(準備中)
台湾紀行~④孔子廟
台湾紀行~③フカヒレ
5/Ⅰ.(水)2011 夜
フカヒレを食べに行こう。このお店。
タクシーを拾って店の前でおろしてもらう寸法が、運転手がよく知らなくてとんでもない所でおりてしまった。途方に暮れていたら、犬を散歩させている女の人が親切に教えてくれてなんとか辿り着く。ありがとう。
これが、フカヒレ。↓。
他に、アワビとロブスターも食べる。上等な紹興酒ものみ、しあわせ。明日が、最終日。
BGM. 松本伊代「チャイニーズ・キッス」
台湾紀行~②観音さま
5/Ⅰ.(水)2011 第2日
龍山寺に行く。龍山寺はご本尊さまとして観音さまをお祭りしているが、他にも「航海の神様」「受験の神様」「三国志の武将」「財運招来」「悪霊退散」「勝負必勝」「商人の神様」などの諸神も併せてお祭りしている。
このお寺は、清時代の乾隆3年(1738年)に着工し、同年5年(1740年)落成したもので270余年の歴史がある。
現在の伽藍は、民国42年(1953年)に再建修復されたもので、反り返った屋根の上から今にも飛び立つのではないかと思わせる鮮やかな瑠璃色の瓦の龍や鳳凰は、以前にも増して豪華絢爛となり、中国の伽藍建築を代表するものだ。↓。
さすが龍山寺だけに龍がたくさんいる。お寺の中の池にも龍がいて、ドラゴン・ボールを握っていた。↓。
龍山寺のご本尊は観音さまであるが、観音さまといえば、僕の実家の割と近くに大船という駅があり、その駅の近くの山の上に立派な大きな真っ白な観音さまが建っている。
小学校の時、休日に横浜や東京のデパートへ向かう時や、中学の登校時に左手にみえる観音さまはやさしく微笑んで見守ってくれているようにみえたが、帰りの暗がりの山の中にライトアップされる観音さまは何故かそら恐ろしくみえ、小学校の時も中学の下校時も大船駅に近付くとなるべく右側をみないように顔をそむけるクセがついた。無意識の罪悪感が反映されていたのかもしれない。
そんな僕はドリフターズ世代であるが、少し背伸びをしてクレージーキャッツを面白がっていた。クレージーといえば植木等の無責任男を連想される方も多いだろうが、実はこの植木等は根は真面目で、自身は本格的な歌手になることを夢見ていたという。
だから、青島幸男作詞の「スーダラ節」の♪スイスイスーダラ・ラッタ、スダラタ・スイスイスーイ♪という歌が来た時には、真剣に「この歌を歌うべきか?」と悩んだらしい。悩んだあげく植木等は父親に相談したという。
植木等の父親は浄土真宗の和尚さんだったが、変わった人で、戦時中に若者に「戦争に行くな!」と説教するようなアブナイ人だったらしい。
そんな植木等の父親はスーダラ節の歌詞をみて、「この青島君というのは、素晴らしい!わかっちゃいるけどやめられない、というのは親鸞の教えだ!」といったような趣旨のことを言い、悩める我が子の背中を押した。吹っ切れた植木等はまるで振り子が逆に振り切れたように、日本一、C調で、無責任なスーダラ男へと変貌したのである。
あの底抜けの明るさで高度経済成長期の日本人の心を救済したのである。これこそ、まさに悟りの境地ではなかろうか。
そんな話を、植木等が自分の父親について書いた「夢をくいつづけた男」という本で知り、僕は親鸞に興味を持って調べてみた。
僧侶の女犯妻帯を初めて認め自分も公然と実行したのは親鸞だった。親鸞がこの女犯問題についての確信を掴んだのは、京都の六角堂に籠った時の夢によってだった。夢に観音さまが現われてこう言った。
「仏教者が前世の宿業によってたとえ女犯するようなことがあっても、私=観音が女となって犯されてやろう。そうすれば、肉体は女でも実体は私=観音とすりかわっているのだから、けがれにはならない。こうして、一生の間、身をきれいにしてやり、死の際は導いて極楽に再生させてやろう」。
なるほど、というわけで、親鸞は女犯の解禁実行を悟るのであった。
クレージーキャッツ経由で、このエピソードを知ったとき、親鸞の観音さまと大船の観音さまが頭の中で二重映しになって、何とも言葉で表現できない、合点がいったのである。20才前後のことだ。
僕は小さい頃から、何か人生の転機がある時に、必ず聖母マリア様の像か観音さまが崩れ落ちる夢をみる。だからと言って決して悪夢ではなく、僕はその状況を、「あぁ、崩れたな」と冷静にみていて、むしろしっかりしているのである。そんな夢を何度もみる。
第二次世界大戦終戦直前の民国34年(1945年)に米軍の空襲で龍山寺本殿が焼夷弾の直撃を受け、石柱までもが全壊するひどい惨状であったが、このような状況のなかで、本像の本尊、観音菩薩像だけは、無傷のまま端然と連座に端座され安泰だったという。
そのため当時、空襲があると付近の住民は観音さまの膝下は絶対安全だと信じ、多数の人々が避難してきたが、激しい空襲の中、不思議なことに避難者には全く死傷者がなかったという。
そのあらかたな霊験は今日でも人々の間で語り伝えられ、ご加護を讃えておるそうだ。
台湾紀行~①ヘソQ
4/Ⅰ.(火)2011 初日
休みを利用して台湾に来た。日本と台湾の時差は1時間、飛行機で3時間くらいで着いてしまう。
気候は日本より少し暖かいが、何故か、建物の中は寒い。韓国に行った時は、日本を夜に出て、夜中にホテルにチェックインするという強行軍だったから、それと較べ、今回は午前に出て昼過ぎに着いたから楽だ。下が、宿泊先のホテル。↓。
ホテルに荷物を置き、「川堂」という店に行く。ここでは、おヘソに3種類くらいのもぐさをつめて90分くらいお灸をする。精養に良いとの評判で、志村けんも来たことがあるようだ。お店の名前の「川堂」の「川」は四川を意味し、「堂」は四川に伝わる武術の女侠流派の名に由来するそうだ。
中国の医療では、「けいらく」という気の流れがあって、それが時刻とともに流れる場所が移るらしい。その一覧をメモにしてきた。↓。
術者の人に、「たとえば‘ひつじ’と‘小腸’は関係あるのか?」と尋ねてみた。すると、‘未’は時刻を表すものだから違う、という。
「それはそうだが、たとえば別の科学的な研究で、‘ひつじ’の‘小腸’は働きが優れている、などという因果関係が偶然に一致したりするものはないのか?」と聞いてみるも、中国では‘未’は動物の羊を表すものではない、という。
それは解る。それはそうだが、‘象徴’という考え方もあるではないか。(小腸のシャレではなく)。‘おばあちゃんの知恵袋’風に、たとえばある文化圏では‘小腸’の病気の時に‘ひつじ’肉を食べるとよいとされている、とか、ドラゴンを退治する時はとにかく沢山食べさせて胃に負担をかけろ、などという風習や言い伝えがあったら面白いと思うのだが、「中国ではちがう」とケンモホロロだ。
「伝統」や「文化」のもつ、「誇り」と「閉鎖性」を痛感する。まぁ、よく考えれば、こっちの言ってることがメチャクチャなので、向こうも困ったものだろう。「外交」はむつかしい。
さて、急に頭を使ったらお腹が減ったので、ショーロンポーを食べに行く。
ここは人気のお店で、4階だてで1番上にはVIPルームみたいのもあるらしい。ヘソ灸の人が言うには、待つときには2時間位待たされるらしい。我々は、スムーズに入れた。店員は、結構、日本語が通じて、日本語メニューもあった。
これが、ショーロンポー。とてもおいしかったです。↓。エビシューマイも、ジューシーでおいしい。
女給のスカートの裾が微妙に短いのが、気になり出すと気になるので、そこだけ注意が必要かも。
BGM. 相本久美子「チャイナタウンでよろめいて」
モチュー
1~3/Ⅰ.(土~月)2011 うさぎ年
今年は、喪中のため、お正月らしいことはせず、年末年始の特番をみてダラダラと過ごす。
正月のよいところは、おおっぴらに昼間から酒を呑めるところ。お正月と言えば、子供の頃は、よく百人一首をしたっけ。
2日、動画サイトで五味のUFCの試合を観る。結果は、一本負け。
五味は「今のUFCは特徴とかキャラクターだけでは勝てなくて、研究されて、マニュアルのようなものが出来上がってしまった。オレは、もう一回、そういうのを壊してやりたいな」と意気込んでいたのに…。
五味の戦う相手は、UFC自体だったり、教科書的なファイト・スタイルを是とする風潮だったりするのだ。浅草キッドの玉ちゃんが、五味をみてると矢吹丈(あしたのジョー)を思い出す、と言っていたが、同感だ。
2011年、五味隆典の戦いに注目したい。
BGM. チューリップ「夢中さ君に」
X’マス
25/ⅩⅡ.(土)2010 クリスマス!
今日も、昨日同様、遅くなってしまい、今日の方、お待たせしてすみません。
下の写真は、Ramちゃんが撮影してくれた2010クリニック・X’マス風景。遠い方へ、こんな感じでやっています。↓。
家に帰ってから、宅配のドミノ・ピザを頼む。ドミノ・ピザを食べるのなんて、何年ぶりだろう。
サンタの格好をした配達の人の感じがとても良かったので、おつりの小銭を受け取ってから、「メリー・クリスマス!」と言ってあげたら、とても喜んでいた。わずか数百円なんだけどね。
BGM. ザ・ビーチ・ボーイズ「サンタのおかげ」
忘年会!!!!
22/ⅩⅡ.(水)2010 今日はクリニックの4度目の忘年会
だから、普段とは違うゴージャスなコートを着てきたのはいいのだが、これを脱ぐと中はTシャツ1枚。 仕方ないので、防寒用に白衣を羽織る。皆に驚かれる。「先生、どうしたんですか?」「どうして白衣を?」と質問攻め。 「コスプレ」と答える。
この靴は、実は、結婚式用に買ったのだが、結婚式にはおかしい、と言われ箱から出していなかったもの。↓。
この鞄も、夏にハワイの免税店で買ったが、一度も袋から出してなかったもの。↓。
どっちも、デビューできて良かった。
お店は、赤坂の「たい家」さんという料亭。4階の個室で静か。僕の好きなカラスミやアワビも出て日本酒が美味しい。 「たい家」というだけに最後に「鯛めし」が出るが、炊き込みご飯みたいのを想像したが、生のタイに胡麻のたれがからんでいて、最後にほうじ茶をかけてお茶漬けみたいに食べる。こういうのを写メに撮っておくんだったと食べてから気付く。
二次会は、近くのホテルのラウンジで。下は、店の入り口にあった巨大ツリー↓。。
同じツリーを撮影した徳田さんの写メを見せて貰ったら、なんだかとても前衛的な作品に仕上がっていた。 彼女は、芸術の才能もあるのかもしれない。あるいは、単に、僕が酔っぱらっていて、逆さに見たりしたのかも。 今度、あらためて見せてもらって、甲乙をつけよう。
BGM. 吉田拓郎「諸人こぞりて」
断筆
17/ⅩⅡ.(金)2010 その2
校医のとき、学校に置いてあった図書に、徳田さんの指導教官の先生の文章をみつけ読んだら面白かった。 その先生と徳田さんは何か似てるなぁと想い、釣られて自分の師匠たちのことをアレコレ思い返してみた。
今の僕に多大な影響を与えてくれたある先生に対して、不義理をしたまま連絡を絶ったままなのがずっと気になっていたから、この機会を利用して、詫び状というか挨拶文みたいなものを書いてみる。
何度も書き直してみたが、うまく書けないので、残念ながらあきらめて、断筆する。
BGM. 榊原郁恵「私の先生」
まつとし聞かば 今帰り来む
17/ⅩⅡ.(金)2010 お昼はステラ
8ちゃんに「けいおん!」くじのA賞「さわ子最終形態」を頂いた。
こんなEの貰っちゃってEのだろうか?。あとで、「返せ」とか言われないだろうか?。現物、初めてみた。ありがとうございます。それが、コレ。↓。
Bさんは、ミーちゃんのことをとても心配してくれ、迷子の猫が帰ってくるオマジナイを教えてくれた。
百人一首の中納言行平の「たち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」の下の句を白い紙に書いて玄関に貼っておくのだという。別れを惜しむ歌だから、いなくなった猫が戻ってくるオマジナイの効果もあるのかもしれない。やってみよう。
BGM. 小倉優子「恋の呪文はパパピプパ」