22/Ⅱ.(火)2022 日本芸術院の新会員候補に、つげ義春(84)が選出。
けいおん、メンバーと合宿。カトリック?決まりがうるさい。ご飯の前のお祈りから、洗濯物の使う水分量や、歯磨きに使うブクブクのカップの量や時間も決まってる。女子と男子の洗濯物の使い分けや、下着は手洗い、お風呂の時間なども細か。でも、男子と女子のトイレは中が一緒。ご飯を食べる時、お祈りして目を開けたら誰もいなくて、夢?ドッキリ?かと思ったら、僕がお祈りし過ぎてた。
寝る時、唯ちゃんが横にいて、もう寝なきゃね、と言って、ちょこっと雑談して、寝るふりして、また少しして、唯ちゃんは寝れないな、と言ってちょこっと雑談の繰り返し。唯ちゃんは、その間、僕と手を繋いで寝てて、時々、僕の指の絆創膏の上から彼女の指がそれをなぞった。ザラザラした。修道院生活の夢をみました。
去年までの3年間、六星占術でいう大殺界だった僕は、今年やっとそれが明けたと思ったら、細木数子が死に、なんだか信じてて損した気がした。そしたら今度は同じ水星人(+)の人に「先生は今年、厄年ですよ」だって。もういい加減にしろ。占いなんか信じない。そう思うのだが、朝のワイドショーで今日の占い「12星座で一番運が悪いのは、ごめんなさい、獅子座のあなたです」なんて言われるとムカつくし、「その悪い運気を克服するラッキーアイテムは、ポトフ」なんて言われても「どこで食えんだよ」とイライラするから僕は占いを信じる人間なのかもしれない。
そんなことを思いながら、こないだの人間ドッグの結果が返ってきて、「膵臓の腫瘍マーカー」が通常の3倍あるとのこと。膵臓癌って昭和天皇が亡くなった病気でみつからない奴だろう。発見された時には遅くて、すい臓だけに、スイスイスイと進行してしまう病気だ。せっかく大殺界が明けたのに、厄年だから、癌になってしまったのか?僕の友人には医者が多いから聞いたら、病院に行け、とごく当たり前のことをいう。最近体調が良かったのだが、これは蠟燭の火が消える直前に炎が大きくなるという奴か。唯ちゃんとの合宿も体の不調を心がかばって、「楽しい夢をみさせてくれる最後の思いやりか」などと悪いことを考えて、病院に行ったら、「酒の飲みすぎでしょう」とのこと。ビックリさせんなよ、って話でした。だから僕は元気です。
心の護美箱(50)がいっぱいになったので、(51)を作りました。心の護美箱がなんだかわからない人はバックナンバーを見て下さい。ま、簡単にいうと愚痴を書き込めるページです。「非公開」希望の人はそう書いてくれば内容はアップしません。
今日はせっかくなので「大病」と「明るく生きる」の両立の話です。
談志に癌がみつかった直後の落語会はワイドショーのレポーターがいっぱい取材に押し寄せて来てた。その日の談志の演目は、居残り佐平次、だった。居残り佐平次、を、ある落語評論家は「落語の品位を落としている」というが、談志は「これこそが落語の料簡だ」という。
談志は、落語とは人間の業の肯定だ、という。それはどういう事かと言うと、人間とはそもそもだらしなく、いい加減な者なのだ。でも、それでは世の中が成り立たないから、常識というルールを作り、それを子供の頃から押し付けられて生きる。でも、それには無理がある。そこで落語は常識ではなく非常識を語ることで、その無理を語り、時にはそれから解放してやるのが役割なのだ、というのが談志の落語の定義なのである。
佐平次は、人生成り行きと決めつけ、金もないのに何人も引き連れ女郎屋でさんざん飲み食いし、夜中のうちに連れを帰し、自分が居残りをする。居残った後もまるで反省の色はなくいい加減の限りを尽くすが、これが全部うまく行く。努力も苦労も悩みもしないで成功する。それこそ、コツコツやる奴ぁ~ご苦労さん!の世界だ(by植木等)。その非常識さとバイタリティーには大いに憬れる。
川島雄三というカルト人気のある映画監督が、フランキー堺・主演で、幕末太陽傳、という映画にもしている。日本の喜劇映画の最高峰の作品だから、機会があったら観るといいです。シロクロだけど、面白いです。
その『幕末太陽傳』でも、落語の原作でも、佐平次は肺病を患っている、という設定になっている。
単にいい加減な奴が成功してはしめしがつかないからリスクを背景に作ったのか、あるいは究極的な非常識を体現できるのは死と対峙した者だからこそ達した境地とでもいいたいのか。そうでもないと、世間のルールと辻褄が合わないのは確かである。しかし談志は、佐平次を肺病にしなければいけない理由が判らない、と、談志の落語では、佐平次が肺病だという描写はない。「人間の業の肯定」のための「交換条件」を不要と判断したのだろう。
ところが、談志は癌になった。癌を患った談志が、佐平次、を演じる。命をかけて悲壮なまでに「いい加減」を演じる談志。まるで、ジグソーパズルの最後のピースがおさまったみたいで、談志は、この日のために佐平次を病気にしないでとっておいたのではないかとさえ勘繰りたくなった。その迫力たるは、背筋がゾッとした。今、目の前で繰り広げられてるものこそが、「居残り佐平次・完璧版」なのだ。その日に立ち会えたのは、僕にとっては今では勲章のように思っている。1997年のことだ。もう25年になる。
BGM. 矢野顕子&忌野清志郎「ひとつだけ」