鉄道の日

14/Ⅹ.(木)2010 はれ
今日、10月14日は、「鉄道の日」らしい。
日本ではじめて新橋~横浜間に電車が走った日だからだそうだ。
鉄道と言えば、つげ義春の「ねじ式」の主人公がメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断されイシャ(医者、のこと)を探す道で、
突然、きつねの面を被った少年が操縦する機関車がやってきてそれに乗せてもらうくだり。                                       主人公は、この車はもと来た方向に戻っているのでは?と少年にたずねる。
すると少年は、「目をとじなさい。そうすれば後ろへ走っているような気持になるでしょう。
こういう法則は小学校でちゃんと教えているではありませんか」と答える。
僕は、この場面をプリントしたTシャツを昔買って、毎年「鉄道の日」に着ることにしている。
だから、今日も着る。

「ねじ式」は、マンガか芸術か、などと歴史的に論議の的になったこともあったが、当のつげ義春によると、
締め切り間際で何も思いつかず、屋根の上で寝てた夢をそのままマンガにしたいい加減なものらしい。                               だから、「メメグラゲ」も本当は「××クラゲ」の誤植だったらしいが、どうでもいいからそのままにしていたそうだ。
その証拠に、マンガの最後に登場する婦人科医がするシリツ(手術、のこと)は「○×方式を応用した」、とある。                           夢をそのままマンガにしたから、細部は思い出せず、××とか○×としたのだろう。
こうやって、時々、つげ義春のことを思い出すことは大切だ。
下は、ねじ式フィギュア3色。↓。

お昼は、森国さんとチャーシュー麺を食べ、心理テストの所見をみてもらう。
「鉄道の日」とはまるで関係ないな。
申し訳ないので、最後は、ねじ式車両で。↓。

BGM. 浜田省吾「ラブ・トレイン」


黒髪のロベスピエール

25/Ⅶ.(日)2010 猛暑
約10年ぶりくらいに、黒髪に戻した。これまで、赤・青・黄・緑・黄緑・金・銀・紫など色を変えてきた。
誕生日だからイメチェンしようと思ったら、残ったのは黒だけだった。
話は全然変わるが、石井慧がダライ・ラマに相談する光景をテレビで観たことがある。
石井は、自分は柔道から総合格闘技に移るかどうか迷っている、自分の意志を貫くべきか、
それとも時には長いものに巻かれろ、で年長者の意見を聞き入れるべきか?と尋ねた。
ダライ・ラマは、ビルマの竪琴みたいな片側の肩だけ出てる金色のテカテカ光る生地のド派手な衣装を身にまとい、
うん、うんと真剣な表情で質問に聞き入り、やおら石井に飛びつかんばかりの勢いで指を指し
「自分の人生は自分で決めるのだ!!」と断言した。
ものすごい迫力に、柔道金メダリストの石井慧も圧倒された。その後、石井は総合に来た。
ダライ・ラマが言ってる内容は、当たり前の普通のことだ。
でも、そこで僕は思った。
第一印象で「この人は何だ?」と思わせておけば、普通のことを言っても相手に与えるインパクトが大きいな、と。
これは使えるかもしれない。
背広にネクタイの男に「人生、努力」なんて言われても反発するが、お化粧して髪をツンツンさせた男に
「人生、努力」と言われたら真理のように錯覚するかも。
僕も謀らずもそれを利用してた面はある。
「ウチの子が茶髪にして不良にならないか心配」という親は僕の髪の色を見て考え直す機会とし、
「大人は信用できない」という子供は変な髪の色の大人を他の大人と違うと識別し心を開く。
しかし、それもあくまで見た目。人間、中身で勝負。
黒髪のロベスピエール、とは新日にUターン参戦した時の前田日明のニックネームだ。
BGM. ザ・ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」


ザ・ヒストリー・オブ・川原②~「麒麟児」

8/Ⅶ.(木)2010  はれ
7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第二弾。
麒麟は古代中国では、鳳凰、亀、龍と共に神聖な生き物とされた。
このことから、幼少から秀でた才を示す子供を「麒麟児」と呼ぶ。
相撲取りに麒麟児というのがいた。
突っ張りが得意で、北の湖・若三杉・金城(かねしろ)らと‘花のニッパチ組’と言われた。
よく学校で真似をした。NHK、名古屋場所放映しないって。
僕は子供の頃、あまり大きい方ではなかった。
背の高さなんてどうでもいいと思うのだが、他人に「タッちゃんは小さいからね」と言われると、
母はよく、「サンショは小粒でピリリと辛い!」と怒っていた。
写真は、母が作ってバザーに出した麒麟のぬいぐるみ。
僕の方が、少し背が高く設計されている。
赤いマフラーはサイボーグ009。




BGM. 渡辺香津美「Kylyn」


番傘買い

20/Ⅴ.(木)2010 雨
5年以上、前の話。
僕は雨具として番傘を使っているのだが、それは浅草の決まったお店で買うことにしている。
その頃、丁度、‘中国製’の番傘をお店で取り扱うようになった頃だという。
中国製と比べるとどこが違うのですか?、尋ねてみると店主は暗い面容ちとなり
「中国製は千円。日本製は五千円です」という。
値段以外の差は?、その問いに店主は、見た目も軽さも使い勝手も何らかわらないですね。
何もかわらない?、はい。違うのは値段だけです。「どうしますか?」と店主は地面をみながらそう言った。
僕はまるで‘人間性クイズ’でも出されてるような気分になり、
そこは判官贔屓というかナショナリズムというか伝統文化保存の意味からも日本製を購入した。
粋じゃない、と判断されるのを畏れたのかもしれない。
5年以上も経つものだから、結構傘はボロボロだがよくもったものである。
先日、新しいのを買いに浅草まで行った。いつもの店に行き、店主と話す。
中国製は千五百円、日本製は八千円だという。もう日本には作り手が少ないらしい。
値段以外の差は?、見た目も軽さも使い勝手も何もかわらないですね。
違うのは値段だけか…と僕が地面を見る。
そこで店主、ちょっと明るいトーンの声で「でもね、5年使うと差が出るんですよ。もちが違う!」だって。


なんか、人生が肯定された気がした。
BGM. 沢田研二「カサブランカ・ダンディ」