はじめまして。
土曜日担当のやつだです。
心理のメンバー4人はそれぞれ来ている曜日は違うのですが、4人でも何を目指しているのか、話し合いながら、
書きたいことを書こう!ということにしました。
大変お待たせしました。では、ブログ上でバトンを受け取って走っていきますね。
私が思うカウンセリングについて思うことを書いてみます。
川原先生は「診察とカウンセリングの違い」というテーマの中で、「魚の獲り方」をあげていましたが、
「自転車の乗り方を身につけること」で考えてみました。
自転車に乗る練習で、初めは補助輪を付けてやっていて、次には補助輪をはずして、
でも最初は怖いから後ろでそっと支えてもらって、転んだりと繰り返す中で、だんだん一人で走ることを学んでいく。
ある日、後ろには手を添えてもらっていると思いながら実は一人ですいすいと乗れるようになった・・・
後ろにいる人が自分を支えてくれると思う関係性があるから、一つペダルを踏んで、前に行ける。
自転車に乗るスキルを教えてもらうことではなく、転んで痛かったときの気持ちをきいてもらったり、
走り出した時の感覚を言葉にしたり、テンポをお互いに合わせたり、時には合わない感じを確認しながら、進んでいく・・・
カウンセリングでも同じようなことがあるのではと思います。
「百聞は一見に如かず」ということわざがありますが、英語だと“Seeing is believing”ですけど、
逆の、“Believing is seeing”「信じることは見ること」の方がしっくりくる感じがします。
あと、もう一つ。
生きていく上でさまざまな「こころの痛み」があって、あまりにそれが重いと苦しくなって生きづらくなるのではと思います。
その人個人というよりは、環境であったり、人との出会いや死、天災や事故であったり、
人生には一人ではどうしようもないことがあります。
見たくないことはないことにして(最近の言葉で言えば、スルーして)、自分の人生から消してしまえればいいですけど、
なかなかそうはいきません。
生きることはタフなことですが、一度落ちたところから、「再び」生きようとすることの方が、パワーが必要だと思います。
そこから生まれるものは、きれいなものではないかもしれませんが、自分の手で掴んだ実感があるのではないでしょうか。
カウンセリングは、時間や曜日が決まっていたり、当日休んでも料金が発生したり・・・と約束事があるからこそ、
守られた場となると思います。日常生活から離れることで少し自由になり、パワーを溜めていけるのかもしれません。
カウンセリングには100以上のやり方があるそうです。
川原クリニックでは、その中でも精神分析の考え方を大切にやっていこうと、言っています。
心理士も曜日が違ってなかなか会えないのですが、同じような考えを共有できることも、
私の支えになっているなと感じるこの頃です。
次は高橋さんです。バトンを渡します!
やつださん、こんにちは。
どのどの曜日に誰がきてるかは先生に聞けば解るんですよね。
今回、いろんな人のカウンセリング理論を聞いて大変為になりました。
まだ、カウンセリングを受けたことがない私ですが、その機会がありましたら、
宜しくお願いしますね。
やつださん、こんばんは。
カウンセリングを「自転車に乗れるようになるまで」で例えていて分かりやすかったです。
転んだ時どう思ったかを人に言うってことが大事なんなんですね。
そしてアドバイスを受けてさらにうまくやれるようになっていくんですね。
生きていく上での「こころの痛み」をカウンセリングで話していくことにより、それが和らいでいくというか、軽くなるんですね。
人に自分の気持ちを話すことは大切なことなんですね。
それは専門家である臨床心理士さんに話すことから始めるのがいいのだろうなと思いました。
そもそも身近に話せる相手がいないことや、嫌なことをいちいち言ってはいられないこともあるのでカウンセリングを受けられたらいいなぁ、と思いました。