がんばれ!!照ノ富士!!(仮題)

13/Ⅲ.(水)2019 はれ ダイナマイト・キッド追悼興行の全カード決定!

アニメ「からかい上手の高木さん」の二期が決定したのと、今、10巻を買うと、卓上日めくりカレンダーがついてくる、
何かと話題の高木さん。

コミックス「からかい上手の高木さん」5巻に「クリティカル」という回があって、これがちょっと面白い。

いつも高木さんにからかわれるクラスメートの西片は、その日の朝の情報番組の占いでは超ラッキー運。
それで、「今日こそは高木さんを逆に、からかい返してやる」と意気込んで登校中、高木さんに会う。
見透かされたように、「何かいいことあった?」。
<な、ないよ>。
「もしかして、今日のラッキー運、かに座とか」
<ちょ…ちょ…なんで知ってるの?>
「あと、O型も1位だったから?」と図星。

それでも、西片は占いを信じ下校時に、高木さんをからかってやろうと思う。

高木さんと、首尾よく二人で帰ることになったところ、級友に、「ゲームやろうよ」と誘われるが、断る。
頭は高木さんをからかう作戦のことでいっぱいだ。しかし、これがまた何も思い浮かばない。

二人で並んで歩く帰り道。高木さんが、「ゲーム、よかったの?」ときくと、西片は作戦で気もそぞろだから、
<あぁ、うん。高木さんと一緒に帰りたかったし>と答え、また考え事。
高木さんに、じーっとみられ、やっと我に返り、

<今、俺、変なこと言わなかった?>と自問自答。
あわてて、<占いなんだよ。占いで、クリティカルが出る、って言ってたから、今日こそ高木さんに勝てると思って…>
<だから、別にそういう意味じゃないから。…今のないことにして>と言うと、
高木さんはいつもの高木さんで、「しょうがないなぁ。もう1回言ったら聞かなかったことにしてあげる」。
西片<言うワケないだろ。じゃ、俺、こっちだから。バイバーイ>と走って逃げる。1人残る高木さんのアップ。

唇の真一文字がかすかにふるえ、ごくんと何かをのみこんだような描写。
曲がり角を曲がって、「ハーっ」と胸をおさえる高木さん。こんな高木さん、みたことない。
最後のコマで「クリティカルってこわいなぁ」とつぶやく高木さん。
からかい上手の高木さん、で語り継がれる名場面と言っていいだろう。そんなクリティカル。
どういう意味か、わかりますか?

我々がよく施行する、エゴグラム、という心理テストの尺度に、CP、というのがあって、それは、クリティカル・ペアレントの略で、
「批判的な親」という意味です。でも、それと、このマンガの、クリティカルのフィーリングは違いますよね?

それで僕はうちのスタッフや友人やその方面で有名な心理業界の人にもメールして、クリティカル、の意味を聞いてみました。
学術的な意見や、英単語の意味を解説してくれる答えがいっぱい来ました。

でも、僕が知りたいのは、そういうことではなくて、そういう英単語の意味とこのマンガを結びつける「カギ」です。

そこで存在感をふるったのが、受付のうかいさんでした。
彼女は多分、そんなに英語が得意な方でもないのに、
ゲームで「クリティカル・ヒット(会心の一撃!)」という用語があるのを手がかりに、色々と調べてくれました。
ネットで、英語や心理学の知識はけっこう得られますからね。
高木さんの、「クリティカル」の回の動画もみてくれて、彼女が出した結論は、

「ここでいう、クリティカル、は、会心の一撃、のクリティカルです」。

よく自分は「勉強が出来ないから頭が悪い」と思っている中高生が結構、多くいます。
今の学校教育は、ほとんど丸暗記ですむ記憶力の勝負で、それで良い学校にも行けるし、良い会社にも入れるし、
医師国家試験だってパス出来るけど、人生はそこからがスタートです。
‘成功’した人が社会に出て困っていることが多いのです。
人生って、テストみたいに、‘正解’がないからでしょうか。

学校教育が広く浅く知識を身に付けさせるせいか、1つのことを深く掘り下げる習慣がないのも問題でしょう。
その点、オタクはすぐれてます。掘り下げますから。

吉田拓郎から入ったのに、ボブ・ディランの曲、全部、知ってたりするから。
ルーツをさぐる、ってことなんでしょうね。学問の基本ですね。

勉強と学問は違うと言われます。
勉強は漢字で、むりにしいる、と書きます。これはやらされてる訳です。
でも、学問はオタクに近いです。
興味があること、探究心が、知らないでいることを放っておかないのです。
意味のないことはまるでやる気ないのは、モチベーションが湧かないとパフォーマンスが極端に下がるからで、
逆に言えば、意味さえ見い出せばやる気が出てパフォーマンスもアップするということです。
だから、中高生で成績の悪い人は、何も腐ることはなくて、「自分は勉強は不向きで学問向きだ」と思うといいです。

僕の好きな立川談志は中卒で、落語家になりましたが、
「自分は学歴がある。落語を通して色んなことを学んでいるから。ないのは、学校歴だ」と言っていました。
僕の好きなフレーズです。

おまけ。

からかい上手の高木さん、には、からかい上手の元・高木さん、というスピンオフもあります。
ちょっとだけ紹介しましょう。こんな感じです。

元・高木さんは結婚して娘がいます。
娘との会話。
<ねぇ、ねぇ、お母さんってどんな子供だったの?>
「う~ん。好きな人をからかっていたかな」
<ははは。今と変わらないじゃん>
「そうだね。変わらないね。好きな人も」
<え~??…ってことは??>
そこに、玄関の音がガチャガチャとして、<ただいま~>とスーツの男の人が帰ってくる。顔は見えない。
コマ割りは、アパートの廊下にうつり、その家の表札に書かれていたのは、西片。

BGM. よしだたくろう「知識」


くよくよするなよ

12/Ⅱ.(火)2019 はれ少しあたたかい 猪木、ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~に登場!

平成も終るという。昭和・平成・●×の3つの元号を生きることになるのか。
父は、大正と昭和しか知らない。
母は、大正・昭和・平成を生きた。
親を抜いたり、肩を並べたりで、感慨深いものである。

僕が医者になったのは平成元年で、だから、精神科の経験年数を聞かれたら、今が平成何年かの数字を
そのまま言えばよくて、楽させてもらっていた。たとえば、今なら「31」年目である。
これからは足し算を駆使しないといけなくなるのか。

平成という時代は、精神科の中でも色んなことがおきた。
法律が改正されたり、アメリカの診断基準が大流行してドイツの伝統的な診断学が鳴りをひそめた。
「分裂病」「躁うつ病」「痴呆」という疾患名が「統合失調症」「双極性障害」「認知症」にとって変わった。

「痴呆」の進行を防ぐのに役立っていた薬たちが追跡調査で全部「効果なし」と判定されて市場から消えた時は驚いた。
アリセプトが出る前の、薬たちである。

うつ病の仮説も、モノアミンからセロトニンにかわってSSRIが登場した時、革命が起きたように思った。

「トラウマ」の概念も僕が研修医の頃と今では、180度ちがう。
当時は「心的現実」を重視するあまり、「外的現実」にはノータッチだったが、「いじめ」や「虐待」が深刻になり、
治療は「外的現実」の調整に重きを置く必要が出て、精神科医のケースワーカー化、などと揶揄された。

今後も医学の進歩や、社会の運動で、精神医学の「常識」は覆って行くのかもしれない。
それを発展と言うなら、それに対応して行かなくてはならないが、それに振り回されるだけでなく、
変わらぬ精神科医のアイデンティティーを持っていたいものだ。

昔、立川談志が、ざこば、と芸談をした時の話を聞いたことがある。
談志が「落語とは人間の業の肯定」と言ったら、ざこば、は、「うけりゃいいおまへんか」と答え、
それに対して、談志が「うけなくなったら、どうするの?」と返すと、ざこば、は、「何が言いたいねん?」。
談志は「うけりゃいいと思っていると、うけてるうちはいいけれど、うけなくなったら困るでしょ?」、ざこば「…」。
談志「だから、落語とはこういうものだと定義しておけば、うけなくなった時に困らないでしょ?」
ざこば「そんなもんでっしゃろか」だって。

話は変わるが、昭和の爆笑王・林家三平さん(今の笑点に出てる三平のお父さん)は、私生活でも人を笑わせることを生き甲斐にしてたようで、
キラ星のようにエピソードがたくさんある。
その中でも有名なのは、三平さん(さん、まで入れて呼び名。今の、所さん、と同じシステム)が脳梗塞で倒れて、
救急車で病院に運ばれた時、意識の覚醒水準を確認するため、看護婦さんが「お名前は?」と尋ねたら、
「加山雄三です(当時の2枚目俳優)」と答えたという。命がけで人を笑わしてる。

太宰治が、晩年(遺書代わりに書いたから、タイトルが処女作なのに、晩年)、で、自分の事を、道化、といって、
もし自分が死んだら、「この人は一生涯、ひとを笑わせるために生きた人です」と墓石に刻んで欲しい、というようなことを言ってたと思うが、
それは三平さんにこそピッタリだと思うし、僕もそういう生き方をしたいと思う。
三平さんのことを書くと長くなっちゃうから、この辺にしとくが、談志が、
「もし、三平さんが、皆さん、真面目に生きなきゃダメですよ、なんて言う時代が来たらそれは末世だ」と言っていた。
もう三平さんも談志も死んでるけど、今の世の中って、そういう意味じゃ「末世」かな?なんて時々思う。

僕は談志の説く「落語論」と、精神科医の仕事って似てるな、と折に触れ思うことがある。
たとえば、忠臣蔵の四十七志は英雄として語られるが、家来はおそらく300人以上いて、その中の47人だから、250人以上は逃げちゃってるのである。

でも落語は実際そうなったら、死ぬのを覚悟で討ち入りに行くより、逃げた人間にスポットを当てて、
「本来、人間って逃げちゃうでしょ?」というのが、歌舞伎や講談との違いはそこで、それを談志は、
「落語とは人間の業の肯定」と初期に定義した。

精神科はと言えば、根性論や、気の持ちようだという精神論で追い詰められた人に、
「いい加減」をすすめ、「テキトーに」やろうとアドバイスし、決して「がんばれ」とは言わない。そういう仕事だ。
そして、そういうことを患者に言うには、そういう価値観を持ってる必要があるが、お医者さんは総じて頑張り屋が多いけど、僕は例外で、性分として精神科向きだと思っていた。

ところが世は末世である。
三平さんが「皆さん、真面目に生きましょう」と言わなければならないように、我々の臨床でも、

困難があらわれると避けることで自分を守る「回避性パーソナリティー障害」や、
やりたくないことに対して、いやだ、という代わりにわざとゆっくりやったり忘れたフリをする「受動攻撃性パーソナリティー障害」と言う人が、
訪れて来るようになって、「ちょっとがんばった方がいいんじゃない?」とアドバイスすることもたまにある。

精神科医がそんなとことを言うようになったら、それこそ世も末だ。
ましてや僕がそんなことを仕事とはいえ言ってるなんて知ったら、教師や親戚は一斉に「お前が言うな!」とツッコミを入れると思う。
そうなると、精神科医のアイデンティティーというのも難しくなってくる。

そこで参考になるのは、やはり談志で、談志は「落語とは人間の業の肯定」が通じなくなった現代で、落語とは「イリュージョン」だと言った。
これは弟子たちの中でもよくわかってない人が多かったそうだが、これも精神科領域と近い関係にある。
イリュージョンは、こっち側から説明した方がわかりやすいと思う。カワクリのHP「クリニック紹介」から抜粋。

心にとって、「病気と健康」や「異常と正常」などに明確な境界線があるものではなく、中間の領域がある。
多くの精神の病気は、この領域がやられてしまい、保てなくなっているようだ。
病気を発症する時には必ずこの中間領域を通過するし、回復期にも同様に中間領域を通って良くなる。
川原クリニックでは、この中間領域を大切に考えている。
中間領域は、他にも「日常と非日常」や「常識と非常識」や「夢と現実」や「赤ちゃんと大人」の間にもある。
そこがうまく機能すると、「遊び」が生まれる。
日本語の「遊び」にはplayという意味の他に「ブレーキのあそび」のように余裕という意味がある。
このような言葉遊びやなぞなぞやジョークやナンセンスが中間領域の代表で、芸術の世界にも発展して行く。
クリニックの空間が遊びに溢れていて、始めはビックリしても、次第に居心地が良くなるのは、そんな計算もある。

僕のアイデンティティーは今の所、そんなところで落ち着いているのだが、一つ心配なことがある。
それは、談志が死ぬ直前に、「落語とは江戸の風が吹く」と言ったことだ。
江戸の風、については、談志はあまり説明してないから、僕もあまりピンと来ないのだ。
それに今は、「イリュージョン」で事足りているから。
でも、この先、また悩むことがあるかもしれないから、少しだけ考えてみるか。

ここでヒント。
晩年の談志は小さん師匠のネタをかけたりしていた。原点回帰か?
さらにヒント。
志の輔は、追善落語会の最後のゴタゴタの中で、「俺は富山の風だ」と言っていたこと。

そうやって考えるとなんとなく、その出自というか、ルーツのようなものの雰囲気が伝わる、あるいはそんな空気感になるってことかと想定できる。

僕の生まれ故郷は、湘南の茅ヶ崎。
東京からみると、藤沢、と、平塚、にはさまれた別荘地で、海水浴場で有名だ。
しかし、藤沢や平塚が区画整理されて綺麗な道路があるのに、茅ヶ崎はクネクネした道がとても多い。
まれに真っ直ぐな道があると、よほど珍しいのか、逆に、鉄砲道(てっぽう・みち)なんて通称がついたりする。
それは茅ヶ崎は、戦争の時に、ほとんど空襲を受けてないからだそうだ。

僕の思い出の中の茅ヶ崎も、温暖で平和なイメージだ。ちなみに僕の出身小学校の名前は、「平和学園」だ。そこに6年通った。平和な小学生だった。
僕の誕生日は、7月24日で、母がよく言っていたが、僕の生まれた日は、とてもお天気のいい、真夏の昼間だったらしい。

だから僕の最終(?)目標地点は、暫定的にここに決めておこう。
つまり、何もしなくても、何も言わなくても、クリニックに来てくれた人が、暖かい気分になってくれること。
お日様を浴びたような風を感じてもらうこと。とりあえず、そうしてみた。だから僕は、くよくよなんかしてられないのさ。

BGM. ヒカシュー「20世紀の終わりに」


セクソロジー入門

30/Ⅰ.(水)2019 くもり 少しあたたかい 橋本治、死ぬ。70才、ジュリーと同い年。

人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲だと言われ、うつ病では、これらが障害される。
だから、うつ病の評価スケールでは必ずこれらを含めたクエスチョンがされるべきなのだが、何故か、
(というより、わかるが)性欲については、聞きにくいし、喋りにくかろう。

ある大学病院で治験をやってる精神科医と話したことがあるのだが、女性に対して性欲の質問はしづらいと言っていた。
だけど、患者が喋りづらいことを聞くのが、こっちの役目だろうが、と思った。

実際、セックスのことで悩んでる人の潜在的な数は多い。悩みは色々。人それぞれ。
でも、食欲や睡眠より、性欲の悩みを抱えてる人が意外と多いのだということを同業者に言い回っている昨今である。

セックスはタブーである。
たとえば、青少年に見せてはいけない「なんとか指定」は、暴力とセックスの関連だろう。
テレビやお茶の間もあきらかな性的描写を排除する。

それで思い出したのだが、僕が小学校低学年の頃、12チャンネルで「ハレンチ学園」の実写を放送していた。
ハレンチ学園は文字通り、ちょっとエッチなシーンの多い、永井豪の原作のマンガで、それをゴールデンタイムに、
お色気ムンムンで発信してしまったのだ。

それは大評判になり、子供達は夢中になり、PTAは「俗悪番組だ」と目くじらを立てた。
その余波は僕らにも直撃して、
「毎週、木曜、7:30~8:00は、自宅学習しましょう」と学校から命令された。
まぁ、家で宿題をいつやろうがこっちの勝手だから、僕はルールに従わなかったが、結構、その影響力はあって、
その時間帯に勉強させられてる家庭のクラスメートはいた。
だから学校で「ハレンチ学園」の話をしても盛り上がれなかった。
いやらしい、やり方だよな、PTAとか大人って。
「ハレンチ学園」の放送時間を自宅学習の時間にしたのである。

そんな「ハレンチ学園」が文部科学大臣賞をとったそうで、永井豪の作品が続々と再版されている。
なんだか、しみじみするなぁ。「ハレンチ学園」が文科省に認められる時代まで生きてしまったのかと…。

当時、糾弾されてる若き、永井豪は、
「自分は性にめざめた頃、父親のエロ本をこっそり見た。しかし、少年の性への興味と、そのギャップは大きかった。
だから自分はそれを埋めるべく、ハレンチ学園、を描いている」
というような趣旨の事を、当時、PTAなどに吊るし上げられているテレビ番組や雑誌の対談で懸命に反論していたのを覚えてる。
札幌オリンピックの直前だった。

僕は中学1年の夏休み、中耳炎になりほぼ夏休み中、耳鼻科に通った。
そこの医者が良かったとか、そこの看護婦がやさしかった、なんて思い出はまるでなく、何の感謝もない病院だが、(中耳炎は治った)
そこの待合室にある「少年マガジン」に連載されていた永井豪の「イヤハヤ南友」が、なんとも、いやらしくて、楽しみで、
毎週、喜んで、その耳鼻科に通っていた記憶がある。

話を戻そう。
皆さんに、性欲について話をさせるなら、こっちからそういう話を切り出さないといけないのかな?と思い、今回はそういう回にします。
だから、性的な話が嫌な人は、ここから先は読むのをやめて下さいね~

オナニーをいつから始めるかは人によると思う。
時代とか文化とか学校の友人の影響とか大きいと思うが、ネットがある今だと、また違うのかなと思うが、
性的なことに関心を示すのは、やはり本人の目覚めだと思う。

僕が小6の頃、山上たつひこ、の「がきデカ」が人気だった。
僕は週末、東京の塾へ電車で通っていたから、その行き帰りに、「少年チャンピオン」を読んでいた。
「ブラックジャック」や「ドカベン」や「エコエコアザラク」や「よたろう」もあったが、やっぱり一番人気があったのは「がきデカ」だった。

山上たつひこ、は皆さんどのくらいすごいか知らないかもしれませんが、たとえば「こち亀」の秋本治が連載当初のペンネームは、
山止たつひこ(やまどめ たつひこ)だったというくらい、
つまり「宝島」を「宝鳥」とか、「乞食王子」を「乞食玉子」みたいに読み間違えるダジャレにするのと同じくらいメジャーな人で、
そんな山上たつひこ、の「がきデカ」以前のヒット作は、「喜劇新思想大系」で、それは僕らの世代には古臭い、性の啓蒙書だった。

そのマンガの中で主人公が、オナニーに使う道具が、「コンニャク」だった。
コンニャクを人肌に茹でて、そこに割れ目を入れると、女性器と同じような感触になるというのだ。
僕のまわりでそんなことをしたという人に1人もあったことがない。
だが、僕は1回だけ試してみたことがある。

コンニャクを手に入れる時は苦労した。
当時はスーパーやコンビニがないから、町の豆腐屋に行って買うのだが、コンニャク1つだけ買うと、
「さては、この子、オナニーするつもりだな」と見破られそうで、仕方ない、要りもしない、焼き豆腐と木綿豆腐を一丁づつ余計に買った。
丁度、エロビデオを借りる時、「キタキツネ物語」と「タイタニック」ではさんでレジに出すテクニックと同じだ。

この話を受付にしたら、爆笑された。普通に1つ買っても変に思う人はいないって。

「じゃ、あなた達は、八百屋にナス1本だけ買いに行ける?」と聞いたら、「行けますよ。1本でも、10本でも」と答えるから、
「10本なら平気だよ。ナス料理を作るみたいだから。ナスを1本だけ買うんだよ」と念を押しても、「全然、平気ですよ」と一蹴された。
俺が自意識過剰なのか?

話をコンニャクに戻す。
僕の失敗は、コンニャクに包丁で綺麗に縦線を入れてしまったから、おチンチンをコンニャクにさすと、ヌルっと飛び出て、まるで、チビ太のおでんのように、
ウインナーがコンニャクから突き出てるようなマヌケな絵づらで、僕はそれを鏡に映して、我ながらそのアホらしさに、性欲も萎え、
鏡をみながら、コンニャクをさしたまま、フラダンスを踊ったものだ。↓。

 

中2のバス旅行で、ちょっとませた子から、バスの窓から手を出してモミモミすると女のオッパイをさわった感覚と同じだ、と教わって、
クラス全員が代わる代わる窓から手を出してモミモミしていた。それが14才の思い出。

高2の夏、泊り込みの勉強合宿に行った。そこで知り合った女の子が積極的な子で、夜に女子寮に遊びに来い、と、いけない誘惑。
僕は悪い友人と3人で、彼女の誘導の元、女子寮に忍び込んで、それぞれが目当ての女の子の布団に潜り込んだ。
見回りに見つかるといけないから、という理由である。僕らは、布団の中でナイショ話をしていた。それは楽しかった。

すると、その女の子はちょっとエッチで、「ねぇ、川原君、何もしないの?」と言って、僕はドギマギして。
女の子はませてるから、僕の手をとって、自分の胸にあてた。
僕は中2のバス旅行以来、はじめて女の人の胸をさわった。
気が動転してるから、その感触が時速60キロの風圧と同じかどうかは覚えていない。

その女の子とは1回だけ映画も見に行ったことがって、つまりデートである。
僕は初デートだから、ロマンティックな映画にしようと思っていたが、彼女は僕に合わせて、
「がんばれ!!タブチくん!!、でいいよ」と言って、僕らは「がんばれ!!タブチくん!!」を見た。

僕の学校の仲間で、女子とデートしたことのある奴はいなかったから、皆、心配と興味本位と将来の自分の予習のために、
5人くらいがコソコソ僕の初デートを尾行してついて来ていた。

当時の映画は、今みたいなシステムじゃなく、全席自由で入れ替えなしで途中入場できたから、
僕らが入った回は満員で、僕は彼女と後ろの方で立ち見をした。
ちょっと離れた所で、5人組も立ち見をしていた。それが17才の思い出。

彼女は石野真子と誕生日が1日違いで、だから僕は何10年たっても彼女の誕生日だけは覚えてる。
ちょうど、今日くらいのはずだ。

BGM. RCサクセション「エミちゃん おめでとう」


公認心理師

心理の初の国家資格化=公認心理師の第1回テストの合否の発表が行われた。
我、カワクリからも、3名が受験した。

僕は誰かが、万一、落ちた時の事を想定して慰める言葉を用意しておいた。
しかし、めでたく3人全員合格した。合格率8割という微妙なラインだが、テストは水物である。
ですから今回の記事は、万一、不覚にも、落ちてしまった、「2割」の人達に捧げます。

アントニオ猪木のデビュー戦は、大木金太郎に頭突きでフォール負け。
(ちなみに、同日デビューのジャイアント馬場は田中米太郎に股裂で勝っている)

新人・長嶋茂雄の開幕戦は、国鉄スワローズの金田正一の前に4打席4連続三振。
世界のホームラン王・王貞治は、デビューから26打数ノーヒット。

僕の知っている大物のサクセス・ストーリーは、皆、黒星スタートである。
だから、腐らずに頑張ろう!合言葉は、「俺は大器晩成」。「私も大器晩成」。


統合失調症を考えてたら

16/ⅩⅠ.(金)2018 くもり 寒い 急転、フロイド・メイウェザー・ジュニアvs那須川天心、やっぱり実現?

えばるような事じゃないから言わなかったが、僕は企業のアドヴァイザーをしていて、精神科の啓蒙とかもコツコツしてる。
そして平成最後のクルズスが12月に予定されてて、テーマは「統合失調症」。
幅広い分野であるが、過去の文献などを読み返し、「統合失調症」の歴史的な変化を僕なりに咀嚼してレクチャーするつもり。
現在、その準備中。

そこでどうしてもぶち当たるのが「統合失調症」の予後で、寛解と回復、つまり、レミッションとリカバリーについてである。

レミッションの定義は、一定期間、症状がとれてる状態で、リカバリーはレミッションにプラスして、仕事が出来ている、とか、
QOL(クオリティー・オブ・ライフ)も含まれて、つまり本人が「大丈夫です」って言えること。
「統合失調症」の当事者でありながら、ピア・サポート(当事者だからこそ他の患者さんに出来る援助)をしている、
優秀な子と縁があった。その子は僕の患者ではない。
しかし、このテーマを考える時、忘れられないし、色んな事を教えたり教えられたりした間柄だ。

話は飛ぶが、2018年ももう終る。
今年は大相撲の日馬富士に始まり、日大アメフト悪質タックルに代表されるスポーツ界のパワハラ、官僚のセクハラ、
東医の女子・多浪受験者差別など、おそらく今に始ったことじゃないことが、一斉にあぶり出された1年だった。
こんな事件は今までいくらでもあって、ハラスメントの被害にあった患者さんが調子を崩して受診して、
こちらが「診断書」を書いていくら言っても、たいていそういうハラスメントをする上司は「優秀」だったりして、
もみ消されて、上司を飛ばすことは出来ないから、「経験の少ない」「戦力にならない」被害者が異動になっていた。
僕は随分、戦ったが、診断書や意見書の効力など、そんなものだ。

ところが今年から潮目が変わった。
おそらく先に述べた事件の影響で世間の認識の変化や、「外圧」に対する企業のおそれや保身のせいだと思う。
今まで泣き寝入りだった人の、「人権」が尊重されるようになった。
「優秀」でも「ハラスメントをするような人格に問題のある人」がペナルティーを受けるように世の中が変わった。
皆さんも気付いているかもしれないけど、世の中は少しだけ良くなっているところもあるのです。

そこで話を戻すが、「統合失調症」である。
僕の知ってる患者は、その指導者のせいで調子を崩し入院した。
僕はものすごく頭に来て、そのことを入院先の病院に告発したが、「それは彼女の妄想」と簡単に処理され、
そもそも「男」は将来有望で、機関としても変な噂はもみ消したかったのだろう、「彼女」だけの問題になった。
そして、僕に至っては「おかしな医者」だ。
もし、これが今年の出来事だったら違う展開になったのかもしれないぁと、今、勉強会のまとめを作っててそう思った。

医療従事者と患者の「純愛」というものをどう考えるか?という命題はある。
そこには「禁欲原則」というのがあって、自分の立場に相手が惚れ込む要素がある立場の場合、
それを利用してはいけないという掟だ。
だから、例えば、2人がそういう関係になるなら、「治療者・患者関係」を辞め、「代わりの治療者をきちんとみつけた上で
交際しろ」、という明確なルールがあり、問答無用でロマンスの邪魔をしているのではない。そんな野暮天ではない。
ただ、ズルいことするな!、というだけである。
それは「教師・生徒間」とか「主従関係」とも同じで、「あこがれ」や「尊敬」や「援助」などが先に立つ関係すべてに言えることで、
プロとしてのモラルの問題である。

要は、モテない男が、地位や立場を利用して、SEXしようとしてんじゃねぇよ!っていう話である。

おい、こらお前だよ、お前。反省しろ!

BGM. ザ・タイマーズ「偽善者」


クルズスしようよ

1/ⅩⅠ.(木)2018 はれ、ちょっと肌寒い ハロウィンも済んで、今年も残すところあと二ヶ月

11月から受付にニューフェイスを補強する。それにあたり院長、自らクルズスをやろうと下準備中です。↓。

皆さんにも、ほんの一部を紹介しましょう。

①なぞなぞ、を作った意味

…日本は視線恐怖の文化である、と言われる。
昨今は欧米風に人の目をみて喋れ、と言うが、日本人は「人の目をみると失礼」という文化もあり、
「ナニ、ガンつけてんだよ!」ということにもなる。
そのため、名刺文化といい、相手の目をみない、三角形の構図を作った。

クリニックに来た患者さんには、なるべく色んな人と話して欲しい。
「気がついたら一週間、誰とも喋らなかった」「一回も笑わなかった」という人もいるから。
しかし、大抵、そういう人は緊張しぃで、視線(対人)恐怖気味である。
だから、共同注視する小道具として、なぞなぞを作った。

三角形の構図になってるでしょ?
なぞなぞ、は遊びだから、解けた時の快感と、そこで笑いが生じれば、喜ばしいことである。

②ブログの効能

…遠方に行ってしまった人や、「卒業」をした人にも、カワクリは実家のようでありたい。
今に奉仕する退行、という言葉がある。
退行とは、赤ちゃん返りみたいに良くない文脈で使われることが多いが、懐メロ効果のように、
過去の自分が今の自分にエネルギーをくれることがある。
朝青龍がバッシングを受けてた頃、勝手にモンゴルに帰ってサッカーやってて、余計にバッシングを受けたが、
朝青龍はそれで元気を取り戻した。
それと同じように我々も「帰れる場所」が欲しいし、そういう「帰れる場所」でありたい。
だから、今通っていない人も時々、覗きに来てもらって、「相変わらずだな」と笑えるブログの記事を提供したい。

③定例会の意義

…ほうれんそう、という言葉が出来始めた時、報告・連絡・相談、をほうれんそう、とするセンスに嫌悪感を抱いたが、
でもそんなことを言っていられないくらい、ほうれんそう、が日本人は苦手っぽい。僕も生粋の日本人。
ヘルメットにアンテナがついてて、それをかぶると何も言わなくても、以心伝心、みたいな道具があるといいな、と思う。↓。

そんな漫画みたいなことも言ってられないし、そこはやはり人と人とのコミュニケーションが大事になる。
それで普段の日常だけではわからないプライベートな部分や人柄を知り合う機会を、まぁ、酒でも酌み交わしながら、
無礼講でぶっちゃけ、普段のストレスを共有する会にしようと作ったのが月1の飲み会、定例会。
僕は不満の矛先・標的になるのは覚悟の上なのだが、全然、皆さん、お行儀よくて、肩透かし。

④コミュニケーションについて

…コミュニケーションには、バーバル・コミュニケーションと、ノン・バーバル・コミュニケーションがある。
バーバルとは、旧約聖書のバベルの塔、が語源で、民衆が神に近づこうとバベルの塔という高い塔を建てるが、
旧約の神様は気が短いから、怒ってこの塔を壊して、さらにもうこんな密談が出来ないようにと、皆の言葉をバラバラにしてしまって、
それで言語というものが出来たという。バーバルは、バベルから派生した言葉。

一方、ノン・バーバルとは日本語にすれば、非言語。
「ごめんなさい」がバーバルだとすると、それを涙を浮かべて汗だくで前かがみで言うのと、
足を組んで鼻をほじりながら言うのでは、受け取り側の意味が全然違うでしょう?
つまり、バーバル(謝罪)よりノン・バーバル(態度)の方がメッセージ性が強いのだ。それを受付は知っておくべきだ。
ちなみに声のトーンでも差が出ますね。それは、ボーカル・コミュニケーション。

⑤うつ病に「がんばれ」はダメ?

…AKB総選挙をみてたらメンバーの家族がインタビューで、「あれだけ頑張ったんだからこれ以上、頑張れとは言えない」と言っていた。
「うつ病」に、がんばれ、と言っちゃいけないというのは同じ理屈だ。
一方、3.11のあと、CMでSMAPが「がんばろう!日本」と語りかけて、被災者を勇気づけていた。

がんばれ、って言っていいの?悪いの?よく聞かれる質問だ。
こんな話がある。
野茂がメジャーに行く前は、アメリカの野球は大リーグといい、元・大リーガーは助っ人外人と有り難がられて日本に来た。
正直、テキトーな奴が多かった。
それでも真面目な選手もいて、スランプに陥った時、日本のコーチにアドヴァイスを求め、元々、素質はズバ抜けてるから、
すぐに勘を取り戻し、「サンキュー」と言った。
2人の間には言葉の壁があるから、練習には通訳がついていた。
コーチは、選手に向って、「がんばって!」と答えた。

するとその助っ人外人は激怒したという。「お前は俺が頑張っていないというのか!」と。
これは通訳のミスで、コーチの「がんばれ」を「Do Your Best」と訳してしまったのだ。
これはつまり、さっきの例でいうと、AKBの親が言えない、と言ったパターンを言ってしまったのだ。
それでこの場合の正しい訳は、「Good Luck」なんだって。幸運を祈るよ、応援してるよ、という意味で、つまりSMAPの方だ。

日本語の「がんばれ」「がんばって」にはこの二つの意味がある。
どっちの意味で使っているのかを使い分けるセンスを持つといい。
「うつ病」の人に「がんばれ」と言ったら、ただちにダメという訳ではない。それは言葉狩り。
ノン・バーバルが大事なのでしょう。

⑥守秘義務

…クリニックに来る人は色んな悩みを抱えてくる。それを告白することには、不安もあるだろう。
診察やカウンセリングとは、「ここだけ」の話をしに来るところだから、そういう意味で我々の仕事で一番重要なのは、
守秘義務、になるだろう。
仕事で知りえた情報は、たとえ家族にも恋人にも話してはいけない。それがここで勤める鉄の掟。

⑦うつと不安のメカニズム

…これまでは心構え的なことでしたが、徐々に病気や薬の説明や、心理学的な規制の説明もしていきましょう。
たとえば、こんなシェーマを用いたり。↓。

その後も、⑧山あらしのジレンマ、⑨反復強迫、⑩喪失体験、⑪ペットロス、⑫宗教と精神科のちがい、⑬世代間伝達、など。
でも、これはもっと先の話かな。焦らず、ゆっくり、何度も繰り返しレクチャーして行きましょう。
同じ話は3回言ってやっと入るのが普通でしょ?1回で覚えられるのは、天才か、思い出が少なくて容量に空きの多い人。

 

ざっと話してみましたが、皆さんの視点からみて感想があれば教えて下さいね。
クルズスとは、ドイツ語で、講習や授業のことを言います。

BGM. よしだたくろう「まにあうかもしれない」


夢について。教えちゃうぞ。

10/Ⅹ.(水)2018 はれ ゴールデン・アーム・ボンバーの輪島、死ぬ。

夢を大切にした人の話しは多い。

ソクラテスだったか、プラトンだったか忘れたが、当時は哲学と数学は兄弟みたいなものだったらしいが、
音楽は一段下にみられていたそうだ。
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)の夢に音楽の神様が現れて、
「おい、ソクラテス(か、プラトン)よ。音楽も重要じゃぞ」とか言って、
そうしたら、ソクラテス(か、プラトン)は、翌日、往来で自作の歌を作って大声で歌って披露したという。

親鸞の時代は、僧侶はお肉を食べちゃいけないし、女と寝るのもいけないとか、タブーが多かったらしい。
確か、親鸞は京都の六角堂で居眠りしてたら観音様が現れて、
「おい、親鸞よ。お前様は女と寝ていいぞ。その時、この観音が女とすりかわってやるから、お前様は女と寝たのではなく、
観音とまじわったのじゃ」と何とも都合の良い夢をみて、かつ真に受けて、女犯妻帯をはじめて行ったお坊さんだそうだ。
っていうか、そもそも六角堂で寝るか?すごいな、親鸞。大好きよ。

つげ義春は、ガロの締め切りが近づいても、何のアイデアも出ないから、屋根の上で昼寝をして、
その時にみた不思議な夢をそのままマンガに描いて、とりあえず出した。
夢だから細部がはっきりしてないので、「○×方式」とか「××クラゲ」と記載したが、
編集者の誤解で、誤植で、「××クラゲ(ばつばつ・くらげ)」を「メメクラゲ(めめ・くらげ)」とされたが、
つげ義春本人は、「どうでもいいや。どうせ夢だし」ってそのままにしといたら、「メメクラゲ、って何?」って話題になって、
遂には、「マンガか芸術か?」という論争にまで発展するのだから、いい加減なものである。ねじ式、より。↓。

元ネタは何だったか忘れたが、縁起の良い夢をみた人から、その夢を売ってくれと大金を払った人の話があった。
日本の昔話だったか、海外のジョークだったか、落語だったか。
もっとも落語は昔話も海外のジョークでも吸収してネタにしちゃうからなぁ、いよいよ何だかわからない。
所ジョージが吉田拓郎の初期の名曲「恋の歌」に惚れ込み、
「自分の全曲をあげるから、恋の歌(の著作権)と交換してくれ」と頼んだエピソードと通じる熱量だ。
気持ちはすごくよくわかる。

診察で夢の話をする人は意外に少なく、そんな中、最近目立つのは2つのパターン。
1つは、夢の内容をバーっとしゃべって、その後、ネットで調べてきた解釈を語る人。
もう一方は、「夢ばかりみます」と言うものの、その内容は喋らず、具体的に聴いて行くと、
「えっ?夢の内容なんか、ここで喋っていいんですか?」と言う人。
前者は「夢占い」を楽しんでいる人で、お遊び感覚で、それはそれで良いと思う。
後者は夢はくだらないものと思い込んでる人。こっちの人には、言いたい。夢をもっと大切にしよう。

TPOにもよるが、両者に僕は一応、我々が夢をどう考えているか説明することにしている。
日常の中では色んなことがあるが、一々覚えてたらたまったもんじゃないこととか危険な思想もある。
そういうものは普段の生活をするにはあまりよろしくないから、無意識下に閉じ込められる。

でも、そういうものも、エネルギー体だし、彼らにとっては不当に抑圧されてる訳だから、いつか意識に飛び出す隙を狙ってる。
日中は、意識と無意識の国境線上に門番がいっぱい立って、これらが出ないように見張っているが、
夜勤帯になると門番の数も減るから、抑圧されてる強い感情や記憶は飛び出すチャンスで勢いを増す。
こうなると、さすがに門番でも抑え切れないが、これらがそのまま飛び出すと睡眠を妨害したり、
不穏な世の中になるから、数少ない門番には、それらを別の形に変身させる特殊能力が与えられていて、
これを検閲といい、彼らは検閲を受けて、夢に登場するのである、という考え方。

だから夢に出た素材を「夢事典」みたいなもので象徴解釈してもあまり意味はないと思う。
なぜなら今の世の中は情報量も多く価値も多様化しているから、個々にとって象徴の意味は異なると思うからだ。
この検閲のシステムをとても上手に書いてるなぁと思う参考文献は、筒井康隆の「夢の検閲官」という短編小説で、
「夜のコント・冬のコント」に収録されている。

簡単に要約すると、ある女性が夢をみると、夢法廷、というものが開かれ、夢の検閲官が登場する。
この女性は二ヶ月前に息子を亡くしていて、その悲しみから毎日酒びたりで、夢の舞台に登場しようとするものは、
息子に関する内容ばかり。
しかし、それをそのまま通してしまったら、彼女は息子のことを思い出し、飛び起きてしまう。
なんとか、そうとは判らないものに検閲しなくてはならない。
ルールは、彼女の記憶にあって、息子を連想させない別のものにする、のである。

まずは息子が通っていた中学校がやってくる。こんなものをそのまま通すわけにはいかない。
そこで検閲官は、建物つながりで、彼女の故郷の合掌造りの家に土木工事班に命令して作り変え、舞台に出す。
次に来たのは担任の教師。こんなものを通したら大変だ。たまたま、この担任の下の名が、おじさんの名と一緒だから、
おじさんを呼びつけ、置き換える。幸い、彼女はこのおじさんのことを良く思ってないから人材としても適している。
次にクラスメイトたちがゾロゾロ来るが、彼女は息子がイジメを受けてたのではないかと思っている。
こいつらも舞台に出すわけにはいかない。
しかし、こんなたくさんの人物を一つ一つ変換するのは大変だから、そう言えば、授業参観の時に彼女は、
教室の後ろからみるたくさんの坊主頭を「くさった黒いトウモロコシみたい」と思った記憶があった。
それを利用して、圧縮して舞台に出した。
そうすると、夢の舞台では、合掌造りの家の前で、おじさんが黒いトウモロコシを食べてる途中経過だ。
「これなら、何の夢か判らないだろう」と検閲官はご満悦。
ところが、そこに息子がやってきてしまう。
もう毎日毎日、この息子はやってきて、あらゆるものに変換しつくしていた…。

ここから先は内緒にしておくから、興味がある人は読んで下さい。面白いですよ。油断してると泣きますよ(笑)

さて、しばらくブログで心理部門のコンテストをやってないので、折角だから、夢について何か書いて貰おうかな。
もうコンテストじゃなくてもいいから、合作でも、対談でもいいです。

一般的な啓蒙でもいいし、こぼれ話風な面白エピソード、あるいはカウンセリングで夢はどう扱うかでもいいですね。
まぁ、夢の報告は、治療関係の進み具合を反映しているから、慎重に取り扱う必要があるから一概には言えないということを判った上での無茶振りです。

そうそう、僕の夢日記「地獄寿司」をテキストにして思いついたことを書いてもいいですね。
ここでこんな風に質問してみる、とか、ここはきっと川原先生のことだからこんなことだろうと想像するが、今は言わないで、
これこれこういう時が来たら介入するヒントにするとか。
企画的には面白いと思うけれど。
では心理の皆さん、よろしくどうぞ~。

BGM.ビートルズ「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」


トランポリン

7/8(日)サーカスを観に行った。
お台場は、心理的に遠いだけで、時間的には断然近い。

僕を魅了したのは、丸い装置の中に隠れてる赤い服の小人。
はじめ、子供かと思った。
ラストに撮影して良いタイムがあるので、狙って撮った。

一つのズボンを二人で履く、シャム双生児を思わせる男も後半では上半身裸になって、アクロバティックな空中パフォーマンスをみせて、
ブリティッシュ・ブルドックスを彷彿とさせた。
うちの受付スタッフのため、上半身裸男の写真も撮っておいた。

サーカスの後半にみたトランポリンはすごかった。
見てるうちに判ったのだが、あれは大人数でやる団体プレーで、一人を高く飛ばせたいなら、
他の人達が同時にトランポリンの端っこを勢い良く跳んでバネを効かせ、
止まらせたい時は近くに集まって寄って反動を抑止するステップをふむ。
そう言えば、うちに開封してないトランポリンがある。
5分で1km走ったのと同じダイエット効果がある、との謳い文句に乗せられて購入したが、
買ったら満足しちゃったのと、冷静に考えたら天井に頭をぶつけちゃうんじゃないかと思って、開けてない。
「買う前に、そう思わないんですか?」と受付に言われた。
でも、今回のシルクドソレイユ「キュリオス」で僕のショーマンシップに火が付いた。

先月、恒例の精神科開業医仲間の集まりがあった。
不倫と、商談と、子供の進路の話が中心のちっとも面白くない会なのだが、今のブームは体幹トレーニングだ。
皆、年をとってきてるのと、そうは言っても医者だから健康志向ということもあって、
体幹トレーニングの個人レッスンを受けてる人が半数で、残りも感化され、
「これからやろう!皆でやろう!だから、川原もやろう!」という話になった。
呑みの席なので、あまり頑なに拒絶するのも場がシラけるから、<グッド・アイデアだね!>と親指を立てておいた。

しかし、そんなものやるもんか。
総合格闘技の五味隆典が、UFCにいた時、
「UFCはもうUFCという競技になっていて、戦術が決まっていて、面白くない。
自分はあえてそれに逆らって自分のやり方でやってスカ勝ちしたい」とインタビューに答えてて、
まぁ、結果はダメだったけれど、そういう心意気というものにすごく共感したものだ。

だから僕も、効率よいダイエットが体幹トレーニング個人レッスンだと判っていても、そこは五味と一緒の了見で、
トランポリンで自主トレしよう!

今は何でも自己流よりコーチについて習った方が効率も良いし、間違いも少ないし、そういう環境も整っている。
精神療法の卒後トレーニングも充実していて、毎週何らかのワークショップがある。
精神療法の技法も多様化し、時代や病態に合わせて、色んなやり方が編み出され、その勉強会が雨後の竹の子、
のごとくだ。
そんなものに参加して勉強した気になるのを、体幹トレーニング個人レッスンや、UFCの戦術と同じように感じてしまうのだ。

五味が、グダグダ言わず、パンチとキックで倒す、と言ってたのを、我々の治療ストラテジーに置き換えると、
それは、支持・傾聴・共感、になるのだと思う。
これって、シンプルなようで奥深い。
流行のテクニックに浮気せず、大切なことに磨きをかけて行きたいと思う。

BGM. 忌野清志郎 「JUMP 」


カワクリ専門外来~「花嫁になる君に」~虐待防止プログラム

10/Ⅶ.(火)はれ 6年ぶりに「けいおん」新連載開始

世代間伝達という言葉があります。
これは部活のしごきの悪しき風習が受け継がれていくように、
自分が下級生の時に上級生にされて嫌だったのに、自分が上級生になったら、「伝統だ」などと言って、
やってしまうのと同じで、世代から世代へと伝達されてしまうことを言います。

ロンブーの淳が言ってましたが、自分が嫌だなと思った風習は自分が上級生になった時に終らせた、というように、
世代間伝達はどこかで止めることが出来ます。
多分、必要な条件は、自分が嫌だったことをしっかり受け止め、言語化し、整理して、論理的に再構成出来ること、
だと思います。
この作業を一人でやるのはなかなか大変です。

世代間伝達は、子育てでもよく起きます。
情緒豊かに育った子は、情緒豊かな親になる反面、虐待を受けて育った子はやがて虐待をする親になってしまう、
負のスパイラルが起きることが残念です。
子育てには、自分の受けた体験が影響する訳です。
不幸な体験をした人は無意識にそれを繰り返すのです。
幼少期に未解決な問題を抱えて大人になってる人がたくさんいます。
なんとかかんとかやっていても、自分が親になった時、寝た子が起きるように、潜在化していたテーマが我が子に投影されて、
子育ての中で蒸し返されるのです。

そうやって「育児ノイローゼ」として受診される方はたくさんいます。
我々はそれを手助けする方法を持っています。

でも思うのです。それをそうなる前に未然に防げたらいいのに、と。

子育ては、誰でも例外なく、自分の問題と向き合う作業ですし、
多かれ少なかれ、世代間伝達の問題を持っていない人はいません。
現代は、幸せと不幸の基準があいまいです。
ものすごく不幸ではないけれど、すごく幸せでもない、という人がほとんどです。

ですから花嫁になる君へ、母になる前に、自分の問題と対峙して、整理しておきませんか?
花嫁修業の一環として。

今の世の中は、密室の育児はいけません。全員の大人で全員の子供を育てる世の中です。
心当たりのある人は、カワクリ専門外来へどうぞ。

ま、でも、結婚したからって、必ず、母親になる必要なんてないんだけどね…。

BGM. よしだたくろう「花嫁になる君に」


没原稿

4/Ⅶ.(水)2015 くもり、蒸し暑い。カワクリ前でドラマの撮影、綾瀬はるか&竹野内豊をみた。

精神科専門雑誌にコラムを書くのだが、今のところ候補を2つ書いた。
スタッフに読んでもらい、多数決の末、没にした方を今回、紹介しましょう。

日大アメフト部の第三者委員会の中間報告が出たが、びっくりしたのは、120人に行ったアンケートで、
「内田監督と井上コーチの言ってることを信用出来るか?」という質問に、「はい」と答えた人は、「0人」だったそうだ。
0人、ってすごいな。フツー、ひねくれ者の一人や二人いてもよさそうなのに。

なぜ、こんなことを急に言い出してるかと言うと、日大アメフト部の例が異例で、通常は、
ディスカッションが活発化している時は、6vs4、とか、7vs3、で決まるものだろう。
竹村健一は昔、「全員一致なら、やめてしまえ」と言っていた。

今回、没になった方を紹介するが、大平さんはこっちの方を推してくれてて、
つまり何を言いたいかと言うと、残った方が、これより良い出来だという訳ではない、という言い訳です。
それでは、没作品の紹介です。

 

 

『僕は別の4人の先生に<精神療法でもっとも大事な物は何か?>という本質的な問いをしたことがある。

一人目の先生は、米国帰りの先生で、「それは、共感、ですよ」と仰った。生き生きとした心の交流だそうだ。
しかし、その先生のオフィスの花瓶には精巧な造花が活けられていた。葉っぱの水滴まで、イミテーションだった。

二人目の先生は、「それは、構造、だ」と言った。構造とは、いつ・どこで・何分間・いくらでやるか、
などの条件を厳密に決めて、それを忠実に守る事だそうだ。
しかし、その先生はサービス精神旺盛で、約束の時間をオーバーして続けてくれた。

三人目の先生は、「それは、正直さ、だ」と言った。なるべく、治療者・患者関係に、嘘がない方が良いと力説された。
しかし、その先生の趣味は、手品、だった。

僕はそこで重要なことに気付いた。どんなに優秀な先生でも、人間だから、パーフェクトということはない。
その上で、自分の弱点と関連したところを大切だ、と気付くのではないか。
たとえば、人間が生きるのに必要なものは何か、という問いと似てて、普通にしてることをあげたりはしないだろう。
空気、なんて真面目に答える人は変人だ。
僕の大学の先輩にも、同じ質問を尋ねたら、「愛だよ」と答えられた。その先生は、バツ2だった。

四人目の先生は、「精神科治療でもっとも大事なのは、治療者の責任と覚悟、だ」といつも言っていた。
先生は本当に、責任と覚悟がある、先生だった。それなのに、何故、「責任と覚悟」、と答えたのだろう。
このままでは、せっかく僕がたどり着いた仮説が間違っていたことになってしまう。
そこで僕はこれまでの3人の先生の事を話し、どうして先生は責任と覚悟があるのに、治療に大事なのは、責任と覚悟、
だなんて言うのですか?と聞いたら、すごく嫌そうな顔をされた。』

 

 

どうですか?面白いですか?
没に一票入れた心理スタッフの一意見は、「これはただ単に人の悪口を言ってるだけで、敵を作ります」という正論だった。

うかいさんには、「先生がもっとも大事に思ってることはなんですか?」と逆質問された。
出るべくして出る、当然の質問だ。
僕が、精神科治療の中でもっとも大事だと思うものかぁ…。

出会い、とか、縁、かな。

縁があって、僕のところに来た患者さんだから、親切にしてあげたいし、味方になろうと思う。

ところで、カミュの「転落」という小説がある。
ある寒い夜に誰かが川で溺れている。助けるには寒くて、川も冷たそうだ。でも、助けないと後になって非難されそうだ。
そうして、主人公は、川のそばを歩かなくなった。

僕にもそういうところがあり、こないだの新幹線の事件などを耳にすると、
女性を助けて犠牲になった方は立派だと思う反面、「新幹線に乗るのはやめよう」と思うのだ。
それは事件にあうのが嫌だというより、事件に巻き込まれた人を助けなくちゃいけないシチュエーションに
自分が居合わせるのを避けるためだ。

普段の僕は人付き合いが面倒くさく、負担にさえ思っている。
なるべく友人との接点も持たないようにしている。
「仮説」に当てはめると、そんな僕だからこそ、「縁が大事だ」なんてわざわざ思いつき、
プロ意識として、質問にそう答え、全うしようと思うのかもしれないな。

BGM.五つの赤い風船「えんだん」