12/Ⅶ.(月)2010 少し雨、くもり
スペインが優勝したそうで、A子はきっと喜んでるだろう。
A子は、シャビ・アロンソのファンらしい。以上。サッカー、おしまい。
猪木関係の書籍を2冊読む。
一つ目は 「完本1976年のアントニオ猪木」。
コントキの猪木は狂ってる。狂ってるところを抜粋してみる。
1976年12月12日、パキスタンの英雄アクラム・ペールワンと敵地パキスタンで伝説のシュートマッチ(真剣勝負)。
試合開始30分前に、ペールワン陣営がノールールマッチを要求。
猪木陣営は話し合いを求めたが、ペールワン陣営は一切応じず、結局猪木は
「プロレスをするつもりでやってきている人間が、たった10分やそこらで気持ちを完全に切り替えて、
命のやりとりに向かった」(新間寿・談)。
試合は3ラウンド中盤、猪木が腕絡みでペールワンの左腕を捕らえる。
完全に極まったがペールワンがギブアップしないため、さらに力を込めると鈍い音とともに左肩は脱臼。
猪木は狂気の表情で「折ったぞぉ!!」と絶叫した。猪木は試合後の談話で次のように語っている。
「普通ならあそこまでやらなくてよかったと思うけど、相手も必死だし、腕がガクーッとなって、
それでも参ったしないんで、二段打ちで絞り込んだからね。
これはもうおそらく治らないでしょう。でも本当に皆さんのご期待に応えられて、よかったと思います」。
1976年10月9日、韓国の英雄パク・ソンナンを敵地韓国で一方的に叩き潰した伝説のリンチマッチ。
猪木はパクの目に指を入れ、唇は裂いて、脊椎にヒジを入れる。
パク陣営はそもそもシュートマッチ(真剣勝負)を望んでおらず、地元の英雄に花を持たせたくない猪木の暴走であった。
この試合を裁いたレフリーのミスター高橋の談話がすごい。
「私が耳元で『猪木さん落ち着いて下さい。ちょっとやりすぎですよ。これ以上やったら反則負けにしますよ』と言ったら、
猪木さんは『おお、やれるもんだったらやってみろ。そんなことしたらてめえもやってやるぞ』と言った。
まったく手が付けられなかった」。まさに「猪鬼」だ。
もう一冊は、「元気ですか!?ニッポン!!」という日本を元気にする猪木語録だ。猪木のオヤジギャグ満載。
猪木がタッキーにリング上で卍固めをかけられて笑ってた時のことを思い出す。
アントキはマジで猪木に愛想がつきた。
話を本に戻す。
猪木は、ホームレスへの炊き出しイベントを9年間続けている。
最初は「ホームレスに何かしてあげたい」と思ったのと、「お前ら、もう少ししっかりしろよ」という気持ちがあったが、
実際やってみたら涙流して手を握って「猪木さん、こんな無様な格好は見せたくないんだ」という人もいた。
そういうところに飛び込んでみてはじめてわかったことだった。
「人それぞれ人生があって、強い人ばかりじゃないし、社会に見捨てられたわけでもない。
一歩間違えば俺たちだって同じ境遇になるかもしれない、という意識は持ちたいね」と語っている。
その通りだよ。昔、猪木は「苦しみの中から立ち上がれ」という本を書いたけど、
本当に猪木は何度も何度も苦しみの中から立ち上がったものな。
正直、猪木はもうダメなんじゃないか、と思ったことが何度もある。
リングの上ならともかく、リング外でも、①日プロ除名、②新日旗揚げもノー・TV、③外人招聘ルート妨害、④M・アリ戦の酷評&借金、⑤アントン・ハイセルの赤字、⑥選手の大量離脱、⑦ブロディが決勝戦当日ドタキャン、⑧政治家になれば秘書から告訴。
それでも、猪木は必ず立ち上がった。
それを全部見てたから知ってたから、タッキーの事、怒ったんだぜ。
時という名の魔術師は偉大だ。
タッキーのことも、そんなに目くじら立てることもなかったか、と思えるようになった。
猪木のダジャレで笑えるようになってしまった。
BGM. キャンディーズ「春一番」
ペルーワン戦は聞いたことがあります。
大晦日の青木選手もそれに似たことをやりましたよね?
その青木選手が、前回の試合で「観客の全員が敵に見える」と言いながら、
勝利後にプロポーズしたのは、泣けました。
後日青木選手が、ある試合を見ながらツイッターでイカサマと呟いた。
見る側はその時間から試合を割り出し、ツイッター上で問題になった。
青木選手の一般での行動と、見る側ともにマナーについて問われると思います。
なるほど。