1/2000の男

29/Ⅳ.(金)2011
旧友に誘われ、明治大学に広瀬隆らの講演を聴きにゆく。
これは福島原発事故の前に企画されていたもので、浜岡原発を止めようというのが主旨だった。それが今回の福島原発の事故があり、主催者によると、当初予定していたキャパの倍、さらに倍、結局4倍くらいの会場にしたという。

1000人くらい入るホールで、大学側がいうにはこのホールにこんなにたくさんの人が入ったのは初めてだそうだ。さらに中に入れなかった人が1000人いたというから、2000人集まったことになる。友人によると、この会は公には宣伝してなくて、口コミだけでこれだけ集まったのは、すごいことらしい。
でもそれはある程度、予想して13時開演だが11時に行って並んだ。そしたら先頭だった。2000人中、一番乗り。関係者席のとなりに陣取り、そしたら広瀬隆が隣にいたので、丁度、本を持っていたのでサインをしてもらった。
講演の内容をここでは細かくは書かない。ただ一つだけ、京都大学の小出裕章という人の冒頭の言葉だけを紹介したい。
小出裕章という人は、京都大学推進派の中で原発の危険性を訴え続けてきた人で、きっと研究費なんかあまり貰えなかったんじゃないかしら。その人が講演の冒頭で発した言葉とは。
「いつか起きると思っていました。40年前に気付いて、一刻も早く廃絶しようと思ってきた。原子力に携わってきた人間として、防げなかった。ごめんなさい」と沈痛な表情で深々と頭を下げていた。
原発の是非は、とりあえず置いておこう。
原発に限らず、何かに魅力を感じ、その世界に入り、そしてその間違いに気付いた時、人はどうするのだろう?
見て見ぬふりしてそこに居続けるか、その世界から立ち去るかだろう。しかし、この小出裕章は留まった。そして、その世界の中から反対意見を訴え続けたのだ。
繰り返すが、原発に限ったことを言っているのではない。
個人が「権力」に立ち向かうのは大変なことだ。妨害や嫌がらせや脅しだってあるかもしれない。自分だけならいいけど、家族とかいると心配で心が折れるかもな。それに「権力」は、飴とムチを使い分けるからな。不穏分子を排除できない時は、買収したり取り込もうとすることもある。
友人から聞いた話だが、ある漫画家がA社の悪口をずっと漫画に描いていたのに、ある時から急にA社のPRのページにその漫画家のイラストが使われるようになったんだって。金で買われちゃったんだ。その漫画家、ちょっと好きだったから、ちょっとショックだな。でも、仕方ないよな。人間なんて、弱いもんだし。
だけど、「権力」の弾圧にもひるまず、自分の正しいと思う主張をし続ける人をたまに目にすると、僕はそういう人を尊敬する。そういう人に憬れる。そういう人に自分もありたいと思う。そして、その努力をするつもりだ。
帰りに、「浜岡原発停止」バッジを買う。

BGM. TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」エンディングテーマ「止マレ!」


6 Replies to “1/2000の男”

  1. 先生、タカノフルーツパーラーの列にも良く並ぶな~と感心しておりましたが、講演前の2時間前から並ぶんだ~。いくらサインをもらいたくても、近くに座りたくても、私は2時間並べない。以外な一面を聞かせていただきました。で、サインもらう時広瀬氏と何か話しました。そういうときに、人柄が分かるんですけどね。どんな感じの方でした?
    だけど、最後の先生の「権力に屈しない人」に憬れると書いてありますが、医者ならではの発想ですね。
    医者や病院なんて、「権力」が一番ものを言う世界ですからね。
    先生の今までのご苦労が伺えますね。
    まぁ~、先生のご苦労を他人事のように見ている私も何十年後かに同じように「権力と戦っている自分」になっているかもしれませんよ。(笑)

    1. かつらこさん
      いつもコメントありがとうございます。広瀬さんはサイン貰うときは、物静かな温和な感じでした。そう言えば、講演の時と、まるで印象が違いましたね。

  2. 全くそうなんだよな。
    夢や憧れから始まり、その路に魅力を抱き。壮大な理想から現実を仰いだ時に、その「壁」の高さや空想とのギャップにひるんでも もう引き返せない。
    個人が権力(国家)に取り込まれた例だと『時計仕掛けのオレンジ』の主人公アレックスとか『ニキータ』が思い浮かぶ。実験試料とされ、国家兵器として仕立て上げられた例だ。

  3. 初めてコメントさせていただきます。
    よろしくお願いします。
    結局のところ、合計3,000人とのことでした。
    外で待ってた方に対して、小出さんがコメントをしてくれるという特例措置がとられました。
    その時の映像です。
    http://www.youtube.com/watch?v=HOf-h_dvNcE
    権力は、Powerですよね。
    力あるものすべてに、権力はある。
    フーコーには生権力(せいけんりょく)つまり生かす権力もありうると。そこから福祉国家とかいう考えも出てきたりします。
    しかしながら、私も殊に、カネや利権にまみれた公権力、国家権力(制度や体制と言ったりもしますが)に対して批判的で、自分の信念を突き通しながら生きていくという生き方に感銘を受けます。
    そして、自分の地位や身分を捨ててまで批判的立場を貫く人間こそ、真実を語っているのだと思います。

    1. コータローさん
      初コメントありがとうございます。そう言えば、小出さん、自分の番が終わったら少し退席してました。広瀬隆の講演の前半部分です。きっと、その時に外でコメントしてたのかしら?。

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