おとこのこのサバイバル術

28/Ⅹ.(水)2020 昼に地震あり。欅坂46、改名って知ってた?

鬼滅の刃、のブームの勢いは止まるところを知らず、郵便局では切手や年賀状も売り出されます。
去年のカワクリは「ねずみ」のイラストのデザインを何枚か作りました。ねずみ、はチューと鳴くから、「ピカチュウ」とか「荒井注」とか「ミッキーの宙返り」など。
今年も来年の干支「うし」に引っ掛けて何かを考える時期に。
今の所、大橋巨泉のイラストを描いて「ウッシッシ」というセリフ入りはどうかと思案中。
僕が小中学校の頃は、年賀状と言えば、全員分手書きで書いていたものだ。友人・親戚・先生などの他、中学に上がると部活の先輩にも出すから100枚位書いていた。
僕の中学は中高一貫で僕はブラバンでホルンを吹いていた。当時、中3の金子さんという背の高い大人しいクラリネットの先輩にも年賀状を出した。全員に出したから。
すると年明け、金子さんに「川原、年賀状、ありがとう」とお礼を言われた。それが毎日毎日、何度も何度も真剣に言われた。
僕は、この人は後輩から年賀状をもらったのが初めてなのかな?ひょっとしたら誰からも年賀状をもらえないで来た人なのかな?と邪推する程、異常なくらいお礼を言われた。

金子さんは、翌年当りから、急に部活に来なくなり、でも意外な方向から名前を聞くようになった。それは不良たちから一目置かれてるのであった。
金子さんは雨でもないのにいつも長靴を履いていて、噂では靴底には鉄板が入っていると聞いた。学生カバンも薄くそこにも鉄板が仕込んであるらしい。前者が攻撃用で後者が防御用。
僕らの高校は不良の激戦区・池袋にほど近く、帰り道にそこを使ったり、寄り道に池袋に出ることがちょくちょくあった。しかしお坊ちゃん学校であるから、不良たちからはカツアゲの良い鴨だ。
僕らはお札は財布に入れず、靴下の中に隠して歩いていた。
そんな中、金子さんは一匹狼だが、池袋でも激闘を繰り広げてるらしかった。
当時は有楽町線が開通したばかりで、不良校どうしのタイマンがプラットホームで始まると、次についた電車から双方の学校の生徒が雪崩のように流れ込んで来てもみくちゃの大喧嘩になってたのが日常茶飯事。当時の駅員さんは大変だったと思う。

時代的に「不良」はカッコイイとされていた。キャロルを解散した矢沢永吉や、暴走族あがりのクールス(舘ひろし、などがいた)などが音楽シーンでも人気があった。
漫画では「花の応援団」とか「男組」など硬派=不良のような美化された風潮もあった。男性アイドルには市民権がなく、ミーちゃんハーちゃんが聞くナンパとバカにされていた。ジュリーでさえそうだった。

だから僕らのようなお坊ちゃん校でも、ファッションとして不良化が進んでいた。髪型はアイパーかリーゼント。学生カバンも中の綿みたいなのを抜いて、細くした。細くするため、百科事典を何冊かカバンの上に置いて一晩寝かせたものだ。当時はどの家にも応接間に百科事典があり、それは親の見栄の飾り物で子供たちは腹筋を鍛えるためにお腹に乗せる重石か、カバンのために使われていた。
当時の喧嘩にはヌンチャクが使われていて暗黙のルールで刃物は禁止だったのだと思う。
ヌンチャクは、数年前のカンフーブームでブルースリーのマネをするため小学生は自製で作ったから要領は得ていた。
町の金物屋で水道のホースを1mくらい買って来て、適当の長さに切り、ビニールテープでぐるぐる巻きにし、2本をチェーンで結んだ。
本当にやばい学校のヌンチャクはホースの芯に何か固い物を入れていた。

金子さんは高1くらいで学校を辞めてしまうのだが、僕に対してはずっと感謝していて、金子さんが使っていた鉄板入りの極薄のカバンと戦闘用のヌンチャクを別れ際にくれた。
金子さんが池袋で不良校のトップの奴をやっつけてしまったから、その学校が総出で僕らの学校の最寄り駅に大挙朝から張り込んで、一般生徒まで脅して大騒ぎになり、さすがにそれには学校や警察などの大人たちも対策に乗り出した。ものすごいマジなヤバイ雰囲気だった。
金子さんはその責任をとって辞めたのだと思う。今思うと、15-6の少年のやったことだった。
僕はたった一枚の年賀状のお蔭で、伝説のカバンとヌンチャクの継承者に指名された。
うちの学校の番長みたいな奴が低姿勢でそれを自分に譲ってくれないかと頭を下げに来た。僕は持て余してたものだし、こんなの持ってて何かの因縁をつけられたらたまったものではないと思っていたから、速攻で譲り渡した。

しかし時代は不良の時代で自衛しないと生きていけないサバンナのような都会だった。怖ければそんな所に行くなと言われるが、自分の好きなこと(本屋や中古レコード屋の大きいのがあった)をしたいのをそんなこと(暴力、カツアゲ)のために我慢するのも嫌だった。
そこで弱い子も弱い子なりに工夫して生きていた。
僕は近所の金物屋でヌンチャクの原材料であるホース、通常は水色なのだが黄色もあった、それを3mほど買った。
そして、僕は何も加工しないで、3mの黄色いホースをズルズルひきずって登校していた。
学校の教師が「川原、それはなんだ?」と驚き、「ホースです」、教師「何に使う?」。すると横からオッチョコチョイが「こいつ喧嘩用に持ってるんですよ」とチクった。
すると一旦ホースは没収され、緊急職員会議。「生徒が3mのホースを学校に持って来た。どうするべきか?」が議題。
うちの学校はリベラルな校風だ。職員会議の結果、「前例がないのでおとがめなし」。ホースは返された。僕はしばらくホースを持って池袋をうろついていたが、不良からからまれることはなかった。
それだけか、池袋の楽器屋にどうしても行きたいとか本屋に行きたいという他のクラスのおとなしい子に「一緒に来てくれない?君が一緒だと安全なんだろう?」と用心棒のような役割をさせられたこともあった。

高3の頃、池袋にサンシャイン60がオープンし、その地下に海外のお菓子やおもちゃを売ってるソニープラザという目新しい店が入り、僕らは学校帰りに寄った。
僕はそこでメタリック調の光線銃を買った。レバーが古いテレビのチャンネルのように切り替えられるようになっていて、周波数の違う音がけたたましく鳴った。
僕はそれを撃ちながら池袋を歩いていたが、時々、頭の悪そうな不良にからまれそうになったが、大抵、そのグループの中の有力者が「あいつはやめておけ」と相手をなだめてくれていた。

大学に入って、千葉の友人の別荘に夏旅行。柔道部でもないのに学校の柔道大会で準優勝するようなガタイの良い奴を筆頭に、ボクシングをかじってる奴、サッカー部のゴールキーパー、そして六本木のナンパ師(こういうやつは喧嘩を売られる事が多いから喧嘩が実は強い。もしくは護身術に長けている)らと僕の5人メンバーだった。
夜中に酒が足りなくなって調達に行くと地元の不良たちと鉢合せ。よしやいいのにナンパがメンチ切ったから取っ組み合いが始まって、こっちの大将が相手を何人か投げ飛ばしたら、どこからわいてきたんだという数の不良たちとバイクと車まで来て、僕らは知らない町で取り囲まれた。大将はヌンチャクで頭を殴られ大流血。ここで勝負あり。残りのメンバーも無抵抗なままボコボコ。
僕も左足をふまれてそれが痛くて地面に転げ落ちてたら、追い打ちをかけようと下っ端が俺を蹴ろうとした時、相手のボスみたいな奴が、「そいつはやめとけ」と言って、僕は足を踏まれただけで助かった。
きっと僕はみるからに弱そうだから手加減しないで殴ったら死んじゃうと心配したのかも。
当時の不良は喧嘩の仕方を知ってたから良かったが、今はそういうの学校でも教えないから怖いですね。


2 Replies to “おとこのこのサバイバル術”

  1. こんにちは。 コチラでは随分とお久しぶりです。
    文章らしいモノをタイプするのも、またしかり・・・でして。
    なかなかに読み応えのあるトピックスでした。 (ゲップ

    さて。 私は不良とかワルなどと評されてしまう立場の人達に関する心理(・・・だなんて大袈裟な・汗)を解せぬままに、今まで生きてきてしまいました。

    ところがタイムリーなことに。
    10月最後となる勤務の合い間に自らリモコンまで操作しつつ、ホールのでっかいテレビでチコちゃんなどを立ち見しておったげな。 すると ヤっちゃってたんですょ。 えぇ。

    『○○が○○なのわぁ~ (ドンドン!)、 ・・・ ○○だからぁ~!』

    などと。 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」 と叱られたあとで。
    動物学的な方面からの解釈でした。 子孫を残したいからという。
    繁殖・・・ですか。 そぅ訊かれましてもねぇ。 困ったな。
    けど ナルホドなぁ・・・と感心してもいたワケでして。

    その点に注目して、男性が女性からの意識を引こうとするような行為・事柄に関しては、歴史的かつ世界的に振り返ってみても不良やワルの限りではありませんよね。 なのにナゼあの時代に、あのようなカタチで不良やワルが膨れ上がっていたのでしょう。 ついでにナゼ今回のトピックスには『句点』が多用されていたのでしょうか。 ・・・大変に蛇足ながらも (汗

    解説・編を見ていて行為としてのセックスに視聴者からの関心が向けられる、そんな内容じゃなかったことだけは確かです。 NHKですから。 むしろ私の方がロコツに繁殖などと。 こうして2度目までも。 けど、そんな風に反省していたら 件の六本木のナンパ師さんからも御意見を伺ってみたい、そんな思いに駆られてしまいました。

    BGM. 葛城あや 『ボヘミアン』

    P.S. 要するにコンディションの近況報告も兼ねています、はい。
     ・・・あ。 BGMとは無関係ですから。 そんなコトもないか(汗

    え~ 余談ながらも ボヘミアンは。 (ドンドン!)
    札幌で暮らしていた頃、ビル地下にあるカウンター席しかない小さな居酒屋の隅っこで、現役活動していたジュークボックスから突然流れ出し、ひっくり返ったコトがありましたとさ。 メデタシ。

    1. 散文気分さん、こんばんは。

      昔、制服に細工をする店があって、ボンタンとかチョウランを作るのですが、そこのオヤジがいかにもな感じでそのオヤジに認められないと作れませんでした。
      僕は制服の生地でオーバーオールを作った思い出があります。オヤジも「生まれて初めて作る」と興奮してました(笑)
      当時はガンコなオヤジがやってるレコード屋も多かったです。そのオヤジに認められないと洋楽のレコードを売ってくれないんだから。「お前にはまだ早い」なんて。
      タワレコとか出来て、ああいうワケの分からないオヤジを駆逐出来て良かったと思います。
      今、日テレの地上波で「極主夫道」という番組をやっています。背中に彫り物を入れた主夫がママ友とハロウィンの打ち合わせしたりしますが、地上波で流して良いんでしょうか?ハラハラしてみています。

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