6/Ⅵ.(日)2010 はれ
6月6日はロールケーキの日だそうだ。
6・6を横から見るとロールケーキに見えるからだそうだ。
「ポケモン・サンデー」でショコタンがそう言ってた。
ブルーレイに録り貯めた番組を観る。
「情熱大陸600回記念」は2回に渡り爆笑問題にスポットを当てた。
爆笑問題は1988年結成。
1998年4月「情熱大陸」第4回に爆笑問題は出演している。人気が出始めた頃だ。
太田光は天才・鬼才と世間をにぎわしていた。
田中祐二は飄々とその傍らに寄り添う「普通の男」。
デビュー間もない頃、ある大物芸人から2人はこんな言葉を贈られた。
「お前ら天下、取っちゃえよ。田中は切るなよ」。
立川談志だった。
太田の値打ちを発揮するために、田中を切るな、とそう言ったのだ。
友人の伊集院光は田中を
「超普通です。もはや異常の域の普通」と評して、田中の普通さを
「何でも切れる刀を入れとくサヤってすごいな」と最大限の賛辞で表現した。
田中あっての爆笑問題だという声である。
そういえば、昔、コント55号にも似たような議論があったな。
二郎さんは欽ちゃん以外ともコンビを組めるが、欽ちゃんの良さは二郎さんにしか出せないと、
坂上二郎が評価されていた。
番組に話を戻す。
売れない頃、田中はコンビニのバイトに励んだ。
太田は読書とゲームに耽った。
田中は売れ残りの弁当を太田に差し入れていた。
<太田に働けよと思わなかった?>というインタビューに田中は
「それは思わないんですね。働けるワケがない!、とオレが思ってましたからね。
毎日、時間どおりに行くとか普通の仕事ってできないですからね。
興味のあることしか、ちゃんとできないんですよ、太田は。
僕は出来ますよ。
たとえば明日から生花店で働きなさいと言われたら、そこで一生懸命やる自信があります。
僕、そういうの出来るんです。太田は絶対!できない」。
才気走った小学生、
10歳「殺人事件」11歳「刑事と泥棒」、作・演出・主演、こんな題目の劇を学芸会で発表した太田は、
高校に上がると一転して友達も出来ず、言葉を交わす相手さえなく3年間1人自分の殻に閉じこもった。
インタビューに答え太田は
「それはもうホント、絶望してましたよ。ホントに何にも感動できなくなってしまった。
色も失われているような感じで、最終的にはね、飯がまずかった。
で、そん時はもういい、オレ、生きててもしょうがないと思ってた」と述懐する。
その頃、太田の孤独を癒したのは1人の喜劇人だった。
チャールズ・チャップリン。
哀しみの中にも怒りの中にも笑いがある。
笑いながら全てをくるんで表現することを彼が教えてくれた。
それが一筋の光となり、道も決まった。
17歳の太田が書いた詩が紹介される。
「笑わすために努力をつんだ芸こそ その研究されつくした滑稽な体の動きこそ感動的なのだ」。
爆笑問題の漫才は一切、アドリブなし。
番組は
「相方の一言半句にまでこだわり指示する太田の才能も、
それを受け容れる大きな器がなければ無駄にこぼれて人の目には届かなかったこましれない」
と語り、田中祐二のネタ帳を映し出す。
静止画像にして見てみると、
「そんなワケねーだろ」を消して「無理にきまってんだろ」に、
「そこまでいくとね、ヤワラちゃんが強いっていうより、」を消して「そこまでいくと、まわりが弱いんじゃないか、」に、
「確かにね」を消して「そうそう」に。
素人の僕には違いがワカラナイ。
番組の最後に2人に広辞苑を渡し『情熱』から連想するコトバを選ばせる。
田中祐二は「松岡修造しか思い浮かばない」と笑いながら『走る』を選ぶ。
太田光は迷わなかった。
1つの言葉にまっしぐら。
『爆笑』を選んだ。大勢が大声でドッと笑う、爆笑の渦につつみこまれる。
太田は「爆発させたいんだよ、木端微塵に」と言った。
余談だが、ショコタンの新しい猫の名前は田中が命名したらしい。
ショコタンがコンサートのMCで発表していた。
名前は「ねぎ」。理由はよくわからない、と。さすものしょこたんも苦笑するしかなかった。
爆笑問題&中川翔子、豆情報でした。
BGM. チャック・ベリー「ロックン・ロール・ミュージック」
ちょっとピンぼけ
5/Ⅵ.(土)2010 はれのち曇り
若い友人に借りた西島大介著「ディエンビエンフー」というマンガを読む。
ベトナム戦争が舞台だ。
お返しに、ロバート・キャパの「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」の写真を見せてあげて、
あとは高橋留美子の「めぞん一刻」を全巻貸す約束。
ベトナム戦争と聞くと、ウルトラセブンを思い出す。
ウルトラセブン(S42年10月~43年9月)の第42話『ノンマルトの使者』は、
「もし人類が侵略者だったら?」という常識を根底から覆す内容のドラマである。
海底開発センターの船上基地シーホース号が大爆発を起こして沈没。
その事件を予告した真市少年は、「海底を侵略すればノンマルトが黙っていない。
地球はノンマルトのものであり、人間はノンマルトを海底に追いやった侵略者だ」という。
ノンマルトは怪獣ガイロスを操って攻撃を開始してきた。
ウルトラセブンは宇宙の平和のために戦っているが、それはうぬぼれに過ぎないのか?
第42話『ノンマルトの使者』において、
一つの星の主導権を握る人間ともう一つの種族・ノンマルトの戦いに巻き込まれたウルトラセブンは、
第三者としての無力を思い知らされたのだった。
写真はこの番組放映直後のもの。
幼稚園児だった僕は、悩めるウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、目を合わせられなかった。
折りしもベトナム戦争、真っ只中の時勢である。
円谷プロの大人たちは、
ウルトラセブンを通じて我々子供たちに真剣に何かを問いかけ、我々子供たちも正面からそれを受け止めた。
テレビに栄光と誇りがあった時代である。
BGM. 岡林信康「アメリカちゃん」
ちなみに題目の『ちょっとピンぼけ』とは、
写真の解像度のことではなく、ロバート・キャパの自伝のタイトルである。
ロバート・キャパ、1913年ブタペスト生まれ。
ユダヤ人。本名、エンドレ・フリードマン。
ナチスの手からのがれるように祖国を捨て各国をさまよった後、
‘ロバート・キャパ’というアメリカ人風の不思議な偽名を得て歴史に名を残す写真家となった。
報道写真の古典と言われた「人民軍兵士の死、スペイン内乱1936」をはじめ、多くの写真を残したが、
1954年5月、ベトナム・ハノイ南の戦場で地雷に触れて死亡。
「変」という字は「恋」という字に似てる
4/Ⅵ.(金)2010 快晴2連荘
書庫の整理をしていたら、古い教室年報を見つけた。
1990年3月、僕が医者になった時のもので、新入医局員たちの「入局にあたって」という作文が掲載されている。
僕のもあった。
折角なので下に無断転載しませう。
↓ ↓
『父の魂ー入局にあたって 川原達二』
小学校2年の時だったと思う。
ごくありふれた1日だった。
私はいつものように遠回りをして家路を歩いていた。
ふと道端にキッカイな物体があるのに気がついた。
亀のミイラだった。
私は何の気なしに近くの貯水池にそれを投げ入れた。
するとどうだろう。亀は息をふき返し泳ぎ始めた。
私はしばらくその光景を見ていたが直にあきた。
そしていつもと同じ様に暗くなるころ家に帰った。
翌朝、学校に行くとまわりのフンイキが変だった。
妙に慣れ々々しく女どもが寄ってくる。
競い合うかの様に、私の靴をぬがしてくれたり、
お弁当のおかずを分けてくれたり、鉛筆を削ってくれたりしてくれた。
きのうの一件を誰かがこっそり見ていたらしい。
誰が付けたか「川原浦島ばなし」。
1日にして私はスターだった。
嘘の様にモテた。
事実私は今でもモテるが、あの時は「第一期黄金時代」と呼んでもいいだろう。
下校時には列をつくり、こぞって女たちが私のあとをついてきた。
みんなで私が救った亀を見に行くのだ。
女は口々に「元気に泳いでるね」「タッちゃんはやさしいのね」などと私を賞賛した。
他人の評価というものはどこかいい加減なもので、
いつもマジメなA君がちょっと魔がさしてカンニングしたのをみつけられようものなら
「実はズルい奴だった」「あいつは善人の仮面をかぶった悪魔だ」「私はウスウス感づいていた」
などと散々である。
ところがふだん意地悪なB君が帰り道で捨て犬の頭なんか撫でてる処を見つけたりすると
「実はやさしい人なんだ」「ただ照れ屋なだけなのよ」「私はウスウス感づいていたワ」
なんて勝手なものである。
今までの‘行ない’のスコアでも付けてたら、A君の方が全然いい子なのに、だ。
然しこれは私にとっては好都合だ。
私はよく「変な奴」だと思われる。
だから損するかというとむしろ逆で、ちょっと普通のことをすると
「意外とマトモだな」「あなどれない奴だ」「私はウスウス感づいていたよ」
などと、思いもよらない評価をうける。
だから「変な奴」と思われるのはけっこう得なのだ。
損とか得とかの問題じゃないのかもしれないけど。
子供の頃、よく父親に「損得勘定ばかりするな」とおこられたものだ。
しかし、今だに直っていない。
父は私が大学2年の時、胃癌で死んだ。
生前、父が楽しみにしていたのは、
私が医者になることと、ザ・ローリング・ストーンズの来日だった。
今年その夢が一遍にかなえられて、さぞや草葉の陰でよろこんでいることだろう。
↑ ↓
よくも入局の挨拶にこんなふざけたものを提出したものである。
と言いながら、恥の上塗り、またここに載せているのだからさすが同一犯の考えそうな仕業である。
実際、他の新入医局員の文と読み比べてみると決定的な温度差を感じる。
それは「異彩を放つ」とか「個性的」という意味ではない。
他の人が希望を語ったり抱負を述べたり、ベクトルが未来へと向かっているのに対して、
僕は一人だけ昔話をし、まるで何かにしがみつくように過去を振り返っている点である。
「ヨ~イ、ドン!」の合図で一人だけ背走するコントみたいだ。
BGM. GO-BANG’S「かっこイイダーリン」
ギャップ萌え
3/Ⅵ.(木)2010 快晴
木々高太郎の
~「木々」はペンネームで本名の「林」を分解して作ったようだ~
「わが女学生時代の罪」という探偵小説を読む。
若い女主人公が、
女学生時代のレズビアニスムの体験によって処女でありながら妊娠してしまったという話である。
渋澤龍彦は
「パルテノジェネーズという言葉がある。
ギリシャ語でパルテノスは処女、ゲネシスは生殖を意味するから、処女生殖ということになる。
この言葉が私にとってすこぶる魅力的にひびくのは、おそらく互いが相反する性質を示す二つの概念を
強引に一つに結びつけたところの言葉だからにほかなるまい。
パルテノスはそもそも不毛でなければならないのに、豊饒であるべきゲネシスと強引に結合せしめられる。
そこでパルテノジェネーズは奇妙な効果を発揮する。
コインシデンティア・オッポジトルム、
すなわち『相反するものの一致』といってもよいかもしれない」と書いている。
「乞食の王」とか「輝ける闇」とかいう言葉もいくらか似ているという。
悠久たる「ギャップ萌え」の歴史を感じる。
画像は中野ブロードウェイ4階で見つけたツンデレガチャポン。
面白かったので写メに撮っておいた。
「誰がツンデレよ!あんたが嫌いなだけよ!」。
まさかこんなところで披露できるとは思わなんだ。
BGM. ザ・クールス「シンデレラ」
コカコーラ・レッスン
2/Ⅵ.(水)2010 はれ
こんな夢を見た。
ベスト10番組の段田男のセットの饅頭を僕が食べてしまった。
おかげで番組の段どりはメッチャクチャ。
仕方なしに、即興で超ドタバタを僕と段田男で繰り広げる。
その内、賑やかし芸人達が集まって来て人間ピラミッドや相撲を取り出したから後は任せた。
僕は海岸通りを抜け防波堤へ出る。
テトラポットに腰掛けてポケットに入れてきたコカコーラの缶をよく振ってから開けた。
プシュッ。
たくさんのコトバが文字や記号に因数分解され上空を染めてゆく。
コカコーラ・レッスンみたいだ。
それに5月も終わりだというのに、何と寒い沖縄だろう。
BGM. ARB「ダン・ダン・ダン」
少女地獄
1/Ⅵ.(火)2010 今日から6月だけど五月晴れ
書庫の整理をしていたら、永島慎二の「その場しのぎの犯罪」という漫画を見つけた。懐かしい。
そういえば僕は昔しばしば、その場しのぎの嘘をついた。どうでもいい嘘。切羽詰った訳でもない。
その気になればもっと計算できる頭脳があるのにすぐバレる嘘をつく。
大人は首をひねる。手を抜いているのか?
大人は途方に暮れる。嘘のための嘘?マニエリスム?
ある日、サングラスをかけて登校し服装違反でつかまる。
僕がついた嘘は「直射日光を浴びると目が変質する眼病を患っている」。
心配した教師は一言も叱らずに、有島武郎の「一房の葡萄」を気取ったのか、一冊の本をくれた。
タイトルは、夢野久作著「少女地獄」。
中身を読んでみる。
天才看護婦・姫草ユリ子は虚言壁があり、嘘を支えるためにまた嘘をつく。
そして自らついた嘘で地獄へ堕ちていく。
そんな話。
ちなみに「一房の葡萄」は「おいしかった」と書いてあったが、「少女地獄」は後味の悪さしか残らなかった。
話は変わるが、アニメに「地獄少女」というのがあったがあれは面白かった。
K-1MAXで長島☆自演乙☆雄一郎が、主人公・地獄少女こと閻魔あいのコスプレをしたのを一度見たことがある。
BGM. オフコース「君が、嘘を、ついた」
ブログとヴァレリーとH.と私
31/Ⅴ.(月)2010 くもり 5月最期の頁
5月1日からブログを始めて、ひと月経った。
意外と書くことがあるものだ。
フランスの思想家で詩人のポウル・ヴァレリーは「なぜ書くか」という問いに対して、
「弱さによって」と答えた。
ヴァレリーの殆どは依頼原稿だったというが断り切れないという弱さだけでなく、
書こうとする内部の突き上げる衝動に易々と負けてしまうという意味を含んでいるのだろう。
まったく関係ない話だが、高校の時の英語の先生が
「ポウル・ヴァレリーと木々高太郎はよく似ている」と言っていた。
ブログの最後に必ずBGMをつけることにしたのは、コトバで伝えきれない気分を補足するためだった。
楽しそうに日記を書いてても案外気分は暗かったり、
一見重い内容でも気持は明るかったりすることがあるのが人間だ。
その日のジャスト・フィーリングな音楽をBGMで流そうと思ったのだ。
しかし、最近はもっぱらその日の記事のダジャレだったり言葉遊びが主となっている。
それでも面白ければいいと思う。
今日は二子玉川でH.と会った。
彼は今日が誕生日だったらしい。
僕より一廻り年下だ。
現在の精神科医療や今後我々がなすべきことについて話し合った。
H.といい、うちの徳田さんといい、若いのに真剣にものを考えている医療従事者がいる。
こういう人が何人かいれば日本の将来は大丈夫なんじゃないか、と思った。
BGM. シテュレイ・ティスディル「ヒー・セッド・シー・セッド」
闘魂伝承
30/Ⅴ.(日)2010 くもり
二日酔い。
きのう日本酒を5合呑んだあと、ワインを一本空けた。
知り合いの方から「二日酔いしないですよ」と言われたので油断した。
「合わせ技一本!」というのがあった。やられた。でもワインは美味しかった。
DREAM.14の地上波放送の録画を観る。
解説が、須藤元気、谷川サダハルンバ・プロデューサー、ゲスト解説が川尻達也だった。
解説陣が変わるだけで、同じ大会なのに随分と印象が変わるものだ。佐々木希とかもいるからか。
その後、録画しておいたナッシュビルの
「青木真也vsギルバート・メレンデス」を青木真也自らの解説でお届けする番組を観る。
夕方から、箱庭療法について少し調べてみた。
箱庭療法と聞いて「何それ?」という人も少ないだろう。
小説や演劇やTVで度々登場してるから、浸透してるだろう。
箱庭療法は河合隼雄が日本に持ち帰ったもので、
もともと河合は日本人で初めてのユング派分析家の資格をとるためにチューリヒのユング研究所に留学していたという。
チューリヒの郊外のツォリコンでドーラ・M・カルフ夫人に出会い、
この人から直接教わったのだという。
カルフ夫人は、イギリスのローエンフェルト女史から学んだことに自分の創意を加えて
「ザント・シュピール(砂遊び療法)」を創始したのだ。
河合は、
これは言語化には弱いが直感的にものごとをつかむ能力に長けている日本人にはピッタリの治療法だ、
とまさに直感的に感じ日本に持ち帰ったという。
その視覚的形態が日本に昔から伝わる「箱庭」を連想させるので「箱庭療法」とネーミングされたそうだ。
僕がK病院に勤めていた頃、部長のO先生に「箱庭をどう思いますか?」と聞いたことがある。
O先生は精神科医だが心理学を勉強するために京都に国内留学した経験をもつ人物だ。
箱庭療法学会を作った頃にそこに居合わせて、その学会誌の第一巻第一号に学術論文が載っている。
O先生は、箱庭は結局医者の出す処方だと言った。
薬は患者さんが飲んでそれで良くなる。箱庭もこちらが場を作ってそれで患者さんが作って良くなっていく。
同じことだという。
そして、その代謝過程が箱庭に表現されているのだ、と。
薬は飲んで良くなれば代謝なんかどうでもいいのと同じで、箱庭の意味もそんなものだと。
「薬」だから効くものと効かないものがあるし、効果には時間がかかるし、反作用や副作用もある。
箱庭の副作用とは、箱からはみだす、とかでそういうことをちゃんとこちらが関与しながら観察して、
そうなったらoverdoseだとストップをかける必要がある。
O先生はもっとえらい先生に「箱庭をどう思いますか?」と同様の質問をしたことがあったという。
そのえらい先生は
「あれは、こちらが寄り添って見守ってる中で作ることに意味があり、それは風景構成法も同じことで、
だから箱庭は決して一人じゃ作っても駄目だよ。
こちらが見ていて、それがきちんと患者さんに意識として伝わっていること、
それが大事で、それがあればバウムテストだって治療になりうるよ」と言われたという。
O先生はプレイ・セラピーも同じで、患者さんに関与しそれがきちんと伝わってることが大事で、
ただ単に緊張をほぐすために遊ばせるだけじゃしょうがない、と教えてくれた。
こういう口伝えに教わったものを次の世代の人に伝承していくことが必要だと思った。
これからは、そうして行こうと思った。
BGM. 山崎ハコ「呪い」
DREAM.14
29/Ⅴ.(土)2010 くもり時々雨
スカパーのペーパービューで「DREAM.14」を観戦する。
しろながす鯨のステーキとのどぐろの塩焼きと行者にんにくのオヒタシをつまみに一杯やりながら観よう。
DREAM.12以来のホワイトケージ導入である。
青木真也が4.17ナッシュビルで完敗を喫してから日本の総合格闘技は危機的な状況である。
ゴング格闘技は表紙で青木の敗戦の姿に「日本最弱」の文字を躍らせ危機感を煽った。
紙プロは「日本の夜明け前。幕末的格闘技、北米黒船と開国論」という特集を組み、
「日本もケージを導入しルールも北米仕様にすべき」という開国派と
「無理に北米に向き合わず、日本のリング文化を高めるべき」との鎖国派の活発化した議論を啓蒙している。
その流れでのDREAM.14である。
ペーパービューの解説は世界のTK高阪剛とゲスト解説に青木真也と笹原プロデューサーがついた。
力が入る。酒がすすむ。
メーンは桜井マッハ速人が「五味を倒した男」現ストライクフォース王者のニック・ディアスと進退をかけて臨む試合。
笹原はこう解説する。
4・17ナッシュビルで青木がメレンデスに敗れた時、
マッハから彼(ニック・ディアス)の主戦場であるケージで戦いたい、の要望があった。
リングがいいか、ケージがいいか議論されてるところでもあるが、
ニック・ディアスはDREAMのウェルター級チャンピオンであるマリウス・ザムロスキーをKOしてることもあり、
DREAMとしてもリベンジの戦いである。
技術面もそうだが、マッハの試合にかける意気込み、気持ちがケージの中でどこまで出せるかがポイントだ。
もともとマッハは自分の内面を表に出していく選手で、ここ何試合かはそれが影を潜めてた感がある。
マッハらしさを出して欲しいと語った。
グレイシーハンター桜庭は新世代グレイシー・24歳のハレック・グレイシーと対戦。
ハレッグはホイラーの息子、ホイスの甥に当る。
10年前に桜庭はハレックの叔父であるホイスと90分くらい戦ってグレイシーをやっつけた。
その時にギブアップをしないはずのグレイシー一族が負けを意味するタオルを投入した。
その役目をしたのがハレックの父・ホイラーだった。
その時、ハレックは14歳だった。
まるで大河ドラマである。
もし勝って国に帰ったらお父さんや伯父さんに褒められるぞ。
一方の桜庭は入場の際の煽りビューでエヴァンゲリオンのマスクを被り
「日本のMMA(総合格闘技のこと)はリングだ」とケージを武器のナイフで切り裂き、
4本ロープをこしらえてリングインするパフォーマンスを見せた。
桜庭は「ケージorリング」に明確な解答を見せたのである。
あとは試合内容で「やっぱりリングの方が面白い」と我々に思わせる必要がある。
しかし、相手はそんなイデオロギーとは無関係にただ敵討ちにだけ来てる男である。
僕の桜庭のイメージはいつもそうだ。
対戦相手は桜庭だけを倒しに来るのに、桜庭は目の前の相手以外のものとも戦っている。
そしてそれはいつもとても大きなものだ。
Dynamite!!でミルコに負けた時もそうだった。
最激戦区のフェザー級は人気者キッド、所が出場しヨアキム・ハンセンvs高谷も好カードで注目だ。
笹原プロデューサーは解説で
「元々、フェザー級をやる時、60~65kgの選手も出られるようにと考えていた。
今回は63kgというのをDREAMのフェザー級に決めたが、こういう形でワンマッチをする時には
それぞれの選手が納得する契約体重でやるスタイルがいいのかなと思っている。
多分行く行くはそれが分かれてフェザーとかバンタムにしていきたい」と語った。
おそらくこれは小見川を意識しての発言だろう。
小見川道大、去年の大晦日、DREAM対戦極対抗戦にて高谷を破った男であり今はフリーの立場の選手だ。
最新の紙プロのインタビューでは
「国内で出るところはないですもん。63kgに落とせないからDREAMも無理ですし」と語っている。
これに対するDREAMからの回答だろう。
ちなみに解説の高阪が言っていたが、
「65から下になると200gってのがかなり大変らしい。
カツカツの状態から200g落とすのはかなり大変らしい。
65kg以下はその体重が自分にあった体重なのか落として来たのかが明暗を分ける」と指摘した。
オープニング・セレモニー、
4・17ナッシュビルで青木真也がやられた場面にモノクロで戦闘機が飛行する映像から
「Raise your flag.」の煽りビューで盛り上がる。
「DREAM 14. White Cage Returns」の文字。
初の金網導入、DREAM12.を大阪城ホールまで観に行った思い出が蘇る。
「リアル金網デスマッチ」
「金網ザムライ対金網伊達男」
「フェザー級裏日本最強決戦」
「小さなヴォルク・ハン対格闘猿」
「神の子 DEAD or ALIVE」
「喧嘩士対バイキング」
「10年目の桜庭狩り」
「STRIKEFORCE vs DREAM」
「暴力柔術対野生のカリスマ」 そしてニック・ディアスとマッハ2人のアップ。
「このままじゃ終る」とマッハの肉声。
「Rise your flag.」の文字。
高谷・マッハ・所・桜庭のやられてるシーンがコマ割りで流れ、「旗かかげよ!」と力強いナレーションとともに、
年老いたエリオ・グレイシーのふてぶてしい表情を、へりくだるように左下から仰ぎ見るカメラワークでパーン、
「Raise your flag.」の文字のアップ。
BGM.はアフリカ音楽のようにドンドコドン・ドンドコドン、闘争心を煽る。
ニック・ディアス、マッハがそれぞれゴリラのように胸を叩いてアピールする映像、
画面が格子模様になる、「夢よ~」ナレーションの声、ケージだ…と思った瞬間にゴーンという鐘の音、
すぐさま4分割、日本人レスラーがやられてる…、目を覚ますようにナレーションの声、「奪還せよ!」、
会場の歓声、「Dー14 White Cage Returns.」の文字が画面いっぱいに、会場にパーン、大拍手。
キラキラ・ミラーボール。4分割の映像、ゴチャゴチャ。
ドーンドーンという効果音、「openinng ceremony」の文字、
チカチカ光る光と全体的にブルーライト、
白い幕に光が当たり赤くなったり青くなったり、
赤コーナー青コーナーを意味するつもりか、
動脈と静脈の象徴か、
幕が放たれケージが現れ、一盛に歓声、そして花火、ボーンボーン、
「レ~ディース・エ~ン・ジェントルメ~ンニャ!ウォン・カム・チュ~、ホワイト・ケ~ジ~、ドリィ~~ム、フォ~ティ~ニャ!」
と魔女のような声。
「DREAM14.全選手の入場です!」サングラスの男の渋い声。
青木の解説は面白かった。
KIDの復活が喜ばしい。やはり華のある選手が活躍しないと業界は盛り上がらない。
DREAM.15も土曜日の開催に決まった。
土曜日だと外来があるから試合会場に行けない。
会場アンケートに「土曜だと行けないから」とあれほど書いておいたのに。
いくら言ってもわからないな。
明日は、修斗で「リオン武vs日沖発」がある。これもスカパーで中継するので観戦しよう。
BGM. 岩井小百合「ドリームドリームドリーム」
Q
28/Ⅴ.(金)2010 はれ
お灸をしてもらう。どうやら姿勢が悪いらしい。
BGM. 坂本九「上を向いて歩こう」