お寝坊さん

9/Ⅸ.(水)2020 はれ 志村けん、浅草芸能大賞の特別功労賞。

先日、洗濯物を出したら、靴下が片っぽない、と言われたのですが、どこを探しても見つかりませんでした。僕はほぼ毎週、日曜日、近所のイタリアンに行きます。昼から飲める店だからです。すると、 店の女の子から、「これ、忘れ物です」、とビニール袋に入れた片っぽの靴下をもらいました。↓。


まるで、検察が発表する、犯人が所持してた違法薬物の証拠品みたいですね。

僕は大抵、この店で、ワイン2本はあけて、記憶をなくして帰ってきます。だから店の人も慣れっこです。さて、お酒もほどほどが大事です。さまないと、重要な用事に寝坊するかもしれないからです。そんな訳で、今日は寝坊の話を3件します。

まずは、10年前の記事から。↓。

 

5/ⅩⅡ.(日)2010 まさかの…
今日は、しょこたんのファンクラブ限定のバスツアー。この日を、楽しみにしていた。

室内履きを用意しろ、と言われたので大岡山北口商店街で小学校用の上履きも買った。↓。
名前も書いた。↓↓。



前の晩、もらった芋焼酎「赤兎馬」を、柳家三亀松の都々逸を聴きながら呑んで空けたら、まさかの寝坊で不参加。ショックで、一日寝ていた。

それを知ってか知らずか、徳田さんが、「吉田さんって、ショコタンに似てませんか?」と問題発言をぶちかました。絶句する僕に、徳田さんは、「いやっ、ちょっとした表情とか、…仕草とかが…。ね…。(汗)。」ってとりつくろった。
一方の吉田さんには、「徳田さんとショコタンって似てると思うんですけどぉ」とすえ恐ろしいことを言われてしまった。
まるで、2人で「ショコタン」をなすりつけ合ってるみたいだ。何じゃ、ソリャ?。
下は、今週のお花。↓。ひまわり同士が、「あなたの方が似てるわよ」と譲り合ってるように見えるのは、猛暑のせいか?。


「中川翔子バスツアー」、まさかの寝坊で不参加のショック以来、ファンクラブ「ギザぴんく!」の会費を滞納していたため、ファンクラブからお知らせが来なくなり、ライブのチケットもとれなくなった。そう岡田さんにこぼしたら、「先生は、もうショコタンのことを好きではないんですよ!」と、まるでFBI心理分析官のような鋭いまなざしと口調で断定されてしまった。何じゃ、ソリャ?。

 

ついで、2年半後の記事。↓。

 

26/Ⅱ.(火)2013 曇り
先週の土曜の外来をいつもより早く終わらせたのは、翌日に「しょこたんバス・ツアー」があるからという理由ではなくて、その日の夕方から漢方薬の研究会があるからでした。それに参加するため。ところが、土曜日の外来は混雑して、皆さんには早く来ていただいていたのに、長くお待たせしてしまいましたね。すみません。
僕もお昼休みなしのノン・ストップ外来でやったのですが、研究会には間に合わない時間になってしまいました。
徳田さんも6時でカウンセリングが終わりだったので、僕らは遅番の天明さんと3人でご飯を食べに行くことにしました。
普段の土曜日より2時間も早いあがりです。商店街の空もまだ夕方の空です。僕らは、少し得した気分で、肉食になりました。
自由ヶ丘に、「焼肉ハンター」という勇ましい名前の店があり、大岡山からはそこが近いし、美味しいのでそこに行きました。
僕らは、3人で、タンやカルビやハラミやロースを2皿づつくらい食べて、ビールやマッコリや黒烏龍茶を各々、飲みました。
スタートが早いから余裕しゃくしゃくで、一週間の終りが、こんな感じでお疲れ様会みたいになって、皆、喜びました。
僕らは、少し調子に乗っていて、余裕しゃくしゃくが裏目に出て、誰も腕時計をしていなくて、誰も時間を気にしなくて、
おまけに「焼肉ハンター」が遅くまで開いてる店だから、何かの拍子に、「今、何時?」と一斉に携帯orスマホを見たら、午前の1時1分でした。
もう終電もなくなっていました。
女性をこんな遅くまで引き止めてしまったのは申し訳なく思ったのですが、
2人は僕の明日の「しょこたんバス・ツアー」を心配してくれました。
東京駅7時15分集合だと、耳にタコが出来るほど、聞かされていたからでしょうね。
自由ヶ丘は、開けた街なのですぐにタクシーは拾え、2人を車に乗せてから僕は悩みました。
6時に家を出るとして、あと5時間、ここで仮眠をとるか徹夜で行くか。
しょこたんのイベントは体力勝負だ、徹夜では無理だ。
携帯のアラームの他、家にある目覚まし時計をあるだけかき集めてかけたけれど、一昨年の悪夢が再来、翌日、目が醒めたらお昼の11時だった。
携帯の着信履歴には、「しょこたんバス・ツアー」の係りの方から、4件の電話をもらっていた。
7時15分集合なのに、最後の着信は7時45分で、バスは僕のことを30分も待っていてくれたのだ。
「しょこたんファン・クラブ」はやさしいですね。
そして、もしこの記事を見てて、バス・ツアーに参加した方がいたら、すみません、出発を遅らせたのは僕のせいです。
迷惑かけてしまいましたね、申し訳ないです。
翌日にメールのやりとり、2人とも無事帰れたと確認し安心、2人は僕のバスツアー不参加の報を聞いて残念がっていました。
しかし、「焼肉ハンター」に6時間近くいたことには一同、ビックリ。今度は営業時間を確認して入ろうと学習しました。
言い忘れましたが、「漢方薬の研究会」関係の方、急に行けなくてすみませんでした。
しかし、今回は結構マッコリを呑んだのですが、乾杯の前と寝る前に「五苓散」を飲んでたら、まったく二日酔いしませんでした。
今までに二日酔い予防には色んなドリンク剤などを試しましたが、「五苓散」が断トツで効きますね。
念のために、翌朝にも飲むと、より効果的ですね。※効果は個人的な感想です※
下が、時間も忘れる自由ヶ丘「焼肉ハンター」。牛一頭買い!!、だって。↓。

 

3発目は6年前ですね。↓。

 

18/Ⅴ.(日) 2014 晴れ
お陰様で、学会、終わりました。
本番は朝9時からだが、シンポジストは朝8時半に集合。これは、絶対、寝坊すると思ったので、徹夜して行くことにした。
いざ徹夜すると決めると、時間がいっぱいあったので、演目を8題、作った。
朝、6時にクリニックから自宅に帰り、シャワーを浴びて、学会用の衣装に着替える。
自宅の浴室の鏡に映して撮影してみた。
紺と赤のストライプのセットアップのスーツに、ネイビーのTシャツの柄は、写真では判りにくいが、若い頃のミック・ジャガー。
靴下もストーンズの柄にした。鞄は、赤。↓。


靴は、中のTシャツと合わせて、水色。キラキラしたものが、散りばめてある。↓。


会場には僕が1番乗りだった。
どこが受付かも判らないから、直接、会場の前で待った。
しばらくすると、司会の先生とシンポジストの先生2人が現われた。皆、友好的な人で良かった。
1人の先生は、以前に何かの研修会で一緒になったことがあるらしい。そう言われると、思い出した。
僕は、初めて人と会う時は、一応、臨戦態勢で行く。でも、その必要はなさそうだったので、すぐ解除した。
発表の順番は、「年の順」にした。僕は、2番目。
僕はそこで3人が首から名札をしてるのに、気付き、僕より若い先生に、<それ、どこで貰ったの?>と聞いた。
すると、その若い先生は、「あれ?送られて来ませんでした?」。<いや>。
「ひょっとして申し込みしましたか?」と若い先生。<申し込みって何?>と俺。
「学会に登録しました?」。<知らない>。
「学会参加費は?」。<まずい?>。
ちょっと間があって、若い先生は「ま、いいでしょ」と苦笑。俺もつられて、<ま、いいや>と笑った。
司会の先生が、シンポジウムの趣旨を話、僕ら3人を紹介し、スタート。ちなみに、2人の先生は、パワーポイントを使ってた。
僕は本番では、原稿を読まない。アドリブで喋る。一応、前もって、原稿を作って、それを頭に叩き込みはする。
でも、本番中にはそれを見ない。その場で頭に浮かんで来た事を話す。その方が活きた言葉になる。
だから、話が脱線したり、飛んだりするが、原稿にはない、その場で思いついたことも話すので、僕の発表は臨場感がある。そして、僕は思ったのだが、もし急な停電が起きたとしても、発表のクオリティーに変化が出ないのは僕だけだ。

やっと、開放~!
さて、まだ油断は出来ない。昨日は徹夜だから、ここで仮眠したらアウトだ。
そこで、僕は寿司屋に行き、きゃりーちゃんのライブの時間まで一杯やることにする。
店主が「良い天気ですね~」と言うので、<朝から、学会発表だったんだ>と言うと、「それはご苦労様」と労ってくれる。
刺身や焼き魚を食べながら冷酒を3~4本、呑んだまでは覚えてる。
僕は、そのまま、店のカウンターで、居眠りをしてしまった。
ハッと、目を覚ましたら、時計の針は、午後4時を回っていた。きゃりーちゃんのライブの開演時間だ。
起こせよ、寿司屋!

以上、お寝坊×3、でした。


さ学閉校~舞浜に連れてってあげる。

2/Ⅸ.(水)2020 はれ、お昼にゲリラ豪雨 台風10号、昨年15号より強い恐れ

加山雄三が小脳出血で救急搬送され治療中だ。意識はあるという。昔、「昭和の爆笑王」林家三平が、倒れた時、救急隊に意識を確認されるため、「お名前は?」と聞かれた時に、「加山雄三です」と答えたというエピソードは有名だ。加山雄三も名前を聞かれたら、「加山雄三です」って答えるのかな?加山雄三って、上原謙の息子だから、きっと芸名のはず。そんな時は、本名を言うのかな?立川談志は病院で、「松岡さん(談志の本名)」と呼ばれても、腕組みして返事をしなかったときく。「おれは談志だ」って言ってたらしい。芸人はこうあって欲しい。是非、加山雄三も「加山雄三」と答えていて欲しいものだ。同様に、タモリも「森田一義です」などと言わずに「タモリです」と答えて欲しい。さんま、も。だからと言って、こぶ平あたりに、「林家正蔵です」などと威張られても困るのだが…。

そんなことはどうでもいいが、皆さん、大変です。2010年から、成長期限定ユニットとして活動をしてきた さくら学院が、2021年8月31日を持って閉校することを発表しました。コロナはこの世から色々な大切な物を奪って行きます。今日はそんな無念さを皆さんと共有するため、さくら学院際のレビューを編集して再録しますね。さ学、とは、さくら学院の略称です。4年前の記事です。↓。

 

13/ⅩⅠ.(日)2016 今日は舞浜
クリニックは今、カードキャプターさくらフェア展開中です。↓。


さくら、と言っても、さくら違い、今日は、さくら学院の文化祭に行ってきました。舞浜アンフィシアター。

会場の舞浜アンフィシアターは、東京ディズニーランドのエリア内にあるイクスピアリの中にあります。さて、舞浜アンフィシアターに行ったことのない方やこれから行く人に行き方を教えてあげましょう。
まずは、舞浜駅で降ります。左手に、イクスピアリがあります。↓。


右手の方に行くと、クロックスがあります。その右方向に階段があるので、そこを降ります。↓。


すると大きな通りに出ます。そこを左に。アンバサダーホテルの方に進みます。↓。


進行方向左手に、アンバサダーホテルがあります。花壇が綺麗です。↓。


アンバサダーホテルの入口。薄ピンクのお花が、ミッキーの形に植えられています。↓。


そこを越えると、左手に見える白い屋根のドームが、舞浜アンフィシアターです。↓。

ここは、しょこたんの30才のバースディをやった僕にとっては聖地です。
円形のコロシアムで、どこからでも見やすいです。
僕は、しょこたんの4公演を(2日間2公演づつ)別の席から観てるので実証済みです。
そんな僕の席は、A2列。しょこたんの時もそうでしたが、1列目には人を入れないので「2列」というのは最前列。
日頃の行いが良いのだ。運はこういう所で使いたいものだ。↓。


さくら学院のライブはスタンディングは禁止。皆、着席したまま応援用のフラッグを振る。下が、フラッグ。↓。


僕は最前列だから一生懸命に旗を振ろう。
こないだ友人(女)が好きなアーティスト(男)のライブへ行ったら最前列だったそうだ。
彼女はレアなグッズやTシャツで完全装備して行って一心不乱に応援したら、それにエキサイトしたアーティストが、ステージ上から手を伸ばして彼女の頭を抱えてギュッと自分の胸に抱き寄せてくれた、という話を聞いたばかりだ。
あわよくば僕も同じ目に…?
さくら学院のステージはメンバーが動き回るから、全員のメンバーが交代で目の前に来てパフォーマンスをしてくれる。
外タレのコンサートなどでは座った席運で、「ずっとベーシストしか見えない」なんて悲劇もあるが、それがない。
至近距離で全員のメンバーを観たのだが、中でも、さすが、倉島 颯良、と、岡田 愛、のオーラは別格だった。
彼女らはステージ上からのぞきこむような姿勢でこちらを見て、目と目が合ったら、ニコリと微笑む。
手を伸ばせば届きそうな距離だ。嬉しさ(?)を通り越した。と・ま・ど・い。ドキドキ。
少女には無条件に「正義」があるらしく、彼女らは絶対的な自信を持っている。正直、ちょっと怖かった。
山道で熊に遭遇したら、下に逃げるのではなく、上に登れという。
そうすると熊より目線が上になり、熊は自分より大きいと勘違いして逃げて行くそうだ。
そんなエピソードを思い出して、後日、大平さんに話したら、「じゃ、センセーが、熊ですか?」と笑われた。
スタンディングは禁止、にはそういう効果もありそうだ。
太宰治の「女生徒」の一節ではないが、もしこの中から誰か一人を選んで結婚しなくてはならない、としたら…、
などと考えたら、僕は、新谷 ゆづみ、にします。
彼女は僕の好みの風貌で、かつ、前に立たれても心に非侵襲的だったからです。
下は、当日の販売グッズの生写真。左から、2番目が、新谷 ゆづみ。↓。


さくら学院祭、のオープニングは、まさかの夏にやった舞台「秋桜(しゅうおう)学園合唱部」のパロディの寸劇で始まりました。
これは、さくら学院の制服ではなく、セーラー服だから新鮮です。
11月3日にDVDが発売されていますが、今は売り切れで追加生産中です。
秋桜学園は、人里離れた田舎にある由緒正しいお嬢さん学校で、規律の厳しい寮生活を送っています。
そこに破天荒な少女が転校してから巻き起こるドラマで、「イジメ」が原因で廃校の危機にある学校を、女生徒達が合唱部を立ち上げ、コンクールを勝ち進むことで学校を救うというストーリーです。
僕はこの舞台を観た時、映画「野のユリ」を思い出しました。
「野のユリ」は母が好きな映画で、子供の頃、何度も何度もテレビの洋画劇場で放映されていました。その都度、母は、「野のユリ」は良い映画ねぇ、と感嘆していました。

文化祭は、寸劇で始まり、歌もあり。中でも、面白かったのは、「さくらデミー女優賞」。
6人のメンバーがエントリーされていて、ラブコメっぽいシチュエーションに合わせて、男がグッと来るセリフを(女でも可)各自が考えて、女優になりきってセリフを言う大喜利風の好評企画だ。
ちなみに男役のセリフは会場の観客が全員で声を揃えて(揃わない)担当する全員参加型。
お題のシチュエーションは、
ヤンキーにからまれてるところを先輩が助けてくれる。ところが先輩はヤンキーにボコボコにされる。
そこに駆け寄って、「センパイなんでそんなに無茶をするんですか?」とメンバーが言う。
すると先輩(観客)が、<それは、俺はお前のことが、す…す…なんでもねぇよ>と答える。
ここまでがシナリオ。
それを受けて、どんな歯の浮くようなフレーズを言うかを競い合うのだ。
そこで何が面白かったかと言うと、コンテストの形式をとっているから、一人づつが前に出て演じる時に、
残りのメンバーは後ろで待機して、順番の子のセリフを聞いているのである。
僕は席がステージに近かったので、センターで演じてる子より、残りの5人のリアクションがよく見えた。
後ろに控えてる彼女たちは、「off」で、スクリーンにも、セリフを言う順番の子のアップしか映らない。
つまり、後ろの彼女らの「素の顔」が見えたのだ。
それは、たとえば、ある者は「キャー」って叫んで嬉々として両手で自分の頭を抑える、とか、
ある者は、凍えるように自分で自分を抱きしめるようなポーズで目を閉じたまま俯いて顔を左右に振る、とか、
ある者は隣の者と手を取り合って地団駄を踏む、とか、
ある者は幼稚園のお遊戯の小鳥のダンスのように両手を羽の様にして、チュンチュンと飛び跳ねる、とか。
しかし、彼女らは、アイドルだ。
だからファンに見られてることを意識してステージに上がってる訳だから、その時点で「素」とは言えない、とも言える。
しかし、そこは反論したい。
お笑い芸人の誰かが(フジモン?)、アイドル全盛期の小倉優子のことを回想して、こんなエピソードを言っていた。
それは公開番組の収録で、お笑い芸人が下ネタを言ったら、小倉優子は大笑いしたのだが、カメラが小倉優子の顔をとらえた瞬間に、不機嫌そうな表情に切り替えたそうで、そのタイミングがバッチリで、
「この子は、プロやわぁ」と思ったそうだ。
そんな、「公開番組の収録中に小倉優子が下ネタで笑う」、を「素」だとカウント出来るのなら、
さくらデミー女優賞のこの子らのリアクションも同じ次元のものとして「素」と呼んでも許されるのではないだろうか?
つまり何を言いたいかと言うと、「素」の顔が見れて良かった、というお話でした。

BGM. さくら学院「目指せ!スーパーレディー」 私立秋桜学園ver.


濁音と半濁音の日々~おフランスへ連れてってあげるざんす。

26/Ⅷ.(水)2020 はれ フランス人権宣言記念日。爆笑問題・田中コロナ陽性。

おそ松さんのアニメ3期が10月に決まったのは嬉しいことだ。初期設定では、イヤミはフランスに行ったことがない。そんなイヤミに変わっておフランスへ連れてってあげるざんす、という企画です。まずは髪型から、パリ人に舐められないように、美容師さんと相談してフランス人形風にしました。↓。


美容師さんのアイデアで、髪色には、少しプラチナを混ぜて、完成。↓。

2013年の夏休み。そもそも僕は、この夏は北海道に行きたかった。「カシオペア」という豪華寝台車に乗りたかったのだ。
しかし、これは賛同が得られず、代りに提出された代替案が、「パリ」であった。
パリなら、絵画鑑賞も興味があるし、「地下鉄のザジ」も好きな映画だから、その話に乗った。現地について、僕が、「美術館は何日目?」、と聞くと、
「美術館?寺院じゃない?」との答え。
僕が、「地下鉄も見たいな」、と言うと、
「地下鉄?レンタルサイクルじゃない?」と返ってくる。
おかしいな、何か話が噛み合わないぞ、と思って、よくよく聞くと、
旅先は、「パリ」じゃなくて、「バリ」だってよ。
「゛」と「゜」、聞き間違えた。
と言う訳で、早とちりはいけませんね、という教訓でした。フランスじゃなくて、バリ島だって。「リゾートだよ」って念を押された。
それはそれで結構な話だが、フランス人形の髪型、無駄じゃん!

バリは飛行機で6時間、時差が1時間だそうだ。

この旅は、僕と女性2人の3人旅。
スポンサーが僕で、向こうでの工程は女子まかせ。
2泊を山で、2泊を海で過ごすスケジュール。
空港からバスで1時間、山の中のこじんまりとしたホテルだが、一人一人に面倒見が良い。
ホテルは街のようになっていて、道のそこかしこに、花のお供えがある。↓。


ホテルの中はバギーで移動する。お部屋は一軒家のようだ。↓。


プールもついている客室で、ここでのんびり読書も出来た。↓。


朝は、朝食専用のレストランへ。↓。
女性陣が言うには、「虫対策が良い」のもこのホテルの決め手のポイントだったそうだ。


初日は、あらかじめ予約しておいたスパへ。スパから車がお出迎え。
エクスポのために作ったという海を渡る橋は、まだ無料らしく、1月から有料通りになるそうだ。
片道2車線&バイク専用2車線の計4車線からなり、車道とバイク道が完璧なコンクリートの壁で仕切られていた。
そう言えば、至る所に、「APEC2013、インドネシア」と書かれた旗やのぼりが飾られていた。
スパのメニューは、ボディ・フェイシャル・クリームバス・シロダーラ。
下は、スパ後のミーゴレン。ケチャップで「TATSUJI」と書かれてある。↓。


その後、ホテルに戻り、アフタヌーン・ティー。夜は、川沿いのレストランで。
この川には近所の人がよく沐浴に来るらしく、地元の生活が垣間見れるスポットらしい。
翌日は、ウブドの町まで買い物。ウブドは離れているから、ホテルの車で送迎してもらう。
つまり、ここのホテルはそのくらい観光地ではなく、ゆっくり出来る場所にあった。
案外、バリでは、海より山を好む人も多いらしい。
ウブドまで、車で移動中、犬やニワトリが放し飼いの光景がよく見えた。
犬は放し飼いだが、猫のように大人しい。
ニワトリも、放し飼いだが、きっと食用にしないのかな、皆、やせていた。
ウブドの町でまず日よけようにストロー・ハットを買って、被って観光した。
下は、ウブドで気になった石のカエルの像。↓。


これは、店先に飾ってあった鳥篭。↓。


僕は寝釈迦のポーズが気に入っていて、色んな寝釈迦のポーズをクリニックの受付に飾ってある。
どうして僕が寝釈迦のポーズを気に入ってるかと言うと、それは「悟り」や「反抗」や「満足」や「怠惰」や「挑発」や「お色気」を
同時に発信する記号だからです。
ウブドの店で銀色の寝釈迦像を見つけた。これは「みやげ物」というより「骨董品」のようだった。
僕は店員にこれをくれと言うと、店員は真面目な顔で「これを置く場所は自分の目線より上じゃなくてはダメだ」と言う。
クリニックの受付カウンターは目線より下だ。それじゃダメ?って聞くと、「ダメだ」と言う。
不敬罪みたいなニュアンスなのかな。こういう観光地なのに売りつけようとせず、信仰を大切にするのは立派なことだと思う。
僕は店員に判ったよ、と笑顔で答えると、彼も笑顔で手を振り、その銀の寝釈迦を地べたに置いた。
何だよ!お前!言ってることとやってること違うじゃん!
後の2日は、海のホテルに移動。
そこはよそから押し売りとかが入って来ないような標高の高いところにホテルがある。
着くと、ロビーで木琴のようなものを連弾して演奏されていた。これが、その楽器。↓。


海も押し売りが入って来れないようにしてあるから、ガラガラ。↓。


バリ島のこの時期の温度は22~33度で、28度くらいが丁度良いらしい。
僕は足の先っぽだけ波にひたして。せっかくだから、ビーチの雰囲気だけ。椰子の木。↓。


僕らは、この後すぐ、アフタヌーン・ティーのためだけに、ブルガリ・ホテルに移動。
ブルガリ・ホテルのアフタヌーン・ティーは有名らしいが、そのあたりには何も無く、道もガタゴトで30分かかった。
昼過ぎに制服を着て歩いてる子が多いので聞いてみると、バリでは学校は7時から12時半くらいなのだそうだ。
学校は土曜日もあり、日曜だけが休みらしい。
バリの人の給料は安くて、大学の学費は高いらしい。
お金持ちの人はオーストラリアの大学に行くらしい。
バリの産業は観光だから、英語が出来ないとダメらしい。僕は英語が苦手だから、バリではダメだな。
バリには観光大学や踊りの学校があるらしく、ホテルやレストランで勤める人は観光大学を出るらしい。
踊りの大学は、バロン・ダンスとケチャック・ダンスに分かれているらしく、僕らはアフタヌーン・ティーの後、ケチャを見る予定。
しかし、ブルガリ・ホテルまでは遠い。途中、農地に牛がいた。
バリの牛は、田畑を耕すためだけの家畜だそうで、ミルクもとれない。
宗教上の理由で食用にはしないから、食べる時は、他の島に渡す。他の島とは、イスラム教のことだって。
ヒンドゥー教は、牛を食べないが、豚は許すらしい。
イスラム教は、豚は食べないが、牛は食べるらしい。
そうこうしてるうちに、散髪屋があったりして。男の子は、100~120円くらいが相場だそうだ。
やっと、ブルガリ・ホテルに着いた。
ホテルに入るときのチェックが厳しい。
警察官が黒い犬を連れていて、犬が車の周りやトランクの中の匂いを嗅いで回る。
アヘンの取り締まりに厳しいそうだ。特にこういうホテルは、厳重。
さっき難しい宗教上の食べ物の戒律を説明したが、レストランは関係なく観光客向けに、牛も出すそうだ。
最近では、若い人も食べるようになってきたそうで。
ただし、僧侶は、牛は食べないらしい。
そして、僧侶は、ニワトリも食べない。
だけど、僧侶は、アヒルは食べる。
さらに、僧侶は、アヒルの餌までチェックするらしい。
下が、ブルガリ・アフタヌーン・ティーの一部。エビ。↓。


これが、アイスとスコーン。↓。


夜は寺院に、ケチャック・ダンスを観に行く。6時から開始だが、5時半くらいに行かないと席がとれない。
ケチャック・ダンスは楽器を使わない古いダンスで、ダンサーが声だけで「ケ」「チャキチャキ」と節をとる。
物語は、白猿ハヌマーンとかが登場していたシンプルな筋だ。
この寺院には猿が多く、いたずらで、帽子をとるので気をつけるように看板があった。
僕は、席についてからも、帽子を手で押さえていたら、後ろの席の、西洋人の夫人に「ソーリー」と声をかけられた。
投影法の心理テストで「P-Fスタディ」というのがあるのを皆さんはご存知かしら。
フラストレーションが溜まる場面の1コマ漫画に吹き出しがあり、そこに「せりふ」を書くテストだ。
「時計じかけのオレンジ」の最後の方にも出てくるから、それで思い出す人もいるかもしれませんね。
つまり、何を言いたいかと言うと、そのテストの1つに前の客が大きな帽子を被ってて、観づらいという場面があって。
外人ってこういう時に普通に礼儀正しく「ソーリー」って言えるんだな、って思って。
日本人だとギリギリまで我慢して、最後の最後に喧嘩腰になる、ってパターンが多くないか。
そんなことはないか。俺だけか。失礼しました。下が、僕が被ってた帽子。今は診察室で、唯ちゃんの頭上に。↓。


寺院からは、石の先端、が見え、ここにジャワ島から昔、坊主が来たとか来ないとか。
由緒正しいそうです。↓。

岬から見下ろす海はインド洋です。↓。


ケチャック・ダンスは、こんな風にまず、司祭が出てきて、火をくべて始まります。↓。

男達が上半身裸で、「ケ」「チャキチャキ」と言いながら出てきます。↓。


ケチャの踊りです。お客の半数は日本人だそうで。中国人や韓国人はバリの踊りは観ないそうで。↓。


これがクライマックス、炎の中にいるのが、ハヌマーン。
ハヌマーンは、客席にも入って行っちゃう愛嬌者で、マチャアキや加藤茶ンを彷彿とさせました。
だから、日本人受けするのかな。↓。


ここの入場料は踊り子には行かないそうで、全額、村と寺院のためになるそうです。
彼らは、お祭りの時のためにケチャック・ダンスをするそうです。朝は働いて夜はケチャック。
ケチャック・ダンスは、学校でも教えるそうで、バリ島は6月に文化フェスティバルがあり、学校も休みになるらしい。
国をあげてのイベントですね。
日本からは歌舞伎と和太鼓が参加したらしい。
そう言えば、BELLRING少女ハートの「みずほ」の特技が「けん玉と和太鼓」ではないか。
ベルハー(BELLRING少女ハートの略)も6月の文化フェスに日本のサブカル代表として、アイドル枠で行ったらどうか。
みずほ、和太鼓、出来るし。それに、そもそもケチャって、オタ芸でもあるよね。
ベルハーと「オタさん」(BELLRING少女ハートのファンのこと)で大挙、海外進出したらどうだろうか。
BABYMETALに負けるな!
話が脱線してしまいましたね。脱線ついでに、下が、みずほ(BELLRING少女ハート)。↓。


ケチャック・ダンスのお芝居のおしまいに近づき、夕陽が落ちてきます。↓。


僕らはその後、「バリ・コレクション」に行きました。
バリ・コレクションは、ウブドに比べると値段が高く(同じものがビックリする値段で売ってます)旅行者はもっぱら、
買い物はウブドでして、バリ・コレクションはレストランに使うそうです。
僕らの旅は、僕と女性2人の3人旅でしたが、バスを間違えて深夜に違うホテルに着いてしまいました。
そして、やっとタクシーを見つけて、目的地まで帰ったのは良いのですが、タクシー代をボラレました。
何って説明すれば判るかな?
つまり、お札を間違えたのです。
日本円に置き換えてみます。
たとえば、「2000円」と言われたので、「1万円札」を1枚出しました。
すると、タクシーの運転手は、「2ですよ」と答えました。
なので、もう1枚「1万円札」を出したら、タクシーの運転手は、サッと顔色が変わり、急発進して去って行きました。
だから、正確に言うとボラレたのではないのです。こっちのミスです。
でも、日本人のタクシー運転手さんは、そういうことをしないよな。
あいつ、慌てて車をすっ飛ばして行ったから、帰りに事故にでも遭ってないかな。
僕はちょっと悔しかったので、部屋に戻ってから、即興の呪いのおまじないを、ケチャ風に踊ってみました。
翌朝、ホテルのロビーに行き、<昨日の深夜、タクシーの事故、なかった?>って聞いたら、知り合いが事故に遭ったと勘違いされ、
ホテルのロビーは大騒ぎ。色んな所に電話したりして。幸い、事故はなかったそうです。
後で、検証したら、3人とも、間違いに気付いていました。
でも、各々が、誰かが、どうにかするだろうと思っていて。
海外などで危機的な状況になったら、取り敢えず、リーダーシップをとる、というのが今回の教訓でした。
バリ島の町には犬がたくさんいて、放し飼いで、朝、放つと夕方に家に帰って来るらしい。散歩させないでいいから楽だね。
昔、バリで狂犬病が流行ったらしく、それ以来、首輪のついた犬は1ヶ月に一回注射をして、そうでない犬は銃で殺すそうで。
狂犬病で観光客が来なくなったら、バリの人は仕事がなくなってしまうからだそうで。
僕は特別、動物愛護精神に敏感ではないから、仕方ないんだろうな、と思う。
だけど、もし本当に観光で食っている自覚があるなら、一人のタクシーの運転手の意識から改めるべきだと思う。
犬を銃で撃ち殺すように簡単にはいかないだろうけれどね。
俺は、もう絶対、「バリ・コレクション」には行かないからな。でも、ま、山は行ってもいいかな。

BGM.BELLRING少女ハート「ライスとチューニング」


プラス台風になったらどうなるの?~高木神社へ連れてってあげる。

22/Ⅷ.(土)2020 台風8号発生。 周近平、「食べ物を粗末にするな」、大食い禁止の重要指示。

志村けん「イズム」を貫く、金曜日の女・磯山さやかが、昨日のラジオ・ビバリー昼ズ、で、「香水」の歌詞の、ドルチェ&ガッパーナ、から、ガッパーナを擬人化して物真似。磯山は松村とのタッグで林家ペー&パー子の物真似もすることから、高田文夫に林家パー子と引っ掛けて「林家ガッパーナ」と命名された。今後、注目されるのは、爆笑問題・太田がサンジャポで、フワちゃんがゲストに来た時、生放送でフワちゃんに向って、「磯山!ガッパーナ、やって」と無茶振りして、フワちゃんを困惑させる図だ。ほとんど誰もわからない、フワちゃん=磯山、ネタの新展開に期待が膨らむ。

コロナと熱中症のニュースで大変なところへさらに去年並みの台風でも来たらどうなるのだろう?心配である。だけど心配ばかりしてても仕方ないから、フワちゃんをからかう爆笑・太田のように、からかい上手の高木さん、の特集にしました。高木さん、は先日コミックス14巻、と、スピンオフ「からかい上手の(元)高木さん、の9巻10巻が同時発売されたところ。それでは行きましょう!

 

・まずは、うかいさんの記事、「からかい上手の高木さん」から、一部、抜粋。↓。

こんにちは。受付うかいです。カワクリでは、【からかい上手の高木さん】第二次ブームが到来中です。受付は誰一人として原作もアニメも見ていないのですが、先生が色々な高木さん情報をくれるので、愛着が湧いてしまいました。とっても可愛い高木さんが川クリに増えたので、ご紹介しますね。まずは診察室から。

高木さんのタペストリーが2つ仲間入り。もともとあった大きいサイズのタペストリーは、仲間入りした二つのバランスを考えて少し下げました。前はもう少しだけ上に掛けていて「タペストリーをちらっと見たときに高木さんと頭の位置が合うように」という理由だったのを私が知ったのはつい最近です。
近くによるとこんな感じです。

主人公の男の子気分を味わえますね。
タペストリーの横には高木さんのフィギュア。

木魚の横に高木さん。
木魚の後ろに高木さん。
お次はこのフィギュアを使って、写真撮影をします。

机と椅子と床までセットです。
机の上の再現が細かいです。
このアングルはタペストリー(大)と同じですね。
↓前に貼っていたポスターも同じです↓

「やっとこっち向いた。」は有名なシーンなのですか?
お次は斜め後ろからのアングルです。

高木さんってもしや左利きですか?
前からのアングルもあります。

わたしはこのアングルが一番好きです。
お次は可動式のフィギュアで写真撮影をしました。

先生が「フィギュアだから顔は変わらないのに、不思議と全部表情が違って見えるね」と言っていました。わたしもそう思います。可動フィギュア(というかドールかな?)いいですね!無限に楽しめそうです。

ここからは、「聖地巡礼」です。↓。

10/Ⅸ.(火)2019 はれ 台風15号の猛威で成田空港は陸の孤島に。

スカイツリーのみえるマンションに住んでる友人から、京成曳舟駅に「高木さんがいる」との情報。
等身大のフィギュアが教室の学生机に座ってて、となりに「西片(高木さんに、からかわれる同級生の男子)」の席があり、西片の席に座って、記念写真をとれるコーナーが設置されているそうだ。

日曜日は、台風15号が近づいてるとニュースでは大々的にやっていたが、起きたら快晴で雨など振る気配もないから、高木さんに会いに行く。
京成線など乗ったことがないが、浅草を過ぎて、押上を過ぎた千葉の方だ。
乗ったことのない電車ではよくあることだが、快速に乗ってしまい、目的駅を乗り越し、ずい分経って気付きUターンして着いた。
駅を降りると、高木さんの看板があった。駅構内に企画スペースがあり、かつ、近所に縁結びの「高木神社」があるらしい。↓。

これが駅に設置された、高木さん。↓。

角度を変えて。よく出来てますね。受注生産販売しないかな。最近の巷の噂は、消費税が上がる前に買っておくと良いものは?という会話だが、僕は何も思い浮かばなかったが、もしこのフィギュアが売られるなら、消費税アップの前に買おう。↓。

アニメの再現を忠実に、コーナーには教室から見える光景もある。↓。

自分の持ってる服で、なるべく西片っぽい(中1っぽい)服をチョイスしてみた。でも、こうして冷静にみると、中1というより、幼児番組の変なおじさん、みたいだ。「のっぽさん」的な。全然、のっぽじゃないけど。↓。

この高木さんは、内蔵マイクが仕込まれていて、何種類かのセリフを喋る。「近くに、縁結びの神社があるの知ってる?」とさり気なく観光大使役をしたり、「私のわき腹つついてみる?」とアニメで有名なフレーズとか。僕は、西片のマネして、机に突っ伏して、「高木さんと関わるとロクなことないよ」といじける。↓。

そして、顔をあげると、内蔵マイクの高木さんが、「やっと、こっち向いた」と言います。↓。

ちなみに、ここの混み具合は、僕以外は男1人、女1人でした。

その後は、駅からちょっと離れた「髙木神社」に行きます。下が、巫女さん姿の高木さん。↓。

テントがあってアニメの名場面が飾られてます。↓。

さらに日に焼けた「高木さん」のコミックスたちと、お願い事書ける短冊とマジックとそれ用の机と椅子が用意してあります。僕もここで短冊に願いを書いて、木に結んできました。願い事?カワクリに関わる人やスタッフや患者さんやその家族に健康と平安を、と書きました。優等生的過ぎたかな?。↓。

当然ですが、おじさん(年下)も来てました。ここは縁結びの神様だから、このおじさんと縁が結ばれてもなぁ、と思ってたら、向こうもそう思ったのか早々と帰ってました。高木さんとツーショット。使ったマジックを鼻と口で挟みました。↓。

重力に負けて、マジックが手の平に落下しました。↓。

この神社は縁結びの神社と言ってましたが、おにぎりのオブジェとか、おにぎり型の塩が売ってたりして、ひょっとしたら、これはおにぎりじゃなく、おむすびなのかも。縁結びとかけて、と勝手に空想して納得しました。

おみくじもあって、100円でひいてみました。そしたら、中吉で、「恋愛」という項目に、「6才年上がよい」と書いてありました。え~?仕方ないから、ネットで63才の芸能人調べてみました。大地真央、岡江久美子、浅田美代子、東てる美、でした。岡江久美子、コロナで死んじゃいましたね。

お天気は全然良くて、嵐の前の静けさ、かしら、僕はご機嫌で、近所の行きつけの寿司屋に行きました。「今日は台風だから誰も来ないよ。8時には終りにしたいよ」と店主に言われました。下は、僕以外客がいない店で、普段つけないテレビで台風情報が流れてて、店主は帰り支度をはじめて台風の到来を予感させますね。そんな背景をバックに僕は酔っ払ってます。↓。

僕は寿司屋の忠告通り台風が来る前に家に帰って、疲れてたからバタンQ。月曜はクリニックは休診日だから、昼まで寝てて、起きたらピーカンだった。テレビをつけたら、台風が僕が寝てる間に来てたらしく、電車は止まってるは、飛行場は満杯だは世の中の混乱を知った。昨日、乗った京成線も運休だった。

昔、謹慎中の、たけしが、おネェちゃんとマンションで一夜を過ごして、夜中にテレビをつけたら、湾岸戦争の模様を映してて、たけしは「世界はこんなに大変な思いをしてる人がいるのに、おいらは何をやってるんだろう」と落ち込んだというエピソードを何故か思い出した。

BGM. からかい上手の高木さん2 最終回 ラストシーン


夜の繁華街~接待を伴う店に連れてってあげる。

18/Ⅷ.(火)2020 2ちゃんねる・創設者のひろゆき、山P問題に「飲み会が問題じゃなくて、問題はホテルだと思う」と発言。生放送によく出したな、確信犯か?TBS「グッとラック!」。

先週の「タモリ倶楽部」は久し振りの傑作回だった。ゲストに、劇団ひとり、劇作家の根本宗子(診察室に飾ってあるTシャツに大森靖子と一緒に映ってピースしてる人)、オアシズの光浦にタモリを含めた「妄想好き」な4人が、ゆるく「妄想ワールド」を楽しもうと参加したのは良いが、出てきたプレゼンターがガチ過ぎて、4人が唖然とする様が圧巻だ。特に一人目の使者の繰り出す「架空言語」は、その人が中学生の頃から考えていた物の発展系だそうでその人は今は東大で言語学を学んでいる猛者だ。架空言語はただ単に言葉を作るのではなく、まず世界を創造し、その文化にそくして言語が生まれてくるらしい。この妄想世界には近隣の国もあり、特に面白かったのは中心の国の北に位置する部族が使う言語で、それは「口笛言語」といい暗号のような口笛で語り合うのである。これを好きな女の子と一緒に覚えて、口笛言語でコミュニケーションがとれたら素敵だろうな。

さて今回は何かとコロナのやり玉にあげられがちな夜の繁華街には出歩きにくいし、そもそも行ったことがない人のために、ご案内しましょう。まずはホストクラブから。↓。

 

・16~17/Ⅷ.(土)~(日) 2014 猛暑
その日は、風俗方面で大活躍中のSちゃんという女の子(23歳)から彼女のバースディ・パーティーに誘われたのです。
場所は歌舞伎町のホストクラブ。仲間だけで祝う会だと言う。
ホストクラブに男は入れないらしいが、今日の主役のSちゃんと一緒なら入れるので、歌舞伎町のコンビニで待ち合わせ。さすが、歌舞伎町、コンビニの雑誌コーナーに、「ホストマガジン」なんて雑誌がありましたよ。大岡山のコンビニでは、まず見ませんね。
この一冊で全国優良ホストクラブ情報を完全網羅!らしい。9月号は、上半期ナンバーワン大特集だって!

その日のホストクラブは浴衣デー。従業員ホストは全員浴衣(将棋柄とか金魚柄など)で、お客も浴衣ならドリンク只。僕は、浴衣を持ってないので、アメ横で買った海軍のセーラー服に水兵帽という「水兵さん」の格好で行った。
Sちゃんは着付けに時間がかかり、僕は歌舞伎町のコンビニで待機する。
しかし、コンビニに出入りする客層が怖いし、僕をジロジロみるから、近くの交番の前で待つ。
すると、交番に「あの店で、ボッタくられた!」と怒鳴り込んでくる強面のお兄さんたちが多数。
歌舞伎町の交番は、ボッタくりバーの苦情処理所にもなっていた。
おまわりさんが、「店に表示してる限り、金額に関しては、こちらは何も言えない」と歌舞伎町ルールを一々、説明していた。
僕は、Sちゃんへの誕生日プレゼント代わりに、Sちゃんと自分の分の代金をおごるという約束をしていた。なんか、これから起こる事を暗示してるかのような光景だ。
それにしても、Sちゃん、早く来ないかな。怖いな。帰りたくなってきたよ。
待つこと20分。浴衣姿のSちゃんが現れて、水兵さんの僕が手を振ると、「すぐ判った」と彼女は笑いながら駆け寄って来た。
履きなれない下駄で走るから、左足の親指を切っちゃって。圧迫止血とかしてやったよ。歌舞伎町の真ん中で救急処置。
この会は、Sちゃんの誕生日に開かれたものだが、参加者は1人の女の子(ホスト好き)を除けば残りは皆、ホスト。
つまり、店側の人じゃん。Sちゃんは友達が少ない。
Sちゃんが僕を招待してくれた理由のきっかけは僕が元気がなかったからだが、本当の深層心理は参加してみて判った。
「自分にはこんな変わった友人がいる!」という自慢を皆にしたかったようだ。
Sちゃんは、実際、僕をその様に紹介した。
「髪の毛、スイカなんだよ~」
「見て見て、爪、ケーキなんだよ。私の誕生日祝いだからなんだよ~」
「この人、いくつに見える~?」
「本当の職業、言って良い?」などと無邪気にはしゃぐ姿は少女のままだ。
あるホストから、「自分も~昔~、バンドやってたし~、まったく同じ~髪色にしたことあるし~、超~懐かしい~!」って、
20代前半の奴に先輩風吹かされるみたいに言われる、50代前半の男の哀愁って、皆さん、判る?
あるホストは、僕に「年齢、本気に当てに行っちゃっても良いですか?」と挑んできた。
<いやいや、そんなに面白いオチとか、ないから>、と俺。
そのホストは、俺のことを上から下まで何度も見て、クイズ番組の回答者みたいな声で「37!」と答えた。
Sちゃんは、大喜び。「やった~!年齢不詳~!」って大騒ぎ。
ちなみに僕は、昭和37年生まれの52。
だから、<(37は)惜しい!>って答えた。
ホストは、「惜しい?じゃ、38?39?36!」とピンそば狙い。
Sちゃんも一緒に混乱して、「あれ、そんな年だったっけ??」と言っている。かなり酔ってる。
僕は、<今、37、って言ったでしょう?それが、惜しいの>とヒントをあげるがホストは「47?えっ、74?」とトンチンカン。
ちなみに、「74」ってどんだけジジイだよ。ジョン・レノンの年だよ、もし生きてたらね。
しかし、年齢の話で驚いたのは、Sちゃんの本当の年齢だ。
ホストは、口々に、「おめでとう~、ついに大台ですね」とSちゃんをいじって、祝っていた。
Sちゃん、今日が、実は30歳のバースデーパーティーだったのです。
僕は、<Sちゃん、23歳って言ってなかったっけ?>。「それは、営業用よ、言ってなかったっけ?」と、Sちゃん。
<じゃ、あの幼馴染は?>、「あの子も、今度、30」。
ガチョーン!!
俺の緊張とときめきの博多の夜を返せ!
人のこと「年齢不詳」とか言っといて、そっちは「年齢詐称」じゃないか。7つもサバ読んどいて。

Sちゃんには、この店にお気に入りのホストがいる。今日のバースディパーティーは、VIP席で、そのホストを完全指名し、常に脇に置いていた。
Sちゃんは、そのホストと僕を会わせたかったみたいだ。気が合うと思ったらしい。正気か?
Sちゃんは、そのホストと僕がちょっと似てる、とも言った。
娘のフィアンセと会う時の父親って、こんな気分なのかな。
どんな奴が来ても、絶対、気に要らないだろうな。
俺が父親だったら、相手の男に対して、治療的な精神療法と正反対の事をして、苦しめて試してやる。
ケケケ、ザマァミヤガレ。
あっ、何を取り乱してるんだ。すみません、お見苦しいところを。

話を戻そう。
Sちゃんは僕のリュックについているオレンジのプンプンを指差して、「私、前から、これ気になるんだぁ」とホストに言った。↓。


Sちゃんのお気に入りのホストは、「知ってます。言わないで下さい。当ててみせます。う~ん…、おやすみプンプン!」と、
俺の目の前に人差し指を突き出して、自慢げに答えた。
<正解です…>と俺。
「すご~い!なんで知ってるの~?」とSちゃんはホストの肩を揺すり、ホストは照れながら、「サブカルですよね」と俺に言った。
俺は心の中で、<なんたる、浅薄…>と絶句した。
そのホストは、それ以上の知識がないとみて、Sちゃんに「きっと、君は、好きじゃないよ」と優しく諭す様にささやいた。
Sちゃんも、しなだれかかって、「うん」なんて酔っ払って言ってるし。
もう帰ろうかな。
でも、せっかくのSちゃんの誕生日会だし。空気をぶち壊しては可愛そうだし。
一応、福岡の学会の恩はあるし。
ここは、じっと我慢する。男はつらいよ。
そうやって、僕がこの日、Sちゃんの誕生祝いに、この店に支払った金額は、7万円だった。
Sちゃんのバースディパーティーは、ドンペリのゴールドを開けて盛大にお祝いされた。
それで、7万は安いなと思って聞いたら、シャンパン代は、Sちゃんが毎月積み立てていたらしい。
僕はSちゃんに<いくらするの?>とシャンパンの値段を聞いた。
すると、Sちゃんはちょっと躊躇って、「引かない?さっき払ってくれた金額あるっしょ?その10倍」だって。

家に帰ってから、今回の件で色々と相談に乗ってくれた友人に報告をした。
友人は、「生きて帰れて良かったね。7万円?妥当な金額だね。まあ良く行ったと思うよ、僕なら絶対行かなかったと思うし。君は勇気あるよ、徴兵制度があったらきっと素直に行ったんだろうね」と言った。
友人は、世間が終戦記念日に戦争だ平和だと叫んでる中、僕が風俗だホストだと騒いでいた事を冷静に皮肉って、僕の純情を揶揄した。

 

・次は、フィリピン・パブ

医学校は6年制であり、さすがに大学6年にもなると、皆、目の色をかえてラスト・スパートをかける。
断っておくが、それが悪いと言ってるのではない、当然である。
ただ、なんとなく、ひとこと、「さぁ、俺達も頑張ろうぜ!せーの」みたいなワンシーンが欲しかっただけなのだ。
こないだまで一緒にバカをしてた友達がいきなり国試モードになったので戸惑った。
本当に、戸惑った、という言葉がピッタリだ。僕は最終電車に乗り遅れたヨッパライのようで、おきざりにされた気分に浸った。
こういう時には、人の心に隙間ができる。そこに悪魔がやってくるのだ。
1年後輩の遊び人だ。あまり親しくはなかった。
それが「川原さん、一緒に遊びましょうよ」と誘ってきた。
学校のそばの繁華街のフィリピン・パブへ行こうという。
ついて行く。
「Black&White」とか「おしゃれ泥棒」とかいう名前だったと思う。
そのお店は、ステージが1つあり、あとは広いフロアにテーブルが幾つかあって、各々のテーブルに艶やかな色のチャイナドレスをまとったフィリピン人の女の子がつき、水割りを作ってくれたり、カラオケをしたり、会話を楽しむ、そういう雰囲気。
馴染のお客には目当ての女の子がいる。
僕は後輩に「川原さんは、マイラがいいでしょう」とマイラをあてがわれた。
マイラは、華奢で背格好もそんなに大きくなく、端正な顔立ちをしているフィリピン美人だ。
彫が深いというのか、鼻筋がピンと伸び、肉厚のある唇をいつもツンととがらせているから、ちょうど顔面の中央部分が穏やかに隆起しているような造りだった。
黄色いドレスを着ていたせいもあり、第一印象は、ひよ子みたいな顔をしてるなぁ、と思った。
マイラは他の子と少し違った。
マイラ以外の子は率先して場を盛り上げたり、客とデュエットしたり、それを囃したてるため変な拍子の掛け声をかけたりしてふざけているが、マイラはそれを見て笑ったり手拍子を合わせているだけだった。
僕はそういうところで盛り上がる社交性に少し欠けていたから、「担当・マイラ」は疲れなくて助かった。
後輩のチョイスが正しかった、ということなのだろう。
それから僕はフィリピン・バーに通った。学校帰りに一人で寄って、ビールを一本だけ飲んで帰る日もあった。
僕の生活はすさんできた。
水は低きに流れる、というのか、どうしても楽な方へ逃げたくなるのが人情だ。
僕の足は、フィリピン・バーに流れた。
ある日マイラが、明日の日曜日、自分の家に遊びに来い、とこっそり僕に言った。
マイラは、真剣な目をしていて、後輩には内緒で一人で来い、と言った。了解した。
翌日、指定されたところで待ち合わせ。
彼女らは、7~8人でタコ部屋みたいなところに雑居していた。
「お~、タツジ!」皆、顔見知りだから、口々に歓迎してくれた。
いつもの仲間、いつもの笑顔、という感じだが、いつもと違うのはノーメイク&私服だということだ。
普段の華やかさはまるでなく、なぜフィリピン人はくすんだ色の服を好むのだろうか。
仕事で原色ばかり着させられるから、反動形成なのかもしれないな。
センス的には野暮ったいが、この方が街に同化するには効果的だろう。
僕らは近所のホカ弁でからあげ弁当を買って食べた。
そのあと、川の方に出て、子供たちがするような遊びをして時間を浪費した。
川沿いのコンクリートの部分に、僕とマイラは並んで座った。
マイラは正面の川を見ながら、僕の方を一切見ず、
「タツジ、もう明日からお店、来ない方がいいよ。勉強しなさい。」と言った。
僕は「わかった」とか「そうする」とか阿呆みたいな返事をした。
どうしてこういう時、もっと気の効いたセリフが出ないのだろう?。いつもいつもそう思う。
それから僕は勉強した。
狂ったように勉強した。
テレビも東スポも一秒も見なかった。
本当に狂っていたのかもしれない。
とにかく寝てる時間以外は勉強しかしなかった。
そして、そのペースは国試の当日まで持続した。
結果、僕は試験に合格して医者になった。
後日談。僕は一度だけ、マイラに会ったことがある。
医局の先輩が、うまい焼肉屋を見つけたからと連れて行ってくれたのだ。
店主と奥さんの2人で切り盛りしてる小さな店だ。
常連なのか、巨人軍の選手のサイン色紙が壁に飾ってある。
その隣りに先輩のサイン色紙が並べて貼ってあり、笑った。
お会計の時、奥さんらしき人は、サービスでガムとヤクルトをくれた。
顔を見て、僕はビックリした。
マイラだった。
「あっ…」と僕が絶句するのを、先輩は不思議そうに見ている。
僕が「マイ…」と言いかけて「ラ」の音を発音する瞬間に、マイラは「元気?」と言葉をかぶせて、
「ラ」の音を消した。
マイラは軽く微笑んでいて、相変わらず、ひよ子みたいな顔だった。

BGM. ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラブ」

 

このコロナ渦でさすがの僕も「うつ」になっていたようだ。テレビをつければ陰気なニュース。自粛してるから呑みにも行けない。趣味の中野ブロードウェイにも何ヶ月も行けてない。それで患者さんやスタッフを感染させてはいけない。時代に乗れる同業者は、「リモート診察」を導入したと聞く。こちらはマスクをしてると患者さんに「表情がみえなくて困る」と考え、一方で本格的な第2波にそなえてアクリル板設置の用意をするかと考えたら、ものものしい光景で、はたしてそんなことまでしてクリニックを続ける意味はあるか?うちのクリニックは「居場所」とか「コミュニケーション」を大切にして来たから、もう時代錯誤なのではないか。マイノリティーの味方、と豪語して喫煙所を作ったが感染リスクを高めるだけだ。もうこりゃダメだ。「引退しよう」と考えた。しかし、仕事しなくなった自分の人生を想像出来ない。「もう死にたいなぁ」とも思った。「うつ」だったんだと思う。そんな時こそ体が心をかばってくれて、めまいが起きて救急車で運ばれて、一呼吸ついた。そんな時、テレビで「夜の街クラスター」として弾圧される歌舞伎町や池袋の飲み屋やスナックやキャバクラやホストクラブが必死に感染予防の努力をして頑張っている姿をみた。そこで僕は我が身を振り返り、彼らを見習って頑張らなくちゃいけない、と思いとどまった。それと同時に、「うつ」は抜けました。国難だそうです。皆で頑張るしかないですね。

がんばれ!

夜の街!!


スランプの日々~浅草オールナイトに連れてってあげる。

14/Ⅷ.(金)2020 猛暑。リポーター・須藤甚一郎死ぬ。死んでこんなに悪く言われる人も珍しい。

1984年、医大生・川原はスランプだった。シネコンのはしり、キネカ大森がオープンし、寺山修司の実験映画の特集をするという。その日は、「書を捨てよ町へ出よう」が上映される。勉強なんかしないで外に行こうよ、と言われてるようで、当時の川原にうってつけなタイトルだったので、出かけてみた。映画館は割と混んでいた。
奥の席の手前に空席を見つけそこに座ろうとすると、奥の席の客は若いお洒落な女の子だった。
こんな子が1人で寺山修司の映画なんか観るのかな?と思って、
<隣あいてますか?>とたずねると、丁寧に「どうぞ」と言った。
だから僕も丁寧に、<どうも>と返した。
ストーリーは、最初に主人公が画面いっぱいに正面から映し出され、客席に向かってアジるのである。
何しろ、「書を捨てよ町へ出よう」である、まず行動しろ、ということで具体的な提案を延々と訴えるのである。
すごい迫力である。
そして、主人公は「そこの君、まず隣の女の子の手を握ってみろ!」と言うから、僕は焦って、隣の子の様子を伺うと、
その子もこっちを見ていて、目が合って、二人して同時に笑った。
それから僕はその子と帰りにお茶をして、友達になった。
数日後、彼女から千石の三百人劇場でルイス・ブニュエルの映画があるから一緒に行こうと誘われた。
ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」は寺山修司の年表にも登場するので、寺山つながりとして抑えておこうという訳だ。
タイトルは、『銀河』という異端キリスト教徒の話であったが、やや難解だった。
帰りに、お茶をして彼女から感想を求められたから、
<むずかしかったな>と答えると、「嘘!つまんなかったんでしょう?」と言われた。
図星で、この子は読心術の使い手か?、とヒヤッとしたが、そんなことはなくて、実は彼女も「つまらなかった」んだって。


それから僕らは、面白い映画ってなんだ?、という話になり、結構ややこしい方向に彷徨ったりしたが、最終的には喜劇映画の話になった。
今度の土曜の夜、浅草の六区の映画館でクレージー・キャッツの5本立てのオールナイトをやるから観に行くと僕が言うと、彼女も是非連れて行ってくれと言う。
前から興味はあったが、女の子が1人で行くにはハードルが高かったというのだ。
その日のラインアップは大したものだった。
一本目が『ニッポン無責任時代』で二本目が『ニッポン無責任野郎』である。
この2本は、川原達二が選ぶ日本の喜劇映画10本に間違いなく選出される作品で、
そんな架空のランキングなどどうでもよくて、この2本はそれぞれが面白いのだが、話がつながっているから続けて観ると何倍も面白い。
まだ観てない人は、観るといいです。順番を間違えないようにね。「~時代」、「~野郎」の順です。
当時の浅草はロックスが出来て集客に意欲を見せていたが、僕らの仲間は滅多に行かなかった。
皆、新宿や池袋や渋谷で遊び、お洒落な人が六本木や原宿あたりをうろついていた時代だ。
ビートたけしが、ギャグで「E・T」を観ようと映画館に行ったが銀座も新宿もどこもいっぱいで入れなかったが、
浅草の映画館はガラガラだったと言っていた。
勿論、たけし一流の浅草への愛情表現だと聞くものには伝わっていた。
かつての浅草からは多くの喜劇人が輩出された。
そんな喜劇の本場でクレージー・キャッツの映画を観るのである。
期待は膨れ上がってくる。
この日は、浅草に黄金時代が再現されたようだ。
こんな豪華な企画を放っておく馬鹿もないもので、その日の映画館はオールナイト映画にしては大入りだった。
後で判るのだが、大抵の人はこの2本を観たら帰ってしまった。終電もなくなるからね。
僕らは、朝まで観るつもりだから、まずは腹ごしらえ。
駅構内の焼きそば屋で、焼きそばを1人前とビールを2本たのんで、
焼きそばをを半分づつつまみにして、ビールを飲んだ。
その後、糸井重里がやっている団子屋がロックスにあるから、そこへ行きたいというので行ってみた。
孔雀なんとか、という店の名前だった気がするが、違ったらごめん。
話を映画に戻そう。
映画館は異様な盛り上がりで、彼女も嬉しそうにゲラゲラと笑いころげてて、僕は内心、ホッとした。
2本が終わると、彼女は輝いた顔をして、「スゴイね!」と興奮していた。
それと同時に、ゾロゾロと多くの客が帰って行った。
この映画館で夜を明かすべく残ったのは、僕ら2人と酔っ払って寝てる浮浪者みたいな何人かと、
そもそもここが寝ぐらなのでは?、と疑いたくなる本格的に寝ている何人かだけになった。
空気がガラリとかわり、彼女の表情も同様に変わった。
不安そうだったので、<大丈夫だよ>と僕が言うと、「やっぱり1人じゃ来れないわ」と彼女は苦笑してみせた。
3本目は、「日本一の色男」だったかな?。彼女の反応は、イマイチだった。
4本目は、クレージー・キャッツの後期の作品でドリフの加藤茶が準主役級で出てる映画で、彼女はついにこの映画の途中で眠り出し、とうとうこの映画館で映画を鑑賞している客は僕1人になった。
ラストの5本目は、『喜劇泥棒家族』という映画で、僕も初めて観る作品だった。
ストーリーは、ある島の住民は全員が泥棒で、時々、船で本土へ行っては集団で泥棒をして生計を立てていた。
その島の泥棒のボスが植木等で、植木は昔、警察に捕まって拷問を受けて片足が動かなくなって、杖をついていた。
警察はいよいよ本腰を入れてこの泥棒達を捕まえようとし、島に乗り込んでくるのである。
圧巻は、男どもが次々に逮捕される中、最後に残った植木等が刑事に追い詰められるシーンである。
なんと、植木等はそこで杖を捨て、動かないはずの方の足をヒョイ・ヒョイ・ヒョイと動かしてみせ、画面いっぱいに満面の笑みを浮かべ、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、活き活きと走り回るのである。
植木等、健在!という感じだ。
何だか僕は、この僕以外は全員が寝てる映画館で、1人、感動していたのである。
結局、泥棒は全員捕まり、働き手(と言っても泥棒だが)を失った島は女と子供だけになった。
警察は、泥棒は逮捕したが、盗まれた金品を島から見つけ出すことは出来なかった。
ボスである植木等が、決して口を割らなかったからである。
ラストは、自転車の練習をしている子供に女たちが、気をつけなさいよ、と声を掛ける。
子供は、それでもよろめいて、電柱にぶつかって転んでしまう。
ほら~、言ったばかりでしょう、と女たちが駆け寄ると、自転車の前のライトのガラスが割れて、中から金銀財宝が顔を出していた。
植木等は警察の目を誤魔化すためにここに隠していたのだ。
驚く女たち。
キラキラと輝く宝石のアップで映画は終わった。
不覚にも僕は感涙して、少し落ち着いてから、彼女を起こして映画館を出た。
犬一匹、猫一匹いない。カラスも鳴いていない。
無人街の浅草六区は、真っ白い朝もやに包まれていた。
僕は朝もやと瞼に焼きついたキラキラの映画のラストシーンの両方を自分の未来と重ね合わせて、先はみえないけど何とかなる、と根拠のない確信を得て、頑張ろうと心に思ったんだ。

それから36年たったのかぁ。僕は…、なんとかなった。

BGM. シカゴ「朝もやの二人」


Go To トラベル気分~ハワイへ連れてってあげる。

13/Ⅷ.(木)2020 猛暑とコロナ。熱中症に注意。

10年前の記事です。↓。

目覚ましより早く目が覚める。ダイヤモンドヘッドの登山に出かける。
ホテルからのバスで登山口まで、そこから歩く。


ハワイといえば透き通る青い海。この青い海を保つため、ハワイ市長は毎朝早起きして海岸を歩き、
バスクリンをまいている、とバスガイドが日本人向けのジョークを言ってたが、
ダイヤモンドヘッドの展望台から観る海の色はまさにバスクリン。
バスクリンを誉めるべきか。


草も木もない裸の山から見える青い海とのコントラストも絶景だが↑、
ゴツゴツと剥き出しの山肌と枯れ木に親近感を覚える。
ハゲタカとかハイエナとか、嫌われ者の住み家のようで気を遣わなくてよさそうだから。↓。


ホテルに戻って、フルーツを食べて、お土産を選ぶ。
少し横になり本を読み、浮輪を持ってビーチへ。
今日は波がない。
浮輪で漂っていると、どんどん沖に流されて行ってしまい、怖いのでなるべく浅瀬に滞在する。
立って、ヘソくらいの波でも、腹這いになってれば頭を越える大波だ。
十分、サーファー気分が味わえる。


そのかわり、海水パンツの中は砂だらけになる。
浅瀬で溺れ恐ろしい体験をするも、冷静に足をつけば、なんてことはない。
恐怖とはイメージの作り出すものだ。
泳げないことにコンプレックスを持ってる人に朗報。吉田拓郎もカナズチです。
僕は、それを小学校の時に知って、とても気が楽になり、それ以降、まったく泳ぎの練習をしなくなった。
そういえば、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウイルソンも泳げないらしい。
話を、海に戻す。
娘が、同様に浮輪を持って海に出るが、彼女は命知らず、どんどん沖の方へ行ってしまう。
娘は小学校の頃、スイミング・スクールにも通っており、僕とは違い、泳ぎには自信があるのだ。
海を満喫している。
その間、こちとら相変らず浅瀬で溺れている訳である。
1時間くらい経過して、疲れたので妻の待つゴザへ戻る。
僕は、娘の様子を時折、気にしていたが、どんどん沖へ流れていく。
一向に帰ってくる気配がない。
もしかして、戻れなくなったのではないか?
風が凪ぎ、波が沖へ沖へと物体を引き寄せているのかもしれない。
さっきまで娘の浮輪の目印のグリーンの付近にたくさんいた他の遊泳者達も遠ざかり、
娘の現在地を示すグリーンは、太平洋にひとりぽっち、ポツンと浮かんでいる。
自分から助けを求められない、内気な子だ。
不安でも周りに声をかけられない、それどころか外見は平然として見られてしまう。
周りも気付かないから、さらに沖へ流されている。
まだ陽は高いが、人間はこんなに長い時間、海に浮かんでいて楽しいと思うか?
人間には海に浮かんでいて楽しいと感じる時間の限界もあるだろう。
ライフセーバーの位置を確認する。
砂浜から、娘の名を呼んでみるも届かない。
望遠で写真を撮ってるカメラマンがいる。
彼にレンズをのぞかせてもらって表情を確認するか?。
いくら泳ぎが達者とは言え、いくら魚座生まれとは言え、足がつってしまえば使い物になるまい。
「河童の川流れ」、「海のもくず」、「水の泡」という不吉なフレーズが頭をよぎる。
早川義夫の声で、ジャックスの「からっぽの世界」の一節が脳内にかかり始める
。♪静だな~海の底~。静だな~何もない~♪。
砂浜から、娘の名を念じ気を送る。
その限りは、浮輪が破れない、荒波にさらわれない、そんなコーティングの力を期待して。
いよいよ、娘のグリーンの浮輪は、沖へ流されて行く。
娘を助けなければ。
もし仮にそれが過剰な心配でも構わない。
確率の問題ではない。期待値の問題だ。
娘が、もし助けを求め、不安のまま流されていたなら…そう思うと胸が張り裂けそうだ。
娘を助けに行こう。目測で50~100mの距離だ、と弟が言う。僕は泳げないが、弟も泳ぎが達者だ。
娘同様、小学校時代スイミング・スクールに通い、色んなトロフィーをもらって帰ってきていた腕自慢だ。
娘を助けるべく、僕は黄緑の浮輪をくぐり、弟に娘の所まで泳いで連れてってもらうことにする。
弟に、ビートバンの要領で、浮輪の僕をバタ足で押させる娘・救出作戦だ。
妻によく沖で観察し、もしグリーンか黄緑の浮輪が見えなくなったり、異変を感じたら
(たとえば、サメの背ビレが見えた、とか)あそこのライフセーバーに連絡するよう言い残す。
妻も、弟に無理はするな、そして弟が1人で行った方がいいんじゃないか?、などと言う。
それは、ちがう。
主は1匹の羊が迷ったら残りの99匹をその場に残してでも探しに行くと聖書に書いてあるではないか。
一家の長である、私が行かない訳にはいくまい。
僕は、自ら浮輪をかぶりスタンバイOK、弟の動力で娘のもとへ泳ぎ出す。
僕が方向を「12時の方向」、「11時の方向」、「1時の方向」と指示を出す。
風は逆風、波も我々救出班を岸へ押し戻そうとする。
必死に押す弟が、「進まない、遠い」と弱音を吐く。
オレも体重を前にかけ、波に負けないように体重移動、波の抵抗を和らげるべく波に向かって体を
45度に舵取りして、弟に「がんばれ!」と叱咤激励を飛ばし、自らもフル稼働で足を動かすも、
お風呂で遊ぶアヒルのおもちゃのごとく微力だが、気合を伝えるには十分で、弟は英雄的に力を発揮、
波を追い抜き浮輪は前進。必死の形相、男らしく育ったものだと感慨。
竜雷太・主演、「これが青春だ」の主題歌が脳内でかかり出す。
♪嵐の中も~君のためなら~七つの海を泳いでいこう~
誇りひとつを胸に掲げて~夢に飛び込む~それが若さだ~そうとも!これが青春だ~♪。
娘のグリーンの浮輪が近付く。
ホルンの奏法で身につけた複式呼吸の要領で、娘の名を呼ぶ。2度、3度。
すると、娘はこちらに気付き、手を振る。
SOSのサインか?
娘の名を呼び続けながら、手招きすると、勇気百倍になったか、自力でこちらに泳いでくる。
「何?」と言う。
潮に流されてるのではと心配して救助に来た、と伝えると、娘は安堵の照れ笑い。
砂浜へ戻るぞ、との号令に従い、彼女はスイスイと先に泳いでいく。一安心。
一方、弟は、「重い重い、浮輪が邪魔だ」と嘆きながら、今度は方向転換、
必死で今来た道をUターン、砂浜に父を無事に送り届ける任務にミッション変更。
そんな弟に、いかにお前のとっている行動が人として素晴らしく、縁の下の力持ちとは男らしい美学なのだ、
ということを噛んで含めるように言って聞かせながら、足がつく所までくれば、こっちのもの。
右足で砂浜をギュっと掴むように立ち、左足も前に、両足でしっかりと立てた。
もう大丈夫だ。
オレは、振り返り、疲労困憊の弟の手を握り、ご苦労様、と引っ張るようにすくいあげる。
ここだけ見たら、オレ、ヒーロー。
とにかく、皆、無事で良かった。
足の砂を洗い流してホテルの部屋に戻り、一休みして、おなかが空いたので焼肉を食べに行く。
その席で、弟に、泳ぎの不安はなかったか?、と聞くと、「自分が溺れたらどうしよう」と心配だった、と言った。
「人生は、多くの場合、慎重にしておいた方が無難だ。
しかし、あの場面で泳ごうと決意したのはとても立派なことだ。男らしく育って、お父さんは鼻が高いぞ」と誉め、
「今日のMVP」の称号を与えた。


男たちヒーロー軍団は疲労して、早々と床につく。
かたや、姉は元気いっぱい、遅くまで母親とショッピングを楽しんだ。
ハワイもあと2日。

BGM. 布施明「これが青春だ」

 


Go To トラベル気分~香港へ連れてってあげる。

11/Ⅷ.(火)2020 東京で2年振りに37℃越 香港警察、民主活動家・アグネス・チョウ逮捕

「特別に愛してよ、十七の夏だから」という桜田淳子のヒット曲を思い出した人も多いのではないでしょうか、小池百合子の「特別の夏」宣言。帰省も旅行もしにくいから、海外旅行はもっと難しいですね。なので、今回は海外旅行に行ったつもりになるように、9年前の記事を編集して載っけます。行先は、今や大変な情勢にある、香港です。

9年前といえば、2011年。3・11の年です。あれだけ大変だったのに、夏には海外旅行に行けたんですから、今年がいかに特別かわかりますね。↓。

うちの家族旅行は、女性陣が(妻と娘)が行き先から何から何まで決めて、男性陣は(俺と息子)は黙ってその企画に乗っかるというシステムが確立されている。
特に、僕の場合はひどいもので、行き先もうる覚えのまま、当地で今回の旅先がどこかを知る始末。それでも、誰も困らない。それでも、地球は回ってる。
こんな事があった。行きつけの寿司屋に息子と2人で行って、<来週、香港に行くんですよ>と言ったら、
お店の女将さんが、「100万$の夜景の写真、撮ってきて見せて下さいね」と言うので、快諾した。
旅行に行き数日たったが、一向にその気配がないので、<100万$の夜景には、いつ行くの?>と尋ねたら、
女性陣と話がかみ合わない。事情を詳しく説明したら、謎が解けた。ここは、「香港」ではなく、「台湾」だったのだ。
息子に、<お前、知ってた?>と聞くと、「知ってた」。<いつ?>、「飛行機で」。
<何で教えないんだよ!>、「だって、聞かなかったから」。
<…って言うか、お前、寿司屋に一緒にいただろう?俺が香港だと思い込んでるの知ってただろう?教えろよ>、
「いつ、気付くかと思って」だと。

ところで、このバカンスは娘と2人で旅行に行く話になった。そのため、今回の旅行の企画は娘1人で行った。
実は、僕のパスポートの期限が切れているので、娘が本籍地の茅ヶ崎まで書類を取りにいったり、有楽町でパスポートの申請を代行してくれたり。
「行き先はどこがいい?」と希望を聞かれた。娘は、自分の行きたいところより、お父さんの行きたいところに行きたい、と母親に話していたという。
そうか、じゃ、リクエストね。<イタリアか、ハワイか、ルーブル美術館か、世界遺産か、フロイト・ミュージアムか、ゲシュタポ収容所>と希望を伝えた。
日程的な関係で、どんどん消去法で選択肢が減り、娘は、色々と智恵をしぼっって、「香港&マカオ4日間の旅」に決まった。
母親から伝え聞いた話によると、娘は香港、特にマカオに好印象を持っているようで、それというのも、
小学生の頃、クラスメートが家族旅行で香港&マカオに行き、お父さんがカジノで楽しそうにしていて、
雰囲気がとてもよかった、と友人から聞かされて、「家族団欒」のイメージをサブリミナルに刷り込まれているようだった。
子供たちが、小さい頃なんて、まとまった休みなんてとったことなかったからな。
子供の学校の運動会と、病院の行事の運動会がぶつかって、病院の方を選んでひんしゅくを買ったこともあったな。
ここ1年くらいだものね、長い休暇がとれるようになったのは。
人生にやり直しがきくのかどうかは知らないが、今は昔してこれなかったことの埋め合わせをする時期なんだなぁと、この頃、ふと思うことがある。

 

第1日
早朝、娘に起こされて、羽田へ向かう。今日から2人で、香港&マカオ4日間の旅。香港は土地が少なくて、東京都の総面積のおよそ半分くらいだそうだ。
宿泊先は、nikkoホテル。日系のホテルだから日本人のスタッフもいて、初香港の人にも安心だ。↓。


下は、部屋の窓から外を写した。日の丸が揺れてる。「がんばろう!日本!」という感じ。↓。


夜は、海岸に出て、「アベニュー・オブ・スターズ」という香港映画に貢献した人の手形やサイン付きプレートが埋め込まれた散歩道を歩く。一番人気は、断トツでブルース・リー。↓。



香港ではスリが多いらしく、「スリに気をつけろ!」と色んな人から言われた。もしも、娘のバッグをスリが奪ったら、もしやに備え、ブルース・リー・バージョンとジャッキー・チェン・バージョンのイメージトレーニングをしておく。

第2日
トラムという2階建てのチンチン電車に乗って、まずは「天后廟」にゆくが、ここは面白かった。オブジェが、大きくて極彩色で迫力があって派手でよい!。
「天后」とは、海と漁師を守る女神様のことで、「天后廟」はその天后を祀っているのだ。↓。


天后の左隣には、観音廟がある。これも、色っぽくて素敵!。↓。


「天后廟」の海を臨む境内には、他にも見逃せないさまざまな福の神や珍獣が大集合している。↓。



下は、長寿橋と言って、渡ると長生き出来るらしい。注意点は、帰りに同じ橋を渡らないこと。プラマイ・ゼロになってしまうから。↓。


他にも、こんなのがあって、全部は撮りきれませんでしたが、とても面白かった。↓。



↑。最後は、ドラゴンでしめてみました。
次は、セントジョンズ大聖堂へ。移動中、スコールのような大雨が、短期集中型に降ったが、すぐ止んだ。で、セントジョンズだが、現在ある建物は第二次世界大戦後に再現されたもの。13世紀ゴシック様式。↓。


堂内のステンドグラスも素敵。↓。


下のは、譜面台みたいなもので、聖書や賛美歌を乗せるのかな?。黄金の鷲のデザイン。かっこいい。一家に一台欲しいな。↓。


本日のメインイベント。100万$の夜景を観にヴィクトリア・ピークへゆく。登山電車のようなものに乗るのだが、これに乗るのに長蛇の列が出来ている。しかし、娘は用意周到で、何か脇の方からスイスイと、ディズニーランドのファストパスのようなルートを使って、全然、待たずに列車に乗れた。すごいね。下が、その登山電車。↓。


今日は、昼に雨が降ったから、空気が澄んでいて、霧がなくて、綺麗で、きっとこれが、100万$の夜景なんだと思う。↓。


写真を撮ってみるも、肉眼で見るのと、レンズ越しに見る光景は全然違う。単に、写真が下手だとも言えるが…。
そうそう、この旅行で、娘と2人の記念写真を何枚か撮った。こうやって2人で、同じ写真に納まるなんて、何年振りだろう?。子供の時、以来だろう。中学生に上がってからは初めてじゃないか?。忙しすぎたから。

第3日
日帰りでマカオに観光。マカオの町は、カラフルというかパステルというかお洒落だった。昔、ポルトガル人が住んでいたらしい。
まずは、聖ポール天主堂跡。17世紀の様子をうかがわせる。ファザードだけが立つ。↓。


よく見ると、このファザードに、フランシスコ・ザビエルとか、ドクロとかドラゴンとか蓮とかシーサとか、色んな文化の物が入り混じっていて面白い。ちなみに、ドラゴンは西洋では「悪」で東洋では「福」だ。このファザードのドラゴンは「西洋」だ。アップの写真を載せて見ますが、細かい所は見えないかな。↓。


この辺りでは、エッグタルトが名物で、7香港$=約70円、玉子がプリプリしていて美味しかったけど、熱くって、思わずこぼしてズボンの裾とスニーカーの靴ヒモの間にめり込んでしまった。ティッシュであわててふくも、靴ヒモに玉子を塗りこむ様になってしまった。
そんなことはどうでも良くって、聖ポール天主堂跡の隣には、ナーチャ廟というのがある。「男の子」を守る神様だそうだ。↓。


ちなみに、この辺は、世界遺産らしく、娘が僕のリクエストに答えた形になっている。
下は、聖ドミニコ教会。淡いイエローに彩られた美しい教会。↓。


↑。手前の石畳のモザイクは、ポルトガルの熟練工が敷き詰めた波型模様をしていて、そちこちに海の生き物を表したりしていた。蟹とかナメクジとか。
ちなみに、さっきの聖ポール天主堂は「イエズス会」で、こちらは「ドミニコ会」。聖ドミニコ教会も世界遺産なので、今はミサはしてないそうだ。感想を言うと、とっても落ち着く。ずっとここにいたい、安らかな気持ちになる。館内にある「バラの聖母像」も美しい。下は、館内の様子↓。白と黒のジグザグ模様が、ドミニコのマーク。





下の噴水は、マカオの中心地、セナド広場。向こうに見えるのが、仁慈堂。名のごとく、慈愛のことをしてくれる場所で、昔は貧乏な人や老人やらい病患者の力になったという。↓。

その後は、マカオタワーにゆき、カジノにも寄った。カジノは、クレージーキャッツの映画やマフィアのイメージで、もっと怖いというかピリピリした不健全な空気のところかと想像してたのだが、意外にもクリーンで拍子抜けした。マカオタワーのエレベーターはすごく速い。下の写真は、展望台から撮影した景色。どこかまでがマカオで、どこかからが中国になるらしい。↓。


僕は、ギャンブルというものを一切しないので、ここは楽しいとは思わなかった。これまでの人生がラッキーの連続で、さすがにもう運を使い果たしているだろうから、どうせ賭け事をしても勝てないと思うし。カジノで喜ぶお父さんの演技をするのも、白々しいから、一回だけスロットをやっただけにした。
マカオから香港に戻り、夜は、オープン・トップ・バスという屋根のない2回建てバスに乗り、市内観光をした。頭が看板スレスレだったり、ジェット・コースターみたいな坂だったりして、スリル満点。夜景も綺麗。
香港にはディズニーランドがあるらしいが、今回はそこには行かなかった。↓。


コレは香港のディズニーランドへの行き方を示した標識なのです。黄色い看板の左下に、黒い丸が見えるでしょう。ブレてて見づらいでしょうが、実は、ミッキーマウスのマークなのです。わかります?。

最終日
空港に着くと、搭乗手続きで、帰りの飛行機の便の変更と2人がバラバラの席になる、と言われた。<why?>と聞くと、「full」だって。満席ってこと?。予約してて、満席もないだろうと思ったが、少し早く日本に着くからそれでもいいか、ということにした。2人とも、英語、よく喋れないから交渉できないし。
ジャスト・モーメントと言われ、ベンチでおとなしく座って待っていた。しかし、いくら経っても何も言ってこないのである。さすがに娘が不安になったらしく、どうなってるんだろう、というから、さっきの係の男を見つけて、<どうなってるんですか?>とジェスチャーで聞くと、「ジャスト・モーメント」と言って立ち去ろうとする。

さすがにそれはないだろうと思って、<お前、さっきもそう言ってただろう>と文句を言うと、さすがにこちらが怒ってることは伝わったらしく、両手を前に出して、まぁまぁ、となだめるようなポーズで、「ジャスト・モーメント」と言いやがった。
さすがに頭に来て、<さっきから、ずっと同じこと言ってるじゃねぇか!お前のジャスト・モーメントってのは、何分何秒のことだ?正確に答えろ!>とすごむと、向こうは困ったような顔をして、「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」って言いやがる。<知らねぇよ!その手にゃ乗らねぇよ。大体、お前、これ信用問題だぞ。てめぇのところで飛行機を勝手に変えるとか言い出したんだろうが>、向こうはこっちが怒ってるのはわかるが何を言っているのかわからないので困っているようだが、普通に考えれば何を怒ってるかくらい想像できるだろう。
「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」と再度言うから、<だから知らねぇよ!知ってても使いたくない気分だよ!いいか、もう一度、言うぞ。信用の問題だぞ。信用だよ、信用!わかんねぇだろう?日本語だからな。ワザと言ってんだよ。家に帰ったら、辞書で引けよ。ディクショナリーだよ、『字、引く書なり』って言うだろう。いいか、よく覚えとけ!家に帰ったらディクショナリーで調べろ!。信用だぞ、シ・ン・ヨ・ウ!>、と鼻と鼻がくっつく距離で喋ってやった。
そうすると、そいつは急に「OK!」なんて言って、俺たちのスーツケースを自ら引いて、カウンターの列に横入りして、係の女(そいつもさっきは態度が悪かった)に何か指示を出して、そしたらその女も急にキビキビとして、結局、そこの飛行機会社と提携してる日本の航空便に変更してくれた。スチュワーデスさんも日本人だし、2人の席も隣だし、出国の時刻も早すぎもせず遅すぎもせず丁度いい。なんだよ、出来るんなら最初からしろよ。こういうのは、良くないよ。言ったモン勝ちみたいじゃないか。気の優しい人なら損をする。そういうのは、良くないと思う。
ま、とりあえず一安心だね。出発の20分前に‘71番ゲート’に行けばいいらしい。免税店を見て回って、それでも少し時間があるから、スタバでお茶をしよう。自慢ではないが、僕はスタバという所に入ったことがなく、メニューが難しいというイメージだけがある。『日常』というアニメでも、主人公が地元のリニューアルした喫茶店に入ったはいいが、メニューの意味がわからない、というエピソードがあったが、ここは一つ、娘に選んでもらった。ナントカカントカ、というチョコレート味の飲み物にクリームがトッピングされて、キャラメルソースみたいなもので渦巻きが描かれていた。
娘に、<どうしてこれにしたの?>って聞いたら、「好きそうだから」だって。本当だ、美味しい。小さなトラブルはあったけど、やっと落ち着いたね。まだちょっと時間があるね。<そうそう、マクドナルドって、今でも『一緒にポテトはいかがですか?』って聞くの?>と娘に尋ねると、「聞くよ」って言うけど、<でも、今、バリューセットとか言って、ポテトはセットに組み込まれてるんじゃないの?>「飲み物だけ頼むと言われるよ」<あっ、そうか>なんてやり取りをしていた。
いよいよ20分前に‘71番ゲート’に着くと、これは‘30番ゲート’に変更されたという。<あの野郎、仕組んだか?>と一瞬、思ったが、それより場所を移動しないと。でも、‘71’から‘30’って結構あるぞ。時間も出発まであと10分もない。取り合えず走ろう!、と走るが、出発の時間は迫ってくる。スタバでゆっくりしすぎたなんて悔やんでもしょうがない。走りながら、娘は「間に合わないかも。飛行機、出ちゃうかも」と不安そうに言うから、<大丈夫!。‘71’番の係の人が‘30’番の係の人に、今から2人向かう、って連絡してくれてるだろう。それに、いざとなったら、俺には奥の手があるから大丈夫!>。結果は、ギリギリ・セーフで間に合いました。
家に着いてから娘が、「さっき言ってた、奥の手って何?」って聞くから、松田優作と薬師丸ひろ子の「探偵物語」という映画のラスト・シーンの話をしてやった。
それは、主人公の薬師丸ひろ子が探偵の松田優作に依頼をして、無事、事件が解決して、サヨナラになるのだが、その時には2人の間に「依頼者と探偵」という関係を超えた恋心のようなものが芽生えていた。しかし、薬師丸ひろ子は、悩んだ末、別れを決意して、一人、飛行機に乗る。空港で見送る松田優作。薬師丸ひろ子を乗せた飛行機は飛び立つが、なんとすぐに空港に逆戻りする。なぜなら、松田優作が、飛行機会社に、今飛び立った飛行機に爆弾をしかけた、と嘘の電話をしたから。それで、飛行機はユーターンして、乗客は全員、飛行機を降ろされるのである。薬師丸ひろ子も。そして、飛行場で待っていた松田優作と再会する。それと同じことをするんだよ。それが奥の手。
娘は、始めキョトンとしていたが、すぐにニヤリと笑って、やがてあきれたような顔をして、緊張感から解放された。


夏休みにおすすめアウトドア遊び

8/Ⅷ.(土)2020 はれ 山Pが17才女子高生モデルを持ち帰り?

新型コロナウイルス感染拡大の勢いが止まりません。今年の夏休みは帰省を自粛する人も多いみたいで、地方では「東京ナンバー」の車をみると恐れられるとも。ハロプロはライブを再開し始めたそうですが、まだまだライブも楽しめません。格闘技も無観客でやるところも多いですが、せっかくの夏休みは、アウトドアで過ごしたい、そんなあなたに、withコロナ時代の遊び方を提案しましょう。みうらじゅん、のアウトドア般若心経のマネです。

カワクリのキャッチコピーの、「フダン着で来てください。フダン着で待ってます。」、を街中にある文字で再現するのです。
まずは「フ」。新宿のタカノフルーツパーラーから。影がメロンの形になってるのがお洒落ですね。↓。


ついで、「ダ」。夏らしく、「ソーダ」ののぼりから。シュワーってしますね。↓。


「ン」は、新宿の行きつけのカレー屋「モン・スナック」から。コーンサラダは無料なので注文する時言うとくれます。↓。


「着」は、このシーズンらしく、「マルイの水着」から。夏らしくブルーの「着」。↓。


「で」は、田園調布駅の駅名表示から。↓。


「来」は、苦労しました。意外と街にないのです。外タレの「来日公演」の看板とかを狙ってたんだけど…。
「来々軒」なんてラーメン屋や「来夢来人(らいむらいと)」なんてパブは有りそうでないです。
結局、ご近所の東急病院の「外来診察」からいただきました。↓。


「て」も結構、ないです。これは、中野の「てばさき屋」から。↓。


「く」は、縁起良く、「宝くじ」から。↓。


「だ」は、中野ブロードウェイの「まんだらけ大車輪」から。
「まんだらけ」は何店舗もありますが、ここのが黄色で綺麗だったから。↓。


「さ」は、大岡山の蕎麦屋「さか本」から。よくお昼に利用します。↓。


「い」は、「い・ろ・は・す」の看板。自由が丘の踏み切りの近くにありました。↓。


「。」は、福山雅治のテレビの広告から。モニター画面が移り変わるCMなので、瞬間を撮るのは割りと大変でした。↓。


ここまでで、フダン着で来てください。、になってるはずです。続きをしますね。
二つ目の「フ」。タカノフルーツパーラーは小田急デパートの地下が空いてて穴場です。↓。高島屋にもありますね。


二つ目の「ダ」は、中野でみつけた「ダンススクール」から。踊りだしたくなる、「ダ」ですね。↓。


二つ目の「ン」は、中野サンプラザの階段に書かれてる文字から。少し、汚れてて、それなりの歴史を感じますね。↓。


二つ目の「着」も、夏らしく「浴衣の試着会」から。↓。


二つ目の「で」は、中野の「串かつでんがな」から。赤提灯を見ると、呑みたくなりますね。↓。


「待」は、東急線の駅の待合室から。↓。


「っ」は、中野のふぐやのチャッチコピー「春夏秋冬ずっと、ふぐ」の「ずっと」からの「っ」です。↓。


さっきも言いましたが、「て」は少ないです。これは、中野の「てんぷら屋」から。天ぷら、がほとんどで「て」はないです。↓。


「ま」は、色々あります。「おかしのまちおか」とか「まんだらけ」とか。あえて、意表をついて、路面表示の「止まれ」から。↓。


「す」は、中野の「すてーき亭」から。↓。「すてーき亭」の店の入口には、「あしたのジョー」が佇んでいるのが目印です。


最後の「。」は、やはり福山のCMから。別の色を。↓。


これで、完成です。写真だけを続けて見ると、カワクリのキャッチコピーに見えるはずです。
以上、「アウトドア・フダン着で来てください。フダン着で待ってます。」でした。

BGM. 石川秀美「恋はサマーフィーリング」


部活の日々~武道館に連れてってあげる。

6/Ⅷ.(木)2020 猛暑。スー・メタルは広島出身。手越、農業に進出構想、TOKIO山口へラブコール。

梅雨があがって暑い夏がやってきましたが、ニュースは相変わらず、コロナが中心。今日くらいは、広島原爆投下75年とかやるのかな、と思ってたが、朝のワイドショーはやはりコロナの感染者数と帰省への注意喚起。分数でいうと、人生分のコロナが「1」になりそうな勢い。分子(コロナ)を減らせないなら、せめて分母を増やしたい。趣味も自粛の対象だから、過去の楽しかったお話でもしましょう。

クリニックに来たことのある人は、受付カウンターの喫煙所の方に貼ってある一連のクリアファイルに見覚えがあるでしょう。↓。

彼女達がBABYMETALです。
今回はまったくBABYMETALを知らない方のために簡単な基礎知識を紹介しておきましょう。ベビーメタルは、さくら学院のクラブ活動から派生した3人組のメタルダンスユニットです。メタルなので自己紹介の時、「~です」を「~death!」と発音します。
決めポーズではメロイック・サインではなく、キツネサインをします。↓。


そもそも、さくら学院が判りませんね。
さくら学院は、学校生活とクラブ活動ををテーマとした小中学生で結成された「成長期限定」の女性アイドルグループです。
ファンのことは「父兄」と呼び、メンバーは原則として義務教育終了の中学3年生3月で卒業するという決まりがあります。BABYMETALは、さくら学院の部活動「重音部」という位置付けでした。↓。


個々のメンバーを紹介しましょう。まずは、真ん中の一番大きい子がVocal&Dance担当のSU-METAL 、death!。
…という具合に「death!」を使います。↓。


次いで、横の小さな子がScream&Dance担当のYUIMETAL 、death!。↓。


同じく、Scream&Dance担当のMOAMETAL 、death!。↓。


両サイドの子は小さいとは言え、そこはさすが成長期、近頃は以前ほど身長差の凸凹が目立なくなってきました。
真ん中のSU-METALは、「さくら学院」を卒業しましたが↓、BABYMETALは人気に火がついたため、活動継続しています。


そうなると「さくら学院」が気になりませんか?
ライブに潜入してレポートしようと思ってるのですが、全然チケットが取れません。
ところで、BABYMETALに話しが戻りますが、「重音部」??って思いませんか?
部活なら「軽音部」がポピュラーですよね。でも、それだとアニメ「けいおん」のイメージが強すぎるのかしら?
そこで調べてみました。
大ヒットアニメ「けいおん」の第1期が放送されたのが2009年4月からで、第2期は2010年4月からでした。
一方、BABYMETALの結成は、2010年11月28日とプロフィールにありました。
だから、BABYMETAL(=重音部)は、「けいおん」(=軽音部)のパロディー的な意味もあったのではと推測できませんか?
「けいおん」の主人公達は、「めざせ!武道館」などと口にしてますが、放課後の部室でお茶をしてお喋りしてるばかりなので、武道館などありえません。
もしもBABYMETALが「けいおん」を意識してスタートしてたとしたら、本家を凌駕しちゃいましたね。
もっと言えば、BABYMETALがさくら学院の部活動だった事を考えると、現実ってアニメより非現実的death!。
BABYMETALの平均年齢は14・7才で、これは女性アーティストの武道館コンサートの最年少記録を塗り替えたそうdeath!。
ちなみにこれまでの記録は岩井小百合(銀蠅一家の妹分)の15才1ヶ月で、男性アーティストの記録はジャニーズJr.の14才5ヶ月らしい。以上、武道館コンサート最年少記録・豆知識でした。

1/Ⅲ.(土)2014 小雨の中、武道館へ

3月1日は、BABYMETAL武道館2Daysの初日「赤い夜、巨大コルセット祭り」です。↓。


BABYMETALは、2012年7月21日に目黒のライブハウス鹿鳴館で「コルセット祭り」という伝説のライブをやった。
今日のタイトル「巨大コルセット祭り」とは、その時とまったく同じメニューを場所を武道館にかえて、再現しようという試みだ。
従って、MCやアンコールは一切ない、とあらかじめ注意事項が述べられた。
これは伝説のライブを観た人は感慨ひとしおだろうし、観てない人には追体験できる、こんなに有難い企画はない。
演目は忠実に再現するのだろう。
しかし、鹿鳴館と武道館では規模が違い過ぎる。よって、今回は「巨大」が接頭語としてつく訳で。
この2DaysはDVDorBlu-ray で発売される予定で、再三、このステージは収録されるというアナウンスが流れていた。
それは、<映っちゃ困る、って後で、言わないでよ>って牽制の意味よりも、<映るんだから気合い入れてね>的な確認だった。
それはどう言うことかと言うと、「巨大コルセット祭り」だから、客全員が首にヘドバン用のコルセットを巻くのです。
入場前に、「コルセット引換所」へ行き、チケットの裏に「済」の判子を押されてコルセットを貰います。↓。


係の女の子から「入場前にはめて下さい」とコルセットを手渡され、念のため<俺も?>と聞くと、親切にも首に巻いてくれた。
下が、そのコルセットの現物。診察室の入口の、BABYMETALの額装の上にあるから、良かったら見て下さい。↓。


コルセットを首にはめたら、入場だ。
1階アリーナは立ち見客。音楽を聴いて暴れたい人のため。ステージは見えにくそう。
僕はステージを見たいので、2階席を取った。スタンドはほぼ空席なく最上階の席までギッシリ入ってた。
超人気!!あの武道館がいっぱいだ。開演は、6時スタート。
会場の空気は異様な緊張感だ。
大きな魔法陣のような円形のステージが中央にあり、それを野球場のダイヤモンドのように、正方形の通路が囲み、
角の4つの頂点に中央の魔法陣を縮小したステージがある。
おそらく、中央と4角の計5ヶ所でパフォーマンスをして、通路は滑走するためのロードだ。
BABYMETALよ、何を見せてくれるのだ?と期待が胸を膨らませる。
BABYMETAL武道館2Daysとは、いわゆる良くある<2日やるから、どっちか来てね。1曲くらいセトリかえるから、お楽しみに>
みたいなものとは、根本的に違うのである。2日で1つのストーリーを完結させるのである。
今日は明日のための予告編であり、進化し続けるBABYMETALを大河ドラマ的に観るものだと安心してライブに参加した僕。
ところが、どっこい、「生」はそうはいかない。
ミューズという芸術の神様がもしもいるなら、ミューズはBABYMETALに降りたな。
本来、予定調和で終わるはずの、明日のための助走であるはずの今日のステージでアクシデントが起きたのだ。
実は僕は、ずっと不安を抱いて観ていたのである。
<あんなに走って転ばないかな?>とか<あんなに張り切ってスタミナ切れないかな?>とか。
「さくら学院」では、ファンのことを「父兄」と呼ぶが、本当にそんな気分になった。
そして、僕の(そして会場にいた多くの人もそう思っただろう)嫌な予感が的中した。
それは、ラストから2曲目「ヘドバンギャー!!」でのこと。
ゆいメタル、が通路を滑走する最中に、勢いのあまり走路から外れて墜落してしまったのです。
2mくらいの高さはありました。
しかし、BABYMETALはプロですよ。そんな事故があったのに、本来3人でやるのを2人でやりとげました。
でも、そこでもまた、もあメタルがステージで転んだりするから、ハラハラして。何より、ゆいメタルの安否が心配で。
「ヘドバンギャー!!」が終ると、会場は暗転し、場内はザワつきます。進行はしばし、ストップ。
客席から、「大丈夫~?」というコールが聞こえ、次第に「ゆいちゃん!ゆいちゃん!」の応援エールに変わる。
一瞬、これは演出か?と思ったが、あの落ち方はマジだった。
そしてほんのちょっとの休憩の後、エンディング曲の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロが流れる。
ステージ中央にスポットライトが当り、すうメタルの姿が浮かぶ。
そして、次いで、映ったサイドのメンバーの数は、2人だった。ゆいメタル、復活!!
すごいぞ、あの高さから落ちて、わずか数分で復活なんて。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」はMステでも披露された文字通り、イジメ、ダメ、ゼッタイ、と謳う世直しメタル・ソングです。
歌詞は、イジメっ子に対し「ダメ!」と警告を発し、イジメラレっ子に向けて「負けないで!」とエールを送ります。
ゆいメタル、と、もあメタルは空手の型の様な戦闘のパフォーマンスをします。
これは、イジメっ子をやっつけるという意味よりも、イジメられても強くあれ、という暗喩のようです。
実際、いくら「イジメ、ダメ、ゼッタイ」なんて言っても、人間が生きてる限り、イジメはなくなるはずはないと思う。
なのに、あえて、そんな巨大な敵と戦おうとするBABYMETAL。勝目のない試合かもしれない。
ステージでは、直前にステージから落下して、フラフラのゆいメタルが必死で格闘シーンを熱演する。歌のテーマと、武道館という場所と、ゆいメタルの姿が見事にシンクロした。うかつにも感動してしまった。

BGM. BABYMETAL「メギツネ」