心の護美箱⑭~十中八九N・Gアーカイブス 「写真。」

5/Ⅹ.(土)2019 はれ 阪神ジョンソン、今日からCSなのに妻出産立会いのため帰国。

10月になり、ウォーターサーバーに貼る、なぞなぞ、を僕が作ろうとしてたら、それを知った受付のうかいさんが、作ってくれました。
少しでも、僕の仕事の負担を減らそうという内助の功でしょう。

下がその、なぞなぞ。今回の問題は面白いですよ。↓。

ただ、ちょっと残念なのは、蛇腹もようになってるところ。
これは、ラミネートの機械を使う時に、たまに起きる不具合で使い過ぎるとノリが固まって滑らかに通らなくなるらしいのです。
だから、定期的にクリーニングしてるのですが、それでも時々、こうなります。僕らは、これを「しるし」と呼んでいます。

ケルト神話やアメリカ・インディアンの文化では、亡くなった先祖の霊はこの世に留まり、物に宿ると信じられられてるそうです。
だから、「時計」が止まったら「時間に気をつけろ」とか、日常に使うものが壊れたら「体を点検しろ」というメッセージだと考えます。
そう考えると、今回、普段よく使う機械のつまりは、スタッフの体調を心配してのことかもしれません。
丁度良い具合に、今週から、スタッフの「定期健康診断」がありますから、まずは我々が丈夫であることが大事ですから、きちんとチェックしますね。

10月の模様替えで、もう一つ重要なのは、主にカウンターテーブルなどの、ソファ以外の椅子を代えたことです。待合室の新しい椅子たち。↓。


古いものは、やはり魂が宿っている可能性があるから、感謝の意味をこめて捨てます。↓。

正岡子規は、自分の使った文房具を捨てる時に、必ず「一句、詠んだ」と言われますが、我々にはそんな芸当が出来ないので、
僕が「木魚」で追悼の意を込め、その写真を撮ることでセレモニーとします。↓。

もうじき心の護美箱⑬がいっぱいになるので、あらかじめ⑭を作っておきます。今回のアーカイブスは、そういう訳で、「写真」です。

29/Ⅲ.(火)2011
20才ちょっとの頃の話だ。僕の友達に「ナベゾ」というのがいる。
ナベゾとは、当時「ガロ」系で活躍してた渡辺和博という漫画家のニックネームで、
友達の名字が「ワタナベ」だったから、ナベゾと呼んでいた。
ナベゾは、写真学校に通っていて写真に詳しかった。
僕には父の肩身の一眼レフのカメラがあったから、ナベゾに色々教えてもらいながら写真を撮った。
ナベゾは、「写真とは時間を切り取る道具だ」と言い、
初心者の僕にはまずいつも見ている光景をファインダー越しに見るとどう映るかを知った方が良い、と渋谷で街や通行人を撮ることにした。
始めはビルやネオンやサラリーマンを撮っていたが、段々と女の子ばかりを撮るようになる。
女の子たちは、「イエーイ」とピースサインをして来たり、「撮って!撮って!」と言ったり、「やだー」って逃げる子もいた。
それらを追いかけながらバチバチシャッターを切ってると、次第に脳から変な物質が分泌してきたみたいで、
なんだかハイな気分になってくる。
僕はカメラを持って渋谷の街を走り回り、
<なんだか楽しいな~>と頭の悪い子供みたいに笑うと、ナベゾは僕に伴走しながら、
「なっ、写真って面白いだろ?」と得意気に言った。でも、コレって写真が面白いってことじゃないよな?
ナベゾがゲンゾーしてくれたり、そういう工程も楽しかったのだが、
古いカメラなので不具合が生じ、本社のカメラ屋に修理に持っていったら、
奥の部屋に通されて、このカメラを譲ってくれと言われた。
当時の自分の生活水準からすると、馬鹿高い値がついた。
写真もそろそろ飽きてきてたから売ってしまった。
こういうアブク銭みたいなものをずっと持ってるのは良くないことだと判断し、
友達を大勢集めて飲み食いに使い一晩でパーって使ってしまった。
「おごる」と言うと人はたくさん集まるものだ。友達の友達、なんてのもいた。
はじめまして、だって。
まぁ、でも今振り返っても、この判断で良かったんじゃないかと思う。
カメラにとっても、価値がわかる人が持ってた方がいいだろうし。
ナベゾに、一番すごい写真家って誰?と聞いたことがある。
ナベゾは、何でも良く知っていて説明もうまい男なのだが、
ダイアン・アーバスやらロバート・キャパやらの名をあげウンチクを語り、でも一番はラルティーグだと言った。
実際に写真も見せてくれた。
ダイアン・アーバスの撮る双子の女の子の写真や、ロバート・キャパの戦場で撃たれる兵士の写真に較べ、インパクトが薄いのである。
でも、ナベゾが一番だと言うんだから、写真はそうやって見るんだと疑わなかった。
ラルティーグは生粋の素人カメラマンで家族写真を多く撮っている。
ナベゾによると、被写体との距離感みたいなものがポイントだと言っていた。
僕が、「篠山紀信の前だと脱いじゃうみたいな?」って聞くと、「そうそう!」と答えていた。
なんだか、いい加減だな。ハタチそこそこですから、そこは一つ。
ナベゾは僕の父が趣味で写真を撮っていて、僕の子供時代の写真が異常に多いのを知っていて、
まだ父が死んだばかりの頃だったから、その辺も配慮してラルティーグを推したのかもしれないな。
被写体との距離感というと、徳田さんが撮るお花は総じて綺麗なのである。
下は、今日のお花、チョイスは岡田さん。↓。


まるで、お花が心を開いて、「私を撮って!」と言ってるみたいでしょ。

BGM. 斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」


マドンナの話

2/Ⅹ.(水)2019 くもり えなりかずきが泉ピン子と共演拒否。

マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪い笑いをした。(夏目漱石「坊ちゃん」より)

9/30(月)息子が冬服が欲しいからと買い物に付き合わされる。勿論、役割はサイフ。GUでバックスバニーのシリーズが出てるからと、
新宿のビックロへ行く。明日から消費税が10%に値上げだというから街は大セール。平日なのに人も多かった。
大型量販店、ねぇ、思い出も売ってればいいのに。

※この記事は個人情報保護法により個人が特定できないように一部、事実を修正したり脚色しています。念のため。※

僕は一浪してるから大学に入学したのは昭和57年。
受験生なんて古今東西みんなそんなものだと思うが、灰色の青春時代で大学に受かった時には、燃え尽きている。
そんな僕のモノクロームの生活を天然色に変えたのは、一人の女の子の存在だ。
ボクらの学年には、マドンナ、がいた。

僕は彼女が好きで彼女の気を惹こうと色々したが、まだ18-19才だし、何もわかってないし、自分の心もわからないし、
時代はドンドンオシャレになって行くプロセス(やがてバブルに行き着いて朽ち果てるのだが、その前段階)で、
デートの手法やアプローチの仕方にも模範解答があるような時代で、僕らはそういうのを参考にしながら反発して、
バカにしながら取り入れて、右往左往してた訳である。

「愛は恋より少し大き目」というCMが流行ったから、原宿のキディランドで、牛乳パックのデザインの持ち抱えるようなサイズのゴミ箱を買って、
マドンナの誕生日にあげて彼女を辟易させた。捨てようにもゴミ箱に入らない大きさだし、そもそもゴミ箱だし。
そんなこんなで僕はドンドン嫌われて、口をきいてもらえなくなるのだが、医大生は6年あるから、どこかで挽回できて、
僕は奇跡的に彼女と連絡をとりあえて、今はメル友だ。

僕はラインを始めてから変てこなスタンプを買うのが趣味で、それを真夜中に友人に送るのが日課。
今やリアルタイムでラインをみてる人はいないから気兼ねなくやってるが、昔は、深夜2時とかに謎のFAXを送り続けてたものだから、
よくまぁ、ブロックされずに関係が続いたものだ。

そんな僕らの同窓会があった。銀座でやった。マドンナは卒業したら田舎に帰って地元の医者と結婚したから、30年くらい会っていない。
メル友だけど。

それが今回の同窓会には「出席」の「○」がマドンナの名前の横についていて、だから僕も万障お繰り合わせの末「○」にした。
マドンナは家庭もあるから田舎から日帰り、とんぼ返りだというので、僕も皆さんに協力してもらい早く出させてもらいました。
9/28(土)診察の人、どうもありがとうね。

僕は開始時間よりちょっと遅れて会場に到着。女子グループは固まっていて、会計係が会費を払う際、「マドンナも来てるよ」と教えてくれた。
僕は女の子グループを見渡す限り、僕の知ってるマドンナはいない。でも名簿ではいる。ならばと消去法でしぼってゆくと、1人知らない女がいた。

それはドブネズミみたいな、トレーナーを裏返しに着たようなフダン着で、ノーメークで、髪はモンチッチみたいな女だった。
僕は、「あれがマドンナか?」と愕然とした。
するとしばらくしてマドンナの方から僕の方に来てくれて、
「川原君、いつもメールありがとう。元気づけられたよ」と笑顔で言うが、その滑舌が悪く、まるで総入れ歯のおばあちゃんみたいだ。
僕はちょっとギョッとしたけど、すぐにマドンナだとわかって、人間の印象なんて2-3分もすれば、思い出フィルターを通して補正されて、
昔のマドンナに戻ってみえた。
マドンナは僕に、「私は旦那が女作って家を出て、離婚して、子供2人育てて、乳癌になって抗がん剤使って髪の毛が全部抜けて、
やっとここまで生えたから、思い切って今日、来てみたの」とカミングアウトするから、
僕はその間に深夜にくだらないメールを送って申し訳ないと思ったが、
彼女は、「川原君の送ってくれるパフェの写メや新しいヘアスタイルのカラーにずい分と勇気づけられたのよ」と言ってくれた。
「でも、私の話は、ラインで言うには少し重いと思って今まで言わなかったの。ゴメンね」と謝られた。

マドンナは片っぽのオッパイを切除して、でも幸い転移がないから経過は良好らしい。
僕の母も物心ついた時にはもう乳癌で左の胸をとっていたから、一緒にお風呂に行ったり旅の宿の温泉で皆と入ると気まずそうにしてたのを覚えていて、
僕は何も出来ないけれど母を守ろうと思っていた。

僕はマドンナに手術したオッパイをみせてと頼んだ。彼女は「何言ってるの?」とこばんだが、僕は「そういうのじゃないから」と言うと、
こういうのって言葉じゃなくてハートで通信されるみたいで、マドンナは「じゃ、川原君、こっち」と言って皆から見えないパーテンションの蔭に僕を連れてって、
ドブネズミのシャツをめくって、ない方のオッパイをみせてくれた。僕は間近でドブネズミのシャツをみた。よく見たら綺麗じゃないか。

ボクらの同窓会は四捨五入すると60才くらいの人たちの集まりだ。
若い頃に病死した奴もいたが、その頃はそいつは「例外」だった。でもこの年になると大病を患ってる人が何人もいた。皆何かしらの病を抱えていた。
精神科医の同門会だと半数以上の者が何らかの精神安定剤(眠剤や抗うつ剤)を飲んでいた。
病気を持つことは辛いことだ。でも病気をもってはじめて、あるいはそれを開示してはじめて医者としての手腕にすごみが出ることもある。

マドンナは日帰りだから先に帰る。その帰り際に記念のツーショットを撮った。
今、見てみると、僕のお腹もずい分と出ている。
真を写す、と書いて写真と読むが、写真だと自覚してるより出っ張ってみえるから、他人にはかなり太ってみえてるのだろう。

僕は、アンチ・アンチエイジングの立場だったが、やっぱり少しダイエットしようと思って、前に買ったトランポリンを取り出してきて、部屋に設置した。
4月に、ぺろりんに出した手紙のリアクションはまだ来ないから、今度は同じような内容の手紙を、にゃんこスター、のアンゴラ村長に送ってみようと思う。

↓。

BGM. さだまさし「セロ弾きのゴーシュ」


【ぺろりん】恵比寿リキッドルーム~アクセス【おめでとう】

22/Ⅸ.(日)2019 くもり 台風17号せまる。九州のライブは軒並み中止。

恵比寿のリキッドルームは、ネットによると日比谷線の2番出口から3分とあるが、これが中々ムズい。
なぜなら、僕はその昔、小倉優子のファンクラブ限定シークレットライブでそこに行ったのだが、迷って迷った記憶があるからだ。
ちなみに小倉優子はファーストアルバム「フルーチュタルト」を出したあとにファンクラブを募り、そのタイミングでゲリラ的なライブをやり、
僕の知ってる限り、その後、小倉優子はライブをやっていない。つまり1回こっきりの貴重なライブだ。
映像化すればいいのに。小倉優子のMVビデオ「ポッポポーン」にちょっとだけライブの様子が収められてるだけで、そのコーフンは伝わるまい。

僕は当時、年長者を気取って、若い奴らを押しのけて最前列で待機していたが、いざ、小倉優子が登場すると、一気に人垣が前に押し寄せ、
僕は民衆に押し潰され、前のバーとサンドイッチ。死ぬかと思って、逃げようと振り向いても、人・人・人。
仕方なく、しゃがみこんで、人の股を這うようにして、後ろまで逃げた教訓がある。

リキッドルームは前方が平坦なスペースで、一応、中央くらいに寄りかかれるバーがあって、一見、そこが楽そうだが、床に高低差がないから、
背の低い人や女子には不向きです。ただ、暴れたい人はこちらがよいでしょう。
静かに観たい人は、後ろの方に一段高いカウンターがあって、そこにはドリンクとか荷物も置けるし、体重かけて寄っかかれるし、頬杖つけるし、おすすめ。
ステージとの距離も、国立演芸場にたとえるなら真ん中よりやや後ろくらいで、出演者の表情や動きもバッチリみえるし、
パノラマ的にステージ全体がみえるからかえっていいです。

ドリンクが置けるというのは、ライブハウスは入場の時、チケット代金とは別にドリンク代500円払いコインをもらうので現金を用意しておく必要がありますが、
それをコーナーでビールやジュースやジントニックやモスコミュールやコーラに変えて会場に持ち込めるのですが、そう言えば緑色のソーダ水を持ってた可愛い子もいました、
これをテーブルに置けるという意味で楽ですよ。
10月以降は消費税アップでドリンク代が値上がりするかもなので注意が必要ですね。

そんなリキッドルームへの行き方です。
さっきも書きましたが、ネットのアクセスでは日比谷線の2番出口から3分とありますがもっとかかります。きっと足の速い人の測定でしょう。
僕の体感では5分です。まっすぐの道なのですが、これで合ってるの?と不安になります。
なので、もしもリキッドルームにはじめて行く!という人のために案内板を作りました。

日比谷線の2番出口、を上がって目に入る光景です。↓。

ここをまっすぐ行きます。↓。

一つ目の信号はまっすぐです。角に鯛焼き屋があります。↓。

ここを直進して横断歩道を渡ります。↓。

ここも直進です。もう3分たってない?と思った頃、恵比寿一丁目、の看板が見えます。ここ直進。↓。

駒沢通りの大きな道にぶつかるから、ここを道なりに左折します。それしか行けないから迷いません。↓。

すると景色はこんなです。↓。

この辺はおしゃれな町なので、自分の目当ての出演者のライブに行きそうな格好の人を見つけると安心しますね。ここをまっすぐです。↓。

左手に、こんな文字の建物があったらそこです。リキッドルームの「リ」の字も書いてないのが不親切でそれが、しゃれおつ、って言うんですかね。そう言えば、品川のプリンスホテルとかの界隈の高級ホテルも建物に名前書いてないから、わかんないですよね。学会とかで呼ばれても、どこだかわからなくて帰ろうかと思っちゃう。↓。

入口はこんな感じです。これを左に入るとやっとこんな看板がみえます。これで、リキッドルーム、と判れっていうのは、判らない奴は、シッシ、って言われてるようでムカつきませんか?。↓。

恵比寿というおしゃれな町できょどきょどするのは恥ずかしいですね。でも迷ったら、恵比寿っぽくない風体の人をみつけてその人について行けばいいのです。僕は幕張で複数のイベントが重なった時はそうしてます。「おそ松さん」と「ゴールデンボンバー」と「X JAPAN」とプロ野球のナイターが重なった時など便利な方法でしたよ。その時は、帰りの電車で、「おそ松さん」が小さくなり、「ゴールデンボンバー」が無邪気で、「X」が幅を利かせてました。でも、電車が舞浜についたら、ミッキーの耳をつけてた人が大勢乗り込んできて、「おそ松」も「金爆」も「X」さえ隅に追いやられて、クラスカーストってあるんだな、と実感したものです。

道案内してたのに、話は随分横道にそれてしまいましたね。さて、ここで何が行われたかというと、ぺろりん先生の誕生日会でした。今は、チケットも、電子チケット、になって買うのが大変でした。受付に聞きながら、やっとゲットしました。この前段階の画面を入口で見せると、スタンプみたいなのを画面に押され、そうすると、こんな風になるのです。↓。

ぺろりん先生、とは、でんぱ組、の鹿目(かなめ)凜(りん)のニックネームです。下は、熱心なファン達の贈り物ですね。↓。

この会には、ぺろりんの好きなアイドルをゲストに呼んで、ぺろりんの「オレトク」にしました。それが、ぺろりすと(ぺろりん、のファンのこと)にも喜ばしいからです。

まずは、ぺろりん本人が前説に出て、ゲストを呼び入れます。しょこたんのバースディでは、あばれる君、のやってた役割を、ぺろりん自身でやってます。

初っ端は、スウィニー、です。6人組ですが、5人でした。何か事情があったのでしょうね。楽曲披露の後、ぺろりんがまた出てきて、やりとりしますが、スウィニーは自ら「コミュ障」というくらい、マイクパフォーマンスが出来ない人たちで、そこも良かったです。でも、歌は「楽曲派」でした。アイドルが好きそうなアイドルですね。昔、マンザイブームの時、ツービートや紳介が、売れてない頃の明石家さんまを高く評価して客に紹介してたのと似てます。

つづいて出てきたのは、ラビリス、です。僕はこの人たちをうかつにも知らなくて、でんぱ組の、りさ、に似てるな、と思ってみてました。縦のりの怖い感じの二人組の女の子ですが、最終的には、ぺろりんをアシストする優しいお姉さんで、それもそのはず、りさ、の別名義のユニット、でした。

ラストは、虹コン、です。でんぱ組の、根本凪、が兼任してるグループです。今回の曲はあまり聞いたことないな、と思ってたら、全曲、ぺろりんのリクエストによるセトリだったそうです。虹コン、は12人組で、振り付けが複雑なので、根本凪、はでんぱ組の幕張もあるから練習大変だったろうなと思いました。

そのあと、ぺろりんがソロで2曲歌って、でんぱの歌とベボガの歌でした。僕らは入口でファンの運営(?)に渡された、たまご色のサイリゥムを振って応援しました。ぺろりんはベボガの歌を歌うかどうかすごく迷ったと言ってましたが、それはベボガから応援してくれてる人と、今から2年前のでんぱからファンへのメッセージの葛藤が選曲にも反映した訳ですが、僕はでんぱから好きになった派ですが、ベボガの曲をやって良かったと思います。そしてまたまた虹コンを呼び入れ、ベボガの歌をやり、最後に全員を呼んで、グダグダのマイクパフォーマンスをします。要約すると、「もうここまで来たら、ぺろりん、俺たち要らないよね、なんて思わないで。ゼッタイ、いるから!」と不安を吐露しました。そう言えば、ちょっと前のブログでも、でんぱ組の握手会で自分の列が一番短くて泣いた、という記事がありました。そんな、ぺろりんのグダグダの冗長な支離滅裂な感謝の言葉をうまく、ラストの曲・でんぱの「オレンジリウム」に導いたのも、りさ、でした。

僕はプレミアム・チケットを買ったので、ライブの後、ツーショットチェキが撮れる特典がありました。昔、地下アイドルにはまってる頃はよくやったものです。ベルハーの、みずほの列は長かったです。ぺろりんは、アクビと違ってディアステージ、チェキ列が整理整頓されていて、サクサクとツーショットが進み、かつ、はがしもきつくなかったです。

僕は、ぺろりんと接触するのははじめてで間近にした時、「はじめて来ました」と挨拶すると、「素敵な髪ね。それとタオル買ってくれてありがとう」と言われ、ツーショットを撮りました。

僕はポラロイドの写真が焼きあがる数秒に、ぺろりんと握手したら、係りの人から、「握手はなしです」と言われて、「すみません、はじめてなもので」と謝ったら、ぺろりんは、「幕張も来てね」と笑うから、幕張も行こうと思います。


【銚子電鉄】100円と1000円のぬれ煎餅を食べ比べてみた結果【がんばれ】

こんにちは。受付うかいです。

突然ですが、みなさん、銚子電鉄をご存知ですか?
倒産寸前で奇跡の復活を遂げた私鉄です。
私は知りませんでした。

経営危機で、廃線になるかもしれない銚子電鉄を救ったのは
副業で製造、販売している「ぬれ煎餅」でした。

銚子電鉄側は公式オンラインショップで
『電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください。
電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです』
と書きました。
すると、瞬く間にネットで話題になり、ぬれ煎餅の注文が殺到したそうです。

人々の支援が一つの私鉄を救ったという温かいお話を
川原先生は、100均のぬれ煎餅を食べているわたしに教えてくれました。

その時は「いいはなしだなぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、
先生は、「あなたが今食べてるぬれ煎餅と、食べ比べしたらどうだろう」
と言い、ネットショッピングで検索をしはじめました。
108円に比べると、だいぶいいお値段でしたが、購入を決定。
【残り2個】の文字を見て、なぜか2箱買う先生。
受付は呆れていましたが、先生なりの支援なのかもしれません。

 

ぬれ煎餅が予定日より前に届き、「早く来たぞー!」とウッキウキで開けたら
先生がネットで頼んだ全然別の商品で、その場にいた全員を落胆させる。

次の日、本物が届きました。
届いたぬれ煎餅を興奮しながら開ける先生。

↓2箱ゲットだぜ!↓

↓こちらが銚子電鉄のぬれ煎餅(アップver)です↓

↓私が頬張っていたやつです↓

↓左ぬれおかき、右ぬれせんべい~口元にレシートを添えて~↓

↓今朝くらべてみました↓

↓撮影が終ってそそくさと帰る私↓

↓「食べ物だけじゃなくて、これも片してよ~」と言ってる川原先生↓

 

とある日。

川原先生が「『アレ』、届かないね」と一言。
はて、『アレ』とは・・・?
私のコナンブームは毎年ゴールデンウイーク前後で、年中無休ではないのです。
薄情ですね。

先生は、今年の映画も、去年の映画も観ていないのに、しっかり覚えていました。
皆さんはどうでしょうか?

覚えていない方は、こちらをお読みください。

週刊少年サンデーの、応募者全員サービスの
【おすわりぬいぐるみ】

あれからもう5ヶ月。季節は夏を通り越し、もう秋。
抽選ではないので、必ず来るはずですもんね。なんで来ないんだろ?
わたしが投函し忘れているのかな…と心配になっていたら
やっと、やっと!届きました~!

 

怪盗キッド

 

京極真

 

鈴木園子

手の平サイズの、ちょうどいい大きさで、とっても可愛いです。
さわり心地も、もちもちしています。京極さんの顔が一番もちもちしています。

 

あ、そうそう忘れていました。

肝心の銚子鉄道ぬれ煎餅レビューですが、みんなの感想をまとめると、
袋を開ける前からお醤油のいい香りがします。
食感は、そのまま食べるとぬれ煎餅独特のねちゃっとした感じはなく、もさっとしていて食べ応えがあります。
先生曰く、お醤油が魚介の風味がするとのこと。
レンジで温めるとよりいっそう香りが広がります。
お醤油が浸ってる部分はぬれ煎餅っぽくなり、ほかの部分は逆にかたくなりました。
でも、温めたほうが食べやすさもあり、あっという間になくなりました。
マヨネーズ+一味をかける食べ方もあるようなので、今度試してみたいと思います。

おわり。

 

 


心の護美箱⑬~十中八九N・Gアーカイブス 「子に習う。」

12/Ⅸ.(木)2019 はれ 大岡山・餃子の王将、の隣に、中華料理屋?

ずっと「彼女」はいなかった。お嫁にでも行ったのかな、とあきらめていた。9月の雨は冷たくて。そしたら、今朝、カフェで何ヶ月ぶりだろう、彼女をみた。

僕は思わず、「いた!やめちゃったかと思ったよ」と言ったら、「アメリカへ行ってたのです」と答えてくれた。

それで機嫌を良くした僕は9月の模様替え。ウォーターサーバーのなぞなぞが更新されてないので、作りました。↓。

あと、診察室の壁が進まないのでこんなビラも刷りました。↓。

これが、ビフォアー。↓。

そして、現状。これに新しいのを付け加えて貼って行きます。↓。

もうじき心の護美箱⑫がいっぱいになるので、あらかじめ⑬を作っておきます。
今回は、ドリフターズの曲が懐かしくてこれを選びました。

27/Ⅵ.(水)2011 はれ

ラブなんとか、といういかがわしいサイトから、1日に10何件も携帯メールが届く。
消しても消しても、まだ届く。
「何とかならないか?」と娘に相談したら、「貸して」と携帯を取り上げ、「こうして、こうして、こうするの」と、
オチャノコサイサイと拒否リストに振り分けてくれた。
ついこないだまで、宿題をみてあげてたような気がするのに。
うちの息子には、秘蔵のビデオや古い漫画をみせ英才教育を施してるのだが、
かわりに動画サイトで「海外の格闘技」や、昔の立川談志や野坂昭如の出演した番組を発掘してみせてくれる。
これが、面白いのだ。
子供に何かを教わるというのは、親として喜ぶべきことなのだろうか。
そういえば、小3の頃、父に「医師会の忘年会」でやる出し物の相談をうけたことがあった。
父は短‘歌’や‘芸’術には明るかったが、流行‘歌’や‘芸’能界には暗かった。
そこで、その分野では、父の知り合いの中では最も長けてると思われる人物=我が子の知恵を拝借しようというわけだ。
僕は、「医師会の忘年会」という響から、堅物の年寄りのヨッパライの集まりだと即座に判断し、
当時流行っていた「ドリフのズンドコ節」のB面の「大変歌い込み」を教えてあげた。
これは、♪エンヤートット、エンヤートット♪という掛け声で始まる民謡「大漁歌い込み」の替え歌で、
♪大漁だよ~♪という所が♪大変だよ~♪という風になっている。
シャイで下戸で音痴な父が、いくら酔っ払いの前とはいえ、歌を披露するとなると、一つ間違えれば、
「ジャイアン・リサイタル」だ。(当時、ドラえもん、まだないけど)。
それでも本人自らが、♪大変だよ~♪、と歌い上げてしまえば、先手必勝である。
周囲も納得せざるをえまい。大変なんだから。ドキュメンタリーともいえる。
演じる方も大変だが、聞く方だって大変だ。指名した人に責任がある。そんな、「大変歌い込み」。
実況中継に近い。同情と共感が入り混じって、拍手さえ起こるかもしれない。そんな目論みだ。
父は、僕の指導の下、なんとか1番だけを覚えた。会のあと、父は上機嫌でご帰還し、大変感謝された。
父親の役に立ったというこの体験は、その後の僕の性格形成に、なんらかの影響を及ぼしたと思う。

BGM. ザ・ドリフターズ「大変歌い込み」

※そろそろハロウィンですね。クリニックも、ちょこっとだけ、ハロウィン仕様。受付の寝釈迦コーナー。↓。

それから、天井のオーギュメントもオバケ模様。↓。

BGM. ムーンライダーズ 「9月の海はクラゲの海」


台風15号と高木さん

10/Ⅸ.(火)2019 はれ 台風15号の猛威で成田空港は陸の孤島に。

スカイツリーのみえるマンションに住んでる友人から、京成曳舟駅に「高木さんがいる」との情報。
等身大のフィギュアが教室の学生机に座ってて、となりに「西片(高木さんに、からかわれる同級生の男子)」の席があり、
西片の席に座って、記念写真をとれるコーナーが設置されているそうだ。

日曜日は、台風15号が近づいてるとニュースでは大々的にやっていたが、起きたら快晴で雨など振る気配もないから、
高木さんに会いに行く。
京成線など乗ったことがないが、浅草を過ぎて、押上を過ぎた千葉の方だ。
乗ったことのない電車ではよくあることだが、快速に乗ってしまい、目的駅を乗り越し、ずい分経って気付きUターンして着いた。
駅を降りると、高木さんの看板があった。駅構内に企画スペースがあり、かつ、近所に縁結びの「高木神社」があるらしい。↓。

 

これが駅に設置された、高木さん。↓。

角度を変えて。よく出来てますね。受注生産販売しないかな。最近の巷の噂は、消費税が上がる前に買っておくと良いものは?という会話だが、僕は何も思い浮かばなかったが、もしこのフィギュアが売られるなら、消費税アップの前に買おう。↓。

アニメの再現を忠実に、コーナーには教室から見える光景もある。↓。

自分の持ってる服で、なるべく西片っぽい(中1っぽい)服をチョイスしてみた。でも、こうして冷静にみると、中1というより、幼児番組の変なおじさん、みたいだ。「のっぽさん」的な。全然、のっぽじゃないけど。↓。

この高木さんは、内蔵マイクが仕込まれていて、何種類かのセリフを喋る。「近くに、縁結びの神社があるの知ってる?」とさり気なく観光大使役をしたり、「私のわき腹つついてみる?」とアニメで有名なフレーズとか。僕は、西片のマネして、机に突っ伏して、「高木さんと関わるとロクなことないよ」といじける。↓。

そして、顔をあげると、内蔵マイクの高木さんが、「やっと、こっち向いた」と言います。↓。

ちなみに、ここの混み具合は、僕以外は男1人、女1人でした。1人で行くとツーショットが撮れませんが、そばにいたおじさん(と言っても僕より年下)に撮ってもらい、かわりに撮ってあげました。

その後は、駅からちょっと離れた「髙木神社」に行きます。下が、巫女さん姿の高木さん。↓。

テントがあってアニメの名場面が飾られてます。↓。

さらに日に焼けた「高木さん」のコミックスたちと、お願い事書ける短冊とマジックとそれ用の机と椅子が用意してあります。僕もここで短冊に願いを書いて、木に結んできました。願い事?カワクリに関わる人やスタッフや患者さんやその家族に健康と平安を、と書きました。優等生的過ぎたかな?。↓。

当然ですが、おじさん(年下)も来てました。ここは縁結びの神様だから、このおじさんと縁が結ばれてもなぁ、と思ってたら、向こうもそう思ったのか早々と帰ってました。高木さんとツーショット。使ったマジックを鼻と口で挟みました。帰る前のおじさんに撮らせました。↓。

重力に負けて、マジックが手の平に落下しました。↓。

この神社は縁結びの神社と言ってましたが、おにぎりのオブジェとか、おにぎり型の塩が売ってたりして、ひょっとしたら、これはおにぎりじゃなく、おむすびなのかも。縁結びとかけて、と勝手に空想して納得しました。

おみくじもあって、100円でひいてみました。そしたら、中吉で、「恋愛」という項目に、「6才年上がよい」と書いてありました。え~?仕方ないから、ネットで63才の芸能人調べてみました。大地真央、岡江久美子、浅田美代子、東てる美、でした。

お天気は全然良くて、嵐の前の静けさ、かしら、僕はご機嫌で、近所の行きつけの寿司屋に行きました。「今日は台風だから誰も来ないよ。8時には終りにしたいよ」と店主に言われました。下は、僕以外客がいない店で、普段つけないテレビで台風情報が流れてて、店主は帰り支度をはじめて台風の到来を予感させますね。そんな背景をバックに僕は酔っ払ってます。カメラマン・店じまいにあわてる店員。↓。

僕は寿司屋の忠告通り台風が来る前に家に帰って、疲れてたからバタンQ。月曜はクリニックは休診日だから、昼まで寝てて、起きたらピーカンだった。テレビをつけたら、台風が僕が寝てる間に来てたらしく、電車は止まってるは、飛行場は満杯だは世の中の混乱を知った。昨日、乗った京成線も運休だった。

昔、謹慎中の、たけしが、おネェちゃんとマンションで一夜を過ごして、夜中にテレビをつけたら、湾岸戦争の模様を映してて、たけしは「世界はこんなに大変な思いをしてる人がいるのに、おいらは何をやってるんだろう」と落ち込んだというエピソードを何故か思い出した。

BGM. 井上陽水「傘がない」


新機軸・全員参加型リニューアル~レコード・キャンペーン

31/Ⅷ.(土)2019 くもり 久し振りに、「さくら学院」のライブチケット当選する!

8月も終りですね。
8月で思い出すのは、僕が中1の時に流行った、「巨人軍がピンチになるのは何月?」という、なぞなぞ、です。
ま、ここまで書けば、答えは、「8月」ってわかりますよね。
でも、何故、8月なのかはちょっと説明が必要ですね。
なぜなら、この、なぞなぞは今では通じないし、当時の時代背景があってのものだからです。

1974年(昭和49年)は、長嶋が引退した年であり、僕が小学校を卒業する年度でした。
長嶋は、引退セレモニーで、有名な、「私は今日、引退しますが、栄光の巨人軍は永久に不滅です」と語ったのでした。
だから僕と同学年の人は、誰かしらが卒業文集に、「私は卒業しますが、○○小学校は永久に不滅です」と書いてたはずです。
これは僕らの学年の特権でした。
1個上も、1個下も、この名セリフを口にする旬ではなかったからで、また小学生だから許されるギャグで、
幼稚園生はそんなこと言えないし、中学卒業時にそんなこと言ってたら、「痛い」し。同じ理由で、高3も大学生も。
ただ、ひょっとしたら、この年に定年退職するオヤジなら許されたかも。日本中の送別会でスピーチされてた可能性はあるな。「私は本日、定年退職しますが、◯△株式会社は、永久に不滅です」。やんややんや。

ま、そんなことはどうでもよくて、僕が中学に上がったのが、1975年(昭和50年)です。
朝日新聞の社説は、「長嶋監督は大変なことになるだろう。何故なら、長嶋茂雄のいない巨人軍の監督を任されたのだから」と書いた。
この予言は、ズバッと当たった。
僕が小学校時代の巨人は9連覇してる常勝チームで、それをON(オー・エヌと読む、王と長嶋のこと)が牽引していたからで、
長嶋が引退したことで、王だけの一枚看板になってしまうからで、その年、巨人は球団創立以来初の最下位になったのです。

そこで冒頭のなぞなぞです。巨人軍がピンチになるのは、8月。8月は英語で、オーガスト。王がスト。王がストライキをするからピンチというトンチです。

もうちょっと説明がいりますね。スト、という言葉は皆さん知ってるでしょうが、一番有名なのは、1975年の国鉄ストです。
これは後にも先にもない大規模なストで、学校や会社は休みになりました。
それでも会社に行かないといけないサラリーマンが、線路を歩いて会社に向う映像を茶の間でみた覚えがあります。
この年に流行った歌が、およげ!たいやきくん、です。
毎日毎日、鉄板で焼かれる鯛焼きがその生活に嫌気がさして、海に逃げ、自由を味わうが、最後は漁師に捕まり食べられ、
「やっぱり僕は鯛焼きさ」と嘆く歌詞が、会社が休みで、ひらけポンキッキ、を子供と一緒にみてたお父さんたちの心に突き刺さり、
童謡のはずがサラリーマンの悲哀を歌った社会風刺だと時代をゆさぶり空前の大ヒットになり、ひょっとしたらレコード売り上げの記録はまだ破られてないかもしれないです。

つまり国鉄がストなどするとは誰も思わなかった時代だからこそ、王がストをするという答えが成立したのです。
下は、フィギュアケースの脇のレコードジャケット達。上の段に、たいやき君、がありますね。↓。

僕は茅ヶ崎の小学校から、東京の中学に進学しました。
小学校から中学、+、田舎から東京、です。
世界が2倍にも3倍にも広がったカルチャーショックを受けた年頃でした。
だから逆に、巨人が最下位になろうと国鉄がストをしようと、「やはり世の中ってそんなに甘くない」とすんなり納得出来たものでした。

この年、流行った歌に、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」もありました。
これは田舎から東京に出てきた男と、それを田舎で待つ女のやりとりを歌った歌で、最初は男が「都会で流行の指輪を贈るよ」なんて調子こいて、
女は冷静に「私はダイヤも真珠もいらないの。だって、あなたのキスほど輝くはずないもの」なんて健気なことを言います。
そんなやりとりが4番くらいまであって、結局、男がやっぱり都会が楽しいからと女に別れを告げ、
女は、いい子で、「わかったわ。でも最後に一つ、わがままを言わせて。涙を拭く木綿のハンカチーフを下さい」っていうのです。宝石なんか要らない、って言ってた子の最初で最後のリクエストですよ。
それが、タイトルの「木綿のハンカチーフ」の意味です。ちょっとしたドラマですね。若い頃の松本隆の仕事です。

僕は中学にあがったばかりだったので、勝手に茅ヶ崎に残してきた女子たちに思いを投影して、頼まれもしないのに、木綿のハンカチーフを送ったものでした。
この歌は今では名曲と語り継がれていますが、発表当時はそうでもなかったのです。

毎月出る月刊明星とか平凡の付録に、歌本(ヤングソングなどと言った)がついていて、歌謡曲の紹介を歌詞入りで載せてました。
僕は今でも覚えてますが、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」がはじめて新曲として紹介されたレビューは散々な書きようで、
「歌詞が長い」「内容がありきたり」などで、評価がA、B、Cで付くのだが、B,だった。
僕はこの曲に思い入れがあったから、当然反発し、思春期だったこともあり、生まれて初めて、「評論家の言うことを鵜呑みにするのはよそう」と思ったものです。
このレコードのジャケットも上の写真の下から2番目の段にありますよ。

 

この年、流行ったものに、ナンセンスなぞなぞ(正式名称ではない)があります。
僕は物心ついてから、ずっとなぞなぞが好きで、今でも好きですが、そのブームほど異常な物を知りません。
何が異常かというと、なぞなぞ、はファッションのように繰り返し、似たような波が来るのですが、このナンセンスなぞなぞの波はこれっきりです。

どんななぞなぞか例を出しましょう。
たとえば、うちの父親がよく出してたなぞなぞに、「電線にスズメが10羽います。猟師が1羽打ち落としました。電線に残りは何羽?」というのがあります。
これは、「10-1=9」で「9羽」と答えたら間違いで、正解は「0羽」です。なぜなら、鉄砲の音に驚いて皆逃げてしまったから、というオチです。

ところがナンセンスなぞなぞだと同じ問題の答えが、「1羽」なのです。えっ、0羽じゃないの?という反応に対し、こう答えるのです。
「残った1羽には、根性があった」。
こういうのがバカ受けしたのです。本も何冊も出てました。皆捨ててしまいました。1つくらい残しておけば良かったな。

それでは、ナンセンスなぞなぞ、ではありませんが、僕の作った、カワクリなぞなぞ、を出しますね。
「顔の中にある建物は何でしょう?」。正解は…。↓。

くちびる、でした。

さて、上の写真の「口ビル」とは何でしょう?それは「水口ビル」の一部です。今、クリニックは改修工事中で、手書きの表札が貼ってあります。↓。

普段と光景が違うのと、工事中のため、クリニックの看板が出せないため、素通りしてしまう人が続出。そこで、手を打ちました。↓。

外壁は改修工事をやっていますが、内装もリニューアルしたく、せっかくだから全員参加型のこんなキャンペーンを考えてみました。↓。

田園調布に駄菓子屋があったので、そこで大量に、あめ、を買ってきました。1個、11円でした。おすすめは、舐めてるうちに味が変わる、カメレオンあめ。下が、駄菓子屋。↓。

これが今日現在の診察室の壁。これを張り替える訳です。記録として、写真に残しておきます。全体風景。↓。

上の、植木等と石野真子は、常設展として残しますから、それより下が入れ替わります。それを皆さんに選んで貰おうと言うのが今回の企画の趣旨です。撤去予定のレコード達。その1。↓。

撤去予定のレコード達。その2。↓。

撤去予定のレコード達。その3。↓。

撤去予定のレコード達。その4。↓。

大きな袋に無造作にシングル盤が詰め込まれています。その中から、皆さんの思い出の曲、あるいは、好みのジャケットを選んでもらおうという企画です。そして、ここからは新しく皆さんが選んだものです。これが代わりに貼られて行きます。まずは、梅ちゃんの選んだもの。↓。

Mさんの選んだもの。せんだ、エライ!。↓。

Aさんの選んだもの。これはCMで流れて復刻された奴ですね。↓。

マリちゃんの選んだもの。喫煙所に貼ってもいいジャケ写真ですね。あっ、ジュリーです。知らない人のため、念のため。客が満杯にならないから、って理由でコンサートをドタキャンした人って言えばわかるかな?。↓。

Kさんの選んだもの。この曲の、映像はユーチューブでみれるけど、ノリノリですよ。レッツゴーヤングのがおすすめ!。会場のファンの女の子が可愛い。↓。

Sさんの選んだもの。ねらわれた学園(テレビ版)の主題歌です。角川映画で薬師丸ひろ子がやった、セーラー服と機関銃、や、ねらわれた学園、は、テレビ帯ドラマでは、原田知世がやりました。そして、それをステップにして、原田知世は、映画・時をかける少女、の主役をゲットするのです。シンデレラストーリーは一夜にしてならず、です。↓。

Aさんのチョイス。流行りましたね。ちなみに同じ年に流行ったのは、サザンの、いとしのエリー、山口百恵の、いい日旅立ち、アリスのチャンピオン、ゴダイゴの、銀河鉄道999、八代亜紀の、舟歌、です。↓。

ホーリーさんのチョイス。ネプチューンの名倉の嫁さん。この人、一時期、台湾通、で売ってましたね。W渡辺、の、渡辺美奈代、の方が可愛かった気がするが、個人の好みはまだしも、どこでここまで差が出るんだろうか?戦略に長けてたのか、それも才能だが…。↓。

でも、ホーリーさんが本当に選んだのは、裏面。キムタクの嫁さんの工藤静香がいますね。↓。

はるにゃんの選んだもの。蛭子さんがイラストを描いてますが、それは同名の作品集を蛭子さんが出してるからです。渋いセレクトですね!。↓。

ボクシングファンさんのチョイス。悩んだ挙句、これですよ。マニアック、さすが!。遠藤ミチロウは、ザ・スターリンのヴォーカル。スターリンのLPでは、「虫」のジャケットが丸尾末広でカッコいいです。当時は、ピクチャーレコードって言ったのかな。↓。

しんがりは、Tさんが選んだこれ。たけし、若いですね。「たけしのオールナイトニッポン」のエンディングに使われましたね。作詞・谷川俊太郎、作曲・坂本龍一の名曲です。↓。

まだまだキャンペーンは、9月いっぱいくらいまでやってるので、参加したいと思う方はスタッフに声をかけて下さい。こちらからもチラシを作って個別に声をかけるようにさせてますが、みてるとタイミングが合わない場合もあるみたいで、声をかけられない場合も多いみたいですね。そんな時にぶち当たった人もスネないで下さいね。悪気はないから。

さて、夏のおわりに、なぞなぞ、を作りました。これは、頭を使う、というよりも、ダジャレクイズです。質ではなく量で勝負しました。パッパッと答えてみて下さい。ウォーターサーバーの横の猫の首にぶら提げました。↓。

レッツ・トライ!。↓。

11万円とは、「11円」の駄菓子屋の、あめ、のことです。昔の大人って、こういうギャグ言ってましたよね。何が面白いんだか。

BGM. 矢野顕子「行け柳田」


シンガポール父娘二人旅(完璧版)

10~14/Ⅷ.2019 夏休み。娘とシンガポールに行く。

入国で僕だけひっかかる。
僕の英語力は極端に低く、相手の発音もきっとなまってるんだろう、何言ってるか通じず。
そこへ、娘が来て、「一緒だ」みたいなことを言ったら通してくれた。
「何、言ってたの?」と聞くと、ニヤニヤして、パスポートと髪の色が違うからでしょ、だって。

東京から7時間、時差は1時間。機内では「名探偵コナン」の映画を観た。
シンガポールに着いたのが、朝6時。ホテルのチェックインは午後3時。
それまで時間つぶし…と言っても当りはまだ暗い。

とりあえず、ホテルまでタクシーで行って、トランクだけ預ける。
ホテルにはカジノがあって24時間オープンだから、「とりあえず、カジノに行こう」。
パスポートを見せて厳重なチェックで入る。
僕はすんなり入れるも、今度は娘がひっかかった。
パスポートの顔と違う、と言われてるらしい。
僕だけ通され、娘を待つ。離れ離れの不安。やっと通ってくるも、2人とも博打に興味がない。
飲み物がただだから、ペットボトルのミネラルウォーターだけもらって帰る。
2人ともケチがついてるから、何かやったら当たったかもしれないのに。

それからホテルの周りを散策。ベンチで眠ってるホームレスが何人もいて、
「こっちのホームレスは身なりがいいな」と言うと、娘は「チェックインまで待ってるんじゃない?」。

マーライオンが遠くに見えるから観に行こう。↓。

 

かつては、世界3大ガッカリスポット、と言われたそうだが、今は位置を変えて人気らしい。
観光客が朝からいっぱいいた。↓。

マーライオンの真裏に、ミニ・マーライオンもいる。これはあまり人気なく人はいない。
ミニ・マーライオンの頭の上に見える白い部分が、マーライオンの後頭部。↓。

 

その後、娘に引率される形で、インド人街や、アラブ人街や、観音堂を観光。

市場。↓。

何かの天井絵。↓。

 

 

裸足になる寺院。↓。

これはレストランみたいです。↓。

 

地元の人が使うスーパーみたいなもの。↓。

アラブ街。↓。

朝早くだから観光客は少なく、熱心な信者がまじめにお参りしに来ていた。
なんでも、たまたまこの日は、シンガポールの建国記念日だったらしく、皆、熱が入っていた。

そんな中で不信心な親子が、観光写真をバシャバシャ撮るのも、罰当りで、
もっとも信心してないからバチの適応外だろうが、そんなことより真面目に祈ってる人の横でのんきに記念写真を撮るほど、
マナーを知らない訳でもなく、場違いを感じつつ巡った。

ようやくAM11時くらいになると町も目覚め出す。
よく歩いた。途中、熱中症になりそうなのを、カジノでくすねた水が救った。
いくつかの商業施設を回って、さすがに疲れたので、早目にホテルに行って、強引にチェックイン。
ホテルの部屋、からみえる光景。↓。

ウエルカムのタオル?↓。

一眠りして、夜はホテルの近くの植物園に。↓。


有料の2つのフラワー施設みたいなパビリオンもみるが、どちらも待ち時間45分。
綺麗なお花がテーマごとに飾られていた。↓。

 

僕はお花に興味がなくこんなのばかり撮っていた。↓。

うさぎ。↓。

チェシャ猫。↓。

アリス。↓。

サボテン達でした。↓。

くまのプーさん。↓。

 

 

 

鳥?↓。

これは水晶のコーナー。浄化されますように。↓。

夜には、ショーをやっていた。ライトアップして。↓。

奥にみえるホテルが泊まったホテル。屋上がプールになってる。↓。

ホテルに着いたのが、夜10時くらいで、もう疲れすぎて、明日も早いから、シンガポール・ヌードルを食べて寝ることに。
ちょっと待った!
その前に、コンビニに寄りたい。ホテルの中に、セブンイレブンが2つあるらしい。しかし、ホテルが広くて迷ってしまった。
すると、娘は「コンビニで何が欲しいの?」。「ミネラルウォーター」と答えたら、「じゃぁ」と答えて、こっちこっちと手招きし、
カジノ行きのエスカレーターに乗った。大した度胸だ。

夜中に起きて、となりの鏡に自分が映ってるのをみてビックリした。下が、ベッドと鏡の位置関係。↓。

翌朝、屋上のプールサイドのレストランでビュッフェ。↓。

2日目になると、少し慣れが出る。言語の通じないコンプレックスもとれて、自然と開き直りが生じる。
「グッ・モニーン」なんて喋りかけられて、「グッド・モーニング」と答えてもツンとされてたのが、
「おはよう!」と日本語で声をかけると、ニコリとされる。

「コーヒー・オア・ティー?」と聞かれても、「紅茶!」と日本語で答えると、「コウチャ、チョットマッテクダサイ」と心なしか喜ばれてる。
紅茶を飲む。↓。

「サンキュー」などと言わず、「ありがとう!」と言うと微笑まれ、
「どうも」なんて言うと、頭を指差して「ナイス!」なんて言われて、そう言えば、この国に来て、初めて髪の毛を誉められた。
「よせよ!」と片手をあげて制止するポーズをすると、
何人かに、英語でぺラペラと髪の毛のことを聞かれる。「チェンジ」という単語が聞こえたから、色は変えるのか、とかそんなとこか?
「照れるだろ」と諭すように言うと、みんなニコニコして頷いてる。お前ら、絶対、こっちの言ってる意味、わかってないだろ(笑)

その後、チャイナタウンを観光。ドリアン。↓。

何か。↓。

寺院。↓。

 

 

 

 

ところで、この表示、何だろう?短パンがダメなの??↓。

どこかの寺院の装飾。↓。

 

偽ピカチュウ、タグなし。↓。

はじめて、コナンに会う。↓。

お昼は、テンテンで、チキンライス。大人気、大行列。↓。


チキンライスとスイカジュースのセットは、映画で鈴木園子が食べてたものだそうだ。↓。

満腹になり、ホテルへ帰り、プールへ。
ここのプールも映画の舞台で、ここのホテルに宿泊した客だけが入れるプールなんだって。↓。


僕は泳げないので、プールサイドで留守番しながら、本を読む。太宰治の「人間失格」。
コナン君もプールに入らなかったって。↓。

夕日が沈む。↓。

 

夜は、ナイトサファリ。面白かったが、すごく混んでた。
特に帰りのタクシー待ちが1時間以上。
今日は行列が多かった。明日は待たないように、娘がホテルの帰りのタクシーの中で、ユニバーサル・スタジオの予約をした。

3日目。朝食はロビーのレストラン。↓。

お粥。↓。

娘が、口でオーダーして来てくれたオムレツが、中がハムとチーズで、僕の好きなセブンイレブンのブリトーを上品にした感じで美味しかった。
いきなり食べて、写メ撮るの忘れた。

まったくの晴天。東京のディズニーランドはファストパスで早乗り出来る券を無料で配ってるが、
大阪のUSJはお金を払うと人気のアトラクションを待たずに乗れるシステムがあるのは、てっきり大阪商法だと思っていたら、
ユニバーサル・スタジオは世界中でそのスタイルをとってるらしく、大阪にすまないと思った。

開園前に着き、列に並ぶが、どこの列だか分らず、娘が調べてくるから、
「とりあえず、ここに並んどいて」と言われたからそうしてたら、係りの長身の若い男がチケットをチェックしに来た。
しかし、娘はいない。どうしよう?

僕の番にやってきて何やら言ってる。「チケッツ」という単語だけ聞き取れたが、もうこっちは英語を使う意志はゼロにしてるから、日本語で、
「あい、すみません。娘がいないんで、分らないのです。娘にただここに立っていろ、と言われただけで、
言ってみれば、かかし、のような者です」と早口に喋ったら、男はなんか慌てて別のベテランの女のスタッフを連れてきたが、
僕は心をこめて素直に、
「そちらもお困りでしょうが、私も困っているのです。何が何だか私には分らないのです。
何を聞かれてるのかも分らないし、何をお答えすればいいかも分りません。自分が何者だかも分らなくなってきた次第です」と言うと、
女の係員は、まぁまぁ、みたいなポーズをとって、後ろの順番の人達のチケットのチェックに入り、つまり、僕は通された。
やったー!日本語、最強!

そこへ娘がやってきて、別のもっと空いてる入口からすぐ入れた。ここがユニバーサル・スタジオ・シンガポール。↓。

 

 

USJは昔、スパイダーマンが出来た時に1回だけ行ったきり。
娘によると、ユニバーサルは世界中でアトラクションが違う、と言われ、「スパイダーマンは~に」と説明されたが、元ネタを知らなかった。
「なんせ、E.T.だって観てないんだよ」と言ったら、「E.T.はもうどこの国にもないよ」と言われた。

それから例のユニバーサル・エクスプレスという早乗りのチケットを買ったが、近くにあった、エジプト・ミイラ、みたいなアトラクションが、
「5分待ち」だと書いてあったから、まずそこに入ることにする。↓。

ここは荷物を全部、ロッカーに入れなくてはならなくて、娘が「小銭だけ持っといて」と言うが、シンガポールの紙幣ならまだしも、コインなんてさっぱりわからない。
そうしたら、10$札一枚を持たされ、あとはしまった。

5分待ちのはずが列が一向に進まない。娘が、「どうしよう…」という。
なんでも、そのロッカーは40分まで無料だが、それを過ぎると2$づつ加算されるらしい。
娘が、「10$で足りるかな?」と言う。
で、アトラクションを楽しむというより、お金と時間の心配で神経を使い、なんとかギリギリ、順番が来て、席についてホッとしたのもつかの間、
それはメチャクチャ絶叫系なのである。

娘に「メガネが飛ばされるかも?」と言われ、不安になり、必死に右手でメガネをおさえて、左手でバーにしがみついた。
1列4名で、娘と僕とその隣に、ボブ・サップみたいな男2人組。
この、ボブ・サップ、がキャーキャー騒いで満喫してるのだ。
僕はその横で必死になってメガネを片手でおさえてバーにつかまって。
やっとこ終った時には、直前の不安やあせりは吹き飛んでいた。ショック療法みたいだ。

出口でアトラクション中の写真を売るコーナーがあって、そこに映ってる自分たちをみたら、娘とボブ・サップ×2はバーにしがみついて頭を下げてるのに、
僕は右手でメガネをおさえ、左手でバーにつかまってるから、正面をみてて、まるでアンニュイな太宰治の頬杖をつくポーズで1人、異彩を放っていた。

5分待ちだからエクスプレスを温存したのが裏目でロッカーに戻ると、4$とられた。でも、10$札持ってて良かったと思ってたら、
僕らの前の中国人の女性の2人組みがロッカー代が足りないらしくあわてている。
娘の通訳によると、「1$貸してくれないか?」と言ってるらしい。「いいよ、こっちは10$あるからね」。

で、清算機に入れたら、おつりの6$が帰ってこない。娘が言うには、「おつりは出ません」って英語で表示されてるらしい。
やられた~!さすが、関西人。うまいこと考えやがったな、こりゃ1本とられた。

そんなことが分ってたなら、先に中国人から有り金とっといて、10$札渡して、「ロッカー、空いたら、残り頂戴」って言えば良かったともっとコスイこと考えたが、
折角の楽しいテーマパークだから黙っておいた。

続いて、ジュラシック・パーク。
これは日本にもあるらしいが、それはジェット・コースターみたいらしいが、ここでは丸いボートに向かい合わせで乗る。
「もう騙されないぞ」とリュックを抱えて、その列に並んだら、気付いたら客の1/3くらいがカッパを被っていた。
結果、水をいっぱいかぶって、リュックはびしょ濡れ。
やるなぁ、関西人。

続いては、長靴をはいた猫。↓。

これは僕の知ってる童話とは違う猫同士の物語みたいにみえたが、これが一番面白かった。↓。

その後、シュレック、に乗るが、これも筋を知らないので、娘に説明してもらってから乗り物に乗ることにしよう。
と思ったら、これは乗り物じゃなくて、ミクロ・アドベンチャー、みたいなメガネをかけて観劇するアトラクションだった。↓。

スパイダーマン的なのは、トランスフォーマー、だって。
何か訳のわからないロボット同士が戦ってるのは勝手だが、こっちに攻撃してきたり、かと思うと助けられたり。
こっちとしてはいい迷惑なのに、最後に「君たちを守ったから安心してくれ」みたいなことを言われたけど(あくまで主観ですよ)
アトラクションは面白かったが、何でこんな目に遭うのかまるで理解出来なかった。
しかし、これも有名な映画らしく、それを観てれば、なるほど合点が行くのでしょう。↓。

ちなみに皆さんは、知ってました?
この車がロボットに変身するそうですよ。↓。

ジェット・コースターなんて乗るの、10年ぶり以上でした。
でも、まぁ楽しかったです。
ホテルに帰って、夜の光と水のショーみたいな奴(コナンの映画にも出てた)を観ようということになって、屋上のプールからならバッチリみれるからと、プールへ行く。

僕は人間失格の続きを読む。娘は、プールから帰ってきて、「ショーが見れるから、プールに行けば?」と言うのだけれど、
丁度、太宰の年表の山崎富栄と玉川上水で入水自殺なんて箇所を読んでたから、水がおそろしくて、「いいよ」と断った。
それでも、娘が幾度も幾度も勧めるから、あんまり断ってると雰囲気悪くなるなぁと思って、気乗りせずにプールへ。
娘は「プールの水温もむしろ温かいよ」と背中を押す。

足をプールに入れたら、本当だ、温かくて、120センチの深さだし、これなら行けるかと思ったら、階段が何段かあって、それを降りたとたんに左足がつって、
膝元くらいの深さで溺れそうになって、監視係りに助けられ、ビーチベッドに引き返した。

娘は「つった足は逆に伸ばしたら?」とアドバイスをくれ、なんとかリカバー。そして再チャレンジ。
胸くらいの深さだから、そんなに怖くなく、プールの縁まで行って、そこまで行けば手すりがあるから、そこにつかまって、体を外に乗り出すようにして下を見たら、
綺麗な光と水のショーがみえた。
みとれるくらいに綺麗だったが、スマホを持ってプールを渡り切る自信がなく写真はないです。

ただ僕がそのショーをみてる時、隣にいたアラブ系の若い美男美女が、ショーも見ずにチューチューしてるから、
こいつら心中しないだろうな、と心配になり、どうせ日本語など通じないんだから、
「溺れるのは、恋だけにしとけよ」とうまいことを言ってみた。

その後、ホテルの中華料理に。
娘は、酒をまったく飲まず、かつ僕が酔うことをすごく嫌う。
だから、この旅は酒は飲めないとあきらめていたが、メニューに地元のタイガー・ビール、というのがあるからそれをじっと見てたら、「飲んだら?」と言われた。
ビールが目の前に来た。「よっ、久し振り!」。↓。

でも、ビールなんて水みたいなもんだから350ccなんてすぐなくなっちゃって、2本目を注文。
僕が3本目を注文しようと思ったら、思うより早く、「もう、やめといたら!」と柔らかい物腰の、強い忠告。「はい…」としか言えない。

ビールのつまみに頼んだ、魚の皮を揚げた料理を見ながら、小さい頃の思い出話をした。
それはうちの父親は眼科医だったが、中国人の従業員の人がいて、4姉妹で、僕が幼稚園の頃から浪人生の頃まで順繰りに働いていて、
だから上と下は姉妹とは言え20歳くらい年が離れてたと思う。
その人は実は横浜中華街の大きなお店の娘さんたちで、
うちの忘年会は必ずそこの店でやった。
すると4人位の人で操る竜の踊りみたいなパレードが出てきたり、だから僕は中華料理とはそういうものだと思いこんでいたが、
大人になってそういうのは特別で、結婚式とか、そういう時のものだと知った。
よくそこの店で出てた料理で、鯉を1匹まるごとあげて何か手を施した料理が懐かしいのだが、その竜のパレードと同じで、
大人になってから鯉の料理はどこでも食べたことがない。

昔、友人たちが、その話を覚えていてくれて、サプライズで、ある高級な中華料理屋に無理矢理注文して再現して祝ってくれたのは嬉しかったが、
味はやっぱり違った。
でも、今日のこの魚の皮は、その料理に一番近いかも~と話したら、娘は「ビール、何本飲んだの?2本?じゃ、もう1本飲んだら?」と許可してくれた。
やったー!

 

店を出るとホテルの下でも、水と光のショーをやっていた。↓。

部屋に戻り、風呂に入って寝よう。
浴槽にお湯をはり、バブを入れてもらい、入浴するが、頭の位置と足の位置を間違えて逆に入ったものだから、
バランスがとれず、浴槽の表面がツルツルしてるから、お尻で滑って、両手を伸ばしたが、そこもツルツルで、ツルンとてんぷく。
まさかのバスタブで、溺れた。

明日は午前11時チェックアウト。朝早くおきて、プールにギリギリまでいよう。
空港に新しくショッピング・ビルが出来たそうだから、そこで飛行機を待とう。
ショッピング・ビルは、ジュエル、といって、建物の真ん中に水の柱が立っている。↓。

階段を降りて行く。↓。

間近で水にさわってみる。↓。

空港で飛行機を待つ間、「もうすぐ日本だな」と実感したら、急にくしゃみを連発し、のどが痛くなり、頭が重く、体がだるい。
長い休みの時は、いつもこうなることを体が思い出したようで、僕は風邪をひいた。
後半の夏休みの3日間を寝て過ごした。

おなか出してたから冷えたかな?↓。

BGM. 加藤和彦「シンガプーラ」


Before→After in カワクリ

う 「渡辺さんって、カワクリに来て何ヶ月経ちました?」
渡 「もうすぐ半年ですね」
う 「ほうほう。杉山さんは?」
杉 「もうすぐ10ヶ月です。うかいさんは?」
う 「2年半ちょいかな?ところでさ、地球誕生は46億年前。ホモサピエンスが誕生したのが20万年前。地球の歴史から見れば人類の歴史はほんのわずかですよね」
渡 「あ・・」
う 「渡辺さんはもうお気付きですね。そう、わたしたちと同じだと思いませんか?」
杉 「なるほど。すごい規模が大きい例えで驚きましたけど(笑)確かに、お仕事には慣れたけど、カワクリの歴史は知らないですね」
う 「わたしが来たときから今のカワクリでしたけど、最初はどうだったのか気にならない?」
渡 「気になりますね」
杉 「同じく」
う 「今回は、Before→Afterで開院当初と現在を見比べてみましょう」

う 「まずは入口からいきましょうか」

Before

After

う 「どうですか?」
杉 「入口からもう川クリ化が垣間見えますね・・」
う 「扉の右も左も音楽っぽい感じなのに、正面には『赤ひげ』ですからね。謎ですよね。より中が気になります。では、足を踏み入れてみましょう」
渡 「探検みたいでワクワクしますね」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「すごい!なんか洗練されてますね」
渡 「綺麗すぎて逆に緊張しますね」
杉 「Afterのほうは…たまに、初めての方が戸惑ってるのを見ますけど、その意味がわかりますね」
渡 「病院ですか?って確認される方もいらっしゃいますよね」
う 「川原先生のポリシーは【病院っぽくしたくない】なので、そういう意味では嬉しい反応ですね」
杉 「わたしたちは慣れちゃったけど、こうして写真で見ると改めてすごいですけどね」
う 「確かに。わたしが気になるのは、ちょっとメルヘンな風船の入手経路です。まだまだ2枚目なので、次もいってみましょう」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「次は受付です」
渡 「Beforeはどこかの会社の受付みたいですね」
杉 「Afterがあるから、余計に無機質な感じがしますね。Afterは・・」
う 「もうあれですね、渋滞してますね、キャラが」
渡 「それはもうカワクリ全体に言えることですね。でもわたし、きれいなジャイアン好きですよ」
杉 「あのフィギュアシリーズはクスッときますよね」
う 「わたしは下のアランドロンがお気に入りです。では次」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「入口から入って右側です。わたしたちは『ソファのほう』『窓のほう』『テレビのほう』って言いますね」
渡 「以前はカフェっぽくテーブルが置いてあったんですね」
杉 「お昼は陽射しが眩しそうですね」
う 「今は大きいけいおんの垂れ幕があるから少しましかな?」
杉 「やわらかい光でついうとうとしちゃしちゃいます・・」
渡 「以前はキャビネットも本棚もなかったんですね」
う 「なんか見通しがいいですもんね(笑)では次」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「今度は入って左側の待合室ですね」
渡 「怪盗キッドが見守ってる感じで可愛いですね」
杉 「本当だ、バッチリ目が合いますね!」
う 「なんかよくわからないけど、この写真見てたら金平糖食べたくなってきた」
渡 「カラフルですもんね。次も見てみましょう」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「端にあるウォーターサーバー付近から撮った写真ですね」
渡 「受付のカウンターってこんな風になってたんですね」
う 「確かに。低くてフラットですよね」
杉 「ここの、写真右側のテーブルは、先生のこだわりがあるんですっけ?」
う 「詳しくはこの記事を読みましょう」
渡 「今はマンガがたくさん置いてあるけど・・・」
杉 「でも、今じゃなくてはならないですよね」
う 「渡辺さんは、お気に入りとかありますか?」
渡 「私は義母と娘のブルース好きです。ドラマも観ましたよ、綾瀬はるかの土下座は見事でした」
う 「クリニックの前で撮影していた関係で、先生も『ドラマは普段見ないけど、あれは面白いね』と言っていました。原作はもうちょっと先のことも描いてあるので、ぜひ読んでほしいですね」

Before

After

杉 「わあ!Before広い!!」
う 「杉山さん、さっきから第一声同じですね」
杉 「バレました?でも本当に広く見えません?」
う 「うん、見えるね」
渡 「目の錯覚なんだけど、本当にそう見えますよね」
う 「Beforeのテレビ、当時は何を流してたんですかね?」
渡 「この画面は東映のオープニングかしら?」
杉 「気になりますね」
う 「そういえば、本棚側の壁に、レコードが貼ってあるじゃないですか?以前業者の人がそれを見て、目をウルウルさせながら『なつかしい…』と言っていたことがありました」
杉 「カワクリにはそんな効果が!」
渡 「世代ドンピシャの人なんかはそうなりますよね」
う 「なんか当時の記憶をみてるような眼差しでしたよ。では次」

Before

After

う 「次は喫煙室です」
杉 「さわやかですね」
渡 「何も貼ってないと天井の空の色が映えますね」
う 「子供部屋感ありますよね」
杉 「大人の場なのに不思議ですね。あと、サークル方式から対面方式になってますね」
渡 「Beforeは談話室みたいでコーヒー飲みたくなりますね」
う 「確かに談話室っぽいですもんね。談話しすぎて仲良くなってトラブルの元になることを危惧して、今は『連絡先の交換は禁止』と四方八方に貼ってあります。では次」

Before

After

杉 「お!ここは唯一そんなに変わってないですね」
渡 「トイレにはあまり貼ってないですもんね」
う 「変わったところがあるとすれば、入口のドアくらいですね」
杉 「そこに貼ってある『あずにゃんを探してください!』って、探してる人いますか?」
う 「あまり声をかけられないので、自分たちも忘れちゃいそうになります(笑)」
渡 「トイレに入るときにあまりドアは見ないですもんね」
杉 「遊び心があって面白いんですけどね~」
う 「もしかしたらこのブログを読んで、探してくれる人が増えるかもしれませんよ」
杉 「楽しいのでぜひ!!では次にいきましょう」

Before

After

う 「ここは処置室です」
杉 「配置が今と違いますね」
渡 「配置が違うだけで雰囲気がだいぶ違う気がするのは私だけ?」
う 「いえ、全然違いますね。今のほうが暖かい感じがします。気のせいかもしれないですけど」
杉 「使いやすい形に変化していったんですね、では次!」

Before

After

う 「相談室です」
杉 「ここも配置が変わってますね。ソファも違います」
う 「この新ソファ、触り心地と座り心地がよくてとっても好きです」
杉&渡 「わかります~!」
渡 「ソファの色と光の関係かとっても明るく感じますね」
杉 「どっちもシックだけど、温かみをより感じる色合いになってますね、次にいきましょう」

Before

After

う 「最後に、診察室です」
杉 「な、なんですかこのBeforeのおしゃれな空間は!」
う 「なんだか逆に落ち着かないですね」
渡 「そうですね、それに、おしゃれ度でいったら今も負けてないと思う」
杉 「確かに、Beforeのほうは『川原先生のお家に来た感』はないですね」
う 「応接室っぽいもんね。ちなみに、窓際に光ってるものがありますが、あれは何だかわかりますか?」
杉 「わかりますよ。朝わたしたちが電源入れますから。ふくろうですよね?」
う 「わたしも何年もずっとそう思ってたんですよ」
渡 「ちがうの?」
う 「『ミミズク』なんですって」
渡&杉 「…へー」
う 「診察室は違うアングルでもう一枚あるので見てみましょう」

Before

After

う 「混沌ですね」
杉 「カオスとも言いますね」
渡 「Beforeの写真の下に写ってるテーブル、こんなおしゃれな感じだったんですね」
う 「あ、ほんとだ!かっこいいですね!」
杉 「今じゃ怪獣達が占拠しちゃってますね」
う 「この子たち、わたし掃除のときに落しちゃうんですよ」
渡 「分ります!私も2、3個落しちゃう時あります」
杉 「一度落とすとなかなかテーブルの上に乗ってくれないんですよね、絶妙なバランスで保ってます」
う 「わたしだけじゃなかったんだ~!よかった」

う 「そういえば、カワクリ開院当初はどんな映画を流してたか気になってたじゃないですか。先生が教えてくれましたよ」

Before

After

杉 「Beforeの中にある爆笑オンエアバトルが、今と通じるところがありますね」
渡 「お笑いもあったんですねー」
う 「しかもラーメンズっていうね(笑)ついでに、BGMも違ったみたいで。」

Before

 

After

渡 「今とは全く違ってビックリです!」
杉 「洋楽JAZZが流れてるなんてオシャレな病院みたいじゃないですか!」
う 「もしこれらが今流れたら『先生、どうしちゃったんだろう』と心配になりますよね」
杉 「中二病を発症したのかと思うとおもいます」
う 「(笑)」
渡 「BGM含め、やっぱり今のほうが落ち着きますよね」
う 「うんうん、入口でビックリしてた患者さんが、2~3回目のとき『最初はびっくりしたけど、慣れたというか、なんだか妙に落ち着く』と言ってくださったのは一人や二人じゃないですよ」
杉 「カワクリマジックですね」
渡 「これだけ色々なものがあると、ほぼ毎日来てるのに『あれ?こんなのあったっけ?』と新たな発見をすることもあります」
杉&う 「あるある!」
う 「患者さんに言われて、はじめて知るってことも恥ずかしながらありますよね」
杉 「逆に、自分が新たに飾ったものやポスターに、気付いてもらえると嬉しくなります。『こんなのあったっけ?』って」
渡 「日々進化してますからね。生きるクリニックですよ」
う 「あはは、確かに(笑)」
杉 「そんな生きるクリニックにも、休息が必要です」
う 「はい。8月9日~8月19日まで夏休みをいただきます。今年はちょっと長めなので」
渡 「皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」
う 「お休み明けたらジャズが流れてる!とかはないので安心してください」
杉 「はい、いつもと変わらずにお待ちしていますよ」

 

P.S

Before

Before

After

 

BGM♪ 松田聖子 【夏の扉】


ミッド・サマー・インフォメーション~どんどんアホになってゆく

7/Ⅷ.(水)2019 はれ、暑い マツコ・デラックス、イメージダウン?

またまた部屋を掃除してたら、写真を発掘しました。これは前にここで紹介した「レナウン娘」の記事に関係するものです。

杉山さんにスキャンしてもらって、前の記事に追加で載せて、「完璧版」というサブタイトルをつけました。良かったらみてやって下さい。どんどんアホになってゆく。