17/Ⅱ.(木)2022 ドーピングの是非や競技の技術は門外漢だが、カミラ・ワリエワ(15才)はダントツに美少女だと思う。
生前、立川談志がジミー時田のことを「あいつはだらしなくて、酒癖が悪く、女にはすぐ手を出し、貸した金は返さない、うそつきで、貧相。なのに、ギターを弾かせたら、『どうでぇ、これが俺の友達だ』と自慢したくなる奴」と評していまいた。
「器用貧乏」という言葉があります。 複数のことを何でも問題なくこなせるが、どれも極めることができないことを言います。 「器用貧乏」の「器用」とは、「要領が良い」「処理能力にたけてる」「抜け目なく動ける」で、最近の若い人はそんな印象です。大谷君の二刀流ほど凄ければ別格ですが、芸能人もマルチになんでもこなすソツがない人が多いです。一方で、日本人の国民性は「これ以外にとりえがない」という不器用な人も好きですね。そこで今回は「器用貧乏」の真逆で、ジミー時田のようにこれしか出来ないからそれこそ「プロ」という人を「不器用富豪」と名付けてみたい。
今回はそういうお話です。
こないだ亡くなった「ドカベン」の作者・水島新司が作画だけを担当した「男どアホウ甲子園」は、主人公の藤村甲子園が活躍する野球マンガ。おじいちゃんが大の虎キチで、甲子園球場のグランドキーパーの仕事をしていて好きが高じて孫の名前を「甲子園」と名付けた。その子が野球をするために生まれてきたような天才児。地肩も強いし、度胸はいいし、根性もある。野球をするために生まれてきたは誉め言葉だが、裏を返せば野球以外にとりえがない。
藤村甲子園はピッチャーで剛速球の持ち主。キャッチャーは、豆たん。主人公・甲子園の子分みたいなものだ。豆たんは、色んな経緯があるが、甲子園と同じ道を歩む。それは男心に男が惚れた、キャッチャーとは女房役というものであんさんの行くところ、あっしもお供しますぜ、ってな感じ。二人の掛け声は、「行くぜ!豆たん!」「はいな、あんさん!」。男どアホウ甲子園。変化球なんか投げたりしない。直球1つで勝負する。
その後、藤村甲子園は東京6大学で一番弱いチームを優勝させる、と男気をみせるが、6大学で一番弱いのは東大だ。藤村甲子園は野球どアホウ、勉強なんか出来ないが、そこはカンニングを使ってちゃっかり合格。天才の進む道にはいつも神風が吹く。そういうものだ。豆たんも合格。そして史上初、東大を大学日本一に導くのだ。(これは漫画の話しで、まだ東大は6大学で優勝したことはない)
そしてプロ入り。阪神に入団。
阪神球団は絶対的な評価として、村山実(2代目ミスタータイガース、天覧試合で長嶋にサヨナラホームランを打たれた投手)のつけていた永久欠番である背番号「11」をプレゼントするという。
これは「巨人の星」で星飛雄馬が川上哲治の永久欠番「16」を貰い受けるのと比較して欲しいが、入団会見で甲子園はそんな名誉を断るのだ。「エースナンバーは、1番。村山はんはダブルエースの11番。ほんならわれはトリプルエースの111番じゃーい」と歴史は自分で作ると言わんばかりだ。さすが、野球どアホウ。
そして背番号111をつけて豆たんと一緒に阪神に入団。豆たんの背番号は222。
藤村甲子園の速球はプロでも目を見開いたが、プロ野球はそんなに甘い世界じゃない。直球1つで通用するものか。その証拠に同期で入った小野田は剛球カーブや剛球シュートや剛球ドロップなど、速球のままで手元で変化する球を見せ付けた。
嫌がる甲子園を説得し、カーブを覚えさせる豆たん。甲子園はカーブも覚え投球にも幅が出来るが、それを喜ばないのが野球どアホウ。
1軍に昇格し、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄との対戦だ。
甲子園は自慢のストレートを2つ続けて投げた。長嶋はフルスイング。打球は2球ともバックネットにつきささる。甲子園の球威に長嶋が押されたともみれるが、タイミングがぴたりとあっているとも言える。勝負の3球目。ミスターも甲子園も、男と男の戦い、直球で勝負の心づもり。
そこで豆たんが、甲子園に出したサインはカーブ。豆たんは甲子園の分身みたいなものだ。なぜここでカーブを要求?プロ意識の目覚めか?豆たんの自己主張なのか?
葛藤する甲子園。直球1本に的を絞るミスター長嶋。カーブのサインを譲らない豆たん。気持ちを決めた甲子園は大きく振りかぶって3球勝負。投げた球はストレート。待ってましたと長嶋茂雄。バットがボールの芯をとらえた。
次の瞬間、甲子園の球威に長嶋のバットが折れ、ボールはそのままチップして背後に飛ぶがキャッチャーミットにおさまり3球三振。それを受け止めた豆たんのミットの構えはストレートを待つ姿勢だった。
豆たんはあえてカーブのサインを出しその通りにしない甲子園の行動原理を理解した上で、甲子園の潜在能力を怒りとして引き出したのであった。長嶋はネクストバッターズサークルの王貞治に「すごいのが現れたぞ。ワンちゃん、あとは頼む」と言い残す。時代は昭和49年、ミスター長嶋茂雄が引退する年のことである。
どうですか、藤村甲子園、「不器用富豪」だと思いませんか?
富豪で思い出したのですが、筒井康隆の小説に「富豪刑事(デカ)」というのがありました。主人公は富豪の御曹司。でも正義感に燃え、刑事になります。しかし、現実は勧善懲悪が通るほど甘くないです。例えば、悪者は証拠を金庫に入れ、その鍵を海外の湖に沈めてしまい証拠が得られません。ここで本来ならギブアップなのですが、富豪刑事のすごいのはここからです。海外の湖を個人で買い取り、水を全部抜き、底にあるカギを発見するのです。悪役は「なんて馬鹿な」と呆れます。しかし、正義のためならいくらでも私費を使う富豪刑事。こんな人が本当にいたらいいですね、という話です。
しかしどうでしょう?もし善意のお金持ちが全部問題を解決してくれたら人々はそれに甘えて努力を怠ったりしないでしょうか?自分で功労して成果を得る喜びや承認欲求も放棄しておんぶに抱っこになりやしないか?それは福祉や手当や保証も同じでどこまでやるのがいいんだか。必ずしも手厚いのが「より良い世の中」や「自己実現」を後押しするとも限らないではないか。最後に難しい問題になってしまった。
さて、先日、「複数の女性と多目的トイレで不倫して謹慎してた」アンジャッシュの渡部建がテレビ復帰を果たして世の中をざわつかせています。渡部は事件が発覚する直前は大人気で「グルメ」だ「高校野球」だ「女子力」だとその多才さで清水ミチコをして「調子に乗ってる」と言わしめた、いわゆる「器用貧乏」な売れっ子だった。
しかし、元はと言えば、アンジャッシュのコントは生前の立川談志も一目置いていて、僕は国立演芸場の「談志ひとり会」の前座で、アンジャッシュのコントをみたことがある。談志のひとり会の前座は、「志の輔」や「志らく」や「談春」レベルがやってた「客も一筋縄でいかない奴ら」でした。そこでアンジャッシュはちゃんと笑いを取っていて、僕は感心したものです。談志が生きてれば、きっと渡部をかばっていたと思いますが、誰も芸能人は助けてくれないですね。むしろ仲間内の評判が悪そうです。
そんな渡部ですが、仲間の人望がないということは、きっとクズな男なのでしょう。ホテル代をケチってたのも女に渡してた金額もちょっとでセコサもイメージを悪くしましたね。きっとろくでもない人間性なのでしょう。
しかし、人生は長い。
一度しくじったからそれで終り、ではなく、セカンドチャンスは与えて欲しい。
この男の罪がどの程度のものなのかは知らないが、きちんと罪をつぐなったら、コントで復活すればいい。どうせこの男はコントしか能のない、コントどアホウなのだろう。自粛期間に豊洲でバイトなどせずに、ひたすらネタを作るべきだ。きちんとネタが出来る芸人は少ないぞ。渡部よ、お笑い界のジミー時田になれ。「不器用富豪」は作ったばかりだから、まだ空席だぞ。
BGM. 南沙織「春の予感」