ザ・ヒストリー・オブ・川原⑦~「良男さん」

27/Ⅶ.(火)2010 はれ、暑い
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第七弾。
名は体をあらわす、などと言うがこの人は良い人だった。
名前が「良男」である。大学時代の野球部の1年先輩だった。
僕はサードを守り、良男さんは控えの一塁手だった。
ある日の試合で、ショートの先輩が失策したあと、僕がサードゴロを一塁へ悪送球した。
ピッチャーは振り返って「怖くて三遊間には打たせられないな」と嫌味を言った。
ファーストだって捕れない球ではないだろう。
技術的な問題ではなく、捕る気がないのではないか?と思った。
無性に腹が立った。
そんな時、ベンチから良男さんの声が響く。
「ドンマイ~、ドンマイ~。川原~、くさるなよ~」。
3アウトをとり、ベンチに戻ると、良男さんが僕の横に座り、
「くっそ~、俺がファーストだったら捕ってやったのに。俺が試合に出れないから…」と
口惜しがった。
良男さんは努力の人だった。
野球部の練習日以外も自主練していた。
その試合の後、僕は良男さんに誘われ練習をした。
良男さんが一塁ベースにつき、僕がゴロを捕球したと想定しあらゆる体勢から一塁へ送球する送球練習。 
細長いファーストミットの先を使ってショートバウンドの球は全部すくい上げる。
頭を超えそうな暴投もジャンプしてキャッチしてくれる。
言い忘れたが良男さんは長身である。
たまさか胸のあたりにストライクのボールを投げると、
いい音を出すためにファーストミットを思いっきり強く早くはじくように閉じる。
パシーン!球が重そうだ。
「川原~、ナイス・スロ~!」、良男さんは目をつむって青空に向かって雄叫びをあげるのだ。
こっちが照れる。
その後、僕はささいなことから日々がめんどくさくなり人間関係を全部切りたくなり部活を辞めた。
学校で部活の先輩とすれ違うとバツが悪いのは初めだけで、すぐに挨拶もしなくなった。
それでも良男さんは違った。僕の悪い噂を聞きつけると、
そのたびに学生会館まで僕を探し出しにきて、
「川原、くさるなよ」「川原、学校は辞めるなよ」と、こっちが「うん」と言うまで肩を揺すられた。
先日、新宿紀伊国屋書店に医学書を買いに行った。
モン・スナックでカレーを食べ、伊勢丹の方に歩いて行く途中で後ろから「川原!」と声をかけられた気がした。
しかし、ふり返ってもそこにはただビル風みたいなのが吹いているだけで、
カラクリ人形みたいな人間が往来してるだけだった。
しかし、それは聞き覚えのあるあの人の声だ。
僕が今、こうして精神科医をやったり院長ブログを書いたりしてるのも良男さんのお陰である。
「川原、くさるなよ」と言って引きとめてくれなかったら、本当に学校辞めてたかもしれない。
感謝しておりますです、心から。
BGM. ベニー・グッドマン「夢見る頃を過ぎても」


ザ・ヒストリー・オブ・川原⑥~「AZ as No.1」

26/Ⅶ.(月)2010 はれ時々くもり
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第六弾。
いつの世も、クラスにはアイドル的存在な子がいるものだ。
AZもその1人だった。
医学校時代、薬師丸ひろ子が「古今集」というLPを発表した年のお話。
AZは外見は可愛いいが、あまりブリブリ・キャピキャピしてなくて、さっぱりした親切な人だった。
性格的には男っぽいのかもしれない。
だから、恋愛の対象として大ブレークすることはなかったが、隠れファンは多かった。
AZ人気がブレークしない別の理由は、もう何年もつき合っている彼氏がいることだ。
AZは自慢するでもなく、かと言って秘密にもしてなかった。
AZが21才の頃だろうか。AZの誕生月は11月なのだが、その誕生日の前に彼氏と別れたらしい。
この噂は一瞬にしてクラス、学校中に広まった。
我々の耳にも入ってきた。僕と藤巻人間とベナの3人は、紳士的に闘おう、と協定を結んだ。
もうじきAZの誕生日、ここはひとつ各々が「バースデー・テープ」を作りAZに贈り誰のテープが
心を射止めるかで勝負をしよう。
「かぐや姫」のおとぎ話みたい。まだMDのない時代。条件を次のように決めた。
①テープはTDKのAD45分を使用する。
②コンセプトはバースデーだが、必ずしもお誕生日の歌だけでなくてもよい。
③薬師丸ひろ子の「元気を出して」はなるべく入れる。
④風の「22才の別れ」は入れてはいけない。
⑤テープ以外のものをプレゼントしてはいけない。
⑥曲目紹介のインデックス・カードを添えるのはよいが、ラブレターのような内容は禁止する。
ここから「バースデー・テープ作り」という名の恋を争うレースが始まった。
一番有利なのは、洋楽・邦楽すべてのジャンルに全方位網的に博識な藤巻人間だ。
彼はソラで、バースデーソングと歌手名を2~30は言えた。
それを絞り込み曲順を考え、曲と曲のつなぎにジングルのようなものを使おうと自信満々だった。
べナは、「ポパイ」なんていう当時のオシャレ雑誌にも載ったことがある我らのファッション・リーダーなので、
オシャレなテープ作りを心掛けた。
骨董通りにある「ハイドパイパーハウス」という輸入レコード屋でレコードをチョイスしていた。
スティービー・ワンダーをものすごく上手に使っていた。
僕はというと、A面は遠藤賢司の「踊ろよベイビー」、クレージーキャッツの「ホンダラ行進曲」、
遠藤ミチロウの「お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました」、
原田知世の「天国にいちばん近い島」、ZELDAの「東京TOWER」、A.R.B.の「ダン・ダン・ダン」、
ムーンライダースの「9月の海はクラゲの海」などと、まぁまぁの滑り出しだったのだが、
経過報告でお互いの試作品を聴き合う品評会をやったら、彼らの出来が素晴らしく、…戦意喪失。 
B面は山崎春美の「タコ」とかいうインディーズのレコードで前衛的な音楽に
「草葉の陰から一生呪ってやる」と延々とシャウトしてる演奏があり、
それが丁度20分ちょっとあったからそのまま吹き込んで終りにした。
絶対、こんなバースデー・テープ貰いたくないな。
AZ、ごめん、悪気はなかったんだ。
で、このレースの行方がどうなったかというと、AZは僕らのプレゼントをとても喜んでくれ、
「ありがとう」と感激してくれた。
その日の僕らは僕の家に集まり、感想を言い合ったり解剖学の勉強をしたりした。
後日、どのテープが一番良くてどれが一番駄目だったか?を3人で聞きに行ったら、AZはやんわりと
「人に順位はつけられない」みたいなことを言っていた。
AZは1年後の11月、僕の父親のお通夜に試験直前にもかかわらず顔を出してくれた。
藤巻人間が気を利かせてAZを引っ張ってきてくれたのだ。
「喪服が色っぽいね」と僕が言ったら、AZはとても優しい笑顔で「無理に明るいふりをしなくていい」みたいなことを言って、
それから何かを思いついたらしく、ファッションショーのモデルみたいにクルっと一回転して喪服姿をサービスしてくれた。
BGM. SMAP「世界に一つだけの花」


黒髪のロベスピエール

25/Ⅶ.(日)2010 猛暑
約10年ぶりくらいに、黒髪に戻した。これまで、赤・青・黄・緑・黄緑・金・銀・紫など色を変えてきた。
誕生日だからイメチェンしようと思ったら、残ったのは黒だけだった。
話は全然変わるが、石井慧がダライ・ラマに相談する光景をテレビで観たことがある。
石井は、自分は柔道から総合格闘技に移るかどうか迷っている、自分の意志を貫くべきか、
それとも時には長いものに巻かれろ、で年長者の意見を聞き入れるべきか?と尋ねた。
ダライ・ラマは、ビルマの竪琴みたいな片側の肩だけ出てる金色のテカテカ光る生地のド派手な衣装を身にまとい、
うん、うんと真剣な表情で質問に聞き入り、やおら石井に飛びつかんばかりの勢いで指を指し
「自分の人生は自分で決めるのだ!!」と断言した。
ものすごい迫力に、柔道金メダリストの石井慧も圧倒された。その後、石井は総合に来た。
ダライ・ラマが言ってる内容は、当たり前の普通のことだ。
でも、そこで僕は思った。
第一印象で「この人は何だ?」と思わせておけば、普通のことを言っても相手に与えるインパクトが大きいな、と。
これは使えるかもしれない。
背広にネクタイの男に「人生、努力」なんて言われても反発するが、お化粧して髪をツンツンさせた男に
「人生、努力」と言われたら真理のように錯覚するかも。
僕も謀らずもそれを利用してた面はある。
「ウチの子が茶髪にして不良にならないか心配」という親は僕の髪の色を見て考え直す機会とし、
「大人は信用できない」という子供は変な髪の色の大人を他の大人と違うと識別し心を開く。
しかし、それもあくまで見た目。人間、中身で勝負。
黒髪のロベスピエール、とは新日にUターン参戦した時の前田日明のニックネームだ。
BGM. ザ・ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」


ちあきなおみの夢

22/Ⅶ.(木)2010 猛暑
炎天下。ファミレスの駐車場の片隅にて米軍兵2人としゃがみこんで煙草を吸っている。                                        
「安保条約を延長しないと、基地周辺の住民とちあきなおみを守れなくなる。これは重要な問題だ」と
若い兵士は熱く語った。
しかし、僕はそれよりも好みの煙草があと一本になり、もう一箱買っておくのだったと後悔する。                                    駐車場一体に、ちあきなおみの「喝采」が流れている。
歌詞の一言一言が心に重く響いてくる。
僕は意を決し、ファミレスの中に入る。「喝采」が大音量で耳に飛び込んでくる。
♪暗い待ち合い室~♪。奥に要人がいるはずだ。
♪話す人もない私の~♪。その人物と直接交渉に向かうのだ。
♪耳に私の歌が通り過ぎてゆく~♪。ちあきなおみを助けなければ。
生まれて始めて、歌がこんなに意志を示してきた夢を見た。
BGM. ちあきなおみ「X+Y=LOVE」


赤頭巾ちゃんご用心

21/Ⅶ.(水)2010 はれ、暑い
今期のアニメでは、「オオカミさんと七人の仲間たち」というのを観てる。
キャラクターがすべて立っているが、いずれのキャラも非侵襲的で心に負担がかからなくてGood。                                  エンディングテーマ曲は「赤頭巾ちゃんご用心」。これは、レイジーのカバー。
僕の大学時代のガールフレンドS子は、服飾の学校に通っていて、僕をレイジーのポッキーに似てるともてはやした。                      彼女は、レイジー解散後の「ネバーランド」の追っかけだった。
世が、カルチャー・クラブやチェッカーズにチヤホヤしてた時代にである。
レイジーは、影山ヒロノブがいたバンドだ。グルって回ってアニメ。
BGM. レイジー「ハローハローハロー」


青空

16/Ⅶ.(金)2010 はれ
 今日はエアコンが故障(?)して暑かった。
 夏い暑。
 ジョルジュ・バタイユの「青空」を読む。
BGM. ザ・ワイルドワンズ「青空のある限り」


お誕生月☽

15/Ⅶ.(木)2010 はれ
 Mさんに、「お誕生月なので」と胡蝶蘭をいただいてしまいました。ブログでアピールしすぎてしまったのかと反省。
 プレゼントをおねだりした訳ではないのに、ありがとうございます。皆々様は是非、お気を遣わないように、すみません。
 イーブイと記念撮影してみました。

今日はA子の誕生日。
BGM. オフコース「僕の贈りもの」


ゲスト

 ブログに初めてお邪魔します。とくだです。
 
『今日思ったこと。あんこについて。』
よく冷えた、水菓子を食べた時。
涼しげで、甘すぎなくて、あっさりさっぱり。
丁度いいその感じに、
「おいしいなぁ」
と、つくづく思っていた。
そんなことを思う自分にちょっと不慣れである。
 なぜなら、私は 「あんこ」 が小さい頃から嫌いで、食べられなかった。
ドラ焼きも、真ん中のあんこは取り除いていた。
おしるこは、お餅を少し浸すだけで、すぐにあの小豆の海からは撤去する。
そんな私の行動を見て、母や祖母は、
「大人になったらわかるわよ、このおいしさが~」
 と、散々言っていた。
私には到底理解できないであろうと思っていた。
結構、頑なに 「あんこ」 嫌いでいたが、転機は20歳を過ぎて、くらいの頃。
わりと自然に 「あんこ」 を受け入れていた。「おいしいなぁ」と思った。
 そして、むしろ今は、好きな方。
でも、まだたまに、「あんこ」好きな自分には、違和感を覚える。
慣れるまでもう少し、時間が必要なのかもしれない・・・
  ふしぎなものですね。

ザ・ヒストリー・オブ・川原④~「カエル」

13/Ⅶ.(火)2010 はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第四弾。
・「蛙に似た女でも蛙のお袋とはかぎらない」、ペーパームーン。
下の写真↓ Tシャツは、ケロヨン。となりの婦人は、木馬座のもぎりのおばさん。うそ。母。↓


下の写真(カメラマン・RAMちゃん)↓は、洒落で「川原クリニック初代院長」と設定したカエル。                                      それに従うと、僕は「二代目院長」。初代院長の訓示は、太宰治から拝借。
初代院長の言う。
お前はきりょうが悪いから、愛嬌だけでもよくなさい。
お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。
お前は嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい。

話は変わるが、僕は、一時期、イカレた女に「カエル」と呼ばれてた。
理由は、緑色が好きだからだって。イカレてる。
A.は、カエルが嫌いだ。
下の絵は、僕が授業中に描いた落書き。タイトルは「だって、カエルが見てるんだもん」。↓


BGM. 矢野顕子「ふりむけばカエル」