夜の繁華街~接待を伴う店に連れてってあげる。

18/Ⅷ.(火)2020 2ちゃんねる・創設者のひろゆき、山P問題に「飲み会が問題じゃなくて、問題はホテルだと思う」と発言。生放送によく出したな、確信犯か?TBS「グッとラック!」。

先週の「タモリ倶楽部」は久し振りの傑作回だった。ゲストに、劇団ひとり、劇作家の根本宗子(診察室に飾ってあるTシャツに大森靖子と一緒に映ってピースしてる人)、オアシズの光浦にタモリを含めた「妄想好き」な4人が、ゆるく「妄想ワールド」を楽しもうと参加したのは良いが、出てきたプレゼンターがガチ過ぎて、4人が唖然とする様が圧巻だ。特に一人目の使者の繰り出す「架空言語」は、その人が中学生の頃から考えていた物の発展系だそうでその人は今は東大で言語学を学んでいる猛者だ。架空言語はただ単に言葉を作るのではなく、まず世界を創造し、その文化にそくして言語が生まれてくるらしい。この妄想世界には近隣の国もあり、特に面白かったのは中心の国の北に位置する部族が使う言語で、それは「口笛言語」といい暗号のような口笛で語り合うのである。これを好きな女の子と一緒に覚えて、口笛言語でコミュニケーションがとれたら素敵だろうな。

さて今回は何かとコロナのやり玉にあげられがちな夜の繁華街には出歩きにくいし、そもそも行ったことがない人のために、ご案内しましょう。まずはホストクラブから。↓。

 

・16~17/Ⅷ.(土)~(日) 2014 猛暑
その日は、風俗方面で大活躍中のSちゃんという女の子(23歳)から彼女のバースディ・パーティーに誘われたのです。
場所は歌舞伎町のホストクラブ。仲間だけで祝う会だと言う。
ホストクラブに男は入れないらしいが、今日の主役のSちゃんと一緒なら入れるので、歌舞伎町のコンビニで待ち合わせ。さすが、歌舞伎町、コンビニの雑誌コーナーに、「ホストマガジン」なんて雑誌がありましたよ。大岡山のコンビニでは、まず見ませんね。
この一冊で全国優良ホストクラブ情報を完全網羅!らしい。9月号は、上半期ナンバーワン大特集だって!

その日のホストクラブは浴衣デー。従業員ホストは全員浴衣(将棋柄とか金魚柄など)で、お客も浴衣ならドリンク只。僕は、浴衣を持ってないので、アメ横で買った海軍のセーラー服に水兵帽という「水兵さん」の格好で行った。
Sちゃんは着付けに時間がかかり、僕は歌舞伎町のコンビニで待機する。
しかし、コンビニに出入りする客層が怖いし、僕をジロジロみるから、近くの交番の前で待つ。
すると、交番に「あの店で、ボッタくられた!」と怒鳴り込んでくる強面のお兄さんたちが多数。
歌舞伎町の交番は、ボッタくりバーの苦情処理所にもなっていた。
おまわりさんが、「店に表示してる限り、金額に関しては、こちらは何も言えない」と歌舞伎町ルールを一々、説明していた。
僕は、Sちゃんへの誕生日プレゼント代わりに、Sちゃんと自分の分の代金をおごるという約束をしていた。なんか、これから起こる事を暗示してるかのような光景だ。
それにしても、Sちゃん、早く来ないかな。怖いな。帰りたくなってきたよ。
待つこと20分。浴衣姿のSちゃんが現れて、水兵さんの僕が手を振ると、「すぐ判った」と彼女は笑いながら駆け寄って来た。
履きなれない下駄で走るから、左足の親指を切っちゃって。圧迫止血とかしてやったよ。歌舞伎町の真ん中で救急処置。
この会は、Sちゃんの誕生日に開かれたものだが、参加者は1人の女の子(ホスト好き)を除けば残りは皆、ホスト。
つまり、店側の人じゃん。Sちゃんは友達が少ない。
Sちゃんが僕を招待してくれた理由のきっかけは僕が元気がなかったからだが、本当の深層心理は参加してみて判った。
「自分にはこんな変わった友人がいる!」という自慢を皆にしたかったようだ。
Sちゃんは、実際、僕をその様に紹介した。
「髪の毛、スイカなんだよ~」
「見て見て、爪、ケーキなんだよ。私の誕生日祝いだからなんだよ~」
「この人、いくつに見える~?」
「本当の職業、言って良い?」などと無邪気にはしゃぐ姿は少女のままだ。
あるホストから、「自分も~昔~、バンドやってたし~、まったく同じ~髪色にしたことあるし~、超~懐かしい~!」って、
20代前半の奴に先輩風吹かされるみたいに言われる、50代前半の男の哀愁って、皆さん、判る?
あるホストは、僕に「年齢、本気に当てに行っちゃっても良いですか?」と挑んできた。
<いやいや、そんなに面白いオチとか、ないから>、と俺。
そのホストは、俺のことを上から下まで何度も見て、クイズ番組の回答者みたいな声で「37!」と答えた。
Sちゃんは、大喜び。「やった~!年齢不詳~!」って大騒ぎ。
ちなみに僕は、昭和37年生まれの52。
だから、<(37は)惜しい!>って答えた。
ホストは、「惜しい?じゃ、38?39?36!」とピンそば狙い。
Sちゃんも一緒に混乱して、「あれ、そんな年だったっけ??」と言っている。かなり酔ってる。
僕は、<今、37、って言ったでしょう?それが、惜しいの>とヒントをあげるがホストは「47?えっ、74?」とトンチンカン。
ちなみに、「74」ってどんだけジジイだよ。ジョン・レノンの年だよ、もし生きてたらね。
しかし、年齢の話で驚いたのは、Sちゃんの本当の年齢だ。
ホストは、口々に、「おめでとう~、ついに大台ですね」とSちゃんをいじって、祝っていた。
Sちゃん、今日が、実は30歳のバースデーパーティーだったのです。
僕は、<Sちゃん、23歳って言ってなかったっけ?>。「それは、営業用よ、言ってなかったっけ?」と、Sちゃん。
<じゃ、あの幼馴染は?>、「あの子も、今度、30」。
ガチョーン!!
俺の緊張とときめきの博多の夜を返せ!
人のこと「年齢不詳」とか言っといて、そっちは「年齢詐称」じゃないか。7つもサバ読んどいて。

Sちゃんには、この店にお気に入りのホストがいる。今日のバースディパーティーは、VIP席で、そのホストを完全指名し、常に脇に置いていた。
Sちゃんは、そのホストと僕を会わせたかったみたいだ。気が合うと思ったらしい。正気か?
Sちゃんは、そのホストと僕がちょっと似てる、とも言った。
娘のフィアンセと会う時の父親って、こんな気分なのかな。
どんな奴が来ても、絶対、気に要らないだろうな。
俺が父親だったら、相手の男に対して、治療的な精神療法と正反対の事をして、苦しめて試してやる。
ケケケ、ザマァミヤガレ。
あっ、何を取り乱してるんだ。すみません、お見苦しいところを。

話を戻そう。
Sちゃんは僕のリュックについているオレンジのプンプンを指差して、「私、前から、これ気になるんだぁ」とホストに言った。↓。


Sちゃんのお気に入りのホストは、「知ってます。言わないで下さい。当ててみせます。う~ん…、おやすみプンプン!」と、
俺の目の前に人差し指を突き出して、自慢げに答えた。
<正解です…>と俺。
「すご~い!なんで知ってるの~?」とSちゃんはホストの肩を揺すり、ホストは照れながら、「サブカルですよね」と俺に言った。
俺は心の中で、<なんたる、浅薄…>と絶句した。
そのホストは、それ以上の知識がないとみて、Sちゃんに「きっと、君は、好きじゃないよ」と優しく諭す様にささやいた。
Sちゃんも、しなだれかかって、「うん」なんて酔っ払って言ってるし。
もう帰ろうかな。
でも、せっかくのSちゃんの誕生日会だし。空気をぶち壊しては可愛そうだし。
一応、福岡の学会の恩はあるし。
ここは、じっと我慢する。男はつらいよ。
そうやって、僕がこの日、Sちゃんの誕生祝いに、この店に支払った金額は、7万円だった。
Sちゃんのバースディパーティーは、ドンペリのゴールドを開けて盛大にお祝いされた。
それで、7万は安いなと思って聞いたら、シャンパン代は、Sちゃんが毎月積み立てていたらしい。
僕はSちゃんに<いくらするの?>とシャンパンの値段を聞いた。
すると、Sちゃんはちょっと躊躇って、「引かない?さっき払ってくれた金額あるっしょ?その10倍」だって。

家に帰ってから、今回の件で色々と相談に乗ってくれた友人に報告をした。
友人は、「生きて帰れて良かったね。7万円?妥当な金額だね。まあ良く行ったと思うよ、僕なら絶対行かなかったと思うし。君は勇気あるよ、徴兵制度があったらきっと素直に行ったんだろうね」と言った。
友人は、世間が終戦記念日に戦争だ平和だと叫んでる中、僕が風俗だホストだと騒いでいた事を冷静に皮肉って、僕の純情を揶揄した。

 

・次は、フィリピン・パブ

医学校は6年制であり、さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。
断っておくが、それが悪いと言ってるのではない、当然である。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。
こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。
本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、おきざりにされた気分に浸った。
こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。
1年後輩の遊び人だ。あまり親しくはなかった。
それが「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。
学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
ついて行く。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。
馴染のお客には目当ての女の子がいる。
僕は後輩に「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。
マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。
彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。
黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。
マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に少し欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。
後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。
僕の生活はすさんできた。
水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。
僕の足は、フィリピン・バーに流れた。
ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。
マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。
彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。
「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。
いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。
普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。
仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。
センス的には野暮ったいが、この方が街に同化するには効果的だろう。
僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。
そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。
川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、
「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい。」と言った。
僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。
どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。
それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。
テレビも東スポも一秒も見なかった。
本当に狂っていたのかもしれない。
とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。
そして、そのペースは国試の当日まで持続した。
結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。
店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。
常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。
その隣りに先輩のサイン色紙が並べて貼ってあり、笑った。
お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。
顔を見て、僕はビックリした。
マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。
僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、
「ラ」の音を消した。
マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。

BGM. ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラブ」

 

このコロナ渦でさすがの僕も「うつ」になっていたようだ。テレビをつければ陰気なニュース。自粛してるから呑みにも行けない。趣味の中野ブロードウェイにも何ヶ月も行けてない。それで患者さんやスタッフを感染させてはいけない。時代に乗れる同業者は、「リモート診察」を導入したと聞く。こちらはマスクをしてると患者さんに「表情がみえなくて困る」と考え、一方で本格的な第2波にそなえてアクリル板設置の用意をするかと考えたら、ものものしい光景で、はたしてそんなことまでしてクリニックを続ける意味はあるか?うちのクリニックは「居場所」とか「コミュニケーション」を大切にして来たから、もう時代錯誤なのではないか。マイノリティーの味方、と豪語して喫煙所を作ったが感染リスクを高めるだけだ。もうこりゃダメだ。「引退しよう」と考えた。しかし、仕事しなくなった自分の人生を想像出来ない。「もう死にたいなぁ」とも思った。「うつ」だったんだと思う。そんな時こそ体が心をかばってくれて、めまいが起きて救急車で運ばれて、一呼吸ついた。そんな時、テレビで「夜の街クラスター」として弾圧される歌舞伎町や池袋の飲み屋やスナックやキャバクラやホストクラブが必死に感染予防の努力をして頑張っている姿をみた。そこで僕は我が身を振り返り、彼らを見習って頑張らなくちゃいけない、と思いとどまった。それと同時に、「うつ」は抜けました。国難だそうです。皆で頑張るしかないですね。

がんばれ!

夜の街!!


スランプの日々~浅草オールナイトに連れてってあげる。

14/Ⅷ.(金)2020 猛暑。リポーター・須藤甚一郎死ぬ。死んでこんなに悪く言われる人も珍しい。

1984年、医大生・川原はスランプだった。シネコンのはしり、キネカ大森がオープンし、寺山修司の実験映画の特集をするという。その日は、「書を捨てよ町へ出よう」が上映される。勉強なんかしないで外に行こうよ、と言われてるようで、当時の川原にうってつけなタイトルだったので、出かけてみた。映画館は割と混んでいた。
奥の席の手前に空席を見つけそこに座ろうとすると、奥の席の客は若いお洒落な女の子だった。
こんな子が1人で寺山修司の映画なんか観るのかな?と思って、
<隣あいてますか?>とたずねると、丁寧に「どうぞ」と言った。
だから僕も丁寧に、<どうも>と返した。
ストーリーは、最初に主人公が画面いっぱいに正面から映し出され、客席に向かってアジるのである。
何しろ、「書を捨てよ町へ出よう」である、まず行動しろ、ということで具体的な提案を延々と訴えるのである。
すごい迫力である。
そして、主人公は「そこの君、まず隣の女の子の手を握ってみろ!」と言うから、僕は焦って、隣の子の様子を伺うと、
その子もこっちを見ていて、目が合って、二人して同時に笑った。
それから僕はその子と帰りにお茶をして、友達になった。
数日後、彼女から千石の三百人劇場でルイス・ブニュエルの映画があるから一緒に行こうと誘われた。
ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」は寺山修司の年表にも登場するので、寺山つながりとして抑えておこうという訳だ。
タイトルは、『銀河』という異端キリスト教徒の話であったが、やや難解だった。
帰りに、お茶をして彼女から感想を求められたから、
<むずかしかったな>と答えると、「嘘!つまんなかったんでしょう?」と言われた。
図星で、この子は読心術の使い手か?、とヒヤッとしたが、そんなことはなくて、実は彼女も「つまらなかった」んだって。


それから僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になり、結構ややこしい方向に彷徨ったりしたが、最終的には喜劇映画の話になった。
今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行くと僕が言うと、彼女も是非連れて行ってくれと言う。
前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高かったというのだ。
その日のラインアップは大したものだった。
一本目が『ニッポン無責任時代』で二本目が『ニッポン無責任野郎』である。
この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、
そんな架空のランキングなどどうでもよくて、この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白い。
まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。
当時の浅草はロックスが出来て集客に意欲を見せていたが、僕らの仲間は滅多に行かなかった。
皆、新宿や池袋や渋谷で遊び、お洒落な人が六本木や原宿あたりをうろついていた時代だ。
ビートたけしが、ギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、
浅草の映画館はガラガラだったと言っていた。
勿論、たけし一流の浅草への愛情表現だと聞くものには伝わっていた。
かつての浅草からは多くの喜劇人が輩出された。
そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。
期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。
後で判るのだが、大抵の人はこの2本を観たら帰ってしまった。終電もなくなるからね。
僕らは、朝まで観るつもりだから、まずは腹ごしらえ。
駅構内の焼きそば屋で、焼きそばを1人前とビールを2本たのんで、
焼きそばをを半分づつつまみにして、ビールを飲んだ。
その後、糸井重里がやっている団子屋がロックスにあるから、そこへ行きたいというので行ってみた。
孔雀なんとか、という店の名前だった気がするが、違ったらごめん。
話を映画に戻そう。
映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。
それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。
この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕ら2人と酔っ払って寝てる浮浪者みたいな何人かと、
そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる本格的に寝ている何人かだけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。
不安そうだったので、<大丈夫だよ>と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目は、「日本一の色男」だったかな?。彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、『喜劇泥棒家族』という映画で、僕も初めて観る作品だった。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。
その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。
警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。
警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。
ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。
植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。
驚く女たち。
キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

それから36年たったのかぁ。僕は…、なんとかなった。

BGM. シカゴ「朝もやの二人」


けれど生きてる。

28/Ⅶ.(火)くもり 2020 東前頭5枚目阿炎(あび)、場所前から複数回キャバクラに行っていたことがバレて、休場。

僕の「めまい」は、良性発作性頭位めまい症、というもので、その後、症状もなく安定しています。
なでしこJAPAN、の澤選手がなった病気と同じだそうです。
僕はてっきり気象とかストレスが原因だと思ってましたが、耳の中の石が動いてしまう病気だそうで、澤選手はヘディングのやりすぎがトリガーだったそうで、
そう言われれば、僕も酔っ払って顔面をよく強打してたから、アスリート特有の宿命なのかもしれませんね。

おかげさまで、7/24に誕生日を迎えました。日本人は、お正月と4月(新学期)と誕生日に、一つ歳を重ねるから、「今年の抱負は?」などを考える学習機会があるので、
自然とこの3つのシーズンになるとアイデンティティが揺さぶられることが多いです。
特に、POMSで「混乱」が高かったり、TEGで「A」の高い人はそうなりがちです。

僕は58才になりました。志村けんは、70才で死にました。あと、12年も生きるのかぁ、と思うと気が遠くなります。

こないだ「めまい」で救急搬送されて、全身精査されたのですが、「めまい」との直接因果関係はなかったのですが、
脳のMRIで大脳動脈瘤がいくつかみつかりました。今すぐあわててどうにかするものではないそうですが、早期発見出来て良かったそうです。
9月に人間ドッグで処理します。運が良かった。
僕にはそういうところがあり、普段の行いが良いのか、守護霊の力が強いのか、大学生の時、渋谷のセンター街で呑んで騒いで転んで前歯を折って大流血して病院に運ばれた時も、
たまたま歯肉に腫瘍がみつかり、それは脳に向ってて、アブナイものだったそうで、手術をして助かりました。

冬の日でした。自覚症状がないものだから、家族は僕を置いて箱根に旅行に行きました。するとその日は歴史的な豪雪で停電するは断水するは。
オペも大変でした。たらいに水を貯水してたりして。
当時はコンビニエンスストアもない時代だから、近所のスーパーで水とかおでんの具とか買って、テレビもラジオもうつらなかったから真っ暗な中、
本も読めないし、ロウソクの炎を炊いて、術後、一人で心細くしてたら、となりの家のお嬢さんがピアノを弾いていて、それが聞こえて来て、
曲は「テネシーワルツ」だったかな、とっても心に染みて、「僕は将来結婚するならピアニストと結婚しよう」と思ったものです。

人生が二度あれば。僕は最近そんなことを考えますが、中学の友人関係や高校の勉強、大学の実習、研修医の頃の理不尽な修行、医者になってからの病院勤めや開業など、人生の色んな局面で下してきた判断の精神状態は、今思い返すと、ほぼ例外なく、躁状態です。もう一度同じ事をやれと言われても、あの時のようなテンションに自分をもっていけるか疑問です。ですから僕は人生は一度っきりで十分です。余生もなんとか躁状態で乗り切って行く所存です。

BGM. 劇団ひとり「死なすもんか」


レクイエム

18/Ⅶ.(土)2020 雨 三浦春馬、死ぬ。

いまどき、「すべての人間が平等だ」、と本気で信じ込んでる人は少ないと思うが、
人間誰しも、「自分の意志で生まれて来たんじゃない」、という点と、「自分の望むタイミングでは死ねない」、という点のみにおいては平等だ。
そんな宿命に抵抗する手立は自殺くらいしかないのだとしても、失敗して生き残るとかえって面倒だったりするし、成功するにせよ、死ぬまでは生きてないといけない訳で、決意してから死ぬまでの時間は恐怖だろう。
自殺をする勇気がないのなら、せめて安らかに死なせて欲しいものだ。
研修医の頃、精神科の主任教授に、「川原君、今後の高齢化社会で重要なことは何だと思う?」と質問された。
僕は少し考えてから、<安楽死ですか?>と答えたら、教授は、真顔で「惜しい!」と、うなった。
ちなみに、正解は、「安心してボケられる世の中作りだ」って。

コロナや災害で、いつ死ぬかが分からないと考える人が多くなった。ま、そんなことがなくても武士道とはそういうものだったのだが。ナントカ白書によると、コロナで「自殺者」はむしろ減っているらしい。統計の取り方で物は言い様だと思うが、僕の臨床的肌感覚では、「死にたい」「消えたい」という人は断然と増えている。

今回は自殺者のことは脇に置いておいて、残された人の物語にしようと思う。↓。

そいつと僕は仲が良くて、浪人時代は同じ予備校に通って、隣の席に座って授業を聞いていた。
そいつは僕より頭が良くて、背も高くて、いつも落ち着いていて、真面目な男で、真面目すぎる所が逆に面白い位で、
大人で、だけど、若々しさに欠けていたとも言えるな。だから早死にしたのかな。
そいつが死んで、少しして高校の時の仲の良い5人だけが、自宅に招待された。
家にはそいつのお母さんとお姉さんがいた。
それが僕らの人生初の「故人を偲ぶ会」だった。
この時は大変だった。
僕らはまだ高校を出たばかりで、どんな格好をしていけばいいのかも誰も判らなかった。
前日に、僕らはゆかりの地である御茶ノ水に集まってミィーティングをした。
なぜ僕らだけ招待されたのか?
ご家族は何を望んでいるのか?
僕らはどんな顔をして、何の話をすればいいのか?
話してはいけないことはあるのか?
お姉さんが美人って本当なのか?
それはこの際、関係ないだろう?
でも、美人らしい。
結局、服装は普段通りで行こう、ということしか決まらず、その日は散開した。
僕は今思っても、結構、真剣に自分の役割とかを考えたと思う。
そうして、僕は「偲ぶ会」用に2つのネタを思いつき用意した。
「偲ぶ会」は想像したより明るい空気で進行した。
向こうのお母さんとお姉さんが僕らをとても良くもてなしてくれたからだ。
みんなのする高校時代の想い出話を、お母さんとお姉さんは<へ~、そうなんだ>とにこやかに聞いていた。
すると思いついたように、お姉さんは、予備校時代はどうだったのか?、と質問してきた。
今だ!
僕は1つ目のネタを出す。
鞄に仕込んでおいた‘エロ本’をテーブルの上に置き、<借りたまま、返せなかった本です>と姉に差し出した。
一緒にいた奴らは、びっくり仰天した顔をして、中には「馬鹿!やめろ!」と怒ってる奴もいた。
だが、時すでに遅し。
お姉さんは、‘エロ本’を手に取って、1枚1枚、丁寧にページを繰って、じっくりと見て、不意に一粒の涙が頬をつたうと、
ポーンとテーブルの上に‘エロ本’を放り投げて、「な~んだ、あの子、こんなの持ってたんだぁ」と、嬉しそうに笑った。
その優しげな笑顔に、一同胸を撫で下ろした。
それでハードルが下がったんだろう、みんなは高校時代の馬鹿話に花が咲いて、やがて暴露合戦みたいになり盛り上がった。
そして時間はアッと言う間に過ぎて、そろそろ、おいとまに。しかし、僕にはもう1つネタがある。ここがタイミングだ。
<あの~、僕、あいつに2千円、貸してて、返して貰ってないんですけど…>。
またもや一緒にいた奴らは、びっくりした顔をして、中には「馬鹿!やめろ!」と怒る奴もいたけど、すぐさま、お母さんが
「あら、ごめんなさい。もう、あの子は借りっ放しね。他にはいない?」と財布からお金をくれた。便乗する者はいなかった。
そして僕らは、お母さんとお姉さんの笑顔に見送られて、最寄駅へと向かった。
僕はみんなに、<牛丼でも、おごろうか?>と言ったけど、みんなは「その金じゃ食えないよ」と口を揃えて言った。
その日の僕の成績は、現金2千円のプラスと、‘エロ本’1冊のマイナスだった。
この2千円の正しい使い途は、どう考えても‘エロ本’だろう。当時、御茶ノ水には有名な‘エロ本屋’があった。
僕はみんなにそこに行こう、と提案した。みんなは、ブツブツ文句を言いながら、渋々、後について来た。
そして、結局、なんだかんだ言って、みんな1冊づつ、買うことになった。
「これも供養だ」と合理化する奴もいたが、僕も<その通りだな>と思った。
皆さんは、「故人を偲ぶ会」について何か考えたことがありますか?

そいつは岡田奈々が好きだったから、これをBGMに。

BGM. 岡田奈々「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」


16/Ⅶ.(木)2020 くもり 藤井聡太七段、最年少タイトル獲得。3月のライオン、の上を行く

コロナでマスクは必需品。しかし、表情がみえないと不安だ、という声が多くあります。↓。

そこでフェース・シールドを利用してましたが、先日の、めまい、があってから、これが夕方になると(長く使用してると)暴れまくって反省しない孫悟空みたいに、頭がしめつけられて痛くなります。↓。

その解決策として、こんなものをネット通販で買ってみました。透明マスク、です。↓。

中を開けると、一つづつ個別包装されています。↓。

着用すると、こんな感じになります。これの難点は長くつけてると耳が痛くなります。だから、色々と使い分けて使用します。↓。

上下を間違えて、逆さにつけると、豚の鼻みたいになります。↓。

これ、何かに似てるな、と思って記憶を辿ってゆくと、子供の頃にいつも違和感を持ってみていたヒーロー物を思い出しました。皆さんも、ご存知の、ウルトラセブン、です。モロボシダンがウルトラセブンに変身する時に、ウルトラアイ、というグラサンのようなアイテムを装着するのですが、その時にアップになる、モロボシダンの鼻がいつも豚みたいに見えてカッコ悪いなと思っていたのです。皆さんはどうですか?感想は人それぞれですからね。↓。

さて、ウルトラセブンが出てきたので、せっかくだから、セブンの話をしましょう。

ある日、海底開発基地が爆発されました。事件を予告した少年は、「海底にはノンマルトが住んでいる。そもそも地球はノンマルトのものであり、人間はノンマルトを海底に追いやった侵略者だ」と言います。ノンマルトは怪獣ガイロスで攻撃。ウルトラセブンは地球の平和のために戦いますが、自分の行動は正しいのか?と悩みます。それは、一つの星の主導権を握る人間ともう一つの種族・ノンマルトの戦いに巻き込まれたウルトラセブンの葛藤です。この回は「ノンマルトの使者」と言い、その時代背景にはベトナム戦争がありました。
下の写真はこの番組放映直後、茅ヶ崎の商店街にウルトラセブンがやって来た時のものです。
幼稚園児の僕は、ウルトラセブンに何と声をかけていいのかわからず、ソッポを向くしか出来ませんでした。↓。

BGM. 世良公則&ツイスト「SOPPO」


加山雄三

15/Ⅶ.(水)2020 雨 サンマ初水揚げ一尾6000円!!価格高騰。

今年も「抱かれたい男」「抱かれたくない男」が発表されましたね。抱かれたいは、1位・佐藤健、2位・斉藤工、3位・山Pでした。また違うアンケートでは、2位がキムタクで、1位が竹野内豊、というのもみました。これは年齢層に縛りがあるのですかね?一方、抱かれたくない、は、常連の出川&エガちゃん&アンガールズ田中&安田大サーカス・クロちゃんを圧倒的に引き離した独走の強さで、アンジャッシュの渡部が栄冠に輝きました。AVビデオに詳しい人に聞いたら、「多目的トイレ」を利用する企画物の作品は定番らしく、「何も渡部のオリジナルじゃない!」と怒っていました。しかし、しばらくは渡部のイメージがつきまといますね。

いい男というのは昔から一歩間違うとギャグにされてました。天才バカボンにはよく「石坂浩二」がハンサム代表で登場してたし、僕の地元の茅ヶ崎出身の「加山雄三」もちょっとあやういいい男でした。このあやうさは何でしょう?よくライバルとして挙げられる石原裕次郎の磐石ぶり(国民栄誉賞)と比べて、何かペラペラした感じがします。今後、考察して行く必要がありそうですね。

ところで嫌な天気ですね。皆さんは、お体大丈夫ですか?僕は先週、生まれて初めて「回転性のめまい」を体験しました。もう診療が終る時間だったので、後を受付の杉山さんに任せて、先にクリニックを出たまではいいのですが、駅に向う途中のドラッグストアで「めまい」の薬を買おうとレジに並んでたら、強烈な嘔気に襲われ、店外へ出たところで倒れてしまいました。世の中には親切な人がいるものです。119番通報してくれ、僕は救急病院に搬送されました。たまたま運が良かったのが、丁度、そこに仕事を終えた杉山さんが通りかかり、救急車に同乗してくれたので、救急隊員からの色々な質問に答えてくれたことです。救急隊員は、杉山さんに向って、「奥様ですか?」「ちがいます!」。「では、同伴の方で?」「いいえ、私は事務員です。事務員!」と懸命に否定していて、別にプロポーズをした訳でもないのに、強烈にフラレタ気分がしてショックでした。天井もグルグル回るし、救急車は揺れるから車酔いするし。三重苦でした。ヘレン・ケラーか俺か、って感じです。

救急病院は綺麗で、スタッフも優しくて、マスクをしてるからか、看護師はみな美人に見えるのは当然として、診療にあたってくれた若い男性の医師がめちゃくちゃイケテルのです。みんな、かっこいい。医療ドラマかと思った。親切だし。ま、結局、僕の「めまい」は一過性のもので誰でも一生のうち一度くらいはなるものらしく、おかげで翌日には治りました。気候とか蓄積疲労とかストレスだったみたい。救急車を呼んでくれた人、どうもありがとう。この場を借りて、お礼いたします。

昭和の爆笑王・林家三平(今の笑点に出てる三平のお父さん。つまり、こぶ平のお父さん)さんは、脳梗塞で倒れ救急車で運ばれた時、搬送された病院で意識を確認するために「お名前を言えますか?」と質問されるのだが、それに対し、「加山雄三です」と答えたという武勇伝がある。僕は子供心に「かっこいいなぁ」と思って、「僕もいつか救急車で運ばれたらマネしよう」と心に誓って生きてきた。時代時代によってハンサムは代わる。三平さんの時の正解は「加山雄三」だったが時代とともに移り変わる。だから僕はいつも常々、「今だったら、キムタクだ」「ぺ・ヨンジュンだ」「ベッカムだ」「小栗旬だ」と確認作業を怠らない。だから冒頭の「抱かれたいランキング」などは必ず目を通す。

だけどどうだろう。いざ、自分が救急車に乗るとなると、名前を聞かれた時、「山下智久です」とは答えられない。そんな余裕もないし。あったとしても怒られそうだし。つまり、何を言いたいかと言うと、素人が生半可な覚悟で踏み込んではいけない芸人の聖域があるという教訓だ。

BGM. 矢沢永吉「抱かれたい、もう一度」


走馬灯

11/Ⅶ.(土)2020 くもり、さっき通り雨 コロナ、空気感染?

当時の夜のヒットスタジオの石野真子の「めまい」がユーチューブでみれる。
最近はこればかり観てる。
歌前のトークで、司会の芳村真理から、「真子ちゃんは、ヌードになって欲しくないタレント第1位」と紹介される。
真子は少し戸惑った後、「みても面白くないですからね」とシャレた返しをするのだが、
もう一人の司会の井上順があっさり「そうだね」と答えると、
(泣く)みたいなポーズを一瞬した後、ちょっと腕組みをして怒ったようなポーズをとった。
生放送ならではのイキイキとしたアイドルの表情が見てとれて面白い。

その後あんなことやそんなことがあって、石野真子もヌードになるのだが、時は魔術師、30何年たって、石野真子のライブを観に行った。
まるで走馬灯のように当時を思い出す。
その時のライブレビューの再録です。↓。

7/Ⅹ.(月)2013 shibuya O-EAST

石野真子35th Aniversary TOUR 2013「しあわせのレシピ」を観に行った。
場所は、shibuya O-EAST。
どこだ?そこ?って感じです。
渋谷なら、渋谷公会堂とかでやってくれれば、場所が判りやすいのに。
名前からして、立ち見っぽいし。
以前、このブログで<客の年齢層、高そうなのに大丈夫か?主催者>と書いたら、患者さんでもない人からコメントが。
「多分、椅子が用意されるから大丈夫ですよ」って親切に。お陰で行く気になれました。この場を借りてお礼を言います。
ありがとう、たまたまネット・サーフィンで僕のブログに辿り着き、教えてくれたのですよね。すごいな、ネット。
shibuya O-EASTは、109から道玄坂の坂をひたすら登り、回転寿司が見えたら、右に折れます。
その辺のコンビニはきっとよく道を聞かれるのでしょうね、「ライブハウスはこちら→」と貼紙がしてありました。
そこは所謂、ラブホテル街で、男が1人でウロウロしてるのも変な気がします。
でも、ご安心、しばらく行くと、ライブハウスの看板がデカデカとありました。↓。


会場では、記念のTシャツも売っていました。
売場の人に、<これは何の意味ですか?>と尋ねたら、正解は教えてくれませんでした。
代りに、「真子さんが、ファンの皆様に考えて下さい、とのメッセージです」との答えでした。
下が、暗号じみたTシャツ。↓。意味、判る人、いますか?(正解は、後で書きます)

ライブハウスにはパイプ椅子が並べてありました。僕は真ん中当りの席。ステージはすぐそこだ。
いよいよ、オープニング。真子ちゃんは、ピンクとオレンジの中間のような色のドレスで登場!
ドレスには、ビーズの様な素材が織り込まれてて、ライトに照らされて、キラキラと輝く。
バンドは、ギター・ベース・ドラムス・キーボード&シンセの5人。
まずは、最新アルバム「しあわせのレシピ」から、「ダダダーンと何曲か」新曲を歌った。
皆、ゆったりと席に座って聞いている。
石野真子はいったん引っ込んで白いワンピースに衣装チェンジして再登場!
それはスカートの上に、それより短いスカートを重ねて、
そのまた上に短いスカートを重ねたように幾重にもなっていた。
歌は、白い色が意味するかのように、
1stアルバム『微笑』から「私はオレンジ」と「雨だれのワルツ」を。懐かしい歌。
「私はオレンジ」は、谷山浩子の作品です。
♪私を食べて~今すぐ食べて~♪という歌詞を石野真子は、
「当時、意味も判らず歌っていた」と苦笑しながら述懐した。
ちなみに現在、『微笑』はCDショップには売ってません。
在庫もないらしい。名盤だから、再販すれば良いのに。
ポスターやチラシで見た人もいるかもしれませんが、このライブでは石野真子がギターの弾き語りをします。↓。


そのアコースティックなスタイルで、「ぽろぽろと」と「失恋記念日」を披露しました。
石野真子は6月26日に「しあわせのレシピ」を発表してから、全国25ヶ所でライブをやってきたそうです。
石野真子はギターを抱えておしゃべりをするコーナーで、長い時は30分くらい喋っていたこともあるらしい。
バンマスのギターの人が言うには、「それがまた好評だった」と。
確かに、昔から、石野真子の話しは面白いのだ。
ギターを引っ込めると、石野真子は元気よく、
「シングルをやりましょう!」と言って「春ラ!ラ!ラ!」を歌う。
すると、今まで何処に潜んでいたのかと思った程、いきなり!、右斜め後方より親衛隊の掛け声がかかる。
「エル・オー・ブイ・イー、ラブリー・マコちゃん!エル・オー・ブイ・イー、かわいい、マコちゃん!」。
親衛隊の人は、白の揃いの特攻服を着ていた。おそらく、僕より年上だ。
なんか、これが着火点になった気がする。
続いて、「私の首領(ドン)」を真子ちゃんがメドレーで歌うと、
♪私のドン♪の「ドン」でジャンプする人がチラホラ。
右手の人差し指と中指を揃えて伸ばして、残りの指はグーに握り、
おでこに2本の指の爪の部分をあてるポーズでジャンプ。
もう我慢できない、と言わんばかりに、席から立ち上がる老(若)男女。
その様子をみて、歌いながら真子ちゃんは、吹き出したように笑って、嬉しそうな笑顔で、
マイクと逆の手の平を天井に向けて、その手の平を下から上にやさしく持ちあげたのが合図で、
一瞬にして会場はオール・スタンディングになった。
おそらく、これが、shibuya O-EASTの本来あるべき姿なのだろう。
「私の首領(ドン)」で火が点き、
「ジュリーがライバル」「ハートで勝負」といったヒット曲を立て続けにフルコーラスで歌って。
真子ちゃんはステージを右に左に何度も行き来して、
会場の2階や奥や隅っ子の方のファンにも手を振りながら歌って。
それはファンとの再会をマコちゃんが懐かしがっているように見えた。
オール・スタンディング状態のファンは手を振ったり、
「マコちゃーん!」と呼びかけたり、手拍子をしたりして、再会を喜んだ。
そして、親衛隊は会場の後の隅で、他のファンの邪魔にならないように
「エル・オー・ブイ・イー~」というエールを送っていて。
あぁ、こういう光景は懐かしいなぁ、と僕も感慨にふけって。
アンコールの催促の掛け声は、「エル・オー・ブイ・イー、ゴー・ゴー、マッコ!」。
マコの間に八分休符が入るのが正しいアクセント。
会場一体となって、「エル・オー・ブイ・イー、ゴー・ゴー、マッコ!」が連呼される。
アンコールに応えて、マコちゃんは真っ赤なワンピースであらわれ、皆への感謝を述べ、
「そしてやっぱり最後は」と、「この曲がなければ、皆さんと逢えなかった」と言って、
「狼なんか怖くない」のイントロが流れる。これがクライマックス。
皆、総立ちで、いい大人が、右手でキツネ(狼)の形を作り、
「狼なんか怖くない」を歌って大盛り上がり大会。楽しかった。
石野真子はデビュー35周年だが、全国ライブ・ツアーをやるのは、29年振りだと言っていた。
35周年と言えば、サザンオールスターズも今年35周年の全国コンサートツアーをしていましたっけ。
調べてみたら、サザンの「勝手にシンドバッド」が1978年6月25日。
石野真子の「狼なんか怖くない」が、1978年3月25日の発売でした。
どちらも、1978年デビューの35周年でした。
あぁ、そういう意味か、さっきのTシャツの数字の謎。
「351978」は、35周年1978年デビューの意味だ。
下は、「しあわせのレシピ」を買ったらくれたステッカー。
受付のお花のランプのところで撮影してみました
今は、クリニックの入口扉の郵便受けのところに貼ってあります。
良かったら見つけてみて下さい。↓。


石野真子は、このライブの数日前に「徹子の部屋」にゲスト出演した。
ライブのプロモーションなのでしょう。
番組は、黒柳徹子が石野真子に関する情報を事前に調査し、それを質問して行くという進行。
そこでは、「石野真子は実はキューバでは国賓的な扱いを受けている」とか
「アイドル時代、キャンディーズやピンクレディーや石野真子の親衛隊同士は仲が悪く、
会うとすぐに喧嘩になっていたが、それを(アイドル連合)としてまとめ仲良く応援しようと尽力したのが、
石野真子の親衛隊だった」というエピソードが紹介された。
こういう自慢話や美談は、ライブのトークで語られてもいいネタだ。
ふさわしい、と言っても良い。
だけど、石野真子はそういう話しは一切しない。
きっと照れちゃうんだと思う。
当然、そんなマコちゃんだから当時の暴露話やぶっちゃけトークなんかは勿論、しない。
ただ、「35年、あっと言う間だったね。…色々、あったか(笑)。皆もそうでしょ?」としか言わない。
月日は経って、それぞれ、色々、あったけれど、出会った関係性に終りはない。
石野真子は、このことを確認したかったのではないかな。
続いてはいなかったけど、ずっとつながっていた。
だから、渋谷公会堂ではなくて、ファン1人1人の顔が見える近さのライブハウスを選んだんじゃないかな。
なんて、そんな風に思うのは、僕の勝手な感傷かもしれないけど。

BGM. 石野真子「めまい」


夏だ水着だ青春だ

3/Ⅶ.(金)2020 くもり 東京都で新たに124人感染確認、2日連続100人超

一昨日のヤフーニュースで、羽鳥モーニングショーから消えた「岡田晴恵教授」 第2ステージはタレント文化人?、という記事を読んだ。
ワイドショーのコロナの話題も一段落し、アンジャッシュ渡部や、手越の独立などの芸能ニュースがトップにくるようになったからだろう。
岡田教授は、テレビ出づっぱりだったから疲れもしただろう。

ところがである。昨日の東京都の感染者数が107人で大騒ぎ。
今朝のモーニングショーに再び岡田教授が出演して解説をしていた。
巷では、新たに都が示した指標に明確な数値がないから危険水域がわかりづらいと批判する声。
しかし、「コロナがヤバイ!」という指標はこれが一番説得力がないか?
岡田教授、羽鳥モーニングショー復帰。

そうは言っても時計の針は進みます。
7月です!我らの誕生月ですよ!
世の中は梅雨やコロナだけど、気分はもう常夏です!したがって、今日のテーマは「水着」です!
若き川原達二にインパクトを与えた水着&ピンナップガール・ベスト3の発表です。

まずは、中1の頃です。東京の学校に進学した僕に、父がくれた大判の写真には、舶来の美女がビキニ姿で砂浜でポーズをとってました。
父は趣味でカメラをやってたから、そのつながりで、今後、売り出すモデルの写真を貰ってきた、と言ってくれました。
僕には4つ上の兄もいるのですが、芸能人やアイドル好きは幼少の頃から僕の専売特許なので、父もどうせなら喜ばれる方にあげようと思ったのでしょう。
そのモデルこそ、後に日本中をブームに巻き込む、アグネス・ラム、その人だったのです。
アグネス・ラムの人気はすごかったですよ。男子はみんな、クリアな下敷きに切り抜きを入れてました。「うる星やつら」の、ラムちゃんの名前の由来もこれでしょう?
下が、最近、アグネス・ラムを特集した雑誌の表紙。↓。

高校生の頃、夜のプロ野球ニュースをみるのが日課でした。そこで突然、飛び込んできたのが、ビーチで人目を気にしながら、思い切りよく、無地のグレーのトレーナーとジーパンを脱いで、青いビキニ姿になって、カメラに向って微笑むお姉さん。ミノルタ・カメラのCMの、宮崎美子も一世を風靡しました。ちょっと、おなかがぽっこりしてる所がいい!、とクラスでは評判でした。男子高校生には女子大生は憧れの的でしたよ。それがこれ

「若き川原達二にインパクトを与えた水着&ピンナップガール・ベスト3」しんがりは、石野真子、です。
こないだユーチューブで昔の歌謡曲の動画をみてたら、真子ちゃんが水着で歌を歌ってました。こういう番組って最近ないですね。
シンプルなこげ茶のワンピース水着が健康的なお色気を発していて、最近の僕のとりこで、毎晩、寝る前にこの動画をみています。あわよくば、夢で会えるかもしれないからね。

石野真子の初主演映画「九月の空」は、男子しかいない剣道部に石野真子が入部して~という話だった。あれは嫌な映画だった。
プライベートでもキス未体験の石野真子のキスシーンが映画の目玉。必然性がない。友達と観に行って、キスシーンでは友達の目を隠した。

その後、あんなことやそんなことがあって、石野真子はトップアイドルの座を捨て引退。
当時の石野真子は本当に人気があった。
アイドルに敵なし、まさにジュリーがライバルだ。
自らのデビューのきっかけとなった「スター誕生!」やNHKの「レッツゴーヤング」の司会も務めていた。
当時のレッツゴーヤングの後ろで踊るサンデーズには松田聖子がいた。
松田聖子はその後、なみいるライバル達を横綱相撲で退け80年代を象徴するアイドルになるが、もし石野真子が引退してなかったら天下取りは1,2年は遅れたのではないだろうか。
運も実力のうちか。

石野真子の最後のTV出演は「夜のヒットスタジオ」だった。
石野真子の引退のために用意されたような回で、真子がデビュー2作目にあたる拓郎作曲の「わたしの首領」(←チッ!誰のことだ?)と自らが作詞した「私のしあわせ」という歌を披露する。
司会者の井上順と芳村真理のはからいで海援隊の武田鉄也が「贈る言葉」を歌う。
泣き出す真子。
観ているこちらもつられて泣き出す。
「贈る言葉」をバックに色んな友人・知人がお花を持って駆けつける、30人くらい来た。
締めは、ドラマ「およめちゃん」で共演した森光子が、武田鉄也の歌をBGMに
「真子ちゃん、あなたは幸せになる義務があるのよ。これ、私からの贈る言葉」
という名言を残し、コマーシャル。
僕は涙が止まらなかった。
ラストのシーンでは花束を抱えて泣きながらも笑顔を作り「あ・り・が・と・う」と読唇術でしか読み取れないメッセージを送信するテレビ出演最後の石野真子の真横で本人以上に大泣きしている松田聖子が映った。
涙の降水量ランキング、1位・松田聖子、2位・僕、3位・石野真子だった。
数日は放心状態。もうテレビは見なかった。

石野真子の引退が決まってから、GOROでヌードが発表になった。
僕はかなり頭に来ていた。事務所とか、そんな雑誌を買った自分とかに。グラビアの石野真子の目は悲しげに見えた。
当時、サザンオールスターズの歌詞で「醒めた瞳の人には何もできない~」っていうのがあり、桑田に見透かされた気がした。
その後、鶴光のオールナイトニッポンで真子のメッセージが流れた。
「あれは、インチキで、あんな話は聞かされてなくって、だから、そんな女だとみんなに思われたくない…」って言っていた。
僕は結局、グラビアページをみないまま、翌日の夕方、庭の焼却炉に、石野真子のヌードを破って入れ、着火して燃やした。
グラビアの石野真子が黒い煙とともにクニャクニャによじれながら燃えて消えた。

先日、ある人物から「石野真子、好きだったでしょう?これ、どうぞ」と例の「GORO」の記事をもらった。
ある意味、お宝。30年以上の歳月を越え、解禁出来る。
しかし、あんまり気乗りしなくって、…実はまだ見れてないのです。

BGM.石野真子「ハートで勝負」


宗教

19/Ⅵ.(金)2020 雨。手越、ジャニーズ事務所と契約終了。

アンジャッシュの渡部から得た教訓は、お金をケチってはいけない、ということだった。
受付A.は、「友人が言ってましたが、ホテルを使わないんだからホテル代を上乗せして渡すべきですよ」だって。なるほど。
あくまでも、イメージだが、昔の芸能人やたけしなんかは相手の女性にたくさんのお金を渡してたイメージだ。
なんなら生活費まで。それもマンションの一室なんてケチなことを言わず、粋な黒塀に見越しの松の一軒家を買い与える。
そう言えば、田中角栄の人心掌握術も、相手が何かやってくれた時に、相手が想像してる以上の報酬を与えることだ、と何かで読んだ。
そうすることで相手がビックリして、それが忠誠心のようなものに変わるという趣旨だったと思う。
いくら人に心があり、渡世は義理人情だとは言え、経済原則で生活は出来ていて資本主義の国家だから、目に見えない真心も可視化するなら、ゼニにした方が喜ばれそうだ。

そう思ってたら、今朝のニュースだ。
河井案里参院議員の逮捕である。あまりこの手のニュースには食いつきが悪い物で詳しくは知らないのだが、回りにたくさんお金をあげたのをチクられたみたいだ。
なんでだ?
アンジャッシュと案里議員、どっちのニュースを信じればいいのか混乱しないか?と受付B.に言ったら、「全然、違いますよ。片方は、買収ですから」だって。
受付C.は、「渡部だって、いくらたくさん渡してても同じですよ。悪いことはバレます」だと。二十歳そこそこの娘に説教されてしまった。お前は、儒教か?

そういう僕は幼稚園&小学校の初期教育にキリスト教の教えを受けていた。
それは、人間はアダムとイブが林檎を食べてから罪深く、その原罪をイエス様が肩代わりしてくれた、という「性悪説」を植え付けられて、
だから、子供の頃は、人間以外のすべての生き物や時には地面とかにもお詫びしながら生きていた。
「地面さん、踏んづけてごめんね」みたいに呟きながら道を歩いたりして。

その反動か思春期以降は宗教に対する興味と疑いが織り交ぜになって、好奇心を呼んだ。
学生時代、アパート暮らしをしていた頃に、宗教の勧誘に家まで来る輩を居間まであげお茶を出し、彼らの言い分を聞いたあと論破して帰らせるということをしていた。
本当に色んな人が来た。新聞をとってくれとか、英語の教材を買えとか、カンボジアの子供に寄付する金をくれとか、親子連れで来る宗教の勧誘もあった。

宗教の幹部ならともかく、訪問に来るような人は下っ端だと思う。ことごとく論破して負けなしだった。

ただ1つ、非常に印象に残ってるのは、ヨガの修行を通して自己実現をしようというあまり営利目的ではない勧誘だった。
僕は東洋体育もそこそこ詳しかったので、彼を言い負かすのはたやすかったが、勝ち負けよりいかにヨガが素晴らしく自分には修行が必要だということを真摯に語る瞳にちょっとグラっと来た。
僕は医学部の病院実習が忙しくなる時期で物理的に時間がとれない理由で断った。
今思うとそれは、まだ犯罪集団になる前のオウム真理教だった。

さて、下は去年の暮れに発表した「聖劇」です。
三つ子の魂、百まで、ですね。子供の頃、「聖書」の時間に習った話を、今の受付たちと一緒にフォト・セッションしたものです。↓。

 

完璧版・聖劇 ファイブ・フォト・セッション~クリスマス気分にのせられ~

◆第一章 ザアカイ◆

ザーカイは、お金持ちですが高利貸で皆から嫌われていて、お友達もいませんでした。だから余計に、お金に執着したのでしょう。悪循環ですね。ザーカイの身体的特徴は、とても背の低い男でした。下が、ザーカイ。↓。

ザーカイの町に、人気絶頂の、イエス様がやってきて、たくさんのファンを魅了しました。怪獣のフィギュアが民衆で、豹柄+王冠の後姿がイエス様。↓。

ザーカイもイエス様を一目見ようと訪れましたが、人がいっぱいで後ろの方では、背の低いザーカイには、イエス様がみえません。↓。

そこでザーカイは、どうしてもイエス様を見たくて、近くにあるイチジクの木に登りました。↓。

今回の記事の中で唯一の屋外ロケです。必死に登るザーカイ役の川原先生。目測で、標高約20センチメートル。↓。

舞台を屋内に戻します。そんなザーカイをイエス様は、「ザーカイ、降りてここに来なさい」と認知してくれました。↓。

イエス様には何もかもお見通しです。「ザーカイ、悪いことはダメですよ」。ザーカイは、たくさんのファンの中から自分だけにリプくれたと喜ぶオタクのように、嬉しくて、反省ザルのように素直になりました。↓。

そして悪い事して余計に儲けた金品やお宝をイエス様に渡し、寄付しました。↓。

ザーカイが寄付したお宝たち。長門有希のガレキ。スペース長門。↓。

涼宮ハルヒのご当地チャーム。その1。↓。

涼宮ハルヒのご当地チャーム。その2。↓。

ひぐらしのなく頃に、のDVD全巻購入特典の、知恵留美子先生のカレー、↓。

ひぐらしのなく頃に、のDVD全巻購入特典の、知恵留美子先生のカレーの器に入れて、ふるまい、↓。

ひぐらしのなく頃に、のDVD全巻購入特典の、麻雀牌で一緒に遊び、↓。

それ以来、ザーカイの評判は鰻の滝登り。友達も出来て、お金より大事なものを知り、幸せに暮らしたとさ。

 

 

◆第二章 マグダラのマリア◆

マグダラのマリアは、娼婦です。セックスワーカーともいいます。これは性風俗に関する偏見に対して、これも立派な仕事だと支援する時に使う言葉だそうです。そう言えば、人類でもっとも古い職業は「売春」だと中学の授業で習ったことがあります。セックスワーカー、覚えておきたい単語ですね。下は、マグダラのマリアの根城、ピンクのカーテンで仕切られています。美保純、元気かな?。↓。

これが、マグダラのマリア。花瓶でスカートの奥を華麗に隠しています。↓。

これは、けいおん、のうちわを何枚も重ねて持つことで、フラメンコ風の(あるいはジュリアナ風の)扇子を模擬しています。小道具の少なさを知恵で補っています。アイデアは、うかい&杉山。↓。

セックスワークは、どんな相手が来るかわかりません。蒲田君のようなシャイな子は優しく包みます。↓。

時には権力者の相手もします。ピンクのフラミンゴは、ウイリアム・テルが住む村の村長です。(柿と、クマと、ウィリアム・テル参照)。↓。

時には娼婦は看護師のようにお客さんの体調も気遣います。下は、ペンライトで瞳孔をチェックしてるところです。中国製のピカチュウの目が変てこだからです。↓。

そんなマグダラのマリアの生涯を変える一大事がおきました。イエス様と偶然、バッタリ出会ったよ。でも、これは偶然ではなく、必然だったのだと思います。↓。

それ以来、マグダラのマリアは、イエス様に帯同し、身の回りの世話をします。雪が降る日は傘をそっと差し出します。まるで、高倉健に対する池部 良の立ち位置です。↓。

↓こんな感じ↓

夏の暑い日には、汗をお拭きします。ボクシングのセコンドみたいですね。↓。

さぁ、急展開だ~!そこに、イエス様をよく思わない権力者が、イエス様を悪人扱いし、ひっ捕らえに来ました。盾と槍をもった憲兵です。頭にかぶったヘルメットは、コンビニのレジ袋を使用。小道具の少なさを知恵で補っています。アイデアは、川原。↓。

憲兵は、おそろしい形相と逞しい肉体美でイエス様を追い詰めます。↓。

憲兵の1人が、ついにイエス様を捕らえました。死刑、確定です。↓。

磔(はりつけ)です。昔、漫画「タイガーマスク」の覆面ワールドリーグ戦に、ゴルゴタ・クロス、というレスラーが出てきました。タイガーマスクは「虎の穴」からすれば裏切り者です。裏切り者といえば、ユダ、なのでしょうが、そこは梶原一騎の腕の見せ所、タイガーマスクを十字架にかけることによって、実はタイガーは裏切り者じゃなく、救世主なのだと読者にメッセージを送ったのです。ちなみに、ゴルゴタとは、イエス様が十字架にかけられた丘の名前です。そう考えるとすごいリングネームですね、ゴルゴタ・クロス。↓。

あっ、すみません。話をタイガーマスクから、聖劇に戻しましょう。

こうなると、イエス様の弟子たちも逃げてしまいました。憲兵の追っ手による尋問にも、ニワトリが鳴くまでの間に3回も「イエスなど、知らない」と言ったものもいます。↓。

それもそのはず、この磔はむごい死刑だから、誰だって腰を抜かして逃げ出します。こんな風に、手足を縛られ身動き出来ないのに、槍で突かれるのです。↓。

ついに、イエス様は死んでしまいます。憲兵が木魚を鳴らします。死す間際まで、自分の宗教を否定されます。↓。

息絶えたイエス様。そこを最期まで、看取ったのが、マグダラのマリアでした。↓。

悲しみに泣き疲れる、マグダラのマリア。↓。

イエス様の死体は、その後もゴルゴタの丘に、見せしめのように放置されていたのですが、3日後、マグダラのマリアがお参りに行くと、イエスの姿がありません。↓。

一体、これは何なの?イエス様の復活を予感するマグダラのマリアは周囲を見渡します。↓。

すると誰かが、ワックスをかけたばかりでピカピカの廊下に倒れていました。↓。

かけよるマグダラのマリア。「あっ、イエス様だわ。復活なさったのね」。↓。

マグダラのマリアは、娼婦時代に培った全ての才能を駆使します。まずペンライトで瞳孔反射を確認します。「生きてる。助かるわ。いいえ、私が助けるわ」。↓。

マグダラのマリアは、昔の自分の根城にイエス様を連れて行きます。憲兵に見つかるとまずいですからね。↓。

そして、ピンクのカーテンを開けます。↓。

「体温が下がってるから、温めなきゃ」。↓。

そして、鼻から魔法を吹き込むわ。「エコエコ・アザラク、エコエコ・ザメラク」。↓。

仕上げは、これよ。「さぁ、どうぞ。ここに。膝枕よ」。↓。

杉山耳かき店です。↓。

「はい、反対側も」。↓。

「生き返ったぞ~!」。イエス様の復活です。↓。

喜びのあまり、嬉しく抱きつく、マグダラのマリア。本編、クライマックスの百合シーン。サービスショットです。↓。

こうしてマグダラのマリアは、性女から聖女へとなったのです。下は、マグダラのマリアのポストカード。画家は、エル・グレコ。↓。

 

◆第三章 盗っ人女◆

罪深い女は、窃盗の常習犯です。村人も怒り、ボーリングのピンを持って、追いかけます。これで叩いてやらなければ気がすみません。↓。

「なんてすばしっこいんだ。やっと捕まえたぞ」と村人Aが言います。↓。

「盗んだものを出せ。出さないと殴るぞ」と村人A。手前の村人Bはボーリングのピンをバットに見立てて、一本足打法の構え。「かっ飛ばしてやる」という意気込みが、いつもちょっとズレたパフォーマンスになる村の陽気なおじさんです。↓。

罪深い女は、白状しました。「私が盗んだ物は、顔です。綾瀬はるかの美しい顔を盗みました」。↓。

盗んだものが顔だと知り、そのシュールな犯罪に余計怒りを抑えられない、村人AとB。↓。

そこにイエス様が降臨です。「待ちなさい。この中で、一度も他人の顔を欲しがったことのない者、その者だけが、彼女を叩く権利があります」。↓。

村人A「う~ん、そう言われると困ったな。他人を羨ましいと思ったことはあるわ」。村人B「わしゃ、チュートリアルの徳井の顔が欲しかった」とひょっとこ顔をしました。↓。

イエス様「じゃ、これからは皆で仲良く暮らすのよ。心の空虚さが埋まれば、盗みを働く必要もないでしょう。なぜなら、欲しいのは他人の顔ではなく、人の心の温もりや、もっと言えば他者からの関心だったのだから」。↓。

 

◆第四章 親子の絆◆

この子は神童と呼ばれる、ジャグリングの天才。↓。

ちなみに、神童と天才の違いは何かと言うと、「神童とは、子供のくせに大人のようなことが出来る子のこと。だから、神童もはたち過ぎればただの人」という所以です。この子は、そう言った意味では天才です。金になりますね。↓。

2人の「母親」を名乗るものが現れ、この子の取り合いです。↓。

騒ぎを聞きつけた、イエス様がやってきて、解決策を提案します。「母親は一人です。どちらも譲らないなら力ずくで決めるしかないでしょう。両側からこの子の手を引っ張り合って子供を奪いなさい」。↓。

よ~し、せいのせいの。オーエス、オーエス。↓。

子供「痛いよ~。痛いよ~」。↓。

ほりゃ、あちきのモンじゃい。↓。

へへへ、やったぜ、この子は銭のなる木だ。↓。

おれのモンだ~!イエ~イ!↓。

「ちがいます」。イエス様が言いました。「子供が泣き叫ぶ姿を見て、心が痛み思わず手を離してしまった、こちらの女性が本当の母親です。親の愛とはそういうものです。」。↓。

「さぁ、あなた達、これからは幸せに暮らすのよ」。「はい」。↓。

 

 

◆第五章 三方一枚損◆

村人Xが、煙草を吸って休憩していた。↓。

そう長居もしてられない。その場を去る、村人X。↓。

「あ~腰が痛ぇな。休憩でもするか」と村人Yがやって来た。↓。

村人Yが煙草を吸う。↓。

「おや?こんな所に忘れ物がある。ベルハーのCD3枚。今となっては貴重な物だ」。↓。

「おいおい、お前さん、忘れ物だよ」。↓。

「ベルハーのCD3枚、あそこのベンチに忘れてあったぞい」。↓。

村人X「確かに、これは元はあっしのだ。しかし、一度、あっしの手から離れた物だ。拾ったお前さんの物だ」。↓。

村人Y「いやいや、あちきだって、ナザレの生まれよ。こんな物を受け取った日にゃ、村の笑いモンだ。お前に返す」。↓。

なにを~、わからずやめ~。こうなりゃ、フェンシングで決闘だ、望むところよ。↓。

やめれ、やめれ~。喧嘩はいけねぇだ~。↓。

誰か仲裁ばしてけろ~。↓。

そこに現れしは、ナザレのイエス。「どういう訳で喧嘩になったか経緯を教えてくれないか?」。↓。

「なるほど。3枚のCDを、落とした方も、拾った方もお互いに受け取らず、相手に与えようとしてる訳だな」。↓。

何か良い解決策がないものか。無駄な血を流させる訳にはいかない。↓。

ひらめいた!「ここにもう一枚、同じベルハーのCDがある。これは私の物だ」。↓。

これをさっきの3枚に加えると合計4枚になる。↓。

それを2枚づつに分けて、おのおのに分けることにしよう。↓。

村人Yは、本当なら3枚もらえるところが2枚だから、1枚の損。↓。

村人Xは本来なら3枚戻ってきていいのに、2枚しかないから、1枚の損。↓。

そして、かくいうイエスも自分のCDを与えたのだから、1枚の損。↓。

「こうして、みんな平等に、1枚づつ損をした、ということでどうだ?」「なるほど、それなら合点がいくぜ」「こりゃ、一本とられた」。

これぞ、名裁き「三方一枚損」。↓。

アホか~!どこが聖劇やねん。最後の二つは、大岡裁きじゃないか。いい加減にしろ。↓。

という訳で、おしまい。田舎のお母さん、見てる~?アーメン。

BGM.吉田拓郎「もろびとこぞりて


心の護美箱⑲~アーカイブス「夢の展覧会(総天然色カラー版)」

13/Ⅵ.(土)2020 雨、梅雨。初代タイガーマスク、京大・山中教授と面談。

ちまたでは、アンジャッシュの渡部のニュースで持ちきりだ。僕は、昔、談志のひとり会の前座でアンジャッシュをみてるから、親心のようなものがありかばってあげたいのだが、こないだも新作コントをみたが面白かったので、自粛の間にたくさんネタを作って、戻れる場所(コント・ネタ)があるのだから、そこで頑張って欲しい。グルメ芸人の肩書きなんか、ナイツの塙にでもくれてやれ。

そんな中、足立区の川で溺れてる女性を力士20人が助けたというニュースをみた。力士20人が川に入ったら、お風呂の水があふれるように川の水はなくなっちゃうんじゃないかとも思うけど、その川はとても汚い川らしい。いくら人命救助とはいえ、そこに次々と飛び込む力士の絵を想像すると胸を打たれる。境川親方曰く、「男(力士)として当たり前のこと。気は優しくて力持ち」、これも心に突き刺さる名言だ。

心の護美箱⑱がいっぱいになったので、⑲を作りました。
はじめて、このブログを読まれた方は何のことだか、判りませんね。
とりあえず、グチを書き込めるページなのです。
つまり心に溜め込んでるものを、捨てる、ゴミ箱、のようなものです。非公開を希望の人は、そう書いてくれればアップしませんし、こちらが判断して「不適切」なものはアップを控えます。

ブログ記事は、僕だけでなく受付スタッフが書いてくれることもあります。今回のアーカイブスは、僕と受付のコラボ作品です。当時、評判の記事でした。大平さんは今は勤めていませんが、馴染みのある方も多いでしょうね。それでは始まり、始まり。↓。

25/Ⅶ.(火)2017 はれ 7/24&25は国会は閉会中審査、カワクリは7/24川原・7/25大平と誕生日ラッシュ。
去年の10月頃、
色々と大変だった僕はブログの記事も書けず、
仕方なく、高校の頃からつけていた夢日記に、時々、挿絵も添えていたから、
それらをアトランダムにピックアップして、夢のイラスト展覧会、という苦肉の策を載せました。
それが殊の外、好評でしたものですから、世の中とは不思議なものですね。
そこで、今回の企画は素晴らしいですよ。(これが本当の自画自賛ですね)
受付の大平さんに、元のイラストに塗り絵の要領で着色してもらい、リニューアル。
題して、夢の展覧会・総天然色カラー版!
下が、現存する最古の夢日記ノート。1981年ということは…36年前のもの。↓。


36年前と言えば、大平さんはまだ生誕してないですね。
でも、この夢日記を書いてた(描いてた)僕は、10代後半~20才そこそこですから、
今の大平さんにとっては、川原先生の絵ではありながら、年下の男の子~タメの年齢の絵です。
どんな気持ちで塗り絵をしたのでしょう。
そんなタイム・パラドックスも味わいの一つとして、どうぞご賞味下さい。
それでは、ここからは大平っちにバトンタッチDEATH!

こんにちは。受付、大平です。
鑑賞方法の説明です。
・作品タイトル&先生の当時の年齢→先生の夢のイラスト(プレーン)→総天然色カラー版→大平のつぶやきコメント、の順です。
それでは、ごゆっくりお楽しみ下さい。

・カラス貝のマニキュア女vsトラディショナル・ブルー~瞳~少年風(1981.9月:川原少年19才の作品)




カラス貝は黒?色っぽいは何色?紫かな・・・

・伊藤つかさは、トマソンがお好き(1982.1月:川原少年19才の作品)



左下の謎のポーズをしてる3人組みがお気に入りです。

・貪婪(どんらん)…非常に欲が深いこと(1982.1月:川原少年19才の作品)



これ、私が塗ったんじゃなかったりして・・・
(だから塗り直し)


魔法の書を読み始めた感じで色を塗ったんですが、タイトルは貪婪だったのですね・・・

・手のひらを太陽に(1982.1月:川原少年19才の作品)



こういうポスター学校とかに貼ってありましたよね。

・もう君に逢うこともない、心は揺れても(1982.2月:川原少年19才の作品)



北京のバッグが気になると川原先生に話したら、本当に先生が持っていたバッグらしいです。

・小田急線のひとコマ(1982.2月:川原少年19才の作品)



この絵、座ってるとこ上手くかけてますよね。

・本厚ちゃん(1982.3月:川原少年19才の作品)



かわいくしたかったのに無理でした・・・。

・キヨシローのまね(1982.3月:川原少年19才の作品)



カラフルにすればそれっぽく見えないですか?

・川守田(1982.4月:川原少年19才の作品)



川守田さんは先生のお友達です。

・一人になりたい…ううん、一人がいやだから。(1982.7月:川原少年19才の作品)



後ろにいるのはサメなのでしょうか?・・・えぼし岩だそうです。

・伊代はまだ(1982.8月:川原青年20才の作品)



腕が長いですね。先生が20歳の頃、松本伊代が流行っていたんですかね。

・天才の誤算(1982.9月:川原青年20才の作品)



靴が素敵なんですよ。

・テスト前日(1982.12月:川原青年20才の作品)



こういうよく分からない絵を塗るのって楽しいです。

・物理ダメ(1983.2月:川原青年20才の作品)



これ,左側にスイーツ隠れてたんです。

・ダルなboyは、Love is Real.(1983.3月:川原青年20才の作品)



『Maiこ』ちゃんは先生の好きだった子ですかね?私には『Maiこ』に見えたんですが、
『Maiこ』じゃなくて『Mari』だったんですね・・・

・マリン・スポーツ(1983.5月:川原青年20才の作品)



ドラえもん、オバQ、いしのまこ、カバ・・・なぜかカバ。

・カルピス(1983.5月:川原青年20才の作品)



カルピスのボトルに書いてある帽子をかぶったやつが可愛い!!

・誕生日。小指と小指をつないで歩く、理科室でキス(1983.7月:川原青年20才の作品)




理科室のガイコツ懐かしいですね~

・夢見る年頃~36/38≒95(1983.8月:川原青年21才の作品)



夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第3位。

・野球大会(1983.8月:川原青年21才の作品)



先生の書くドラえもんは丸くない!

・クリスマス・イブ(1983.8月:川原青年21才の作品)



夢の絵の中で1番かっこいい絵だと思います。

・恋人峠の昼下がりPart.2(1983.9月:川原青年21才の作品)



夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第1位。

・すっかりトロピカル(1985.7月:川原青年22才の作品)



陽気な感じと南国な感じが夏にピッタリの絵です。

・明日のイブはRC(1985.12月:川原青年23才の作品)




8時42分に何が起こったんでしょう。

・オキドキの古着で遊園(1986.5月:川原青年23才の作品)



ベレー帽といえば赤です。これもしかして塗り途中かもです・・・。
(それを完成)


「オキドキ」って川原先生はお店の名前と言っていましたが、私はマリオが思い浮かびます。

・直ちゃん(1987.6月:川原青年24才の作品)



これは塗りやすい絵だったんですが、サインペンで色を塗るのは難しくて、
色鉛筆にすぐに戻しました。

・Hanesの白のTシャツに血を滴らせてしまった(1987.6月:川原青年24才の作品)



私も白い服にシミができた時こんな顔します。

・元・日本軍の男と、ユキヒョウ(1987.7月:川原青年24才の作品)



「ユキヒョウはどこにいるんですか?」と塗っている時に不思議でしょうがなかった絵。

・大船観音がくずれた(1987.7月:川原青年24才の作品)



観音様のお顔だと気づかず、先生に言われて気づき塗り足しました。

・みつけてくれたらキスしてあげる(1987.7月:川原青年24才の作品)



真ん中の子にと左の子にかわいさをプラスしました。気づきましたか?

・甘くて冷たいアイスクリーム・ベイビー(1987.7月:川原青年24才の作品)



この絵のタイトルを知らない人から「31アイスみたいだね」と言われ
塗り絵レベルが上がったと実感し嬉しくなりました。

・気がつけば兵隊(1987.7月:川原青年24才の作品)



みんなの表情がいい。

・眠れ。ライオネル・リッチーの墓の上(1987.7月:川原青年24才の作品)



どんな色で塗っていいかもわからなくなってしまった絵。

・スタン・バイ・ミー(1987.8月:川原青年25才の作品)



暑い日は海辺でのんびり、いいですよね。

・ニース予想図(1987.8月:川原青年25才の作品)



ニースってフランスのニースですかね?噴水あるんですか?

・アイスもハシャいでる、僕は日焼け(1987.8月:川原青年25才の作品)



また、アイス!後ろの2人は羨ましがってるのかな。

・ダチョウ(クジャク)ともも焼き(1987.8月:川原青年25才の作品)



ダチョウ(くじゃく)って全然違う鳥だけど・・・

・僕は照れる(1987.8月:川原青年25才の作品)



川原先生はいったい何に照れたのか?

・新宿地下の靴専門店(1987.8月:川原青年25才の作品)



この失明者用の靴は指の先が触覚の様に動くと先生が説明してくれました。

・過ぎ行く夏を惜しんで~絵を描く2人の少女(1987.9月:川原青年25才の作品)



最初に先生が少しだけ色を塗っている絵は色を塗るのがラクです。

・念力(1987.9月:川原青年25才の作品)



念力は見えないから何色にしようか迷いました。

・さっきまでの競争のつづきだ(1987.9月:川原青年25才の作品)



人を緑色で塗ったらハルクみたいにみえますね。

・渡り廊下の窓から連中が手を振る(1987.9月:川原青年25才の作品)


渡り廊下だと気付かず、カラフルにしてしまいました。
ちなみにこの絵左側にいるのは川原先生で
研修?授業?かなにかをさぼって帰るところのだそうです。
手に持っているのは白衣だと言っていたのですが、
私には抱き枕かぬいぐるみに見えました。

・脳外科はじまる(1987.9月:川原青年25才の作品)



これは一体何でしょう???

・お前はストーブの前でのびていた。あくびしかしなかった(1987.9月:川原青年25才の作品)



これ、色を塗っていたらよく分からないパーツがあって、そこだけ着色しませんでした。

・聴神経腫?すぐに手術(1987.10月:川原青年25才の作品)



わかめ・・・

・宙に浮く機械(1987.10月:川原青年25才の作品)




宙に浮く機械!夢っぽいですね。

・すいみんやくが欲しい(1987.10月:川原青年25才の作品)



夢の展覧会の絵の中で私が気に入っている第2位。

・明るく生きるコト(1987.10月:川原青年25才の作品)



川原先生はカラフルなボーダーが好きらしいです。

・サンボのジャケット(1988.7月:川原青年25才の作品)



サンボってなんですか?っと聞いたら格闘技の雑誌を川原先生が見せてくれました。

・オバQが正ちゃんのクラスの記念写真に写ってしまった。皮膚科テスト、60点。(1988.7月:川原青年25才の作品)




記念写真にオバQ写ってたらおもしろいですよね。

・ウサギに乗って空を飛ぶ(1988.12月:川原青年26才の作品)



いい夢ですね~。ウサギに乗ったらもふもふなのか。

・うその固まり(1989.1月:川原青年26才の作品)



「きみだけに話すんだけど・・・」て誰かに話すと皆に知られていた小学生の時を思い出しました。

・すべては幻想である(1989.1月:川原青年26才の作品)



ヒョーロン家が怪しい。

・柔道(着)一直線!激しい視線の火花が散る(1989.4月:川原青年26才の作品)



三角関係ですかね!!!

・世代交代の口約束(1995.3月:川原中年32才の作品)



先生の描く力士はなんだか可愛い。

・2002.8月6日からの夢日記の表紙:先生不惑の40才の作品



この夢の絵に色づけするとき『これは何だろ?、川原先生の夢だからこんな色でもいいかな』と、
タイトルを教えてもらうまで何の絵かも分からなかったり、
普段の私だったら使わないような色で塗ってみたりという絵がたくさんありました。
自分じゃない誰かの絵を塗るのって面白いですよね。
それが川原先生の描いたなんか可愛くて奇妙な夢の絵だからもっと面白い。
何ヶ月かのあいだ、受付業務の合い間のちょっとした楽しみの1つでした。
川原先生が最初にかいていましたが、この夢の絵の中には
私より若い頃の先生が描いた絵もあるんですよ・・・。
なんだか不思議な気分になりますね。
BGM.OH MY GIRL「Coloring Book」