スランプの日々~浅草オールナイトに連れてってあげる。

14/Ⅷ.(金)2020 猛暑。リポーター・須藤甚一郎死ぬ。死んでこんなに悪く言われる人も珍しい。

1984年、医大生・川原はスランプだった。シネコンのはしり、キネカ大森がオープンし、寺山修司の実験映画の特集をするという。その日は、「書を捨てよ町へ出よう」が上映される。勉強なんかしないで外に行こうよ、と言われてるようで、当時の川原にうってつけなタイトルだったので、出かけてみた。映画館は割と混んでいた。
奥の席の手前に空席を見つけそこに座ろうとすると、奥の席の客は若いお洒落な女の子だった。
こんな子が1人で寺山修司の映画なんか観るのかな?と思って、
<隣あいてますか?>とたずねると、丁寧に「どうぞ」と言った。
だから僕も丁寧に、<どうも>と返した。
ストーリーは、最初に主人公が画面いっぱいに正面から映し出され、客席に向かってアジるのである。
何しろ、「書を捨てよ町へ出よう」である、まず行動しろ、ということで具体的な提案を延々と訴えるのである。
すごい迫力である。
そして、主人公は「そこの君、まず隣の女の子の手を握ってみろ!」と言うから、僕は焦って、隣の子の様子を伺うと、
その子もこっちを見ていて、目が合って、二人して同時に笑った。
それから僕はその子と帰りにお茶をして、友達になった。
数日後、彼女から千石の三百人劇場でルイス・ブニュエルの映画があるから一緒に行こうと誘われた。
ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」は寺山修司の年表にも登場するので、寺山つながりとして抑えておこうという訳だ。
タイトルは、『銀河』という異端キリスト教徒の話であったが、やや難解だった。
帰りに、お茶をして彼女から感想を求められたから、
<むずかしかったな>と答えると、「嘘!つまんなかったんでしょう?」と言われた。
図星で、この子は読心術の使い手か?、とヒヤッとしたが、そんなことはなくて、実は彼女も「つまらなかった」んだって。


それから僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になり、結構ややこしい方向に彷徨ったりしたが、最終的には喜劇映画の話になった。
今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行くと僕が言うと、彼女も是非連れて行ってくれと言う。
前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高かったというのだ。
その日のラインアップは大したものだった。
一本目が『ニッポン無責任時代』で二本目が『ニッポン無責任野郎』である。
この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、
そんな架空のランキングなどどうでもよくて、この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白い。
まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。
当時の浅草はロックスが出来て集客に意欲を見せていたが、僕らの仲間は滅多に行かなかった。
皆、新宿や池袋や渋谷で遊び、お洒落な人が六本木や原宿あたりをうろついていた時代だ。
ビートたけしが、ギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、
浅草の映画館はガラガラだったと言っていた。
勿論、たけし一流の浅草への愛情表現だと聞くものには伝わっていた。
かつての浅草からは多くの喜劇人が輩出された。
そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。
期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。
後で判るのだが、大抵の人はこの2本を観たら帰ってしまった。終電もなくなるからね。
僕らは、朝まで観るつもりだから、まずは腹ごしらえ。
駅構内の焼きそば屋で、焼きそばを1人前とビールを2本たのんで、
焼きそばをを半分づつつまみにして、ビールを飲んだ。
その後、糸井重里がやっている団子屋がロックスにあるから、そこへ行きたいというので行ってみた。
孔雀なんとか、という店の名前だった気がするが、違ったらごめん。
話を映画に戻そう。
映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。
それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。
この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕ら2人と酔っ払って寝てる浮浪者みたいな何人かと、
そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる本格的に寝ている何人かだけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。
不安そうだったので、<大丈夫だよ>と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目は、「日本一の色男」だったかな?。彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、『喜劇泥棒家族』という映画で、僕も初めて観る作品だった。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。
その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。
警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。
警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。
ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。
植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。
驚く女たち。
キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

それから36年たったのかぁ。僕は…、なんとかなった。

BGM. シカゴ「朝もやの二人」


部活の日々~武道館に連れてってあげる。

6/Ⅷ.(木)2020 猛暑。スー・メタルは広島出身。手越、農業に進出構想、TOKIO山口へラブコール。

梅雨があがって暑い夏がやってきましたが、ニュースは相変わらず、コロナが中心。今日くらいは、広島原爆投下75年とかやるのかな、と思ってたが、朝のワイドショーはやはりコロナの感染者数と帰省への注意喚起。分数でいうと、人生分のコロナが「1」になりそうな勢い。分子(コロナ)を減らせないなら、せめて分母を増やしたい。趣味も自粛の対象だから、過去の楽しかったお話でもしましょう。

クリニックに来たことのある人は、受付カウンターの喫煙所の方に貼ってある一連のクリアファイルに見覚えがあるでしょう。↓。

彼女達がBABYMETALです。
今回はまったくBABYMETALを知らない方のために簡単な基礎知識を紹介しておきましょう。ベビーメタルは、さくら学院のクラブ活動から派生した3人組のメタルダンスユニットです。メタルなので自己紹介の時、「~です」を「~death!」と発音します。
決めポーズではメロイック・サインではなく、キツネサインをします。↓。


そもそも、さくら学院が判りませんね。
さくら学院は、学校生活とクラブ活動ををテーマとした小中学生で結成された「成長期限定」の女性アイドルグループです。
ファンのことは「父兄」と呼び、メンバーは原則として義務教育終了の中学3年生3月で卒業するという決まりがあります。BABYMETALは、さくら学院の部活動「重音部」という位置付けでした。↓。


個々のメンバーを紹介しましょう。まずは、真ん中の一番大きい子がVocal&Dance担当のSU-METAL 、death!。
…という具合に「death!」を使います。↓。


次いで、横の小さな子がScream&Dance担当のYUIMETAL 、death!。↓。


同じく、Scream&Dance担当のMOAMETAL 、death!。↓。


両サイドの子は小さいとは言え、そこはさすが成長期、近頃は以前ほど身長差の凸凹が目立なくなってきました。
真ん中のSU-METALは、「さくら学院」を卒業しましたが↓、BABYMETALは人気に火がついたため、活動継続しています。


そうなると「さくら学院」が気になりませんか?
ライブに潜入してレポートしようと思ってるのですが、全然チケットが取れません。
ところで、BABYMETALに話しが戻りますが、「重音部」??って思いませんか?
部活なら「軽音部」がポピュラーですよね。でも、それだとアニメ「けいおん」のイメージが強すぎるのかしら?
そこで調べてみました。
大ヒットアニメ「けいおん」の第1期が放送されたのが2009年4月からで、第2期は2010年4月からでした。
一方、BABYMETALの結成は、2010年11月28日とプロフィールにありました。
だから、BABYMETAL(=重音部)は、「けいおん」(=軽音部)のパロディー的な意味もあったのではと推測できませんか?
「けいおん」の主人公達は、「めざせ!武道館」などと口にしてますが、放課後の部室でお茶をしてお喋りしてるばかりなので、武道館などありえません。
もしもBABYMETALが「けいおん」を意識してスタートしてたとしたら、本家を凌駕しちゃいましたね。
もっと言えば、BABYMETALがさくら学院の部活動だった事を考えると、現実ってアニメより非現実的death!。
BABYMETALの平均年齢は14・7才で、これは女性アーティストの武道館コンサートの最年少記録を塗り替えたそうdeath!。
ちなみにこれまでの記録は岩井小百合(銀蠅一家の妹分)の15才1ヶ月で、男性アーティストの記録はジャニーズJr.の14才5ヶ月らしい。以上、武道館コンサート最年少記録・豆知識でした。

1/Ⅲ.(土)2014 小雨の中、武道館へ

3月1日は、BABYMETAL武道館2Daysの初日「赤い夜、巨大コルセット祭り」です。↓。


BABYMETALは、2012年7月21日に目黒のライブハウス鹿鳴館で「コルセット祭り」という伝説のライブをやった。
今日のタイトル「巨大コルセット祭り」とは、その時とまったく同じメニューを場所を武道館にかえて、再現しようという試みだ。
従って、MCやアンコールは一切ない、とあらかじめ注意事項が述べられた。
これは伝説のライブを観た人は感慨ひとしおだろうし、観てない人には追体験できる、こんなに有難い企画はない。
演目は忠実に再現するのだろう。
しかし、鹿鳴館と武道館では規模が違い過ぎる。よって、今回は「巨大」が接頭語としてつく訳で。
この2DaysはDVDorBlu-ray で発売される予定で、再三、このステージは収録されるというアナウンスが流れていた。
それは、<映っちゃ困る、って後で、言わないでよ>って牽制の意味よりも、<映るんだから気合い入れてね>的な確認だった。
それはどう言うことかと言うと、「巨大コルセット祭り」だから、客全員が首にヘドバン用のコルセットを巻くのです。
入場前に、「コルセット引換所」へ行き、チケットの裏に「済」の判子を押されてコルセットを貰います。↓。


係の女の子から「入場前にはめて下さい」とコルセットを手渡され、念のため<俺も?>と聞くと、親切にも首に巻いてくれた。
下が、そのコルセットの現物。診察室の入口の、BABYMETALの額装の上にあるから、良かったら見て下さい。↓。


コルセットを首にはめたら、入場だ。
1階アリーナは立ち見客。音楽を聴いて暴れたい人のため。ステージは見えにくそう。
僕はステージを見たいので、2階席を取った。スタンドはほぼ空席なく最上階の席までギッシリ入ってた。
超人気!!あの武道館がいっぱいだ。開演は、6時スタート。
会場の空気は異様な緊張感だ。
大きな魔法陣のような円形のステージが中央にあり、それを野球場のダイヤモンドのように、正方形の通路が囲み、
角の4つの頂点に中央の魔法陣を縮小したステージがある。
おそらく、中央と4角の計5ヶ所でパフォーマンスをして、通路は滑走するためのロードだ。
BABYMETALよ、何を見せてくれるのだ?と期待が胸を膨らませる。
BABYMETAL武道館2Daysとは、いわゆる良くある<2日やるから、どっちか来てね。1曲くらいセトリかえるから、お楽しみに>
みたいなものとは、根本的に違うのである。2日で1つのストーリーを完結させるのである。
今日は明日のための予告編であり、進化し続けるBABYMETALを大河ドラマ的に観るものだと安心してライブに参加した僕。
ところが、どっこい、「生」はそうはいかない。
ミューズという芸術の神様がもしもいるなら、ミューズはBABYMETALに降りたな。
本来、予定調和で終わるはずの、明日のための助走であるはずの今日のステージでアクシデントが起きたのだ。
実は僕は、ずっと不安を抱いて観ていたのである。
<あんなに走って転ばないかな?>とか<あんなに張り切ってスタミナ切れないかな?>とか。
「さくら学院」では、ファンのことを「父兄」と呼ぶが、本当にそんな気分になった。
そして、僕の(そして会場にいた多くの人もそう思っただろう)嫌な予感が的中した。
それは、ラストから2曲目「ヘドバンギャー!!」でのこと。
ゆいメタル、が通路を滑走する最中に、勢いのあまり走路から外れて墜落してしまったのです。
2mくらいの高さはありました。
しかし、BABYMETALはプロですよ。そんな事故があったのに、本来3人でやるのを2人でやりとげました。
でも、そこでもまた、もあメタルがステージで転んだりするから、ハラハラして。何より、ゆいメタルの安否が心配で。
「ヘドバンギャー!!」が終ると、会場は暗転し、場内はザワつきます。進行はしばし、ストップ。
客席から、「大丈夫~?」というコールが聞こえ、次第に「ゆいちゃん!ゆいちゃん!」の応援エールに変わる。
一瞬、これは演出か?と思ったが、あの落ち方はマジだった。
そしてほんのちょっとの休憩の後、エンディング曲の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロが流れる。
ステージ中央にスポットライトが当り、すうメタルの姿が浮かぶ。
そして、次いで、映ったサイドのメンバーの数は、2人だった。ゆいメタル、復活!!
すごいぞ、あの高さから落ちて、わずか数分で復活なんて。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はMステでも披露された文字通り、イジメ、ダメ、ゼッタイ、と謳う世直しメタル・ソングです。
歌詞は、イジメっ子に対し「ダメ!」と警告を発し、イジメラレっ子に向けて「負けないで!」とエールを送ります。
ゆいメタル、と、もあメタルは空手の型の様な戦闘のパフォーマンスをします。
これは、イジメっ子をやっつけるという意味よりも、イジメられても強くあれ、という暗喩のようです。
実際、いくら「イジメ、ダメ、ゼッタイ」なんて言っても、人間が生きてる限り、イジメはなくなるはずはないと思う。
なのに、あえて、そんな巨大な敵と戦おうとするBABYMETAL。勝目のない試合かもしれない。
ステージでは、直前にステージから落下して、フラフラのゆいメタルが必死で格闘シーンを熱演する。歌のテーマと、武道館という場所と、ゆいメタルの姿が見事にシンクロした。うかつにも感動してしまった。

BGM. BABYMETAL「メギツネ」


楽しい日々~地下アイドルに会わせてあげる。

5/Ⅷ.(水)2020 猛暑。イソジン売り切れ、転売も。キャバクラ通いの阿炎(あび)回数を虚偽報告。引退か?

今から5年前は、「アイドル戦国時代」と呼ばれていて、中でも、僕を虜にしたのは「BELLRING少女ハート(以下、ベルハー)」の「朝倉みずほ(以下、みずほ)」だった。

7/24(日)は、渋谷WWWでベルハーの「絶望音楽祭2」。
もともと、どこかのバンドと対バン予定だったらしいが、相手がみつからず、急遽、この日はオタさん(ファン)の生誕祭になった。
通常のチケットが、2-3千円だが、生誕祝いをして欲しい人には1万円のチケットが売り出された。
アイドルの生誕祭は今や必ずあるが、ファンの生誕祭は聞いたことがなく、珍しい。
タイムリーにも僕は、7/24生まれだから、そのチケットを買った。↓。

申し込み時に、写真を送れ、とのことだから、似顔絵を描いてくれることは薄々勘付いていた。
渋谷WWWは、スペイン坂を登り切った所の、パルコ・パート3の対面の地下にあるライブハウス。
確か、昔、単館映画を上映してる映画館だったところだ。
客席も段々畑みたいになっていて、3-4フロアあるが、どの席からもみやすくて、綺麗な会場だ。
ベルハーのライブは、盛り上がると、モッシュやダイブが多発して危ないから、僕は2段目で観てた。
オープニング・アクトの、ヤなことそっとミュート、に続いて、ベルハーが登場。
気合の入ったライブ・パフォーマンスと、音響の不具合が荒削りで、エッジが効いていた。
ライブも盛り上がったところで、ビッグウェーブ担当のブッチが登場。
「ヨォ、ヨォ、ヨォー!どーよ。今日は何の日か覚えてる?」
みたいなことを言って、ファンの生誕祭をまさかのここでブチ込んだ。
今日の生誕チケットを買った人は僕を入れて全部で13人だった。
それぞれ名前を呼ばれて、ステージに上げられた。
我々は、ベルハー・メンバー手作りの画用紙で作った冠をかぶせられ、後でメンバー全員とのチェキを貼って、
記念のアルバムをくれるとのこと。
そして、みずほが「前日に買った」という白いリコーダーで、♪HAPPY BIRTHDAY TO YOU~♪を吹くから、
「皆さん、正座して下さい」と、13人はステージに並んで正座させられた。
一生のうちで、観客が凝視するライブハウスの舞台で正座をするなんて滅多にない貴重な体験をした。
下が、手作りの冠をかぶってステージで正座して、みずほのリコーダーを聴く僕。↓。


そして、昨日の夜、メンバーが愛を込めて作ったという、ミルクレープ、もお出まし。
クレープと生クリームがシンプルに何層にも重ねられている。
壇上にいる生誕祭のファンは皆、筋金入りのようで、ケーキが出てくると、メガネを外し出した。
僕が<?>と言うと、彼らは「お約束でしょう」と笑った。
<えっ?パイ投げ?>と僕はちょっとゾッとした。
しかし、結局は、そんな過激なことはなく、ライブ終演後に、切ってくれることになって、僕らはステージを降りた。
なんか他のお客さんに悪かったですね、普通の誕生祝いになっちゃいました。
後半のライブも盛り上がって、アンコールを2回もやった。
ライブの後は、チェキ会。13人は、メンバー全員とケーキと記念撮影。
その時、ケーキをくれるのだが、お皿とか用意してないから、僕らは手の平にケーキを置かれて。結構な大きさだ。
どんな好きな人のでも、手作りって口に入れるのは少し抵抗があるのだが、そんな潔癖症も、手の平にケーキを置かれたらぶっ飛んでしまって、あわてて、頑張って食べた。
みずほが、「たつじさん」と書いたプレートをミルクレープの上に飾ってくれたが、僕の携帯の写メは壊れてるので、ケーキの写真はとれませんでした。まぁ、記録より記憶に残しておきましょう。
そして、これがベルハー・メンバーからもらった愛に満ちあふれた手作りの記念アルバムです。
表紙を、みずほ、が書いてくれました。↓。

中をめくると、似顔絵をメンバーが1人づつ描いてくれてました。
1ページ目の、甘楽(かんら)が1番、送った写真に忠実です。↓。

2ページ目の、カイちゃんは、抽象画です。↓。

3ページ目の、レーレのタッチはやさしいです。↓。

4ページ目の、あーやんの絵はスマイリーです。↓。

5ページ目の、みずほは…みずほっぽいです。↓。

6ページ目は、皆の寄せ書き(カイちゃんだけ書き忘れ)の中央にさっきの全員チェキ。↓。

裏表紙は、みずほの手形。↓。

それから、背表紙はこんな風になっています。↓。

ところで「地下アイドル」の地下とは、まだメジャーに認知されてない、とか、地下のライブハウスを根城にしてるの他に、
距離が「近い」の「ちかアイドル」という意味があるのも皆さんは知ってました?
「絶望音楽祭2」はまさにそんな感じでした。
最後の物販コーナーで、みずほのチェキを撮りました。
みずほは白いリコーダーで、♪HAPPY BIRTHDAY TO YOU~♪を吹いてくれたのですが、途中で、
「わかんなくなっちゃった」と言って、笑いました。可愛かったです。↓。

 

僕が始めてベルハーを知ったのは、新宿のタワレコのインストア・ライブだった。
その日、何かの用事でたまたま寄ったのだが、それは運命なのかしら、彼女達のステージに出くわし、衝撃を受けた。
黒いセーラー服にカラスの様な羽根をはやした衣装は、アイドルらしくない。
メンバーは6人とクレジットされているのにも拘らず、ステージ上には3人しかいない。
音程は外れ、踊りもバラバラ。
そして、1曲歌い終わる度に、お互いの立ち位置が違うとか歌詞を間違えてるとか注意しあっていた。
今時の若い子は器用だから、素人でも、もっと達者だ。学芸会以下のステージだった。
しかし、楽曲は良くて心に沁みて、ハラハラさせられるパフォーマンスは目を離せず、
結局、最後までライブに釘付け。
勢いでCDも購入して、握手会にも参加してみた。
ベルハーのファンは握手をする時に長くメンバーと喋るから、自然と時間が押していた。
タワレコのインストア・ライブは時間きっちりに終らせないといけない。
ベルハー関係者は焦っていた。
約束を破って、2度と使えなくなったら困るからだと思う。
僕は後ろの方の順番だったが、途中から、ベルハーのスタッフが長いファンを打ち切るように介入して行った。
そして僕の番になった。
僕はその時は誰が誰かも判らなかったから順番に握手して記念にチェキを撮って帰るつもりだった。
今思うと、その時の3人は、じゅり、と、もえち、と、みずほ、だった。
順番に握手をして、彼女達が何か言うのに相槌をうつだけだったから、スピーディーだった。
僕はベルハー・スタッフから「早くして」とお願いされる事態にはなりようがなかった。
そのはずだった。
ところが、みずほ、である。
最後の、みずほ、は前の2人と違って何も喋らない。ただニコニコしている。
僕が握手を終え、その場を去ろうとしたが、みずほ、は手を離さないのである。
僕は戸惑った。みずほ、の力はそんなに強くはなかった。しかし、その手は解けなかった。
つかまった、という感じだ。キャッチされた、という感覚だった。
そのせいで、僕はベルハーのスタッフから、
「すみません。時間が押しているんで下がってもらっていいですか」と催促されて。
僕は<すみません>と恐縮して下がろうとするが、それでも、みずほ、はニコニコした顔で手を離さない。
すごい度胸だ。
僕はベルハーの運営スタッフからは離れてと言われ、ベルハーのメンバー(みずほ)からは離してもらえない。
どっちにすればいいんだ?という、ダブル・バインド状況。この初対面のインパクトは強烈だった。

ユーチューブで、
「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典」という動画をみつけました。
「夏のアッチェレランド」と「ボクらのWednesday」の2曲を無人の会場でピンで歌い踊っています。とりあえず、ぶっ飛ぶと思います。
3回みると中毒になるから要注意!

BGM.「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典


美しい日々~バルテュス展へ連れてってあげる。

1/Ⅷ.(土)2020 梅雨明け。杏と東出昌大、離婚。

きのうの東京の感染確認463人、全国一日の感染は最多1500人越えで、沖縄独自に「緊急事態宣言」外出自粛を求めたそうで、感染漸増段階、だと、分科会の尾身会長が力説していた。聞いたところだと、上野の美術館も前もってチケットを買わないと入れないそうで、以前のようにフラッと上野駅まで行って改札口のところのカウンターで「どこにするかな?」なんてその場で決めれなくなった。食べ物(外食)や鑑賞(映画・美術館など)って、その日の天気や気分でビビっと決めて動くのは最早もう古き良き時代の行動様式になったのかもしれない。

そんなノスタルジックなおセンチなあなたを今日は美術館に招待しましょう。2014年梅雨に行った「バルテュス展」です。↓。


僕が、バルテュス、を知ったのは、澁澤龍彦の本で、だ。
「部屋」という絵に衝撃を覚えた。
少女が全裸でソファに弓なりにヒステリー発作のように海老反っていて、その部屋のカーテンを意地悪そうな顔をした小人女がめくって、そのせいで部屋の中に対角線上に光が入って、少女の裸体を照らし出していた。
そして、テーブルの上の猫が小人女の方に視線を送っていた。
僕は二十歳前後に「部屋」を見たものだから、ものすごくインパクトがあった。
今回の「バルテュス展」にあたって、澁澤龍彦の本を読み返してみた。↓。


すると、それは僕の記憶違いで、「幻想の画廊」で紹介されてるのは、「部屋」ではなくて、「夢見るテレーズ」だった。
ちなみに「部屋」は今回の「バルテュス展」では展示されなかった。
「夢見るテレーズ」は今回の展覧会の目玉で、チラシやチケットの絵柄に使用されていたから、目にした人も多いかも。
下が、美術館近くの立て看板の「夢見るテレーズ」。↓。


モデルの、テレーズは、バルテュスが起用した最初の少女モデルで、隣に住む失業者の娘だったそうだ。
テレーズは、第2次世界大戦が迫り来る暗い世相を反映した雰囲気を持つ少女で、それがバルテュスを惹きつけたようだ。
澁澤龍彦の解説を読むと、これはただ少女が頭の上で手を組んでうたた寝して、かた膝立てて、パンチラを見せてる絵などではない。
こういう難しい理論武装をすれば、アニメやエロゲーの表現の規制もかわせるのではと思った。
頑張ってみたらどうだろうか、そっち系の人。
話をテレーズに戻そう。
テレーズは、他にも「兄妹」という絵のモデルになっていた。
しかし、同じ画家が同じモデルを書いたとは思えない程、こっちは可愛くない。おまけに妹なのに兄よりデカいし。
犯罪性がグッと低くなる。↓。


「バルテュス展」のパンフの表紙は、手鏡を持つ少女。↓。


これは、「美しい日々」というタイトルで、ポストカードも買ってきた。↓。


「美しい日々」で思い出すのは、片山健という人の画集だ。ちょっとバルテュスっぽいのである。↓。


あとがきで、片山健は自分が絵を描き出したきっかけは、シュールレアリズムの傍流の一連のきわめてエロチックな作品にふれたからだ、と書いている。
しかし、実際のバルテュスはシュールレアリズム運動には1度も参加していない。
アンドレ・ブルトンの目にとまり、初期の作品がシュールレアリズムの雑誌に載ったりしたが、バルテュスは距離をとっていた。
アンドレ・ブルトンが、バルテュスの家までわざわざ出向いて、話をして、決定的な考え方の違いにガッカリして帰った、という
エピソードもこの展覧会で紹介されていた。なんか、ちょっと笑った。
しかし、バルテュスはジョルジュ・バタイユとは仲が良かったらしい。バタイユと言えば、エロティシズムの巨匠ですね。
寺山修司の年譜には必ず、「バタイユの眼球譚」に出会う、みたいなことが重要な事件として載っている。
下が、バタイユの「眼球譚」。デルヴォーとバルテュスの画集で挟んでみました。↓。


バルテュスの絵にはよく猫が出てきます。パンフの裏表紙も猫です。↓。


これもポストカードを買ってきました。この絵は、シーフード店の宣伝に書かれたもので、店内に掛けられていたそうです。
シーフードの新鮮さを表現するため、海から虹に乗って魚が、猫が待ち受けるお皿に弧を描いて直接、舞い落ちてくる様子はマンガチックですね。
左下でボートで手を振る少女は、バタイユの娘、ローランス・バタイユ。↓。


大人たちが延々と喋ってるのに退屈して、1人でボートに乗って港を探索していたという逸話を題材に取り上げたみたいだ。
さすが、ローランス!バタイユの娘だけありますね。↓。


ローランスは、「決して来ない時」という絵のモデルもしています。この絵は僕が冒頭で言った、「部屋」にちょっと似ています。
「決して来ない時」の原題を直訳すると、「木曜日が4日ある週」になります。
当時、フランスの小学校は木曜日が休みだったため、「木曜日が4日ある週」とは「決してあり得ない」という言い回しに使われていたそうです。
これも、ポストカードを買ってきました。猫が見てますね。↓。


僕が今回の展覧会でもっとも注目したのは、「読書するカティア」です。これは、ポストカードが無くて残念でした。
なぜ、僕が注目したかと言うと、このモデルは、ベルハー(BELLRNG少女ハート)の「みずほ」に似てるのです。
パンフから、カティアをクローズアップしてみました。↓,


僕が、高2の時、好きだった女の子が紺のスィングトップをよく着ていて、僕はいつもその子のことを想っていました。
スィングトップがオシャレな女の子の間で流行っている時代でした。
だから、僕は原宿とかですれ違うスィングトップの女の子が皆一瞬その子かと錯覚して見間違えるほどイカレテいました。
そんな心理と似てるのかな?「読書するカティア」を「みずほ」に見間違えるのは。
下が、「みずほ」、タワレコのポスターより、クローズアップ。↓。


今日の記念のお土産は、パンフやポストカードの他に「蜂蜜」を買いました。
バルテュスは早熟で、11歳の時に作品集を刊行しています。
お母さんの恋人が、あのリルケだったそうで、リルケが序文を書いてくれたそうです。
その作品のタイトルが「MITSOU(ミツ)」なので、それと「蜂蜜」を引っ掛けた商品です。
「ミツ」の絵が瓶にデザインしてあります。↓。


「ミツ」とは愛猫の名前で、日本語の「ミツ(光)」が由来だそうです。
バルテュスは日本びいきで奥さんも日本人。来日して三島由紀夫とあった時の通訳をしていた人で一目惚れしたらしい。
バルテュスは勝新太郎に絵をあげて、替わりに勝新から着物をもらったりして。「座頭市!」と言って喜んで着てたそうです。
別角度の蜂蜜。↓。

さて、最後になりましたが、冒頭でお話した「部屋」。
僕の持ってるバルテュスの画集の中にあったから、紹介しましょう。↓。


ソファの少女に、カーテンをまくりあげ、陽の光を浴びせる暴行を働く小人女の顔は、角張っていて無表情。
髪型も変なクセに、カーテンを持ち上げるその身振りは、確信犯みたいに断固としています。
ただ猫だけがこの犯行の証人ですが、猫とこの小人女は同じ属性で、共犯者みたいにもみえますね。↓。

BGMに選んだのは、受付にいっぱい貼ってあるチェキの正体で僕がよくライブに行ってた頃のベルハー(東京最凶、と謳われた地下アイドル。パフォーマンスは学芸会並みと恐れられた)です。ユーチューブでみつけました。今見ると、こりゃ確かに、コロナ渦じゃダメだわ。これも古き良き時代、僕の50代の青春。↓。

BGM. BELLRING少女ハート「the Edge of goodbye」


ビューティフルネーム

30/Ⅶ.(木)2020 くもり 高田延彦、アベノマスク追加8000万枚に苦言。「洗濯する負担も考えなさい」

笹公人の「念力ろまん」(2015年5月)を読んでいる。↓。

「気分はCITY POP」という連作で、
「ゴダイゴの『ビューティフルネーム』脳内にかけながら見る園児の散歩」、
という句があった。そういう訳で、今回は、名前の話。

中2の頃、自分の名前に別の漢字を当てる遊びをしてた。僕の下の名は「達二」だから、「刺青(タトゥー)血(ジ)」と当て、出来たら満足して部屋のその辺に放っぽいたからいけないのだが、母がみつけ、悲しそうな目で「達二、あなたは自分の名前が嫌いなの?」と訴えられたもので、僕は「ハァー、これだから大正生まれは面倒くさい」と思ったものだ。

知り合いの獣医さんに聞いた話だと、動物園で「○○の赤ちゃん」の名前を公募、ってのは客寄せなんですって。
基本的に動物園では、動物に名前は付けないらしい。
識別できれば良いから。
今の個人情報保護法と似てるな。「何番の方、会計にどうぞ」みたいな。
そう考えると、名前って記号かな。
ところが、我々の業界では、「イマジナリー・ベイビー」なんて用語があります。
「イマジナリー・ベイビー」の例で、よく引き合いに出されるのが、皆さんご存知の画家のゴッホです。
ゴッホの産まれる丁度1年前に子供が死んでいて、つまり、その子の命日に、ゴッホは産まれたことになります。
親としては、モーニング・ワークの意味合いもあったのでしょう、ゴッホに死んだ子と同じ名前をつけます。
でも、これってどうなんでしょうね?
庭の隅には、お墓もあって、墓石に自分の名前が刻まれているのを、きっと幼いゴッホは見ただろうに。
その名前が、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。
ゴッホは小さい時から親と馴染めず、弟のテオにくっ付いていて。
テオを親代わりにして何とかやっていたが、テオが結婚した直後、精神症状が悪化して入院となる。
甥が産まれた時、ゴッホはホロホロと泣き、その子に「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と名付けてくれと頼んで。
その通りに名が付くと、その直後に自殺して死んでしまう。
ゴッホには、「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を伝える役割があった、というお話し。
これが、「イマジナリー・ベイビー」、家族神話のような世代間伝達のお話し。
どうですか?
すごくないですか、我々の業界。
ゴッホってもっとも多く「語られる画家」の1人だと思うのだが、我々のすごさはゴッホの作品に一切ふれてないこと。
ま、病跡学のジャンルではふれてるんでしょうが。
家族精神医学では、ふれない。ただ、役割理論の例えに良い具合に使われている。
ゴッホほど極端でなくても、名前には、何かを縛りつける力(作用とか効果)がありますね。

名前を考えるにあたって、僕が1番に想起するのは「シベールの日曜日」という映画です。
ここからは、ネタバレありです。
嫌な人は、ここから先は読まないで下さい。映画のあらすじを書いて終わりの記事ですから。
あらすじは、シベールという少女が母に男が出来て邪魔になったから、寄宿舎に入れられます。
母はシベールに「毎週、日曜日に面会に来るから」と約束して去って行きますが、一回も来ません。面会どころかその後の映画に登場しません。シベールは、棄てられた訳です。
おまけに寄宿舎の怖い寮母みたいな人に、「シベールは変な名前だから、ここではフランソワーズと呼びます」と勝手に名前も変えられてしまいます。
フランソワーズ(シベールのこと)は日曜日ごとに健気に来る筈もない母を待ちます。
ある日曜日、フランソワーズは、ある青年と出会い、意気投合して、友達になります。
いつしかフランソワーズの日曜日は、この青年と会う日になりました。
青年は、ベトナム戦争で受けた心の外傷で、戦争神経症(PTSD)になっていました。
青年には綺麗な看護婦の彼女がいて、彼女は献身的に青年のケアをしていました。
でも、青年は彼女には心を閉ざし、フランソワーズにだけ、心を開くのでした。
世間からみたら奇異にみえますが、純愛ストーリーです。
フランソワーズはクリスマスのプレゼントに教会の上の風見鶏が欲しいとリクエストします。
クリスマスの日に二人は逢引して、青年は危なっかしい足取りで、教会の屋上に上って風見鶏をもぎとってきます。
それをフランソワーズに渡すと彼女は満面の笑みで、お返しにと、木にくくりつけた紙を指差します。
青年が、その紙を木から取って、畳まれた紙を開いてみると、カメラがそこに書かれた文字をクローズアップします。
シベール
とだけ書いてあります。
フランソワーズは、クリスマスのプレゼントに、青年に本当の自分の名前を教えたのです。…涙。
それから、何がどうしたのかは忘れたのですが、警官隊が二人を取り囲みました。
どうやら、精神異常者が少女を誘拐した、って話になっていたような。
「手を上げろ!」の声に、青年がシベールをかばおうと動いた瞬間、一斉射撃。青年、銃殺。
青年の死体に泣き崩れる少女。
警官隊が近寄り、声を掛けます。
「お譲ちゃん、大丈夫?」「悪者は死んだからね」「怪我はないかい?」と警官隊は優しく口々に語りかけます。
少女はずっと泣いています。
そしてラスト。「もう大丈夫だから安心して。お譲ちゃんのお名前は?」という警官の質問に、泣きながら少女が答えます。
<もう私に名前なんてないのよ>
これが、映画「シベールの日曜日」です。
名前の持つ意味を考えさせられますね。名前は単なる識別記号ではありませんね。
さて、これでおしまいです。
名前について興味を持った人や、戦争神経症の資料を探してる人は、観てみたらどうでしょうか?
ただ1つ注意点があります。
僕の古い友達がよく言うのですが、「君の教えてくれる映画はいつも面白そうだから観るんだけれど、必ず、筋が違うんだよ」。
「さらにタチが悪いのは、映画より、君の話の方が面白いから、観た後、損した気がするんだよ」って。
僕は自分の記憶だけで話してるから、他の話がミックスされるのでしょうね。
だから「シベールの日曜日」のストーリーも違うかもしれません。
さっきのゴッホの話も同様です。気になった人は鵜呑みにしないで自分で検証して下さいね。
あと、ここまで読んでくれたけど、記事や映画「シベールの日曜日」に取り分け、興味が湧かなかった方にも朗報!
シベールは美少女だから、ロリコンの人は必見です!!
この記事のタイトルは「ビューティフルネーム」なのに、なんちゅう、オチじゃ。

BGM. 映画「シベールの日曜日」ダイジェスト


16/Ⅶ.(木)2020 くもり 藤井聡太七段、最年少タイトル獲得。3月のライオン、の上を行く

コロナでマスクは必需品。しかし、表情がみえないと不安だ、という声が多くあります。↓。

そこでフェース・シールドを利用してましたが、先日の、めまい、があってから、これが夕方になると(長く使用してると)暴れまくって反省しない孫悟空みたいに、頭がしめつけられて痛くなります。↓。

その解決策として、こんなものをネット通販で買ってみました。透明マスク、です。↓。

中を開けると、一つづつ個別包装されています。↓。

着用すると、こんな感じになります。これの難点は長くつけてると耳が痛くなります。だから、色々と使い分けて使用します。↓。

上下を間違えて、逆さにつけると、豚の鼻みたいになります。↓。

これ、何かに似てるな、と思って記憶を辿ってゆくと、子供の頃にいつも違和感を持ってみていたヒーロー物を思い出しました。皆さんも、ご存知の、ウルトラセブン、です。モロボシダンがウルトラセブンに変身する時に、ウルトラアイ、というグラサンのようなアイテムを装着するのですが、その時にアップになる、モロボシダンの鼻がいつも豚みたいに見えてカッコ悪いなと思っていたのです。皆さんはどうですか?感想は人それぞれですからね。↓。

さて、ウルトラセブンが出てきたので、せっかくだから、セブンの話をしましょう。

ある日、海底開発基地が爆発されました。事件を予告した少年は、「海底にはノンマルトが住んでいる。そもそも地球はノンマルトのものであり、人間はノンマルトを海底に追いやった侵略者だ」と言います。ノンマルトは怪獣ガイロスで攻撃。ウルトラセブンは地球の平和のために戦いますが、自分の行動は正しいのか?と悩みます。それは、一つの星の主導権を握る人間ともう一つの種族・ノンマルトの戦いに巻き込まれたウルトラセブンの葛藤です。この回は「ノンマルトの使者」と言い、その時代背景にはベトナム戦争がありました。
下の写真はこの番組放映直後、茅ヶ崎の商店街にウルトラセブンがやって来た時のものです。
幼稚園児の僕は、ウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、ソッポを向くしか出来ませんでした。↓。

BGM. 世良公則&ツイスト「SOPPO」


加山雄三

15/Ⅶ.(水)2020 雨 サンマ初水揚げ一尾6000円!!価格高騰。

今年も「抱かれたい男」「抱かれたくない男」が発表されましたね。抱かれたいは、1位・佐藤健、2位・斉藤工、3位・山Pでした。また違うアンケートでは、2位がキムタクで、1位が竹野内豊、というのもみました。これは年齢層に縛りがあるのですかね?一方、抱かれたくない、は、常連の出川&エガちゃん&アンガールズ田中&安田大サーカス・クロちゃんを圧倒的に引き離した独走の強さで、アンジャッシュの渡部が栄冠に輝きました。AVビデオに詳しい人に聞いたら、「多目的トイレ」を利用する企画物の作品は定番らしく、「何も渡部のオリジナルじゃない!」と怒っていました。しかし、しばらくは渡部のイメージがつきまといますね。

いい男というのは昔から一歩間違うとギャグにされてました。天才バカボンにはよく「石坂浩二」がハンサム代表で登場してたし、僕の地元の茅ヶ崎出身の「加山雄三」もちょっとあやういいい男でした。このあやうさは何でしょう?よくライバルとして挙げられる石原裕次郎の磐石ぶり(国民栄誉賞)と比べて、何かペラペラした感じがします。今後、考察して行く必要がありそうですね。

ところで嫌な天気ですね。皆さんは、お体大丈夫ですか?僕は先週、生まれて初めて「回転性のめまい」を体験しました。もう診療が終る時間だったので、後を受付の杉山さんに任せて、先にクリニックを出たまではいいのですが、駅に向う途中のドラッグストアで「めまい」の薬を買おうとレジに並んでたら、強烈な嘔気に襲われ、店外へ出たところで倒れてしまいました。世の中には親切な人がいるものです。119番通報してくれ、僕は救急病院に搬送されました。たまたま運が良かったのが、丁度、そこに仕事を終えた杉山さんが通りかかり、救急車に同乗してくれたので、救急隊員からの色々な質問に答えてくれたことです。救急隊員は、杉山さんに向って、「奥様ですか?」「ちがいます!」。「では、同伴の方で?」「いいえ、私は事務員です。事務員!」と懸命に否定していて、別にプロポーズをした訳でもないのに、強烈にフラレタ気分がしてショックでした。天井もグルグル回るし、救急車は揺れるから車酔いするし。三重苦でした。ヘレン・ケラーか俺か、って感じです。

救急病院は綺麗で、スタッフも優しくて、マスクをしてるからか、看護師はみな美人に見えるのは当然として、診療にあたってくれた若い男性の医師がめちゃくちゃイケテルのです。みんな、かっこいい。医療ドラマかと思った。親切だし。ま、結局、僕の「めまい」は一過性のもので誰でも一生のうち一度くらいはなるものらしく、おかげで翌日には治りました。気候とか蓄積疲労とかストレスだったみたい。救急車を呼んでくれた人、どうもありがとう。この場を借りて、お礼いたします。

昭和の爆笑王・林家三平(今の笑点に出てる三平のお父さん。つまり、こぶ平のお父さん)さんは、脳梗塞で倒れ救急車で運ばれた時、搬送された病院で意識を確認するために「お名前を言えますか?」と質問されるのだが、それに対し、「加山雄三です」と答えたという武勇伝がある。僕は子供心に「かっこいいなぁ」と思って、「僕もいつか救急車で運ばれたらマネしよう」と心に誓って生きてきた。時代時代によってハンサムは代わる。三平さんの時の正解は「加山雄三」だったが時代とともに移り変わる。だから僕はいつも常々、「今だったら、キムタクだ」「ぺ・ヨンジュンだ」「ベッカムだ」「小栗旬だ」と確認作業を怠らない。だから冒頭の「抱かれたいランキング」などは必ず目を通す。

だけどどうだろう。いざ、自分が救急車に乗るとなると、名前を聞かれた時、「山下智久です」とは答えられない。そんな余裕もないし。あったとしても怒られそうだし。つまり、何を言いたいかと言うと、素人が生半可な覚悟で踏み込んではいけない芸人の聖域があるという教訓だ。

BGM. 矢沢永吉「抱かれたい、もう一度」


ネットフリックス

14/Ⅶ.(火)2020 雨 令和2年7月豪雨、特定非常災害に指定

僕は今、ネットフリックスで韓国ドラマにはまっています。
「梨泰院クラス」「愛の不時着」、そして今は、「サンガプ屋台」をみています。
サンガプとは「双、甲(双方とも、乙じゃなく甲になる)」という意味で、わかりやくいうと、「ウィン・ウィン」です。
ちょっとマンガっぽい内容です。
昔、人の心の中に入って悩みをさぐれる超能力を持った少女が人助けのために活躍してました。
それがやがて、人々のねたみやそねみを買って、デマを流され、母を殺され、家に火をつけられ、ひどい目にあいます。
そこで彼女はうらみをこめてご神木で首吊り自殺をします。

しかし、そのせいでご神木のパワーが弱り、敵国に攻められ、約10万人の命が犠牲になったそうです。
閻魔大王はお怒りで、ただ地獄に流すだけでは許さん、と現代に彼女を蘇らせ、10万人に悩みを聞き心を慰めなさいと命令を出します。おちおち自殺も出来ませんね。
そこで、サンガプ屋台を開き、特別な酒を出し、そうするとその人の夢の中に入れるから、そこで人々の悩みを解決してゆく、というお話です。しかし、そこはドラマ、これにはタイムリミットがあります。
あと1ヶ月で目標を達成しないと地獄オチです。
主人公のお姉さんは気性が荒く気が短く、相手が心を開かないので、段々、焦ってきます。そんな時、「人間の体と触れてしまうと相手が悩みを打ち明けたくなる」という特異体質の青年をみつけ、屋台のアルバイトにスカウトします。自分の目標数字に達したらお前の特異体質を治してやる、と契約を結びます。「双甲」ですね。
筒井康隆原作・今敏監督の映画「パプリカ」と、アニメ「地獄少女」をマイルドにしてミックスした感じです。コメディ調のドラマなのですが、「化粧アレルギーで娘の結婚式にスッピンで出るお母さん」の話や、「警備員の女の子」の話では泣きそうになります。

ちょっと前に、ネットフリックスの人気ランキングをみてたら、1位「梨泰院(イテウォン)クラス」、2位「愛の不時着」と韓国ドラマがトップ2を独占していました。韓国は国がドラマ制作に力を入れてるそうで、なかなか面白いです。でも難点は、長い!、のです。60分が30話とかあるのです。愛の不時着、なんか1話1時間半くらいありました。そう言えば、前にうちに勤めてたスタッフで韓流スターと韓国ドラマが大好きな子がいました。その子は、よほどそっちが好きなのか、M1の優勝者の名前も、キング・オブ・コントのにゃんこスターのことも、芸能人の不倫のニュースも、政治家の汚職の事件も何も知らない子でした。世間に疎いのかな?と思ってましたが、今、わかりました。韓国ドラマをみてたら、それ以外を知る時間がないのです。

そこを何とかしようと立ち上がったのが、お笑いの「さらば青春の光」です。ユーチューブに「さらば青春の光チャンネル」というのがあって、そこで、さらば・の森田が、「梨泰院クラス」を熱烈に愛する、お笑いのライス・関町に電話をかけ、10分くらいで全貌をしゃべらせ「観た気になる」という企画が面白いです。関町は本当にドラマが好きだから、それを観て欲しいのですが、森田はグイグイ聞いて、結局、全部話させてしまうのです。その傍若無人ぶりが面白いです。勿論、ネタバレを含むので、ちゃんと観たい人は観ない方がいいですね。次回は、「愛の不時着」だそうです。

ネットフリックスの1位・2位を韓国ドラマに独占させてましたが、こないだみたら、「JOCKER」がトップ3に割り込んできてました。ジョーカーは、バットマンの敵役で、どうしてジョーカーが悪者になったかを語るスピンオフ的な物語らしく、よくみるとバットマンも出てるそうですが、それが分るには、バットマンシリーズをみてないといけないので、これも時間がかかりますね。時短でみたい人のために、僕が以前に作った紙芝居を紹介しましょう。ジョーカーを日本語でいうとトランプの「ばば」ですね。だから、主演にジャイアント馬場を抜擢しタイトルを「馬場」にしました。※このお話は、ナイツの独演会DVD「エルやエスの必需品」で前説として出てくる中津川弦のギャグを一部パクっています。紙芝居の下絵・川原、色塗り&仕上げ・うかい、です。↓。

 

・激・紙芝居~「馬場」

日本の雪国に、その少年は生まれた。産まれた時から大きな子だった。↓。

馬場少年は何より人を笑わせるのが好きで、たけしのようなコメディアンになりたかった。↓。

しかし、その恵まれた体を周囲は放っておかなかった。長身を利用して、学生時代には野球のピッチャーをやった。↓。

しかし風呂場で転んで肩をダメにしてしまってからグレてしまった。↓。

やさしいお母さんも死んでしまい、忌の際に「いつも笑顔を忘れずに」と言った。↓。

それから馬場少年はいつも笑顔でいるように心掛け、笑ってはいけない場面でも笑ってしまい、葬式で顰蹙を買ったり、大晦日にお尻にタイキックを受けたりした。

それ以来、馬場青年は笑うと蹴りを放つようになった。馬場の足は16文という大きさで「16文キック」と呼ばれた。

ここで世の中に悪政がひかれた。将軍・徳川家馬(いえうま)は自分が馬年生まれで自分の名前に馬がついてるから、馬を庶民より大事に扱った。そこで馬面の名前に馬のつく馬場青年がスターダムにのし上がった。テレビにも出た。家馬との対談で緊張してしまった馬場青年は笑ってしまい、なんと将軍様に16文キックをブチかましてしまった。↓。

これがテレビで生中継され、実は政治に不満を持っていた民衆から支持され一揆を扇動した。↓。

そして首謀者として馬場は逮捕された。↓。

そんな馬場に日本のお笑い界の友人・たつっち、が面会に来た。↓。

馬場「たつっちさんは人気者だからオレの気持ちはわからね~」

たつっち「そんなことはねぇ。アメリカには馬場が必要なんだ」

馬場「何故だい?」

たつっち「だって、ババがなきゃトランプは何もできないだろう」

馬場「うまい!」

たつっち「たつっち、です!」。↓。

「ありがとう~、さすがお笑い第7世代だ~」と泣き、たつっちに心を救われた馬場だった。↓。

こうして馬場はタップを踊り月夜に脱獄して一夜限り、黄金時代を再現したという。↓。

 

BGM. さらば青春の光チャンネル「梨泰院クラスの回」


走馬灯

11/Ⅶ.(土)2020 くもり、さっき通り雨 コロナ、空気感染?

当時の夜のヒットスタジオの石野真子の「めまい」がユーチューブでみれる。
最近はこればかり観てる。
歌前のトークで、司会の芳村真理から、「真子ちゃんは、ヌードになって欲しくないタレント第1位」と紹介される。
真子は少し戸惑った後、「みても面白くないですからね」とシャレた返しをするのだが、
もう一人の司会の井上順があっさり「そうだね」と答えると、
(泣く)みたいなポーズを一瞬した後、ちょっと腕組みをして怒ったようなポーズをとった。
生放送ならではのイキイキとしたアイドルの表情が見てとれて面白い。

その後あんなことやそんなことがあって、石野真子もヌードになるのだが、時は魔術師、30何年たって、石野真子のライブを観に行った。
まるで走馬灯のように当時を思い出す。
その時のライブレビューの再録です。↓。

7/Ⅹ.(月)2013 shibuya O-EAST

石野真子35th Aniversary TOUR 2013「しあわせのレシピ」を観に行った。
場所は、shibuya O-EAST。
どこだ?そこ?って感じです。
渋谷なら、渋谷公会堂とかでやってくれれば、場所が判りやすいのに。
名前からして、立ち見っぽいし。
以前、このブログで<客の年齢層、高そうなのに大丈夫か?主催者>と書いたら、患者さんでもない人からコメントが。
「多分、椅子が用意されるから大丈夫ですよ」って親切に。お陰で行く気になれました。この場を借りてお礼を言います。
ありがとう、たまたまネット・サーフィンで僕のブログに辿り着き、教えてくれたのですよね。すごいな、ネット。
shibuya O-EASTは、109から道玄坂の坂をひたすら登り、回転寿司が見えたら、右に折れます。
その辺のコンビニはきっとよく道を聞かれるのでしょうね、「ライブハウスはこちら→」と貼紙がしてありました。
そこは所謂、ラブホテル街で、男が1人でウロウロしてるのも変な気がします。
でも、ご安心、しばらく行くと、ライブハウスの看板がデカデカとありました。↓。


会場では、記念のTシャツも売っていました。
売場の人に、<これは何の意味ですか?>と尋ねたら、正解は教えてくれませんでした。
代りに、「真子さんが、ファンの皆様に考えて下さい、とのメッセージです」との答えでした。
下が、暗号じみたTシャツ。↓。意味、判る人、いますか?(正解は、後で書きます)

ライブハウスにはパイプ椅子が並べてありました。僕は真ん中当りの席。ステージはすぐそこだ。
いよいよ、オープニング。真子ちゃんは、ピンクとオレンジの中間のような色のドレスで登場!
ドレスには、ビーズの様な素材が織り込まれてて、ライトに照らされて、キラキラと輝く。
バンドは、ギター・ベース・ドラムス・キーボード&シンセの5人。
まずは、最新アルバム「しあわせのレシピ」から、「ダダダーンと何曲か」新曲を歌った。
皆、ゆったりと席に座って聞いている。
石野真子はいったん引っ込んで白いワンピースに衣装チェンジして再登場!
それはスカートの上に、それより短いスカートを重ねて、
そのまた上に短いスカートを重ねたように幾重にもなっていた。
歌は、白い色が意味するかのように、
1stアルバム『微笑』から「私はオレンジ」と「雨だれのワルツ」を。懐かしい歌。
「私はオレンジ」は、谷山浩子の作品です。
♪私を食べて~今すぐ食べて~♪という歌詞を石野真子は、
「当時、意味も判らず歌っていた」と苦笑しながら述懐した。
ちなみに現在、『微笑』はCDショップには売ってません。
在庫もないらしい。名盤だから、再販すれば良いのに。
ポスターやチラシで見た人もいるかもしれませんが、このライブでは石野真子がギターの弾き語りをします。↓。


そのアコースティックなスタイルで、「ぽろぽろと」と「失恋記念日」を披露しました。
石野真子は6月26日に「しあわせのレシピ」を発表してから、全国25ヶ所でライブをやってきたそうです。
石野真子はギターを抱えておしゃべりをするコーナーで、長い時は30分くらい喋っていたこともあるらしい。
バンマスのギターの人が言うには、「それがまた好評だった」と。
確かに、昔から、石野真子の話しは面白いのだ。
ギターを引っ込めると、石野真子は元気よく、
「シングルをやりましょう!」と言って「春ラ!ラ!ラ!」を歌う。
すると、今まで何処に潜んでいたのかと思った程、いきなり!、右斜め後方より親衛隊の掛け声がかかる。
「エル・オー・ブイ・イー、ラブリー・マコちゃん!エル・オー・ブイ・イー、かわいい、マコちゃん!」。
親衛隊の人は、白の揃いの特攻服を着ていた。おそらく、僕より年上だ。
なんか、これが着火点になった気がする。
続いて、「私の首領(ドン)」を真子ちゃんがメドレーで歌うと、
♪私のドン♪の「ドン」でジャンプする人がチラホラ。
右手の人差し指と中指を揃えて伸ばして、残りの指はグーに握り、
おでこに2本の指の爪の部分をあてるポーズでジャンプ。
もう我慢できない、と言わんばかりに、席から立ち上がる老(若)男女。
その様子をみて、歌いながら真子ちゃんは、吹き出したように笑って、嬉しそうな笑顔で、
マイクと逆の手の平を天井に向けて、その手の平を下から上にやさしく持ちあげたのが合図で、
一瞬にして会場はオール・スタンディングになった。
おそらく、これが、shibuya O-EASTの本来あるべき姿なのだろう。
「私の首領(ドン)」で火が点き、
「ジュリーがライバル」「ハートで勝負」といったヒット曲を立て続けにフルコーラスで歌って。
真子ちゃんはステージを右に左に何度も行き来して、
会場の2階や奥や隅っ子の方のファンにも手を振りながら歌って。
それはファンとの再会をマコちゃんが懐かしがっているように見えた。
オール・スタンディング状態のファンは手を振ったり、
「マコちゃーん!」と呼びかけたり、手拍子をしたりして、再会を喜んだ。
そして、親衛隊は会場の後の隅で、他のファンの邪魔にならないように
「エル・オー・ブイ・イー~」というエールを送っていて。
あぁ、こういう光景は懐かしいなぁ、と僕も感慨にふけって。
アンコールの催促の掛け声は、「エル・オー・ブイ・イー、ゴー・ゴー、マッコ!」。
マコの間に八分休符が入るのが正しいアクセント。
会場一体となって、「エル・オー・ブイ・イー、ゴー・ゴー、マッコ!」が連呼される。
アンコールに応えて、マコちゃんは真っ赤なワンピースであらわれ、皆への感謝を述べ、
「そしてやっぱり最後は」と、「この曲がなければ、皆さんと逢えなかった」と言って、
「狼なんか怖くない」のイントロが流れる。これがクライマックス。
皆、総立ちで、いい大人が、右手でキツネ(狼)の形を作り、
「狼なんか怖くない」を歌って大盛り上がり大会。楽しかった。
石野真子はデビュー35周年だが、全国ライブ・ツアーをやるのは、29年振りだと言っていた。
35周年と言えば、サザンオールスターズも今年35周年の全国コンサートツアーをしていましたっけ。
調べてみたら、サザンの「勝手にシンドバッド」が1978年6月25日。
石野真子の「狼なんか怖くない」が、1978年3月25日の発売でした。
どちらも、1978年デビューの35周年でした。
あぁ、そういう意味か、さっきのTシャツの数字の謎。
「351978」は、35周年1978年デビューの意味だ。
下は、「しあわせのレシピ」を買ったらくれたステッカー。
受付のお花のランプのところで撮影してみました
今は、クリニックの入口扉の郵便受けのところに貼ってあります。
良かったら見つけてみて下さい。↓。


石野真子は、このライブの数日前に「徹子の部屋」にゲスト出演した。
ライブのプロモーションなのでしょう。
番組は、黒柳徹子が石野真子に関する情報を事前に調査し、それを質問して行くという進行。
そこでは、「石野真子は実はキューバでは国賓的な扱いを受けている」とか
「アイドル時代、キャンディーズやピンクレディーや石野真子の親衛隊同士は仲が悪く、
会うとすぐに喧嘩になっていたが、それを(アイドル連合)としてまとめ仲良く応援しようと尽力したのが、
石野真子の親衛隊だった」というエピソードが紹介された。
こういう自慢話や美談は、ライブのトークで語られてもいいネタだ。
ふさわしい、と言っても良い。
だけど、石野真子はそういう話しは一切しない。
きっと照れちゃうんだと思う。
当然、そんなマコちゃんだから当時の暴露話やぶっちゃけトークなんかは勿論、しない。
ただ、「35年、あっと言う間だったね。…色々、あったか(笑)。皆もそうでしょ?」としか言わない。
月日は経って、それぞれ、色々、あったけれど、出会った関係性に終りはない。
石野真子は、このことを確認したかったのではないかな。
続いてはいなかったけど、ずっとつながっていた。
だから、渋谷公会堂ではなくて、ファン1人1人の顔が見える近さのライブハウスを選んだんじゃないかな。
なんて、そんな風に思うのは、僕の勝手な感傷かもしれないけど。

BGM. 石野真子「めまい」


夏だ水着だ青春だ

3/Ⅶ.(金)2020 くもり 東京都で新たに124人感染確認、2日連続100人超

一昨日のヤフーニュースで、羽鳥モーニングショーから消えた「岡田晴恵教授」 第2ステージはタレント文化人?、という記事を読んだ。
ワイドショーのコロナの話題も一段落し、アンジャッシュ渡部や、手越の独立などの芸能ニュースがトップにくるようになったからだろう。
岡田教授は、テレビ出づっぱりだったから疲れもしただろう。

ところがである。昨日の東京都の感染者数が107人で大騒ぎ。
今朝のモーニングショーに再び岡田教授が出演して解説をしていた。
巷では、新たに都が示した指標に明確な数値がないから危険水域がわかりづらいと批判する声。
しかし、「コロナがヤバイ!」という指標はこれが一番説得力がないか?
岡田教授、羽鳥モーニングショー復帰。

そうは言っても時計の針は進みます。
7月です!我らの誕生月ですよ!
世の中は梅雨やコロナだけど、気分はもう常夏です!したがって、今日のテーマは「水着」です!
若き川原達二にインパクトを与えた水着&ピンナップガール・ベスト3の発表です。

まずは、中1の頃です。東京の学校に進学した僕に、父がくれた大判の写真には、舶来の美女がビキニ姿で砂浜でポーズをとってました。
父は趣味でカメラをやってたから、そのつながりで、今後、売り出すモデルの写真を貰ってきた、と言ってくれました。
僕には4つ上の兄もいるのですが、芸能人やアイドル好きは幼少の頃から僕の専売特許なので、父もどうせなら喜ばれる方にあげようと思ったのでしょう。
そのモデルこそ、後に日本中をブームに巻き込む、アグネス・ラム、その人だったのです。
アグネス・ラムの人気はすごかったですよ。男子はみんな、クリアな下敷きに切り抜きを入れてました。「うる星やつら」の、ラムちゃんの名前の由来もこれでしょう?
下が、最近、アグネス・ラムを特集した雑誌の表紙。↓。

高校生の頃、夜のプロ野球ニュースをみるのが日課でした。そこで突然、飛び込んできたのが、ビーチで人目を気にしながら、思い切りよく、無地のグレーのトレーナーとジーパンを脱いで、青いビキニ姿になって、カメラに向って微笑むお姉さん。ミノルタ・カメラのCMの、宮崎美子も一世を風靡しました。ちょっと、おなかがぽっこりしてる所がいい!、とクラスでは評判でした。男子高校生には女子大生は憧れの的でしたよ。それがこれ

「若き川原達二にインパクトを与えた水着&ピンナップガール・ベスト3」しんがりは、石野真子、です。
こないだユーチューブで昔の歌謡曲の動画をみてたら、真子ちゃんが水着で歌を歌ってました。こういう番組って最近ないですね。
シンプルなこげ茶のワンピース水着が健康的なお色気を発していて、最近の僕のとりこで、毎晩、寝る前にこの動画をみています。あわよくば、夢で会えるかもしれないからね。

石野真子の初主演映画「九月の空」は、男子しかいない剣道部に石野真子が入部して~という話だった。あれは嫌な映画だった。
プライベートでもキス未体験の石野真子のキスシーンが映画の目玉。必然性がない。友達と観に行って、キスシーンでは友達の目を隠した。

その後、あんなことやそんなことがあって、石野真子はトップアイドルの座を捨て引退。
当時の石野真子は本当に人気があった。
アイドルに敵なし、まさにジュリーがライバルだ。
自らのデビューのきっかけとなった「スター誕生!」やNHKの「レッツゴーヤング」の司会も務めていた。
当時のレッツゴーヤングの後ろで踊るサンデーズには松田聖子がいた。
松田聖子はその後、なみいるライバル達を横綱相撲で退け80年代を象徴するアイドルになるが、もし石野真子が引退してなかったら天下取りは1,2年は遅れたのではないだろうか。
運も実力のうちか。

石野真子の最後のTV出演は「夜のヒットスタジオ」だった。
石野真子の引退のために用意されたような回で、真子がデビュー2作目にあたる拓郎作曲の「わたしの首領」(←チッ!誰のことだ?)と自らが作詞した「私のしあわせ」という歌を披露する。
司会者の井上順と芳村真理のはからいで海援隊の武田鉄也が「贈る言葉」を歌う。
泣き出す真子。
観ているこちらもつられて泣き出す。
「贈る言葉」をバックに色んな友人・知人がお花を持って駆けつける、30人くらい来た。
締めは、ドラマ「およめちゃん」で共演した森光子が、武田鉄也の歌をBGMに
「真子ちゃん、あなたは幸せになる義務があるのよ。これ、私からの贈る言葉」
という名言を残し、コマーシャル。
僕は涙が止まらなかった。
ラストのシーンでは花束を抱えて泣きながらも笑顔を作り「あ・り・が・と・う」と読唇術でしか読み取れないメッセージを送信するテレビ出演最後の石野真子の真横で本人以上に大泣きしている松田聖子が映った。
涙の降水量ランキング、1位・松田聖子、2位・僕、3位・石野真子だった。
数日は放心状態。もうテレビは見なかった。

石野真子の引退が決まってから、GOROでヌードが発表になった。
僕はかなり頭に来ていた。事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかに。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
当時、サザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」っていうのがあり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言っていた。
僕は結局、グラビアページをみないまま、翌日の夕方、庭の焼却炉に、石野真子のヌードを破って入れ、着火して燃やした。
グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。

先日、ある人物から「石野真子、好きだったでしょう?これ、どうぞ」と例の「GORO」の記事をもらった。
ある意味、お宝。30年以上の歳月を越え、解禁出来る。
しかし、あんまり気乗りしなくって、…実はまだ見れてないのです。

BGM.石野真子「ハートで勝負」