9/Ⅴ.(月)2011
校医の後、ステラ治療院へゆく。
ステラには、最近、新人さんが入って、今日は始めの少しのマッサージをその人が担当した。
マッサージを受けながら、僕はいつも寝てしまうのだが、ふと自分の研修医の時のことを思い返していた。
僕は、医者になって大学病院の神経精神科に入局した。
入局2年目までは研修医で、見習いみたいな扱いだ。
何人かの研修医で、外来の予診をしたり、病棟で処方箋を書いたり、入院患者に点滴をする仕事を分担した。
精神科で点滴というと驚く人もあるかもしれないが、意外と多いのである。
注射薬を直接静脈から入れたり、精神的な負担で食事が食べれない人も多いからだ。
僕は、この点滴が嫌いだった。
血管は個人差がすごくあって、太く見えている人は楽々できるが、細い人や見えない人の時は大変なのである。
刺しては失敗し、刺しては失敗しを繰り返すと、何度も刺される患者さんも可哀想だし、出来ない自分もみじめになる。
結局、困ると上の先生に頼んでやって貰うことになる。
だから、僕はパッとみて無理そうだったら、始めから上の先生を呼んだ。
その方が、患者さんの負担も少ないし、効率的だからだ。
間違ってないだろう?。
ある日、僕は、「あの人は血管がないよ」と評判の「研修医泣かせ」の女性患者さんの点滴当番になった。
僕は、ベッドまでガラガラと点滴を引きずってゆき、「ちょっと、血管を拝見」と駆血帯を上腕に巻き、
血管を探すも薄~い線みたいなものしか見当たらない。
いつものように先輩を呼びに戻ろうすると、その患者さんは、
「先生が刺して下さい。やらないと上手くならないですよ。私で練習して下さい」と言ったのだ。
なんか、その迫力に負けて、「はい」とか言って、やったのが間違いだった。
何度刺しても、血管に当たらないのである。
10回以上、失敗しただろうか。
さすがにこれは先輩を呼んだ方がいいと思ったのだが、その患者さんは「まだ大丈夫です」と言って、
駆血帯をはめてない方の手を、グーパー・グーパーしてるのである。
これから刺す手が失敗した時のために、もう一方の手の血管を少しでも浮き出させようと準備してくれているのである。
それにどれだけの効果があるかは知れないが、想いが伝わってくる分、プレッシャーになる。
その部屋は、女子の6人部屋で6つのベッドがあり6人の患者がいる。
僕と点滴が格闘している只ならぬ雰囲気を感じ取り、残り5人の患者が僕らのベッドの周りに集結した。
口々に、「○×ちゃん(その患者さんのこと)、頑張って!」「先生、しっかり!」と妙な一体感が生じてきた。
まずいな…。
それでも僕は、何度も失敗をして、それでもその患者さんは「やらないと、上手くならない!」と言って
グーパー・グーパーし続けるし、5人の患者の応援も「が~んばれ!が~んばれ!」みたいなコーラスになってきた。
まずいな…。
まぐれなんだろう。
ひょっとしたら、医学の神様が「この位にしておこう」と力をお与え下さったのかもしれない。
点滴が入ったのである。
駆血帯を外し、滴下しても、腕は腫れあがらない。
成功だ。一斉にオーディエンスからは歓声と大拍手が起こった。
ある患者さんは「○×ちゃん、頑張ったね!」とその患者さんに声をかけ、
背の小さいおばあちゃん患者さんは僕の背中をたたいて「よくやったね」と涙ぐんでいた。
しばらく歓声は鳴り止まず、「何事が起きたのだ?」とあわてて医者や看護婦が駆けつけて来た。
「来るなら、もっと早く来いよ、ばか」と思った。
その後、僕は3ヶ月間、救命救急センターで研修をした。
24時間、いつでも出動できるよう病院に寝泊りした。
ある時、急患が運ばれて来て、輸血をするかもしれないから、少し太い針で血管を確保しないといけない。
僕がその係をした。
あとになって指導医の先生から、「川原、よくあの患者さんの血管とれたな」と誉められた。
僕は知らないうちに点滴が上手くなっていたのだ。
僕は、「あの時の女性患者さんのお陰だな」と心の中で思った。
子が親を育てる、と言うし、生徒が良い先生を育てる、とも言う。
それと同じ様に、良い医者は患者に育てられると思う。
本当にそう思う。
そういう謙虚な気持ちは、いつまでも忘れてはならないと思う。
ところで、どんな道でもそうだが、1人前と認められるには時間が必要だ。
ステラ治療院の若い先生の健闘を祈る。
BGM. 槇みちる「若いってすばらしい」
研修医時代のお話楽しかったです。
私が26歳のころ不眠がつづいて、はじめて母に勧められた大学病院の精神神経科を受診した時を思い出しました。外来で待って若い先生に「死にたいと思ったことはありませんか。」などと聞かれ「ありません。」と答えたのをよく覚えてます。これが、予診だったんですね。「立派な先生なのでもうだいじょうぶですよ。」と言われ内沼教授にバトンタッチ川原先生とにているのは、白衣ではなく内沼先生もいつも私服でした。
「環境の変化に弱いようですね。うつ病です。」と診断され、職場の上司に報告した時なぜか涙がでてきて困りました。その後、1年ぐらいで薬も飲まなくてよくなりました。
「製薬会社に勤めていたから教授だったんでしょ。」と主人に言われたのは心外で、たまたま偶然でしたが、いい先生に出会えて幸運でした。いい医師から患者としていろいろなことを学びました。
現在は、川原先生から学ばせていただいています。私は、いい患者じゃないですけど、これからも宜しくお願いいたします。
私が32歳のころ、卵巣脳腫の手術をしたときに、担当は婦人科部長さんだったから研修医みたいな若い先生がいつも付いていて、手術の日も点滴から電気メスまでいろいろと若い先生がやっていた。
点滴だが、私も血管が分かりにくい訳でもないのに、その若い先生が手術の朝にやってきて、何度も右手、左手と繰り返して点滴用の太い針を刺していた。すぐに、私は慣れていない先生なんだな~と分かったけれど、その先生が緊張していたのが伝わってきたので、何度も何度も痛かったけれどずっと黙っていました。最後に、やっと血管に通ったらしくテープで固定していたとき、針の先っぽが血管の壁に当たって痛かった。でも、私はまさか手術後もずっとしばらく入れっぱなしとは知らなかったので、痛かったけれど黙っていました。
術後、しばらくしてようやくシャワーを浴びれることになって傷口をみたら、片方のメスの後が焼けど状態になっていたのを見て、「ああ、あの若い先生がやったんだな。」とすぐ分かった。それでも、私はその先生に対して何も言わなかった。
手術が無事に終わればそれで良かったからだ。今頃、ベテラン先生になっているでしょう。
ところで、私は病院で注射や点滴を数え切れないほど打ってきましたが、このコメントは絶対掲載してください。
一番早くて痛くない、見事な注射はこちらの川原達二先生です。先生なら、何度でもやってもらいたい。外科医にむいているかもしれない。100点満点!Very Nace!
かつらこさん
いつもコメントありがとうございます。大学病院は「臨床」と「研究」と「教育」を行う場所なので、研修医は内心、患者さんに申し訳ないなぁと思いながら日々を送っていると思います。
父が大学病院に入院した時、若い看護師さんが点滴を失敗して
四苦八苦しているのを見て、父はにこやかに「あせらないで、
ゆっくりやっていいんだよ」と声をかけたそうです。
「オヤジが若い子にいい顔をした」と母が憤慨していました。
かさん
面白いエピソードですね。家族がそばにいると、緊張して余計、失敗しやすくなるんですよ、若いうちは。
研修医の方が単独で来ると、いろいろと悪知恵を教えたくなって困ったもんです。
私も最初の病院で入院したときは、アナフラニールを5日間連続で点滴注入しました。
患者サイドから、点滴で何が困るか、というと、『移動』でしょうか。例えば、急にトイレに行きたくなったときとか。
看護師も病棟の交通整理まではしてくれない(いや、そこまでしなくていい)ので、食事のときなど、みんながいっせい
に移動するときは、点滴の方や車椅子の方などの安全確保に気を遣った(オレ患者なのに・・・)思い出があります。
BGM – HTT 『U & I』
(あべみつ)さん
点滴を持っての移動は大変ですね。いつもコメントありがとうございます。