僕らはそういうのを参考にしながら反発して、
バカにしながら取り入れて、右往左往してた訳である。

「愛は恋より少し大き目」というCMが流行ったから、原宿のキディランドで、牛乳パックのデザインの持ち抱えるようなサイズのゴミ箱を買って、
マドンナの誕生日にあげて彼女を辟易させた。捨てようにもゴミ箱に入らない大きさだし、そもそもゴミ箱だし。
そんなこんなで僕はドンドン嫌われて、口をきいてもらえなくなるのだが、医大生は6年あるから、どこかで挽回できて、
僕は奇跡的に彼女と連絡をとりあえて、今はメル友だ。

僕はラインを始めてから変てこなスタンプを買うのが趣味で、それを真夜中に友人に送るのが日課。
今やリアルタイムでラインをみてる人はいないから気兼ねなくやってるが、昔は、深夜2時とかに謎のFAXを送り続けてたものだから、
よくまぁ、ブロックされずに関係が続いたものだ。

そんな僕らの同窓会があった。銀座でやった。マドンナは卒業したら田舎に帰って地元の医者と結婚したから、30年くらい会っていない。
メル友だけど。

それが今回の同窓会には「出席」の「○」がマドンナの名前の横についていて、だから僕も万障お繰り合わせの末「○」にした。
マドンナは家庭もあるから田舎から日帰り、とんぼ返りだというので、僕も皆さんに協力してもらい早く出させてもらいました。
9/28(土)診察の人、どうもありがとうね。

僕は開始時間よりちょっと遅れて会場に到着。女子グループは固まっていて、会計係が会費を払う際、「マドンナも来てるよ」と教えてくれた。
僕は女の子グループを見渡す限り、僕の知ってるマドンナはいない。でも名簿ではいる。ならばと消去法でしぼってゆくと、1人知らない女がいた。

それはドブネズミみたいな、トレーナーを裏返しに着たようなフダン着で、ノーメークで、髪はモンチッチみたいな女だった。
僕は、「あれがマドンナか?」と愕然とした。
するとしばらくしてマドンナの方から僕の方に来てくれて、
「川原君、いつもメールありがとう。元気づけられたよ」と笑顔で言うが、その滑舌が悪く、まるで総入れ歯のおばあちゃんみたいだ。
僕はちょっとギョッとしたけど、すぐにマドンナだとわかって、人間の印象なんて2-3分もすれば、思い出フィルターを通して補正されて、
昔のマドンナに戻ってみえた。
マドンナは僕に、「私は旦那が女作って家を出て、離婚して、子供2人育てて、乳癌になって抗がん剤使って髪の毛が全部抜けて、
やっとここまで生えたから、思い切って今日、来てみたの」とカミングアウトするから、
僕はその間に深夜にくだらないメールを送って申し訳ないと思ったが、
彼女は、「川原君の送ってくれるパフェの写メや新しいヘアスタイルのカラーにずい分と勇気づけられたのよ」と言ってくれた。
「でも、私の話は、ラインで言うには少し重いと思って今まで言わなかったの。ゴメンね」と謝られた。

マドンナは片っぽのオッパイを切除して、でも幸い転移がないから経過は良好らしい。
僕の母も物心ついた時にはもう乳癌で左の胸をとっていたから、一緒にお風呂に行ったり旅の宿の温泉で皆と入ると気まずそうにしてたのを覚えていて、
僕は何も出来ないけれど母を守ろうと思っていた。

僕はマドンナに手術したオッパイをみせてと頼んだ。彼女は「何言ってるの?」とこばんだが、僕は「そういうのじゃないから」と言うと、
こういうのって言葉じゃなくてハートで通信されるみたいで、マドンナは「じゃ、川原君、こっち」と言って皆から見えないパーテンションの蔭に僕を連れてって、
ドブネズミのシャツをめくって、ない方のオッパイをみせてくれた。僕は間近でドブネズミのシャツをみた。よく見たら綺麗じゃないか。

ボクらの同窓会は四捨五入すると60才くらいの人たちの集まりだ。
若い頃に病死した奴もいたが、その頃はそいつは「例外」だった。でもこの年になると大病を患ってる人が何人もいた。皆何かしらの病を抱えていた。
精神科医の同門会だと半数以上の者が何らかの精神安定剤(眠剤や抗うつ剤)を飲んでいた。
病気を持つことは辛いことだ。でも病気をもってはじめて、あるいはそれを開示してはじめて医者としての手腕にすごみが出ることもある。

マドンナは日帰りだから先に帰る。その帰り際に記念のツーショットを撮った。
今、見てみると、僕のお腹もずい分と出ている。
真を写す、と書いて写真と読むが、写真だと自覚してるより出っ張ってみえるから、他人にはかなり太ってみえてるのだろう。

僕は、アンチ・アンチエイジングの立場だったが、やっぱり少しダイエットしようと思って、前に買ったトランポリンを取り出してきて、部屋に設置した。
4月に、ぺろりんに出した手紙のリアクションはまだ来ないから、今度は同じような内容の手紙を、にゃんこスター、のアンゴラ村長に送ってみようと思う。

↓。

BGM. さだまさし「セロ弾きのゴーシュ」