27/Ⅱ.(日)2011 はれ
どこかの会社では英語が公用語で、朝礼も英語で喋るのだそうだ。日本語と英語では使う脳も、考え方も違う気がするのだが。
昔、英会話の上達にはフィリピンバーに通うのが一番だ、と遊び人の友人が言っていたっけ。
そういえば、予備校時代、関西人の友人といつも一緒にいたら大阪弁が伝染った経験がある。習うより慣れろ、ということか。
異文化コミュニケーションで思い出すのは、永井豪の漫画で永遠と戦いを続ける2つの種族がいて、滅びる寸前に結ばれて、子孫を残すのだが、子孫もまた2つに別れてお互いが全滅するまで戦うことを繰り返すという話であった。永遠に戦いを続ける2つの種族は、実は1つの種族のオスとメスだったというオチであった。
男と女は永久に理解しえない間柄なのだろうか?最後に、難しい問題にぶち当たってしまった。
それでは、なぞなぞで雰囲気をかえましょう。英語が得意な歌手は誰でしょう?。答え、河島英五。
BGM. 河島英五「酒と泪と男と女」
お掃除
26/Ⅱ.(土)2011 暖かい
物がいっぱいで雑然としていた診察室を整理整頓した。ずいぶんとスッキリして、ソファにも座れるようにした。
センターテーブルには、ビートルズの「愛こそはすべて」のお盆と、「ガロ」のつげ義春やエビスさんの特集号をレイアウトしてみた。
O君のすすめで、風水か何からしいが、本棚の一段に何も入れて置かないと運気があがるらしい。それも実践してみる。
診察室の僕の背に棚があり、そこには今まではマザーグースや寺山修司や谷川俊太郎の詩集を飾っていた。
診察は対面式なので、皆さんにはそれらの本が僕の肩越しに視界に入っていたかもしれない。まぁ、お話に集中するから何の本かなど見る余裕もないとは思いますが、今回のリニューアルにあたり専門書を並べてみた。チラっと見えるサブリミナール効果。
花瓶の位置を考える時、ここ↑にしようかなと思い、そうしたら僕の後ろにお花が見えてブロマイドみたいでカッコいいかな?と岡田さんに相談すると、ニコニコして<郷ひろみ、みたいにですか?>と言われたのでやめた。
気のせいかもしれないけど、ちょっと馬鹿にされたような気がしたから。気のせいだと思うけど。郷ひろみ、ってチョイスが…。
それでも今日、Nさんに「白いバラの花言葉」は「尊敬」だと教えてもらい、「先生は尊敬されてるんですよ」と言われた。
診療終了後、岡田さんに「白いバラの花言葉、知ってる?」とクイズを出すと、<何だろう?やさしさ?>と答えるので、「ブブー、正解は‘尊敬’です!」。すると、<へ~。でも、あのお花は吉田さんが選んだんですよ>と笑顔で返された。
BGM. オーティス・レディング「リスペクト」
商魂
25/Ⅱ.(金)2011 はれ
家に帰ると、TBSショッピングから「唯マフラー」が届いていた。
それが、これ。↓。
これは、TBSのテレビアニメ「けいおん」の中で主人公の平沢唯ちゃんが巻いていたマフラーを実際に
商品化した企画ものだ。
最近は、そんなものが好評で、他にもアニメの登場人物が普段着にしてるTシャツを売ってたりもする。
まだまだ、寒い冬の日です。マフラーは活躍しそうだ。
BGM. サイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」
悲しみよこんにちは
24/Ⅱ.(木)2011
ある人に、「さいとうゆうき、ってそれほどの者ですかね?」と聞かれた。
何で、今頃、唐突にそんな質問をされるのかとビックリしたが、よく聞けば日ハムの齋藤祐樹のことだった。
てっきり、斉藤由貴かと思ったから、あわててしまった。それもよく考えれば、あわてる必要もないんだけどさ。
斉藤由貴は「青春という名のラーメン」というカップラーメンや、AXIAというカセット・テープのCMが印象的だった。
そういえば、「夜のヒットスタジオ」にKUWATA BANDが出演した時、斉藤由貴がサプライズ・ゲストで登場したことがあった。
桑田が斉藤由貴のファンだと公言していたから呼ばれたんだろうが、発泡スチロールで出来たセットのカモメみたいのが、斉藤由貴のおでこに直撃して、「イテっ!」て顔をした映像が何故か鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。歌も「バンバンバン」だったし。
大丈夫ですか?ヒッチコックの「鳥」みたいですね、と司会の古館伊知郎がフォロー(?)していた。
BGM. KUWATA BAND「BAN BAN BAN」
思いつき
23/Ⅱ.(水)2011
お花を飾ることにした。自然のきれいなものがあった方が、クリニックにはいいかなと思ったから。
お花係は、受付の2人にたのむ。お花が枯れそうになった頃合をみて、その日に似合うお花を選んで買う役目。
これは、↑、記念すべき第1号。係りは、岡田さん。白いバラか、背筋が伸びる気持ちになる。なかなかいいぞ。その調子で。
BGM. ベッツイ&クリス「白い色は恋人の色」
遠慮を知る男。
22/Ⅱ.(火)2011
Sさん自家製の「フローズン・フラワー(?)」は、生花を凍らせて作るらしい。冷凍睡眠みたい。それが、これ。↓。綺麗でしょ?。
Mさんには、涼宮ハルヒのエンドレス・エイトver.のフィギュアをもらった。水着のみくると夏祭りの長門。ハルヒに振り回された終わらない夏休みで、長門が唯一欲しがったのがウルトラマンのお面だった。黄色いのがそれ。↓。
こんな風にブログに、頂いた物を載せると、プレゼントを要求してるような気になってきますが、決してそんな事はないので、どうぞ皆さん、何も要らないです。勿論、頂いた物は欲しい物でしたが、気を使わせてたら申し訳ないと思ったもので、つい。
BGM. ザ・フォーク・クルセダーズ「花のかおりに」
今日は池袋
21/Ⅱ.(月)2011 獨協の校医のあと
「東京ボーイズ・コレクション」をみにゆく。「国立演芸場」でやるものだと思い込んでいたが、「東京芸術劇場」だった。直前に、チケットを見直して良かった。うっかり半蔵門へゆくところだった。
この会は、「立川談志作品集」というサブタイトルがついていて、それというのも歌謡曲ばかりがネタだった東京ボーイズに談志が「ジャズやシャンソンやハワイアンやタンゴなどのスタンダードをやりなさい」と指導したことがきっかけで、その後も「政界ネタ」や「なぞかけ小唄」なども立川談志のアドバイスによるからだという。ゲストには、談志も出演し、他に立川談志の弟子が集まった。そういう意味での「作品集」。タモリの赤塚不二夫の弔辞と同義。
プログラムは、最初は東京ボーイズの「スタンダード・ネタ」、次にバイオリン漫談のマグナム小林が登場。
マグナム小林は元は談志の弟子で落語をやっていたが、立川流は弟子が家元の談志に上納金を払うシステムがあるのだが、それを5年くらい滞納して破門になったゆかりがある人だ。バイオリンを弾きながらタップダンスをしたりときちんとした芸を持つ。さすが、立川談志作品だ。その後は、東京ボーイズが2度目の登場「政界模写」という政治家のものまねをした。これも、談志の案だそうだ。
東京ボーイズは、ボーイズといっても僕が子供の頃からやっていてもう70歳くらいだろう。演芸の世界ではボーイズというと3人以上のことを言うのだが、東京ボーイズは2人で、1人がウクレレでもう1人が三味線。ボーイズは、音楽と関係してないといけないという約束もある。坊屋三郎のいた「あきれたぼういず」みたいに。
中入りがあり、立川談笑が登場。談笑をみるのは2日連続だ。談笑は「子供の頃からみていた東京ボーイズさんの舞台に出れて光栄です。今日は、自分のネタで一番面白いものをやります」と言って「時そば」をやった。今風のギャグも散りばめて、なるほど自信の出来栄えだった。次いで、東京ボーイズが3度目の登場。「なぞかけ小唄」。当然だが、ねずっちよりもずっと昔からやってる芸で、なぞかけ小唄と歌謡曲コントを音でつなげて披露した。
最後は、お楽しみと題して家元・立川談志の登場。談志は昨日と打って変わり、赤と黒のタータンチェックのジャケットを羽織り、バンダナをしめてスタンダップ・ジョーク。
ジョークというよりも、思いつきで話すから最初は雑談みたいで、新宿で大江健三郎とばったり会ったら、大江健三郎は立ち止まって帽子をとって鞄を置いて「大江健三郎と申します」と丁寧にお辞儀をしたから、「ちょっと待ってくれよ。あんたノーベル賞作家だろ」と答えたけど、よくわからない、と自分で話しながら首をかしげてた。
談志は「幸福の招待」という映画が好きでおとといもそれをみてテーマ曲を聴いたら泣けてきたという。それはβビデオだがこれだけは捨てずに持っているのだと言った。
この日の客層はざっとみて平均年齢5~60歳。僕より若そうな人はいなかった。僕の後ろの座席にはおばさんの3人連れで、談志は声が出ないから時々咳をするのだが、「可哀想ねぇ~」とその度に言うのがやさしいなぁと思った。
談志は師匠の小さんと取っ組み合いの喧嘩をした時のことを語り、「そうしたらおかみさんが俺のケツを蹴るんだよ。夫婦愛はすごいな、と思った」と想い出にもふけった。
談志は寝る前に眠くなるまで、たとえば「アイウエオ順」に映画のタイトルを「ア、雨に唄えば」、「イ、インディー・ジョーンズ」、「ウ、ウエストサイド物語」などと、そんなことをしていると眠れなくなるよと言ったりもした。そういうのは覚えてられてるもので、落語を忘れたらどうしようと思うとも言った。そして、「忘れたら、出直してきます、と言って帰っちゃおう」とはにかんで笑った。
わからない人のために説明をしておこう。昭和を代表する落語家に八代目・桂文楽という人がいた。
精巧な機械にまでたとえられたすぐれた技術で、いつ、どこでも一言半句のちがいもなく口演してみせたのが文楽の芸だった。その文楽の最後の高座になったのが、「大仏餅」で登場人物の名がどうしても出て来なくて絶句してしまい、「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」と客席にふかく頭を下げて舞台のそでに姿を消した。
何度も何度も稽古して、その日に演じる作品は必ず事前にさらい直し、その稽古でも手を抜かなかったという努力の人にすら、「絶句」というおそろしい日が来るのだ。しかも晩年の文楽は、その日にそなえて、「申し訳ありません。もう一度、勉強しなしてまいります」という、わび口上の稽古までしていたという。
談志の照れ笑いは、そんな文楽のエピソードのパロディだ。いや、昨日の文楽のままの「明烏」とセットで考えれば、この「忘れたら、出直してきます」は、オマージュというべきか。談志は、最後にジョークをやりますと言って6つほど披露した。記憶の限り、以下に再録してみる。
①病院で。「先生、もの忘れがはげしいんです」。<いつからですか?>。「何の話ですか?」。
②病院で。「耳が遠くて困ってるんです。自分のオナラの音も聞こえないんです」。<じゃ、この薬を飲みなさい>。「耳が良くなる薬ですか?」。<いや、‘へ’の音が大きくなる>。
③飛行機事故の現場。黒こげの死体が並ぶ悲惨な場面。そこに泣きながら、「わ…わたしの兄の死体は?」。<落ち着いて。お兄さんの体にどういう特徴があるんですか?>。「耳が遠いんです」。
④サーカスで、ムチを持ってライオンを膝まづかせたり、縄跳びをさせたり、火の輪をくぐらせたりしている。客席でみてた奴が「そんなこと俺だってできる!」。<やれるんですか?だったら、やって下さい>。舞台に上がった客が、「俺はどんなライオンよりうまくやるよ」。
⑤ここでしかできない話。(それを書いていいのか?ま、いいか)。せがれと妹がヤッテいる。兄が「お前のは、お袋よりいいよ」。妹が<お父さんも、そう言ったわ>。
⑥迷子になった子供が警察に行く。「オマワリさんは、私のような男の子を連れた女の人を見ませんでしたか?」。
談志は、「この姿を見せたでけで、ご勘弁を」とお辞儀をした。
大拍手。そでから、東京ボーイズ、談笑、マグナムが拍手を贈りながら登場して談志を取り囲んだ。東京ボーイズは、「最後は家元、手じめで終わりましょう」と談志に敬意を表したつもりで言うと、談志は「これは大声で言うのが決まりなんだ」と言って息を呑んだ。
一瞬にして、出演者全員と客席全員が真っ青になり、凍りつくような、微妙なグルーブ感が生じた。談志はお構いなし、「ヨォ!」とあらんばかりの声を張り上げ、三三七拍子。それを3回。それでおしまい。
「♪天気が良ければ晴れだろう。天気が悪けりゃ雨だろう。雨が降ろうと、風が吹こうと、東京ボーイズ!、さようなら~♪」。
BGM. 堺正章「幸福への招待」
今日は立川
20/Ⅱ.(日)2011
立川(たちかわ)に立川(たてかわ)談志一門会を観に行く。かねてより落語をみてみたい、と言うA子を誘って行く。
A子は、ワタシ地図を読むのが苦手なんです、と満面の笑みで、まるで、ワタシ趣味がフットサルなんです、
というみたいに自己紹介をする人だから、あてにできない。
駅から徒歩13分のアミュー立川というホールに、途中々々、人に道を尋ねながら歩いてゆく。
2人で道に迷ってる風に見えたのだろう、信号のところで自転車に乗った親切なおばさんが、「どちらに?」と声をかけてくれた。
「アミュー立川」と答えると、「あぁ、それなら、あの白いビル…」と教えてくれた瞬間に信号が青に変わって、
おばさんは自転車をこぎながら続きを喋るから、それを聞き取るにはこっちも横断歩道を走って追いかけないといけない。
せっかく親切なんだから自転車から降りて教えてくれればいいのに、と僕が言うと、急いでいるんでしょう、とA子にさとされた。
でも、おかげで無事たどりつけ、開場と同時に係りの人がチラシやアンケートを手渡すのだが、
なんと!僕に手渡してくれたのがさっきの自転車のおばさんだった。
そうか、それで急いでいたのか。A子の言う通りだ。おばさんに、さっきはありがとうとお礼を言う。
演目の前半は、談修、談笑、志らくの落語3席。談修は若い頃から知ってるけど、上手になったなぁと感心した。
親戚のおじさんの気分になった。談笑はたくさん笑いをとった。志らくによると、去年の1月は談志のXデー(死ぬということ)は近い、
と皆で心配していたが、驚異的な回復力をみせているという。
むしろ志の輔のXデーの方が早いのではと、予測していた。志らくって、平気でこういうことを言うんだよなぁ。
中入り後、談志は回復したとはいえ声がでないので、スペシャルトークの予定だったのに、紋付袴で登場した。
昔、お前ら志ん生や文楽をみてないだろう、と言う時代が来ると言ったものだが、本当にその通りになり、
さらに談志もみたことないよ、という時代が直にそのうち来ると談志は言った。
そして8代目文楽の得意とした演目「明烏」を、文楽の調子でやります、と文楽のまま演じてみせた。
声はガラガラだが、文楽を、そして伝統を現代に残したのだ。僕はちょっとセンチメンタルな気持ちになってしんみりしたけど、
A子が喜んでくれたのは嬉しかった。
立川は不案内なので中野まで出て、ご飯を食べよう。志村けんが「うまい!」と言ったダチョウの肉を食わせる店か、
しょこたんが「うまい!」と言う焼肉屋のどちらかに行こうと僕が提案すると、A子は、ダチョウはちょっと…、と敬遠するので、
ダチョウに行くなら3人だな、と冗談を言い焼肉屋にゆく。
近頃A子はレバ刺しにハマってるらしく張り切って注文したが、ごめんなさい市場がしまっててレバーが全滅なの、
と言われてA子はショックを受けていた。小さい声で、たぶん平仮名で、「ぜ…ん…め…つ…」と復唱していた。
それでもA子は、メニューのレバ刺しの写真の写ってる面を裏返して、気を取り直した。2人で結構、呑んで食べた。満腹感。
おいしくて安かった。「だるま」というお店で「とらじ」の姉妹店らしい。皆さんも中野にお立ち寄りの際は、行ったらどうでしょう。
僕とA子は、お互いの仕事ぶりや、落語は面白かったねとか、焼肉はおいしいねとか、日本の喜劇人についての話をした。
帰り際、A子が、今度ダチョウを食べる時は誘って下さいね、と言ってサヨナラした。
BGM. 高田渡「自転車にのって」
心の取引
19/Ⅱ.(土)2011
ブログに東スポの記事をそのまま書くのは、卑怯な能なしのワイドショーみたいだから、なるべく自戒していたのだが、今日ばかりは解禁させてもらおう。
それというのも、ヒョードルの敗因は黒魔術だというのだ。
先日のストライクフォースでアントニオ・シウバに敗れたヒョードルのコーチが、ロシアのニュースサイトで「シウバ側による催眠術のせいで負けた」と主張したのが発端で、催眠術の権威(誰だ?)も「間違いない」と認めた上で、会場のどこかに術者がいた可能性を指摘した。
対するシウバサイドは否定するどころか、黒魔術の使用を認めたという。なんでも、大会前に呪術師を雇い、交差点でニワトリを殺し、その後、ヒョードルのビデオを見せたら「一匹では足りない」と次には黒ヤギも殺したそうだ。これは、ヒョードルの脳を乱す強力な作用があるらしく、ロシア側も本格的に調査に乗り出すそうだ。
まぁ、ニワトリだけでは足りず黒ヤギも生贄にしなければならないほど、ヒョードルは強者だったという証明でもある。
この記事のおかげで僕は認めがたいヒョードルの敗戦(引退)も、黒魔術なら仕方ない、と受け容れる心の取引につながった。
東スポよ、今夜もありがとう。これからも、とりつづけるよ。
BGM. 原田知世「魔法をかけて」
替え歌
18/Ⅱ.(金)2011 はれ、風
今日の風は、強風。春一番というのかしら?
六文銭の及川恒平の「面影橋から」という歌に♪春はどこから来るかしら?風に吹かれてくるかしら?♪という一節があるのだが、よしだたくろうはこの曲を『よしだたくろう・オン・ステージ!!ともだち』というレコードでカバーしてるのだが、ここのところの歌詞を、♪春はどこから来るかしら?春はあれきりこないもの~♪と替えて歌っていた。僕はそっちの方がセンチメンタルでいいなと思う。
BGM. 岸本加世子「北風よ」