心の護美箱(25)~ハチュウルイをかう

6/Ⅹ.(火)2020 はれ 新庄、おおみそか、RIZIN??

石原さとみ、が結婚したというが、綾瀬はるか、や、長澤まさみ、との区別に一瞬、迷う。昔、松本伊代と早見優の差がわからないという大人を小ばかにしてたが、それと同じ現象が身に降りかかった。

若い頃は、町を歩く女の子や進学塾や電車の中でみる女子など可愛い子が多かった。毎日、どこかで恋をしてた気がする。当時と比べたら最近の人は素人でも芸能人のようにレベルが高く綺麗だと思うが、町を歩いてて振り向くような人はいない。これが老い、という名の年相応の女性への興味・関心の低下なのか、はたまたうつ病になると性欲が落ちるというから病気の前兆かしら?しかし、いい年して町歩いてる女に一々心ときめかせてるのもビョーキか。

僕の10代後半は80年代前半の何をやっても無意味…みたいな空気感が、背景にあって、そこから時代はビニール本→裏本→エロビデオ→裏ビデオ→AV女優のアイドル化と、エロはサブカルチャーの主流として目覚しい発展をとげてゆく。僕はそんな昭和のエロ文化の成長とともに、子供から大人への階段を昇った。だから単に今の文化のデジタルの媒体が合わないだけなのかもしれない。その頃の、作品をみたら、何か感じる事があるかもしれない。「うつ病」かどうかの判断はそれからでも遅くはない、と、中野まんだらけ、へ出かけた訳でして、「まんだらけマニア館」にも久し振りに顔を出した。
すると、「羽中ルイ」のマンガがあった。
羽中ルイ、は70年代後半から80年代初頭にかけて、僕が多感な時期にエロ雑誌にマンガを発表してて単行本を量産していた漫画家だ。僕は懐かしくなって、羽中ルイ、のマンガを2冊レジに出したら、店員さんに「爬虫類、好きなんですか?」と親しまれ、「?」と思ったら、「羽中ルイ」って「ハチュウルイ」って読むって初めて知った。僕がハイティーンの頃は、「ハナカ・ルイ」とか、「ハネナカ・ルイ」と読むと勝手に思い込んで、当時、それを共有する友人もいなかったから、これまで30年以上も訂正されずに来てしまった。
まさか、「羽中ルイ」の読み名が「ハチュウルイ」というダジャレ名だとは思いもしなかった。そんな衝撃を受けた僕は、まんだらけにある、羽中ルイ、のマンガを1冊600円くらいを、全部買って、8000円くらい使った。↓。

羽中ルイ、は漫画エロトピアとかに描いてるすごいやらしいマンガだったと記憶しているが、とは言っても、今の皆さんが初見で「羽中ルイ」をみてもなんとも思わないと思います。ただのエロ漫画だと思うでしょう。

さて、心の護美箱(24)いっぱいになったので、(25)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

さて、今回の記事は、ハチュウルイ、についてです。↓。

 

5/ⅩⅠ.(木)2015 亡き母の誕生日
爬虫類に詳しい人から池袋のサンシャイン60で「大爬虫類展」をやると聞いた。
爬虫類の展示即売もするらしい。
それがうっかり家族にバレてしまった。
家族は口々に、
「行っても良いけれど、何も買ってきちゃダメよ」
「誰も世話する人が家にいないんだからね」
「飼っても、可哀想なのは、その爬虫類なんだからね」
「本当に好きならやめてあげて」
「むしろ、爬虫類展には、行かない方が良いんじゃないか」
「見たら絶対、欲しくなるものね」
「欲しくなったら、絶対、買ってきちゃうものね」
「やっぱり、爬虫類展には行かない方が良い!」
と寄ってたかって、多勢に無勢だ。
民主主義に乗っ取って、仕方なく、僕は爬虫類展に行くのをやめた。
代わりに、オオトカゲのフィギュアを買って、診察室に置いた。↓。


受付スタッフは朝に診察室のお掃除をしてくれるのだが、知っていても毎朝ドキリとする、と不評であった。
今回は特別に診察机の上に置いてお披露目。↓。


患者さんからも、「あれ、恐い。隠して」と言われ、それであちこちに移動しているうちに、首のあたりに亀裂が入り、
首の中から下のスポンジ生地がモコモコと出て来て、まるで、憐れなジラースの最後、みたいになってしまった。
ジラースとは、ウルトラマンに出てくる怪獣で、ビジュアルは同じ円谷プロのゴジラに襟巻をした怪獣だ。↓。


おそらく、ジラースはウルトラ怪獣史上、最弱の部類だ。
怪獣博士が、ジラースを作り湖の中で静かに暮らしていたのに、旅行者に発見され、ウルトラマンに怪獣という理由だけで、
何も悪いことをしていないのに退治された。
その時のウルトラマンの極悪非道ぶりは、筆舌に耐えがたく、ジラースをもてあそぶように、からかいながら、たとえば、
ジラースの襟巻を引きちぎり、その襟巻をマントのようにヒラヒラさせて、ジラースは頭から突進することしか出来ない。
ウルトラマンはそれを闘牛士気取りで、サッと身をかわして、おどけて、イジめるのである。
そしてお決まりのスペシゥム光線でやっつけて、ラストは口から血を吹いたジラースの断末魔の表情がクローズアップされ、
ブクブクと湖に沈んで行き、おしまい。
以前、ナースの塚田さんに見せたら、「これはひどい!ジラースが可哀想すぎる!」と怒っていた。
彼女は弱気を助け強気をくじく、正義感が強いからね。
憐れなジラースをマリア様の慈愛の光とともに。↓。


下が、ウルトラマンにやられた、ジラース、のような痛々しさのオオトカゲ。↓。


やはりフィギュアと言えど飼育は難しいのか。
僕は東京都が指定している半透明のビニール袋にお花を添えて、祈りを捧げて、オオトカゲのフィギュアを弔った。↓。


その昔、僕は子供の頃、カメレオン、や、グリーン・イグアナ、なども飼ったことがある。
しかし、当時はヒーターなどの装置もなく、エサもハエを叩いて、半殺しにして与えたりしていた。
これはなかなか難しく、技が必要で、爬虫類たちは動かないと食べないから、気絶だけさせて、全殺し、ではダメで。
その頃の僕は野生児のようで、学校帰りに、トカゲやカエルやイモリやヤマカガシを捕まえてきては、家の庭に放した。
僕の野望はうちの庭で爬虫類と両生類を繁殖させ彼らの楽園を作ることだった。
僕の家の街灯には夜になるとヤモリが群がるのを、理科の教師に自慢したら、「欲しい」と夜に家にやって来た。
<ご自由にどうぞ>、と僕が言うと、教師は「どうやって捕まえるの?」と尋ねた。
僕は、街灯を揺すって、ヤモリの目を回し、ふるい落とし、数匹のヤモリを教師に渡した。
すると、翌日から、学校の狭い廊下で理科教師とかち合うと、向こうが道を空け、「どうぞ」、と言った。
僕は、こんなことで人生の形勢とかが変わるものなんだと実感したものだった。
僕の家族は僕以外は皆、爬虫類(や両生類)が嫌いで、父は池で鯉を飼っていたが、「鯉が食べられてしまう」と怒った。
僕は、<アカハライモリがキンカブトを食べる訳ないじゃないか。バッカじゃなかろうか>とトニー谷みたいに言い放った。
滅多に僕を怒らない母も、目の前で大量のトカゲやカエルを庭に放つ僕の姿をみて、怒っていたな。
僕は、そんな両親をみて、<怒ったって何も変わらないのにな>、と思ったものでした。
その年の川原家の流行語大賞は、「母さん、怒ったって何も変わらないよ」でした。(うそです)。
家族は大変恐怖しましたが、しかし、母の声にびっくりしたのか、ヘビやトカゲはうちの庭からいなくなってしまって、
僕はとてもガッカリした。
あるいは、野鳥に食べられてしまったのかもしれない。女と鳥類は凶暴だな。
おじさんとおばさんの役割とは何か。
唐突だがそんなことを考えてみた。
それは、僕はこう思う。
親が禁止していて、子供が自分の経済力では買えない物をプレゼントする係りだ。
僕のおじさんの住んでいた溝の口の辺りに大きなペットショップがあり、そこにワニが売っていた。
僕は何かの記念日か何でもない日のお祝いに、おじさんにせがんでワニをゲットした。
ワニを池に放とうかとも思ったが、イモリで怒る父だ。ワニを泳がせたら卒倒してしまうかもしれない。
仕方ないから市営プールにワニを連れて行き、一緒に泳いだ。
すると、すぐに係りの者が飛んできて、厳重注意を受け、僕は出禁になった。
なので、僕はそれ以来、夏休みにプールに行くという選択肢が消えた。
だから僕がいまだに泳げないのは、市営プールの警備員のせいだ。
な~んて、そんなことを言ってはいけませんね。
なんでも、他人のせいにするのは、僕の悪い癖で、それは政治や文明や教育や世代のせいだと思う。
両親には僕とワニを厳重に管理する責任があった。
父は庭の隅に、小さなプールを作り、そこで僕らは近所の子供達も呼んで一緒に遊んだ。
子供達はすぐにワニに懐いていた。
ワニの餌は生きたドジョウや、肉を紐で縛り、動かして獲物のようにして食べさせた。
飼育は大変だったが、それなりに面白かった。
しかし、当時は知識も機械も乏しかったから、越冬するのが困難だった。
寒い冬が来ると水温を保てず、ワニは死んでしまった。
ワニが死んだ日のこと。
僕はワニを供養のために、食べる、と言って母を困らせた。
母は、ワニの料理をしたことがない、などと言い訳をして、父は寄生虫がいるからと説得した。
しかし、そんな理性的な理由は僕の衝動にブレーキを掛けるのには不十分だった。
結局、母は鶏のササミか何かを買ってきて、それをワニの形に切り抜いて、フライにした。
その日の晩ご飯のおかずは、「ワニのフライ」だった。
当時は公害の問題で、魚の値段が釣り上がっているという時事ネタを「サザエさん」の4コママンガでやっていて、
サザエとフネが「子供達が魚が好きだから困るわね」と言い、苦肉の策、鶏のササミを魚の形にしてフライにする、
という同じシーンがあった。
その4コマのオチは、カツオがワカメに「大人も苦労してるんだね」とこそりと言い、「協力しよう」と。
カツオが「あっ、魚の骨が刺さった」と口に指を突っ込み骨を取るマネをして、ワカメも「私も」と同じポーズをとり、
サザエとフネが青ざめるというものだった。
僕はそのマンガを見た直後だったから、仕方ない、黙って、「ワニのフライ」を食べた。
淡白で味も素っ気もなかった。
<ワニの肉は言われた通り、本当だ、うまくないね。もう、これからはいいや>
母は安堵の表情を浮かべ、そうして、我が家の食卓に「ワニのフライ」が登場することは、2度となかった。


緊急提言!エロタナ

1/Ⅹ.(木)2020 朝、小雨。中秋の名月なので、受付のスーちゃんに、水晶を月光で浄化指令。スーは恥ずかしそうに夕暮れの大岡山北口商店街でクリスタルを満月にかざす。

芸能人の自殺者が続く世の中なので緊急提言。皆さんは、エロスとタナトスって知ってますか?
簡単に言うと、エロス=「性衝動」とタナトス=「死の本能」です。ベクトルが逆だと思うといいです。なので、タナトス(死)に傾いたら、エロス(性)を増やそう!という企画です。

こないだの、タモリ倶楽部は、あいみょん、と、かまいたちをゲストに迎えて、春画、の特集でした。
あいみょんは、春画のコレクターでもあり、官能小説の回にならって、かまいたち、との共演です。
春画は、放送できませんから、一部、「タモリ倶楽部のマーク」で隠してました。
春画とは現代で言う漫画みたいなもので、性行為をみてる第三者が存在し、その一言が、画面に記されています。
たとえば、夫婦の性行為をみてしまった乳母は、愛液がしたたりおちる、と言いながら興奮しそれの象徴のように画面右で茶釜が沸騰しています。
その解説に、あいみょんは思わず両手を頬にあて体を左右に振ります。
年下の男児を誘惑する女の性行為を覗くのは、女の友人2人で、わたしもあんな子ならしたいは、と言い、画面には初体験の象徴の梅の花弁が舞います。
この解説にも、あいみょんは満面の笑みでご満悦。
そして、あいみょんが選んだグランプリ作品を「お見せできる部分だけ」三角形に切り取って、Tシャツにプリントして、かまいたち山内が着ます。
あいみょんはタモリに「これいい!私、Mステ、これ着て出ます」と大興奮。タモリが適当に流すと、同じセリフを二度言いました。
きっと本当に着て出るのでしょう。その時、タモリがどう対応するかが見物ですね。
ちなみに、あいみょんが選んだ春画は、亡くなった夫の墓石の前で犯される未亡人。犯人は寺の住職です。

下は、10年前のいくつかの記事の編集です。↓。

 

僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。
ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。
逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、母が死んだら後を追おうと決意した。母が死んだら死ねる場所をいくつかみつける。僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、掲載されてるマンガがシュールで面白かった。誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置してエロ本の不法投棄はなくなった。小学校低学年の頃である。そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。
話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。
父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、学校の実習を終えるとお見舞いに通った。
父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、ある日、2人きりの時にすべてを教えた。
父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。

いつの世も、クラスにはアイドル的存在な子がいるもので、AZもその1人だった。
AZは外見は可愛いいが、あまりブリブリ・キャピキャピしてなくて、さっぱりした親切な人だった。性格的には男っぽいのかもしれない。
だから、恋愛の対象として大ブレークすることはなかったが、隠れファンは多かった。
AZ人気がブレークしない別の理由は、もう何年もつき合っている彼氏がいることだ。
AZは自慢するでもなく、かと言って秘密にもしてなかった。
AZが21才の頃。AZの誕生月は11月なのだが、その誕生日の前に彼氏と別れたらしい。この噂は一瞬にしてクラス、学校中に広まった。もうじきAZの誕生日、ここはひとつ「バースデー・テープ」を作りAZに贈り誰のテープが心を射止めるかという恋のレースが始まった。で、このレースの行方がどうなったかというと、AZは僕らのプレゼントをとても喜んでくれ、「ありがとう」と感激してくれた。どのテープが一番良かったかを聞いたら、AZはやんわりと「人に順位はつけられない」みたいなことを言っていた。
そんなAZは1年後の11月、僕の父親のお通夜に試験直前にもかかわらず顔を出してくれた。医学部の生徒は優しい人が多い。友人が気を利かせてAZを引っ張ってきてくれたのだ。
「喪服が色っぽいね」と僕が言ったら、AZはとても優しい笑顔で「無理に明るいふりをしなくていい」みたいなことを言って、
それから何かを思いついたらしく、ファッションショーのモデルみたいにクルっと一回転して喪服姿をサービスしてくれた。


相談室だより 〜2020 秋 新たな始まり その1

こんにちは、とくだです。お久しぶりです。今回は、本人です・・・笑(?と思った方は相談室だより〜2020夏 初恋をご参照ください…)

コロナ禍で、心理臨床の業界もオンラインの臨床をめぐって、様々に検討され始めています。私たち心理部門も、月1回の定例ミーティングをオンラインで行い、交流をしています。

コロナによって途切れてしまうよりも、できる範囲で交流できたらと3人の意見も一致したので。今月のミーティングでは、新たに心理療法(カウンセリング)のお知らせを作成しようと、話し合っていました。私たちが普段行っている心理療法とはどういうものなのか、ということを考える作業をディスカッションでき、それもまた刺激になりました。

 

3人、と言いましたが、実は4月から心理部門に新たなメンバーが加わりました!

現在の心理部門は、

火木担当の原さん、

水金担当の私、

そして土曜担当の松井さんです。

新たなメンバーと心理部門のご紹介も兼ねて、それぞれの今の思いを記しました。

まずは私→原さん→松井さん、とバトンを渡していきますね。

 

私たちが心で感じているものは常に動いているし、捉え所がないし、目には見えないものです。私たちは、寝ていても起きていても心は活動していて、意識と無意識との間の壁を調節していたりするのだと思います。

その心の活動を助けたり、成長を促していくには、その心を写し返してくれる相手が必要です。その相手に自分が投げ入れ、相手がその何かを受け取り、また相手から何かが自分に返され、受け取る、そういった交流を、繰り返し、繰り返し私たちは行っています。

基本的に私たちは初めから心を知るわけではなく、こうして相手とのやり取りを通して、

心の活動の幅を広げ、成長していきます。それは場合によっては、逆の方向へ向かっていったりすることもあります。

例えば、赤ちゃんが何かしらの不快感を抱いて泣く、お母さんがそのサインを受け取り、おっぱいやミルクをあげたり、おむつを変えたりする、不快さが和らぎ、また赤ちゃんは落ち着くというようなやりとり。そういう交流が繰り返されながら、自分に生じてくる快・不快について赤ちゃんは理解していく、というように。

 

そのやりとりは心地よい安心感を得られることもあれば、不快さや痛みを伴うこともあります。痛みの扱い方も、人それぞれ、あるいは同じ人でもその時期によっては、様々な現れ方をします。

憤りになることや、悲しみや孤独を強く感じること、そもそも痛みに気づかないようにする、無かったことにすることもあり得ます。

その痛みの中にいる時には、なかなか冷静になれない、それも自然なのかもしれません。

ただ、そこで立ち止まって自分の心に目を向けてみてほしい。

そして自分が何を求めているのか、そういう声を聞いてあげてほしい。

そんなに簡単に答えは出ないかもしれません。痛みが強いときには逃げ出したくなるかもしれません。それもまた今の状態の一つでしょう。

自分の心の声に耳を傾け、何を求めているのか、どういうことを選びたいのか。

痛みから目を背けすぎずに向き合うことができたら、

今より少しシンプルに心と付き合えるようになるのではないだろうか、と思うのです。

私は心理士の役割として、そういう痛みも含めて、

相談室という空間において、心理士と相談者の方の心が、どのように動いて交流しているのか、それを感じ、考え、体験しながら、お互いに向き合っていくことなのだろうと最近改めて感じているところです。そのためには、心理士自身も学びつづけ、その時に感じる体験を大切にしていきたいと思っています。

 

次は、原さんにバトンを渡します!

 


相談室だより 〜2020 秋 新たな始まり その2

バトンを受け取りました!火曜と木曜担当の原です。

 

■ 「病んでる」と「健康」のあいだ

「病気でないのに、カウンセリングを受けてもいいんですか」

「復職したら(学校に行けたら)、カウンセリングは終わりですか」

「カウンセリングに興味あるけど、家族や友人にうまく説明できなくて困っている」

 

カウンセリングや心理療法について、このような声を時々耳にします。カウンセリングには、少なからず、「病んでる」「メンヘラ」「健康でない」といったようなイメージもあるのかもしれません。(カウンセリングの意義を社会に伝えていくはずの、私たち臨床心理士の力不足でもあるのですが)

いったい、健康な心とはどのようなことでしょうか。ストレスを何も感じず、物事を思い通りに進めることができ、自分ひとりですべてを解決できるような心のことでしょうか。

例えば、周りからは、だいじょうぶと思われている人が、自分自身がいる場に安心感や帰属感を持てず、その場にいるだけでひどく疲れたり、不安な気持ちが強くなってくることがあります。また、相手が違っても、なぜかいつも同じような人間関係が繰り返されてしまって、困っている(あるいは困らせている)人もいます。

このような心の状態は、「病んでる」とも言いきれません。一方で、社会で求められている機能を外的に果たしていることだけで「健康」といえるでしょうか。人の心は、「病んでる」「健康」であると、安易に二分することができないものです。

私たちを取りまく環境が大きく変容したり、あまりにも過酷な状況、例えば、戦争中である・大きな災害にあう・大切な人が亡くなる、などでは、むしろ、「病んでる」ように見える心の状態になることのほうが、逆説的に健康な心の状態であるともいえます。ショックを受けたり打ちのめされたり、一時的に大きな混乱も抱えるけれど、そのほうがむしろ自然であり、ゆくゆくは自己治癒力も働きやすかったりするでしょう。

異常な事態における、正常で健康な反応ともいえます。

 

■新しい日常とカウンセリングと

新型コロナの感染拡大では、全世界の人々が同じような危機を体験しています。たくさんの情報が流れる飽和状態の社会で、自分の価値観や生き方を見つめ直すことも求められています。これまで見て見ぬ振りをしてきたことを正面から見つめる必要性にも迫られています。

カウンセリングを通して、自分は何を大切にしたいのか、自分らしさとは何か、を一緒に考えてみませんか。

困っている自分を認めることや、ありのままの自分を受けとめることは、なかなか難しい作業です。カウンセリングでは、常識とか社会的な望ましさをいったん横に置いて、対話を通して本当の自分を見つめたり、生きづらさの正体に気づいていくことをめざしています。

矛盾に満ちた社会の中で、健康すぎず、不健康すぎず、ほどよく機能していく人(good enough person)であることを、あなたと一緒に考えたいと思っています。

 

それでは、松井さんにバトンを渡しますね〜


相談室だより 〜2020 秋 新たな始まり その3

はじめまして、今年の4月から川原クリニックに来ました、心理士の松井美呼都(まついみこと)と申します。川原クリニックの、どこか現実から離れたような不思議な空間に魅了され、吸い込まれるように参りました。

クリニックには、様々な理由で、多くの方が足を運んでいます。そんな、苦しんだり悩んだり、生きるために現実と向き合う時間を、まるで心のテーマパークのような、非現実を感じさせるクリニックの空間が包み込みます。そこには、心を守ってくれる不思議な力があるように思います。

 

私は、心とは、常に自由であることが大切だと、常々感じています。そして、ここはとても自由で、遊び心があり、「これでいいのだ」という声が聞こえて来るようです。私自身もこのクリニックのように、カウンセリングを通して、少しでも心が軽くなるような、共に悩みながら道を歩んでいく作業をしていけたらと思っています。

 

また、カウンセリングを受ける決心がつかない、なんていう方もいるかもしれません。けれど、“なんか気になるな”くらいの気持ちを感じたら、それはもう、カウンセリングを受ける動機に十分なり得るのです。

 

コロナ禍ということもあり、心理士同士の交流は、現在リモートで行っています。もしかしたら、直接顔を合わせた回数よりも、リモートで話したことの方が、多いかもしれません。

9月は、新しく作成する、カウンセリングのご案内チラシについての意見を交わしました。 カウンセリングと聴くと、とても身構える気持ちになる方もいらっしゃるかと思います。しかし、私たち心理士は、カウンセリングをもっと身近に感じてほしいと思っています。

カウンセリングについて気になったら、ぜひ、チラシを手に取ってみてもらえたら嬉しいです。


心の護美箱(24)~今田の昔

19/Ⅸ.(土)2020 明日から夏休み。夏休み中はコメントの返信は出来ません(サプライズあり?)。きちんと、目は通しますよ、受け止めます、想像力で補って下さい。それで良ければ…

医学部1年の化学の実習のペアは機械的に出席番号順に組まされた。
僕とマサキの苗字は二人とも「カ行」で、続きだったから、席順は隣同士だった。
マサキの漢字は「マキ」とも読めて、僕はてっきり、ペアを組む子は「マキちゃん」という女の子だと決め付けていた。
「マキちゃんって、どんな子かな。きっと笑顔の良く似合う世話好きな少女に違いない。イヒヒ」って妄想してた。僕は、空虚な大学生活に、学園ラブコメの要素を期待して、「マキちゃん」の到着を待っていた。そこに現れたのが、実習のパートナーで「こんにちは、僕、マサキだよ」と丁寧に挨拶する男だった。
僕の実習のパートナーに対する第一声は、「君、この実験、1人でやってね。俺、やる気なくしたから」だった。
僕は本当にマサキに1人でやらせた。実習はとても長くかかって、マサキは僕に、「頼む、これ洗ってくれないか?」と巨大な球状のビーカーを渡した。
それは、何十万円もする高級なガラス細工の実験道具だったけど、「わざと落として割っちゃえよ。洗わないで済むぜ」って平然と答えた。
後で、聞いた話だと、マサキの僕の第一印象は、「本当に嫌な奴だった」そうです。

 

さて、心の護美箱(23)いっぱいになったので、(24)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

とにかくダラケテ何もしてないダメ人間の人にとっては、今回のコロナは何もしない言い訳になって好都合だという喜びの声を聴きます。ダメ人間以外にも、人付き合い・親戚付き合いが嫌いな人には、コロナは格好の口実になると重宝されてますね。光あるところに影がある。逆もまた真、ですね。今回の過去の記事は、そんなダメ人間な皆さんに愛をこめて送ります。9年前の記事だから、まだ第2次安倍内閣発足前ですね。↓。

 

31/Ⅰ.(月)2011
深夜テレビ「お願いランキング」に、今田耕司が出てるのをみた。
ホスト役のブラマヨとやり取りをするトーク形式の番組だが、その中で「何故、今田さんはピン芸人なのですか?」
という質問に、今田は昔ホンコンさんと「Wホルモン」というコンビを組んでいたという。
解散の理由は、当時の今田は全然朝が起きれなくて、いつも寝坊して、
それでもああ見えてホンコンさんはとても優しい人で、ずっと許してくれていて、
それでも今田はずっと寝坊して、ある日、ホンコンさんが「このままでは2人とも駄目になる」と解散したらしい。
今田耕司は当時を降り返って「本当にダメ人間でした」と言っていた。
それは、本人が当時を振り返っても説明できないことだった。
学生の頃、忌野清志郎の売れない頃の日記を読むと、「この人はダメ人間だなぁ~」と思って、とても安心した。
そういえば僕も医者になりたては結構遅刻とかして怒られていた。
何年目かにある先生との出会いで衝撃というか影響を受け、真面目になった…というか、過剰に働くようになった。
それは今でもそのままで、人間は一生のうちで働くトータル時間が定められているのかもしれない。
まだ返済期間みたいだ。
何年か前に、指導医の先生にお会いして近況を報告したら、「へ~、川原君、朝から仕事してるの?」と驚かれた。
人間はいつか何かの拍子にガラっと変わる時期がある。
風向きとか潮の満ち干きに喩えられるようなものだ。
だから、今、駄目な人もそういう時期が来れば自然と変わるから、それまではあまり努力をしないでいいと思う。
…無責任な発言だなぁ。
BGM. ハナ肇とクレージーキャッツ「ホンダラ行進曲」


忘れじの、文化部通信~その玖~

高校の英語の授業でやった話。
無実の罪で捕まった男は首をはねられる死刑が決まっていた。
しかし、ものすごく意志の強い男で、「殺されたら怨んでやる」とすごむから、役人も無実だと知ってる罪悪感も手伝って、おびえて中々死刑に出来なかった。
そこに呼ばれてきた戦略家は、「霊など信じるな」、と皆に言う一方、
男に対して、「お前の怨みが本気なら、首をはねた後、10m離れた場所の石に食いついてみろ」と言う。
男は意志が強い男だ、実際、死刑になった時、はねられた首が、10m飛んで、目標の石にかじりついた。
それをみた役人達はさらに恐れ、「やはりあの男の執念は尋常じゃない」と怯えるが、戦略家は笑いながら「もう大丈夫だ。奴のエネルギーは石にかじりつくことで全部使われた(だから祟られることはない)」と言って話が終る。ラフカディオ・ハーンの「ストラテジー」という怪談です。こんにちは、川原です。大坂なおみさん、すごかったですね。白人の警察官に殺された7人の黒人の名前の入ったマスクを特注で7種類用意して、(試合は決勝まで7試合あった)「全部のマスクを披露したい」と大会に臨みました。

昔、長嶋監督が日本シリーズで3連敗しました。日本シリーズは、先に4勝した方が勝ち。その時、長嶋監督は、「7試合目まで行く!」と決意をしめして、本当に3連勝して、3対3の7試合目まで行った。誰もが長嶋巨人の逆転Vを夢見た。報道陣も「監督、ここまで来たら日本一ですね」と興奮してたが、長嶋は冷静で、「7試合目まで行きます」と答え、最終戦で負けた。メイク・ドラマならず。でも、僕はこの時に予感していた、日本には言霊思想があり、長嶋は最初から「7試合目まで行く」としか言わず、「優勝する」とは一言も言ってないのだ。ある意味、有言実行。

そんな皮肉な言葉の力を僕は知っているから、ラフカディオ・ハーンの「ストラテジー」も学んでるから、大坂なおみさんは決勝まで行くとは思っていたが、そこまでだと思ってた。長嶋と同じように大坂も決勝で負けると思っていた。なのに優勝した。そこがすごいと思う。やはり彼女は日本人じゃないと思う。

さて、今回は、久々の文化部通信です。「文化部、なに?」そんな声も聞こえてきそうですが、部長の、スーちゃんに代わります。

こんにちは、お久し振りの文化部通信です。スーです。
皆さん、文化部覚えてますか?前回の文化部通信いつだっけ?と思い見返してみると、今年の3月でした。自称部長の私でさえ、その存在を忘れかけておりました。
あっという間の数ヶ月で、その間もコロナ騒動で世間がバタバタしており、楽しい夏祭りなどもなく過ぎ去って行きましたね。
もう9月。気分を入れ替える為、少し模様替えをしました。

では受付周りから
ついに川原クリニックにも飛沫感染防止のアクリルパーテーションがつきました。


見えますか?ドラえもん達の後ろにあります。
アクリルパーテーションは、距離感を感じてあまり好きではないという意見はあると思います。しかし、ご覧の通りすごく透明で違和感があまりないんです!
私たち受付は、存在を忘れて手で倒してしまわないように気をつけていこう。。

真ん中には、こんな感じで少し穴が空いているので、ここから診察券のお預かりやお会計をさせていただいております。少し狭くなってるので不便があったらすみません。

少し早めのハロウィン仕様です。↓

伊之助の後ろではしゃいでるおばけ達↓

安定した人気を誇るねころびゾーン。こっそりと↓

なぞなぞも新しくなっております。↓


解けたら受付まで!ヒントもあるので、ぜひぜひ受付までお尋ね下さい。

 

お気付きの方もいらっしゃると思いますが、診察室も少し模様替えしております。みなさんがいつも座ってるところから右を向くとこんな感じに

ソファが斜め向きになり、ピカチュウ達が手前に出てきてくれています。
あれ?ピカチュウの中になにか違う・・・??

その右下に目を移すと、”足”があります。ギョっとする見た目ですね。
こういうのをみると思うのですが、本当に先生はどこから入手してるんでしょう・・足なんて。なかなか見ないデザインですよね。
皆さんぜひ、診察室に入って椅子に座った際は、一度右側をゆっくりご覧になってみてくださいね。

診察室を通り過ぎた先にある、心理の部屋の入口も↓

おそ松さんコーナーが、ここに集結しました。
トト子ちゃんのトレーディングカードがすごく可愛いんです!キラはレアなのかな?

そして、先生のネイルが復活しました

先生にネイルのテーマを聞いたところ、「今日本に足りないもの。ゴージャス。」と言っていました。確かに今の日本は、コロナで外に遊びにも行けず、家の中で我慢我慢・・と閉鎖的になっています。その中でこのキラキラ綺麗なネイルを見ていると、少しの間だけでもちょっぴり豪華な気分になりますよね。爪って何をしてても、視界に入ってくるのですごくいいな~と思いました。楽しい事を一つずつ見つけて、それを大事に過ごして行きたいなと思うスーなのでした。お出かけはもう少し我慢・・・。

 


心の護美箱(23)~ナス

10/Ⅸ.(木)2020 はれ ホリエモン、機内マスク着用拒否事件、にブチギレ!

格安航空会社ピーチ・アビエーションの機内で、搭乗した客の一人がマスク着用を拒否し、さらに周囲の乗客や客室乗務員に対し威嚇行為をしたとして飛行中だった飛行機を新潟空港に臨時着陸させたという事件を、今朝のテレ朝「羽鳥慎一モーニンショー」とTBS「グッとラック!」の両ワイドショーで放送していた。しかし、取り上げ方がちょっと違って、「羽鳥」では、困った客だという直線的な報道で機内にいた別の客の声も「新潟で下ろされる時、バイバイ~、と手を振っていた」という態度の悪さを強調。一方、「グッとラック」では本人の独占インタビューに成功し、元々彼は耳が悪いので「声が大きくなってしまう」という身体的なハンディキャップのことや、意外とまともな彼の言い分、そして別の機内の客の意見も「迷惑だ」ばかりでなく反対意見の「大人しかった」という声も拾っていた。TBSって昔はあまり取材しないで一方的な決め付けをするイメージだったが、今回はかなりバランスが取れている印象だった。10月以降の改編で、ロンブー淳や金曜レギュラー・フワちゃんが合流する準備万端である。

そんな世相の中、僕は週末、呑屋でお土産にもらった野菜をリュックの中に入れっ放しだったことを今朝発見。少し、しなびている。下が、そのナス。ベッドに横たわらせてみた。↓。

さて、心の護美箱(22)もいっぱいになったので、(23)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

今回は、ナス、にちなんだ過去の記事を編集して再録します。

↓。

 

人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲だと言われ、うつ病では、これらが障害される。
だから、うつ病の評価スケールでは必ずこれらを含めたクエスチョンがされるべきなのだが、何故か、(というより、わかるが)性欲については、聞きにくいし、喋りにくかろう。

ある大学病院で治験をやってる精神科医と話したことがあるのだが、女性に対して性欲の質問はしづらいと言っていた。
だけど、患者が喋りづらいことを聞くのが、こっちの役目だろうが、と思った。

実際、セックスのことで悩んでる人の潜在的な数は多い。悩みは色々。人それぞれ。
でも、食欲や睡眠より、性欲の悩みを抱えてる人が意外と多いと思う。

皆さんに、性欲について話をさせるなら、こっちからそういう話を切り出さないといけないのかな?と思い、今回はそういう回にします。
だから、性的な話が嫌な人は、ここから先は読むのをやめて下さいね~

セックスはタブーである。
たとえば、青少年に見せてはいけない「なんとか指定」は、暴力とセックスの関連だろう。テレビやお茶の間もあきらかな性的描写を排除する。

それで思い出したのだが、僕が小学校低学年の頃、12チャンネルで「ハレンチ学園」の実写を放送していた。
ハレンチ学園は文字通り、ちょっとエッチなシーンの多い、永井豪の原作のマンガで、それをゴールデンタイムに、お色気ムンムンで発信してしまったのだ。

それは大評判になり、子供達は夢中になり、PTAは「俗悪番組だ」と目くじらを立てた。
その余波は僕らにも直撃して、「毎週、木曜、7:30~8:00は、自宅学習しましょう」と学校から命令された。
まぁ、家で宿題をいつやろうがこっちの勝手だから、僕はルールに従わなかったが、結構、その影響力はあって、その時間帯に勉強させられてる家庭のクラスメートはいた。だから学校で「ハレンチ学園」の話をしても盛り上がれなかった。いやらしい、やり方だよな、PTAとか大人って。「ハレンチ学園」の放送時間を自宅学習の時間にしたのである。

そんな「ハレンチ学園」が文部科学大臣賞をとったそうで、永井豪の作品が続々と再版されている。
なんだか、しみじみするなぁ。「ハレンチ学園」が文科省に認められる時代まで生きてしまったのかと…。

当時、糾弾されてる若き、永井豪は、
「自分は性にめざめた頃、父親のエロ本をこっそり見た。しかし、少年の性への興味と、そのギャップは大きかった。だから自分はそれを埋めるべく、ハレンチ学園、を描いている」
というような趣旨の事を、当時、PTAなどに吊るし上げられているテレビ番組や雑誌の対談で懸命に反論していたのを覚えてる。
札幌オリンピックの直前だった。

僕は中学1年の夏休み、中耳炎になりほぼ夏休み中、耳鼻科に通った。そこの医者が良かったとか、そこの看護婦がやさしかった、なんて思い出はまるでなく、何の感謝もない病院だが、(中耳炎は治った)そこの待合室にある「少年マガジン」に連載されていた永井豪の「イヤハヤ南友」が、なんとも、いやらしくて、楽しみで、毎週、喜んで、その耳鼻科に通っていた記憶がある。

オナニーをいつから始めるかは人によると思う。時代とか文化とか学校の友人の影響とか大きいと思うが、ネットがある今だと、また違うのかなと思うが、性的なことに関心を示すのは、やはり本人の目覚めだと思う。

僕が小6の頃、山上たつひこ、の「がきデカ」が人気だった。僕は週末、東京の塾へ電車で通っていたから、その行き帰りに、「少年チャンピオン」を読んでいた。「ブラックジャック」や「ドカベン」や「エコエコアザラク」や「よたろう」もあったが、やっぱり一番人気があったのは「がきデカ」だった。

山上たつひこ、は皆さんどのくらいすごいか知らないかもしれませんが、たとえば「こち亀」の秋本治が連載当初のペンネームは、山止たつひこ(やまどめ たつひこ)だったというくらい、つまり「宝島」を「宝鳥」とか、「乞食王子」を「乞食玉子」みたいに読み間違えるダジャレにするのと同じくらいメジャーな人で、そんな山上たつひこ、の「がきデカ」以前のヒット作は、「喜劇新思想大系」で、それは僕らの世代には古臭い、性の啓蒙書だった。

そのマンガの中で主人公が、オナニーに使う道具が、「コンニャク」だった。
コンニャクを人肌に茹でて、そこに割れ目を入れると、女性器と同じような感触になるというのだ。僕のまわりでそんなことをしたという人に1人もあったことがない。だが、僕は1回だけ試してみたことがある。

コンニャクを手に入れる時は苦労した。
当時はスーパーやコンビニがないから、町の豆腐屋に行って買うのだが、コンニャク1つだけ買うと、「さては、この子、オナニーするつもりだな」と見破られそうで、仕方ない、要りもしない、焼き豆腐と木綿豆腐を一丁づつ余計に買った。
丁度、エロビデオを借りる時、「キタキツネ物語」と「タイタニック」ではさんでレジに出すテクニックと同じだ。

この話を(当時の)受付にしたら、爆笑された。普通に1つ買っても変に思う人はいないって。「じゃ、あなたは、八百屋にナス1本だけ買いに行ける?」と聞いたら、「行けますよ。1本でも、10本でも」と答えるから、「逆に10本なら平気なんだよ。ナス料理を作るみたいだから。ナスを1本だけ買うんだよ」と念を押しても、「全然、平気ですよ」と一蹴された。

僕の失敗は、コンニャクに包丁で綺麗に縦線を入れてしまったから、おチンチンをコンニャクにさすと、ヌルっと飛び出て、まるで、チビ太のおでんのように、ウインナーがコンニャクから突き出てるようなマヌケな絵づらで、僕はそれを鏡に映して、我ながらそのアホらしさに、性欲も萎え、鏡をみながら、コンニャクをさしたまま、フラダンスを踊ったものだ。↓。

BGM. かぐや姫「おもかげ色の空」


お寝坊さん

9/Ⅸ.(水)2020 はれ 志村けん、浅草芸能大賞の特別功労賞。

先日、洗濯物を出したら、靴下が片っぽない、と言われたのですが、どこを探しても見つかりませんでした。僕はほぼ毎週、日曜日、近所のイタリアンに行きます。昼から飲める店だからです。すると、 店の女の子から、「これ、忘れ物です」、とビニール袋に入れた片っぽの靴下をもらいました。↓。


まるで、検察が発表する、犯人が所持してた違法薬物の証拠品みたいですね。

僕は大抵、この店で、ワイン2本はあけて、記憶をなくして帰ってきます。だから店の人も慣れっこです。さて、お酒もほどほどが大事です。さまないと、重要な用事に寝坊するかもしれないからです。そんな訳で、今日は寝坊の話を3件します。

まずは、10年前の記事から。↓。

 

5/ⅩⅡ.(日)2010 まさかの…
今日は、しょこたんのファンクラブ限定のバスツアー。この日を、楽しみにしていた。

室内履きを用意しろ、と言われたので大岡山北口商店街で小学校用の上履きも買った。↓。
名前も書いた。↓↓。



前の晩、もらった芋焼酎「赤兎馬」を、柳家三亀松の都々逸を聴きながら呑んで空けたら、まさかの寝坊で不参加。ショックで、一日寝ていた。

それを知ってか知らずか、徳田さんが、「吉田さんって、ショコタンに似てませんか?」と問題発言をぶちかました。絶句する僕に、徳田さんは、「いやっ、ちょっとした表情とか、…仕草とかが…。ね…。(汗)。」ってとりつくろった。
一方の吉田さんには、「徳田さんとショコタンって似てると思うんですけどぉ」とすえ恐ろしいことを言われてしまった。
まるで、2人で「ショコタン」をなすりつけ合ってるみたいだ。何じゃ、ソリャ?。
下は、今週のお花。↓。ひまわり同士が、「あなたの方が似てるわよ」と譲り合ってるように見えるのは、猛暑のせいか?。


「中川翔子バスツアー」、まさかの寝坊で不参加のショック以来、ファンクラブ「ギザぴんく!」の会費を滞納していたため、ファンクラブからお知らせが来なくなり、ライブのチケットもとれなくなった。そう岡田さんにこぼしたら、「先生は、もうショコタンのことを好きではないんですよ!」と、まるでFBI心理分析官のような鋭いまなざしと口調で断定されてしまった。何じゃ、ソリャ?。

 

ついで、2年半後の記事。↓。

 

26/Ⅱ.(火)2013 曇り
先週の土曜の外来をいつもより早く終わらせたのは、翌日に「しょこたんバス・ツアー」があるからという理由ではなくて、その日の夕方から漢方薬の研究会があるからでした。それに参加するため。ところが、土曜日の外来は混雑して、皆さんには早く来ていただいていたのに、長くお待たせしてしまいましたね。すみません。
僕もお昼休みなしのノン・ストップ外来でやったのですが、研究会には間に合わない時間になってしまいました。
徳田さんも6時でカウンセリングが終わりだったので、僕らは遅番の天明さんと3人でご飯を食べに行くことにしました。
普段の土曜日より2時間も早いあがりです。商店街の空もまだ夕方の空です。僕らは、少し得した気分で、肉食になりました。
自由ヶ丘に、「焼肉ハンター」という勇ましい名前の店があり、大岡山からはそこが近いし、美味しいのでそこに行きました。
僕らは、3人で、タンやカルビやハラミやロースを2皿づつくらい食べて、ビールやマッコリや黒烏龍茶を各々、飲みました。
スタートが早いから余裕しゃくしゃくで、一週間の終りが、こんな感じでお疲れ様会みたいになって、皆、喜びました。
僕らは、少し調子に乗っていて、余裕しゃくしゃくが裏目に出て、誰も腕時計をしていなくて、誰も時間を気にしなくて、
おまけに「焼肉ハンター」が遅くまで開いてる店だから、何かの拍子に、「今、何時?」と一斉に携帯orスマホを見たら、午前の1時1分でした。
もう終電もなくなっていました。
女性をこんな遅くまで引き止めてしまったのは申し訳なく思ったのですが、
2人は僕の明日の「しょこたんバス・ツアー」を心配してくれました。
東京駅7時15分集合だと、耳にタコが出来るほど、聞かされていたからでしょうね。
自由ヶ丘は、開けた街なのですぐにタクシーは拾え、2人を車に乗せてから僕は悩みました。
6時に家を出るとして、あと5時間、ここで仮眠をとるか徹夜で行くか。
しょこたんのイベントは体力勝負だ、徹夜では無理だ。
携帯のアラームの他、家にある目覚まし時計をあるだけかき集めてかけたけれど、一昨年の悪夢が再来、翌日、目が醒めたらお昼の11時だった。
携帯の着信履歴には、「しょこたんバス・ツアー」の係りの方から、4件の電話をもらっていた。
7時15分集合なのに、最後の着信は7時45分で、バスは僕のことを30分も待っていてくれたのだ。
「しょこたんファン・クラブ」はやさしいですね。
そして、もしこの記事を見てて、バス・ツアーに参加した方がいたら、すみません、出発を遅らせたのは僕のせいです。
迷惑かけてしまいましたね、申し訳ないです。
翌日にメールのやりとり、2人とも無事帰れたと確認し安心、2人は僕のバスツアー不参加の報を聞いて残念がっていました。
しかし、「焼肉ハンター」に6時間近くいたことには一同、ビックリ。今度は営業時間を確認して入ろうと学習しました。
言い忘れましたが、「漢方薬の研究会」関係の方、急に行けなくてすみませんでした。
しかし、今回は結構マッコリを呑んだのですが、乾杯の前と寝る前に「五苓散」を飲んでたら、まったく二日酔いしませんでした。
今までに二日酔い予防には色んなドリンク剤などを試しましたが、「五苓散」が断トツで効きますね。
念のために、翌朝にも飲むと、より効果的ですね。※効果は個人的な感想です※
下が、時間も忘れる自由ヶ丘「焼肉ハンター」。牛一頭買い!!、だって。↓。

 

3発目は6年前ですね。↓。

 

18/Ⅴ.(日) 2014 晴れ
お陰様で、学会、終わりました。
本番は朝9時からだが、シンポジストは朝8時半に集合。これは、絶対、寝坊すると思ったので、徹夜して行くことにした。
いざ徹夜すると決めると、時間がいっぱいあったので、演目を8題、作った。
朝、6時にクリニックから自宅に帰り、シャワーを浴びて、学会用の衣装に着替える。
自宅の浴室の鏡に映して撮影してみた。
紺と赤のストライプのセットアップのスーツに、ネイビーのTシャツの柄は、写真では判りにくいが、若い頃のミック・ジャガー。
靴下もストーンズの柄にした。鞄は、赤。↓。


靴は、中のTシャツと合わせて、水色。キラキラしたものが、散りばめてある。↓。


会場には僕が1番乗りだった。
どこが受付かも判らないから、直接、会場の前で待った。
しばらくすると、司会の先生とシンポジストの先生2人が現われた。皆、友好的な人で良かった。
1人の先生は、以前に何かの研修会で一緒になったことがあるらしい。そう言われると、思い出した。
僕は、初めて人と会う時は、一応、臨戦態勢で行く。でも、その必要はなさそうだったので、すぐ解除した。
発表の順番は、「年の順」にした。僕は、2番目。
僕はそこで3人が首から名札をしてるのに、気付き、僕より若い先生に、<それ、どこで貰ったの?>と聞いた。
すると、その若い先生は、「あれ?送られて来ませんでした?」。<いや>。
「ひょっとして申し込みしましたか?」と若い先生。<申し込みって何?>と俺。
「学会に登録しました?」。<知らない>。
「学会参加費は?」。<まずい?>。
ちょっと間があって、若い先生は「ま、いいでしょ」と苦笑。俺もつられて、<ま、いいや>と笑った。
司会の先生が、シンポジウムの趣旨を話、僕ら3人を紹介し、スタート。ちなみに、2人の先生は、パワーポイントを使ってた。
僕は本番では、原稿を読まない。アドリブで喋る。一応、前もって、原稿を作って、それを頭に叩き込みはする。
でも、本番中にはそれを見ない。その場で頭に浮かんで来た事を話す。その方が活きた言葉になる。
だから、話が脱線したり、飛んだりするが、原稿にはない、その場で思いついたことも話すので、僕の発表は臨場感がある。そして、僕は思ったのだが、もし急な停電が起きたとしても、発表のクオリティーに変化が出ないのは僕だけだ。

やっと、開放~!
さて、まだ油断は出来ない。昨日は徹夜だから、ここで仮眠したらアウトだ。
そこで、僕は寿司屋に行き、きゃりーちゃんのライブの時間まで一杯やることにする。
店主が「良い天気ですね~」と言うので、<朝から、学会発表だったんだ>と言うと、「それはご苦労様」と労ってくれる。
刺身や焼き魚を食べながら冷酒を3~4本、呑んだまでは覚えてる。
僕は、そのまま、店のカウンターで、居眠りをしてしまった。
ハッと、目を覚ましたら、時計の針は、午後4時を回っていた。きゃりーちゃんのライブの開演時間だ。
起こせよ、寿司屋!

以上、お寝坊×3、でした。


わかれうた×2

8/Ⅸ.(火)2020 はれ 大岡山タピオカ屋のあとは、テリー伊藤の鳥唐揚屋

昨日は美容院に行って、帰りに寄った、元祖つけ麺大王、で流れてる店内のラジオは、FMでSMAPの稲垣君の番組みたい。泣けるライブ、というコーナーで、清志郎の曲が流れたが、その後、スマスマに来た時の思い出をサラリと彼は語って、稲垣吾郎はサラリとしてていいですね。その後ニュースで、テニスの大坂さんが勝ったのだが、黒人が警官に殺されたのに抗議するマスクをしてたらしいと報道された。日本人のアーティストやアスリートは、政治に関与するとダサいとみなされるなぁ、と思いながら、清志郎は特別だったな、と思いました。ちなみに、稲垣君の選曲は、サマータイムブルース、…ではなく、スローバラード、でした。キョンキョンが、共産党から立候補すると、東スポに書いてありました。あと、2、3人追づいしたら、行けるかも❗️共産党❣️。…と思いきや、キョンキョン自身のツイッターで「あれはデマ」と否定。

今日は、お別れ、の特集です。まずは、ベルハーのみずほ。↓。

①28/Ⅹ.(金)2016  寒い雨
僕の好きな、ベルハー(BELLRING少女ハート)が年内で活動休止のショックと、
僕の推しの、水色担当・朝倉みずほが年内で引退&冠番組であるFM北海道「みずほのほ」が今週で終了という、
みずほロス、に動揺する僕はラジオの最終回にふるえる手でFAXを投稿したことは以前の記事でも紹介しましたが、
みていない人のために、ブルブルした字のFAXを再現しましょう。これです。↓。

しかし、世の中も捨てたものではありませんね、このFAXが最終回で読まれたのです(泣)
「みずほのほ」の最終回には、ベルハー・メンバー全員が終結し、大盛り上がりの中、読まれました。
しかし、ラジオ・ネームを書き忘れたこと、(すぐに2通目を送って、ラジオ・ネームは告げたが)、と、
FAX送信用紙の「川原クリニック」という印刷を消し忘れたため、
「これ誰からだろう?」
「川原クリニックって書いてある」
「職場かな?」
「あっ、川原さん、って書いてある」
「ごめんね、職場、言っちゃった~」
とメンバーの会話が放送され、最後の最後で大ビックリさせられました。
ちょっとヤバイかな、とも思ったのですが、まぁいいか、です。
記念すべき「みずほのほ」の最終回で、クリニックの宣伝をしてしまった訳でした。
ちなみに、このブルブルした字のアイデアは、妖怪「震々(ぶるぶる)」を思い出して書きました。↓。


この絵は、水木しげるの「日本妖怪大全」に載っていた物です。↓。


水木しげるは、ゲゲゲの鬼太郎に「峠の妖怪、ぶるぶる」を登場させているので、僕はそっちで知りました。
このFAXを送信してくれたのは、大平さんなので、彼女に「ぶるぶる」のことを教えてあげようとこの本を見せました。
すると、彼女はこの本の虜になって、他のページも読み込んで、「かなり面白いです」と喜んでいました。
そこまで喜ばれると、こちらのサービス精神も発揮されるというものじゃないですか。
僕の記憶では、「日本妖怪大全」には続編がありました。
前の本のイメージが赤なら、続編は青でした。
僕は続編は持ってなかったので、この際、みずほロス、でもあるし、購入して、少しでも心の空白を埋めようと思ったのです。
そして、大平さんには、<青い衝撃、って覚えといて>、と謎めいたメッセージだけ予告しました。
彼女は、「?」な顔をしながらも、「青い衝撃、ですね」と覚えておいてもらいました。
そして僕は、アマゾンで検索したのですが、「日本妖怪大全」、はみつかりませんでした。
受付には、<青い衝撃、がある>と大見得を切ってしまった手前、引っ込みがつきません。
新メンバーの山下さんは、ソネさんと大平さんに山口百恵の「赤い衝撃」の説明をしたりして、迷走し出しています。
早くなんとかしないと。
そこで僕は普段、足で鍛えた勘を働かせ、中野ブロードウェイの「まんだらけ」に照準を絞って、日曜日に向いました。
3階の2つの店舗にはありませんでしたが、4階の「マニア館」に1冊だけ、それも続編のみありました。
即、ゲットです。
やったー、アマゾンに勝った。…前にも、こんなフレーズを言った記憶があるなぁ。
「続・日本妖怪大全」で、おすすめの妖怪は、「真面目(まじめ)な幻獣(げんじゅう)」です。
こんな話しです。二人の男が勉学に励んでいたが、お互いに自分の欠点を認めずにいた。
すると、夜中に、外でガツンガツンと音がした。何かと思って見てみると、恐ろしい獣が石ころを戸に向って投げていた。
二人は、偉いお坊さんに相談すると、「それはお前たちの日頃の態度をたしなめているのだ」と答えて、
それから二人は互いに自分の欠点を認め、生活態度を改めた。そうしたら、その化け物は、もう出なくなったという。
ちょっと、良い話しじゃないですか?下が、「真面目な幻獣」。愛嬌があってビジュアルも良いでしょう?。↓。


そうそう、<青い衝撃>の話しですが、勿体つけてから、大平さんの目の前に、この本の表紙をパッて出して見せたら、
「キャー」ってお化け屋敷のお客さんみたいな反応をしました。↓。


リアクションはとても良かったのですが、トラウマになったのか、それとも飽きちゃったのか、本は裏にしまわれています。↓。


BGM.杉本哲太「青くてごめん」

次いで夏の終わりに思い出します。↓。

②22/Ⅷ.(水)2012 晴れ
毎日、夏い暑ですね。あまりの暑さについつい漢字の順番、間違えてしまいました。正解は、暑い夏ですね。
そんなホット・サマー、いよいよ岡田さんの退職はカウントダウン、明日と31(金)のみとなりました。
皆さん、それぞれに岡田さんに声をかけてくれているようで、ありがとうございます。ちゃんと報告を受けています。
今日はある方からの、新しい名字は何になるのですか?、の質問に、岡田さんはきっと照れくさかったのでしょう、
「K.です!」とイニシャルだけを答えたそうで、僕は自動扉を指差しました。↓。


すると岡田さんは、「いやだ~!」とおなかをかかえて笑って、後方に引っ繰り返りそうになりながら、笑い飛ばして。
岡田さんの退職の理由が、川原夫人になるから、だったらビックリだけれど、残念ながらそれはないです(ガッカリ)。
そういえば、岡田さんとの間にはこんな思い出がある。彼女が遅番の時のこと。
診察が長引いてうんと遅くなった時も、本当は早く帰りたいだろうに、彼女は「今日は何人、来ましたよ」と微笑む。
ものすごく大変だった日も、自分だって疲れてるだろうに、彼女は笑顔で「今日は記録ですね」と僕を褒めてくれる。
そんな時、決まって僕は、お互いが、お互いを労う様を、「まるで夫婦で焼鳥屋をやってるみたいだね」と形容すると、
彼女は、「なんで、夫婦?」と笑って答える。そこのツッコミは、「なんで、焼鳥屋?」だろ、フツー。
ま、いいけど。
将来、岡田さんは本当に夫婦で焼鳥屋をやったらいい女将さんになるんじゃないかな。お店は繁盛するんじゃないかな。
それこそ『焼鳥屋K』なんて店にして。ロゴ、使っていいよ。なんて、勝手に他人ん家の職業、変えちゃいけませんね。
ま、何を言いたかったかと言うと、さびしくなりますね。直接、お別れを言いたい人は、あと、残り二日です。
BGM. キャロル「夏の終わり」