キース・ムーン☽

14/Ⅵ.(月)2010 雨がしとしと
「鳥」からキース・ムーンの生涯を映画化するという噂を聞いた。
キース・ムーンはザ・フーのドラマーで「奇人」「壊し屋」としても有名。
あるパーティーの会場でキース・ムーンの姿を見かけたミック・ジャガーは、
慌てて逃げ帰ったという話が有名である。
「けいおん!!」の3話目くらいで、ドラムの田井中律がスランプに陥った。
理由は、ドラムはスポットライトが当たらない目立たない存在であるからだった。
楽器を代えようかと、ギターやキーボードにも挑戦した。
しかし、律ちゃんは中学時分に好きだったザ・フーのビデオを夜通し観て、自分にはドラムしかない、
キース・ムーンに憧れてドラムを始めたのだ、という初心を思い出し立ち直るという、ちょっといい話だった。
でも、律ちゃん、キース・ムーン好きだったんだぁ。
田井中律はもう高3である。
律ちゃんの一個下の学年にあたる「鳥」は、動画サイトでディズニーの「ピーターパン」を観ていたら、
キース・ムーンに似ているな、と思って興味を持ち色々調べたという。
16歳は勉強盛りだ。彼から聞いた逸話で面白いものを紹介しよう。
題して『~キース・ムーン 奇才ドラマー~』。
①自宅からわずか500m先のパブに行くのにもヘリを飛ばしていった。
②ホテルのロビーに車ごと突っ込んでフロントに一言「キーをくれ」。
③オランダのユダヤ人街でロンメル将軍のコスプレをする為にナチスの制服を着て闊歩し、殺されかけた。
④スティーブ・マックイーンは、隣に住んでいたキース・ムーンが夜中にジャンプ台を使ってモトクロスで爆撃してくるので、塀を高く作り直した。すると何故かキースは自分の家側の塀をそれよりも高く作り直した。
⑤オノ・ヨーコのスカートをまくりあげた。
⑥自宅のプールにロールスロイスを沈める。
⑦自宅の門を入るとすぐプールになっていて、知らずに車で入ってきた友人はそのまま水没した。
⑧奇抜な格好でレストランに入ろうとして追い出されると、その店を買い取って自分を追い出した店員をクビにした。
⑨「自分が死んだ」と嘘の電話をメンバーや仲間にメイドを使って電話をかけさせ、あわてて駆けつけた知人が来ると死んだふりをした。実際、本当に死んでしまった時、ザ・フーのメンバーはキース・ムーンの親まで葬式に来てるのを見て「マジなのか?いや棺桶を突き破って出てくるに違いない」と思っていたそうだ。
キース・ムーンは、
1978年、ポール・マッカートニーのパーティーでいつものように羽目を外し、
オーバードラッグ&大酒を呑み、翌朝自宅のベッドで冷たくなっているのを婚約者に発見された。
享年、32歳だった。
BGM. 河合奈保子「ムーンライト・キッス」


ヰタ・セクスアリス

13/Ⅵ.(日)2010 はれ
山口百恵の『百恵白書』というLPに「いた・せくすありす」という曲がある。 
『百恵白書』は、全曲宇崎竜童作曲・阿木耀子作詞の当時のアイドルのLPとしては異例の、
シングルカット曲なし、というトータル・アルバムだった。トータル・アルバムなんて言い方も古いが、
要は一つのコンセプトを持った作品集という意味だ。
フィル・スペクターの「クリスマス・アルバム」や、
ビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」、
ビートルズの「サージェント・ペパーズ」などが代表と言えば理解るだろうか。 
当時の歌謡界はシングル・レコードに重きを置いていて、
特にアイドルのLPなんてシングルが溜まったらベスト・アルバムみたいにして出すか、
洋楽や人の歌を歌う(カバーなどという概念はない)手抜き感が満載だった。
ポール・モーリアの曲に適当な歌詞をつけて歌っている人もいた。天地真理だ。持ってる。
話を戻す。
日本の歌謡曲でトータル・アルバムと言ったら、
フォークルの「紀元弐阡年」とタイガースの「ヒューマン・ルネッサンス」くらいではないか。
フォークルは歌謡曲じゃないか。そんな中、『百恵白書』は突然変異みたいにポンと世に出た。
帯には、
「このアルバムは私の分身、この中に18歳の、そう制服をぬいだわたしのすべてが入っています」と書いてあったが、
その煽情的な文句でさえが生ぬるく感じた、その内容は赤裸々で中学生だった僕には衝撃的だった。
まさに‘赤い衝撃’だ。
僕は薄幸そうな百恵のファンで、かねてから百恵が「私」という言葉を「アタシ」と発言するのがアバズレみたいで好きだったが、
『百恵白書』は何もそこまでお話していただかなくてもけっこうなのでございますが…、という「重さ」があった。
山口百恵は、まだ中3トリオの一番地味な子、っていう括りからやっと抜けたかどうかが僕のイメージだった。
ここから山口百恵は大きく軌道を修正して‘神話’や‘伝説’というおかしな方向に進むのだが、
『百恵白書』はその第一歩みたいなもので、僕は悪い予感がしたんだ。
このアルバムの中には、ファイナル・コンサートの異様なクライマックスで迎えるラストの
「さよならの向こう側」の前に歌われた「歌い継がれてゆく歌のように」が収録されていて、
この曲も名曲なのは判るが、初めて聴いた時、何か得体のしれない不安が脳裏をよぎったんだよなぁ。
山口百恵、守護霊、入れ替わったか?と少しマジで思ったりした、友達には言わなかったけど。
中でも一番、食あたりしたのは「いた・せくすありす」という、A面の3曲目の歌だ。
やっと、書き出しと繋がった。
タイトルは森鴎外の性欲史みたいな小説をモジったことからもわかるよに、
百恵の性的なことに関する告白みたいなものが録音されていた。 
あの下品な鶴光のオールナイト・ニッポンよりも、聴いてるところを母親に聞かれたくなかった。
後にも先にもない。畑中葉子の「後から前から」の方がまだマシだ。何を言ってるんだ?
今、あらためて歌詞を見ると別に大したことは書いてないのである。
その後の百恵を知っているから驚愕しないのか、感性が鈍ったか、これを成長と言うのか、
これを老いというのか。
しかし、あらためて聴く勇気はない。
BGM. 西城秀樹「勇気があれば」


サティスファクション

8/Ⅵ.(火)2010 くもり
古いビデオの整理をしていたら、ストーンズのハイド・パーク・コンサートが出てきた。
コントキのミック・ジャガーはカッコE 。
髪型といい、白いパンツといい、ドレスみたいなシャツといい。
サティスファクションの映像はとくにカッコE 。
途中あぐらをかいたりする。
「二人でお酒を」の梓みちよ、以前である。
ハイド・パークは、ブライアン・ジョーンズの追悼コンサートだ。
ブライアンはストーンズのリーダーでR&B色の濃い人だったが、
ミックとキースが台頭しオリジナル色が強くなって、主導権とアイデンティティイを奪われ、
酒とドラッグに溺れて、プールで溺れて死んだ。
中学時分、そういうのに詳しい友人は「ミックとキースがイジメて死に追いやった」と吹聴した。
その追悼コンサートのオープニング、何万羽の白い蝶がステージから飛び立った。
「その一羽づつを丁寧に踏み潰して、ミックが歌った」そんな映像の記憶があるが、
今、ビデオを観返すと決してそんなことはしていない。
普通に歌っている。
先入観とは怖ろしいものだ。
実際は、猛暑のために飛び立つ前に大部分が死んだらしいが。
「サティスファクション」に関するミック・ジャガーのインタビューはカッコよかった。
以下のごとく。
<詞には満足してますか?> 「性的に?思想的に?」
<両方です> 「性的には満足さ」
<思想と金銭上は?> 「金銭的には不満さ。思想的には努力中さ」
中学生の僕らが、「努力」というコトバをカッコE と思った貴重な瞬間だ。
BGM. 遠藤賢司「満足できるかな」


ジューンにやられないように

7/Ⅵ.(月)2010 はれ
ジューンも7日目。
ジューンは降雨や気圧を操って僕らに襲いかかってくる。
去年はA.がやられた。
スタミナのつく物を食べるように心掛けよう。
昨日は馬刺しとレバ刺しとテール・スープ、今夜はホルモンを食した。
今日は校医のあと、中野へ。
ブロードウェイの地下でソフトクリーム4色を食べ、
タコシェという本屋でマンガを買う。著者のサイン入り。
その後、フジヤというアニメ専門の中古CD&DVD販売店で
「地獄少女 二龍」の全巻セット、全箱購入者特典・『憂鬱えほん 地獄少女』付き、を購入。
良い買い物が出来た。
BGM. じゅんとネネ「愛するってこわい」


情熱大陸600回記念・爆笑問題

6/Ⅵ.(日)2010 はれ
6月6日はロールケーキの日だそうだ。
6・6を横から見るとロールケーキに見えるからだそうだ。
「ポケモン・サンデー」でショコタンがそう言ってた。
ブルーレイに録り貯めた番組を観る。
「情熱大陸600回記念」は2回に渡り爆笑問題にスポットを当てた。
爆笑問題は1988年結成。
1998年4月「情熱大陸」第4回に爆笑問題は出演している。人気が出始めた頃だ。
太田光は天才・鬼才と世間をにぎわしていた。
田中祐二は飄々とその傍らに寄り添う「普通の男」。
デビュー間もない頃、ある大物芸人から2人はこんな言葉を贈られた。
「お前ら天下、取っちゃえよ。田中は切るなよ」。
立川談志だった。
太田の値打ちを発揮するために、田中を切るな、とそう言ったのだ。
友人の伊集院光は田中を
「超普通です。もはや異常の域の普通」と評して、田中の普通さを
「何でも切れる刀を入れとくサヤってすごいな」と最大限の賛辞で表現した。
田中あっての爆笑問題だという声である。
そういえば、昔、コント55号にも似たような議論があったな。
二郎さんは欽ちゃん以外ともコンビを組めるが、欽ちゃんの良さは二郎さんにしか出せないと、
坂上二郎が評価されていた。
番組に話を戻す。
売れない頃、田中はコンビニのバイトに励んだ。
太田は読書とゲームに耽った。
田中は売れ残りの弁当を太田に差し入れていた。
<太田に働けよと思わなかった?>というインタビューに田中は
「それは思わないんですね。働けるワケがない!、とオレが思ってましたからね。
毎日、時間どおりに行くとか普通の仕事ってできないですからね。
興味のあることしか、ちゃんとできないんですよ、太田は。
僕は出来ますよ。
たとえば明日から生花店で働きなさいと言われたら、そこで一生懸命やる自信があります。
僕、そういうの出来るんです。太田は絶対!できない」。
才気走った小学生、
10歳「殺人事件」11歳「刑事と泥棒」、作・演出・主演、こんな題目の劇を学芸会で発表した太田は、
高校に上がると一転して友達も出来ず、言葉を交わす相手さえなく3年間1人自分の殻に閉じこもった。
インタビューに答え太田は
「それはもうホント、絶望してましたよ。ホントに何にも感動できなくなってしまった。
色も失われているような感じで、最終的にはね、飯がまずかった。
で、そん時はもういい、オレ、生きててもしょうがないと思ってた」と述懐する。
その頃、太田の孤独を癒したのは1人の喜劇人だった。
チャールズ・チャップリン。
哀しみの中にも怒りの中にも笑いがある。
笑いながら全てをくるんで表現することを彼が教えてくれた。
それが一筋の光となり、道も決まった。
17歳の太田が書いた詩が紹介される。
「笑わすために努力をつんだ芸こそ その研究されつくした滑稽な体の動きこそ感動的なのだ」。
爆笑問題の漫才は一切、アドリブなし。
番組は
「相方の一言半句にまでこだわり指示する太田の才能も、
それを受け容れる大きな器がなければ無駄にこぼれて人の目には届かなかったこましれない」
と語り、田中祐二のネタ帳を映し出す。
静止画像にして見てみると、
「そんなワケねーだろ」を消して「無理にきまってんだろ」に、
「そこまでいくとね、ヤワラちゃんが強いっていうより、」を消して「そこまでいくと、まわりが弱いんじゃないか、」に、
「確かにね」を消して「そうそう」に。
素人の僕には違いがワカラナイ。
番組の最後に2人に広辞苑を渡し『情熱』から連想するコトバを選ばせる。
田中祐二は「松岡修造しか思い浮かばない」と笑いながら『走る』を選ぶ。
太田光は迷わなかった。
1つの言葉にまっしぐら。
『爆笑』を選んだ。大勢が大声でドッと笑う、爆笑の渦につつみこまれる。
太田は「爆発させたいんだよ、木端微塵に」と言った。
余談だが、ショコタンの新しい猫の名前は田中が命名したらしい。
ショコタンがコンサートのMCで発表していた。
名前は「ねぎ」。理由はよくわからない、と。さすものしょこたんも苦笑するしかなかった。
爆笑問題&中川翔子、豆情報でした。
BGM. チャック・ベリー「ロックン・ロール・ミュージック」


ちょっとピンぼけ

5/Ⅵ.(土)2010 はれのち曇り
若い友人に借りた西島大介著「ディエンビエンフー」というマンガを読む。
ベトナム戦争が舞台だ。
お返しに、ロバート・キャパの「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」の写真を見せてあげて、
あとは高橋留美子の「めぞん一刻」を全巻貸す約束。
ベトナム戦争と聞くと、ウルトラセブンを思い出す。
ウルトラセブン(S42年10月~43年9月)の第42話『ノンマルトの使者』は、
「もし人類が侵略者だったら?」という常識を根底から覆す内容のドラマである。
海底開発センターの船上基地シーホース号が大爆発を起こして沈没。
その事件を予告した真市少年は、「海底を侵略すればノンマルトが黙っていない。
地球はノンマルトのものであり、人間はノンマルトを海底に追いやった侵略者だ」という。
ノンマルトは怪獣ガイロスを操って攻撃を開始してきた。
ウルトラセブンは宇宙の平和のために戦っているが、それはうぬぼれに過ぎないのか?
第42話『ノンマルトの使者』において、
一つの星の主導権を握る人間ともう一つの種族・ノンマルトの戦いに巻き込まれたウルトラセブンは、
第三者としての無力を思い知らされたのだった。
写真はこの番組放映直後のもの。
幼稚園児だった僕は、悩めるウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、目を合わせられなかった。
折りしもベトナム戦争、真っ只中の時勢である。
円谷プロの大人たちは、
ウルトラセブンを通じて我々子供たちに真剣に何かを問いかけ、我々子供たちも正面からそれを受け止めた。
テレビに栄光と誇りがあった時代である。


BGM. 岡林信康「アメリカちゃん」
ちなみに題目の『ちょっとピンぼけ』とは、
写真の解像度のことではなく、ロバート・キャパの自伝のタイトルである。
ロバート・キャパ、1913年ブタペスト生まれ。
ユダヤ人。本名、エンドレ・フリードマン。
ナチスの手からのがれるように祖国を捨て各国をさまよった後、
‘ロバート・キャパ’というアメリカ人風の不思議な偽名を得て歴史に名を残す写真家となった。
報道写真の古典と言われた「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」をはじめ、多くの写真を残したが、
1954年5月、ベトナム・ハノイ南の戦場で地雷に触れて死亡。


ギャップ萌え

3/Ⅵ.(木)2010 快晴
木々高太郎の
~「木々」はペンネームで本名の「林」を分解して作ったようだ~
「わが女学生時代の罪」という探偵小説を読む。
若い女主人公が、
女学生時代のレズビアニスムの体験によって処女でありながら妊娠してしまったという話である。
渋澤龍彦は
「パルテノジェネーズという言葉がある。
ギリシャ語でパルテノスは処女、ゲネシスは生殖を意味するから、処女生殖ということになる。
この言葉が私にとってすこぶる魅力的にひびくのは、おそらく互いが相反する性質を示す二つの概念を
強引に一つに結びつけたところの言葉だからにほかなるまい。
パルテノスはそもそも不毛でなければならないのに、豊饒であるべきゲネシスと強引に結合せしめられる。
そこでパルテノジェネーズは奇妙な効果を発揮する。
コインシデンティア・オッポジトルム、
すなわち『相反するものの一致』といってもよいかもしれない」と書いている。
「乞食の王」とか「輝ける闇」とかいう言葉もいくらか似ているという。
悠久たる「ギャップ萌え」の歴史を感じる。

画像は中野ブロードウェイ4階で見つけたツンデレガチャポン。
面白かったので写メに撮っておいた。
「誰がツンデレよ!あんたが嫌いなだけよ!」。
まさかこんなところで披露できるとは思わなんだ。
BGM. ザ・クールス「シンデレラ」


少女地獄

1/Ⅵ.(火)2010  今日から6月だけど五月晴れ
書庫の整理をしていたら、永島慎二の「その場しのぎの犯罪」という漫画を見つけた。懐かしい。
そういえば僕は昔しばしば、その場しのぎの嘘をついた。どうでもいい嘘。切羽詰った訳でもない。
その気になればもっと計算できる頭脳があるのにすぐバレる嘘をつく。
大人は首をひねる。手を抜いているのか?
大人は途方に暮れる。嘘のための嘘?マニエリスム?
ある日、サングラスをかけて登校し服装違反でつかまる。
僕がついた嘘は「直射日光を浴びると目が変質する眼病を患っている」。
心配した教師は一言も叱らずに、有島武郎の「一房の葡萄」を気取ったのか、一冊の本をくれた。
タイトルは、夢野久作著「少女地獄」。
中身を読んでみる。
天才看護婦・姫草ユリ子は虚言壁があり、嘘を支えるためにまた嘘をつく。
そして自らついた嘘で地獄へ堕ちていく。
そんな話。
ちなみに「一房の葡萄」は「おいしかった」と書いてあったが、「少女地獄」は後味の悪さしか残らなかった。
話は変わるが、アニメに「地獄少女」というのがあったがあれは面白かった。
K-1MAXで長島☆自演乙☆雄一郎が、主人公・地獄少女こと閻魔あいのコスプレをしたのを一度見たことがある。
BGM. オフコース「君が、嘘を、ついた」


中川翔子のコンサートに行く。

23/Ⅴ.(日) 2010 豪雨
中川翔子「Prism Tour 2010」を観にパシフィコ横浜国立大ホールに行く。
今日はツアーのオーラス。
僕個人的にはコンサートは、去年の12月30日・横アリの「けいおん!ライブイベント~レッツ・ゴー」以来である。
観客は男女半々くらい、コスプレをしている客が圧倒的に多く、ざっと見渡してランカが70人、
アスカが60人、ハルヒが60人、ローソンの店員が約2名、猫耳が千人いた。
なんだか自分はこんな普通の格好で来てしまってマズかったのではないかと思った。
しかし、全然そんなことはなく、客も皆いい人達だった。人を見た目で判断してはイケナイ。
たとえヲタクでもコスプレでもアニオタでも貧乳でも。
ちなみにしょこたんがよく使う「バッカルコーン!」という一発ギャグみたいな奴、
あれは爆発する火の流れる魂、と書くらしい。
爆火流魂=バッカルコーン。
「Prism Tour 2010」に話を戻す。
しょこたんの解説によると今回のツアーは「No rain no rainbow」を旗印にやってきて、
それはハワイかどこかの言葉で、
雨が降らないと虹が出ない、という前向きな姿勢を表す意味だそうだ。
その甲斐あってか、
今回のツアーはたとえ天気予報で雨だと言われても全公演が「ハレ晴れユカイ」で来たという。
だが最後の最後で豪雨。
しょこたんMC
「さすが地球!一筋縄では行きませんね。でも地球よ宇宙よ、よく聞け!我々を誰だと思っている?
雨よ、お前の水分も我々の貪欲パワーできっと虹にしてみせる」
とアジって観客を扇動した。
コンサート前半はアニソン・カバー。
「魔女っ子メグちゃん」も歌われたのだが、「魔女っ子メグちゃん」の歌詞に
「二つの胸の~ふくらみは~何でも出来る~証拠なの!」
というフレーズがあるのだが、その「証拠なの!」が「翔子なの!」にも聞こえるから、
大変よろしいと思った。
後半はオリジナル曲中心。
僕が好きなのは「綺麗ア・ラ・モード」。
筒見京平の作曲なのでどこか懐かしいにおいがするのだ。
印象的だったのは、
「鋼の錬金術師」のエンディング・テーマでもある新曲「RAY OF LIGHT」のMC。
この歌はしょこたん初の単独作詞楽曲で、
今は亡き父親との葛藤をオーバーラップさせて作ったと言っていた。
彼女は父親が苦手で嫌いでどう付き合っていいかわからいままだったこと。
しかし一度も忘れたことはないこと。
今回のツアーでは父親が立ったこともあるCCレモン・ホールでもコンサートがやれて感慨深かったこと。
父親が死んだ日に出ていた虹は忘れないこと。
それは新聞記事になるほどの大きな虹だったということ。
そんなことが語られて、
今回のツアーのキーワードに「No rain no rainbow」を持ってきた背景が明かされた場面だ。
アンコールでしょこたんを呼び出す時は、
「空色デイズ」のサビの部分を観客が男女混声合唱しエールを送る。
再登場したしょこたんはステージ中央に土下座して感謝感激の体で
「ありがとう~みんな~、やった~!一夫多妻制~!一妻多夫制~!」
と絶叫して会場を笑わせた。
しかし、これも父親との和解という文脈で聞くとなかなか深い発言だ。考えすぎか?
しょこたんは、今日で「Prism Tour」が終わるのでさびしい、と何度も何度も言っていた。
最後は「また皆と会えるために、その架け橋に虹を作るために、
今日は雨にしてくれたんだね」と自分に言いきかせるように、
あるいは彼女にしか見えない誰かに語りかけるようにそう言って幕を閉じた。
全体を通して、パワフルで明るくて楽しくてカオスみたいなコンサートで面白かった。
おかげで元気をもらえた。行って良かったと思った。また行きたいと思った。
帰りの電車の中で、ジャニス・ジョップリンが
「ライブでは私は何千人とも寝るのよ。でも、部屋に帰ったらひとりで寝るのよ」
みたいなことを死ぬ直前のインタビューで答えてたのを、何故か思い出したりした。
BGM. 中川翔子「RAY OF LIGHT」


昔の名前で出ています

21/Ⅴ.(金)2010 はれ
昔のアイドルが今頃、TVに出てきて
「当時はキレイゴトでした~」とか「あの時、実は○×でした~」みたいな暴露話をする番組がある。
こういうのはやめて欲しい。面白がる人がいるから番組として成立するのだろうが、悪趣味である。

上の写真は、浅香唯の16歳のバースデー・イベントの投稿写真。
誕生日ケーキを吹き消す浅香唯の横にたまたま僕が写ってる。
左から3人目、スタッフの隣で折り畳んだ東スポを抱えている。
この記事は友人代表のF.が見つけ教えてくれたもの。
想い出はモノクローム、色をつけてくれ。

もう一枚は、その会に出たお礼に後日、浅香唯から送られて来たサイン入り生写真。
この数カ月後、浅香唯は「スケバン刑事Ⅲ」の主役・三代目麻宮サキに抜擢され大ブレイクを果たし、
僕は彼女を見失ってしまった。
昨今のアイドルはブログで熱愛を報告しても、人気が翳ることは少ない。
しかし、昔のアイドルは虚像を売ってファンと共有してたのだから、
そこは最後まで自覚と責任を持って欲しい。
数年前、
「あの人は今?」みたいなTVショウで往年のアイドルの天地真理が悪ノリして
汚れたキャラで登場したのを観たことがある。
観客もお茶の間も一斉に引いた。
司会の島田紳助が天地真理に「お願いだから死んで下さい」と頭を下げて笑いに転換させた。
多くの人が紳助に救われた。
思い出は美しいままがいい。
BGM. シルヴィー・ヴァルタン「アイドルを探せ」