8/Ⅲ.(火)2022 寒い ゼレンスキー氏「キエフにとどまる」
さだまさしの功罪について考えてみた。グレープの時代は別にしても、ソロになってからのさだまさしの人気はすごかった。「雨やどり」は爆発的に売れたし面白かったし。立川流の談春も、談志が死んでからさだのファンを公言するようになり、松本人志もさだまさしは自分の師匠だと発言しててビックリした。でも我々の世代で影響を受けなかった人はいないと思う。僕も「風見鶏」と「私花集(アンソロジー)」という2つのLPを持っていた。僕は山口百恵のファンだったから「さだが『秋桜(コスモス)』の作者だからLPを持ってるんだ」という言い訳も用意した。当時はまだたけしが世に出ておらず、タモリの影響力が大きく、深夜ラジオでタモリが「名古屋ダサい」と「さだまさし軟弱」とバカにしてたから男子としてはさだを聞くなんて軟弱だと思われそうで恥ずかしかった。もし急に女子が家に来て、「エロ本」か「さだのLP」のどちらか一つしか隠す時間がなければ迷わずさだを隠していたと思う。しかし時は魔術師だ。談春が大みそかのさだのコンサートで落語をやり、松ちゃんがワイドナショーで堂々とそんなカミングアウトをする。そしてそれがどれほど大事なことかを知ってる人も少なくなった。
僕の中高時代は、どんなにませてても「生きる意味は?」なんて考えてる子は周りにいなかった。それほど自分の価値にうぬぼれていなくて、言葉にこそしなかったが、「生まれたから死ぬまで生きてよう」くらいに生きていた。自分の人生にそんなに期待してなかった。アントニオ猪木が好きなのも長嶋や王を応援するのも「自分には出来ないこと」をやってるからで、「彼らと同じ時代に生まれて良かった」「同じ空気を吸えて幸せ者だ」と思っていた。
それがいつからだろう。ヒーローがインフレを起こしたのか、「自分の人生」を考えるようになった。僕はそれはSMAPの「世界に一つだけの花」のヒットによるもので、「ナンバーワンでなくてもいい、元々特別なオンリーワン」の呪縛だと思ったりもした。しかし、SMAPも一夜にしてならず。これがどんなに名曲だろうとなんの滑走路もなくいきなり飛び立てるはずがない。何か「プレ・SMAP」的な自己啓発的な力があったに違いない。それは何かをずっと考えていた。主に自分の小学生、中学、高校とその時代の背景にある文化を洗い直してみた。そこで浮かび上がったのが、さだまさし、であった。
さっきも言ったが僕は2枚さだを持っているが、さだまさしの「私花集」のB面のラストに「主人公」という歌がある。これはファンの中での人気投票では必ず1位になる~あなたはあなたの人生の主人公だ、というメッセージの歌である。これまで日本人で日本人に向かってこんなことを言った人を僕は知らない。北山修も吉田拓郎も岡林もユーミンも誰も言ってこない角度からの直撃弾だ。
こないだこんな夢を見た。僕は空を飛んでいて、きっと僕は花粉かおしべで風に乗り森の中を川の上を自由に飛び回る。人間のいない世界だ。僕の役割はめしべ的なものをみつけて、遺伝子情報を伝えるべく受粉することだ。僕は次の何かにバトンを渡す役割の象徴化だった。
僕は結構長いこと生きてきて、僕のアイデンティティーの核にあるのは、「僕は母に愛されていた」という体験だった。それはきょうだい葛藤の勝者という意味でもあった。それが近頃、何か忘れていた記憶が蘇って、夢などに出てくる。それらはかけらみたいなものなのだが、パズルのように合わせてみると、なんと「母は僕より兄を愛していた」という数々の場面だ。ずっと封印していた光景だった。僕はもうすぐ60才になるが、還暦というのは人生が一回りして再スタートらしいが、まさかの「たっちゃん愛され神話」の崩壊である。僕は僕の人生の主人公から転げ落ちた。さて、そうなると僕の存在意義とは何なのだろう?兄や親や妻や友人の人生に必要な「モブキャラ」だったのか。それともさっきの夢が暗示するように僕は次の世代に何かを伝える「送りバント」のような役割なのか。
西洋の小説で主人公の祖父はそこそこ名声があったが大酒のみで~などという配役があり、その祖父の残したトラブルの種や未解決の葛藤が世代間伝達され数世代先の主人公たちにちょっとしたスパイスを与えるなんて描写がよくあるが、僕の生きてる意味は子供やその子供たちという主人公の人生を彩る舞台装置の一つなのでは?という新しい落としどころも見つけられるようになった。さだまさしに出会う以前の自分に戻ったようだ。幼い僕の面影たちが優しい笑顔で「お帰り」という。さよなら、主人公。
BGM. さだまさし「主人公」
川原先生、こんにちは。
さだまさしの当時の位置づけがいつも良く分からなかったので、それが少し見えた気がして面白いブログでした。「周りに遠慮せず、親だから、とか旦那(恋人)の為にとか、我慢をしないで、自分のためだけに、自分したい事をして生きろ。脇役になるな。自分の人生の主人公はあなたなのだから。」という中学の同級生がいます。一方で、あなたは自分が価値のある人間だと心の底で思ってるから、人生に悩むんだ。自分なんて、なーんにも価値がないし、人生に期待ももたなければ、まいにち楽しく暮らせるよ。と毎回アドバイスしてくる夫もいます(笑)。でも、子供たちの人生を彩る舞台装置の1つなのでは、という落とし所の考えも良いですね。勉強になりました。
さて、最近Netflixをあまり見なくなったので、解約しようと思っていたら、そのタイミングで兄からLINEが来ました。Netflixの「令嬢アンナの真実」という、実在した女詐欺師のドラマが面白いから是非見て!と言うものでした。兄とは子供の頃あまり仲が良くなくて、ここ数年で雪解け。やっとLINEする間柄に発展したので、こんなLINEもなんだか普通の兄弟みたいで嬉しくて、Netflixを解約するタイミングを失いました。
いずみさん、こんにちは。
さだまさしほど悪いことをしてないのにバッシングを浴びた、嫉妬の対象のようなケースも珍しいです。
今思うと、みんな、さだまさしが怖かったんだと思います。
この人ほど、昔の歌を今歌っても違和感がない人も珍しいですね。他のミュージシャンも、サービスで歌いますが、照れて歌います。でも、さだまさしは当時と同じ熱量で歌うから、つまりそういう「普遍性みたいな凄み」が、優しいメロディーとか細いルックスと知恵のある歌詞のオブラートに目くらましされて、気付けなかったのでしょう。「関白宣言」を歌うさだと、「精霊流し」のさだは同一人物ですが、後者は暗くて前者は「男尊女卑」と女性団体から抗議を受けました。長渕剛のように(あいつは極端過ぎますが)途中でキャラ変してないのがすごいです。
僕もネットフリックスは全然みてません。篠原涼子が旦那にDVを受け、不倫して熱愛してハッピーエンドという訳のわからないドラマがあるそうで、それだけは見ておこうと思います。そんなうまい話し、ある訳ないじゃないですか?
ちなみに聖母マリア様のお母さんの名前が「アンナ」ですよ。初期のビートルズに「アンナ」というダラダラした休日にフィットする歌があって僕は好きな歌です。
私が自分の人生の意味について考え始めたのは、パニック障害を起こし、家にこもるようになってからです。世の中のほとんどの人が、精神科的な病を知らない、興味もない、ラカンの研究をしている哲学者さえ、実感としては知らない。そんな現実を知った時、自然にそうなっていきました。今でもちょっと考えます。
ただもう少しで、パニック障害から来る症状から、抜け出せると信じている今、眠りを除いては、「意味もへったくれもあるか、快楽の追求だ」と考えるようになりました。自分が自分の人生の主人公であるか。それはわかりませんが、「支えられているな」と感じるようにはなっています。
年をとって、体が衰えたおかげで、神経の過敏さも減った。皮肉なもんですが、そう感じています。今、調子が悪いですが、悪い事ばかりではないな、と感じています。
papaさん、こんばんは。
1週回って開き直った感じですかね??
人間の人生における「悩み」の総量は一定なのかしら?だったら、もう意味もへったくれですかね?
僕はこの世の人間たちは、一匹の賢いサルが見てる夢の中の登場人物で、そのサルが目を覚ましたら、人間どもは瞬時にこの世からなくなってしまう存在だと考える妄想癖がありました。
考えてみます。疑問形だし、興味深いから。
papaさん、こんばんは。
「0度」と「360度」はグルっと回って同じ座標軸を示しますが、その運動量に意味があるそうです。
東洋思想みたいですね。大事なことなのでカウンセラーと考えてもいいかもしれませんね。
川原先生、こんばんは。
非公開で
ネコスッキーさん、こんばんは。
そうですね、最近の僕は夢見が悪くて、ちょっと「らしく」ないのかもしれません。
きっと「戦争」のせいで世界の磁場がゆがんでいる影響じゃないでしょうか。アカシックレコードにアクセスを試みましたがエラーが出ました。嘘です。すみません、調子にのりました。
でもネコスッキーさんのコメントは面白かったですよ~またコメントして下さいね。
川原先生、おそようです。
非公開で
ネコスッキーさん、こんばんは。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」は、「君の名は」のナレーションですね。
新海誠の映画「君の名は。」がヒットした時、こっちのドラマと勘違いした年配者が多かったと言います。真知子巻き、が流行るとかって(笑)
ではまた~