18/Ⅰ.(月)2016 雪
起きたら豪雪だった。
美容院の後、中野ブロードウェイまで行ってみる。
目的は、「変なダダ」。
まんだらけ、に置いてあるフィギュアは、「●●年、○○社の何々」と明記してある。
ところが、僕がこの一ヶ月、気になって仕方ない「変なダダ」は、まんだらけ、にあるにも拘らず、
「不明」と書いてあった。
2対で、どこかちょっと変なダダなのである。でも、デカイ。
この2つを玄関に飾りたいなぁと思ったり、でもやっぱり変だな、と思ったり。
ここ3週くらいは、中野に行っては、まんだらけの2階で「変なダダ」を見て買うかどうかずっと考えて。
結局、買わないでいた。理由は、変だから。
だけど、どうしても、気になって、ちょっと時間のある時には、ふと「変なダダ」のことを考えている。
今日の美容院でも、気が付くと、「変なダダ」のことを考えていた。
だから、今日は起きたら大雪だったし、こうゆう変な気候の時にしか「変なダダ」は買えないと思って、決めて、
それで、中野に行って来た。
しかし、なんと、「変なダダ」はショーケースになかった。
お店の人に聞いたら、売れてしまった、という。
誰だ?あんな変なダダを買ったのは?きっと変な人に違いない。
すると、まんだらけの店内に顔は日本人っぽいけど、日本語じゃない言葉で会話してる集団が入って来た。
彼らは、日本の特撮に興味があるみたいで、爆買、していた。
ひょっとして、「変なダダ」もそうやって買われて行ってしまったのかしら。
海を渡ったら、もう無理だ。
手に入らないと思うと、早く買っておけば良かったと後悔するもので。
同じ物をオークションで探してみようかとも思ったが、まんだらけ、でさえ不明な、「変なダダ」だ。
そうそう市場に出回っていまい。
やっぱり、1点ものは、気になった時におさえておかないと駄目だな。
僕が、小学校低学年の時に、ウルトラマン、はテレビ放送していた。日曜の夜だった。
ある日、茅ヶ崎の海岸通に、「ちさん」というビルがあって、そこに家族で夕食に行くことになった。
僕は断固、拒否した。
なぜなら、それは日曜の夜だったから。
今みたいに、ビデオのない時代だ。
でも、結局、親にさからえず、僕は「ちさん」に行った。
その日の見れなかった回が、「ダダ」の回だった。
前の週の予告で、「ダダ」だということは知っていた。
僕は大層、不機嫌で、それ以来、川原家では日曜の夜に外食をすることはなくなったから良かったが。
「ちさん」はそれっきり行ってないから全然記憶にないのだが、なんとなく覚えてるのは、長い薄暗く静かな廊下だった。
僕は、廊下の先の曲がり角から、ひょこっと、ダダが顔を出してこっちに手を振る空想をしたものだ。
その後も、僕は似たような条件の廊下を見ると、遠くから、ひょこっとダダが顔を出す妄想を楽しんだ。
下が、本当のダダ。変じゃないダダ。診察室のソファのセンターテーブルにいます。左は、ザラブ星人。↓。
しかし、あの「変なダダ」は今思っても、なんとも変だったなぁ。
もう残りの人生で出会うことはないんだろうな。
万一、見つけたら、今度こそ、迷わずに買おう、変なダダ。
僕は、これからしばらく、長い薄暗い静かな廊下の向こうの角から、ひょこっと「変なダダ」が顔を出さないかな、と願うだろう。
或は、毎年、雪が降るたびに、「変なダダ」のことを思い出すのかもしれない。
BGM. ピンク・レディー「透明人間」
ストロング金剛デス
自分の世代にとって、日曜夜のウルトラシリーズのTVは、一期一会の真剣勝負でした。
録画技術の普及するはるか以前ですから、もう二度と見れないかもしれないとういう緊張感がありました。
それゆえに、強烈に記憶が定着されていたように思います(もちろんデフォルメされたりはしていたと思いますが)。
最近の子供たちは、DVDで簡単に再生できるし、自分の姿かたちも映像として、自分の世代と比べられないほどの情報があると思います。
幼少時の記憶が、客観的な映像として、簡単に記録再生できる世代と、自分のような一期一会世代とは、人間形成におよぼす影響はどう違うのか?と考えてしまうことがあります。
今日はまじめでしたね。それでは木戸クラッチでオマタ~
ストロング金剛さん、こんばんは。
そう言えば、僕らの上の世代は、その時間帯は「鉄腕アトム」だったそうですね。
手塚治虫の家では、その時間帯に家族で正座して、アトムを観る習慣だったそうで。
ある日、手塚治虫の子供が「ウルトラマン」が観たいと駄々をこねたそうで。
するとお母さんが「お父さんの作品を観なさい」みたいに叱ったら、
手塚治虫が「子供の好きな物を観せなさい」と言って、手塚家でもアトムの裏番組である「ウルトラマン」を観ることになった、と何かで読みました。
これも、ストロング金剛さんがご指摘のように、一期一会のビデオのない時代だからこそのエピソードですね。
中学の時に、ブラバンの先輩から、「レコードを聴くコツ」を教えられました。
それは、「一生でこれ1回しか聴けないと思って、聴け!」でした。
こういうのは、確かに僕の性格形成に影響をしていると思います。
たまには真面目なコメントも良いですね。では股~
PS.木戸クラッチって判る人、少ないでしょうね(笑)
そこに行くと思い出す・・・・みたいな感じありますよね。
雪の日や長い薄暗い静かな廊下をみるとまたおもいんだだすんでしょうね、変なダダ。
その感覚なんとなくいいもんだと思います。
sinさん、こんばんは。
そこに行くと思い出す・・・・みたいな感じってありますよね。
たとえば何だろう?
ダダの他に思い浮きません。
今は、変なダダ、で頭がいっぱいみたいです。
川原先生、こんにちは。
まず今回のブログのテーマ『変なダダ』に心を惹きつけられました。
ダダはビジュアル的に凄くインパクトがありますよね。
私もテレビはその時限りの「一発勝負」世代でした(そんな世代はありませんが・・・)
我が家には『録画をするシステム』がありませんでした。ビデオデッキは高価で買えなかったのです。
私は中学時代は水泳部に所属していました。練習は毎日欠かさず真面目に取り組んでいました。
平日は約4000m(50mプールを40回往復ですね)がノルマで、3時間あれば終了できる練習メニューでした。
土曜日の授業は午前中で終了するため、水泳の練習は午後1時30分から始まりました。そして4時半には
終了するのです。当時(中学3年)私は水泳部の部長でした。でも練習が終わったらさっさと家に帰り勉強を
したり家の手伝いをするような子供でした。
中学3年の時、土曜日の午後5時からテレビで『機動戦士ゼータ・ガンダム』が放映されていました。
土曜日は水泳の練習は午後4時半に終わるので、急いで帰ってゼータ・ガンダムを毎週楽しみに
観ていました。しかし事もあろうに最終回の放映の日に水泳の練習が皆ダラダラしていて4時半になっても
終わらなかったのです。私は焦りました。「ゼータ・ガンダムの最終回が観れないかもしれないぞ」と。
しかし私は自分の水泳のノルマは達成していたのでコーチに「じゃあ、そういうことで後はよろしくね!」
などと適当なことを言って家までダッシュして帰りました。午後5時にギリギリ間に合いました。無事に
ゼータ・ガンダムの最終回を観れたのです!
次の日に、水泳の練習のためプールに行くとコーチが私を思いっきり殴りました。
「な、殴ったね。親父には打たれたことあるけど・・・・。」
「なぜ、部長のお前が終礼をほったらかして先に帰ったんだよ!」とコーチは物凄い怒りようでした。
「俺には部活よりガンダムの方が大事なんだよ!」と答えました。
「学校の勉強や部活は大切だけど、土曜の午後5時だけは誰にも譲れないんだ!」と勝手な理由を
コーチに言い放ち、腫れた頬をおさえながらプールの更衣室へ向かいました。
あれから30年経ちました。今はDVDで『機動戦士ゼータ・ガンダム』はいつでも観れます。
しかし、最終回を観ると、いつも水泳のコーチに殴られた記憶がフラッシュバックしてきます。
更衣室で泣きながら水着に着替えている光景が今でも脳内に『録画』されているのです。
やられメカさん、こんばんは。
今回のエピソードは、やられメカさんに落ち度はないです。以上。