こんにちは。とくだです。
ポスターみてくださった方もいて、嬉しく思います。ありがとうございます。
実際に、‘カウンセリング、心理療法は最後の手段‘、という思いで来てくださる方も多いです。だからこそ、その一歩手前で、心理療法というものを身近に感じてもらいたいという意味合いがある今回のポスターです。
心理療法を知るきっかけ、がクリニックの場合は、医療の場なので、どうしても心身の不調と密接です。でも、必ずしも病気、というわけではなく、私たちは悩む時期があります。それも一つの『創造の病』でしょうか。
私たち心理士は、その人にとっての病を理解して、その意味を考えていく作業において、連続性を持って複数回の面接を重ねていきます。
ここで、もう一歩話を進め、心理療法を始めてから、の話。
心理療法を始めてしばらく経つと、
何を話していいかわからなくなった、
話すことがなくなった、
何も思い浮かばない、
思っていたような方向とは違っていた、
沈黙が多くなった、
といったことが起きてくることがあります。
あるいは、
遅刻が増える、
キャンセルが増える、
料金の支払いが滞る、
こういうこともしばしば起きることがあると言われています。いわば、心理療法あるある、なのです。
心理療法が進んでいく過程で起きてくることで、始めてみたからこそわかること、とも言えるでしょう。‘偶然‘かもしれないけれど、繰り返される、そんな時は、これは心理療法の進み具合と連動しているかもしれません。
私たちは良くも悪くも変化することに抵抗感を抱くもののようで。少し専門的にいうなら、治療抵抗といわれます。抵抗、というと否定的なイメージの言葉かもしれませんね。でも、否定的な意味合いだけではないパワーがあるものです。
精神分析の理解では、かつては、この抵抗は、変化を求めるはずが、それとは逆の力が働くもの、治療の妨げになるもの、という側面がまず注目されました。
ただ、現代では、抵抗の他の側面、その人が自分を守り自己の安定感を維持するためのもの、その人の現実適応を支えるためのものという側面もあることが考えられるようになってきています。
抵抗には、その人の持つ生き様というのでしょうか、そういうものが絡んでいるのです。無意識的に安定を維持しようとやってきた方法が人それぞれあるわけで。それは外からみたら歪な方法に見えたり、自分自身でも苦しんでいる方法であっても、それが自分にとっての適応的な方法だったり。
でも、場合によってはその方法は、かつては適応的だったかもしれないけれど、今、合わなくなってきているものかもしれない。そのひずみと症状が関連しているかもしれない、そんな仮説を考えます。現実適応はとても大切ですが、無理が生じていては苦しくもなります。そういうところは、一歩踏み込んでみないと見えにくいところです。
心理療法が、予約制で、時間と料金とペースが決まっているのは、見えにくいものを少し見やすくする、そういう風に作られています。
抵抗が生じている時、まず自分自身があまり気づいていない、ということも多いものです。
あれ?もしかするとそういうことかな?という視点を持ってもらえたら、それについて話し合えるきっかけになるかなと思います。
気付いたとしても、実際に、面と向かって心理士に話しにくい場合もあると思いますが、その思いを言葉にしてみてください。
そういう話し合いを通じて、そこのテーマを一段深めていくことができるかもしれません。あるいは、結果的に、そこで心理療法を終わることも一つかもしれません。
私たち心理士にとってもですが、心理療法の終わり、というテーマは、さまざまな思いが巡るものです。心理療法を終わる場合には、終わりの時期を決めて、その過程を話し合えるといいでしょう。
心理療法、というものは、まだまだあまり馴染みがないかもしれませんが、この少し特殊な時間、人生の中であるひととき、そういう時間を持ってみるのも一つではないでしょうか。
元々話すことが好きな私はカウンセリングの回が進んでも、あまり抵抗感をおぼえなかったような気がします。
無意識にお喋りでカバーして核心に触れる部分に到達しないようにしているのか、それとも回を重ねるごとに自然に問題を少しずつ解きほぐす事ができたのか。
いずれにしても、私にとってこの50分のカウンセリングは今もとても大事な時間です。
いつもありがとうございます。
めろんのめさん
こんにちは。とくだです。
カウンセリングの時間を大切にしてくださってありがとうございます。
今回のポスター特集は、リレーしながら、私たちの間でも話し合ったりして、テーマが移り変わっていきました。
また何かの折には心理の記事もあげたいと思うので、その時はよかったらご覧になって下さい~!