10/Ⅴ.(金)2024 はれ 大岡山のパン屋でパンを買いスタッフに配るも自分の分、買うの忘れた。
まずは、「純愛」の「定義」から決めないとね。僕の「純愛」の必要条件は「心中の覚悟」、「引き合う孤独の力」、「ひとつになれない一人」が「ひとつになるためのセックス」あたりです。場当たり的に言ってみました。
純愛は語るより、映画で鑑賞しましょう。川原が選ぶ「純愛映画トップ3」。
まずは、羊たちの沈黙、です。これはサイコホラーやプロファイリングのイメージを持つ人もいるでしょう。しかし、FBIの訓練生のジョディ・フォスターと狂った人食い天才精神科医のレクター博士を軸でみると、なんとも優しい純愛物語なのです。
ジョディ・フォスターは「毎晩、羊の悲鳴の悪夢」に悩まされる訓練生。特別に連続誘拐猟奇殺人犯の捜査に帯同される。彼女の仕事はレクター博士に色仕掛けで近づいて少しでも有益な情報を入手すること。ただし、レクターは狂人で凶暴だから絶対に直接体を触れてはいけない。握手でも指切りでも、肌が触れただけで、ものすごい勢いで食われてしまうから。こんなトリセツをもらって会いに行くのは恐ろしいですね。それが二人の出会いです。レクターは一筋縄では行きません。ジョディ・フォスターが質問をしても、交換条件を出し、「一問一答」を交互にすることに。あっという間に、ジョディ・フォスターはレクター博士に「田舎の出身で両親に捨てられ引き取られた親戚の家が羊牧場で毎晩、一匹子羊が屠殺される。少女はその鳴き声で眠れず、ある日、その家を脱走。1匹だけ子羊を抱えて逃げようとするもあまりに重くて、途中であきらめてしまう。それから今でも毎晩(羊の鳴き声の夢)で真夜中に目が覚める」。レクターはその告白に「ありがとう」と礼を言い、犯人逮捕のヒントを教える。思ったより訓練生が使えることに驚いた上層部は、訓練生にレクターにウソをつかせ情報を引き出そうとするが、それはレクターにはバレバレ。ウソをつかれて信頼感がなくなったと思われたがなんとかかんとか関係性が回復したが、ここで上層部は二人の関係を断つ。その別れ際、レクターが差し出すメモにジョディ・フォスターが手を伸ばし、二人の手と手が触れる。ゆっくりと撫でるようにレクターの指が動く。しかし、これは愛情表現。レクターはジョディ・フォスターを食べたりしなかった。鉄格子を挟んだ二人の間に生まれた感情は「純愛」だと思う。
「羊たちの沈黙」には「ハンニバル」という続篇がある。これは小説2冊分で映画化もされている。原作では、二人がデートして、レクターをはめようとした精神科医をとっつかまえて、頭をくりぬいて脳みそを食べるシーンがある。
そして二人はセックスもするが、僕はこんなに「精神」と「肉欲」の乖離が少ないセックスも珍しいと純愛の候補にあげたい。ところが原作を読んだジョディ・フォスターはこれに反応し「脳を食べる」か「セックス」かは不明、多分両方だと思う、「ハンニバル」への出演を拒否した。僕は「こんなに愛してるのに肉体関係を拒否された男」の気分になり、「青春の手前で裏切りはないぜ(byマッチ)」と、それ以来、ジョディ・フォスターの出る映画はみないことにしている。それより、重要なのは原作「ハンニバル」では、「何故、レクターが人食いになったのか」の原因に触れている。それは子供の頃、戦争があってレクターには「ミーシャ」という可愛い妹がいたのだが、敵の兵士に誘拐され行方不明。やっと探し当てたレクターが驚愕したのはミーシャの死体。敵兵に食われた残骸だったのだ。この部分が映画ではすっぽり抜けていたから、続篇の映画はお勧めしません。
川原の選ぶ「純愛映画」その2は、北野武の「ドールズ」です。主人公の男が菅野美穂との間に赤ちゃんが出来て結婚するつもりだったが、この男は良いとこのボンボンで政略結婚しないといけないからお金を積んで菅野美穂に別れてもらいます。わざわざ菅野美穂の家まで父親が行って土下座までして大金を渡します。それで向こうの親も目がくらんじゃって、菅野美穂は中絶しますが気が狂ってもうこっちの世界に戻って来れません。でもそこで偉いのは男の主人公で親から勘当されても菅野美穂と添い遂げます。しかし、菅野美穂は気が狂ってますからどこへ行くか分からないし、自分がいないと不安になります。だから二人はお互いの腰にヒモを結んで仕事もなく乞食として放浪するのです。たけしが浅草時代によくみた「繋がり乞食」がモチーフだそうです。
北野映画は「キタノ・ブルー」と言われるように青い映画が多いですが、この映画は四季を表わすためにカラフルです。二人はつながったまま日本中を春夏秋冬さまよい続けます。時には3人組の暴漢に襲われ、菅野美穂が輪姦されます。男は腰ヒモで繋がったまま何も手出し出来ずに目の前で愛する女が陵辱される様を傍観するしか術がないのです。悲しいですね。この映画にはサイドストリーとして、昼に公園のベンチで会い次第にお弁当を一緒に食べるようになるヤクザと団地妻の逢引き、とか深田恭子扮するアイドルが顔にケガをして引退を余儀なくされるから深キョンの写真集を十分に目に焼き付けてから自らの目をついて失明する熱狂的ファンが色んな人の助けで深キョンに会いに行け、手をひいてもらいながら散歩を出来ます。幸せでしょうね。このような常軌を逸した純愛が織りなす物語を人形浄瑠璃が先導して行きます。しかし、「常軌を逸した純愛」と書きましたが、純愛自体が常軌を逸しているから、言葉の成り立ちとしては、「馬上の上」とか「頭痛が痛い」みたいなものですね。
川原が選ぶ純愛映画3選のラストは、「ドリームチャイルド」です。ルイスキャロルの生誕100年祭がアメリカで行われるから特別ゲストとして英国からお婆ちゃんになったアリス・リデルが招待されるのです。現実に起きる世界線と、アリスの記憶の世界線がパラレルワールドのように並行して行きます。映画の冒頭は、有名な「ウミガメもどき」と「グリフォン」がアリスと浜辺で話す場面です。ウミガメもどきは、ウミガメもどきスープから作ったルイスキャロルのオリジナルキャラで想像上の動物だから、お相手はやはり想像上の動物のグリフォン(アリスたちにはなじみがある)を共演させ、ウミガメもどきは「想像上」の「悲しい話」を語り続けます。
老アリスは、幼い頃、ルイスキャロルが自分によくしてくれたのは「ロリコン」だからだと後で知ります。キャロルとアリス一家がボート遊びをする黄金の午後では、アリスをみつめるキャロルに川の水をぶっかけます。それが老アリスの回想、もしくは心的現実。
でも、まぁ色んなことがありまして、おつきの少女の影響とかもあって、老アリスは、昔の記憶を整理して行き、ルイスキャロルはロリコンだからではなく、純粋に自分を大事に愛してくれていて、誕生日に素敵な世界に1冊の童話をプレゼントしてくれて、それがのちの「不思議の国のアリス」になるという素敵な黄金の午後を思い出します。過去は変えられないという人がいますが、過去の思い出はきちんと整理すれば修正できるというお手本です。思い出の中のアリスは、キャロルをハグします。感動的な場面ですね。
こうして映画のラストは冒頭のウミガメもどきたちの浜辺に。老アリスが「何がそんなに悲しいの?」と聞きます。
すると、老アリスが、少女アリスにタイムスリップしたかのようにかわり、ウミガメもどきに「(悲しいのは)全部、僕の妄想だったよ」と言わせ、3人で大笑い。老アリスが(ウミガメもどき)だったのですね。
どうですか?心が洗われるような話じゃないですか?
以上、3つが僕のおすすめする純愛映画ベスト3です。こんな打算的で殺伐として夢のない窮屈な世の中だからこそ、こんな企画をしてみました。
前に務めてた女の子にこれと同じ純愛映画を紹介したことがあります。その子の反応は「う~ん」と渋くて、少し考えて、「センセーのは、キュン要素が不足している気がする」と指摘されました。なんだ?キュンって??皆さんのおすすめ純愛映画は何ですか?
BGM. American Graffitti Smoke gets in your eyes
※「心のゴミ箱」は新しく作るのはやめることにしました。「書き込みのために、わざわざ‘ゴミ箱´を探すのが大変」という声が多いからです。その代わり、これからは、普段の記事を「ゴミ箱」にしてOKです。たとえば、①次の診察に言いたいけど忘れちゃいそうなことの備忘録として、②文字通り今日あった愚痴、③逆に今日あった良いことの報告、④センセーにお知らせしたい耳寄りな情報、⑤昔の知り合いだけど最近は会うことないけど近況報告。人に知られたくなかったら「非公開」を希望してくれれば内容は僕が読んだ後に削除します。備忘録の場合は、「知られたくないけど、消されたら意味がない」ということもあるので、キーワード(単語)だけチョイスしてくれればそれだけ残します。それだったら他の人にはわからず、診察には活かせるというやり方になるかもしれません。どうぞ試してみて下さい。⑥勿論この記事へのコメントだったら大歓迎ですよ〜