30/Ⅷ.(木)2012 晴れ
ハワイ旅行に行くにあたって、何か書きかけのノートでもないかと漁っていたら、古い日記を見つけた。
ノートの始め2頁くらいしか使っていない。あとは、まっさら。丁度いい、これをワイハに持っていこう。
行きの飛行機でそのノートブックに目を通してみる。昔、どんなことを書いていたか気になったから。
そこには、どうやら友人の主催した合コンが舞台で、そこで知り合った女子とのやりとりが記載されていた。
よほどインパクトがあったんだろうな、読んでて思い出したもの、その子のこと、<いたなぁ~>、って。
その子との第一次接近遭遇の模様は以下のようである。
女「あなたは人を外見で判断すると思ってる」
僕 <そんなことない。僕は決してそんなことはないよ。人からもそんな風に言われたことはない>
女「そうじゃなくて。
人がみんな外見で判断すると思ってるでしょう?。でも、そんなことはないわ。ダイジョーブよ」
僕 <(何のこっちゃ?)>
女「コンプレックス!」
こいつはよほど俺がモテないと思ってるのだろうか?。
と、日記には記されていて、この会話の後も、彼女はフェミニズムみたいなことを延々と喋っていて、
僕はその場で、「レモンちゃん」というあだ名をつけている。由来は落合恵子、『くれよんハウス』の。
落合信子じゃないからね、念のため、信子は落合博満夫人。
僕は、その後、それでも数年はレモンちゃんとたまに長電話などをしたりする仲だった。
僕の国家試験のための勉強が本格的になり、レモンちゃんも社会人になり、お互い忙しくなって、連絡が途切れた。
今、こうして思い返してみるとレモンちゃんって、ちょっと痛い子だったな。
でも、不思議と気が合ったんだよな。
あっ、別に不思議じゃないか。レモンちゃん、元気かな?。
ちなみに日記の日付は、’88.4.22(F)となってる。24年前のノートを再利用なんてすごいな。
BGM. ザ・スパイダース「ノーノーボーイ」
はじめまして。
レモンちゃんの顛末はナンシー関のエッセイで読んだことがあります。ブックオフでみつけた「クレヨンハウス物語」は買っておくべきだったなぁ。ところで、クレヨンハウスの最上階は今でもフェミニズム関係のミニコミがたくさん置いてあるんでしょうかねぇ。
quaquaquaさん
なんかマニアックなコメントありがとうございます。
どれだけの人に意味が伝わるでしょうね?。それも面白い。
ちなみに僕は、ナンシー関さんとは同学年にあたります。
先生、お帰りなさい。充実した旅行だったようですね。
夏の終わりに、こういう甘酸っぱいエピソードを聞くと
ちょっと切ない気持ちになります。
ひょっとすると、この日記帳は24年後に開けるタイムカプセル
のようにそっと待っていたのかもしれませんね。
やられメカさん
上手いことを言いますね。確かに、タイムカプセルみたいです。
レモンちゃん、ギリ知ってる。懐かしいですね。
24年前のレモンちゃん、なかなか魅力的じゃないですか。
そういう人の方がおもしろいかも。で、ワイハでは、そのノートにはなんか書いたんですか?
花の香りさん
ノートには、態度の悪い店員の悪口とかを書きました。
1988年て、まだ先生結婚されてなかったのですね。
私は、この年の秋に結婚したのでよく覚えています。
昭和の最後の年ですよね。
レモンちゃん。正直落合恵子のラジオは、あまり聞いたことないんですけど。
人気ありましたよね。
きっと先生が、「レモンちゃん」とネーミングするぐらいだから、彼女は、痛い子じゃなくてチャーミングな子だったんじゃないかと思います。
嫌な子とは、長電話なんてしないと思いますよ。
確かに先生と波長が合った女の子だったんでしょうね。
あんころもちさん
当時は、メールも携帯もない時代ですから、電話って大変でしたね。
タイミングを読まないといけないし、声が似てるから本人だと思ってお母さんと話しちゃったりして。
確かに電話で1時間位話すと、右手がしびれたりしましたね。
私は、疲れて受話器を持ちながら眠ってしまったことが、何回もありました。
今の若い人達は、タイミングも読むことなく、お友達と連絡できますよね。
それがいいのか私にはわからないです。