心の護美箱(40)~明日に向かって走れ

18/Ⅶ.(日)2021 はれ 「クイックジャパン」の小山田圭吾イジメ発言ネットで話題になるのは3回目?

心の護美箱(39)がいっぱいになったので、(40)を作りました。はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。とりあえず、グチを書き込めるページなのです。「王様の耳はロバの耳」という話を覚えてますか?王様はロバの耳をしてして、それをひた隠にしてます。しかし、いつも王様の髪を切る床屋だけは「王様はロバの耳である」ことを知っていて、口止めされていました。でも、床屋はどうしてもそんな重要なことを一人で抱えてることが出来ず、井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳」と 大声で叫びます。すると、その声があらゆる井戸を伝わって井戸と言う井戸から「王様の耳はロバの耳~」 と響き、皆にその秘密が知れ渡ってしまうのです。だから秘密を打ち明けるのは、危険ですね。でも、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。安心ですね。ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。溜め込むのは良くないです。安全な場所で、「王様の耳はロバの耳」と言いましょう。最短でも通院間隔は1週間に1回ですね。1週間という単位は、色々ある時はありますからね。ですから、酔った勢いでも、ネガティブになった時でも、送って下さい。身元がバレるようなことはしませんから。まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。この記事に関する感想コメントなら、尚結構!

 

僕が生涯で1番カッコ良かった話をしましょう。自分で自分のカッコ良い話をするほどカッコ悪いこともありませんが、そういうことを分かった上であえて記事にすることが、「心のゴミ箱」主催者としての男気というものです。

僕の家は地元では名士で昔の金持ちはそれを社会にも還元していたものです。僕の父は僕の通う小学校にブラスバンドを作るべくあらゆる楽器を人数分寄贈しました。うちの親の世代は「音楽」などという教養はないから音痴な人が多かったですが我々の世代からはピアノやエレクトーンやバイオリンを習う子が多くなり音楽は教育の一環でした。僕が小学校4年の時、父が楽器を寄付したきっかけで全生徒は「ブラスバンド」か「合唱部」に入部が必須となりました。僕は父のそういう行為があまり好きではなかったので、クラスの仲の良い女子と二人で相談して一緒に合唱部に入ることにしました。

そうしたら学校は大慌てです。父が楽器を贈ったブラスバンド部に僕が入らないなんて当時の村社会では考えれなかったのでしょう。僕は教師から「ブラスバンドに入るように」説得というよりお願いをされました。そういう大人の事情というのを子供は余計嫌う訳ではないですか。だから僕も頑なに拒否して、教師の言う事なんかシカトして彼女といそいそと一緒に合唱部に入る約束を強固に固めて行ったのです。彼女は色んな合唱曲を知っていて、僕がどんな歌を歌っても「ハモれる」才能の持ち主でした。

しかし大人と言うのは恐ろしい。到底、子どもでは歯が立ちません。教師は彼女をブラスバンドに入れさせたのです。彼女は泣いていました。「私、ブラバンに入るからタッちゃんも一緒に入ろう」。あきらかに言わされてるセリフでした。

僕は頭に来て、僕はブラバンに入るが君は合唱部に入れ、と言って、別々の道を歩むことにしたのです。僕はトロンボーンをやることにしました。当時、何かの歯磨き粉を買うと、おもちゃのトロンボーン(笛を小さくしたサイズで息を吹き込み先っぽのレバーを前後させると、ヒュ~ユ~ヒュ~、と音が変化します)が当たるコマーシャルを堺正章がやってたからです。

ブラバンは茅ヶ崎市の大岡祭でもパレードに参加して市内を闊歩しました。トロンボーンは吹かない時は朝顔(楽器の先っぽ)を下に向けて行進するのですが、僕は開き直ったら強いタイプなので、もうやる気満々、戦闘態勢で行進時も一人、楽器の朝顔を平行に持ち、まるで敵に突入する勇敢な兵士のような構えで人生と向き合う覚悟を付けたのでした。↓。

今はその時の覚悟の「利子」で人生を送っているようなものでそのくらい僕にとっては重要な年齢の出来事でした。

BGM. 吉田拓郎「明日に向かって走れ」


翼をください

14/Ⅶ.(水)2021 はれ時々雨 大谷リアル二刀流米球宴出場で歴史的白星。

雨と、コロナで酒が飲めなくて、参ってしまう世の中です。唯一の明るいニュースは「大谷翔平」だけですね。立派過ぎて年上にみえます。僕が子供の頃は「ダウンスイング」が基本で王選手なんて荒川コーチのもと真剣を素振りさせられて「大根切り」してましたが、大谷は真逆の「アッパースイング」です。僕は病院のレクリエーションでソフトボールをやっていて、その際は「ダウンスイング」だとボールが飛ばず「アッパースイング」気味に打ってたらよく飛びました。「ソフトボールが特別なのか」と思ってたら今回の大谷の活躍で新しい正解が見えてきましたね。SMAPの中居くんが言ってましたが、「大谷の活躍はもしもアニメだったら、やりすぎ」なくらいマンガチックでワクワクです。そう言えば、パンダに双子の赤ちゃんが生まれたそうで僕は名前を考えました。「ワクワク」と「チンチン」です。コロナのワクチンに引っかけました。受付に調べさせたら、「名前は公募してない」そうでした。

そんなマンガチックな世の中ですがカワクリには新しいマンガを導入しました。↓。

こないだの日曜日、4度目の緊急事態宣言前日に寿司屋で昼間に飲みました。その名残で、海鮮とかけてみました。全巻コミックスを入れました。↓。

オリンピックは無観客でやるそうですが、新国立競技場では開会式のリハーサルをやってるらしく、ファイナルファンタジーの音漏れがするとのこと。それから「翼をください」も聞こえてきたから、「翼をください」と関係のあるアニメがセレモニーに使われるのではとの噂で、「翼をください」と言えば、「エヴァンゲリオン」ですね。夕日が落ちる背景でエヴァと使徒が戦って、エヴァが無茶苦茶な殺し方で使徒をやっつけて食べてしまうシーンのバックに、林原めぐみさんのやさしい声につつまれた「翼をください」のノスタルジックな歌声が流れます。聴覚と視覚のアンバランスから余計に描写が残酷に見えるという心理的効果で、これは「世界残酷物語」という映画のクライマックスでサバンナの草原で人間がライオンに食い殺される時に、「モア」という映画史上に残る名曲が流れるギャップと同じできっと「なんとか効果」という名前でもついてるのでしょうね。

でも「翼をください×アニメ=」の答えは本当に「エヴァ」で良いのでしょうか?「けいおん」の第1期で唯ちゃんを「軽音部」に勧誘するために3人が演奏して聴かせるインストルメンタルも「翼をください」でした。これはアニメではそうでしたが、原作では「指定」されてませんでした。↓。

「翼をください」で思い出すのは、浅野いにおの「おやすみプンプン」第1巻で、愛子ちゃんが転校してきた後、プンプンが具合悪くなって、保健室でサボってると体育館で合唱コンクールの練習をしてる愛子ちゃんたちの歌声が聞こえるのですが、その歌も「翼をください」です。↓。

カワクリを開業してすぐの頃、「ベッキー」というネットアイドルが「可愛すぎるにも程がある」と話題になり、日本のプロダクションの目に留まりデビューする訳ですが、その際組んだユニットのデビュー曲が「翼をください」です。「クルーエル」とは「残酷な」という意味で本名ではないです。こうなると「エヴァ」の影響を感じずにはいられませんが、こんな美少女のデビューを何故わざわざ3人組にしたのか、またデビュー曲にオリジナルを与えなかったのかは不明ですが、「売れなかった」という事実に即せば戦略ミスだったのでしょう。僕は持ってるけど。↓。

文化人類学で、交流のない地理的にも接点のない地域で同時に似たような文化が生まれることがあるといいます。お互い影響し合えないのに、同時に出るというのは何らかの意味があるのか?時代の要請か?日本で国民食ともいうほど「カレーライス」が流行ったのは給食でカレーライスが出された時、ほぼ同時多発的に日本中のクラスのひょうきん者が「かれ~」と言ってクラス中を笑わせたからだ、というのが僕の持論ですが、「翼をください」も同じようなものなのかもしれない…。

BGM. ベッキー・クルーエル「男女」


文化部通信~その拾玖~

こんにちは、文化部通信第19弾。文化部長スーです。
ムシムシジメジメとする梅雨が続いておりますが、先生のネイルが爽やかで涼し気になっていました。

ハンドネイル↑

フットネイル↑
「夏のニュアンスキラキラネイル。テーマは、彼女は京都人」だそうです。すごく涼しげで、見ているだけで爽やかな夏風を感じるような・・気になれますね。綺麗!

続いては可愛さで攻めていきます。
新しいポケモンシリーズがドドンと2つ。続けて紹介します。
まずは、ニューフェイス達。

ペンギンがこわ可愛いです。

ここからは可愛すぎて卒倒してしまうかもしれません!!
心して御覧くださいね。では、どうぞ。

ん~~!かわいい!!ピカチュウならではの表情豊かさですよね。写真では伝わらない可愛さがあるので、ぜひポケモンBOXから探して見てみてくださいね。
(私のお気に入りは最後から3つ目の写真の2種類です。)

そして、雨だと思ったら急に晴れ間がのぞいてジリジリとしますよね。
こういうのもあります。

日焼け止め ポケモンver。これで可愛く紫外線予防が出来ちゃいますね。

 

ではでは、7月。”7”を探していきましょう。

先生(小)の隣にはウルトラ”セブン”

ChamJamは”7”人グループ

しょこたん💛でんぱ組は”7”人

ミノルタX”7”

クレージーキャッツは”7”人組

東京ば”な奈”(ポケモン)

怪盗キッドとコナンと京極真の手を足すと・・”7”(2+5+0=7)

圧倒的”7”不足により今回も先生からイラストお題が出ました。
7月生まれの10人の方々です、どうぞ。

1「江頭2:50 7/1」

2「ダイアナ妃 7/1」

3「ヘルマン・ヘッセ 7/2」

4「トム・クルーズ 7/3」

5「シルヴェスター・スタローン 7/6」

6「ダライ・ラマ14世 7/6」

7「中森明菜 7/13」

8「水谷豊 7/14」

9「アーノルド・シュワルツェネッガー 7/30」

10「小池百合子 7/15」

それぞれの人に特徴があるはずなのに、それを描こうとすると難しいものですね。特に水谷豊さんは何度書いても、似せて書くことができませんでした・・。
街でよく見た似顔絵イラストを描いてくれる方の凄さを感じます。最近あまり見ないですが、遊園地とかではやってるんですかね?
マスクの時期はイラストを描くのも大変そうですが、落ち着いたら描いてもらえるところを探してみようかな。


心の護美箱(39)~人生脚本

1/Ⅶ.(木)2021 雨 大谷翔平、持っている。1回途中で7失点もチームが同点に追いつき「負け」が消える。

心の護美箱(38)がいっぱいになったので、(39)を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
人間は誰にも他人に言えない罪深いことや後悔の念を持つものでしょう。
昔は教会の懺悔室や、お寺でお坊さんが話を聴いてくれたのでしょう。今もそれは機能してるところでは働いているのでしょうが、生活が近代化すると少し縁遠くなっているかもしれません。
それに世間は、人の不幸は密の味、好奇心はスキャンダルをあっという間に伝播させます。
だから他人に秘密を打ち明けるのは、結構危険が伴いますね。聞き手の価値観も入り込むから、いらぬ説教をされる場合もあります。
しかし、我々、精神科&カウンセリングには守秘義務があります。そして、すべての「常識」や「偏見」から自由である、心の解放区です。安心ですね。
ここでも、非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。
まぁ、グチに限らず、要望や苦情やエールやラブレターでも構いません。

 

「劇的」というとドラマティックというイメージが思い浮かびますが、テレビでは一体何本のドラマが流れているのでしょう。きっとつまらないドラマも五万とあるのでしょうね。我々の人生を「劇」にたとえる場合もあります。主人公は「自分」です。精神療法的に考えると、人生には本人でも気づいていない「台本」を各々が持っていて、配役が決まると周りの人にその台本を配り役を演じさせるのです。シチュエーションは違えど、大体、同じ結末になります。それはそうですね。台本が同じだから。この台本の曲者なところは無意識に書かれているところです。人生が悲劇なのか喜劇なのかはその人の台本によるのです。

そこでは脇役・登場人物の個性はあまり重要視されません。「監督=脚本」にはさからえませんからね。あんまり無茶なことをする役者だと、「影武者」の「勝新太郎」のようにおろされてしまいます。だから多くの場合、どんなに善人でも「その人の台本」が「どうせ人間はみんな最後には私を見捨てる」というものだとそうします。選ばれた役者が「冷たい人」ならまだマシですが、「根は優しい」なんて場合は悲劇の度合いが増しますね。上げて下げて、ですから。同様に、「男は結局、体が目当てなだけだ」って脚本に選ばれると、本当は紳士なのに、非道なことをさせられるのです。そして主人公の台本だけが勝ち残り、「どうせ~なんて~だから」という人生のテーマが太塗りされて行くのです。

我々精神療法をする人間は時として、この台本に着目します。それは反復的に同じことをその人が繰り返している場合、その台本を読み解き、可能なら書き換える作業を提案します。これは無意識が作ってるので過去の人生を紐解いて、どうしてこんな台本が作られたのか、を分析して行く訳です。なぜそんなことをするかというと、書き換えられるものならそうした方がいいかもしれないからです。別にそれが分かったからって書き換えなくてもいいのです。「書き換える/そのままで生きる」その選択は患者さん自身がすればいいのです。ただし、選択肢は多い方が良いというのが我々の考え方です。

台本で割とよくあるテーマに、「成功しそうになると破滅する人」というのがあります。ここぞという時に無意識下で親を乗り越えてはいけない、という遠慮のような親孝行のような忠誠心が働く訳です。これも無意識の仕業なので、意識化していればいい訳です。「いつもダメな男を引いてしまう女性」も相手にそういう台本を渡してしまっているのかもしれません。その男の人は「あなた」じゃなければまともな男だったのかもしれません。人生は難しいですね。

手塚治虫の「どろろ」に白面不動という妖怪が出てきます。自分の顔を持たないために、次々に人の顔を欲しがります。白面不動によってかりそめの命を与えられた手下の女は白面不動の言いつけで人間をだまして谷に落として殺します。殺す時、この女は、相手が心に思う人間の顔に成りすませるのです。これではひとたまりもないですね。「どろろ」の前にあらわれた女は「どろろ」の母親の顔になり近づきます。いつものように生贄にしようとしたのに自分のことを「おっかちゃん」と慕う「どろろ」に情を抱いてしまい、白面不動の命令に背いて、「この子だけは助けて下さい」と逆らってしまうのでした。

このように我々の好きな話は、こういう「台本」が書き換えられる時なのかもしれません。それは二つの「台本」がぶつかってどっちの台本が生き残るのか、という見方も出来ますね。それこそ劇的ですね。

うちには3人の臨床心理士がいます。彼女らの仕事は精神療法です。彼女らがその仕事を選択したのには彼女らの「台本」があってのことでしょう。そこは一括りには出来ませんが、共通するのは、専門的なトレーニングと実践的な理論と戦略的な方法論を持って、カウンセリングに臨んでいることです。数いる臨床心理士の中から何故、この3人がうちにいるのかと言えば、それは僕が面接して選んだからです。選んだ基準は、僕の臨床的価値観に近いからという理由です。どうですか?安心ですね。