僕の夢(寝ている時の)

29/Ⅷ.(木)2024 台風のろのろ 大谷&愛犬デコピンが始球式

「橋」をテーマにして、笹公人が妄想で書いた短歌「念力図鑑」にこんなものが載ってます。

・処女にしか渡れぬ橋がありましてC組の女子だれも渡れず

・童貞しか渡れぬ橋もありましてC組の男子つぎつぎ渡る

面白いですね。下のは「橋」の夢。

見覚えのある川。地元の人はそこにかかった橋を上手に渡るのだが危なっかしい。「急がば回れ」で迂回する道もある。僕は器用にピョンピョンと橋を渡る。渡り切ったあたりで後ろを振り向くと幼い少女が橋を渡ろうとしてる。見るからに危なっかしい。僕は橋を反対方向から戻って少女に「危ないからあっちから行きな」と指をさし、ついでだから一緒に迂回路を歩く。少女は紅いおべべを着てて、髪の毛は文金高島田。(随分、古臭いファッションの子だな)と心で思う。少女は何かの話題を僕に話しかける。どうやら僕のことを知っているらしい。僕が(何故、知ってるんだ?)と不思議に思ってると、「兄から聞いてませんか?」と言われて、ちょっと考えて僕は慌てて飛び起きた。

ここまでが夢。何故慌てて起きたかというと、実は、その二日前、僕の大学の後輩の友人だと名乗る男に川のそばで話しかけられる夢をみていたから。川が見覚えあるのはその川だったからで。僕は「君のこと知らないよ」と言うと、男は「そうでしょう。川原さんは精神科のお医者さんですよね。頼みがあります。妹をみて欲しいのです」。僕は、「いいよクリニックに予約の電話をして」、と夢の名で答えたからです。その妹というのが少女だ、とわかったからひやりとしたのです。

つまり夢がパラレルワールドになってシリーズ化してる。「現実」が1枚の葉っぱだとしたら、「夢」は無意識の産物でもう1枚の別の葉っぱ。同じ「僕」という樹の幹で繋がってる。そう「知性化」して処理していた。月曜までは。

月曜日。それは「現実」の話。夕方5時ごろ小学生の下校時間。最近は防犯意識か集団で下校したり、自転車で迎えにきてるお母さんもいる。月曜は休診日だから僕は近所を散歩。向こうから一人の少女が紅いランドセルを背負って歩いてくる。あれ?なんでこの子は一人なんだろう。そう思ってすれ違いざまに顔をみて驚いた。夢でみた紅いおべべの子と同じ顔をしてる。僕が驚いている姿は傍からみたら不審者に思われるかもしれない。それなのにその少女は僕の顔をじっとみて「こんにちは」と挨拶してすれ違って行った。見ず知らずの人に挨拶するか??僕は「夢の少女」が「現実」に侵入して来たような妄想に恐怖した。一体なんだったんだろう?来週の月曜日も同じ時間に同じルートを歩いてみるか?いや、やめておくべきか。最近、「お護り」をなくしたり、ロザリオがちぎれたりしてるから、君子危うきに近寄らず、か。

スピリュチュアル的には夢は、守護霊が違うパラレルを見せることで何かを気付かせようとしてる考えるのだそうです。

 

という訳で今日は夢の話。

以下は昔、掲載した「夢の展覧会」。僕の夢日記のイラストを、当時の受付の大平さんが色塗りして「つぶやきコメント」を寄せてくれています。下が、現存する最古の夢日記ノート。1981年ということは…43年前のもの。43年前と言えば、大平さんはまだ生誕してないですね。この夢日記を書いてた僕は、10代後半~20才そこそこですから、大平さんにとっては、年下の男の子の絵です。そんなタイム・パラドックスも味わいの一つとして、どうぞご賞味下さい。↓。

・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月:川原少年19才の作品)


カラス貝は黒?色っぽいは何色?紫かな・・・

・伊藤つかさは、トマソンがお好き(1982.1月:川原少年19才の作品)


左下の謎のポーズをしてる3人組みがお気に入りです。

・貪婪(どんらん)…非常に欲が深いこと(1982.1月:川原少年19才の作品)


魔法の書を読み始めた感じで色を塗ったんですが、タイトルは貪婪だったのですね・・・

・手のひらを太陽に(1982.1月:川原少年19才の作品)


こういうポスター学校とかに貼ってありましたよね。

・もう君に逢うこともない、心は揺れても(1982.2月:川原少年19才の作品)


北京のバッグが気になると川原先生に話したら、本当に先生が持っていたバッグらしいです。

・小田急線のひとコマ(1982.2月:川原少年19才の作品)


この絵、座ってるとこ上手くかけてますよね。

・本厚ちゃん(1982.3月:川原少年19才の作品)


かわいくしたかったのに無理でした・・・。

・キヨシローのまね(1982.3月:川原少年19才の作品)


カラフルにすればそれっぽく見えないですか?

・川守田(1982.4月:川原少年19才の作品)


川守田さんは先生のお友達です。

・一人になりたい…ううん、一人がいやだから。(1982.7月:川原少年19才の作品)


後ろにいるのはサメなのでしょうか?・・・えぼし岩だそうです。

・伊代はまだ(1982.8月:川原青年20才の作品)


腕が長いですね。先生が20歳の頃、松本伊代が流行っていたんですかね。

・天才の誤算(1982.9月:川原青年20才の作品)


靴が素敵なんですよ。

・テスト前日(1982.12月:川原青年20才の作品)


こういうよく分からない絵を塗るのって楽しいです。

・物理ダメ(1983.2月:川原青年20才の作品)


これ,左側にスイーツ隠れてたんです。

・ダルなboyは、Love is Real.(1983.3月:川原青年20才の作品)


『Maiこ』ちゃんは先生の好きだった子ですかね?私には『Maiこ』に見えたんですが、
『Maiこ』じゃなくて『Mari』だったんですね・・・

・マリン・スポーツ(1983.5月:川原青年20才の作品)


ドラえもん、オバQ、いしのまこ、カバ・・・なぜかカバ。

・カルピス(1983.5月:川原青年20才の作品)


カルピスのボトルに書いてある帽子をかぶったやつが可愛い!!

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月:川原青年20才の作品)


理科室のガイコツ懐かしいですね~

・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第3位。

・野球大会(1983.8月:川原青年21才の作品)


先生の書くドラえもんは丸くない!

・クリスマス・イブ(1983.8月:川原青年21才の作品)


夢の絵の中で1番かっこいい絵だと思います。

・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月:川原青年21才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第1位。

・すっかりトロピカル(1985.7月:川原青年22才の作品)


陽気な感じと南国な感じが夏にピッタリの絵です。

・明日のイブはRC(1985.12月:川原青年23才の作品)


8時42分に何が起こったんでしょう。

・オキドキの古着で遊園(1986.5月:川原青年23才の作品)


「オキドキ」って川原先生はお店の名前と言っていましたが、私はマリオが思い浮かびます。

・直ちゃん(1987.6月:川原青年24才の作品)


これは塗りやすい絵だったんですが、サインペンで色を塗るのは難しくて、
色鉛筆にすぐに戻しました。

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月:川原青年24才の作品)


私も白い服にシミができた時こんな顔します。

・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月:川原青年24才の作品)


「ユキヒョウはどこにいるんですか?」と塗っている時に不思議でしょうがなかった絵。

・大船観音がくずれた(1987.7月:川原青年24才の作品)


観音様のお顔だと気づかず、先生に言われて気づき塗り足しました。

・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月:川原青年24才の作品)


真ん中の子にと左の子にかわいさをプラスしました。気づきましたか?

・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月:川原青年24才の作品)


この絵のタイトルを知らない人から「31アイスみたいだね」と言われ
塗り絵レベルが上がったと実感し嬉しくなりました。

・気がつけば兵隊(1987.7月:川原青年24才の作品)


みんなの表情がいい。

・眠れ。ライオネル・リッチーの墓の上(1987.7月:川原青年24才の作品)


どんな色で塗っていいかもわからなくなってしまった絵。

・スタン・バイ・ミー(1987.8月:川原青年25才の作品)


暑い日は海辺でのんびり、いいですよね。

・ニース予想図(1987.8月:川原青年25才の作品)


ニースってフランスのニースですかね?噴水あるんですか?

・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月:川原青年25才の作品)


また、アイス!後ろの2人は羨ましがってるのかな。

・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月:川原青年25才の作品)


ダチョウ(くじゃく)って全然違う鳥だけど・・・

・僕は照れる(1987.8月:川原青年25才の作品)


川原先生はいったい何に照れたのか?

・新宿地下の靴専門店(1987.8月:川原青年25才の作品)


この失明者用の靴は指の先が触覚の様に動くと先生が説明してくれました。

・過ぎ行く夏を惜しんで~絵を描く2人の少女(1987.9月:川原青年25才の作品)


最初に先生が少しだけ色を塗っている絵は色を塗るのがラクです。

・念力(1987.9月:川原青年25才の作品)


念力は見えないから何色にしようか迷いました。

・さっきまでの競争のつづきだ(1987.9月:川原青年25才の作品)


人を緑色で塗ったらハルクみたいにみえますね。

・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月:川原青年25才の作品)

渡り廊下だと気付かず、カラフルにしてしまいました。
ちなみにこの絵左側にいるのは川原先生で
研修?授業?かなにかをさぼって帰るところのだそうです。
手に持っているのは白衣だと言っていたのですが、
私には抱き枕かぬいぐるみに見えました。

・脳外科はじまる(1987.9月:川原青年25才の作品)


これは一体何でしょう???

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月:川原青年25才の作品)


これ、色を塗っていたらよく分からないパーツがあって、そこだけ着色しませんでした。

・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月:川原青年25才の作品)


わかめ・・・

・宙に浮く機械(1987.10月:川原青年25才の作品)


宙に浮く機械!夢っぽいですね。

・すいみんやくが欲しい(1987.10月:川原青年25才の作品)


夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第2位。

・明るく生きるコト(1987.10月:川原青年25才の作品)


川原先生はカラフルなボーダーが好きらしいです。

・サンボのジャケット(1988.7月:川原青年25才の作品)


サンボってなんですか?っと聞いたら格闘技の雑誌を川原先生が見せてくれました。

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月:川原青年25才の作品)


記念写真にオバQ写ってたらおもしろいですよね。

・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月:川原青年26才の作品)


いい夢ですね~。ウサギに乗ったらもふもふなのか。

・うその固まり(1989.1月:川原青年26才の作品)


「きみだけに話すんだけど・・・」て誰かに話すと皆に知られていた小学生の時を思い出しました。

・すべては幻想である(1989.1月:川原青年26才の作品)


ヒョーロン家が怪しい。

・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月:川原青年26才の作品)


三角関係ですかね!!!

・世代交代の口約束(1995.3月:川原中年32才の作品)


先生の描く力士はなんだか可愛い。

・2002.8月6日からの夢日記の表紙:先生不惑の40才の作品


この夢の絵に色づけするとき『これは何だろ?、川原先生の夢だからこんな色でもいいかな』と、
タイトルを教えてもらうまで何の絵かも分からなかったり、
普段の私だったら使わないような色で塗ってみたりという絵がたくさんありました。
自分じゃない誰かの絵を塗るのって面白いですよね。
それが川原先生の描いたなんか可愛くて奇妙な夢の絵だからもっと面白い。
何ヶ月かのあいだ、受付業務の合い間のちょっとした楽しみの1つでした。
川原先生が最初にかいていましたが、この夢の絵の中には
私より若い頃の先生が描いた絵もあるんですよ・・・。
なんだか不思議な気分になりますね。
BGM.OH MY GIRL「Coloring Book」

BGM. シーナ&ザ・ロケッツ「ユーメイドリーム」


川原はどのように夏休みを過ごしたか?

夏休みに入る前のこと。 「どこか行きますか?」と聞かれたので「ニューヨークとフランス…」と言い掛けたら「まぁ、ゴージャス!」 とビックリされました。
ニューヨークというお笑い芸人の単独ライブと、水道橋博士と松村邦洋のトークライブを聴きに浅草フランス座(東洋館)に行く予定なのに、勝手に勘違いされたのです。 そんなカワクリの夏休みは、8/11(日)~8/19(月)です。 その間に私がどのように用事をスケジュールしたかを今回はお話してみようという日記です。

①8/11(日)

・高円寺昼「水道橋博士とビートきよしのトークライブ」、2000円。

浅草キッドの玉袋筋太郎じゃない方、と、ツービートのビートたけしじゃない方、の二人のトークライブ。

博士のサイン本を買う。

名前入り。

おまけのシール。

1980年のマンザイブーム爆発までの浅草フランス座&ロック座時代の当時の話を聞くという会。ビートきよしは、芸人としてはたけしの2年先輩だが実年齢は2個下で、やたら記憶力がいいので、ビートたけしの諸説の真偽を、たけしマニアの博士が鋭く切り込んで行くという企画。2時間では足らず、次回をやる約束で握手。左がきよし師匠、右が博士。

その足で新宿へ。

10日発売の「いちご新聞」を買いにサンリオショップへ。

これが収穫。

「いちご新聞」220円の今月号のおまけにボールペンがつく。全5種なので5冊買う、1100円。

全部揃えました。

ランチは中村屋。

限定のカレーにしてみましょう。アラジンのランプみたいですね。

ベンゴールカリー2200円です。肉がいっぱい入ってるって感じです。

②8月12日(月)

・ネットフリックスで「地面師たち」をみる。1日1話観ようと思ってたが、ケンタッキーを買って来てAM~PMにかけて一気見。バイソンとアントニーがいい。これが実在した事件だというのが怖い。

③8/13(火)

・今日は映画の梯子。13時から新宿バルト9で藤本タツキの「ルックバック」。58分、1700円。

実写版「推しの子」のポスター。

ルックバックは青春映画。学年新聞に漫画を描いてる主人公がちょっと褒められて嬉しくなって雨が降って来たのにミュージカルスターのように踊る描写は、(クオリティーはともかく)物を作ったことがある人には刺さるはず。あぜ道をスキップするシーンはコミックス(原作)にもあるが、アニメの方が動きがある分100倍良い!「雨に唄えば」のジーンケリーのよう。

入場者特典でもらったポストカード。絵柄が原画風。二枚くれた。

15時~ポレポレ東中野で「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」をみる。

この映画館は僕が東中野に住んでる頃にはまだなかった。

昔、世間を騒がせてる頃、ビートたけしがテレビドラマ化した、カルトとバッシングを受けた社会問題「イエスの方舟」の45年後を描く。オウムや統一教会がまだ騒がれる前の時代で、新・新興宗教に日本人が免疫がない時代。

おっちゃん(千石イエス)は死んだけど女性たちは共同生活を続け、「シオンの娘」というクラブ(水商売)で生計をたてていた。彼女らは酒を呑まず、客の横にも座らず、おさわりNG笑。映画では現在の女性たちの姿に同じ人物の20代の頃の映像がザザっと差し込まれて、当時の彼女らがとてもファッショナブルな美女なことに、知ってたけど、こうあらためて突き付けられると今更驚く。

新宿に出てモンスナックのカレーを食べる。

昔は、コーンサラダが「常連さん」だけおまけ。次回に使える「トッピングのコロッケ」が無料だったからそれを再現してみた。今はコーンもコロッケも有料。

④8/14(水)

・おそ松さん第4期制作決定!で、3期以降の劇場版をみてないことを思い出し、サブスクで3本みる。それというのも途中、「2.5次元」とか「実写化」があったので、「映画は無視しよう」とサボってたことへの補習。「えいがのおそ松さん」「ヒピポ族と輝く果実」「魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会」と映画3つ観ました。ひとつ目は映画館で観てました。ヒピポは、心が洗われます。たこ焼きパーティーは、トト子ちゃんが可愛いのと、最後のクレジットでスタッフの名前に(長男)(次男)(長女)(秘密)などと書いてあるのが面白かったです。あのスタッフロールでSNSのハンドルネームに長女次女など付けるのが一時期流行ったそうです。

寝る前、YouTubeでブレイキングダウン13オーディション1-5を一気見する。次回は日米対抗戦が目玉。きっと岩国の海兵隊だろう。昔、アウトサイダーでアウトサイダー軍と沖縄海兵隊が5対5の試合をやったのを見に行ったことがあるが、あの時は沖縄軍は名前も偽名(たとえば、ライオン、とか)でなるべく隠してた。

⑤8/15(木)

・テレビ録画で「推しの子」とNHK納涼落語特選「居残り佐平次」立川談志(1979)をみる。その後、部屋の片付けをしてマンガを整理して本棚へ。「藤子F不二雄」SF短編コンプリートを読む。

・有楽町よみうりホール「ニューヨーク単独ライブ」初日、6000円

 

ナイツが夏休みの「ザ・ラジオ・ショー」を平成ノブシコブシの徳井と相席スタートの山添が、安藤なつの相方をした回のゲストにニューヨークが来て、「単独ライブの席がトータル1200枚残ってる」と。そもそも5都市のツアーで東京は「3000」のところ「6000」の応募が来たから凱旋で2公演追加したらお昼で平日で告知不足もあり、チケットが余って「自分達は人気がない」と嘆いていた。「愛のハイエナ」(さらば青春の光、とMCして、山本裕典ホストになる企画をやった番組。超面白い!)のよしみがあるからチケットを買った。

明日もチケットとったが台風が近づいてきている。不要不急の外出はさけろ、とニュースが叫ぶ。ニューヨークせっかくチケット完売したのに、次なる試練?

⑥8/16(金)

・先日新宿紀伊国屋で買った本を読む。

「デデデデ」の1-2巻。映画化記念、あのちゃんといくらちゃんの帯つきコミックス。

「からかい上手の高木さん」卒業アルバム。

これはイラスト集。背表紙。

表表紙。

寄せ書き?西片?みんなの声?

二色刷り「つげ義春」作品。「もっきり屋の少女」の紙芝居用カラーイラストも収録。

永井豪作品は意外と手に入りづらいです。

ハニーが生まれる場面のカラー版。

台風で外出するなというから夜のニューヨークのライブはキャンセル。台風だから払い戻し。吉本が払い戻しに応じるのは異例。

⑦8/17(土)

・中野ブロードウェイへ。

「墓場の画廊」で「伊藤潤二展」をやってると聞いたので観に行くも13日でおしまい。グッズだけ買う。

ステッカー550円を三枚。このステッカーはメルカリで高値で売れてて人気だそう。

その後、普段はチェックが甘めの4階を中心に回る。まんだらけ「マニア館」で古本。

まんだらけ「変や」でおもちゃ。

まんだらけ「海馬」で写真集やオカルトなど。

お昼は「青葉」でつけ麺。

 

特製つけ麺1350円。

夜、アベマテレビで残酷物語「うつくし姫」(物語シリーズ)をリアタイで友人とLineしながら観る。

⑧8/18(日)

・浅草東洋館「水道橋博士62才の生誕祭、改め大感謝祭」、が浅草キッドの修行の地、旧フランス座(現・東洋館)で開催。ゲストは松村邦洋。2000円。

お昼は「尾張屋」で天丼。

とりあえずビール。

板わさ。

天丼(車エビ)3500円。

蓋を開けます。エビがはみ出してますね。

博士生誕は、19時半開場20時開演なので時間があるから、せっかくだから「ロック座」でストリップをみる。吉野家の先にあるのが、ロック座。

ストリップと言っても皆さんが想像するようなものではありませんでした。劇場は改装されて綺麗だし会場のスタッフ&店員も半分くらいは若い普通の女性。8月は真夏の祭典!ワールドダンスレビュー!という演目。「アースビート」というタイトルで、インド・中国・ロック・フラメンコ・サロメの話・和太鼓など世界の音楽に乗せて踊り子さんがビートに合わせて「ポーズ」を決めると会場から拍手が起こるという大衆演劇のような「アート」でした。

フィナーレは全員が舞台に揃いリオのカーニバルのいでたちで「マツケンサンバ」を踊り狂い終わります。何が何だかよくわかりませんがこれが面白いのです。悲しい気分なんかぶっ飛んでしまいます。あまり目の見えない野末陳平先生(92才)が高田文夫(76才)に頼んで今でも連れてってもらうという気持ちがよく分かりました。入場料は7000円(シルバー割は65才からだから利用できず)だが入れ替え制がないので1回入れば最大4公演みれて再入場も可。本公演のステージ写真(1枚1000円)をトリの逢見リカとファイナルを買いました。2ステージ半みました。半というのは、20時から博士の生誕祭があるので3ステージ目は途中退場したという訳です。

そして博士生誕へ。

玉ちゃんからお花が届いてました。これが「伏線」。

1部は映画の話。

2部は付き人の話。

3部は松村邦洋のトーク。ほぼ松ちゃんのモノマネを聞く。そして10/10に浅草キッドがフランス座で復活するというニュースに!「伏線回収」。これはチケット争奪戦必至だ。

⑨8/19(月)

・今日は断捨離と部屋の模様替え。本棚も綺麗に途中経過。

 

さて夏休みも終わりいよいよ再開(再会)ですね。皆さんはどんな1週間でしたか?僕はこんなでした。


僕が精神科医になった訳 2024

13/Ⅶ.(土)2024 久しぶりにはれ 今日22時よりABEMAにて「撫物語」第2話なでこドロー其の壹、無料独占配信開始!

フェリーに乗って帰宅途中。どこかの島で散々遊びつくしたのだろう。すっかり疲れて愚図った顔をしている、それなのに帰路の船の中「まだ帰りたくない」って泣いてわめいるのは子供の頃のボク。それを横でみてるのが大人になった今の僕。まわりには母や兄や親戚のおじさん&おばさん(共に教師)、いとこや従業員のお姉さんたちが10人以上。みんな小さなボクをなだめてて、大きな僕の存在には気付かない。見えないみたいだ。

僕は今でも飲み会で「はい、お開き」となっても「まだ帰りたくない。もう一軒行くぞ」と先輩や後輩たちを困らせる。みんな「明日は朝から用事がある」と。だから僕はすねて「もうあんな奴らと飲まない」と飲み会に参加しなくなった。フェリーのボクと何も変わらない。

季節は夏か。島で大きな浮き輪を持って大笑いしてはしゃいで走り回ってよく動いている。海の上で転覆して泳げないから誰かに救出され、泣いたカラスがすぐ笑って、走り出したかと思ったら転んでケガをして膝小僧から出血して、その血をみて兄が卒倒する。落ち着きのない子供だから怪我ばかりする。10人くらい大人がいるから何とかみれてる。これだけ動けばよく眠れるだろう。食べ物は好き嫌いがあって、玩具を買ってもらって夢中になるが結局うまく操作出来なくって放り投げる。教師であるおじがそれを拾って使い方を教えるが興味を失くしてるから見向きもしない。

ピアノとか絵画教室とか書道とか学習塾とか習い事もいくつかするが勘だけ良いから最初こそさっさと出来るが壁にぶち当たると投げてしまう。ちょっときつく言われるとヘソを曲げてもう何もしない。母は根気強く怒らないでボクが嫌だと言ったら無理強いせず次の物をあてがった。こんな育て方をしてたら将来こらえ性のないロクな大人にならないぞ。言う時はビシッと言って、怒る時は怒らないと本人のためにならないんじゃないか?

フェリーは島から離れどんどん港に近付いて行く。旅の終わり遊びの終わりだ。わめき疲れてボクはお姉さんの腕の中で寝息を立てている。この時分の性質や性格が奇跡的に矯正されないまま、今の僕になったかと思うとちょっとゾッとする。とはいえ人間は社会的な動物だから、福祉うんぬんではなく、何か弱ってる個体がいると周囲の個体が守ってあげようとするのか。ボクはそんな風に誰かに助けられながら甘やかされながら今日まで生きて来た。人間は支え合いだというが、それはギブアンドテイクしてる人が言うもので、ボクのような人間があまり偉そうに言うことでもないな、とフェリーの中で僕は思った。

 

以上、夢日記でした。さて、今回も「心のゴミ箱」兼用です。昔の知り合いでたまたま、ここを見つけた人も「元気ですか?」と声をかけて下さい。「非公開」希望の人はそう書いて下さい。今月はお誕生日月なので過去の記事を手直しして自己紹介の代わりです。

 

僕の家は眼科で二人兄弟だから、将来の親の希望は、父と兄と3人で眼科を大きくすること。そういうのを「是」とする時代だった。僕は物心付いた時から、医者になることになっていた。勿論、その後の人生で、思春期や反抗期はあったけど、僕は医者になった。それは眼科医になる、のではなく、精神科医になろうという強い意志があった。医者になるには医学部に入り全教科を勉強して全教科の国家試験をパスしないといけない。だから、逆に言えば、医師免許があれば、何科にでもなれる。僕に対しての約束は、医者になることだったから医者にさえなれば何をやっても良いとも言えた。
僕の生まれは茅ヶ崎の海側で、そこは別荘地の多い温暖な風土だった。幼稚園の頃、近所をブツブツと独り言を言いながら、乳母車を引いている貧しそうな老婆が徘徊していた。老婆は乳母車に古い赤ん坊の人形を乗せていて、その人形を本当の赤ん坊だと思っているという噂だった。すずめ、を捕まえて食べてるという噂もあった。僕は母親やお手伝いさん達に、「タッちゃん、あの人に話しかけてはダメですよ」と教えられていた。ある日、狭い路地で老婆と鉢合わせた。
僕は思わず、「すずめ、って食べれるの?」と聞いた。すると、老婆は「坊や、そんな可哀想なことをしてはいけないよ」とビックリするほど、優しい声で言った。僕は一瞬で、この人は良い人だ、とピンと来た。すると、そんな気持ちが以心伝心、彼女にも伝わったらしく、僕らは仲良くなった。老婆は乳母車から赤ん坊を抱え上げて、「ほら、こうするとお日様が透けて見えて綺麗なんだよ」と僕に教えてくれた。セルロイドの人形に夕陽が差し込んで、それはキラキラと反射して輝いて虹のように見えた。しかし、僕はこの事は、親には秘密にしておいた。
同じ頃、似たような事件があった。
僕の実家は広大な家だった。だから、時々、「乞食」(←これは不適切な表現なのでしょうが、差別を助長する意図ではないので使用します)が来た。母親やお手伝いさんは、「タッちゃん、乞食が来たら、食べ物をあげちゃダメですよ。クセになってまた来るから」と言った。僕は言う通りにしていた。ところが、ある日、僕しか家にいない時に、勝手口から、女の乞食が、「何か恵んで下さい」と入って来た。僕は、「お前に、何かあげるとクセになってまた来るから、やらない」とピシャリと言い放った。すると女の乞食は、「坊ちゃん、もう何日も何も食べてないのです。約束します。今日だけですから」と懇願した。僕は女乞食の目をジッと観察して、僕にはこの人が嘘をつくようには見えなかった。そこで、従業員がいつでも、食べれるように台所に置いてある塩むすびを持って来てあげた。女乞食は何度も何度もお礼を言い、約束は守る、と言って帰って行った。僕はこの事も、大人達には話さなかった。
代わりに、毎日、「ねぇ、今日、乞食、来なかった?」と聞くのが日課。すると、親やお手伝いさん達は、「変な事を気にするのね。乞食なんか来ませんよ」と笑った。女乞食は僕との約束をちゃんと守ったのだ。僕はこれらの事を通じて、大人たちの言う事はなんていい加減なものだろうとあきれた。
そして、こういう「常識」とか「普通」は疑ってかかる必要があると思った。
僕はそれ以来、無批判にこの世を支配している「常識」とか「普通」とか「規則」とか「一般」とかを敵視するようになった。それは、そういう事によって、無力な人が、抵抗する術もなく、不当に扱われてることに義憤を感じると同時に、「常識」に縛られて、生きている大人たちも決して、自由に見えなかったからだ。僕は将来、医者になったら、歪んだ「常識」や「普通」で窮屈をしている人達を助ける仕事をしたいと思った。その頃の知識で、精神科という科があることを僕は知っていた。僕は医者と言う権威を武器に、差別や誤解を受けてる人や、不自由に生きている大人たちの心を解放するために力を発揮しようと決めた。そして、それは僕の性質上、とても向いていると思った。
これが僕が精神科医になった訳で、その初心はブレることなく今に至る。

BGM.  薬師丸ひろ子「守ってあげたい」(ねらわれた学園・オープニング)


後日談~Answer夢

24/Ⅳ.(水)2024 雨 大谷翔平6号、137m弾に「少し詰まった」と冗談も…今季2度目の2試合連続ホームラン

前回の記事の後日談。あれ以来、国試の夢はピタっと見なくなった。「ムンク」がうまくやってくれたのだろう。その代わりというか、Answer夢で、僕は歌舞伎役者のはしくれに。大舞台の演目は、同じ場面を繰り返し繰り返しリフレインして意味を持たせるシュールな謎とアクロバティックな動きを見せ場とする。

千秋楽。女座長が女主人公の着物の紐を解くと中から小さな人形が幾つも飛び出すからくりが失敗し、「もはやこれまで」となった時、僕は機転を利かせ舞台袖にあった個包装の物を手当たり次第、「♪たんたん、たぬきの〇〇〇〇は~♪」と歌い乍らホイホイとそれを客席に投げてその場をしのいだ。会場は大喜びで舞台の大御所たちも苦笑しながら認めてくれている。若い世話役のキリッとした少女が飛んできて「それはいけませぬ。それは皆さんが終演後に召しあがるお茶うけなのですよ」。これを聞きつけた「通な」客が「ほほほ、それは傑作」と扇子を広げて口元を隠して笑うのが合図になり劇場は大爆笑。僕のアドリブが許され成功したことになった。演者も皆笑ってくれている。看板女優さんだけが「たんたん、たぬきは、いただけませんよ」と厳しい目をしてお小言だがそれも含めてご愛敬だ。

目のキリッとした少女は若いのにこの一座のプロデューサーもしているのか?僕の鼻と鼻の穴をじっと眺めて「髭は生えますか?鼻毛は咲かせられますか?」と言いながら「うんうん」と勝手にうなづき、「かんすう、に興味はありませぬか?」と聞くから「函数ですか?」と答えると「いえいえ、一、二,三、四…十、廿、丗などの漢数字です」。少女は「今度、漢数字を扱った演目があり、是非、あなたにそれを」と言うから言葉をさえぎって、「あ~、そういうことですか。私は野球と数学が大好きで小さい時は自分のことを‘数’の’馬‘と書いて’数馬(すうま)‘と読ませ、星数馬(ほし・すうま=星飛雄馬の駄洒落)と名乗って野球をやってたくらいです」と言うと、大御所や後援会の「通」の客に大変ウケて、「それはいい。そのままの芸名で行こうではありませぬか」と話がトントン拍子に進んで行き、こうして私はのちの名役者・初代「星数馬(ほし・すうま)」を襲名することになったという出世話でありました。

Answer夢とは、夢で見た内容をこちらが味わい理解しようとした結果、解釈した内容やアクションを、「それで正しかったのかどうか」を夢自身が「次の夢」で答えてくれる不思議な現象。不思議だが意外とよくある。

BGM. 巨人の星オープニング「HDリマスター前後比較ムービー」


我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?

10/Ⅳ.(水)2024 はれ 4/11、2024年サンリオキャラクター大賞OPEN!

まずは夢日記。先日みた夢。「医師免許の継続可能試験があって、それに落ちた。何の仕事をしよう?看護助手をするも、流れ流れて南国のペットショップの類人猿の娘に貝殻のビキニをあげたら、恋に落ちて、懐かれて、禁じられたのにSEXしたら、子供が出来た。人間が生まれるらしい」。

日曜に、裏金問題で離党する世耕さんのニュースをサンジャポでみてたら世耕さんが「ゴーギャンの絵の気持ちだ」と言って、爆笑問題の太田が「絵を見せてくれ」と言ってたのが頭に残り、そんな夢の題材になったのでしょう。

下は、「世紀末の美と夢6(非在の地)」、「夢想への逃亡」。

この本の「見返し」がゴーギャンの「我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?」。

僕が高校の頃、adidasから世界の島シリーズというスニーカーが出て、僕は友人の誘いで「タヒチ」というスニーカーをお揃いで買い、お揃いで履いて通学してました。僕の学校の制服は上下黒の詰襟だったので、全身黒に足元だけネイビーブルーというのが自分でもお気に入りで、「川原お気に入りスニーカーランキング」歴代2位です。1位は、中学の時、石野真子がニューバンのコマーシャルで履いてた蛍光色のような黄緑のナイキのスニーカー。これも、黒の上下に映えました。

ファッションの話になったから、今日のおめかしはイヤリング。片耳が麻雀牌の「中」。

もう片方は同じ赤でも「薬のカプセル」。

宝石箱。

今、NHKの100分de名著で、フロイトの夢判断、をやってるのはタイムリーです。「夢判断」というと「夢占い」を連想させ、「ヘビ=SEX」みたいな辞典形式に思う人も多いでしょうが違います。フロイトのそれは患者が夢を報告し、連想して行くうちに「自分で気付く」のです。無意識の発見です。

一方、スピリチュアル的には、夢は、違うパラレルを見せられたか、もしくは、違うパラレルを見せること守護霊(?)が何かを気付かせようとすると考える訳です。だから「医師免許剥奪」は「今」の「薬一辺倒な医療」や「診断学に合わせすぎ」な自分のやり方を反省し本来目指していたのはそっちでいいのか?と立ち止まるチャンスをくれているのかもしれません。Eテレ100分de名著、「フロイトの夢判断」好評放送中。

無意識にたどる王道は「夢」かもしれませんが、日常の色んなものが無意識と関係しています。僕は色々と模様替えをしますが、今回は「からかい上手の高木さん」を整えました。何故数ある中からこれを選んだのでしょう?また、模様替えはしょっちゅうしてて、全部を記事にはしてません。何故、今回に限り、記事にしたのでしょう?これも無意識への接近に有効な問いですね。

「1月」~「12月」。どれが「何月」か分かりますか?並べてくれたのは、受付羽田さんの「無意識」。

ここには観光地巡りと、僕の顔写真のコラージュという「意識」も混ぜて。

何年か前のクリアファイル型ミニカレンダーは「1月」「4月」「7月」「10月」。An=1+(n-1)×3。

さて、ここにも「無意識」への切り口が。最近僕が「何故か」購入したものです。それは「新聞紙ストッカー」です。捨てられない新聞をとっとく台車です。

たとえば、WBC日本優勝。

安倍さん死亡。

この日のビッグニュースはこれなのに、デイリーは愚直なまでに「一面」は「阪神」。「安倍元首相銃撃され死亡」が端っこに書いてありますね。デイリーにとっては「青柳完封」の方が「一大事」なのです。ケネディ大統領が暗殺されて各新聞の一面がそれだった時、東スポだけが「銀髪鬼・場外悶絶」という、フレッド・ブラッシーが力道山の空手チョップで場外リングアウト負けになった事件を報告したのと同じ主張ですね。でも、こういう風潮はいいことで色んな価値観がある訳で、何より全体主義にならないのは「戦争」を防ぎそうで良いことでしょう。

戦争と言えば、ロシアはいつまで続けるのかしら?

僕が好きな女子アスリート第1位は、須崎優衣です。

アマレスが須崎さんなら、いつのまにかフワちゃんが…。

この新聞紙も捨てられません。

何故、その新聞?と思われたでしょう。それが僕の無意識。というより、何故この記事?という東スポの意識に反応してるのですが。数ある中でなぜこれを選んだ?というのも無意識。

どうでしたか?無意識を集めた記事にしてみました。そんな僕が皆さまに紹介したい映画です。

ルイス・ブニュエルの「自由の幻想」は、冒頭で女の子たちが公園で遊んでいると怪しげなトレンチコートの男が近寄り子供らに数枚の写真を見せます。子供たちがそれを見入っている横で男はニヤニヤ。それに気づいたお母さんたちが、「どうしたの?」と叫んで走り寄ると、男は一目散に逃げてしまいます。残された写真を母親たちが見ると、思わず「まぁ!!」とビックリして口々に「いやらしい」「お下劣な」「破廉恥」と嘆きます。カメラが母親たちの手元の写真をアップに映すとそれは「夕焼け」や「青く澄んだ海」や「虹」だったりします。場面が変わり、皆大人たちは正装して談話を楽しんでいます。その中に小さい少女を連れたご婦人がいるのですが、少女は皆の前で「ママ、おなか空いた」と言います。すると全員が話を止め、少女と母を睨みつけます。母親はペコペコ皆にお辞儀しながら謝って、「すみません、すみません」と平身低頭、少女を連れ出し、個室に一緒に入ります。トイレのような個室です。母親は少女に、食べ物を差し出し、「はい。食べなさい」と言い、少女はそこで物を食べます。カメラはさっきの社交場を映すのですが、正装した紳士淑女はカメラが引いて分かるのですが、みんな下半身をおろして便器に座っていたのです。そうです、ここはこの世とあべこべの世界だったのです。

僕の紹介する映画は「面白そう!」と飛びつく人が多いのですが、僕の古い友人に言わせると「君が紹介してくれた映画は面白そうなので観るんだけど、大抵、筋が違うんだ。悪いことに君の説明の方が面白いから、観て損した気分になるんだ」ですって(笑)。

どうして数ある映画の中からこれを選んだのでしょうね?無意識の現実世界への支配は際限なく興味深いですね。

BGM. 石野真子「ワンダーブギ」


役立たずの神様を覚醒させる素敵な神棚

19/Ⅲ.(火)2024 はれ、風が強い。 母の命日。母は大正13年=1924年生まれ。生きてれば今年で100才。

 

おはよう。戦争は終わったかい?神も仏もない世の中とは言うが、本当に神様は何をやってるんでしょう?役立たずですね。ハードロックばかり聴いてるのでしょうか?

僕はここ数日、目の周囲が痒くて花粉のせいかしら?僕はすぐに病院に行くのですが、例外的に眼科だけは足が遠いです。きっと深層心理に何かあるのでしょう。無意識の「理由」が顕かになれば問題は解決するのでしょうが。

仕方がないからそれまでは売薬で対処。

それもこれも神様がちゃんとしないからで、神様がちゃんとしないのは我々の信仰心が足りないからという説もあり、そこで一つ神棚をリニューアルしてみました。

ヒステリック・グラマーでもらった紙のお皿をベースに使います。

黄色と緑があります。

まず、下地を作りました。ここにお供えをします。

僕の還暦の誕生日に当時のスタッフたちが、元受付の鈴木さん(元鵜飼さん)を中心にみんなで寄せ書きをした「達二」というお酒の銘柄の特注です。よく見ると「イソベやん」のシールも貼ってあります。もったいなさ過ぎて呑めません。それと昭和37年7月24日の新聞記事のコピーもくれました。テレビ欄に「てなもんや三度笠」がありました。

そこに産土神である奥沢神社のお札。

この二つを並べます。

さらに「奥沢」のお酒。製造は「真澄」と同じとこだとか。

奥沢にある全国の物産を取り扱う店に、銚子電鉄の濡れ煎餅を買いつつ、中を物色。

これは裏にレシピが書いてあって、「ラーメンに入れると、味変、して、味が変になります」と面白いことが書いてあります。タモリ俱楽部っぽいですね(笑)

丹波のちまき、だって。

このお店でゲットした「海の幸」。

このお店でゲットした「山の幸」。

そこに大岡山名物、大岡山スイートポテト。

これらをお供えします。良い見栄えになりました。

僕は神道だけでなく、あらゆる神様に奮起を願います。下は、キリスト教。

仏教。

オウム真理教。

その他、イスラム教もヒンドゥー教も精霊主義もシク教もゾロアスター教も、みんなにお願い。戦争をやめろ。

下は、セージ。悪魔祓いに使います。ちょっと燃やしてすぐ換気します。すごい匂いだから。昔、ものすごく可愛い子がいて、その子の前でセージを炊いてあげたら、エクソシストの映画のようにもだえ苦しみ出しました。彼女は悪魔だったのでしょう。可愛い子だったのに惜しいことだ。

ムンクちゃんもピカチュウのガウンを着たいというからかけてあげる。

寝る前に間違ってこっちを飲んじゃった。

なんとか寝なきゃ。

カフェインとラベンダーの勝負です。

 

そう言えば、最近、家のインターフォンがやたらとなり、出ると誰も居ないという怪現象が続いています。もう神棚を作ったから大丈夫でしょう。

そのことを、友達に話したら、「気功の先生が人形のこと言ったことで、色んな現象を人形に結びつけてしまいますよね💦「厄年」と同じですね。 でも「そのせい」に出来る部分で逃げ道があるのもいいこと?かもしれないですね🤔 まずはインターホンが壊れてないかを確認しましょう✨」だって。世界の信者数が多い宗教ランキングの第3位は「無宗教・無神論者」で約11億9300万人だそうです。彼女はこれですね!

 

面白い話を。

気功教室の二回目。ムンク(お人形)を「お焚き上げしろ」と言った先生の家でマンツーマンでやるのですが、突然すごい音がして、隣の家の塀が崩れてギリギリ、窓が割れそうになりました。僕は咄嗟に思いました。「ムンクの奴😅」。

でも気功の先生は平気の平左で、「 地震が来る前に倒れてくれて良かったです!揺れてたら絶対窓割れてましたし、今もギリ割れてなくてラッキーです✨色々と奇跡に感謝です👍️✨」と自分の「結界」を自慢してたので、さっきの友達にチクったら、「 確かにわたしがムンクでもそれくらいしますね🤔。その先生はお会いしたことないですが毎回文字だけ見ると、なんだか浅野いにおの漫画に出てきそうなキャラクターですね🤣」とお戯れを。

 

 

下は、Gさんがくれた母の命日の花。

BGM. 忌野清志郎「GOD」


「わたしはムンク」

17/Ⅲ.(日)2024 はれ 旧友から、直感だが人形は大事にした方が良いと思う、と応援Line。ありがたい。今度飲もう!

本当はこの記事の前の「スピリチュアル4部作」を先にみて欲しいが、ま、みなくても全然平気です。

寝る前にお人形(そう言えば名前がない)に、「お前を捨てたりしないから。僕が死んだ時に、棺桶に一緒に入ろう」と声を掛けた。

他方、聞くところによると世の中には「呪物コレクター」なる人もいると。だから、もし縁起でもないが俺が死んで呪物コレクターの目に留まったら、お前の判断で「そっちに行ってもいいよ」と話しかけて、「夢の中で答えをちょうだい」と話しかけて寝た。今日の記事はその日の夜の明け方の「アンサー夢」。夢日記。

 

 

僕はテレビのADか売れないタレントで爆笑問題の日曜のワイドショーの撮影クルーの一員。下っ端。東京に大雪が降ったから爆笑・田中とビルに登って、彼を撮る係だが、僕は何回も墜落したり雷に打たれたりして、結局、スターより目立ってしまった。渋谷の駅前では僕の知ってるモデルの卵がすっかり有名になって雪遊びをしてる。その傍らで、爆笑問題と伊集院光と僕は担架で運ばれてゆく。するとモデルの彼女が僕を指さし、「私、この人、知ってる。昔、ピーターパンの妖精をつかまえる、って言ってた。勉強習いに家まで通ってたのよ。部屋に色んなものが飾ってこっそり写メを撮ったものよ」と笑う。すると女子アナが「その人の写真って…」と墜落シーンや落雷シーンの写真をフリップで見せてくれるが、「どれも顔の写ってない写真ばかりで」と、女たちは「オーラがない」「影もない」とかしましい。

しかしそれきっかけで僕は雷に打たれるような雷雨があると呼ばれるようになり、教え子のおかげで仕事にありつけた。「決してカメラにうついらない奇人」と評判に。ある番組で占い師に鑑定され、「あなたは、絶対何があっても手離さないと言ってたギターを空腹に負けて手離した怨念だ」と言われる。テレビの企画は進行し、僕は「ムンクへ」という自作の歌をオカリナで吹く。紫と赤のオカリナ。歌詞は

「どんな時が来ても、つまらないテレビの朝の番組でさえ、派手なねぇちゃんにえばられても、ムンク、君と僕はいつも一緒だった。いつか何が来ても爆弾が落ちても君と別れない約束をしたのに、ごめんねムンク、君は心の中に今もいるよ」

というブルースで会場はヤヤウケしたが緊急ニュース速報が入り、埼玉県で行方不明になっていた女子小学生5年生・宮崎ゆーりちゃん(仮名)本人からテレビ局の生放送中に電話が入り、「今はデパートの屋上。雷も鳴って来て怖くて怖くて動けない。森アナウンサー(この番組の冠番組をやってる人気アナウンサー。男前)助けて~」。しかし森アナは出張中でいないけど、番組にとっては一大スクープ。救出と撮影を兼ねて、クルーを編成。報道局長は「ここには是非、この人にいてもらいたい」と女子アナに僕の名前をあげさせた。スタジオのご意見番・美輪明宏も「一緒に~行って~くれると~いいわ~」と言うから行くことになりそう。ムンクを置き去りにしたリベンジを宮崎ゆーりちゃん(仮名)救出で果たす時が来た。ムンクは多分、人形が夢の中で自分に付けた名前なのだろう。

今日から、ムンク。

BGM. 志村けんと石野陽子のコント(8分22秒)


スピリチュアル4部作②「少年よ大志を抱け」

池の鯉に一目ぼれした少年たつじは、鯉が英語でカープであると知って、広島カープを応援する。少し野球をやるがすぐ止めた。ウルトラマンやポケモンにもはまったことがあるがすぐ飽きる。月日だけ流れて自分だけ何もしていない。世間体を気にする親から「何かしたら?」とつっつかれ、ネットでみた「大谷翔平、100人の子供たちを米国留学に招待」の記事になんとなく応募。

たつじは20才をとうに超えていたが、人工知能のエラーで選ばれてしまった。渡米したたつじが配属されたのは医学校だった。医学校は「20世紀最後の天才」メロス川原が指導していた。メロス川原については下の参考文献を。丁度漢字の「川」の字の書き順で読むこと。

未完。

メロス川原は、大谷翔平枠の留学生のたつじを可愛がった。「昔は医学と宗教はセットだった。それは、救済、という名前だった。しかし文明が発展し医学と宗教は袂を分かつことになる。元々一緒だった分、両者の中は最悪になる。医学は宗教を金目当てだと切り捨て、宗教は薬は有害だと訴えた。困ったのは間に挟まれた患者だった。その溝を埋める医療の復興を私は目指している。たつじよ、お前は私と一緒に働かないか?」とスカウトした。今まで誰にも承認されたことのない、たつじは二つ返事だ。メロス川原とたつじは医学界の革命児と騒がれたが、一方でそれを恐れたのがアメリカ政府だった。メロス川原をセクハラの冤罪で逮捕した。メロス川原は失望し、一大決心をした。それは「即身仏になる」だった。メロス川原は水の枯れた井戸の下に幽閉した。取り残されたたつじは「俺はこれからどうしたらいいのだ?」と狂気した。そしてメロス川原の井戸に四六時中座り込み、対話した。「メロス川原よ。何故、俺を置いていく?」「たつじよ、私はもう人類に絶望したのだ。最後の望みは、たつじよお前だ。今だから言おう。お前が二十歳過ぎてるのにここに入れたのも、医学校に進学したのも、AIのミスなどではない。私の采配だったのだ」「師よ、だったら何故、私を置いていくのですか?」「お前は人類が残した最後の良心だからだ。お前はひとりで苦しみながら、私たちが追及した、カタカムナ医学を完成させるだぞ。うっ…さ…寒い」。たつじは羽織を脱ぎ、それを井戸の格子に掛けた。「こうすれば寒さも少しはマシになるはず」。たつじも寒い中、井戸のそばを動かなかった。屈強なガードマンたちもその迫力に制止が出来なかった。結果、メロス川原は酸素不足で死んだ。引きずりだされた「即身仏」をみてたつじはつぶやいた。「ミ…ミイラじゃないか」。それでも、救済を求める患者の後は絶たない。師匠を失った無力なたつじに何が出来る?そして、カタカムナ医学はどうなった?

それはこれからの時間軸。大岡山での、たつじの活躍に刮目せよ。

BGM. 長渕剛「俺らの家まで」


スピリチュアル4部作③「パラレル封鎖」

昨日の夢。今回は夢日記。

 

新宿の雑居ビル7階建て。下の2階が高級レストラン。上がBARやパブ、その上が風俗店。僕は久しぶりに下のレストランに。ハンバーグとソーセージばかりのメニュー。胸がやける。店はなんとなくソワソワ。会計で揉める。水が一杯7万円だ。結局ボッタくりなので金を払わず帰るが、お店には素敵なカップルがデートや紳士たちが同窓会を開いてる。帰り道、道路交通整備の警官に「この辺りに何がありましたか?」と聞かれたから事情を話すと、「その店は私の管轄区域です。これから捜査するのでご協力を」と頼まれ店にUターン。その警官はとても優秀で氷の入った水を一杯持って来させ、そこに蝋燭で火を点け、明細を炙り出すと、「水一杯7万円のとんでもない手口」がわかる。店は即閉店。それでも食事を楽しんでる人たちは高額な請求に金を出そうとするから僕は止める。すると上の階の女給が「あ~ら、おひさ~」と手を振る。この上のBARは僕がまったく孤独な時によく知らない友人に誘われて飲んではしゃいで裸になったり大笑いしたりバカ騒ぎした店だ。僕はいつから来なくなったんだ?当時の友人が2人僕に寄り添い肩を抱く。「あれは○○、あれは××。レイナもミイナもいるな」。女の子たちは友人には挨拶するが僕のことは覚えていない。僕はもう何年も来てないからな。少し寂しい。警察の摘発は本気で、警部は店長を頭突きして白状させてる。地下から派手なコスチュームを着たアイドルみたいな10代の子が何も知らずに連行されてる。12才の女の子たちは記念に写真を撮りあっている。その写真、欲しいなぁ…。一人の男がずっとカメラを回してるから、「それをキミんちで上映会しない?見たいんだ」と言うと、「おおよ。そう言えばお前はしばらく見ないな。薄情もんだな」と笑う。その通りだ。僕は天涯孤独な時にその上の風俗店に行き女の子数人と顔見知りになったのに、もう何十年も前の話。いや、パラレルの記憶かもしれない。その子たちは僕をやさしく抱いて報酬を受け取らなかったのに。今、こうして僕のタレこみで、僕の思い出の僕の来たこともない店が、足を踏み入れたこともないのに街から消えてゆく。僕のパラレルがひとつ消えた。パラレルも僕を構成してる大事な記憶だ。僕は女遊びをしたり女とイチャイチャしたりセックスしたり派手なその場しのぎの快楽に酔いしれてやり過ごした夜たちが僕の過去から消えた。マッチ売りの少女がマッチをすって優しいおばあちゃんに会いに行ってたみたいに、人間には孤独を埋めるためにパラレルを交差させる力があるのかもしれない。しかし、パラレルは消えた。僕が封鎖したから。僕は平凡な真人間。女の子に免疫がない奥手な女性恐怖症。いよいよ、結婚してるこのパラレルも怪しくなってきた。パラレル封鎖のドミノは起きるのか?思い出という事実が火葬場の紫の煙のように宙に舞ってゆく。僕はからっぽなんだ。今に始まったことじゃない。こいつが夢をみさせてくれたのかな?

どんな時もおまえが夢の中で色んな女になりかわってくれてたのかな。まるで親鸞の観音様のように女犯を肯定してくれるのか?ありがとう。

この世は夢。夢の夢こそまこと、だと開き直ってみよう。乱歩のように。

人は不慣れな幸福より慣れた不幸を選ぶという。幸せな未来・アサーションより、貧困な妄想や誇大的な空想や進歩しない日常や堕落した感情に居心地の良さを感じてしまう。心が腐っているのだと思う。ハートが汚れ切ってるのだと思う。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライみたいに次元上昇から取り残されたまた別の孤独を味わうのかもしれまい。

 

そう言えば、母の命日がそろそろだということも忘れてた。死んだ日を祝うのも悪趣味だから、それでいいのだけれど。

BGM. よしだたくろう「むなしさだけがあった(よしだたくろう LIVE ’73)」


自由を語るってなんて不自由なんだろう

21/Ⅻ.(木)2023 寒い 1014億円男・大谷翔平がサイン貰って感激「大事に飾ります」。2人のやり取りが「泣ける」と米話題

今日は自由が丘の話。受付の羽田さんは自由が丘の学校を出た人で仲間も自由が丘にいっぱいいて自由が丘を根城にしてるのだとばかり思っていたら、勘違いらしく本人曰く、「一度も自由が丘の駅に降りたこともない」そうです。こういう勝手なイメージが先行して事実と違うのに流通しちゃうことってありますよね。実はビートたけしは一度も「ダンカン、バカヤロー」と言ったことはない、など。

こないだ見た夢の話。

 

藤巻の渋谷のマンションは昔僕が住んでた登戸のアパートの外観に似てる。中はオール電化。サーフィンとマライアキャリーのクリスマスソングを流してる。藤巻は「豊重と第2ステップまで行った」と自慢するが僕は「第2ステップ」の意味がわからない。恋愛関係の用語かな?すると、家主は「君はここにとどまるだろう」と言い残して出て行った。後を便利な家電に任せて。しかし、その機械が誤作動し出した。僕はあわてて藤巻に電話するが、今の電話はインターネットだから皆につながり、弟と名乗る人物が来た。あれ?藤巻に弟、いたっけ?弟は藤巻と共同で所有してるという蔵書をみせてくれる。「成田悠輔選集24巻」や「精神分析の洋書」など。彼もなんだかんだ言いながら精神科医になったようだ。ベルが鳴るさっきのインターネット電話で呼び出された弟の友人だ。彼は僕のことを知っていて、なんと尊敬してるそうだ。趣味の悪い男だと思った。みんなで呑もうと言うが、僕は薄気味悪くって外へ出る。駅まで向かう道すがら「焼肉屋へでも寄るか」と思うと、「そうですよね!」と弟とその友人が現れた。彼らは僕の心が読めるらしく、言葉は必要ない、と言う。豊重も合流する。白髪が禿げたおばあちゃんだ。しかし、ちょっと目を離したらシュッとした綺麗にカラーリングしたレディになってて、「どうしたの?」と僕が驚くと、「あなたの髪を染めてあげてるの誰だと思ってるの?」と恩着せがましく言うが、心当たりがない。彼女は「藤巻はとても善い人間だ」と言う。彼女は僕のことは「ひどい男だ」と言う。特に女の子の扱いが最悪らしい。「砂浜に女の子を座らせて足だけ舐めて放って一人で帰るなんて」と心底軽蔑した表情だ。占い師のコンピューター予測にもかけられた。僕の過去の女性関係はプロアマの区別は不明だが天文学的な数値だとはじき出された。そして「友人はゼロ」だという鑑定結果。「えっ?藤巻は?」「ちがいます」。「木代は?」「ちがいます」。「家族は?」「ちがいます」。「あなたは孤立した孤独なひとりです」。「代わりに、あなたが傷つけた人はこれだけいます」。いくらでも出てくる。「今更詫びようもありません」。「何故なら、もう死んだ人もいるからです。あなたには懺悔の値打ちもありません」。僕には人間としての価値がない、のか。するとコンピューターが提案してくれたのが、僕が許される方法。体から質量をなくすこと。そうすればトイレもしやすくなるのだという。「どうでもいい特典だ」と思う僕に差し出された1枚の契約書。「来年の2024年の5月5日か7月7日」と記載されている。そこにサインをしろ、と言う。何のサインだ?には、みんなは「みんなの仲間入りすること」だと言う。彼らはみんな質量のない生活をしてるという。そう言えば、藤巻って死んでなかったっけ?豊重も。ひょっとして、「死亡診断書?」。僕がその日に死ぬということか。僕は拒否するがもう無重力に空間が支配されてしまった。藤巻は「これは規定事項だが未来事項だから君のサインがないと人類が消滅出来ないんだ」と説得する。僕はここで「これは夢だ」と夢の中で気付く。「だったら夢から脱出すればいい」。しかし、これは人類にとってとても重大なメッセージだから記録してから夢を覚まさないとと思うと、藤巻がメモとペンを差し出してくれるが、僕は書きながらその文房具に質量がないことに気付く。「チェッ」と奴らは悪だくみが失敗した悪党どもで、僕は夢から脱出しなきゃ、ともがいていると…。

ここからはリアルの話。友人からLineが来て目が覚めた。朝の7時10分だった。僕は体を起こして急いでメモに夢の内容を書いた。「ほぼ日手帳」に「トンボのボールペン」で速記した。それが上に記した文章。僕には友人がいた、というオチでした。

 

しかし、なんとなく寿命が気になる夢だ。手相は変わると言われるが、なんだか生命線が途中で途切れてる気がする。念のため、占いに行っておくか。とりあえず自由が丘に行けばなんとかなるはず。

占い師はどこも偶然たまたま「遅刻」してたり「風邪」をひいてたりして不在。占い師に頼るなという先祖の啓示か。仕方がないから和菓子を買う。

受付のお茶うけに差し入れしよう。

 

自由が丘の駅前ロータリー側は再開発中。

トットちゃんの映画のイラストが。

トットちゃんの通ってたトモエ学園は、自由が丘にありました。日本で初めてリトミック教育を実践的に取り入れた学校で、昔は「自由ヶ丘学園」と呼ばれてました。自由が丘の地名と駅名は、自由ヶ丘学園の名前に由来するそうです。

 

BGM. RCサクセション「自由」