27/Ⅸ.(水)2023 くもり 貴乃花、初恋の人と再婚。
今日は夢の話。
見たことのある川。地元の人はそこにかかった橋を上手に渡るのだろうが、ちょっと危ない。「急がば回れ」ではないが迂回する道もある。僕は器用にピョンピョンと橋を渡る。渡り切ったあたりで後ろを振り向くと幼い少女が橋を渡ろうとしてるが見るからに危なっかしい。僕は橋を反対方向から戻って少女に「危ないからあっちから行きな」と指をさし、ついでだから一緒に迂回路を歩く。少女は紅いおべべを着てて、髪の毛は文金高島田。(随分、古臭いファッションの子だな)と心で思ったが口にはしない。少女はなんか僕に話しかけてどうやら僕のことを知ってるらしい。僕が(何故、知ってるんだ?)と不思議に思ってると、「兄から聞いてませんか?」と言われて、ちょっと考えて僕は慌てて飛び起きた。そんな夢をみました。
実は、その二日前、僕の大学の後輩の友人だと名乗る男に川のそばで話しかけられる夢をみた。さっきの川が見覚えあるのはこの川だったからだ。僕は「ごめん。君のこと知らないよ」と言うと、彼は「そうでしょう。川原さんは精神科のお医者さんですよね。頼みがあって妹をみて欲しいのです」。僕は、いいよクリニックに予約の電話をして、と答えた夢。
ひやっとした。その時の妹というのが少女だったのだ。
夢が現実と同時進行してパラレルワールドになってシリーズ化してる。ま、いいか。時々あることだし。「現実」が1枚の葉っぱだとしたら、「夢」は無意識の産物でもう1枚の別の葉っぱ。同じ「僕」という樹の幹で繋がってるから何も恐れる必要はない。そう思ってた。月曜までは。
月曜日。これは本当の話。夕方5時ごろ小学生の下校時間みたいだ。最近は防犯意識か集団で下校したり、迎えにきてる自転車のお母さんもいる。月曜は休診日だから僕は近所を散歩中。向こうから一人の少女が紅いランドセルを背負って歩いてくる。あれ?なんでこの子は一人なんだろう。そう思ってすれ違いざまに顔をみて驚いた。夢でみた紅いおべべの子と同じ顔をしてる。僕がちょっとビックリしてる姿は傍からみたら不審者だと思われるかもしれない。それなのにその少女は僕の顔をじっとみて「こんにちは」と挨拶してすれ違って行った。見ず知らずの人に挨拶するか??僕は「夢の世界」が「現実」に侵入して来たような妄想に恐怖した。一体なんだったんだろう?来週の月曜日も同じ時間に同じルートを歩いてみるか?いや、やめておくべきか。最近、「お札」をなくしたり、ロザリオがちぎれたりしてるから、君子危うきに近寄らず、か。
橋の少女のお話でした。橋といえば、笹公人の短歌にこんなものがありました。
・処女にしか渡れぬ橋がありましてC組の女子だれも渡れず
・童貞しか渡れぬ橋もありましてC組の男子つぎつぎ渡る
笹公人が妄想で書いた短歌です。「念力図鑑」に載ってます。面白いですよ。
橋というと、私には思い出があります。
父の実家のあった、東京の芝園橋です。
実家の2階へ上がると、東京タワーが見えて、目の前の道には東京都電が走っている。実家へ行くと、都電を見るのが楽しみで、あまりに窓を開けて、長い時間見ているので、らん干から落ちたら大変だ、とのことで、実家のおばあちゃんが、3つに分かれた部屋の擦りガラスの窓の一番下のところだけ、透明のガラスに変えてくれました。
時々、父のお父さんである、おじいちゃんと近くの芝公園へ行きましたが、そのためには、芝園橋を通らなければならない。
ところが、橋の下にある川が、公害汚染のせいで水がどす黒く、光が当たって、うようよと、不気味なうねりをあげている。
それを見るのが、子供心に恐くて恐くて、すぐ近くなのに、おじいちゃんに頼んで、バスで芝公園に行っていました。
芝公園では、鳩のエサを買い、沢山いる鳩にエサをばらまき、ただそれを見て、再び木製の父の実家へ帰る。そんな感じでした。
そんなわけで、私の原風景は、東京タワーです。あとになって、実家にいた人たち全員が亡くなったので、家を壊しましたが、偶然、私は、実家の近くにある済生会中央病院に通っていたので、たまにバラックになった半分壊された実家を、帰りに見に行きました。地下鉄の芝園橋駅から、済生会へ行く道の途中に、実家があったのです。
今は、跡形もありません。
同時に済生会も行かなくなりましたが、「もう行くのをやめよう」と決めたその日に、長年親しんだ病院のグリルが閉鎖されていました。象徴的でしたね。
今となっては思い出ですが、原風景を持てた分、マシだったかな・・・・・という感じです。
ぴぴさん、良い話ですね。
橋といえば、北山修作詞で浅川マキ歌唱の「赤い橋」という歌が子供心に不思議な歌だなぁと思ったものです。ただそれだけですが。
https://www.youtube.com/watch?v=VAGdabanY5c
川原先生、こんばんは
今年の手帳を読み返していたら、幸せだった時間とこの世の終わりのような時間が残っていました。
最近は、経済的にも自立をしなくてはと資格の勉強に明け暮れていますが、一人で死んでいくのかと考えてしまい空虚な気持ちになります。
孤独を受け入れることが出来ません。
大切な人から愛されて死にたかったなと思いました。
それと、矛盾していますが男性不審になって男性嫌いになってきているのかも知れません。
この前、友達の子供で、3歳の男の子に身体を触られて、とても不快な気持ちになりました。
あと、職場で身体を気安く触ってくる女性にもストレスを感じます。
一人が怖くて、男性を美化してしまうようになり、その結果、身体目当てにされているなと思うことが多々あり、そのせいかと思います。
昔は子供が無条件で可愛いと思ったりしましたが、今は、友達の子供(女の子)しか可愛いと思えなくなりました。
それも、不幸な子の方が可愛いです。
自分と重ねているのかも知れません。
子供の頃に亡くなった母親が憎いです。
妊娠中は、病的に頭のおかしい父親が優しくなるからと私を作ったそうです。
無責任に、元々病弱な体質なのに末期癌で治療が出来なくなるまで病院に行くことを拒んでいました。
今なら意図的な自殺だったんだなと理解出来ます。
一番嫌いな人間です。
血縁関係のある人で味方が誰もいません。
最近、薬を飲まなくても眠れますが
生きるのが辛いです。
なんとか希望を捨てないようにと思っていますが、疲れてきました。
なつみかんさん、こんばんは。
僕の記憶では、なつみかんさんはよく頑張った1年だと思います。大事なのはプロセスでありリザルツではないですが、せっかくだから結果がついてくるといいですね。
希望を捨てないように思ってるあなたに、今書き上げた記事を見て欲しいです。