「くどう君」と「干しぶどう」の思い出

13/Ⅷ.(火)2013 はれ
きゃりーぱみゅぱみゅのファンクラブから、お知らせがありました。
「きゃりーぱみゅぱみゅと行く日帰りぶどう狩りバスツアー」です。
日程と開催地は以下のようです。
8月15日(木)名古屋駅 出発・解散
8月16日(金)新大阪駅 出発・解散
8月17日(土)新宿駅 出発・解散
内容は、①きゃりーちゃんと一緒にぶどう狩り、②昼食会場にてきゃりーちゃんとお楽しみコーナー、
③きゃりーちゃんと集合写真撮影、④ファンクラブツアー限定のお土産プレゼント、など、だそうです。
僕は、どの日も診療なので、残念ながら不参加です。
でも、是非、きゃりーぱみゅぱみゅとぶどう狩りに行きたい人は、ファンクラブに今から入ったらどうでしょう?
あっ、でも申込みは先着順で定員になったら締め切りと書いてあるから、もう遅いかな。
すみません、良く読んだら、もう受付期間、終ってました。
もっと早く教えてあげれば良かったですね。今度からは、そうしますね。
きゃりーのライブを観に行った時(2013年3/25の記事、良かったら見て下さい)、苺狩りツアーをやりたいと言っていた。
それが、ぶどうに変更になったんですね。季節の影響もあるのでしょうね。
ファンとの交流をいち早く行おう、という前向きな果実変更なのだろう。えらい!
ただ1つ、苦言を呈させて貰えれば、しょこたんのバスツアーは「ツーショット写真」が売り物です。
今回のきゃりーちゃんのバスツアーはグループごとの撮影なので、是非、次回の企画時にはそこを1つ考慮して欲しい。
さて、ぶどうで思い出したのだが、僕は「干しぶどう」が嫌いである。
それには訳があって、その訳を思い出したのだが、わざわざここで書くようなことでもない気がする。
かと言って、普段、立派なことを書いてるかと言えば違うので、書くことにする。
前置きとして、僕はぶどうは好きである。
嘘ばっかりつく僕の指導に困った教師から、葡萄をもらったこともある。
巨峰は皮ごと食べるし、ワインも明日が休みなら3本くらい飲む。
だけど、「干しぶどう」だけは食べれないのだ。
どこかの有名な贈り物の定番のレーズンサンドも食べれない。
普通、嫌いな訳が判ってれば、苦手は克服しそうなものなのだが、僕の理由は小学校の低学年の頃、鮮明に覚えてる。
「くどう君」という同級生が、お父さんの転勤で「ロンドン」に引っ越すことになった。
僕の田舎は茅ヶ崎で、東京には近かったが、同じ学校から海外に転校する子は珍しかった。
「くどう君」と僕は仲が良くて、引越しが決まってから、僕は「くどう君」の家に遊びに行った。
季節は、今くらいの真夏だった。「くどう君」の両親は、準備で忙しかったのか、不在でおばあちゃんが家にいた。
僕と「くどう君」が遊んでいると、おばあちゃんが麦茶とおやつに「干しぶどう」を差し入れてくれた。
「干しぶどう」は、白く丸い皿に並べてあった。
そして、時は、真夏。
「くどう君」のおばあちゃんは、昭和40年代当時のおばあちゃんとして平均的だったと思う。
彼女は白いノースリーブの下着のような服を着ていて、かがんで皿を置く時に胸元から谷間が見えた。
「くどう君」のおばあちゃんはノー・ブラだったから、垂れ下がった乳房とその先に萎んだ乳首が見えた。
僕は、その垣間見えてしまった「くどう君」のおばあちゃんの乳頭と、皿の上の「干しぶどう」が同一の物に見えた。
それで、「食べろ、食べろ」というババァに吐き気がして、それ以来、「干しぶどう」を見ると老婆の乳首に見えた。
菓子パンに「干しぶどう」が乗っていたら食べれない。
ピラフに「干しぶどう」が入っていたら顔をそむけた。
その頃の僕は、過敏になっていて、「干しぶどう」だけをよけて食べるのも無理だった。
接触してるということは、汚染されてることを意味したから。それだけで、全部アウト!
ちょっと高級なレストランに連れて行かれ、気の効いた料理に「干しぶどう」が入っていて、僕はそれに手をつけなかった。
僕はそういう子だったので、親は別に理由も聞かないで放っておいてくれたので、今思えば感謝してる。
さすがに僕も大人になって、今では、何秒以内に「干しぶどう」をよけたらセーフ、という独自のルールを作り、
おかげで食べれる料理の幅も広がった。
話を「くどう君」に戻そう。
僕は、「くどう君」のお別れの会のことは良く覚えている。
「くどう君」はクラスの人気者で女子からも絶大な人気があった。多分、俺の次くらいに。
女子たちは皆、泣いていて、中には、「くどう君、行かないで」と無責任なことを言う奴もいた。
ま、子供だから仕方ないか。
でも、担任は大人なんだから、しっかりして欲しい。
クラスの空気は、「くどう君、行かないで」一色になりかけてたのに、あの先生は何もしなかった。
そして、目で僕に「この場をなんとかしろ」みたいな合図を寄こした。
僕は、<ここはお前の仕事だろ>と視線で返した。
でも、流れからしょうがない。
僕は皆に向かって、<そんなこと言ったって、親の都合だからしょうがないだろ>と言った。
一瞬で、「そりゃそうだ」という雰囲気になった。
そして、僕は、<ロンドンには、ドンドン行け!>と「くどう君」の背中を思いっきり叩いた。
「くどう君」は、2・3歩、よろけてから、振り返った顔は涙まみれで、「タッちゃんは、大人びてるなぁ」と笑った。
それが、「くどう君」の最後の笑顔だった。…って、「くどう君」、死んでないし!
という訳で、きゃりーちゃんのぶどう狩りバスツアーから思い出した、真夏の「くどう君」と「干しぶどう」の思い出でした。
BGM. 高田みづえ「パープル・シャドウ」


4 Replies to “「くどう君」と「干しぶどう」の思い出”

  1. 爆笑しました。「くどう君」のおばあちゃんが、トラウマ…。
    そういえばだいぶ以前には、おばあちゃんたちは大体「ノーブラ」で、
    「下着 兼 ノースリーブのワンピース?(ほぼ白色)」のシュミーズいうものを、みんな着てたような。
    私も干しぶどうは嫌いです。単に、味がまずい!干しちゃいけないものもあります。
    先生は、今も干しぶどうはよけてるのですか?
    <ロンドンには、ドンドン行け!>……

    1. 花の香りさん
      今でも、「干しぶどう」はよけますよ。
      というか、頼む前に聞きます、ドライカレーとかでは。
      もし、入ってるなら、「抜き、で」と注文します。

  2. 干しブドウ、絶対無理です、私も食べられません!嫌いなものベスト1です。
    でも原因はおばちゃんの乳頭ではありません、単に味と食感です。
    それにしてもくどう君の話は面白いですね、先生の人気者自信はどこからくるのでしょうか?その絶対の自信は・・・

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