11月はおとなしくしてよう⑥~家族

8/ⅩⅠ.(火)2016 
ボブ・ディランがノーベル賞をとったことにビックリしている僕はボブ・ディランに詳しくない。
泉谷しげるが「家族」というLPを出した時に、何かのレビューで、これは製作期間を考えると、
ほぼボブ・ディランのなんとかというアルバムと同時期の発想で、つまり泉谷はディランに影響されたのではなく、
同じ時期に、同じような事を考え、同じような作品を発表したのだ、ということを読んで興味を持ったくらいだ。
その頃、中学生だった僕は、何か人間の文明とか、比較文化人類学的なことを考える時の良い素材ではないか、と思った。
恐山のイタコと、沖縄のユタが、似たような側面を持っていても、地理的にも遠いし接点もなさそうなのに、
「イタ」と「ユタ」の発音が似てる、のと同じように、泉谷しげるの「家族」とディランの何かが似てるそうだ。
肝心のディランの方を覚えてなくて恐縮だが、そんな「家族」が、今日のテーマ。
僕は、たとえばコカコーラのCMのように、仲間が集まって、美味しいものを食べて、(バーべQでも可)、そういう‘場’を、
自分の家庭に作りたいと、Xmasでも盆暮れでも、行き場のない人がウチに来て、楽しめればいいな、と
ずっと小さい頃から思っていた。
こんなことを言っては、しょってるが、そういう素質はあるし、サービス精神はあるし、そういうことは好きだし努力もするから、
将来、結婚して子供を作ったら、そういう家族を作りたいな、と思っていた。
そういうお手本になるホームパーティーにも招待されたことがあるから、イメージ・トレーニングは出来ている。
結論から言うと、僕が思い描いていたものに近い形になっているのが、「カワクリ」だと思う。
まだ努力は必要だし、スタッフの熱量も大切だ。
それには、まずスタッフをその気にさせないといけないのだが、まぁ、それはいいとして。
どうして僕がそんなことを思うようになったかと言うと、僕の家は茅ヶ崎の眼科の開業医で、僕が幼い頃から周囲には、
お手伝いさんも含め、たくさんの従業員がいて、昭和40年くらいは住み込みとかあったし、常に同じ屋根の下に3~4人の
若いお姉さんと一緒に暮らしていて、僕はたくさんの大人に囲まれて育った。
その中には、19才とか20才の人もいて、僕が浪人してる頃には、そんなに年も違わないし、シチュエーション的には、
恋におちてもおかしくなかった。落ちなかったけど。受験生だけに。
愛くるしかったあの人達が今は、50~60才なんだと思うと、年齢なんて関係ないな、と思う。
ご対面番組で芸能人が子供の頃、世話になった「お姉さん」に会うという企画で、相手はもうヨボヨボなのに、
泣いて抱き合うシーンに、僕は最近、違う意味を見い出したりして、<まぁ、良いものだな>と思ってる。
僕が同窓会に参加するようになった心持ちとも共通するのだろう。
きっと死期が迫っているのだ。朝からカラスがうるさい。
さて、うちの父は、大正10年生まれの酉年だった。酉年は夜明けを告げる干支で、初代運が強いと祖母が言っていた。
父の歴史はよく知らない。
北海道にいたというが生まれはどこか知らない。
北海道って、大正時代だと海外みたいなものでしょう?
その後、戦争になって父は長男だけど、家は普通の家なのに、父は何故か医者になると言い、
満州(当時は日本)の医学部に行ったらしい。
戦争が激しくなって、父の家族は色んなところへ逃げ回るらしいが、父は家族と離れて勉強して、でも結局、日本は
戦争に負けて、満州で勉強した努力は、パー。
そして戦後、東京の大学に入り直して、勉強するけれど、その時、同級生は一回りも年が違ったと聞いた。
父は若い頃、結核になって、片っ方の足が動かなくなってビッコになっていた。
結婚も遅く僕を生んだのは40才だったから、僕は子供時代、同級生より父がうんと年寄りだから、親が死んだらどうしよう、
ということを常に考えている子供だった。
父は自分が家族と長く離れて暮らしていたから、きっと自分に関わる人には温もりのある生活をさせたいと考えていて、
従業員が多いのも、中国からの留学生を沢山とったり、自分の親戚や家族が楽しめるようにパーティーや旅行を提案して、
スポンサーになった。
子供にも教育費ばかりでなく、学校にものすごい寄付をしていた。
たとえばブラスバンドを作るための楽器一式とか、学校のグランドや遊具を整備する費用とか。
今と違って当時は節税とか開業医の経費の優遇とかあったのだと思うが、だから出来たのだとも言えるが、
別にそこにお金を使わなくてもいいのに、純粋に父は戦争で自分が味わえなかった絆や娯楽や贅沢を、
自分の家族に味あわせたかったのだと思う。
それはまるで質の良いマスターベーションのように思える。
なぜなら、父は家族旅行には一切参加しなかったから。
足が悪かったから足手まといになるというのもあったと思うし、主目的は自分が楽しむよりは家族が楽しむ事で、
家族の家族や友達が楽しむことが主眼で、眼科医だけに、そこには自分がいるのは照れがあったのかもしれないし、
経験して来なかったからどんな顔してそこにいていいのか判らなかったのかもしれない。
医学部じゃ習わないしね。
大義名分は仕事だった。当時は高度経済成長だったし、父は休まず働いていた。
夜は書斎で遅くまで書き物をしていた。論文や短歌を詠んでいたから忙しく、家族と過ごす時間は少なかった。
周りのものは始めこそ遠慮していたが、すぐに慣れるもので、そういうものだということになって、
父を置き去りにして自分達だけ楽しんでいた。父は大阪万博も行ってない。
しかし、そんな父の性格は大正生まれだし、頑固で気が短く、まるで当時流行っていたドラマの「おやじ太鼓」のようだ。
すぐに怒っていたから僕は父が嫌いで、「こいつは金だけ稼いで、死ねばいいのに」とか思っていた。
ひどいと言われれば、ひどいものだ。
小学校の同級生の三上君や内藤君のお父さんは男らしくてかっこよく僕にもよくしてくれた。
その家の家族旅行に連れてってくれてキャンプとかカブトムシをとる体験とかをさせてくれた。
あの頃の他人の家のお父さんは家庭的だったから、それは時代のせいじゃなくて、やっぱりウチが変だったんだと思う。
僕は末っ子だったから、結構、俯瞰的に家のことを見れていて、父の葛藤もみていたと思う。
兄は父の跡を継ぎ眼科医になって医者としてのアイデンティティーを引き受ける重責だ。
僕は父の願いである、兄弟で眼科医になって、父と3人で医院を大きくする願いを無視した。
つげ義春の「ねじ式」じゃあるまいし、そんなに目医者ばかりいてもしょうがない。↓。

父は僕が浪人してる頃に胃癌が発覚して、リタイアを余儀なくされた。
僕が父とまともに喋れるようになったのは、その1年で、父は仕事に出れない体力で、僕は所属する学校がないから、
顔を突き合わす時間が出来たのだ。
その後、父は死ぬから、現役で大学に受からなくて良かったと思う。
現役で受かってたらどう思っていたかは判らないが。
「癌とは、未練の整理に良い物だ」、と言ったのは立川談志で、僕と父はその1年は色々な話をしたものだし、
父は僕の服を真似したり、僕のタバコの銘柄を真似したり、本当は病気にタバコはイケナイけれど、
不器用な父からの息子へのせいぜいの歩み寄りだったのだろう。父が死んだのは、その2年後くらいだ。
僕は精神科医になった分、家庭人としての父が出来なかったリベンジを任されてるような気になっていた。
しかし、実際蓋を開けてみたら、DNAとは怖いものだ。
僕の子供が子供だった頃、僕は子供専門の病院に勤めた。
すると、自分の子供の運動会と、病院の行事の運動会が同じ日で、僕は病院(仕事)をとってしまったり、
家族と離れて病院で生活してる子供(患者)たちのために、1年365日、病院に出て行った。5年くらい続けた。
結果として、僕は父と同じだ。ひょっとしたら、父の悲哀をいつも近くでみていたから、心のどこかで父を乗り越えると、
父が一人ぽっちになってしまうと情けをかけたのかな。
つまり、父が成し遂げられなかった、心の豊かな生活とは何かをみつけて成就することを躊躇したのかな。
父はビッコだったから歩くのが遅くて、家族で移動する時、みんなスイスイと行ってしまい、僕は前とはぐれないように、
そして後ろの父を気にして振り返って歩いた記憶が生々しく、僕は今でも団体で行動する時に、後ろの人がついて来てるか、
気になってしょうがない。
クリニックの開業当時は10年前だから、今の僕とでは体力が全然違う。
初期設定で昼休みを1時間としたのは、仮に午前の診療が長引いて昼休みがなくなっても大丈夫、という自信。
<ノンストップで12時間は働ける>、と豪語していた。
気の狂った発言だが、当時誰もそれをおかしいと言わなかった。
仮に、「無茶ですよ~」、とやさしい人が言ってくれても、僕は平気で無視してたと思うが。
それが最近、体にこたえるようになった。
身近な同業者は、「きっちり2時間昼休みをとる。その間、入口は閉める」、と忠告をする。
<なるほどなぁ>、と近頃思うのだが、開院当初にそんな事を言われてもバカにして相手にしてないのだから、
今更、宗旨替えも出来ないし。
季節の変わり目もあるし、天候の寒暖差もある。年のせいもあるし、体力にひびく。
開院時と同じペースでやってるのは、さすがにこたえてくる。
だけど幸い頭はまだ回る。あと10年はもつと思う。
アントニオ猪木がストロング小林戦の試合後に、
「こんな戦いを続けていたら10年もつ選手生命があと3年で終わるかもしれない。それでも私は戦う!」と言った。
燃える闘魂だ。それに結局、猪木以外は皆死んでるし、猪木だけ長生きだし。これでいいのだ。
しかし、先週は本当に疲れて、診察の合間に<このまま死ぬんじゃないか>と思った。
大和言葉では、「疲れる」と「憑かれる」は語源が一緒だというから、何か悪い者に「つかれた」のかと思い、
エネルギー療法の先生に、重点的に手当てをしてもらい、何とかしのいだ。
堺正章のお父さんの堺駿二はコメディアンの鑑で、舞台の上で死んだ、という幻聴が診察の合間ごとに聞こえてきて、
<俺はここで死ぬのか…>と覚悟を決めた一週間でした。
11月8日は、父の命日。こんな記事を書いたりするのも、季節のせいならいいんだけれど。
BGM. よしだたくろう「風邪」


16 Replies to “11月はおとなしくしてよう⑥~家族”

  1. 先生、死なないでください。死んだら後を追いかけますよ!
    …と脅しても、ご自分の意思は曲げない方だと思いますが、「宗旨替え」したって良いじゃありませんか。
    お父様とのこと、最期の年にいろいろ話が出来たり、歩み寄りがあったりしたそれはちょっとうらやましいです。やっぱり、終わり良ければすべて良し、ですね。私は、終わりが悪かったので、父については嫌な思い出の方が強烈です。憎い気持ちから、嫌な奴だった、という気持ちにトーンダウンしていますから、そのうち逆転するかもしれませんが。

    1. トモトモさん、こんばんは。
      11月は大切な人(亡くなった)を思い出させる月間なので苦手です。
      談志もそうです。
      談志も晩年は高座で「もう死ぬ、もう死ぬ」と何年も言ってましたし、最晩年はテレビで「死にたい」って言って、
      友人の石原慎太郎に止められてましたよ。
      談志の命日も視野に入ってるから、こういうことを書いちゃうのですね。
      すみません。精神分析でいう、「取り入れ性同一視」という防衛機制です。
      父との思い出は月日とともに、思い出フィルターがかかって、美化されてるみたいです。
      時は魔術師だと思います。
      ではまたね。

    1. 黒魔術師さんは、「コメント返信拒否設定」です。
      柔道で言うところの「かけ逃げ」ですね(笑)
      ま、世の中、色んな人がいるから、気にせず、次行こ!

  2. 先生の言うところの本当に疲れるはきっと精神的なものが大きいような気がする。
    もちろん、長時間労働での肉体的な疲労もあると思いますが。
    メンタルがやられると肉体の疲労も一層来るものです。
    お休みの日にしっかり心のケアをして下さい。
    あと、黒魔術師の意味不明なコメントは気にする必要はありません。

    1. sinさん、こんばんは。
      本当にいつもコメントくれて感謝しているのですが、僕はこのブログをみて、
      これから受診しようかどうか迷っている人の判断の材料になってくれればと思っているのです。
      コメントを楽しみにして喜んでいる読者もいます。
      皆さんに協力してもらって作っていけたら良いなぁと思っています。
      これからもよろしくお願いします。
      ではまた~

  3. 私が初めてボブディランを聞いたのは、中学校の英語の授業の時です。先生がギターを弾いてみんなで歌うっていう、変な授業でしたけど、ノーベル賞のニュースを見た瞬間に曲を思い出して、ああ、そういうことが言いたかったのかなって(ボブディランがね)、不思議な感じがしました。酔っぱらって書いただけかもしれないけど。
    曲といえば、はじめ聞いたときは、「これ、パクリ?大丈夫?」とか思っていたのですが、東急線はなんだか、ディズニーとコラボしてしているらしく、私はしゃらくさくて嫌いなんですが、周りの(肯定的な)意見を聞くとやっぱり、「とにかくこの世は住みにくい」です。でも、Part of Your Worldはipodに入っていますけどね。
    住みにくいといえば、何年か前に電車の中で、膝の上にノートパソコン広げて、スマホを持ちながら、スポーツ新聞読んでいる人がいて、この人何したいんだろうと思ったものです。前に書いた気がする。
    先日、水木しげるさんの番組をやっていて、つげ義春さんと、まんだらけの社長は水木さんのアシスタントをやっていたそうで、たしか「社会でまともに生きていけない私のような人間を雇ってくれる〇〇(←忘れた)みたいな人です」って言っていて感動しました。忘れたけど。もっと固い人かと思っていたんですが、売れるのにたいそう苦労したそうで、売れるためなら、作品の画風くらい変えるよって。それで怖いきたろうがかわいいきたろうになったみたいですね。
    ああそうだ、僕の敬愛するラジオパーソナリティーが「性のコーナー」ってのを昔やっていまして、心理学に通ずる部分があるので、そういうのがわかる人に聞かせたいのですが、文章に音声がのせられないのが残念です。簡単に言うと、なんで、そういう特殊な性癖になってしまったかということを、小学校や中学校の頃にさかのぼって、リスナーが分析するものなんですが、フロイト先生はこういうことが言いたかったのかなと、勝手に解釈しています。
    というわけで終わります。

    1. 久蔵@適当につなげてみるさん、こんばんは。
      ハンドルネームの久蔵シリーズは、「やさぐれ」「勝手に」「~ももう飽きた」に続いて第4弾ですね!
      しかし、英語の授業でディランをやるなんて、進歩的な先生ですね。
      水木しげるのエピソードも良いですね、知りませんでした。
      僕はこのブログが、これから受診しようかどうか迷っている人の判断の材料になってくれればと思っています。
      僕はこないだまで好きなアイドルがラジオをやっていて、そこに投稿して読まれるのを楽しみにしていて、
      まるで中高時代のラジオの深夜放送の雰囲気を思い出して、面白がっていました。
      皆さんとのコメントのやりとりもそれに似てるな、と思って、趣味と実益を兼ねさせていただいています。
      事実、ブログのコメントを読むのが好きだ、という人は多いのです。
      これからも一緒にページを作るのを協力してもらえると嬉しいです。
      ではまた~
      これからも、一緒に協力してもらって、受診を迷ってる方へのメッセージにして行きたいのでよろしくお願いします。
      ではまた~

  4. 最近は新患の受付はしているんですか?余計なお世話ですが・・・・
    そんな新患さん達に私たちのコメントが役に立てばいいのですが。
    皆さん、あまりそこまで考えてない思いますがそれがいいんですよね。
    でも、新患さんの参考という事ですが、このブログでここ最近感じる事はあります。
    それは、昔に比べて先生の書く記事が疲れ気味・・・というか、なんて表現していいのか・・・・
    乱暴な表現・・・・もしくはあまり否定的な読者を気にしなくなった表現、というのでしょうか、
    なんか昔よりストレートな物言いや表現になってきているなぁと思う。
    飾らないストレートな表現ですかね。
    それが疲れでそうなっているのか、意図してそうなっているのか、そう思っていないのか。
    意図しているならば、いいと思う。
    先生の事が良くも悪くも新患さんにつたわるので。
    だんだんそうなってきているならば、少しお疲れなのかな?とも思う。
    あるいは、だんだん、自己表現の場として確立して来ている、とも思う。
    私が勝手にそう思っているだけで、他のコメントする人達、読んでいる人達はなんとも思っていいないかもしれない。
    なので、私が勝手に個人的に思っている事を書きました。
    疲れは、蓄積されますからね、医者の不摂生にならないよう留意して下さい。
    先は長いですからね、先生、たのんます!!

    1. sinさん、こんばんは。
      リクエストに答えてくれてどうもありがとうございます。
      最近のブログの記事の変化の考察まで!
      多分、すべての可能性が少しづつまざっているのだと思います。
      労ってくれてありがとう。もう帰って寝ます。おやすみなさい。

  5. 時期外れのリプライ失礼します。
    物凄い久しぶりにブログを掘り起こしていたら、この記事に到達(?)しました。
    シェンシェーの疲労がたまっている感じ、身勝手ながらなんとなーくここ1年くらい感じてました。
    皆さんのクールな反応(信頼関係があるからだと思います)の反面、
    号泣してしまいました。
    待ち時間がもっと長くなってもいいし(これは負担軽減にならないですね)
    予約締切があってもいいので
    (ドタキャン常習犯、当日予約派の私は実は困るけど)
    10年「は」なんて言わないで下さい。
    全ては11月の魔の手と信じたいですが、カワクリBBQメンバーの1人としては
    どうしても受け入れがたいです。
    シェンシェーの、楽しいブログ記事の中の、わずかな部分だし、
    そんな面をみせてくれること自体、メンバーにとっては嬉しいことなのかも
    しれないけれど、スミマセン、書かずにはいられませんでした。
    久しぶりにチラ見するつもりが、行き当たっちゃうというのも
    「そういうもんさ」」なのでしょうか。
    シェンシェーの意図を汲むことができていないコメントだと思います。
    ごめんなさい(皆さんにも)。

    1. ミルラさん、こんにちは。
      確かに、この記事は、ひどいですね(笑)
      きっと、11月の魔の手の仕業でしょう。
      僕の仕事は、皆さんに「疲労がたまっている」と気付かれるようでは、プロ失格です。
      ポーカーフェースでいないといけない職業です。
      でも、ロボットじゃあるまいし、調子や機嫌の良し悪しはありますよね。
      にんげんだもの(by.みつお)
      ということで、僕の意図は「川原達二の十中八九NG」は、ドキュメンタリーだと思ってみて下さい。
      ちなみに、今は元気です!

  6. 昨夜のコメントは眠れない深夜の魔の手にやられました。
    「川原達二の十中八九NG」は、ドキュメンタリーとモキュメンタリーの間と思って、
    読むことにします!
    ちなみに、ポーカーフェイスのシェンシェーは想像できないし、カワクリじゃなくなるから
    不要です(笑)。
    あくまで個人的な意見ですが、ポーカーフェイスの医者でろくな人に会ったことはありませんから。

    1. ミルラさん、こんばんは。
      モキュメンタリー、って言葉があるんですね。
      ドキュメンタリーとモキュメンタリーの間ということで、
      「川原達二の十中八九NG」は、ボクメンタリーなんて新語はどうでしょう?
      …ちょっと、自己愛的ですね。没。
      確かに、医者でポーかフェースは嫌ですね。
      電子カルテが普及すると、そういう輩が増えそうな気がするけど。
      あっ、でもピアノの弾き語りとか出来る人なら大丈夫そうですね。
      ドラマーでも可。
      ではまた、深夜の魔の手で構わないから、コメント下さいね~

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