3部作「性・死・知」~死の巻

8/ⅩⅠ.(金)2019 はれ 父の命日

僕は毎年、11月が近づくと、うつ期、になるのですが、今年もそのシーズンが到来しました。
今年は例年より少し早いようです。

おまけに先日、明け方に寝室にお化けが出て、それは正真正銘で、その証拠に金縛りがなくて、僕は急いで、
部屋を出て(僕は倉庫で暮らしてる)家族の部屋にSOSを出しに行くのですが、皆、寝ぼけてほっとかれました。
深夜の4時だから、当たり前ですね。…冷たい奴らめ。

それで仕方なく部屋に帰ったら、僕のガレージは趣味のマニアックなお宝の山なのですが、
「こんなものいくらあっても何の役にも立たないな」と思ったのです。

僕の仲間には医者が多いので、日を改めて、グループラインで、
「安楽死は倫理的によくないのは知ってますが、それはさておき、苦しまず簡単にコロリと死ねる薬の飲み合わせとかない?」
と聞いてみましたが、返信は、「ものすごく苦しそう」だったり、高い技術や本格的な装置が必要なもので、全然参考になりません。
本当は知ってんのに、みんな勿体ぶってんじゃないのか?と疑ってたところ、やはり医者はあなどれませんね。
「川原君、まさか変なこと考えてないよね?」とか「精神科医の自殺率は高いから」とか「あまり皆を心配させないの!」などと返って来た。

困ったなぁ。仲間に、「川原は自殺を考えてるのでは?」とさとられてしまった。
こういうのって、本当に自殺しないと、オオカミ少年とか「死ぬ死ぬ詐欺」みたいに思われる。それは不本意だ。
そんな生き恥かいて生きるなら死んだほうがマシだ。
でも、それって何のための死だ?
世間体を気にして、自分の信念や美学を貫き通すって意地で死ぬのもおかしな話だ。

有名な精神科医は、「格好良く散るのではなく、みにくくても生きる」ことが重要と言っているが、そりゃまぁそうだが、ダンディズムを理解しないような医者にはなりたくないしな。

自殺の抑止力になるのは、死んだら人に迷惑かかるとか、残された人が大変、などではない。何故なら本当に死のうと思ってたらそこまで考える余裕はない。

抑止力になるのは意外と、残した物の中に「恥ずかしい」物が残っている事だ。
昔書いたは良いけど、投函できずに引き出しの中にしまってあるラブレターとか、過去の女との旅行の写真とか。
そういうのを処分しないと死ねない。だけど今は、うつ、だから、そんなのやる気がしない。だからしばらく現状維持。そうこうしてるうち、11月も去り行くはずだ。

さて、大岡山北口商店街に、麦田ベーカリー、が再び作られてましたよ。義母むすの第2期始りか??

 


One Reply to “3部作「性・死・知」~死の巻”

  1. 僕は常々、「このカプセルさえ飲めば、苦しまず、安らかに死ねる」薬があると、逆に、安心して生きていけるのにと思う派だ。
    戦争の抑止のために「使用しない」原爆を「保有」するのが許されるなら、自殺の抑止のために「使用しない」安楽死薬の「保有」も認めてくれないかな。

    ま、我々が生きてるうちにはダメでしょうね…

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