26/Ⅺ.(日)2023 くもり、寒い 日本レコード大賞、大賞候補からYOASOBI「アイドル」除外で物議
池田氏というカリスマを失った今、その「団結」には綻びの気配が漂っている、東大閥エリートVS創価大叩き上げ、の骨肉の内部抗争が始まった!…と今週号の週刊文春に載っていた。池上彰と佐藤優の対談もあり、池上彰の祖母が学会員で新聞少年だった池上彰は朝日新聞と聖教新聞を毎日読んでいたが聖教新聞は「立正佼成会の悪口ばかり書いていて、立正佼成会信者が仏壇を運んでて交通事故にあった、とか。仏教団体が他の団体の悪口を書くってどういうことなんだ」と子供心に思ったと語り、僕は「こんな記事載せて良いのか?」とびっくりしたが、対談相手の佐藤優もそれに便乗して話を膨らませてるから良いのか。結局、全部、自主規制で言論の自由はあるんだなと知りました。他にも宝塚花・雪・星組トップが「イジメなしウソ会見に激怒」宝塚幹部に改善要求、や、ジャニーズ問題「ジュリーさん、本当に補償する気ある?」、羽生結弦105日離婚「羽生推し精神科医のコメント」、アンビリーバボー「ギャラ12億よこせ」「昔の写真使うな」北野武が暴走中、原色美女図鑑には市川團十郎と小林麻央の娘・12歳が初登場などとにかく「買い」の号です。
さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、おきざりにされた気分に浸った。こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。あまり親しくはなかった1年後輩の遊び人が「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。馴染客には目当ての子がいる。
後輩は「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。僕の生活はすさんでいた。クラスはピリピリした雰囲気だし、水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。僕の足は、フィリピン・バーに流れた。ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。センス的には野暮ったいが、この方が街に同化して目立たずに生活出来るメリットもあろう。僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい」と言った。僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。テレビも東スポも一秒も見なかった。本当に狂っていたのかもしれない。とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。そして、そのペースは国試の当日まで持続した。結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。その隣りに先輩のサイン色紙がちゃっかり並べて貼ってあり、笑った。お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。顔を見て、僕はビックリした。マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、「ラ」の音を消した。マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。
心の護美箱(74)がいっぱいになったので、(75)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれれば内容はアップしません。みんながどんな相談をしてるのか、これから受診される方には必見です。ただ、その性質上、「コメントは非公開」が多いから、僕の回答しかのってない例が多いです。そんな時は、答えから「コメント」を想像してみるのも一興ですね。
フィリピンパブには、何故か日本人の子も勤めていた。当時は不思議に思わなかったが何故なんだろう?ある日、その子に店がはねてから、「自分の家で呑み直そう!」と誘われた。断る理由もないから付いて行った。すると、家に着くなり、彼女は「ちょっと待っててね」と言って、仏壇を開けて、お経をあげ出した。それはルチーンでこなしてる感じの簡素なものだった。
それから彼女は、店からくすねて来たというウイスキーのボトルをバッグから出して、「呑もう!」と言った。僕は、「あなたの信じてる神様は、こういうことして怒らないの?」って聞いたら、黙り込んじゃった。
次の日曜日、彼女は僕のアパートに来て、部屋を掃除してくれた。お礼に近くで、ビールでもおごるよ、と蕎麦屋まで歩く道すがら、彼女は「日曜の昼間に歩けるなんて嬉しい」と言った。僕はなんとなく「僕は、この人と結婚するのだろうか」と思った。
しかし、マイラの禁止令が出て、僕は店に行かなくなったし、彼女からも何のアクションもなかったから関係は途絶えた。何年か経って、気になって、その店のあたりに行ってみたが、それっぽい店はいまだにあったが、店名も変わっているし、もうさすがにその子はいまいと思って、店には入らずに帰って来た。ただそれだけのこと。
BGM. 新かぐや姫「湘南 夏」