18/Ⅵ.(金)2010 快晴のち雨
これから雨が続くそうで嫌になりますね。
ゆううつになるし、この世から取り残されたような淋しい気分にもなります。
孤独感。ひとりぼっちは、さみしいですね。
今日は、手の痺れと胃の調子が悪いから南波先生に鍼と温灸をしてもらいました。
だいぶ良くなった。
中学の頃、TV番組から伊東四郎と小松政男の「シラケ鳥」というのが流行した。
そのギャグ自体は別に面白くも何ともなかったのだが、
燃える男・長嶋茂雄が引退したりして世の中全体が燃え尽きてシラけた世相を反映して、
ウケてたのではなかろうか。
中学生にもなると、「シラケ鳥」は幼稚でシラけ気味であったが。
その後、時代は校内暴力とか「金属バット事件」に代表される家庭内暴力や
暴走族など殺伐とした風景に様変わりして行った。
するとコナイダまでラジオの深夜放送で
「天才・秀才・バカ」というくだらないコーナーで人気のあった谷村新司の率いるアリスが
「冬の稲妻」のヒットを皮切りに爆発的な支持を得たのはよいとして、
ちょっと隙を見せたら武道館で「美しき絆~ハンド・イン・ハンド」などという観客同士が
手と手をつなぎ合い絆を深めるという新興宗教みたいなライブをおっぱじめた。
「3年B組金八先生」がスタートしたのも同じような時期だ。
コナイダまで「ジョーダン!ジョーダン!ジョ~~ダン!!」なんて、
西城秀樹のYMCAをおちょくってJODANという歌を冗談半分に体でアルファベットを作りながら歌っていた武田鉄也が
熱血教師に扮し「‘人’という字は支え合って出来ています。人間は1人じゃない」と熱く語り、
そのフレーズが本当はさびしいだけでやり場のない怒りを
社会に向けるしかなかった不良達の心のブラックホールにピタっとはまった。
孤独に悩むたくさんのひとりぼっちが「金八」や「アリス」という箱舟に飛び乗った。
一方、それに乗り遅れた若者たちもいた。
「金八」や「アリス」に偽善の香りを嗅ぎ取ったり恥ずかしさを感じ
、直感的に「この舟に乗るのは危険だ」と察知したのだ。
現実は定員オーバーで乗りそびれただけかもしれないが…。
そこにビートたけしが登場した。
衝撃的とはこういうことを言うのだろう。
たけしは世間のウソや誤魔化しや偽善を、たけし自身にも内包していると告白しながらも、
露悪的に毒ガスという風刺の効いた笑いに昇華した。
「金八先生、すごいですね~。‘人’という字は支え合うって、‘入る’っていう字になっちゃった。弱っちゃうな~」。
ヒーローに思えた。
僕が今でも忘れられないのは、ある日のオールナイト・ニッポンで、
「アリスってのもすごいですね~、ハンド・イン・ハンドだって。君たちは1人じゃない、って、バカ野郎!
人間みんな1人なんだよ!1人じゃないのはシャム双生児くらいだ!」とやった。
シャム双生児とは体が結合している双生児のことだ。
こんな放送を聴いていたら、聴いてるものも同罪として罰せられるのではないかと心配した。
しかし、そんなことはなかった。
それどころか、世間はビートたけしを歓迎した。
特に「知識人」は率先して評価した。
たけしを評価することが‘インテリげんちゃん’としての評価につながった。
しかし、最も驚くべき現象は「金八」や「アリス」の人気も落ちなかったことだ。
つまり、たけしと金八・アリスのファンが重複したのだ。
想像してごらん(by ジョン・レノン)~、金八に感動しアリスのライブで手を取り合った奴らが、
翌日のTVでたけしに昨日のことをバカにされ大笑いしてるのである。
ある種の贖罪の儀式か?
勝ち残るのは大衆ということか?
密かに、僕は奴らと一緒に笑ってることで知らないうちに汚染され同化してしまうのではないかと恐怖した。
ま、そうなったらそうなったでひとりぼっちではなくなるのだが、
みんなと溶け合ってバターにはなりたくなかった。
ところで、醍醐というのは「バター」のことで醍醐天皇が好きだったからそういう名前になった、
とタモリのオールナイト・ニッポンで聴いて知った。
あくる日、国語の授業で先生が同じ話をしたからたいそう驚いた。バター、豆知識でした。
BGM. 高橋美枝「ひとりぼっちは嫌い」
その後、体調はいかがでしょうか?どうぞ、お大事になさってくださいね。
閉鎖空間に捕らわれたら、長門さんや、朝比奈さんが助けてくれることでしょう・・・
リクエスト(Super Driver / 涼宮 ハルヒ)
いつも返信ありがとうございます。気力&体力&モチベーション復活しました。
そういえば、僕はこの春、北高を見に大阪まで行きました。キョンが通う坂を登りました。神人の出る阪神デパートの屋上にも行ったし、映画「消失」で使われたサイゼリアにも寄りました。光陽園学園も見ました。楽しかったぁ。また行きたいな。