バトンを受け取りました!火曜と木曜担当の原です。
■ 「病んでる」と「健康」のあいだ
「病気でないのに、カウンセリングを受けてもいいんですか」
「復職したら(学校に行けたら)、カウンセリングは終わりですか」
「カウンセリングに興味あるけど、家族や友人にうまく説明できなくて困っている」
カウンセリングや心理療法について、このような声を時々耳にします。カウンセリングには、少なからず、「病んでる」「メンヘラ」「健康でない」といったようなイメージもあるのかもしれません。(カウンセリングの意義を社会に伝えていくはずの、私たち臨床心理士の力不足でもあるのですが)
いったい、健康な心とはどのようなことでしょうか。ストレスを何も感じず、物事を思い通りに進めることができ、自分ひとりですべてを解決できるような心のことでしょうか。
例えば、周りからは、だいじょうぶと思われている人が、自分自身がいる場に安心感や帰属感を持てず、その場にいるだけでひどく疲れたり、不安な気持ちが強くなってくることがあります。また、相手が違っても、なぜかいつも同じような人間関係が繰り返されてしまって、困っている(あるいは困らせている)人もいます。
このような心の状態は、「病んでる」とも言いきれません。一方で、社会で求められている機能を外的に果たしていることだけで「健康」といえるでしょうか。人の心は、「病んでる」「健康」であると、安易に二分することができないものです。
私たちを取りまく環境が大きく変容したり、あまりにも過酷な状況、例えば、戦争中である・大きな災害にあう・大切な人が亡くなる、などでは、むしろ、「病んでる」ように見える心の状態になることのほうが、逆説的に健康な心の状態であるともいえます。ショックを受けたり打ちのめされたり、一時的に大きな混乱も抱えるけれど、そのほうがむしろ自然であり、ゆくゆくは自己治癒力も働きやすかったりするでしょう。
異常な事態における、正常で健康な反応ともいえます。
■新しい日常とカウンセリングと
新型コロナの感染拡大では、全世界の人々が同じような危機を体験しています。たくさんの情報が流れる飽和状態の社会で、自分の価値観や生き方を見つめ直すことも求められています。これまで見て見ぬ振りをしてきたことを正面から見つめる必要性にも迫られています。
カウンセリングを通して、自分は何を大切にしたいのか、自分らしさとは何か、を一緒に考えてみませんか。
困っている自分を認めることや、ありのままの自分を受けとめることは、なかなか難しい作業です。カウンセリングでは、常識とか社会的な望ましさをいったん横に置いて、対話を通して本当の自分を見つめたり、生きづらさの正体に気づいていくことをめざしています。
矛盾に満ちた社会の中で、健康すぎず、不健康すぎず、ほどよく機能していく人(good enough person)であることを、あなたと一緒に考えたいと思っています。
それでは、松井さんにバトンを渡しますね〜
原先生、こんばんは
一度足を運んださいインテーク
をして頂いた記憶があります。
調子がよくなったら大切な人
が傍にいて心理臨床と心理臨床研究
とかしたいななんて思いますが
無理なのかななんて…思ってたり
します。無理かな、これでも
臨床心理士志望だったからな。
原先生、追加です。
研究者になることより現場
一線で働く臨床心理士だなぁ。
偉くなるより大学院で沢山勉強して
、もう無理なのかな。
原さん、こんばんは。
たった一回カウンセリングが抜けただけなのに、かなり調子を崩しました。わたしにとってのカワクリの大きさを再認識しています。自己決定ができるように、自分軸を作るために、カウンセリングを受けていますが、閃きだけで行動してしまうところはなかなかセーブが難しいです。カウンセリングがなくても生きていけるのが最終目標なのかもしれませんが、まだまだ先は長そうです。イメージや比喩で伝えるのではなく、ちゃんと言語化して言葉でコミュニケーションが出来るニンゲンになっていきたいです。次のカウンセリングまでもう少し大人しくしてます。