スーパービジョン考

14/Ⅳ.(木)2016 はれ、暑い(朝は小雨)
精神療法のトレーニングの中に、「スーパービジョン」というものがある。
主に、精神分析学派を中心に、治療者がもっと力のある先生にケース検討をしてもらい今後の治療の指針にするのだ。
僕も大学院の4年間は「精神療法班」に所属したから、ケースを持っていて、スーパービジョンを受けていた。
ところが、現在進行形のケースをスーパービジョンに出すと、必ず、その直後の治療の流れがおかしくなるのだ。
それにはいくつかの理由があると思うので考察してみたい。
1番大きいのは、そもそもうまく行ってないから、スーパービジョンに出している、ということ。
それでも、何とか患者さんと二人三脚でやっていた共同作業なのに、自分だけ外から知恵をつけて貰おうとする不誠実さ。
2番目は、数あるケースの中から、スーパービジョンに出すというのはそれだけ思い入れがあるケースだが、
言ってみれば実験台みたいなもので、失敗が成功のもとだ。
案外と、スーパービジョンに出したケースよりもその助言を活かして、新たに関わったケースの方がうまく行ったりする。
 (これは、子育てにも似てるかもしれない。
  第1子は試作品のような宿命を持っていて、第2子以降の方が親も上手にやれたりして。
 僕は第2子だから、得をしてる面はいっぱいあるが、親の第1子に対する愛着には嫉妬する。
  つまり試作品ほど、作り手の愛情の熱量が大きく感じられるのだ。)
3番目は、そもそも患者にとって「響いた言葉」と、こちらが<上手い事言ったと思う言葉>に差があるのだ。
よく患者さんから、あの時先生にああ言われた言葉が印象に残る、と言われるが、大抵、言った覚えがない。
精神療法は、心を扱うから、非言語的なやり取りの時間を共有する体験だという側面もあり、
あえてそれを言葉にすると齟齬(そご)が生じてしまう可能性がある。
言葉は相手に自分の気持ちや心を伝える便利なツールだが、言葉は気持ちや心と数学的にイコールではない。
つまり、体験を共有していないスーパーバイザーにケースを提出する時点で、もう近似値的になってしまっている。
それをきちんと理解しないまま、スーパービジョンを絶対視してすがってしまうと、自分だけ楽になって、目から鱗、感が、
患者には、「なんかこいつ、こないだまでと様子が違うな」という違和感を感じさせてしまう。
しかし、余程でない限り、患者はそんなことは意識化出来ないから、空気だけがギクシャクするのである。
大体、この3つが原因ではないかと思います。
それを踏まえて、僕が編み出した方法があります。
それは、患者に正直に、<実は、今度、スーパービジョンに出すからね>と話しておくのです。
そうすれば、スーパービジョン前後の不連続性があっても、患者は「ははーん、成程、そのせいか」と
察しもつく。そこを黙っておくから、ズレの原因が判らないまま、ギクシャクするのだと思うから。
具体的には、スーパービジョンには、まとめ、を用意するから、それを患者にまず見せて、添削してもらう。
すると、患者は、「ここは私はそう思わない」とか「私はこんなことは言っていない」とか「私はこう感じていた」とむしろ
下手なスーパーバイザーより役立つことを言ってくれて、<スーパービジョンに出さなくてもいいや>なんて思ったりもした。
このケースのまとめを患者に訂正させる作業は、患者にとっては治療同盟という意識を強化させる効果があり、
こちらには患者への非治療的に働いている治療者の個人的な思い入れに気付かされる。
そして、そもそも非言語的な体験を言語化する時に生じる齟齬を、患者側の言葉に寄せて紡ぎ直すことを、
患者目線に立つ、というのではないだろうか。
スーパービジョンには結構、お金がかかる。下手したら、患者からもらってる料金よりも高い。
それは我々のトレーニングの一環だから、支払って当然のコストなのだが。
しかし、この作戦だと患者にも、<結果を全部、教えるから、君も少し出しなさい>、とか言える(笑)。
まぁ、出さないけれど。
精神療法は薬物療法と比べると定まった成功のパターンが読めないので、治療者も不安になり、誰かにすがりたくなる。
実はそれこそ、患者が治療を受けようと思った気持ちやモチベーションと似通っているのだと思う。
だから時として、我々が患者から理想化されるのと同じように、スーパーバイザーを神格化してしまうことがある。
そもそも、それだけの力量の先生がスーパービジョンをするのだから、十分、想定内のことだ。
僕は自分が精神分析的な精神療法をやっている時に、こんな実験をしたことがある。
それは、一つのケースを別の4人の偉い先生に1ヶ月以内に続けてスーパーバイズしてもらい違いを浮き彫りにするのだ。
松茸の季節に松茸を何万円分も買ってたらふく食べると、もう翌年から、松茸を有り難がらなくなる、のと同じ効果を狙った。
精神療法班の先輩からは、「悪趣味だ」と言われた。
僕の選んだ4人の先生は、当時、最前線で活躍・指導をされている先生方だった。
僕はケースを通して、先生方に<精神療法でもっとも大事な物は何か?>という本質的な問いもしてみた。
一人目の先生は、米国帰りの先生で、「それは、共感、ですよ」と仰った。
生き生きとした心の交流だそうだ。
しかし、その先生のオフィスの花瓶には精巧な造花が活けられていた。葉っぱの水滴まで、イミテーション。
二人目の先生は、「それは、構造、だ」と言った。
構造とは、いつ・どこで・何分間・いくらでやるか、などの条件を厳密に決めて、それを忠実に守る事だそうだ。
しかし、その先生はサービス精神旺盛で、約束の時間をオーバーしてもスーパービジョンを続けてくれて、有り難かった。
三人目の先生は、「それは、正直さ、だ」と言った。
なるべく、治療者・患者関係に、嘘が少ない方が良いと力説された。
しかし、その先生の趣味は、手品、だった。
四人目の先生は、僕の尊敬する先生で、「それは、治療者の責任と覚悟、だ」と言い切った。
そこで僕はこれまで同じケースを別の3人の先生にスーパービジョンに出した事を打ち明けた。
<共感が大切だと言った先生の花瓶には造花が、構造化が大切だと言った先生は頼みもしないのに時間を延長してくれて、
正直さが大切と言った先生の趣味は種も仕掛けもございます。
僕はそこで重要なことに気付いた。
どんなに優秀な先生でも、人間だから、パーフェクトということはない。
その上で、自分の弱点と関連したところを大切だ、と気付くのではないか。
たとえば、人間が生きるのに必要なものは何か、という問いと似てて、普通にしてることをあげたりはしないだろう。
空気、なんて真面目に答える人は変人だ。皆、意識しないで、酸素を吸って二酸化炭素を吐いているのだ。
お父さん、息を吸って!、なんて言う時は、もうヤバイ時だ。
僕の大学の先輩に、精神科治療でもっとも大切な物は何ですか?、と尋ねたら、「愛だよ」と答えられた。
その先生は、離婚歴3回だった。
そんなことは良いとして、僕の尊敬する先生は、本当に、責任と覚悟がある、のに、何故、「責任と覚悟」、と答えたのだろう。
このままでは、せっかく僕がたどり着いた仮説が間違っていたことになってしまうではないか。
どうして、先生は責任と覚悟があるのに、治療に大事なのは、責任と覚悟、だなんて言うのですか?>
と聞いたら、すごく嫌そうな顔をして苦笑いをされた。
どうですか?悪趣味ですか?
話しは変わるが、最近、スーパービジョンをあまり神格化しない方が良い、という意見を聞いた。
その理由が、患者についてはスーパーバイザーより治療者の方が知ってるからだ、という事だが、僕はそれは解せない。
それなら、患者の事は治療者より患者自身の方が知ってるじゃないか、という理屈も成立しないか?
それとも、患者は素人だからこの理屈は当てはまらないのかな。
自分で自分を判ってれば、そもそもセラピーなんて受けないか。
自分が一番自分を判っていない、というのが人間か。
誰かが言っていたが、「スーパービジョンとは質の良い岡目八目だ」と。
岡目八目とは囲碁の言葉で、岡目とは傍で見てる人のことで、つまり囲碁を打ってる人より8手先まで読める、ことから、
当事者より第三者の方が物事を正しく判断出来るというたとえだ。
クイズ番組をテレビで見てると全部解けるのに、いざ自分が出演したら全然解けないという、のに似てるかもしれない。
それは、ただ、あがってるだけか?
そう言えば、囲碁ではなくて、将棋だが、天才バカボン、に似たような場面があった。
昔は、町の通りで将棋を指してる人がいて、それを通行人が取り囲んで見物という風景があった。
娯楽の少ない時代の話だ。
天才バカボン、のその回では、町の将棋で、王手、でもはや参ったしかないか、と追い詰められた局面が展開されていた。
岡目たちも「つんだ」と思っていた。
その人垣には、バカボンのパパ、もいて、バカボンのパパは、将棋など判らず、脇で流れるプロ野球の中継を横見していた。
時代は、巨人・大鵬・卵焼き、だ。
プロ野球中継と言えば、巨人戦で、相手チームのバッターがファースト・フライを打ち上げた。
当時の巨人の一塁手は王貞治だ。
テレビに向って、バカボンのパパは、「王が捕る」、と言った。
人垣は、バカボンのパパ、のこの一言にハッとして、
「その手があったか!」
王手の駒を、王が自ら取れば良いのである。
人々は、バカボンのパパを、「あなたは将棋の名人ですね」と勘違いして騒動が巻き起こるという話。
スーパービジョンの記事なのに、バカボンのパパ、の話なんかを出したりすると、「一緒にするな!」と怒られるかな。
バカボンのパパ、に。
BGM. 薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」


10 Replies to “スーパービジョン考”

  1. ストロング金剛デス
    スーパービジョンというシステムにも驚きましたが、金を取るとはさらなる驚きです。ヤクザの上納金と大して変わらないですよ。
    この記事は、立場上ハッキリ言えないけど、スーパービジョン批判、権威者批判と解しましたが…
    人を操るには、「飲ませる、抱かせる、握らせる、そして最後に威張らせる」というのがあります。
    飲食を奢り、女を世話し、現ナマを握らせ、最後に権力を与えてやれば、自分に忠誠を誓うようになるという話しです。
    まあ社会に出て、それなりの位置にあれば、上記4個のうち2個位の誘惑に遭遇します。
    権威というのは人から与えられるものです。まあ例外はあるかもしれませんが、権威者が人格者で人間として優れているわけが無いと思います。大抵は、ウラを返せば、自分のように、虚栄心と欲にまみれた下衆な輩だと思います。生意気言って申し訳ありません。また記事を汚してしまったようです。自分もBGMを用意しましたので勘弁して下さい。五月みどり「熟女B」

    1. ストロング金剛さん、こんばんは。
      おそらく、精神科村の住人は、「スーパービジョンというシステムに驚いた」人がいることに、驚いているでしょう。
      「金を取るとは~」は、立川談志の立川流の上納金制度も、落語を教えてやるから弟子から金を取る、に似てますね。
      談志のアイデアは、ヤクザ(?)の友人のアドバイスだったとか、違うとか。
      談志の死後、上納金制度は廃止されたそうですよ。
      ストロング金剛さんの権威者批判のくだりは、ロックというか、反骨というか、スカっとしますね。
      全然、記事を汚してませんよ!
      面白いです。
      ただ、BGMは知りませんでした。
      ネットで見ました。これ明菜のアンサー・ソングなのですか??サイテーな歌ですね(笑)
      面白いです。

  2. ストロング金剛デス
    お褒め頂き光栄です。
    「熟女B」はお察しの通り「少女A」のアンサーですが、当然相手にされず、大して話題にならず、フェードアウトしました。
    自分は、妹の小松みどりの方が好みでした。
    しかし姉妹共々何度かお世話になった事を付け加えておくべきかと考えました。
    それではオマタ〜

  3. 川原先生、こんにちは。初めてコメントさせて頂きます。
    こちらのブログをいつも楽しく拝見しています。先生もスタッフさん達も、読ませる文章を書かれる方だなあ(何だか上から目線でごめんなさい)といつも敬服しています!
    思考を言語化するのってとても難しいことだと思いますし、お忙しい最中にこうして更新を続けてくださるのは愛読者として本当に有難いことです。
    また、今は職に就いておらず有閑の身(?)なので、先生の文章には大変刺激を受けます(もちろんいい意味で、です!)
    スーパービジョンというシステムについては、寡聞にして存じませんでしたが、先生方も日々試行錯誤されているのだということを知ることができて、とても興味深く感じました。
    患者の立場である私などには、そういったプロセスを見知る機会がほとんどないので、なるほどなるほど、と深く頷きながら拝読しました。
    それについて色々とお話したいこともあるのですが、少し長くなりそうなので診察時にとっておくことにします(笑)
    話は変わりますが、すっかり春らしく温暖な気候になってきましたね!
    季節の変化に伴って、気持ちも少しずつ前向きになってきたような気がします。
    これもクリニックの皆様方のお陰です。お忙しいことと存じますが、どうぞ息災にお過ごしください。
    P.S. 先日、先生のつけているエヴァのインターフェイス風カチューシャを綾波Ver.だと言ってしまいましたが、後でふと思い立って調べたら間違ってました。なんと恥ずかしい…(笑)
    マリちゃんのVer.なんですね。私はアスカ派なのですが、先生のあのカチューシャを見て、赤いヘアクリップが欲しくなってしまいました(笑)

    1. ラングレーさん、初コメントありがとうございます!
      とても、励みになります。受付も喜んでいます。
      読んでて思ったのですが、ラングレーさんの日本語はとてもきれいですね。
      また良かったら、コメントして下さいね。
      P.S. あれは、髪がボーボーだったので、カチューシャで隠していたのですが、とても反響がありました(笑)
      そうでした、あれはマリのでしたね。僕はアスカ風のデザインのスニーカーも持っていて、ここぞという時はレッド・シューズで出かけます。

  4. スーパービジョンというシステムがあるなら、それはそれなりに役に立っているシステムなんでしょうね。
    ただ、実際にスーパービジョンについて考えてみるならば、私がそれを治療で受けてみないとなんともいえないですね。
    先生の言うとおり、祖語が生じるのか、事前に患者に話せばそうならないのか?
    多分、先生は実際に試しているんでしょうね、だからその話が出来るんですよね。
    なんなら今度私にやってみて下さい、スーパービジョン。

    1. sinさん、こんばんは。
      今は、本当は、うちの心理がそれぞれブログを書いて、カウンセリングについて、ご案内するはずなのです。
      ところが、それが推敲を重ねるうち、どうやら深みにはまっているようで(笑)
      もうじき心理スタッフからの記事をお届け出来るでしょうから、そちらもよろしくお願い致します。
      そんな時期だから思うのが、心理の常識は世間の非常識、ということで、
      スーパービジョンって心理では当たり前ですが、当たり前ですが、皆さんは知りませんよね。
      それをあらためて知れて、それだけで、この記事を書いて良かったと思っています。
      ではまた~

  5. 川原先生、また、最近カチューシャされてたんですか?
     私が、大学病院で、初めて川原先生に診察受けたときも、カチューシャされてたから、
     なんだか、嬉しい気分になりました。
     毎日が忙しく過ぎていきます。心が、ヘトヘトになりそうです。
     土曜に診察受けるまで、乗り切ります。GWには、自分を取り戻すために、自分の好きなことだけして過ごす
     予定です!!
     では、また・・・。
     
     
     

    1. シンシアさん、こんばんは。
      多分、丁度、今さっき、コメントをくれたのですね。
      カチューシャは髪がボサボサだったので、その場しのぎでしてました。
      休みに髪を切ったから、今週からはしてないです。
      髪型は、ショートにしたしょこたんをマネしましたが、顔が違うから全然似てなく誰からも気付かれません。
      髪色は、下半分を黄色にしました。
      美容院においてあったファッション誌の付録に、セーラームーン、が付いてたので閃いたのですが、
      人によっては、「美輪明宏ですか?」とか「傷物語の忍ちゃん、ですか?」とか「十四松の黄色ですか?」とか
      今日は「くまのプーさん色」と言われました。
      あげくには、前のカチューシャ姿が良かったという声さえ聞かれ…
      土曜に来られるのですね?
      髪型、その予告みたいになりましたね。
      なんとか乗り切って来て下さいね。待っていますね!

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