先日、出身大学の精神科医局の集まり、「同門会」に出席した。
そこで聞いたのだが、今は僕らの頃とは医学部教育のシステムが随分と違っているようだ。
大学の5年生で臨床実習をする前に全80大学共通のテストにパスしないとベッド・サイドに出られないらしい。
国家試験を2回受けるようなものだ、恐ろしい。
覚えなきゃいけない知識を教科書の重さに換算すると、我々の頃を1㌔とすると、今は2㌧だって、恐ろしい。
医師国家試験はすべての科から出題され、それに合格すると医師免許を取得でき、何科にでもなれるのだが、
僕は、精神科医になろうと思って医学部に進んだので、精神科以外の勉強をするのが苦痛だった。
6年生の時、どこの医局に行くか?。皆、悩む。当時は第3希望までを大学に提出したのだが、
僕は第1希望しか書かなかった。2・3は空欄。
意外と、そういう人は珍しくて、皆、一応、第3希望まで書いていた。
それを基に、医局から志望動機などを聞かれる面談をする日があって、精神科には僕を含め3名が挨拶に行った。
その時の、面談の担当が、A助教授だった。A先生の手元には我々3名の資料があった。
A先生は開口一番、僕に向かって、「君、すごく成績悪いよ。挨拶なんかいいから、もう帰って勉強しなさい。
試験に受かったら、喜んで君を精神科に迎え入れるから、君だけ帰りなさい」と本当に、その場で、僕だけ帰された。
A助教授は、クリントンが大統領になった年に教授になって、「俺とクリントンは同い年だ」とわけのわからない自慢をしていた。
僕の所属する班と、A先生は別のグループだったが、僕は勉強のためにA先生の診察の陪席を頼んだら、快諾してくれた。
だから、僕の臨床スタイルはA先生の影響によるところも多い。
A先生は、昔、船医をしていたり、小説も書いたりするユニークな人物で、風来坊みたいだがシャイで面倒見が良かった。
背が高くて、見た目にもナイス・ガイだった。そんなA先生が亡くなって、今年が6回忌になるそうだ。
毎年、同時期に開業した繋がりの4人の「同門」の医者で新年会をするのが恒例にある。
A先生の命日が、1月なので、成り行きで、A先生の行きつけだった寿司屋で会をやることが、定例化している。
僕以外の3人はA先生とこの店に来たことがあり、温度差はあるにせよ、皆、しみじみとする。
僕だけ思い入れがない。
先日、一人でフラリとその寿司屋に寄ってみた。
店主は僕の顔を覚えてくれていて、
「毎度どうも、お客さんもA先生のお弟子さん?A先生とはいっぱい想い出がありましてね。
A先生はご自分の本にもこの店のことを書いてくれていてね。まぁ、あそこに書いてあるのは半分は冗談なんですけどね」
と言って、おじさんはお店の人に「おーい、本を見せてあげて」と声をかけ、A先生が匿名で執筆した小説を手渡してくれた。
僕がパラパラと本をめくっていると、おじさんは冷蔵庫からコントレックスの大きなボトルを出して僕の方に向けて、
「私が血圧が高いって言ったらA先生がこの水を勧めてくれたんですよ。とにかく水を飲むといいよと教えてくれてね」。
「お通夜にも告別式にも行きましたよ。急性心筋梗塞ですって?びっくりしましたよ。
だって2日前にお店に来てたんですから。いつものように呑んで、冗談言ってたから」。
A先生のお通夜の会場のBGMは、エルヴィス・プレスリーだったな。
「その日は日曜日で丁度相撲をやっていて、私が横綱が勝ちますよと言ったら、
A先生は<俺は逆だと思うね>と言って、
じゃ賭けようかと言うことになって、トロを2巻賭けたんですよ。そしたら私が負けちゃってね。
A先生に、今日はお腹いっぱいだろうから次おみえになった時、トロ2巻お出ししますよと約束したんですよ。
そしたらその2日後に亡くなっちゃって」。
「ウチではもっぱら趣味の話をしてましたよ。仕事の話をされてもわからないしね(笑)。
海が好きでしたね。あと1人でチビチビやるのが好きでしたよ。
ウチで呑むのが一番幸せだって言ってくれましたよ。
あの頃の先生は忙しかったでしょう?
学会とか北海道の方へ牛の脳を取りに行ったりしてね。
忙し過ぎたんでしょうね。
A先生、ご自分では水をお飲みにならなかったのかな?。
ほら、医者の不養生と言うでしょう?
私はトロ2巻借りっぱなしですよ。返しようがないんですよ」と店主は嘆いた。
さすがの僕でも、<じゃ、代りに食べてあげましょうか?>とは言えない雰囲気だった。
A先生だけでなく、僕が入局した時の医局長も、オーベンだったK先生も、1個上の先輩のT先生も、
皆、早く死んじゃったな。
寿司屋の店主が言う通り、本当に、医者の不養生だ。
そこで僕は2週かけて、人間ドッグを受けまして、結果は「何も問題なし」。
同門会の皆さん、長生きしましょうね。
BGM. エルヴィス・プレスリー「好きにならずにいられない」
そうですよ。40歳すぎたら人間ドック必要ですよ。よかったです。先生が、人間ドック受けるようになって。
ほらほら、医者の不養生と私前から言ってるでしょ。
私も1週間前に遠い親戚のお通夜に行ってきました。
その叔母さんとは一度も会ったことは無いのだけれど、母の従姉妹だったので母方の親戚が福島から大勢来るだろうと思い、そちらに会えるんではないかと思って越谷まで行ってきました。
その方も、病院に緊急搬送されるまで5年前から食道がんを患っていましたが、元々好きで初めてたカラオケスナックを倒れる寸前まで飲んで歌ったいたというので、69歳という若さで亡くなったからか現役で仕事をしていたからでしょうか、久しぶりにの大型葬でした。そういう病気を知りながらも、最期まで変わらず店に立っていたというのは医師からはあまり良く思われないと思うが、歌が大好きな人だったとお清めの席が隣だった常連客の人たちに最後の様子などを詳しく聞いたら、みんなも治っていたのかと思うほどいつもと変わらず元気だったから死んだなんて信じられない、、、とみんなが驚いている。
今度は隣の常連客が帰ったら、亡くなった叔母さんのお嫁さんたち2人が私と母の前に座ったので、母が挨拶して昔の叔母さんの話をしていました。私は、亡くなるまでの過程などをお聞きして、なるほどだからこんなにサラリーマン姿の人たちが大勢きたのかと分かりましたし、祭壇が今流行りの「花葬儀」だったのを見て、自分でも葬儀に対しての心の準備をしていたのではないかと思いました。花葬儀は「エンディングノート」を書いている人ではないと色々と打ち合わせが会って、急な葬儀にはあそこまでの立派な花の祭壇は出来ないと思っていましたから。お清めの料理しても、ご挨拶の文面も形式張っていない作文のような文章でした。
癌だと分かっていても、自分で自分の最期を考えながら自分で決めて亡くなったんだな~と感慨深いものでした。
長生きされる為に、お酒や仕事を取り上げたらこの方はうつ状態になってしまうだろうとお嫁さんたちにいいました。
最期に祭壇の所にさよならを言いに行くと、私はその方のお戒名に「陽気に歌う」という字が書いてあるのを見て、
先ほどのお嫁さんたちに「素晴らしいお戒名ですね。」と申し上げたら、長男のお嫁さんはとても嬉しそうでした。
嫁姑の関係が良かったんだな~と思いました。
5日前に亡くなった私の愛犬17歳は大型犬でしたが大往生でした。その人の人生の評価は最期にあると常常思っています。
精神科医は必要ない気がしたりするんですが、先生はちゃんとしてるので、
先生に診てもらえる人はラッキーだと思いました。
そこまでA先生に思い入れがあるのなら、先生も弟子を取って、そのスタイルを継承しなきゃ(笑)。