21/Ⅲ.(木)2013 はれ
その朝、目がさめたら、となりに知らない美人がいた。
彼女はとっくに起きていて、「やっと起きた。遅刻」と僕に言った。
それは、まだ病棟実習をする前だから、大学の3年か4年の頃のはず。
僕は、友達と、大学の近くの街で呑んでいた。
たまたま、その店でとある運動部がコンパをやっていたので、そこに顔を出した。
その頃の運動部は2次会以降は最上級生が払う、という暗黙のルールがあったから、うまいこと紛れ込んで、
ただ酒にありつこうと考えた訳だ。
その作戦はまんまと成功して、僕は3次会のパブにもなだれ込んだ。
そのパブでは、第一外科、通称「1外(いちげ)」が飲み会をしていた。奥の方で外科の医者と看護婦さんたちが騒いでいた。
僕らのグループの最上級生の6年生は、1外の方々に挨拶に行っていた。「お前も言って来い!」と言われるまま、
僕は挨拶に行き、そこで呑んだ。
気が付いたら、結構、夜も更けていて、僕は「ところで、お前、誰?」とか言われてた時には、
最初に呑んでた友人も運動部のメンバーも皆、帰っていて、僕1人だけ、1外の人達と呑んでいた。
1外のスタッフは、普段、ハードな仕事なので、飲み方も豪快だった。
忙しさやストレスと、飲み会の発散の仕方は正比例すると思う。
救命救急の飲み会に参加したことがあるが、そこでは「パイ」が飛び交っていた。ケーキのパイである。
看護婦さん達が、医者の顔面めがけて「パイ」をぶつけるのだ。普段の憂さ晴らしなのか?
こうやってバランスをとってるのか、と興味深く、上級医の顔に付く生クリームを観察した記憶がある。
話は戻るが、僕は1外の飲み会に最後までつきあい、病院の近くに住むナースの家に皆で雑魚寝したのであった。
医者や看護婦は偉いもので、あれだけ呑んで騒いでも、翌日、休まないのだから。
それに比べて学生は、僕などは、甘いのだ。
そう、僕が目をさましたその部屋は、1外のナースのアパートだったのだ。
彼女は、僕に、「将来、何科に行くの?」と聞いた。僕は、「精神科」と答えた。
彼女は、「プシコ?意外ね。外科にしたら?」と真顔で言った。
当時は、都内でも郊外は畑などがあって、僕は彼女のアパートから学校に行く路を教わって、あぜ道のようなところを歩いて行った。
すると、向こうから畑仕事を終えた、おばあさんとすれ違ったりして、僕は何か後ろ暗い気分にさせられた。
僕が、彼女にあったのはそれっきり。
医学生が病棟のナース・ステーションに顔を出すのはそんなにおかしなことでもなかった。
それに泊めていただいたお礼を言いに行くのは、むしろ人間として当たり前なのかもしれなかった。
正直、何度か、会いに行こうかな、という誘惑と戦った。だけど、僕は行かなかった。
もう1度、彼女と会ったら、僕は自分の描いている人生の線路が違う方向に行ってしまう危険を予感していたのだ。
BGM. 市川染五郎「野バラ咲く路」
なんだか、小説の始まりみたいでぞくぞくしました。
やられメカさん
なんだか、それっぽく書いてみました。
でも、僕は無礼なのでしょうか、彼女の名前さえもう覚えていないのです。
先生の外科医姿も見てみたいなー。
彼女に会ってみたらよかったのに。そこで人生が変わっても、それはそれでおもしろかったかなぁなんて、他人事だから言っちゃいますが。
でも、そうしなかったから、カワクリや先生に会えたんだから、やっぱりよかったのかな?
花の香りさん
僕は、一時期、オペ着をパジャマ代わりに使っていました。上下、深緑色のやつ。兄のまねです。
re:いやいや先生、その女性は今は壇蜜という名前で世の男どものXXXXXになってますよ(笑)。
やられメカさん
僕は、その人、苦手なのです。ひょっとして、何か共通点があるからなのかな。