リアルに弱い

7/Ⅵ.(火)2011
最近、よくTVで芸人達が、歴代の好きだったアイドルを投票してランキングをつけたり、当時の映像を流して懐かしがる番組を目にする。(芸人の)トップが安泰で下克上みたいのがないから、余裕でこんなヌルい企画が罷り通っているのか。TVが飽和状態なのかな?。
そんな事を思いつつ、そんな番組を見ていたら、石野真子の映像が流れてきた。僕が高校時代、好きだったのは石野真子で、当時、石野真子のファンだったという人はすごく多かった。ダウンタウンの浜ちゃんもファンだったそうだ。TVがそう言っていた。
実際、当時のTVや雑誌でみるマコちゃんはものすごくキュートでハニーだった。僕は、東京の高校に通っていたから、新曲が出る度に、レコード即売会&握手会に出向いた。列を作り、順番が来ると、サイン色紙を貰い、握手をするのだ。しかし、そんな時、間近でみる石野真子は、変なタレ目でオカチメンコみたいな顔をしてるのだ。きっと、僕が緊張してたせいだろう。メディアの中のマコちゃんは日に日にカガヤキ・ガ~ルになってゆくのだから。
そして、3ヶ月もすると、また新曲発表&握手会。またもや面と向かうと、石野真子はとんでもなくおかしな顔をしているのである。出来損ないの福笑いの見本みたいだ。何だ?、このブス、って感じ。でも、きっと僕の脳が感激のあまり混乱を来たしていたのだろう。だって、歌番組や雑誌の「明星」や「平凡」のマコちゃんは、どんどんプリティ・プリティになってゆくから。
で、3ヵ月後、また握手会。目の前の石野真子は、爬虫類みたいな気色の悪いオバサンにみえた。こいつ、ニセモノじゃないか?とさえ思った。でも、会場の他のファンや親衛隊の声援や熱気はムンムンだから、僕の目がおかしいのだろう。川原眼科で観てもらうか。で、当然のようにTV「スター・ドッキリ・マル秘報告」や雑誌「近代映画」のマコちゃんはますますカワユスなのである。
結論であります。僕は、リアルに弱い。実物とは会わない方が良い。適度な物理的な距離をキープしよう。すべからく日陰のファンに甘んじよう。そんな決意をしたのも、今は昔だ。
BGM. 石野真子「悲しきエンゼルス」
※石野真子関連記事:2010年6月、「結婚しようよ」、「時代屋の女房」
※アイドル関連記事:2010年5月、「昔の名前で出ています」、2010年6月「ヰタ・セクスアリス」


オトナじゃないの

6/Ⅵ.(月)2011
今日は、校医。明日は体育祭らしく、放課後はその準備で、応援合戦の音楽や掛け声が飛び交い、にぎやかだった。フィンガー5の「学園天国」とか流れてた。
僕は、バスを待つのが嫌いなので、目白駅方向に歩き、丁度、後ろから追いかけて来たバスに途中から乗った。
乗った場所が、日本女子大だったが、そのバスは日本女子大のスクールバスだったらしく、目白駅までの直行便だ。女子大生ばかりのバスに乗り合わせた気分は、飛び乗った電車が女性専用者だった、みたいな気まずさだ。でも、乗るとき、車掌に何も言われなかったから、利用すること自体は悪くないんだと思う。
昔、「どうなったら自分を‘オトナ’と判断していいか?」という質問の答えに、「高校野球の甲子園の大会をみて、全員が年下に見えた時」というのがあって、なるほどと思ったが、大学に入ってしばらくは甲子園球児が‘オトナ’に見えた。
大学生の頃、「オールナイト・フジ」という深夜番組が始まり、女子大生ブームが起きた。当時の僕の自意識では、女子大生というと友達のお姉ちゃん、という感覚であり、実年齢は、年下の女の子でも、イメージは、友達のお姉ちゃん、という格差社会を生み出していた。
いつのまにやら、僕は‘オトナ’になり、高校球児たちは純粋な子供に見えるし、間違って乗った女子大のスクールバスという逆境の中であたりを見渡しても、娘の同級生くらいかな…、てな感想な訳である。しみじみもするやさ。
BGM. 松本伊代「オトナじゃないの」


お寿司屋のおじさん

5/Ⅵ.(日)2011 はれ
下の子と、行きつけの寿司屋へゆく。寿司屋のおじさんの昔話をきく。おじさんは、中学を卒業してから集団就職で大岡山に来たそうだ。
<当時は、どんな歌が流行っていたんですか?>に、おじさんは、「渡辺マリの『東京ドドンパ娘』とか、森山加代子の『じんじろげ』」に、<へぇ~>と僕が関心を寄せると、おじさんは、「センセー(僕のこと)も、古いの良く知ってるね」と乗ってくる。「当時の歌手は、皆歌が上手くて、声も個性的な人が多かった。中でも、美空ひばりは別格だった」とおじさん、<別格ですか?>と僕、「別格!」とおじさん。
男は、三橋美智也が流行っていて、三波晴夫や村田英雄は浪曲から転身してくるから、もう少しあとらしい。
おじさんは、昭和18年の山形生まれ。戦争の記憶はなく、進駐軍の人がくれたガムやチョコレートが美味しかったと笑う。<やっぱり、ギブ・ミー・チョコレート、とか言うんですか?>に、「言わない。そんなこと言わなくても、向こうからくれた。やさしかった~」と当時の様子をチョコの味と一緒に思い出してる。
おじさんと同期で大岡山に来た人で残ってるのは、おじさんを入れて2人きりだそうだ。今でも、電気屋さんに勤めていて、今でも、仲が良いらしい。
昭和18年というと1943年。<同い年の有名人って誰がいます?>の質問に、おじさんは「う~ん」と考え込む。すると、今まで気配さえ消していたかのような、下の子が、横からボソッと口をはさみ、「ミック・ジャガー」と答えた。
<マジで?…っていうか、お前、今まで気配消してなかったか?>との俺の驚愕に、息子はポーカーフェイスを決め込んで、冷緑茶のグラスを口に運んだが、その口元が得意気にニヤリとしていたのを、俺は見逃さなかった。
BGM. ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」


立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花

3/Ⅵ.(金)2011 はれ
下のお花は、昨日、受付の子が買って来て診察室に飾ってくれた、芍薬(しゃくやく)です。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」の芍薬です。せっかくだから、立って撮影してみました。↓。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、というのは女性を美人だとおだてる時に使う文句だが、今はあまり耳にしない。
美人とお花といえば、子供の頃、母が観てたので一緒に見てた、「花ははなよめ」というドラマを思い出す。主題歌が、メロディーに乗っけてただただ花の名前を並べるだけで、途中に「いよー」とか「よーい」とかお座敷っぽい合いの手が入る。
それは、主演の吉永小百合が芸者なんだけど、3人の子連れの花屋にお嫁に行くという設定だったからだろう。
僕がよく覚えてるのは、吉永小百合が「母親」であることに悩んで、自分のお母さん(この人も芸者)の淡島千景に相談に帰ると、淡島が吉永小百合に「ただの子供好き」と「母親」の違いをたとえ話で言って聞かせるシーンだ。
それによると、子供がご飯を食べながらボロボロこぼしてたら、「ただの子供好き」はこぼすたびに「まぁ、こんなにこぼして」と一々、拭いて面倒をみるのだが、「母親」は笑ってそれを眺めていて子供が食べ終わったら黙って拭いてあげるのだという。吉永小百合は何かを悟り花屋に走って帰り、それを淡島が優しく見送るのである。名シーンだ。
数日後、茅ヶ崎の北口にある西友というスーパーで僕は母と買い物をして、その帰りに上のレストランで何かを食べた。僕と母は対面に座り、僕が何かをこぼしたら、母が「あら、こぼしてる」と手を出そうとしたので、僕は母に上に書いた「花ははなよめ」の淡島千景のセリフを言ってやった。母は、即、ダマった。
母は負け惜しみで、「嫌な子ね…」というから、僕は負けじと、「親の顔がみたい?」と言い返した。圧勝で終わった。
BGM. ポール・サイモン「母と子の絆」


黒船

2/Ⅵ.(木)2011 雨。管総理不信任案?
今日は、6月2日だが、それで思い出すのは、サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』というLPだ。
僕は、発売より少し遅れて、中学生の頃に聴いた。ザ・フォーク・クルセダーズの流れで、加藤和彦に行き、ミカ・バンドに辿り着いたのだ。
このLPのA面で「タイムマシンにおねがい」に続き、黒船「嘉永6年6月2日」「嘉永6年6月3日」「嘉永6年6月4日」というインストゥルメンタルな曲が3つ続くのである。高中正義のギターが印象的で、まるで始めて「黒船」を見た日本人の驚きを表現してるかのようだった。
僕は、学生の頃、あまり社会科を真面目に勉強しなかったので、黒船が日本に来航したのが何時なのか知らないし、確認作業もしていない。勝手に、「嘉永6年6月2~4日だろう」、と決め付けて生きて来た。今のところ、それで損をしたことはない。
ミカ・バンドが英国でロキシーミュージックの前座をつとめた時の模様を収録した、『Live In London』の「黒船」もかっこいい。ライナーノートに今野雄二が、ロキシーミュージックの時間を大幅に喰った、と書いていた。
加藤和彦も今野雄二も死んじゃったな。2人とも自殺だよ。この2人は、中高生時代の僕から見て、かっこいい大人だった。粋というか、お洒落というか、自殺するような人に見えなかったな。でも、自殺ってそういう人がするのかな。
いや、別に、自殺を美化してる訳ではないので、誤解しないようにお願いします。
BGM. サディスティック・ミカ・バンド「黒船(嘉永6年6月2日)(嘉永6年6月3日)(嘉永6年6月4日)」


上には上

1/Ⅵ.(水)2011
5月29日に行われた「DREAM JAPAN GP」をスカパーのペーパービューでみる。
今回、青木真也は4月に米ストライクフォースで勝利を収めた後、シンガポールのジム「Evolve  MMA」へ渡って練習を積んで来た。そこには世界レベルの柔術家やハイレベルなムエタイ選手らがいて、青木自身が語るには、「Evolve  MMA」には青木すら手玉に取る柔術の猛者がいるのだという。上には上がある、とは言うけれど、「青木を手玉に取る」ってどれだけ世界は広いのだろう。青木は今回の試合から所属も「パラエストラ東京/Evolve  MMA」に改めた。
子供の頃、ウルトラマンの最終回で、ウルトラマンがゼットンに負けるのだが、それより衝撃的だった事実は、ウルトラマンを救いにM78星雲から「ゾフィー」という名のウルトラマンの上司みたいのが飛んで来たことだった。
見た目は、ウルトラマンとそっくりだが、胸のあたりに銀色の丸い仁丹みたいなポツポツがいくつも付いていて、それが勲章みたいで、子供心にも、「ウルトラマンより位が上なんだ~」、と思わせる視覚的な説得力があった。
それがどれだけ衝撃的だったかと言うと、毎週々々、色んな怪獣や宇宙人の侵略から地球を守ってくれた我らのウルトラマンが、M78星雲ではトップ・ファイターではなかったという事実である。これまでの世界観を超越したスケールのものが存在するという事実に、2、3日呆然とした。宇宙は広い。
「上には上がある」繋がりで、もう一つ。藤子不二雄のSF短編に「超兵器ガ壱号」というのが似たようなニュアンスです。ネタバレになるので、内容は書きませんが、『カンビュセスの籤(くじ)』という藤子不二雄SF短編集に載っています。クリニックにあるので、興味があったら読んでみて下さい。↓。

カウンターテーブルの辺りにあります。テーマは似てるけど、ちょっと、なごみますよ。
BGM. 「ウルトラマンゾフィー」(『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』主題歌)
※DREAM関連記事~良かったらみて下さい。
・2011年5月、「DREAM…」


優先順位

31/Ⅴ.(火)2011 はれ
優秀な船長は、ふいの嵐にそなえて、積荷を海に捨てる順番をあらかじめ決めておくという。航海の途中、嵐に巻き込まれたら、なるべく船を軽くする方がよい。せっかくの積荷がもったいないからと、どれも手離さないでいると、船ごと転覆してしまう。それで慌てて、積荷を海に捨てて、途中で嵐が治まったら、一番大事なものを捨てて、比較的重要度の低いものが残っていた…なんて事態も起こりかねない。
そんなことを防ぐために、優秀な船長はあらかじめ捨てる順番を決めておく、ということらしい。「優先順位をつけることの大切さ」のたとえ話だ。
僕は、毎日の診療の後、書類作成などの事務作業があり、今は講演会の準備や、勉強会、ここに来て原稿依頼もあり、そこに来て「涼宮ハルヒの驚愕」も早く読みたいし、こうやってブログも書いて、さらに「ポケモン」ゲームまで始めるのだ。(昨日の記事、「ポケモン・デビュー」を良かったらみて下さい)
忙しくなりそうだ。積荷を捨てる順番を決めておかなきゃ。最初は、「ポケモン」だな。次は、ブログかな。
「涼宮ハルヒの驚愕」は直に読み終わるから、それほど心配はいらない。
BGM. ロッド・スチュワート「セイリング」