メメントモリを笑え

29/Ⅷ.(日)2010 はれ
土曜はクリニックの飲み会。今回は、森国さんも参加し全員参加。
初参入のため店の場所がわからない森国さんを待つ間、徳田&岡田&吉田と楽器屋で時間をつぶす。
電子ピアノやグロッケンやおもちゃのドラムをいじったり、ギターやショー・ウインドウの管楽器を見て過ごす。
鍵盤がペラペラのキーボードをみつける。マフラーみたいに首に巻いても弾けそう。
昔、クレージーキャッツの映画で、石橋エータローとピアノの連弾をしていた桜井センリが、
石橋に邪魔されて突き飛ばされた腹いせにピアノの鍵盤を捲り上げて
、首からかけて踊るというナンセンス・ギャグがあったが、それが現実化したのだと思いびっくりした。
ショーウインドウには小さいホルンがあったり、クラリネットのような形態で吹き口はリコーダーのように気軽に音楽を楽しめる楽器もあった。
そういえば、僕は中1の音楽の時間に笛の授業があり皆と同じのを使うのが嫌で貯金をはたいてドイツ製のリコーダーを買い、
さっそうと授業に参加したまではよかったが、ドイツ製は「ファ」の音の指使いが違い、とても苦労した。
いとう君は僕と同じ了見で、アルト笛を持ってきた。大きくて目立ったのは良かったが、合奏すると一人だけ音色が違った。
のなか君という子は、横笛を持って来た。もはや、楽器が別。世の中、色んな人がいて面白い。
書籍のコーナーの方に行くと、フィル・スペクターの本をみつけた。2010年7月に出たばかりの本だ。
少し立ち読み。
もう森国さんが来てるかもしれないから~と徳田さんに言われ、いったん店を出るが、気になったのでUターンして戻って買う。
それが、コレ↓。

森国さんと合流後、お店へ。店の前で塚田さんが待っていて、全員揃ってお店へ。
僕はいつもワインを呑み過ぎるので、今回は日本酒にしてみる。
カマンベールおやき、を徳田さんが皆のお皿に取り分けてくれたが、柔らかい食材なので丸いお皿に乗っけると、
先っぽの方がしなやかなカーブを描いて、外へグニュっとはみ出した。サルバドール・ダリの時計みたいだった。
日本酒で、記憶が溶けていくのを暗示しているようだった。
飲み会を月例化し、この店も4度目。
すっかり慣れたものだと思っていたら、トイレから出てきたとき、「ここ女性用ですよ」と注意された。
入り口の上に「姫君」という木札が貼ってあった。
僕は、普通に酔っ払って、家に帰って、ブドウを食べて寝た。
朝、起きてUFCでB.J.ペンが負けたのを聞き、ショック。
その流れのまま、下北沢に「メメントモリを笑え」というライブを観に行く。
これは単に、立川志の輔が出演するという理由だけでチケットをとった。下北沢で降りるとビラをもらった。
「SHIMOKITA IS DEAD?」。

会場に行って、イベントの趣旨を知った。
下北沢駅には再開発案があるらしく、駅にロータリーと26メートル幅の道路を作るという計画があるらしいのだ。
知らなかった。シモキタは、駅付近にほとんど車が入れず、小路が多いので、独特の文化を作って来た。
そこに大きな道路ができると、周辺のビルが高層化し街が様変わりしてしまう。
地価が上がり、昔ながらの店が撤退し、大型店やチェーン店が増え、コンビ二やサラ金ばかりになる。
今宵、シモキタに思い入れのあるアーチストが集い、道路計画見直しを訴えようというイベント・ライブだったのだ。
一組目は『Les cocottes』という2人の女性グループだ。
レトロな曲調に囁き系のボーカルで、1人は赤、1人は緑のゴシック風の衣装で客席から登場した。
表情を極力抑え、本人達は「バレー・ショウ」と言っていたがストリップのダンスでもあるようなデカダンな世界観を演出する。
ココッツとは、‘淫売婦’という意味もあるらしいが、さながらパリの高級娼婦と言った感じ。
「冗談画報」があれば出演しそう。なかなか面白い。シモキタっぽい。
二組目は、『TWO-STRUMMER』。The STRUMMERSの岩田美生と渡辺明人のユニット。
「傷だらけの天使」のテーマに乗って登場。テーマは「昭和の男」。クラッシュやARBやサンハウスの歌なんかを歌ってた。
そういえば、鮎川誠もシモキタに住んでたはずだ。
三組目は、『KIRIHITO』。ギターとスタンディング・ドラムの2人組。ノイズ、という感じ。これも、シモキタか。もの凄い爆音。
僕は、急に冷房が効き始めてきた。急激な音刺激で自律神経がやられたのかもしれない。
シモキタが下北半島に思えてきた。つらいよぉ、寒いよぉ、と心で唱えてたら、急に笑い出してしまった。
どうしよう。おかしくもないのに、笑いが止まらない。
人間、極限のストレスにさらされると気分が倒錯するものだと身をもって知る。
しかし、彼らのシモキタ愛は感じ取った。人柄も良さそうな人たちだった。
その後、立川志の輔の落語を聞き、ホッっとして、抜けて帰る。
実行委員の平松昭子さんは、可愛いイラストレーターなのだが、
「きょうの参加者が別の人に伝えていかなければ」と提言した。
僕は、会場で売ってた一部100円の吉本バナナのエッセイを幾冊か買い、
まずはクリニックのスタッフに配る、草の根運動から始めてみようと思う。

ところで、中世ヨーロッパでは、「メメント・モリ」というラテン語の言葉が流行したという。
この言葉は「汝の死をおぼえよ」「死を忘れるな」という意味で、中世の修道士たちは、この言葉を常に心に刻み、
自らの生きる姿勢を正したといわれている。
当時はコレラやペストが流行し、人々は常に死と隣り合わせの中で暮らしていた。
寺院や修道院へ巡礼して癒しを願う行為が各地で見られた。                                                         中世の修道院では、この「メメント・モリ」というあいさつが交わされたという。宗教の時間で習った。
Y.P.さんによると、メメント・モリには今を楽しめ(我々は必ず死ぬから)の意味があるそうだ。
話は戻るが、シモキタには色んな思い出がある。
DORAMAという古本屋&レンタル・ビデオ屋にはよく行った。
掘り出し物の漫画やマニアックな映画やUWFのビデオが揃っていた。
大学の野球部の先輩のセンダさんとコウノさんもこの町に住んでて、
僕は大抵、飲み会では酔い潰れるのでどちらかの家に泊まらせていただいた。
1人で、外で酒を呑んだのもシモキタがはじめて。
マックの坂を降り切った処に、おでん屋がありそこで1人で呑んで、
そのあと先輩のボトルがキープしてある店に入って「I.W.ハーパー」を勝手に呑んだ。
大学4年の時、「居酒屋で呑むより、王将で呑んだ方が、うまくて安いのでは?」とトモエ君が発案して、
シモキタの「餃子の王将」でテストの打ち上げをした。ホイコーローが5皿、マーボードーフが5皿、
レバニラ炒めが5皿、鳥の唐揚げが5皿、餃子5人前というラインナップだった。
大学2年の時、クラスのアイドルのAZが軽音部のバンドでリード・ヴォーカルをやるというので観に行ったのも、
シモキタの「LOFT」。
AZのタキシード姿は凛々しくて、チープトリックやシーナ&ロケッツの歌を歌ってた。
大いに酔って、騒いで叫んでつぶれた。
それは、丁度、父が死んで35日目だった。
BGM. シーナ&ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」


サタデー・ナイト・ラバさん

28/Ⅷ.(土)2010  はれ
先日のブログ記事「逢ったとたんに~」を書いてから、思い出したことを書きます。
ちなみに表題のサタデー・ナイト・ラバさんの、ラバさんとは、小学校の時、ドリフの歌で♪わたしの~ラバさん~酋長の娘~♪ 
という変な歌があり、何かと思ったら、ラバとはLOVERで恋人のことらしい、と知ってから気に入って使ってる単語。 
つまり、土曜の夜にピアノのレッスンを受けてたから、ふざけてそう言ってた。
その日のマリコ先生は何かスターのような白いワンピースに赤いベルトの様なものをしめ、
いつもながら独特のふんわりとした、しとやかな意志の流れみたいな電磁波を発している、サタデー・ナイトだった。
次にやりたい曲を聞かれたので、「Just One Look」ってな調子で、「来週、テープを持ってくる」ということにし、
試しに僕はそのメロディーを右手だけで弾いて、「こういう曲なんですよ」的な次回予告風の紹介をすると、
彼女は「ああ」と光り輝く笑みを浮かべ、いきなり「こういうのですね」と両手でスラスラと弾き出したのだ。 
僕が、メロディーだけなら口ずさめる程度のものを、マリコ先生はピアノでやれてしまうのだ。
そして、その時、「これ、リンダ・ロンシュタットも歌っていますね」と言ったのであった。
別の機会にマリコ先生が「川原さんに合うと思って」とチョイスしてくれたレッスン曲が「メロディー・フェア」だった。 
偶然だが、これは僕の大好きな映画「小さな恋のメロディ」の、僕の大好きな主題曲で、たいそう感激した。 
僕の葬式に、是非、生演奏して欲しいと思ったほどだ。
ここで、「葬式にかけて欲しい曲ベスト3」を選出してみよう。
第3位、西城秀樹「君よ抱かれて熱くなれ」。第2位、郷ひろみ「花とみつばち」。第1位、野口五郎「きらめき」。
新御三家で、決めてみた。
BGM. エルトン・ジョン「土曜の夜は僕の生きがい」


今週のハエライト。

27/Ⅷ.(金)2010 はれ
今日の自慢。空中に飛ぶハエを、うちわ一発で叩き落す。
南波先生に、毎週金曜お昼に体をみてもらってるから、キレがいいのだ。下の写真↓が、手柄のうちわfromタワレコ。


ちなみに、待合室に置いてあるのはキレイなのでご安心を。
うちわついでに他に持ってるうちわも紹介。
①茅ヶ崎サザン・ビーチ。↓。何年か前の花火大会のやつ。

②サマー・ウォーズ。↓。A子とサンドラッグのゴトウさんにあげた。


③EVANGELION。↓。Hさんにいただく。ありがとう。


④自演乙。↓。K1の会場で、Tシャツを買ったらくれた。


⑤スクリーミング・レビュー。↓。清志郎が死んだ気は、まだしないなぁ。


夏ももう終りだ。♪あおげば~とおとし~、いざ~さら~ば~♪。ハエだって人間だって、死んだら同じさ。
BGM. 自切俳人とヒューマン・ズー「ハエ ハエ ハエ」
(註)自切俳人の正体は、北山修です。


鳥には好評

26/Ⅷ.(木)2010 はれ
今日も暑い。天気予報によると、しばらく暑い日が続くようだ。
お昼は、森国さんと東工大のそばのそば屋「しなの」へ行く。
天然スッポン2万円、との札に気を奪われ、僕は注文がなかなか決まらない。
他にも、ままかり、酒盗、ホヤ塩辛などのメニューがあり飲み屋みたい。結局、僕は天丼セットにする。
ミニ天丼には小さいエビ天が4本ついてた。あとは、もりそばと冷奴とお新香がついて千円。
森国さんが何を頼んだかは秘密。個人情報だから。
ただし、鮭のチビおにぎりがついてたことだけは明かしておこう。
東工大周辺には、他にも色んな食べ物屋さんがあり楽しい。
つげ義春の漫画に「李さん一家」というのがあって、そこに登場する李さんは世にも稀な鳥語を話せる人間である。
李さんが言うには、
「でも鳥は話題に乏しく、たいてい天気の話かエサの話くらいのもので、あまりリコウではないのです」。
鳥と同レベル、「十中八九N・G」、更新中!。
BGM. レーナード・スキナード「フリー・バード」


逢ったとたんに一目惚れ

24/Ⅷ.(火)2010 はれ
最近のジャパニーズ・ピープルは英語が達者になったせいか、映画を邦題に訳すことは少ない気がする。
昔は邦題ばっかだった気がする。
僕の知ってる一番の意訳はビートルズの「A Hard Day’s Night」を「ビートルズがやって来るヤア!ヤア!ヤア!」に。
水野晴郎のたくみ。
洋楽も同様。
僕の一番のお気に入りはフィル・スペクターの代表作、テディ・ベアーズの「To Know Him Is To Love Him」。
直訳すると、『彼を知ったときが、彼を愛したとき』。
それを「逢ったとたんに一目惚れ」に。
写真↓左がスペクター。

この歌は、1987年にエミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタット、ドリー・バートンがトリオでカバーしている。
実力派3人のユニットは丁寧な歌唱力と優しいハーモニーが温もりを感じさせ、人肌恋しくなる。
寒い冬には、暖炉の火を見ながら、ビールを飲みたい気にさせる。
一目惚れ、で連想。
ドリス・トロイの「ジャスト・ワン・ルック」。心弾ませる軽快なイントロのピアノ・ソロが、一目惚れの鮮烈さを見事に表現している。
ドリス・トロイという人は、いわゆる一発屋だったそうだ。
だからこそ、この曲の主題である、「一目惚れ」の純度を高めてるような気がする。
大学の頃、中森明菜で大儲けしたワーナー・パイオニアが、その収益を社会に還元すべく、
あまり売れるとも思えない全8集からなる「ATRANTIC RHYTHM AND BLUES 1947-1974」を発売してくれた、
と友人が感激していた。
その第5集に収められている。↓。

僕はこの曲を、以前このブログで紹介した「ローランド、大人のためのピアノ・スクール」で練習したことがある。
マリコ先生にテープを渡し、譜面に起こしてもらった。マリコ先生はこの曲を知っていて~、
「これ、リンダ・ロンシュタットも歌っていますね」と言っていた。
すごいぞ、リンダ・ロンシュタット、一目惚れ2冠王だ!!。
BGM. ホリーズ「ジャスト・ワン・ルック」


終戦記念日、特集~愛と美の女神アフロディーテ

21/Ⅷ.(土)2010 はれ
ベル・エポックのように社会の構造や価値観、さらには知識の質そのものが大きく変わっていく時代にあって、
新たなメディアとして写真は、写真にしかできない新たなものを創り出さなければならなかった。
その時代のポスト・カードを集めた写真集を額装した。
下の女性は、絵画的約束に従うならば、愛と美の女神・アフロディーテである。


なぜなら彼女はその象徴である‘鳩’と戯れており、
ギリシャ風の衣装に加え髪にはこれもその象徴である‘金梅花’らしきものを飾っているからである。
ところで、この写真はポスト・カードであるが、1914年10月15日の日付が書き込まれている。
誰がどんな想いで誰に出したものだろう。1914年と言えば、同年7月に第一次世界大戦が始まった年である。
(本文より抜粋)

左右に短冊状に無関係の名言を持ってきて、あたかもつながりがあるかのように見せるのが、今のマイ・ブーム。
(右) 『「なぜお前さんの歌はそんなに短いの?」と、あるとき小鳥にたずねてみた。「もしや息が続かないのじゃないの?」
「私には歌が沢山あるのです。それをみんな歌ってしまいたいのです」』。アルフォンス・ドーデ「アルルの女」。
(左) 『一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ』。「チャップリンの殺人狂時代」。
BGM. 田原俊彦「ベルエポックによろしく-WHAT’55-」


終戦記念日、特集~フラワー・ムーブメント

20/Ⅷ.(金)2010 くもり、暑さおさまる
ザ・ローリング・ストーンズ『フラワーズ』を聴く。

’67年頃の音楽シーンは、ビートルズの「ALL You Need is Love」とかピンク・フロイドとか、 ‘‘ヒッピー’‘フラワー’‘サイケデリック’‘ラブ’な思想がはびこっていた。

フラワー・ムーブメントには‘花の哲学’というべきものがあり、花は自然界の万物の中でもっとも自然なものであり、
つまり自由で、生きるのに水・土・空気・日光以上のものを何も必要としない。
花は平和的で美しく、その美を惜しみなく与える。それは平和・友情・愛・共有・無競争の象徴である。
この考え方から人々は自分の哲学を学びとり、生き方をそれに合わせた。
下は↓、ピストルの先に花をつめた‘冗談グッズ’。

「ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、
花を愛するのは人間だもの」。太宰治『女生徒』


↑~from.Y&Y
BGM. スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」


終戦記念日、特集~野坂昭如

15/Ⅷ.(日)2010 はれ
終戦記念日といえば、どこかのTVでアニメ「火垂るの墓」をやってそうだ。
勿論、その作者が、野坂昭如だ。
野坂昭如は文庫本のあとがきで、自分は小説の兄ほどには妹に優しくしてやれなかった。
その罪滅ぼしみたいな気持ちでこの小説を書いた、というような趣旨のことを述べていた。
野坂昭如は「焼跡闇市派」を名乗り、自分だけ生き残ってしまった後ろめたさみたいなものを正面から受け止め、
生き様を見せている。僕は、野坂昭如の嘘の少なさが大好きで、男の生き方の手本にしている。
「火垂るの墓」の実話バージョンは「行き暮れて雪」という小説になっている。
神戸で空襲に遭い、福井に疎開し妹を亡くし終戦。17才で窃盗を働き少年院へ。
しかし、実父が保証人となり釈放、新潟へ。そこからの野坂の放蕩生活ぶりは、尋常ではない。
自暴自棄だ。対照的に新潟という街が、小粋な街に描かれている。
小説のかなりの部分で、この露悪的ともいうべき、放蕩生活を描写している。
ある日、野坂は、このままでは駄目だと思い、上京する。
そして早稲田大学を受験する。試験当日は大雪。
野坂は、義士の討入りも二・二六事件も大雪だったから縁起がいいと思う。
自らの受験を、志を持ってあえて負け戦に挑むものと重ね合わせた、野坂の覚悟と照れに共感した。
野坂昭如は、昔、「朝まで生テレビ」の「どーするニッポン」みたいな回で、
「おまんこ」という言葉を発言して出演した女性たちから総攻撃を受けた。
しかし、野坂は「なぜ、おまんこという言葉を言ってはいけないのか?」とまた言った。
パネラーの女性政治家達や田丸美寿々やコリーヌ・ブレはカンカンに怒って、
賑やかしのAV女優にさえ「私もビックリ~」と言わしめた。
(内田春菊だけは「私も使っちゃうから…」と擁護発言をしたが、スルーされた)。 
結果、
「野坂さんが言いたいのは、こういうことだ」という西部ススムや栗本慎一郎ら男性陣の論客と、
「これこそが今、言われているセクハラ問題だ」という女性陣の、この日、一番の熱い討論が繰り広げられた。
収拾をつけたのは、野坂昭如自身だ。
「皆さん、僕が悪かった。謝ります。皆さん、ご苦労様」。
大島渚の何かのパーティーでのこと。
スピーチで順番を飛ばされてしまった野坂昭如は、壇上にあがりスピーチ中の大島渚にアッパーカット。
大島渚の眼鏡が吹っ飛び、大きくよろける。
すぐさま、大島渚はマイクで応戦。
2発、野坂の頭を叩くが、スイッチがオンのため会場にゴン!ゴン!という音が鳴り響いた。
事件後初の顔合わせは、上岡龍太郎の番組。
大島渚から「野坂さん、こないだはどうも」と握手。
野坂も「俺だって、頭ボコボコだよ」。
大島渚「あのパンチは効かなかった」。
野坂「自分でも、入れてて効かなかったと思う。だから、今、鍛え直している」。
大島・野坂両氏還暦オーバーの時である。
そんな野坂昭如が「同和問題」の時には、静かな口調でこの問題の説明をした。
田原聡一朗も聞き入っていた。
「朝まで生テレビ」は大抵、人の意見を聞かず、議論が飛び交うのだが、この回の野坂昭如の発言は皆が静まり返った。
「朝まで生テレビ」の差別表現の回に筒井康隆が出て、以前に「士農工商SF作家」と書いたら、
部落解放同盟から注意を受けた、ということが語られた。
筒井康隆は、非常に紳士的に、自分は差別を目的に使用したのではない、
士農工商という言葉は知っていたがその下に順序となる言葉があることを知らなかった、と侘び、その上で、
どうか「士農工商SF作家」という表現を許してもらえないかと頭を下げた。
しかし、知らないでは許されない、差別は深刻なのだ、と筒井康隆の申し出は却下された。
世は、「言葉狩り」や「逆差別」などという言葉も出てた頃だ。
僕が筒井康隆のファンだということを差し引いても、テレビを見た感想は、正直、過剰反応ではと思った。
しかし、その時、野坂昭如が「過剰ではない」と言ったのである。
同じ番組で「おまんこ」発言をして「何が悪い?そういう言葉があるから使うのだ」と言っていた野坂本人が、
過剰ではない、というのだ。どこからどこまでが言葉狩りなのだ?
それから、僕は自分で「同和問題」や「部落差別」について調べた。大きな図書館にも行った。
自分で調べてわかったことがたくさんある。知らなかったのではない、知ろうとしなかったのである。
この時期、戦争をテーマにする番組は定番とも言える。
戦争を知らない子供たちは、学校の教科書で戦争を教えないと言い、戦争を知ってる大人たちは、
何故、自分で勉強しようとしない、と大抵、そんな顛末になっている気がする。
情報量の多い世の中だ。知るにしても、知るきっかけも必要だ。
僕は、野坂昭如にたくさんの知る機会をもらった。ありがたいことだと思う。
BGM. 野坂昭如「サメに喰われた娘」


終戦記念日、特集~「死の島」

14/Ⅷ.(土)2010 はれ
最も感銘を受けた本を一冊あげよ、と問われたら、僕は福永武彦の「死の島」をあげるだろう。小説の面白さや技法もさることながら、絵画やクラッシックに関心を持つきっかけにもなったからだ。
この話は相馬鼎が朝、目を覚まし小説を書き出すところから始まる。
その小説こそが、これから我々が読む小説なのである。
彼は展覧会で見た「島」という作品にひかれて作者の萌木基子と知り合う。
萌木基子は被爆者で、あどけなく美しい相見綾子と二人で住んでいた。
物語は、現在形で書かれる3人のユーモラスな日常と、
過去形で語られる萌木基子の「内部」が交錯して展開していく。
ある日、相馬鼎は、広島の病院から二人が心中したという知らせを受ける。
相馬を乗せた東海道線急行列車は、一路広島へひた走る。
萌木基子と相見綾子に同時に感じた愛情が相馬の回想の中をめぐり、
パラレル・ワールドのように2つのシナリオが用意される。
相見綾子だけ生き残った朝と、萌木基子だけ生き残った朝と。
ストーリーは相馬鼎が朝、目を覚ますところで終わる。
循環小説というのだろうか、小説のラストが小説の始まりに繋がるのである。
だから、最初は相見綾子が生き残った方を選んでも、二度目には萌木基子が生き残った結末を選べる。
何度でも読み返せる。
「死の島」は、シノシマ、と死の頭韻を踏み、死の原爆をうけた広島をさす。
この小説は、原爆を主題にした長編小説だとも言える。
しかし、僕が一番、惹かれたのは、被爆体験を背景に語られる萌木基子の「それ」~
人間の「内部」にある闇である。
死や死の恐怖とは、「死の島」のようなものが何処かにあり「カロンの艀」みたいなもので運ばれていくのではなく、死や死の恐怖とは人間存在の根拠のようなものである。
それを、アーノルド・ベックリンとエドヴァルド・ムンクの作品の対比やシベリウスの交響曲を用いて表現するのだから、あやうく、「それ」に魅せられてしまいそうになる。
BGM. シベリウス「トゥオネラの白鳥」


終戦記念日、特集~「戦争は知らない」

13/Ⅷ.(金)2010 はれ、時々雨
先日、3チャンネルで北山修の最終講義をやっていたが、僕にとっては、北山修はいつまでも北山修で、北山先生と呼ぶ気にはならない。それが敬意だし、そんな距離だ。
北山修の代名詞は「戦争を知らない子供たち」である。
北山修は、加藤和彦、はしだのりひことザ・フォーク・クルセダーズ(以下、フォークルと略す)
を組んでいたから、「戦争を知らない子供たち」をフォークルの曲と誤解してる人がいるが、
「戦争を知らない子供たち」はジローズの代表曲である。
この曲は、大阪万博にちなんで作られた歌で、
僕は万博の写真をジャケットに使った別のシングル・レコードを持っている。
間違いやすいのは、フォークルの歌で「戦争は知らない」と似たタイトルの曲がある。
これは、寺山修司が作詞をしている。
もし「フォークル検定」があったとしたら、ここがヤマだな。
あと、フォークルの反戦歌といえば「何のために」。作詞・北山修。
フォークルは、自主制作で作った「帰ってきたヨッパライ」が思いがけず大ヒットしてしまい、
1年の期限付きで活動した。
その解散コンサートで、はしだのりひことシューベルツが紹介され、
「サウンド・オブ・サイレンス」(←サイモン&ガーファンクルのコピー)と
「風」(←北山修作詞のヒット曲)を歌っている。
そのシューベルツのメンバーに杉田二郎がいて、
のちに杉田二郎と北山修で「戦争を知らない子供たち」が作られたのである。
シューベルツは4人編成だったが、
結成後1年ちょっとでウッド・ベースを弾いていた井上博という人が亡くなって、解散した。                                       そうして、杉田二郎は森下次郎という人と、ジローズを結成することになったのである。
僕が、小学校低学年の頃、「おらは死んじまっただ~」と歌っていたら、友達のお母さんに
「そんな歌を歌うのは、おやめなさい。その歌を歌ってたグループの人は、本当に死んじゃったのよ」
と言われた。
でも僕は、オバサンはフォークルと井上博を混同してるんだろうな、とすぐわかった。
その場で指摘したかは、覚えていない。
時は流れて、加藤和彦も死んでしまった。
そういえば、こないだ今野雄二も死んでしまったな。
今野雄二・作詞、加藤和彦・作曲のサディスティク・ミカ・バンド
「へーい ごきげんはいかが」は、かっこいいナンバーだったな。
皆、死んじゃうな。戦争と関係なくなっちゃった。
BGM. ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」