21/Ⅻ.(木)2023 寒い 1014億円男・大谷翔平がサイン貰って感激「大事に飾ります」。2人のやり取りが「泣ける」と米話題
今日は自由が丘の話。受付の羽田さんは自由が丘の学校を出た人で仲間も自由が丘にいっぱいいて自由が丘を根城にしてるのだとばかり思っていたら、勘違いらしく本人曰く、「一度も自由が丘の駅に降りたこともない」そうです。こういう勝手なイメージが先行して事実と違うのに流通しちゃうことってありますよね。実はビートたけしは一度も「ダンカン、バカヤロー」と言ったことはない、など。
こないだ見た夢の話。
藤巻の渋谷のマンションは昔僕が住んでた登戸のアパートの外観に似てる。中はオール電化。サーフィンとマライアキャリーのクリスマスソングを流してる。藤巻は「豊重と第2ステップまで行った」と自慢するが僕は「第2ステップ」の意味がわからない。恋愛関係の用語かな?すると、家主は「君はここにとどまるだろう」と言い残して出て行った。後を便利な家電に任せて。しかし、その機械が誤作動し出した。僕はあわてて藤巻に電話するが、今の電話はインターネットだから皆につながり、弟と名乗る人物が来た。あれ?藤巻に弟、いたっけ?弟は藤巻と共同で所有してるという蔵書をみせてくれる。「成田悠輔選集24巻」や「精神分析の洋書」など。彼もなんだかんだ言いながら精神科医になったようだ。ベルが鳴るさっきのインターネット電話で呼び出された弟の友人だ。彼は僕のことを知っていて、なんと尊敬してるそうだ。趣味の悪い男だと思った。みんなで呑もうと言うが、僕は薄気味悪くって外へ出る。駅まで向かう道すがら「焼肉屋へでも寄るか」と思うと、「そうですよね!」と弟とその友人が現れた。彼らは僕の心が読めるらしく、言葉は必要ない、と言う。豊重も合流する。白髪が禿げたおばあちゃんだ。しかし、ちょっと目を離したらシュッとした綺麗にカラーリングしたレディになってて、「どうしたの?」と僕が驚くと、「あなたの髪を染めてあげてるの誰だと思ってるの?」と恩着せがましく言うが、心当たりがない。彼女は「藤巻はとても善い人間だ」と言う。彼女は僕のことは「ひどい男だ」と言う。特に女の子の扱いが最悪らしい。「砂浜に女の子を座らせて足だけ舐めて放って一人で帰るなんて」と心底軽蔑した表情だ。占い師のコンピューター予測にもかけられた。僕の過去の女性関係はプロアマの区別は不明だが天文学的な数値だとはじき出された。そして「友人はゼロ」だという鑑定結果。「えっ?藤巻は?」「ちがいます」。「木代は?」「ちがいます」。「家族は?」「ちがいます」。「あなたは孤立した孤独なひとりです」。「代わりに、あなたが傷つけた人はこれだけいます」。いくらでも出てくる。「今更詫びようもありません」。「何故なら、もう死んだ人もいるからです。あなたには懺悔の値打ちもありません」。僕には人間としての価値がない、のか。するとコンピューターが提案してくれたのが、僕が許される方法。体から質量をなくすこと。そうすればトイレもしやすくなるのだという。「どうでもいい特典だ」と思う僕に差し出された1枚の契約書。「来年の2024年の5月5日か7月7日」と記載されている。そこにサインをしろ、と言う。何のサインだ?には、みんなは「みんなの仲間入りすること」だと言う。彼らはみんな質量のない生活をしてるという。そう言えば、藤巻って死んでなかったっけ?豊重も。ひょっとして、「死亡診断書?」。僕がその日に死ぬということか。僕は拒否するがもう無重力に空間が支配されてしまった。藤巻は「これは規定事項だが未来事項だから君のサインがないと人類が消滅出来ないんだ」と説得する。僕はここで「これは夢だ」と夢の中で気付く。「だったら夢から脱出すればいい」。しかし、これは人類にとってとても重大なメッセージだから記録してから夢を覚まさないとと思うと、藤巻がメモとペンを差し出してくれるが、僕は書きながらその文房具に質量がないことに気付く。「チェッ」と奴らは悪だくみが失敗した悪党どもで、僕は夢から脱出しなきゃ、ともがいていると…。
ここからはリアルの話。友人からLineが来て目が覚めた。朝の7時10分だった。僕は体を起こして急いでメモに夢の内容を書いた。「ほぼ日手帳」に「トンボのボールペン」で速記した。それが上に記した文章。僕には友人がいた、というオチでした。
しかし、なんとなく寿命が気になる夢だ。手相は変わると言われるが、なんだか生命線が途中で途切れてる気がする。念のため、占いに行っておくか。とりあえず自由が丘に行けばなんとかなるはず。
占い師はどこも偶然たまたま「遅刻」してたり「風邪」をひいてたりして不在。占い師に頼るなという先祖の啓示か。仕方がないから和菓子を買う。
受付のお茶うけに差し入れしよう。
自由が丘の駅前ロータリー側は再開発中。
トットちゃんの映画のイラストが。
トットちゃんの通ってたトモエ学園は、自由が丘にありました。日本で初めてリトミック教育を実践的に取り入れた学校で、昔は「自由ヶ丘学園」と呼ばれてました。自由が丘の地名と駅名は、自由ヶ丘学園の名前に由来するそうです。
BGM. RCサクセション「自由」
前に「新しいテレビを買った」と書きましたが、前のテレビのデータが残っていたのが、ヤマダ電機・自由が丘店だったので、買いに行きました。
リビングのテレビを見るのは、もっぱら母なので、リモコンの使いやすいもの、映像の写り方が、母の眼に合うか合わないか、そこを重視して、来店。
立ちんぼで1時間(母は椅子に座りっぱなし)談判して、結局、シャープのものに決定。手続きして、外へ出ましたが、立ちんぼで1時間、さすがに足が棒のよう。昼食を探すにも、どこもランチメニューは終わりの時間。
とにかく休もうと広い軽食もあるカフェに入り、ひと休み。
気になったのは、昼食の店を探す最中、どの店も入口の階段が急で、狭いこと。店に入る1回ごとに、歩行機をたたんで、持って上がらねばならず、くたびれます。そのでかいカフェも、ドアは重い、入口の階段は急。こうまで経験してくると、もうこれは法律で定めねばならないほど、入口を身障者が入りやすくするように、しなくちゃいけないんじゃないかと思いましたよ。
テレビを買えたし、自由が丘はいい街で、昔から好きですが若者の町は、身障者の面倒をみるものも、本人もつらいですね。
タクシー乗り場で「お先にどうぞ」と順番を譲ってくれた南米系の人に感謝しましたが、年内中にテレビが来るので、苦労のし甲斐はありましたね、なかなかの1日でした。
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ぴぴさん、こんばんは。
うちのクリニックも2階だから、エレベーターを使いたいんだけれど、2階が止まらないんですよ。なんとかしたいなぁ。でも、上が大家さんの家だからセキュリティーの問題もあるのでしょうね。
こんな世の中だから、自分に余裕があったら少し他人に親切に出来ると良いですね。順番を間違えないようにしてね。