心の護美箱(21)~男の簡単レシピ

19/Ⅷ.(水)2020 猛暑 マエケン、ノーヒット・ノーラン?9回にヒット打たれて降板。

心の護美箱⑳がいっぱいになったので、(21)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
人間は誰にも他人に言えない罪深いことや後悔の念を持つものでしょう。
昔は教会の懺悔室や、お寺でお坊さんが話を聴いてくれたのでしょう。今もそれは機能してるところでは働いているのでしょうが、生活が近代化すると少し縁遠くなっているかもしれません。
それに世間は、人の不幸は密の味、好奇心はスキャンダルをあっという間に伝播させます。
だから他人に秘密を打ち明けるのは、結構危険が伴いますね。聞き手の価値観も入り込むから、いらぬ説教をされる場合もあります。
しかし、我々、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。そして、すべての「常識」や「偏見」から自由である、心の解放区です。安心ですね。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

今回は、ゴミ箱が20回を突破した記念に書き下ろし記事です。僕が男の簡単グルメ・レシピを紹介します。男の人に限らず、お料理が苦手な女性や、毎日献立を考えるのが苦痛だというお母さんにも参考になると嬉しいです。

 

まずは、冷凍庫にあるベーコンを出します。↓。

お皿を用意して、手をよく洗って手づかみで、3~4枚取り出して、お皿に置きます。↓。

残ったベーコンは、そのままにしてはいけません。冷凍室に戻します。↓。

このビニールのチャックがうまくしまりません。↓。

いくらやっても出来ないから、クルクルって巻いて、冷凍庫の奥に突っ込んでしまっちゃいました。これは、後で必ず、バレて怒られるので覚悟しておきましょう。怒られてる間、頭を下げてれば、文句が頭の上を通り過ぎて行きます。↓。

さ、ここで準備する物です。お丼。冷凍のご飯。そしてさっきのベーコンです。↓。

冷凍ご飯を、お丼に移し、レンジでチンします。目安は、あたためボタンを何回か押します。↓。

出来上がりました。ちょっと位、冷たくても大丈夫です。↓。

こんな感じになります。↓。

さて、ここでさっきのベーコンに、生卵を2個、割ってかけます。↓。

僕はいまだに卵がうまく割れないのですが、ていねいに殻を取り去る作業が必要です。↓。

これをレンジにかけます。ポイントは、あたためボタンを押して、中でバチバチ音がしたら勇気をもって、途中で止めることです。あっ、今、思いついたんですが、サランラップをしてもいいかもしれませんね。↓。

これが出来上がりです。美味しそうな、ベーコンエッグの出来上がりです。↓。

さて仕上げに必要なのは、味付けです。お醤油はどこのご家庭にでもある調味料ですね。↓。

この醤油のボトルを持って、肩の力を抜いて、右手のスナップを効かせて、美味しくな~れ、と魔法をかけて、自分の好きな量だけ直接かけちゃいます。↓。

これをお好みでかき回します。僕は2枚くらい白飯で食べてから、残りをこのようにします。↓。

ご飯に思い切ってかけましょう。↓。

お皿に残った卵が美味しいから、お皿を斜めにして、注ぎ込むと無駄なく食べれます。↓。

これが僕が唯一作れる男の料理です。卵は美味しいですね。↓。

おなか空いて来ちゃったからお昼ご飯を食べて来ますね。では、どうぞコメントをお送り下さい。

BGM. フライド・エッグ「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」


夜の繁華街~接待を伴う店に連れてってあげる。

18/Ⅷ.(火)2020 2ちゃんねる・創設者のひろゆき、山P問題に「飲み会が問題じゃなくて、問題はホテルだと思う」と発言。生放送によく出したな、確信犯か?TBS「グッとラック!」。

先週の「タモリ倶楽部」は久し振りの傑作回だった。ゲストに、劇団ひとり、劇作家の根本宗子(診察室に飾ってあるTシャツに大森靖子と一緒に映ってピースしてる人)、オアシズの光浦にタモリを含めた「妄想好き」な4人が、ゆるく「妄想ワールド」を楽しもうと参加したのは良いが、出てきたプレゼンターがガチ過ぎて、4人が唖然とする様が圧巻だ。特に一人目の使者の繰り出す「架空言語」は、その人が中学生の頃から考えていた物の発展系だそうでその人は今は東大で言語学を学んでいる猛者だ。架空言語はただ単に言葉を作るのではなく、まず世界を創造し、その文化にそくして言語が生まれてくるらしい。この妄想世界には近隣の国もあり、特に面白かったのは中心の国の北に位置する部族が使う言語で、それは「口笛言語」といい暗号のような口笛で語り合うのである。これを好きな女の子と一緒に覚えて、口笛言語でコミュニケーションがとれたら素敵だろうな。

さて今回は何かとコロナのやり玉にあげられがちな夜の繁華街には出歩きにくいし、そもそも行ったことがない人のために、ご案内しましょう。まずはホストクラブから。↓。

 

・16~17/Ⅷ.(土)~(日) 2014 猛暑
その日は、風俗方面で大活躍中のSちゃんという女の子(23歳)から彼女のバースディ・パーティーに誘われたのです。
場所は歌舞伎町のホストクラブ。仲間だけで祝う会だと言う。
ホストクラブに男は入れないらしいが、今日の主役のSちゃんと一緒なら入れるので、歌舞伎町のコンビニで待ち合わせ。さすが、歌舞伎町、コンビニの雑誌コーナーに、「ホストマガジン」なんて雑誌がありましたよ。大岡山のコンビニでは、まず見ませんね。
この一冊で全国優良ホストクラブ情報を完全網羅!らしい。9月号は、上半期ナンバーワン大特集だって!

その日のホストクラブは浴衣デー。従業員ホストは全員浴衣(将棋柄とか金魚柄など)で、お客も浴衣ならドリンク只。僕は、浴衣を持ってないので、アメ横で買った海軍のセーラー服に水兵帽という「水兵さん」の格好で行った。
Sちゃんは着付けに時間がかかり、僕は歌舞伎町のコンビニで待機する。
しかし、コンビニに出入りする客層が怖いし、僕をジロジロみるから、近くの交番の前で待つ。
すると、交番に「あの店で、ボッタくられた!」と怒鳴り込んでくる強面のお兄さんたちが多数。
歌舞伎町の交番は、ボッタくりバーの苦情処理所にもなっていた。
おまわりさんが、「店に表示してる限り、金額に関しては、こちらは何も言えない」と歌舞伎町ルールを一々、説明していた。
僕は、Sちゃんへの誕生日プレゼント代わりに、Sちゃんと自分の分の代金をおごるという約束をしていた。なんか、これから起こる事を暗示してるかのような光景だ。
それにしても、Sちゃん、早く来ないかな。怖いな。帰りたくなってきたよ。
待つこと20分。浴衣姿のSちゃんが現れて、水兵さんの僕が手を振ると、「すぐ判った」と彼女は笑いながら駆け寄って来た。
履きなれない下駄で走るから、左足の親指を切っちゃって。圧迫止血とかしてやったよ。歌舞伎町の真ん中で救急処置。
この会は、Sちゃんの誕生日に開かれたものだが、参加者は1人の女の子(ホスト好き)を除けば残りは皆、ホスト。
つまり、店側の人じゃん。Sちゃんは友達が少ない。
Sちゃんが僕を招待してくれた理由のきっかけは僕が元気がなかったからだが、本当の深層心理は参加してみて判った。
「自分にはこんな変わった友人がいる!」という自慢を皆にしたかったようだ。
Sちゃんは、実際、僕をその様に紹介した。
「髪の毛、スイカなんだよ~」
「見て見て、爪、ケーキなんだよ。私の誕生日祝いだからなんだよ~」
「この人、いくつに見える~?」
「本当の職業、言って良い?」などと無邪気にはしゃぐ姿は少女のままだ。
あるホストから、「自分も~昔~、バンドやってたし~、まったく同じ~髪色にしたことあるし~、超~懐かしい~!」って、
20代前半の奴に先輩風吹かされるみたいに言われる、50代前半の男の哀愁って、皆さん、判る?
あるホストは、僕に「年齢、本気に当てに行っちゃっても良いですか?」と挑んできた。
<いやいや、そんなに面白いオチとか、ないから>、と俺。
そのホストは、俺のことを上から下まで何度も見て、クイズ番組の回答者みたいな声で「37!」と答えた。
Sちゃんは、大喜び。「やった~!年齢不詳~!」って大騒ぎ。
ちなみに僕は、昭和37年生まれの52。
だから、<(37は)惜しい!>って答えた。
ホストは、「惜しい?じゃ、38?39?36!」とピンそば狙い。
Sちゃんも一緒に混乱して、「あれ、そんな年だったっけ??」と言っている。かなり酔ってる。
僕は、<今、37、って言ったでしょう?それが、惜しいの>とヒントをあげるがホストは「47?えっ、74?」とトンチンカン。
ちなみに、「74」ってどんだけジジイだよ。ジョン・レノンの年だよ、もし生きてたらね。
しかし、年齢の話で驚いたのは、Sちゃんの本当の年齢だ。
ホストは、口々に、「おめでとう~、ついに大台ですね」とSちゃんをいじって、祝っていた。
Sちゃん、今日が、実は30歳のバースデーパーティーだったのです。
僕は、<Sちゃん、23歳って言ってなかったっけ?>。「それは、営業用よ、言ってなかったっけ?」と、Sちゃん。
<じゃ、あの幼馴染は?>、「あの子も、今度、30」。
ガチョーン!!
俺の緊張とときめきの博多の夜を返せ!
人のこと「年齢不詳」とか言っといて、そっちは「年齢詐称」じゃないか。7つもサバ読んどいて。

Sちゃんには、この店にお気に入りのホストがいる。今日のバースディパーティーは、VIP席で、そのホストを完全指名し、常に脇に置いていた。
Sちゃんは、そのホストと僕を会わせたかったみたいだ。気が合うと思ったらしい。正気か?
Sちゃんは、そのホストと僕がちょっと似てる、とも言った。
娘のフィアンセと会う時の父親って、こんな気分なのかな。
どんな奴が来ても、絶対、気に要らないだろうな。
俺が父親だったら、相手の男に対して、治療的な精神療法と正反対の事をして、苦しめて試してやる。
ケケケ、ザマァミヤガレ。
あっ、何を取り乱してるんだ。すみません、お見苦しいところを。

話を戻そう。
Sちゃんは僕のリュックについているオレンジのプンプンを指差して、「私、前から、これ気になるんだぁ」とホストに言った。↓。


Sちゃんのお気に入りのホストは、「知ってます。言わないで下さい。当ててみせます。う~ん…、おやすみプンプン!」と、
俺の目の前に人差し指を突き出して、自慢げに答えた。
<正解です…>と俺。
「すご~い!なんで知ってるの~?」とSちゃんはホストの肩を揺すり、ホストは照れながら、「サブカルですよね」と俺に言った。
俺は心の中で、<なんたる、浅薄…>と絶句した。
そのホストは、それ以上の知識がないとみて、Sちゃんに「きっと、君は、好きじゃないよ」と優しく諭す様にささやいた。
Sちゃんも、しなだれかかって、「うん」なんて酔っ払って言ってるし。
もう帰ろうかな。
でも、せっかくのSちゃんの誕生日会だし。空気をぶち壊しては可愛そうだし。
一応、福岡の学会の恩はあるし。
ここは、じっと我慢する。男はつらいよ。
そうやって、僕がこの日、Sちゃんの誕生祝いに、この店に支払った金額は、7万円だった。
Sちゃんのバースディパーティーは、ドンペリのゴールドを開けて盛大にお祝いされた。
それで、7万は安いなと思って聞いたら、シャンパン代は、Sちゃんが毎月積み立てていたらしい。
僕はSちゃんに<いくらするの?>とシャンパンの値段を聞いた。
すると、Sちゃんはちょっと躊躇って、「引かない?さっき払ってくれた金額あるっしょ?その10倍」だって。

家に帰ってから、今回の件で色々と相談に乗ってくれた友人に報告をした。
友人は、「生きて帰れて良かったね。7万円?妥当な金額だね。まあ良く行ったと思うよ、僕なら絶対行かなかったと思うし。君は勇気あるよ、徴兵制度があったらきっと素直に行ったんだろうね」と言った。
友人は、世間が終戦記念日に戦争だ平和だと叫んでる中、僕が風俗だホストだと騒いでいた事を冷静に皮肉って、僕の純情を揶揄した。

 

・次は、フィリピン・パブ

医学校は6年制であり、さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。
断っておくが、それが悪いと言ってるのではない、当然である。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。
こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。
本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、おきざりにされた気分に浸った。
こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。
1年後輩の遊び人だ。あまり親しくはなかった。
それが「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。
学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
ついて行く。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。
馴染のお客には目当ての女の子がいる。
僕は後輩に「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。
マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。
彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。
黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。
マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に少し欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。
後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。
僕の生活はすさんできた。
水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。
僕の足は、フィリピン・バーに流れた。
ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。
マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。
彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。
「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。
いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。
普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。
仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。
センス的には野暮ったいが、この方が街に同化するには効果的だろう。
僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。
そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。
川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、
「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい。」と言った。
僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。
どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。
それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。
テレビも東スポも一秒も見なかった。
本当に狂っていたのかもしれない。
とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。
そして、そのペースは国試の当日まで持続した。
結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。
店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。
常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。
その隣りに先輩のサイン色紙が並べて貼ってあり、笑った。
お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。
顔を見て、僕はビックリした。
マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。
僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、
「ラ」の音を消した。
マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。

BGM. ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラブ」

 

このコロナ渦でさすがの僕も「うつ」になっていたようだ。テレビをつければ陰気なニュース。自粛してるから呑みにも行けない。趣味の中野ブロードウェイにも何ヶ月も行けてない。それで患者さんやスタッフを感染させてはいけない。時代に乗れる同業者は、「リモート診察」を導入したと聞く。こちらはマスクをしてると患者さんに「表情がみえなくて困る」と考え、一方で本格的な第2波にそなえてアクリル板設置の用意をするかと考えたら、ものものしい光景で、はたしてそんなことまでしてクリニックを続ける意味はあるか?うちのクリニックは「居場所」とか「コミュニケーション」を大切にして来たから、もう時代錯誤なのではないか。マイノリティーの味方、と豪語して喫煙所を作ったが感染リスクを高めるだけだ。もうこりゃダメだ。「引退しよう」と考えた。しかし、仕事しなくなった自分の人生を想像出来ない。「もう死にたいなぁ」とも思った。「うつ」だったんだと思う。そんな時こそ体が心をかばってくれて、めまいが起きて救急車で運ばれて、一呼吸ついた。そんな時、テレビで「夜の街クラスター」として弾圧される歌舞伎町や池袋の飲み屋やスナックやキャバクラやホストクラブが必死に感染予防の努力をして頑張っている姿をみた。そこで僕は我が身を振り返り、彼らを見習って頑張らなくちゃいけない、と思いとどまった。それと同時に、「うつ」は抜けました。国難だそうです。皆で頑張るしかないですね。

がんばれ!

夜の街!!


わたしは忘れない

15/Ⅷ.(土)2020 災害クラスの猛暑。小池都知事、ふわちゃんを絶賛!

ダウンタウンの浜ちゃんの奥さんの小川菜摘のブログの記事で、お取り寄せした食材を旦那の浜ちゃんが完食した、というほのぼのとしたニュースを先日みた。
それによると、韓国ではバレンタイン・デーに何ももらえなかった男子は、ジャージャー麺を食べる習慣だ、という説明が書いてあった。

韓国文化に詳しい友人に聞いたら、「正確にはそれは間違い。バレンタインデーやホワイトデーに何ももらえなかった人が、4月14日にジャージャー麺を食べて慰めあうのです」と教えてくれた。
それは、ブラック・デーというらしい。僕は最近、韓国ドラマにはまっているが(正確には、さらば青春の光チャンネル)、こないだ「イテウォン」とスマホで打ったら「梨泰院」と変換されて驚いたのだが、
韓国に詳しい友人によると、昔は、ミョンドンもインチョンも予測変換されなかったが今では、ちゃんと「明洞」「仁川」になるのだと教えてくれた。
この様に、蛇の道は蛇、そのジャンルのことはその人に聞けば何でもわかる、という人間になりたいし、そういう人を近くに置いておきたいものだ。

僕が年をとったなぁと思うのは、周りにそういう人がいなくなったことだ。
中高の頃は、ネットなどはなかったが、学校に行けば、絶対「そのことを知ってる奴」がいて、聞き逃したラジオのテープも人伝いに探せば入手できた。
今はネットで検索すれば大抵のことはわかるし、ユーチューブで色んな物も観たり聴いたり出来て便利になったが、「コアな」情報には手が届かない。

たとえば、こないだ、ふとボーリングのうまい芸能人誰だっけ?、と思い、ネットで検索した。
すると出てきたのは、こんな感じなのだ。↓。

•落合博満(元野球選手・元野球監督)
•森田剛(V6)
•仲本工事(ドリフターズ)
•村田雄浩(俳優)
•桑田佳祐(ミュージシャン)
•梶原雄太(キングコング)
•中山秀征(タレント)
•マギー審司(マジシャン)

ちがうのだ。歌謡曲を歌ってた、もっと「いわゆる芸能人」なのだ。
そこで僕は大学の同級生で芸能界に詳しい友人にメールして聞いた。
僕も芸能界には詳しいつもりだが、彼は僕より遥に詳しい。学生の頃は、一緒に、石川秀美や倉沢淳美のサイン会に行った仲だ。
彼ならわかるだろう。
しかし、彼から返って来たのは、先のネットの情報と同じなのだ。きっと機械音痴の僕のために検索して調べてくれたのだろう。
それはありがたい、友情に感謝する。でも、そこじゃないんだよ。俺の背中の痒い場所。

僕はあきらめきれずにずっとモヤモヤしていた。そしてついに自力で(ネットで)みつけた。
それは、「スター誕生!」のウィキペディアを開き、主な合格者の項目を順にチェックしていく作業だ。
そこでみつけた。これだ。↓。

・豊田清 – デビュー曲「青春PART1」。後にプロボウラーに転向。

豊田清だ。阿久悠が死んだ時、その祭壇に、「何もしなければ道に迷う事はないと思うけど、何もしなければ僕は石になるだろう」という文字が書かれていた。
それは阿久悠が作詞した「青春PART1」の歌い出しで、つまり、豊田清のデビュー曲なのだ。
これはリアルタイムに生きてた人なら思い出せる事だと思ってたのだが、その芸能界に詳しい友人に正解を告げても、「思い出せない」のである。
さらに驚く事実がある。
僕は豊田清の「青春PART1」のシングルレコードを持ってるのだが、それは僕が買った物ではなく、学生の時、その友人の家に遊びに行った時に彼のレコードラックにあって、懐かしいから借りてきてそのまま返さないままで持ってるものだ。つまり、友人は自分で豊田清のドーナツ盤を買ってるのに、その曲や歌手の存在を忘れているのだ。
僕が年をとったなと実感したのはこの時だ、それは同年代の友人がボケてしまった、という意味ではない。
彼は今でも頭が切れる。そういうことではなくて彼の人生の関心事が、「芸能界」ではなくなってしまったことだ。関心事がもっと「年相応」のものに移り変わっているのを感じ取ってしまった哀愁だ。
あ~ぁ、なんで忘れちゃうのかな。
オレは覚えているぞ。
安藤君に、「これは大事な本だから絶対になくさないでよ」と念を押して貸したのに返って来ない梶原一騎作の「英雄失格」の第6巻のこととか、
雄一に貸したまま、返してもらってない、ビートたけしの「気分はパラダイス」~ゲスト・おすぎとピーコ、の回を録画したβのビデオのこととか。
今さら返せ、とは言わないし、あっちも忘れてるんだろうと思うけど、僕はしっかり覚えているぞ。

第2次世界大戦で、よく比較されるのが、唯一原爆を落とされた国である日本と、ナチスに迫害されたユダヤ人の戦争に対するスタンスだ。
日本人は、「許さないが、忘れてしまう」。ユダヤ人は、「許しはするが、決して忘れない」。
僕は日本人だが、心性はユダヤ人に近いと思った。今日は、敗戦記念日。

BGM. ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」


スランプの日々~浅草オールナイトに連れてってあげる。

14/Ⅷ.(金)2020 猛暑。リポーター・須藤甚一郎死ぬ。死んでこんなに悪く言われる人も珍しい。

1984年、医大生・川原はスランプだった。シネコンのはしり、キネカ大森がオープンし、寺山修司の実験映画の特集をするという。その日は、「書を捨てよ町へ出よう」が上映される。勉強なんかしないで外に行こうよ、と言われてるようで、当時の川原にうってつけなタイトルだったので、出かけてみた。映画館は割と混んでいた。
奥の席の手前に空席を見つけそこに座ろうとすると、奥の席の客は若いお洒落な女の子だった。
こんな子が1人で寺山修司の映画なんか観るのかな?と思って、
<隣あいてますか?>とたずねると、丁寧に「どうぞ」と言った。
だから僕も丁寧に、<どうも>と返した。
ストーリーは、最初に主人公が画面いっぱいに正面から映し出され、客席に向かってアジるのである。
何しろ、「書を捨てよ町へ出よう」である、まず行動しろ、ということで具体的な提案を延々と訴えるのである。
すごい迫力である。
そして、主人公は「そこの君、まず隣の女の子の手を握ってみろ!」と言うから、僕は焦って、隣の子の様子を伺うと、
その子もこっちを見ていて、目が合って、二人して同時に笑った。
それから僕はその子と帰りにお茶をして、友達になった。
数日後、彼女から千石の三百人劇場でルイス・ブニュエルの映画があるから一緒に行こうと誘われた。
ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」は寺山修司の年表にも登場するので、寺山つながりとして抑えておこうという訳だ。
タイトルは、『銀河』という異端キリスト教徒の話であったが、やや難解だった。
帰りに、お茶をして彼女から感想を求められたから、
<むずかしかったな>と答えると、「嘘!つまんなかったんでしょう?」と言われた。
図星で、この子は読心術の使い手か?、とヒヤッとしたが、そんなことはなくて、実は彼女も「つまらなかった」んだって。


それから僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になり、結構ややこしい方向に彷徨ったりしたが、最終的には喜劇映画の話になった。
今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行くと僕が言うと、彼女も是非連れて行ってくれと言う。
前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高かったというのだ。
その日のラインアップは大したものだった。
一本目が『ニッポン無責任時代』で二本目が『ニッポン無責任野郎』である。
この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、
そんな架空のランキングなどどうでもよくて、この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白い。
まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。
当時の浅草はロックスが出来て集客に意欲を見せていたが、僕らの仲間は滅多に行かなかった。
皆、新宿や池袋や渋谷で遊び、お洒落な人が六本木や原宿あたりをうろついていた時代だ。
ビートたけしが、ギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、
浅草の映画館はガラガラだったと言っていた。
勿論、たけし一流の浅草への愛情表現だと聞くものには伝わっていた。
かつての浅草からは多くの喜劇人が輩出された。
そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。
期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。
後で判るのだが、大抵の人はこの2本を観たら帰ってしまった。終電もなくなるからね。
僕らは、朝まで観るつもりだから、まずは腹ごしらえ。
駅構内の焼きそば屋で、焼きそばを1人前とビールを2本たのんで、
焼きそばをを半分づつつまみにして、ビールを飲んだ。
その後、糸井重里がやっている団子屋がロックスにあるから、そこへ行きたいというので行ってみた。
孔雀なんとか、という店の名前だった気がするが、違ったらごめん。
話を映画に戻そう。
映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。
それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。
この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕ら2人と酔っ払って寝てる浮浪者みたいな何人かと、
そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる本格的に寝ている何人かだけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。
不安そうだったので、<大丈夫だよ>と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目は、「日本一の色男」だったかな?。彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、『喜劇泥棒家族』という映画で、僕も初めて観る作品だった。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。
その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。
警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。
警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。
ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。
植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。
驚く女たち。
キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

それから36年たったのかぁ。僕は…、なんとかなった。

BGM. シカゴ「朝もやの二人」


Go To トラベル気分~ハワイへ連れてってあげる。

13/Ⅷ.(木)2020 猛暑とコロナ。熱中症に注意。

10年前の記事です。↓。

目覚ましより早く目が覚める。ダイヤモンドヘッドの登山に出かける。
ホテルからのバスで登山口まで、そこから歩く。


ハワイといえば透き通る青い海。この青い海を保つため、ハワイ市長は毎朝早起きして海岸を歩き、
バスクリンをまいている、とバスガイドが日本人向けのジョークを言ってたが、
ダイヤモンドヘッドの展望台から観る海の色はまさにバスクリン。
バスクリンを誉めるべきか。


草も木もない裸の山から見える青い海とのコントラストも絶景だが↑、
ゴツゴツと剥き出しの山肌と枯れ木に親近感を覚える。
ハゲタカとかハイエナとか、嫌われ者の住み家のようで気を遣わなくてよさそうだから。↓。


ホテルに戻って、フルーツを食べて、お土産を選ぶ。
少し横になり本を読み、浮輪を持ってビーチへ。
今日は波がない。
浮輪で漂っていると、どんどん沖に流されて行ってしまい、怖いのでなるべく浅瀬に滞在する。
立って、ヘソくらいの波でも、腹這いになってれば頭を越える大波だ。
十分、サーファー気分が味わえる。


そのかわり、海水パンツの中は砂だらけになる。
浅瀬で溺れ恐ろしい体験をするも、冷静に足をつけば、なんてことはない。
恐怖とはイメージの作り出すものだ。
泳げないことにコンプレックスを持ってる人に朗報。吉田拓郎もカナズチです。
僕は、それを小学校の時に知って、とても気が楽になり、それ以降、まったく泳ぎの練習をしなくなった。
そういえば、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンも泳げないらしい。
話を、海に戻す。
娘が、同様に浮輪を持って海に出るが、彼女は命知らず、どんどん沖の方へ行ってしまう。
娘は小学校の頃、スイミング・スクールにも通っており、僕とは違い、泳ぎには自信があるのだ。
海を満喫している。
その間、こちとら相変らず浅瀬で溺れている訳である。
1時間くらい経過して、疲れたので妻の待つゴザへ戻る。
僕は、娘の様子を時折、気にしていたが、どんどん沖へ流れていく。
一向に帰ってくる気配がない。
もしかして、戻れなくなったのではないか?
風が凪ぎ、波が沖へ沖へと物体を引き寄せているのかもしれない。
さっきまで娘の浮輪の目印のグリーンの付近にたくさんいた他の遊泳者達も遠ざかり、
娘の現在地を示すグリーンは、太平洋にひとりぽっち、ポツンと浮かんでいる。
自分から助けを求められない、内気な子だ。
不安でも周りに声をかけられない、それどころか外見は平然として見られてしまう。
周りも気付かないから、さらに沖へ流されている。
まだ陽は高いが、人間はこんなに長い時間、海に浮かんでいて楽しいと思うか?
人間には海に浮かんでいて楽しいと感じる時間の限界もあるだろう。
ライフセーバーの位置を確認する。
砂浜から、娘の名を呼んでみるも届かない。
望遠で写真を撮ってるカメラマンがいる。
彼にレンズをのぞかせてもらって表情を確認するか?。
いくら泳ぎが達者とは言え、いくら魚座生まれとは言え、足がつってしまえば使い物になるまい。
「河童の川流れ」、「海のもくず」、「水の泡」という不吉なフレーズが頭をよぎる。
早川義夫の声で、ジャックスの「からっぽの世界」の一節が脳内にかかり始める
。♪静だな~海の底~。静だな~何もない~♪。
砂浜から、娘の名を念じ気を送る。
その限りは、浮輪が破れない、荒波にさらわれない、そんなコーティングの力を期待して。
いよいよ、娘のグリーンの浮輪は、沖へ流されて行く。
娘を助けなければ。
もし仮にそれが過剰な心配でも構わない。
確率の問題ではない。期待値の問題だ。
娘が、もし助けを求め、不安のまま流されていたなら…そう思うと胸が張り裂けそうだ。
娘を助けに行こう。目測で50~100mの距離だ、と弟が言う。僕は泳げないが、弟も泳ぎが達者だ。
娘同様、小学校時代スイミング・スクールに通い、色んなトロフィーをもらって帰ってきていた腕自慢だ。
娘を助けるべく、僕は黄緑の浮輪をくぐり、弟に娘の所まで泳いで連れてってもらうことにする。
弟に、ビートバンの要領で、浮輪の僕をバタ足で押させる娘・救出作戦だ。
妻によく沖で観察し、もしグリーンか黄緑の浮輪が見えなくなったり、異変を感じたら
(たとえば、サメの背ビレが見えた、とか)あそこのライフセーバーに連絡するよう言い残す。
妻も、弟に無理はするな、そして弟が1人で行った方がいいんじゃないか?、などと言う。
それは、ちがう。
主は1匹の羊が迷ったら残りの99匹をその場に残してでも探しに行くと聖書に書いてあるではないか。
一家の長である、私が行かない訳にはいくまい。
僕は、自ら浮輪をかぶりスタンバイOK、弟の動力で娘のもとへ泳ぎ出す。
僕が方向を「12時の方向」、「11時の方向」、「1時の方向」と指示を出す。
風は逆風、波も我々救出班を岸へ押し戻そうとする。
必死に押す弟が、「進まない、遠い」と弱音を吐く。
オレも体重を前にかけ、波に負けないように体重移動、波の抵抗を和らげるべく波に向かって体を
45度に舵取りして、弟に「がんばれ!」と叱咤激励を飛ばし、自らもフル稼働で足を動かすも、
お風呂で遊ぶアヒルのおもちゃのごとく微力だが、気合を伝えるには十分で、弟は英雄的に力を発揮、
波を追い抜き浮輪は前進。必死の形相、男らしく育ったものだと感慨。
竜雷太・主演、「これが青春だ」の主題歌が脳内でかかり出す。
♪嵐の中も~君のためなら~七つの海を泳いでいこう~
誇りひとつを胸に掲げて~夢に飛び込む~それが若さだ~そうとも!これが青春だ~♪。
娘のグリーンの浮輪が近付く。
ホルンの奏法で身につけた複式呼吸の要領で、娘の名を呼ぶ。2度、3度。
すると、娘はこちらに気付き、手を振る。
SOSのサインか?
娘の名を呼び続けながら、手招きすると、勇気百倍になったか、自力でこちらに泳いでくる。
「何?」と言う。
潮に流されてるのではと心配して救助に来た、と伝えると、娘は安堵の照れ笑い。
砂浜へ戻るぞ、との号令に従い、彼女はスイスイと先に泳いでいく。一安心。
一方、弟は、「重い重い、浮輪が邪魔だ」と嘆きながら、今度は方向転換、
必死で今来た道をUターン、砂浜に父を無事に送り届ける任務にミッション変更。
そんな弟に、いかにお前のとっている行動が人として素晴らしく、縁の下の力持ちとは男らしい美学なのだ、
ということを噛んで含めるように言って聞かせながら、足がつく所までくれば、こっちのもの。
右足で砂浜をギュっと掴むように立ち、左足も前に、両足でしっかりと立てた。
もう大丈夫だ。
オレは、振り返り、疲労困憊の弟の手を握り、ご苦労様、と引っ張るようにすくいあげる。
ここだけ見たら、オレ、ヒーロー。
とにかく、皆、無事で良かった。
足の砂を洗い流してホテルの部屋に戻り、一休みして、おなかが空いたので焼肉を食べに行く。
その席で、弟に、泳ぎの不安はなかったか?、と聞くと、「自分が溺れたらどうしよう」と心配だった、と言った。
「人生は、多くの場合、慎重にしておいた方が無難だ。
しかし、あの場面で泳ごうと決意したのはとても立派なことだ。男らしく育って、お父さんは鼻が高いぞ」と誉め、
「今日のMVP」の称号を与えた。


男たちヒーロー軍団は疲労して、早々と床につく。
かたや、姉は元気いっぱい、遅くまで母親とショッピングを楽しんだ。
ハワイもあと2日。

BGM. 布施明「これが青春だ」

 


Go To トラベル気分~香港へ連れてってあげる。

11/Ⅷ.(火)2020 東京で2年振りに37℃越 香港警察、民主活動家・アグネス・チョウ逮捕

「特別に愛してよ、十七の夏だから」という桜田淳子のヒット曲を思い出した人も多いのではないでしょうか、小池百合子の「特別の夏」宣言。帰省も旅行もしにくいから、海外旅行はもっと難しいですね。なので、今回は海外旅行に行ったつもりになるように、9年前の記事を編集して載っけます。行先は、今や大変な情勢にある、香港です。

9年前といえば、2011年。3・11の年です。あれだけ大変だったのに、夏には海外旅行に行けたんですから、今年がいかに特別かわかりますね。↓。

うちの家族旅行は、女性陣が(妻と娘)が行き先から何から何まで決めて、男性陣は(俺と息子)は黙ってその企画に乗っかるというシステムが確立されている。
特に、僕の場合はひどいもので、行き先もうる覚えのまま、当地で今回の旅先がどこかを知る始末。それでも、誰も困らない。それでも、地球は回ってる。
こんな事があった。行きつけの寿司屋に息子と2人で行って、<来週、香港に行くんですよ>と言ったら、
お店の女将さんが、「100万$の夜景の写真、撮ってきて見せて下さいね」と言うので、快諾した。
旅行に行き数日たったが、一向にその気配がないので、<100万$の夜景には、いつ行くの?>と尋ねたら、
女性陣と話がかみ合わない。事情を詳しく説明したら、謎が解けた。ここは、「香港」ではなく、「台湾」だったのだ。
息子に、<お前、知ってた?>と聞くと、「知ってた」。<いつ?>、「飛行機で」。
<何で教えないんだよ!>、「だって、聞かなかったから」。
<…って言うか、お前、寿司屋に一緒にいただろう?俺が香港だと思い込んでるの知ってただろう?教えろよ>、
「いつ、気付くかと思って」だと。

ところで、このバカンスは娘と2人で旅行に行く話になった。そのため、今回の旅行の企画は娘1人で行った。
実は、僕のパスポートの期限が切れているので、娘が本籍地の茅ヶ崎まで書類を取りにいったり、有楽町でパスポートの申請を代行してくれたり。
「行き先はどこがいい?」と希望を聞かれた。娘は、自分の行きたいところより、お父さんの行きたいところに行きたい、と母親に話していたという。
そうか、じゃ、リクエストね。<イタリアか、ハワイか、ルーブル美術館か、世界遺産か、フロイト・ミュージアムか、ゲシュタポ収容所>と希望を伝えた。
日程的な関係で、どんどん消去法で選択肢が減り、娘は、色々と智恵をしぼっって、「香港&マカオ4日間の旅」に決まった。
母親から伝え聞いた話によると、娘は香港、特にマカオに好印象を持っているようで、それというのも、
小学生の頃、クラスメートが家族旅行で香港&マカオに行き、お父さんがカジノで楽しそうにしていて、
雰囲気がとてもよかった、と友人から聞かされて、「家族団欒」のイメージをサブリミナルに刷り込まれているようだった。
子供たちが、小さい頃なんて、まとまった休みなんてとったことなかったからな。
子供の学校の運動会と、病院の行事の運動会がぶつかって、病院の方を選んでひんしゅくを買ったこともあったな。
ここ1年くらいだものね、長い休暇がとれるようになったのは。
人生にやり直しがきくのかどうかは知らないが、今は昔してこれなかったことの埋め合わせをする時期なんだなぁと、この頃、ふと思うことがある。

 

第1日
早朝、娘に起こされて、羽田へ向かう。今日から2人で、香港&マカオ4日間の旅。香港は土地が少なくて、東京都の総面積のおよそ半分くらいだそうだ。
宿泊先は、nikkoホテル。日系のホテルだから日本人のスタッフもいて、初香港の人にも安心だ。↓。


下は、部屋の窓から外を写した。日の丸が揺れてる。「がんばろう!日本!」という感じ。↓。


夜は、海岸に出て、「アベニュー・オブ・スターズ」という香港映画に貢献した人の手形やサイン付きプレートが埋め込まれた散歩道を歩く。一番人気は、断トツでブルース・リー。↓。



香港ではスリが多いらしく、「スリに気をつけろ!」と色んな人から言われた。もしも、娘のバッグをスリが奪ったら、もしやに備え、ブルース・リー・バージョンとジャッキー・チェン・バージョンのイメージトレーニングをしておく。

第2日
トラムという2階建てのチンチン電車に乗って、まずは「天后廟」にゆくが、ここは面白かった。オブジェが、大きくて極彩色で迫力があって派手でよい!。
「天后」とは、海と漁師を守る女神様のことで、「天后廟」はその天后を祀っているのだ。↓。


天后の左隣には、観音廟がある。これも、色っぽくて素敵!。↓。


「天后廟」の海を臨む境内には、他にも見逃せないさまざまな福の神や珍獣が大集合している。↓。



下は、長寿橋と言って、渡ると長生き出来るらしい。注意点は、帰りに同じ橋を渡らないこと。プラマイ・ゼロになってしまうから。↓。


他にも、こんなのがあって、全部は撮りきれませんでしたが、とても面白かった。↓。



↑。最後は、ドラゴンでしめてみました。
次は、セントジョンズ大聖堂へ。移動中、スコールのような大雨が、短期集中型に降ったが、すぐ止んだ。で、セントジョンズだが、現在ある建物は第二次世界大戦後に再現されたもの。13世紀ゴシック様式。↓。


堂内のステンドグラスも素敵。↓。


下のは、譜面台みたいなもので、聖書や賛美歌を乗せるのかな?。黄金の鷲のデザイン。かっこいい。一家に一台欲しいな。↓。


本日のメインイベント。100万$の夜景を観にヴィクトリア・ピークへゆく。登山電車のようなものに乗るのだが、これに乗るのに長蛇の列が出来ている。しかし、娘は用意周到で、何か脇の方からスイスイと、ディズニーランドのファストパスのようなルートを使って、全然、待たずに列車に乗れた。すごいね。下が、その登山電車。↓。


今日は、昼に雨が降ったから、空気が澄んでいて、霧がなくて、綺麗で、きっとこれが、100万$の夜景なんだと思う。↓。


写真を撮ってみるも、肉眼で見るのと、レンズ越しに見る光景は全然違う。単に、写真が下手だとも言えるが…。
そうそう、この旅行で、娘と2人の記念写真を何枚か撮った。こうやって2人で、同じ写真に納まるなんて、何年振りだろう?。子供の時、以来だろう。中学生に上がってからは初めてじゃないか?。忙しすぎたから。

第3日
日帰りでマカオに観光。マカオの町は、カラフルというかパステルというかお洒落だった。昔、ポルトガル人が住んでいたらしい。
まずは、聖ポール天主堂跡。17世紀の様子をうかがわせる。ファザードだけが立つ。↓。


よく見ると、このファザードに、フランシスコ・ザビエルとか、ドクロとかドラゴンとか蓮とかシーサとか、色んな文化の物が入り混じっていて面白い。ちなみに、ドラゴンは西洋では「悪」で東洋では「福」だ。このファザードのドラゴンは「西洋」だ。アップの写真を載せて見ますが、細かい所は見えないかな。↓。


この辺りでは、エッグタルトが名物で、7香港$=約70円、玉子がプリプリしていて美味しかったけど、熱くって、思わずこぼしてズボンの裾とスニーカーの靴ヒモの間にめり込んでしまった。ティッシュであわててふくも、靴ヒモに玉子を塗りこむ様になってしまった。
そんなことはどうでも良くって、聖ポール天主堂跡の隣には、ナーチャ廟というのがある。「男の子」を守る神様だそうだ。↓。


ちなみに、この辺は、世界遺産らしく、娘が僕のリクエストに答えた形になっている。
下は、聖ドミニコ教会。淡いイエローに彩られた美しい教会。↓。


↑。手前の石畳のモザイクは、ポルトガルの熟練工が敷き詰めた波型模様をしていて、そちこちに海の生き物を表したりしていた。蟹とかナメクジとか。
ちなみに、さっきの聖ポール天主堂は「イエズス会」で、こちらは「ドミニコ会」。聖ドミニコ教会も世界遺産なので、今はミサはしてないそうだ。感想を言うと、とっても落ち着く。ずっとここにいたい、安らかな気持ちになる。館内にある「バラの聖母像」も美しい。下は、館内の様子↓。白と黒のジグザグ模様が、ドミニコのマーク。





下の噴水は、マカオの中心地、セナド広場。向こうに見えるのが、仁慈堂。名のごとく、慈愛のことをしてくれる場所で、昔は貧乏な人や老人やらい病患者の力になったという。↓。

その後は、マカオタワーにゆき、カジノにも寄った。カジノは、クレージーキャッツの映画やマフィアのイメージで、もっと怖いというかピリピリした不健全な空気のところかと想像してたのだが、意外にもクリーンで拍子抜けした。マカオタワーのエレベーターはすごく速い。下の写真は、展望台から撮影した景色。どこかまでがマカオで、どこかからが中国になるらしい。↓。


僕は、ギャンブルというものを一切しないので、ここは楽しいとは思わなかった。これまでの人生がラッキーの連続で、さすがにもう運を使い果たしているだろうから、どうせ賭け事をしても勝てないと思うし。カジノで喜ぶお父さんの演技をするのも、白々しいから、一回だけスロットをやっただけにした。
マカオから香港に戻り、夜は、オープン・トップ・バスという屋根のない2回建てバスに乗り、市内観光をした。頭が看板スレスレだったり、ジェット・コースターみたいな坂だったりして、スリル満点。夜景も綺麗。
香港にはディズニーランドがあるらしいが、今回はそこには行かなかった。↓。


コレは香港のディズニーランドへの行き方を示した標識なのです。黄色い看板の左下に、黒い丸が見えるでしょう。ブレてて見づらいでしょうが、実は、ミッキーマウスのマークなのです。わかります?。

最終日
空港に着くと、搭乗手続きで、帰りの飛行機の便の変更と2人がバラバラの席になる、と言われた。<why?>と聞くと、「full」だって。満席ってこと?。予約してて、満席もないだろうと思ったが、少し早く日本に着くからそれでもいいか、ということにした。2人とも、英語、よく喋れないから交渉できないし。
ジャスト・モーメントと言われ、ベンチでおとなしく座って待っていた。しかし、いくら経っても何も言ってこないのである。さすがに娘が不安になったらしく、どうなってるんだろう、というから、さっきの係の男を見つけて、<どうなってるんですか?>とジェスチャーで聞くと、「ジャスト・モーメント」と言って立ち去ろうとする。

さすがにそれはないだろうと思って、<お前、さっきもそう言ってただろう>と文句を言うと、さすがにこちらが怒ってることは伝わったらしく、両手を前に出して、まぁまぁ、となだめるようなポーズで、「ジャスト・モーメント」と言いやがった。
さすがに頭に来て、<さっきから、ずっと同じこと言ってるじゃねぇか!お前のジャスト・モーメントってのは、何分何秒のことだ?正確に答えろ!>とすごむと、向こうは困ったような顔をして、「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」って言いやがる。<知らねぇよ!その手にゃ乗らねぇよ。大体、お前、これ信用問題だぞ。てめぇのところで飛行機を勝手に変えるとか言い出したんだろうが>、向こうはこっちが怒ってるのはわかるが何を言っているのかわからないので困っているようだが、普通に考えれば何を怒ってるかくらい想像できるだろう。
「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」と再度言うから、<だから知らねぇよ!知ってても使いたくない気分だよ!いいか、もう一度、言うぞ。信用の問題だぞ。信用だよ、信用!わかんねぇだろう?日本語だからな。ワザと言ってんだよ。家に帰ったら、辞書で引けよ。ディクショナリーだよ、『字、引く書なり』って言うだろう。いいか、よく覚えとけ!家に帰ったらディクショナリーで調べろ!。信用だぞ、シ・ン・ヨ・ウ!>、と鼻と鼻がくっつく距離で喋ってやった。
そうすると、そいつは急に「OK!」なんて言って、俺たちのスーツケースを自ら引いて、カウンターの列に横入りして、係の女(そいつもさっきは態度が悪かった)に何か指示を出して、そしたらその女も急にキビキビとして、結局、そこの飛行機会社と提携してる日本の航空便に変更してくれた。スチュワーデスさんも日本人だし、2人の席も隣だし、出国の時刻も早すぎもせず遅すぎもせず丁度いい。なんだよ、出来るんなら最初からしろよ。こういうのは、良くないよ。言ったモン勝ちみたいじゃないか。気の優しい人なら損をする。そういうのは、良くないと思う。
ま、とりあえず一安心だね。出発の20分前に‘71番ゲート’に行けばいいらしい。免税店を見て回って、それでも少し時間があるから、スタバでお茶をしよう。自慢ではないが、僕はスタバという所に入ったことがなく、メニューが難しいというイメージだけがある。『日常』というアニメでも、主人公が地元のリニューアルした喫茶店に入ったはいいが、メニューの意味がわからない、というエピソードがあったが、ここは一つ、娘に選んでもらった。ナントカカントカ、というチョコレート味の飲み物にクリームがトッピングされて、キャラメルソースみたいなもので渦巻きが描かれていた。
娘に、<どうしてこれにしたの?>って聞いたら、「好きそうだから」だって。本当だ、美味しい。小さなトラブルはあったけど、やっと落ち着いたね。まだちょっと時間があるね。<そうそう、マクドナルドって、今でも『一緒にポテトはいかがですか?』って聞くの?>と娘に尋ねると、「聞くよ」って言うけど、<でも、今、バリューセットとか言って、ポテトはセットに組み込まれてるんじゃないの?>「飲み物だけ頼むと言われるよ」<あっ、そうか>なんてやり取りをしていた。
いよいよ20分前に‘71番ゲート’に着くと、これは‘30番ゲート’に変更されたという。<あの野郎、仕組んだか?>と一瞬、思ったが、それより場所を移動しないと。でも、‘71’から‘30’って結構あるぞ。時間も出発まであと10分もない。取り合えず走ろう!、と走るが、出発の時間は迫ってくる。スタバでゆっくりしすぎたなんて悔やんでもしょうがない。走りながら、娘は「間に合わないかも。飛行機、出ちゃうかも」と不安そうに言うから、<大丈夫!。‘71’番の係の人が‘30’番の係の人に、今から2人向かう、って連絡してくれてるだろう。それに、いざとなったら、俺には奥の手があるから大丈夫!>。結果は、ギリギリ・セーフで間に合いました。
家に着いてから娘が、「さっき言ってた、奥の手って何?」って聞くから、松田優作と薬師丸ひろ子の「探偵物語」という映画のラスト・シーンの話をしてやった。
それは、主人公の薬師丸ひろ子が探偵の松田優作に依頼をして、無事、事件が解決して、サヨナラになるのだが、その時には2人の間に「依頼者と探偵」という関係を超えた恋心のようなものが芽生えていた。しかし、薬師丸ひろ子は、悩んだ末、別れを決意して、一人、飛行機に乗る。空港で見送る松田優作。薬師丸ひろ子を乗せた飛行機は飛び立つが、なんとすぐに空港に逆戻りする。なぜなら、松田優作が、飛行機会社に、今飛び立った飛行機に爆弾をしかけた、と嘘の電話をしたから。それで、飛行機はユーターンして、乗客は全員、飛行機を降ろされるのである。薬師丸ひろ子も。そして、飛行場で待っていた松田優作と再会する。それと同じことをするんだよ。それが奥の手。
娘は、始めキョトンとしていたが、すぐにニヤリと笑って、やがてあきれたような顔をして、緊張感から解放された。


夏休みにおすすめアウトドア遊び

8/Ⅷ.(土)2020 はれ 山Pが17才女子高生モデルを持ち帰り?

新型コロナウイルス感染拡大の勢いが止まりません。今年の夏休みは帰省を自粛する人も多いみたいで、地方では「東京ナンバー」の車をみると恐れられるとも。ハロプロはライブを再開し始めたそうですが、まだまだライブも楽しめません。格闘技も無観客でやるところも多いですが、せっかくの夏休みは、アウトドアで過ごしたい、そんなあなたに、withコロナ時代の遊び方を提案しましょう。みうらじゅん、のアウトドア般若心経のマネです。

カワクリのキャッチコピーの、「フダン着で来てください。フダン着で待ってます。」、を街中にある文字で再現するのです。
まずは「フ」。新宿のタカノフルーツパーラーから。影がメロンの形になってるのがお洒落ですね。↓。


ついで、「ダ」。夏らしく、「ソーダ」ののぼりから。シュワーってしますね。↓。


「ン」は、新宿の行きつけのカレー屋「モン・スナック」から。コーンサラダは無料なので注文する時言うとくれます。↓。


「着」は、このシーズンらしく、「マルイの水着」から。夏らしくブルーの「着」。↓。


「で」は、田園調布駅の駅名表示から。↓。


「来」は、苦労しました。意外と街にないのです。外タレの「来日公演」の看板とかを狙ってたんだけど…。
「来々軒」なんてラーメン屋や「来夢来人(らいむらいと)」なんてパブは有りそうでないです。
結局、ご近所の東急病院の「外来診察」からいただきました。↓。


「て」も結構、ないです。これは、中野の「てばさき屋」から。↓。


「く」は、縁起良く、「宝くじ」から。↓。


「だ」は、中野ブロードウェイの「まんだらけ大車輪」から。
「まんだらけ」は何店舗もありますが、ここのが黄色で綺麗だったから。↓。


「さ」は、大岡山の蕎麦屋「さか本」から。よくお昼に利用します。↓。


「い」は、「い・ろ・は・す」の看板。自由が丘の踏み切りの近くにありました。↓。


「。」は、福山雅治のテレビの広告から。モニター画面が移り変わるCMなので、瞬間を撮るのは割りと大変でした。↓。


ここまでで、フダン着で来てください。、になってるはずです。続きをしますね。
二つ目の「フ」。タカノフルーツパーラーは小田急デパートの地下が空いてて穴場です。↓。高島屋にもありますね。


二つ目の「ダ」は、中野でみつけた「ダンススクール」から。踊りだしたくなる、「ダ」ですね。↓。


二つ目の「ン」は、中野サンプラザの階段に書かれてる文字から。少し、汚れてて、それなりの歴史を感じますね。↓。


二つ目の「着」も、夏らしく「浴衣の試着会」から。↓。


二つ目の「で」は、中野の「串かつでんがな」から。赤提灯を見ると、呑みたくなりますね。↓。


「待」は、東急線の駅の待合室から。↓。


「っ」は、中野のふぐやのチャッチコピー「春夏秋冬ずっと、ふぐ」の「ずっと」からの「っ」です。↓。


さっきも言いましたが、「て」は少ないです。これは、中野の「てんぷら屋」から。天ぷら、がほとんどで「て」はないです。↓。


「ま」は、色々あります。「おかしのまちおか」とか「まんだらけ」とか。あえて、意表をついて、路面表示の「止まれ」から。↓。


「す」は、中野の「すてーき亭」から。↓。「すてーき亭」の店の入口には、「あしたのジョー」が佇んでいるのが目印です。


最後の「。」は、やはり福山のCMから。別の色を。↓。


これで、完成です。写真だけを続けて見ると、カワクリのキャッチコピーに見えるはずです。
以上、「アウトドア・フダン着で来てください。フダン着で待ってます。」でした。

BGM. 石川秀美「恋はサマーフィーリング」


部活の日々~武道館に連れてってあげる。

6/Ⅷ.(木)2020 猛暑。スー・メタルは広島出身。手越、農業に進出構想、TOKIO山口へラブコール。

梅雨があがって暑い夏がやってきましたが、ニュースは相変わらず、コロナが中心。今日くらいは、広島原爆投下75年とかやるのかな、と思ってたが、朝のワイドショーはやはりコロナの感染者数と帰省への注意喚起。分数でいうと、人生分のコロナが「1」になりそうな勢い。分子(コロナ)を減らせないなら、せめて分母を増やしたい。趣味も自粛の対象だから、過去の楽しかったお話でもしましょう。

クリニックに来たことのある人は、受付カウンターの喫煙所の方に貼ってある一連のクリアファイルに見覚えがあるでしょう。↓。

彼女達がBABYMETALです。
今回はまったくBABYMETALを知らない方のために簡単な基礎知識を紹介しておきましょう。ベビーメタルは、さくら学院のクラブ活動から派生した3人組のメタルダンスユニットです。メタルなので自己紹介の時、「~です」を「~death!」と発音します。
決めポーズではメロイック・サインではなく、キツネサインをします。↓。


そもそも、さくら学院が判りませんね。
さくら学院は、学校生活とクラブ活動ををテーマとした小中学生で結成された「成長期限定」の女性アイドルグループです。
ファンのことは「父兄」と呼び、メンバーは原則として義務教育終了の中学3年生3月で卒業するという決まりがあります。BABYMETALは、さくら学院の部活動「重音部」という位置付けでした。↓。


個々のメンバーを紹介しましょう。まずは、真ん中の一番大きい子がVocal&Dance担当のSU-METAL 、death!。
…という具合に「death!」を使います。↓。


次いで、横の小さな子がScream&Dance担当のYUIMETAL 、death!。↓。


同じく、Scream&Dance担当のMOAMETAL 、death!。↓。


両サイドの子は小さいとは言え、そこはさすが成長期、近頃は以前ほど身長差の凸凹が目立なくなってきました。
真ん中のSU-METALは、「さくら学院」を卒業しましたが↓、BABYMETALは人気に火がついたため、活動継続しています。


そうなると「さくら学院」が気になりませんか?
ライブに潜入してレポートしようと思ってるのですが、全然チケットが取れません。
ところで、BABYMETALに話しが戻りますが、「重音部」??って思いませんか?
部活なら「軽音部」がポピュラーですよね。でも、それだとアニメ「けいおん」のイメージが強すぎるのかしら?
そこで調べてみました。
大ヒットアニメ「けいおん」の第1期が放送されたのが2009年4月からで、第2期は2010年4月からでした。
一方、BABYMETALの結成は、2010年11月28日とプロフィールにありました。
だから、BABYMETAL(=重音部)は、「けいおん」(=軽音部)のパロディー的な意味もあったのではと推測できませんか?
「けいおん」の主人公達は、「めざせ!武道館」などと口にしてますが、放課後の部室でお茶をしてお喋りしてるばかりなので、武道館などありえません。
もしもBABYMETALが「けいおん」を意識してスタートしてたとしたら、本家を凌駕しちゃいましたね。
もっと言えば、BABYMETALがさくら学院の部活動だった事を考えると、現実ってアニメより非現実的death!。
BABYMETALの平均年齢は14・7才で、これは女性アーティストの武道館コンサートの最年少記録を塗り替えたそうdeath!。
ちなみにこれまでの記録は岩井小百合(銀蠅一家の妹分)の15才1ヶ月で、男性アーティストの記録はジャニーズJr.の14才5ヶ月らしい。以上、武道館コンサート最年少記録・豆知識でした。

1/Ⅲ.(土)2014 小雨の中、武道館へ

3月1日は、BABYMETAL武道館2Daysの初日「赤い夜、巨大コルセット祭り」です。↓。


BABYMETALは、2012年7月21日に目黒のライブハウス鹿鳴館で「コルセット祭り」という伝説のライブをやった。
今日のタイトル「巨大コルセット祭り」とは、その時とまったく同じメニューを場所を武道館にかえて、再現しようという試みだ。
従って、MCやアンコールは一切ない、とあらかじめ注意事項が述べられた。
これは伝説のライブを観た人は感慨ひとしおだろうし、観てない人には追体験できる、こんなに有難い企画はない。
演目は忠実に再現するのだろう。
しかし、鹿鳴館と武道館では規模が違い過ぎる。よって、今回は「巨大」が接頭語としてつく訳で。
この2DaysはDVDorBlu-ray で発売される予定で、再三、このステージは収録されるというアナウンスが流れていた。
それは、<映っちゃ困る、って後で、言わないでよ>って牽制の意味よりも、<映るんだから気合い入れてね>的な確認だった。
それはどう言うことかと言うと、「巨大コルセット祭り」だから、客全員が首にヘドバン用のコルセットを巻くのです。
入場前に、「コルセット引換所」へ行き、チケットの裏に「済」の判子を押されてコルセットを貰います。↓。


係の女の子から「入場前にはめて下さい」とコルセットを手渡され、念のため<俺も?>と聞くと、親切にも首に巻いてくれた。
下が、そのコルセットの現物。診察室の入口の、BABYMETALの額装の上にあるから、良かったら見て下さい。↓。


コルセットを首にはめたら、入場だ。
1階アリーナは立ち見客。音楽を聴いて暴れたい人のため。ステージは見えにくそう。
僕はステージを見たいので、2階席を取った。スタンドはほぼ空席なく最上階の席までギッシリ入ってた。
超人気!!あの武道館がいっぱいだ。開演は、6時スタート。
会場の空気は異様な緊張感だ。
大きな魔法陣のような円形のステージが中央にあり、それを野球場のダイヤモンドのように、正方形の通路が囲み、
角の4つの頂点に中央の魔法陣を縮小したステージがある。
おそらく、中央と4角の計5ヶ所でパフォーマンスをして、通路は滑走するためのロードだ。
BABYMETALよ、何を見せてくれるのだ?と期待が胸を膨らませる。
BABYMETAL武道館2Daysとは、いわゆる良くある<2日やるから、どっちか来てね。1曲くらいセトリかえるから、お楽しみに>
みたいなものとは、根本的に違うのである。2日で1つのストーリーを完結させるのである。
今日は明日のための予告編であり、進化し続けるBABYMETALを大河ドラマ的に観るものだと安心してライブに参加した僕。
ところが、どっこい、「生」はそうはいかない。
ミューズという芸術の神様がもしもいるなら、ミューズはBABYMETALに降りたな。
本来、予定調和で終わるはずの、明日のための助走であるはずの今日のステージでアクシデントが起きたのだ。
実は僕は、ずっと不安を抱いて観ていたのである。
<あんなに走って転ばないかな?>とか<あんなに張り切ってスタミナ切れないかな?>とか。
「さくら学院」では、ファンのことを「父兄」と呼ぶが、本当にそんな気分になった。
そして、僕の(そして会場にいた多くの人もそう思っただろう)嫌な予感が的中した。
それは、ラストから2曲目「ヘドバンギャー!!」でのこと。
ゆいメタル、が通路を滑走する最中に、勢いのあまり走路から外れて墜落してしまったのです。
2mくらいの高さはありました。
しかし、BABYMETALはプロですよ。そんな事故があったのに、本来3人でやるのを2人でやりとげました。
でも、そこでもまた、もあメタルがステージで転んだりするから、ハラハラして。何より、ゆいメタルの安否が心配で。
「ヘドバンギャー!!」が終ると、会場は暗転し、場内はザワつきます。進行はしばし、ストップ。
客席から、「大丈夫~?」というコールが聞こえ、次第に「ゆいちゃん!ゆいちゃん!」の応援エールに変わる。
一瞬、これは演出か?と思ったが、あの落ち方はマジだった。
そしてほんのちょっとの休憩の後、エンディング曲の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロが流れる。
ステージ中央にスポットライトが当り、すうメタルの姿が浮かぶ。
そして、次いで、映ったサイドのメンバーの数は、2人だった。ゆいメタル、復活!!
すごいぞ、あの高さから落ちて、わずか数分で復活なんて。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はMステでも披露された文字通り、イジメ、ダメ、ゼッタイ、と謳う世直しメタル・ソングです。
歌詞は、イジメっ子に対し「ダメ!」と警告を発し、イジメラレっ子に向けて「負けないで!」とエールを送ります。
ゆいメタル、と、もあメタルは空手の型の様な戦闘のパフォーマンスをします。
これは、イジメっ子をやっつけるという意味よりも、イジメられても強くあれ、という暗喩のようです。
実際、いくら「イジメ、ダメ、ゼッタイ」なんて言っても、人間が生きてる限り、イジメはなくなるはずはないと思う。
なのに、あえて、そんな巨大な敵と戦おうとするBABYMETAL。勝目のない試合かもしれない。
ステージでは、直前にステージから落下して、フラフラのゆいメタルが必死で格闘シーンを熱演する。歌のテーマと、武道館という場所と、ゆいメタルの姿が見事にシンクロした。うかつにも感動してしまった。

BGM. BABYMETAL「メギツネ」


楽しい日々~地下アイドルに会わせてあげる。

5/Ⅷ.(水)2020 猛暑。イソジン売り切れ、転売も。キャバクラ通いの阿炎(あび)回数を虚偽報告。引退か?

今から5年前は、「アイドル戦国時代」と呼ばれていて、中でも、僕を虜にしたのは「BELLRING少女ハート(以下、ベルハー)」の「朝倉みずほ(以下、みずほ)」だった。

7/24(日)は、渋谷WWWでベルハーの「絶望音楽祭2」。
もともと、どこかのバンドと対バン予定だったらしいが、相手がみつからず、急遽、この日はオタさん(ファン)の生誕祭になった。
通常のチケットが、2-3千円だが、生誕祝いをして欲しい人には1万円のチケットが売り出された。
アイドルの生誕祭は今や必ずあるが、ファンの生誕祭は聞いたことがなく、珍しい。
タイムリーにも僕は、7/24生まれだから、そのチケットを買った。↓。

申し込み時に、写真を送れ、とのことだから、似顔絵を描いてくれることは薄々勘付いていた。
渋谷WWWは、スペイン坂を登り切った所の、パルコ・パート3の対面の地下にあるライブハウス。
確か、昔、単館映画を上映してる映画館だったところだ。
客席も段々畑みたいになっていて、3-4フロアあるが、どの席からもみやすくて、綺麗な会場だ。
ベルハーのライブは、盛り上がると、モッシュやダイブが多発して危ないから、僕は2段目で観てた。
オープニング・アクトの、ヤなことそっとミュート、に続いて、ベルハーが登場。
気合の入ったライブ・パフォーマンスと、音響の不具合が荒削りで、エッジが効いていた。
ライブも盛り上がったところで、ビッグウェーブ担当のブッチが登場。
「ヨォ、ヨォ、ヨォー!どーよ。今日は何の日か覚えてる?」
みたいなことを言って、ファンの生誕祭をまさかのここでブチ込んだ。
今日の生誕チケットを買った人は僕を入れて全部で13人だった。
それぞれ名前を呼ばれて、ステージに上げられた。
我々は、ベルハー・メンバー手作りの画用紙で作った冠をかぶせられ、後でメンバー全員とのチェキを貼って、
記念のアルバムをくれるとのこと。
そして、みずほが「前日に買った」という白いリコーダーで、♪HAPPY BIRTHDAY TO YOU~♪を吹くから、
「皆さん、正座して下さい」と、13人はステージに並んで正座させられた。
一生のうちで、観客が凝視するライブハウスの舞台で正座をするなんて滅多にない貴重な体験をした。
下が、手作りの冠をかぶってステージで正座して、みずほのリコーダーを聴く僕。↓。


そして、昨日の夜、メンバーが愛を込めて作ったという、ミルクレープ、もお出まし。
クレープと生クリームがシンプルに何層にも重ねられている。
壇上にいる生誕祭のファンは皆、筋金入りのようで、ケーキが出てくると、メガネを外し出した。
僕が<?>と言うと、彼らは「お約束でしょう」と笑った。
<えっ?パイ投げ?>と僕はちょっとゾッとした。
しかし、結局は、そんな過激なことはなく、ライブ終演後に、切ってくれることになって、僕らはステージを降りた。
なんか他のお客さんに悪かったですね、普通の誕生祝いになっちゃいました。
後半のライブも盛り上がって、アンコールを2回もやった。
ライブの後は、チェキ会。13人は、メンバー全員とケーキと記念撮影。
その時、ケーキをくれるのだが、お皿とか用意してないから、僕らは手の平にケーキを置かれて。結構な大きさだ。
どんな好きな人のでも、手作りって口に入れるのは少し抵抗があるのだが、そんな潔癖症も、手の平にケーキを置かれたらぶっ飛んでしまって、あわてて、頑張って食べた。
みずほが、「たつじさん」と書いたプレートをミルクレープの上に飾ってくれたが、僕の携帯の写メは壊れてるので、ケーキの写真はとれませんでした。まぁ、記録より記憶に残しておきましょう。
そして、これがベルハー・メンバーからもらった愛に満ちあふれた手作りの記念アルバムです。
表紙を、みずほ、が書いてくれました。↓。

中をめくると、似顔絵をメンバーが1人づつ描いてくれてました。
1ページ目の、甘楽(かんら)が1番、送った写真に忠実です。↓。

2ページ目の、カイちゃんは、抽象画です。↓。

3ページ目の、レーレのタッチはやさしいです。↓。

4ページ目の、あーやんの絵はスマイリーです。↓。

5ページ目の、みずほは…みずほっぽいです。↓。

6ページ目は、皆の寄せ書き(カイちゃんだけ書き忘れ)の中央にさっきの全員チェキ。↓。

裏表紙は、みずほの手形。↓。

それから、背表紙はこんな風になっています。↓。

ところで「地下アイドル」の地下とは、まだメジャーに認知されてない、とか、地下のライブハウスを根城にしてるの他に、
距離が「近い」の「ちかアイドル」という意味があるのも皆さんは知ってました?
「絶望音楽祭2」はまさにそんな感じでした。
最後の物販コーナーで、みずほのチェキを撮りました。
みずほは白いリコーダーで、♪HAPPY BIRTHDAY TO YOU~♪を吹いてくれたのですが、途中で、
「わかんなくなっちゃった」と言って、笑いました。可愛かったです。↓。

 

僕が始めてベルハーを知ったのは、新宿のタワレコのインストア・ライブだった。
その日、何かの用事でたまたま寄ったのだが、それは運命なのかしら、彼女達のステージに出くわし、衝撃を受けた。
黒いセーラー服にカラスの様な羽根をはやした衣装は、アイドルらしくない。
メンバーは6人とクレジットされているのにも拘らず、ステージ上には3人しかいない。
音程は外れ、踊りもバラバラ。
そして、1曲歌い終わる度に、お互いの立ち位置が違うとか歌詞を間違えてるとか注意しあっていた。
今時の若い子は器用だから、素人でも、もっと達者だ。学芸会以下のステージだった。
しかし、楽曲は良くて心に沁みて、ハラハラさせられるパフォーマンスは目を離せず、
結局、最後までライブに釘付け。
勢いでCDも購入して、握手会にも参加してみた。
ベルハーのファンは握手をする時に長くメンバーと喋るから、自然と時間が押していた。
タワレコのインストア・ライブは時間きっちりに終らせないといけない。
ベルハー関係者は焦っていた。
約束を破って、2度と使えなくなったら困るからだと思う。
僕は後ろの方の順番だったが、途中から、ベルハーのスタッフが長いファンを打ち切るように介入して行った。
そして僕の番になった。
僕はその時は誰が誰かも判らなかったから順番に握手して記念にチェキを撮って帰るつもりだった。
今思うと、その時の3人は、じゅり、と、もえち、と、みずほ、だった。
順番に握手をして、彼女達が何か言うのに相槌をうつだけだったから、スピーディーだった。
僕はベルハー・スタッフから「早くして」とお願いされる事態にはなりようがなかった。
そのはずだった。
ところが、みずほ、である。
最後の、みずほ、は前の2人と違って何も喋らない。ただニコニコしている。
僕が握手を終え、その場を去ろうとしたが、みずほ、は手を離さないのである。
僕は戸惑った。みずほ、の力はそんなに強くはなかった。しかし、その手は解けなかった。
つかまった、という感じだ。キャッチされた、という感覚だった。
そのせいで、僕はベルハーのスタッフから、
「すみません。時間が押しているんで下がってもらっていいですか」と催促されて。
僕は<すみません>と恐縮して下がろうとするが、それでも、みずほ、はニコニコした顔で手を離さない。
すごい度胸だ。
僕はベルハーの運営スタッフからは離れてと言われ、ベルハーのメンバー(みずほ)からは離してもらえない。
どっちにすればいいんだ?という、ダブル・バインド状況。この初対面のインパクトは強烈だった。

ユーチューブで、
「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典」という動画をみつけました。
「夏のアッチェレランド」と「ボクらのWednesday」の2曲を無人の会場でピンで歌い踊っています。とりあえず、ぶっ飛ぶと思います。
3回みると中毒になるから要注意!

BGM.「2014.2.15 BELLRING少女ハート 朝倉みずほちゃん生誕特典


美しい日々~バルテュス展へ連れてってあげる。

1/Ⅷ.(土)2020 梅雨明け。杏と東出昌大、離婚。

きのうの東京の感染確認463人、全国一日の感染は最多1500人越えで、沖縄独自に「緊急事態宣言」外出自粛を求めたそうで、感染漸増段階、だと、分科会の尾身会長が力説していた。聞いたところだと、上野の美術館も前もってチケットを買わないと入れないそうで、以前のようにフラッと上野駅まで行って改札口のところのカウンターで「どこにするかな?」なんてその場で決めれなくなった。食べ物(外食)や鑑賞(映画・美術館など)って、その日の天気や気分でビビっと決めて動くのは最早もう古き良き時代の行動様式になったのかもしれない。

そんなノスタルジックなおセンチなあなたを今日は美術館に招待しましょう。2014年梅雨に行った「バルテュス展」です。↓。


僕が、バルテュス、を知ったのは、澁澤龍彦の本で、だ。
「部屋」という絵に衝撃を覚えた。
少女が全裸でソファに弓なりにヒステリー発作のように海老反っていて、その部屋のカーテンを意地悪そうな顔をした小人女がめくって、そのせいで部屋の中に対角線上に光が入って、少女の裸体を照らし出していた。
そして、テーブルの上の猫が小人女の方に視線を送っていた。
僕は二十歳前後に「部屋」を見たものだから、ものすごくインパクトがあった。
今回の「バルテュス展」にあたって、澁澤龍彦の本を読み返してみた。↓。


すると、それは僕の記憶違いで、「幻想の画廊」で紹介されてるのは、「部屋」ではなくて、「夢見るテレーズ」だった。
ちなみに「部屋」は今回の「バルテュス展」では展示されなかった。
「夢見るテレーズ」は今回の展覧会の目玉で、チラシやチケットの絵柄に使用されていたから、目にした人も多いかも。
下が、美術館近くの立て看板の「夢見るテレーズ」。↓。


モデルの、テレーズは、バルテュスが起用した最初の少女モデルで、隣に住む失業者の娘だったそうだ。
テレーズは、第2次世界大戦が迫り来る暗い世相を反映した雰囲気を持つ少女で、それがバルテュスを惹きつけたようだ。
澁澤龍彦の解説を読むと、これはただ少女が頭の上で手を組んでうたた寝して、かた膝立てて、パンチラを見せてる絵などではない。
こういう難しい理論武装をすれば、アニメやエロゲーの表現の規制もかわせるのではと思った。
頑張ってみたらどうだろうか、そっち系の人。
話をテレーズに戻そう。
テレーズは、他にも「兄妹」という絵のモデルになっていた。
しかし、同じ画家が同じモデルを書いたとは思えない程、こっちは可愛くない。おまけに妹なのに兄よりデカいし。
犯罪性がグッと低くなる。↓。


「バルテュス展」のパンフの表紙は、手鏡を持つ少女。↓。


これは、「美しい日々」というタイトルで、ポストカードも買ってきた。↓。


「美しい日々」で思い出すのは、片山健という人の画集だ。ちょっとバルテュスっぽいのである。↓。


あとがきで、片山健は自分が絵を描き出したきっかけは、シュールレアリズムの傍流の一連のきわめてエロチックな作品にふれたからだ、と書いている。
しかし、実際のバルテュスはシュールレアリズム運動には1度も参加していない。
アンドレ・ブルトンの目にとまり、初期の作品がシュールレアリズムの雑誌に載ったりしたが、バルテュスは距離をとっていた。
アンドレ・ブルトンが、バルテュスの家までわざわざ出向いて、話をして、決定的な考え方の違いにガッカリして帰った、という
エピソードもこの展覧会で紹介されていた。なんか、ちょっと笑った。
しかし、バルテュスはジョルジュ・バタイユとは仲が良かったらしい。バタイユと言えば、エロティシズムの巨匠ですね。
寺山修司の年譜には必ず、「バタイユの眼球譚」に出会う、みたいなことが重要な事件として載っている。
下が、バタイユの「眼球譚」。デルヴォーとバルテュスの画集で挟んでみました。↓。


バルテュスの絵にはよく猫が出てきます。パンフの裏表紙も猫です。↓。


これもポストカードを買ってきました。この絵は、シーフード店の宣伝に書かれたもので、店内に掛けられていたそうです。
シーフードの新鮮さを表現するため、海から虹に乗って魚が、猫が待ち受けるお皿に弧を描いて直接、舞い落ちてくる様子はマンガチックですね。
左下でボートで手を振る少女は、バタイユの娘、ローランス・バタイユ。↓。


大人たちが延々と喋ってるのに退屈して、1人でボートに乗って港を探索していたという逸話を題材に取り上げたみたいだ。
さすが、ローランス!バタイユの娘だけありますね。↓。


ローランスは、「決して来ない時」という絵のモデルもしています。この絵は僕が冒頭で言った、「部屋」にちょっと似ています。
「決して来ない時」の原題を直訳すると、「木曜日が4日ある週」になります。
当時、フランスの小学校は木曜日が休みだったため、「木曜日が4日ある週」とは「決してあり得ない」という言い回しに使われていたそうです。
これも、ポストカードを買ってきました。猫が見てますね。↓。


僕が今回の展覧会でもっとも注目したのは、「読書するカティア」です。これは、ポストカードが無くて残念でした。
なぜ、僕が注目したかと言うと、このモデルは、ベルハー(BELLRNG少女ハート)の「みずほ」に似てるのです。
パンフから、カティアをクローズアップしてみました。↓,


僕が、高2の時、好きだった女の子が紺のスィングトップをよく着ていて、僕はいつもその子のことを想っていました。
スィングトップがオシャレな女の子の間で流行っている時代でした。
だから、僕は原宿とかですれ違うスィングトップの女の子が皆一瞬その子かと錯覚して見間違えるほどイカレテいました。
そんな心理と似てるのかな?「読書するカティア」を「みずほ」に見間違えるのは。
下が、「みずほ」、タワレコのポスターより、クローズアップ。↓。


今日の記念のお土産は、パンフやポストカードの他に「蜂蜜」を買いました。
バルテュスは早熟で、11歳の時に作品集を刊行しています。
お母さんの恋人が、あのリルケだったそうで、リルケが序文を書いてくれたそうです。
その作品のタイトルが「MITSOU(ミツ)」なので、それと「蜂蜜」を引っ掛けた商品です。
「ミツ」の絵が瓶にデザインしてあります。↓。


「ミツ」とは愛猫の名前で、日本語の「ミツ(光)」が由来だそうです。
バルテュスは日本びいきで奥さんも日本人。来日して三島由紀夫とあった時の通訳をしていた人で一目惚れしたらしい。
バルテュスは勝新太郎に絵をあげて、替わりに勝新から着物をもらったりして。「座頭市!」と言って喜んで着てたそうです。
別角度の蜂蜜。↓。

さて、最後になりましたが、冒頭でお話した「部屋」。
僕の持ってるバルテュスの画集の中にあったから、紹介しましょう。↓。


ソファの少女に、カーテンをまくりあげ、陽の光を浴びせる暴行を働く小人女の顔は、角張っていて無表情。
髪型も変なクセに、カーテンを持ち上げるその身振りは、確信犯みたいに断固としています。
ただ猫だけがこの犯行の証人ですが、猫とこの小人女は同じ属性で、共犯者みたいにもみえますね。↓。

BGMに選んだのは、受付にいっぱい貼ってあるチェキの正体で僕がよくライブに行ってた頃のベルハー(東京最凶、と謳われた地下アイドル。パフォーマンスは学芸会並みと恐れられた)です。ユーチューブでみつけました。今見ると、こりゃ確かに、コロナ渦じゃダメだわ。これも古き良き時代、僕の50代の青春。↓。

BGM. BELLRING少女ハート「the Edge of goodbye」